声
小さいころから彼らの『声』は聴こえていた。
もしかしたら母親の胎内にいたころから聴こえていたかもしれない。
彼らは不思議な存在だった。
父も母も周囲の誰も、彼らの声を聴くことができなかった。
一部の人間は彼らの囁きを聴くことができたけれど、私のようにはっきりと聴くことはできなかった。
私だけだった。
少し大きくなると彼らの姿まで見えるようになった。
だけど、少しも怖くはなかった。
両親はちゃんと分かってくれたし、決して一人ではなかった。
祖父の妹に当たる大伯母が側にいた。
彼女も彼らの姿を見、その声を聴くことができた。
大伯母は彼らにとって特別な存在だった。
大伯母の周囲にはいつも彼らのひとりは側にいた。
私には気が向いたときだけ、彼らは現れた。
大伯母はどうして私たちが彼らの姿を見、声を聴くことができるのか、優しく教えてくれた。
それはとても嬉しくなる理由だったから恐怖や不安を抱く必要はなかった。
それに彼らはとても綺麗だった。
性格は気まぐれで少し変わっていたけど、大伯母や自分には優しかったし、色々な話をしてくれた。
彼らと付き合うのは楽しかった。
時が流れて自分の立場を理解したころ、大伯母が亡くなった。
蕾が綻び、暖かな日差しが差す季節だった。
柩は白い花でいっぱいで大伯母は埋もれるように横たわっていた。
大伯母は微笑を浮かべて眠っていた。
彼らも大伯母に最期のお別れにやって来ていた。
それを見ることができたのはきっと私だけだっただろう。
私は泣かなかった。 泣くのは大伯母との約束を果たしてからと決めていた。
亡くなる間際、大伯母が言い遺した事。
それは大伯母が今まで背負って来たことを今度は自分が背負うということだった。
大伯母の後を継ぎ、私は彼らの特別な存在――『ファランの姫』と呼ばれる存在になった。
それまで私と彼らの関係はどこか曖昧ではっきりしていなかった。
私と彼らは対等な、そして明確な関係へと変化した――。
■ ■ ■
ファラン国王が住まう城内にある古い石作りの塔から出て来た老人は視界の隅に見覚えのある姿を見つけ、足を止めた。
(おや、あれは――)
見事な白銀の髪をした、紫の瞳の――少年だ。
「そこにいるのは――ティルではないか? また、どこかへ行くのかね?」
いきなり、声を掛けられた少年はびっくりして振り返った。
「魔法士長さま……」
帽子からこぼれる絹糸のような白銀の髪がさらりと揺れる。
少年――ティルは悪戯が見つかったかのような表情を浮かべた。
繊細な造りの容貌は愛らしく、美少年というよりは美少女と言った方があっていた。
「え、えぇと、まあ……」
ティルは白い頬を朱に染め、長いまつげに縁取られた瞳を決まり悪げに逸らした。
魔法士長と呼ばれた老人はこの国の魔法士を束ねる人間だった。
魔法士とは精霊から力を借り、自らの精神力を使って魔法と呼ばれる不思議な術を使う人々のことである。
「実はそうなんですけど、内緒にしてくれません?」
ティルは可愛らしくお願いした。
「さぁて、どうしたものかのぉ」
魔法士長は楽しそうに笑って言った。
「で、何にしに行くんだね?」
追求されたティルは悩んだ末、答えた。
「えーと、ちょっと……」
(やっぱ、正直に言うと止められるかなぁ)
「山の方に、いろいろあって。実は僕もはっきり分かっていなくて、何しにと言われても困るんです」
「ほお」
ティルの曖昧な態度に魔法士長は興味深げに瞳を細めた。
しかし、魔法士長はそれ以上追求するのを止めた。
「ま、良かろう。見なかったことにしておこう」
困り切っていたティルの顔がパッと綻ぶ。
「ありがとう、魔法士長さま!」
素早く去ろうとするティルの後ろ姿に魔法士長の声が掛かった。
「竜は強い! できるなら戦うでないぞ!」
(あ、バレてる)
ティルはこれから西の洞窟に住む竜の所に行くつもりだった。
どうしても行かなければならない理由があった。
ティルは逃げるようにそこから離れた。
ファラン城の裏には大きな湖があった。しかし、その湖には名がない。一応、人々はファラン湖と呼んでいた。
理由は簡単で、都や城の水はそこから引いてるからだ。
ティルは城の水門の近くまで来ると、慎重に様子を伺った。
(ツイてるなぁ。ちょうど誰もいないや)
普段は近衛兵が見張りに立っている所なのだが、今は誰もいなかった。
ティルは余裕で水門から外へ出た。
水門の外は城壁に沿ってかろうじて歩ける部分があるくらいで狭かった。
ティルは湖に落ちないように気を付けながら静かに湖面に右の手のひらを当てた。
「……水の精霊たち、僕のために道を」
ティルが小さく呟くと、その右手が触れている部分から対岸に向けて湖面が凍っていく。しばらくしてティルの前には細い氷の道ができていた。
すぐにも割れて溶けそうな氷の道にティルは微塵の迷いもなく、足を降ろした。そして、そのまま歩いていく。
「よっ、と」
ティルが対岸に足を降ろした瞬間、背後で儚い砕ける音がした。
振り向くと、たった今、ティルが渡って来た氷の道が湖に消えようとしていた。
氷の道が消えると、ティルは微笑んで言った。
「――湖の乙女たち、ありがとう」
ティルはこの湖にいる精霊たちが女性であることを知っていた。
ティルの言葉に反応するかのように湖面にさざ波が生まれた。
風もないのに生まれた波間に女性たちのかすかな笑い声を聴き取ると、ティルは踵を返した。
湖の周囲には小さな森が広がっており、ティルはその中で最も古い樹を目指した。
その常緑樹はファラン王国の建国時からあるものだが、ティルにとってはそれ以上に意味がある樹だった。
樹の側まで来るとティルはどこかに向かって呼びかけた。
「いるんだろ? 出て来てよ、地の精霊馬デル・パオ」
刹那、一陣の風が吹いた。
《また、来たのか》
背後からの音なき声にティルは振り返った。
いつの間に現れたのか、漆黒の艶やかな毛並みをした立派な馬がそこにいた。
「デル・パオ」
馬に呼びかけ、ティルは微笑んだ。
精霊は大抵、人に似た姿をしているものが多いが、稀にそうでないものもいる。
馬や鳥、狼やその他の動物の姿をした精霊は神々や死者が住まうとされる『天の園』にいて時々、地上に降りて来る。
デル・パオは馬の姿をした大地の精霊だ。本来、いるべき『天の園』ではなく地上にいることの方が多い変わり者である。
この大地の精霊馬はこの場所が気に入っていて、地上にいるときは大抵、ここにいる。
デル・パオに会いたければ、ここに来るのが一番だとティルは知っていた。
「連れてって欲しい所があるんだけど、いい……?」
デル・パオは馬そのものに低くいなないた。と、同時にティルの頭の中にデル・パオの音なき声が響いた。
《私はお前の馬ではないぞ》
「分かってる、僕に命じる権利はないってことは」
ティルは真剣な眼差しで言った。
「だけど、急がなくちゃならないんだ。地上の馬だと間に合わない。でも、デル・パオの足ならきっと間に合う」
馬の姿をした大地の精霊――デル・パオ。
大地を力強く蹴る足は普通の馬の何倍の速さで世界を駆る。
「だから、デル・パオ」
ティルの曇りのない澄んだ紫の瞳がデル・パオを射貫いた。
命じるのではなく、ただ、ひたすら願う。
真っすぐな眼差しにデル・パオは視線を逸らした。
「デル・パオ……」
ティルの沈んだ呟きの後、大地の精霊馬は無愛想に言った。
《急いでいるのだろう、さっさと乗れ》
ティルはその言葉に顔を輝かせた。
「デル・パオ!」
満面の笑顔にデル・パオはそっけなく言った。
《……セルミアには恩があるからな。別にお前のためではないぞ》
セルミアとは大伯母のことだ。
しかし、ティルはそれが照れ隠しの言葉だと分かっていた。
「うん、分かってる。でも、ありがとう!」
《それで、どこに行くのだ?》
デル・パオの問いかけにティルは笑みを消して言った。
「西へ。西の洞窟がある森へ――」
そして、物語は始まる――……。
『西の竜退治』3に続く
|
|