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     ≪鬼ごっこ≫

     
     草子は突然走り出した。
     口数がだんだん減ってきたデートの帰り道。
     私が何を話し掛けても、生返事をするばかりの草子に、
     ちょっと疲れたのかななんて思っていた矢先だった。

     走り出した草子の後ろ姿を、ひかれたように私は一瞬唖然として見送り、
     それから慌てて草子を追いかける。
     平日の街。夕暮れの雑踏の中を、草子はうさぎの仔のように素早く走り抜けていく。
     タータンチェックのマフラーが翻り、追いかける私の視界をひらひら舞った。
     軽やかな足取りの草子のスニーカーが腹立たしい。

     なんなのよ、一体。
     私はといえば、今日のデートのために用意したヒールの高いブーツ。
     走るためにしつらえたわけではないそれは、私の速度をどうしたって遅くする。

     どうして草子が走り出したのか、私にはまったくわからなかった。
     何か、怒らせるようなことしたかしら。
     そんな覚えはまったくない。

     デートの途中までは楽しかった。草子が見たがっていた映画を二時間、
     それからぶらりと眺めるだけのショッピングをして、ゆっくりカフェでおしゃべり。
     草子は私の隣で、ずっと楽しそうに笑っていた。
     あの、笑ったときにだけちらりと見える八重歯が好き。
     草子のおとなびた顔を幼く見せて、そこに草子の真相が見える気がするから。

     どこから雲行きがあやしくなったんだろう。
     もうそろそろ帰る時間だからと、駅に向かって歩き出して、
     そうして、だんだん口数が減っていって。

     ……ああ、帰らなくちゃいけないから?
     ……もう、離れなくちゃいけないから?
     だから、口数が減ってたの?草子。

     走りながら、お行儀悪く舌打ちをする。
     スカートが脚に絡んで鬱陶しい。
     ブーツのつま先がズキズキ痛んだ。
     それでも私は草子を追う。

     もし、別れるのが辛かったのだとしても、
     どうして走る必要があるのかわからない。
     これじゃまるで、鬼ごっこだわ。
     逃げる草子を追いかける。ちゃんと捕まえられるかしら。

     子どもの頃、鬼ごっこは苦手だった。
     必死で逃げる相手を追いかけるのが、なんだかひどく悲しくて。
     どうして私から逃げちゃうの。逃げるならいいわ、もう追わないから。
     そんなふうに思ってた。

     だけど、
     だけど草子だけは、捕まえなくちゃ。
     私の大切なひとだけは、諦めるわけにはいかないじゃない。
     どんなに足が痛んだって。

     草子の行く手、信号が赤に変わるのが見えて、私は少しほっとする。
     あの通りは車が多いから、信号無視ってわけにはいかないわ。
     草子は止まるに違いない。

     ……けれど、その考えは、甘かった。
     草子は信号を見上げると、そのまま路地を折れて、
     雑踏から姿を消した。

     私はぎょっとして、走る速度を無理に上げる。
     道行く人は、何ごとかと私を見やる。
     人目なんか気にしてる場合じゃないわ。
     草子を見失った路地で急ブレーキ。ぐいと曲がる。

     「草子!」
     路地は、袋小路だった。
     ジュースだの珈琲だのの自動販売機が壁面を埋めている。

     そうして草子は自動販売機を背に私と向き合い立っていた。

     「ありがと」

     草子は私の目を真っ直ぐに見つめ、はっきりとそう言った。
     そうして、にっこり笑う。大好きな八重歯がのぞいた。

     「な、なに? 何がありがとう?」

     私は、肩で息をしながら、混乱して訊ねる。
     本当に、何がなんだかさっぱりわからなかった。

     草子は、不思議なほど嬉しそうな笑顔のまま、
     走ったせいで乱れてしまった私の髪をゆっくりとかし、
     私の頬をその冷たい掌で覆った。
     火照った頬に気持ちいいひんやりとした体温。

     ぽつりと、草子が小さく呟いた。
     「追いかけてきてくれるかなって、不安だった」
     「え…」

     私は、きょとんとして草子を見つめ返す。
     「私が突然いなくなったら、追いかけてきてくれるかなって」
     「だからいきなり走ったの?」

     草子がちょっとだけ困ったような、
     そしてどこかはにかんだような笑顔を見せた。
     「そう。追いかけてくれて、ありがと。嬉しかった」

     「……バカ」
     私は呆れた声で小さく呟き、溜め息をつく。
     気が抜けたせいで、足の痛みが思い出したように強くなった。

     「バカな子は、キライ?」
     草子が私の頬を掌で挟んだままそう問う。
     私は、思わず苦笑した。

     草子の不安は、わかる気がした。
     楽しく笑い合っているときはいい。
     隣を歩いているときはいい。
     けれど、もし私がいなくなったら、
     あなたは私を追いかけてくれる?

     私たちを取り囲むモラルの壁は高く厚く、時折、負けそうになる。
     もし彼女と別れたら心のどこかがほっとするかもしれない。

     私から逃げた彼女を追いかけたりせずに、
     そのままさよならしてしまうかもしれない。
     決してありえないとは言えない不安にふと囚われることもある。

     けれど。

     「バカな子ほど、可愛いの」
     私は使い古された言葉を口にして、自信たっぷりに笑ってみせた。
     草子の手に自分の手を重ね、言葉を継ぐ。

     「どこまでも追いかけるわよ。逃がさないから、覚悟して」
     そうささやくと、草子がとびきり嬉しそうに微笑んだ。

     ああ、この笑顔を見るためなら、
     地の果てまでだって草子を追いかけられそう。

     そうね、鬼ごっこも悪くないわ。

     草子の愛を捕まえるためなら。

     ≪END≫

     ***********************************************************************************

     ☆執筆後記☆

     鬼束ちひろさんというアーティストをご存知でしょうか?
     まぁ芸術家なんてそれぞれ好き嫌いがあるとは思いますが、
     私は好きでよく彼女の歌を聞きます。詞も曲も歌声もすごい心に響いて
     聞いているだけで涙があふれてしまうんです。

     シンガーソングライターって言葉をよく聞くけれど、
     その中でも彼女はトップクラスの才能を見せていると思います。
     そのままで文学賞を取れてしまいそうな詞、聞けば聞くほど情が深まる曲想、
     野性的で堕天使的のようで妖精のようにも聞こえる歌声。

     よくテレビで“歌姫”なんて言葉が踊るけど、“単に歌うこと”だけ取っても
     彼女らとは比べ物にならないほど上手いです。
     まぁ、こんなのは私の個人的な意見なので聞き流して頂いていいのです(笑)

     とにかく鬼束さんの歌詞の中の一節から今回の鬼ごっこの話を思いつきました。
     もちろん鬼束さんの曲とこの話は深みの度合いが月とスッポン状態ですが(汗)

     もしも私がここからいなくなったら、私を追いかけてくれる?
     そんなような歌詞だったと思います。
     私もいつかそんなことが言いあえる彼女と出会いたいものです。



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