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第一章 〜血涙の絆〜


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『どうして、あんなことをしたの?』
 そう問いかける声。
 悲しそうな、寂しそうな声。
 鎖に繋がれ、身動きできない彼女を鉄格子越しに見ている眼差し。
 答えることができず、視線を逸らした彼女の耳に鍵が開く音が届いた。
 冷たい石畳を歩く音。
 近づいてくる気配に彼女は視線を戻した。
 そして、再び問いかけられた。
『どうして』



「あんなことをしたんですかッ!?」
 耳に届いた激しい声音に彼女の意識が浮上する。
(だ、れ……?)
 聞き覚えのない声。
 若い青年の、隠そうともしてない苛立ちが分かる声。
「まあまあ、別にケガした訳じゃないんだしさぁ」
 宥める朗らかな男の声も聞き覚えがない。
「当たり前ですッ! ケガなんかしていたら、この程度で済みますか!!」
「いや、オレが言いたいのはそういうことじゃなくて――」
「大体、ガントは」
「その辺りで勘弁してやれ、ジェリス」
 落ち着いた男の声が割って入ってくる。少し笑いを含んだ声音に何か思うところがあったのか若い青年の声音が弱まる。
「ユート様、しかし……」
「過ぎたことを言っても仕方あるまい。ケガなく済んで良かったではないか」
 そこで男の声音が真剣味を帯びた。
「だが、今度からは謹んでいただけるか、ラトル殿?」
 また、別の声が答えた。
「――――努力はしてみる」
「ラトル様ッ!」
 苦笑を滲ませた返事に、ジェリスと呼ばれた青年が声を荒げた。
 再び騒がしくなる気配に、彼女は瞼を開けようとした。
「煩いわよ、アンタたちッ! 折角、寝ていたのに起きてしまったじゃないの」
 張りのある女の声に騒ぎが収まる。
 そして、ようやく瞼を開けた彼女が見たのは短く切った黒髪に褐色の肌の見知らぬ女性の顔だった。
「悪かったわね、起こしてしまって――」
 申し訳なさそうに告げる女の琥珀の瞳に偽りのない労わりの色を見つけて、彼女は戸惑った。
 何か言おうと口を開こうとして、彼女は声が出ないことに気づく。
「ああ、喉を煙で痛めたのね」
 そう言って女は短く呪文を唱えて、光を宿した人差し指と中指の先を彼女の喉に当てた。
(回復魔法……)
 そして、女は近くの小棚に置いていた盆からコップを手に取った。
「水よ、飲める?」
 上半身を起こしてもらい、コップを手渡され、彼女はますます戸惑った。
 鎖と手錠がない。気絶している間に外されたらしい。自分を見れば、衣服も取り替えられている。飾り気のないそれは彼女が着たことのない女物で、ほとんど男装に近いものしか着たことがなかっただけに違和感を覚える。
 ゆっくりと女を見ると、相手は微笑んで頷いた。そして、再び、コップを見て彼女は水を飲み干した。
 喉を潤す清涼な感覚は間違いなく水。毒や妙な薬は入っていない。もっとも、入っていたとしても彼女に大した害はない。……そうなるように、彼女は訓練されていた。
 ホッと一息吐き、彼女は改めて自分の置かれた状況を確認した。
 場所はどこかの民家、だろうか。しかし、調度品は少ない。彼女の寝ていた寝台と大きなテーブル一つと幾つかの椅子。それだけだ。
 部屋には女を含めて五人の人間がいた。
 側に立つ女の姿は豊満な体を強調するような輪郭がはっきりとした袖なしの上衣に下衣を何枚か重ねている。魔法を使ったところを見ると、魔道士なのだろう。
 円の世界成立以前、世界は魔法によって栄えていたという。
 魔法の源は精霊。
 魔道士は精霊の力を宿した『精石』と契約した者を指している。『精石』は現存せず、今となってはその血に溶け込んでいるため、新たに契約を結ばれることもない。そのため、血が薄まれるにつれ、魔道の素質を持った者も減り、結果的に魔法は廃れつつあった。
 例外的に血が薄まらず、常に高い魔道の素質を維持することができるのは精霊より高位の存在――神の力を持った『聖石』と契約した『契約者』の末裔――四王家の血を継ぐ者だけだ。
 女の後方には癖のある栗色の髪に黒の瞳をした屈強な男。革の服装に長い革靴を履いている。武器らしき物は見えなかったが、その佇まいはさり気なさを装いつつも隙がない。壁にもたれながら興味深そうに彼女を見ている。
 その前の椅子に座っているのはきちんと撫でつけた灰色の髪に茶色の瞳をした壮年の男。無骨な雰囲気を感じさせつつも、落ち着いた物腰は彼が優れた武人であるだけでなく、確かな教養があることを伝えていた。
 その向かいには一人は亜麻色の髪に水色の瞳をした若い青年が立っていた。縦襟のきっちりした服装を纏い、濃紺の外套を身に着けている。その影に隠れて分からないようにしていたが、ちらりと覗いた腰に二振りの剣を彼女は見つけていた。
 壮年の男と青年の間、上座に当たる席にも男が座っているようだが、彼女の位置からではよく見えない。
「ここ、は……? 私――」
 彼女の呟きに女は安心させるように笑いかけた。
「ここはルソナ。もう大丈夫。アンタは助かったのよ」
「助かった?」
「覚えてない? アンタが乗っていた飛行艇が墜落したの」
「墜落――」
 彼女は茫然と繰り返した。
(飛行艇が墜落?)


『死んではいけないよ。必ず、生き続けるんだ』


「ホント、運が良かったわね。大したケガもないし、ただ体は衰弱しているみたいだけど」
「そのことについて聞きたいことがあります」
 女の言葉を制して青年が言葉を挟んだ。
 彼女が見やると、青年は値踏みするような眼差しで見つめていた。声から察するに彼がジェリスなのだろう。
「墜落した飛行艇はダムロート皇国のものと確認されています。貴方は何者ですか?」
 単刀直入な質問に、女が苦虫を潰したような顔になる。それを視界の端に認めて、彼女はようやく彼らが何者か理解した。
(抵抗軍……)
 遥か昔、契約者たちが興した四つの国の中にダムロードという国が東の地にあった。かつて王国だったダムロードは代替わりと同時に皇国へと名を変え、他国へと侵略戦争をしかけた。
 即位したダムロード皇帝ギリウムは失われつつあった魔法技術を円の世界成立以前の遺物から蘇らせ、魔法の代わりに発展しつつある科学との融合の果てに生み出した合成生物――キメラを戦力に他の三国、西のナファーム王国、南のカレース王国、北のクァ―ル王国を滅ぼした。
 その後、皇国は世界各地を支配下に置き、圧政を行ない、歯向かう地は徹底的に殲滅した。そして、魔道の素質を持つ者を狩り出していた。その中でも、自我が確立した大人は殺され、まだ幼い子どもには洗脳に近い教育を施している。もっとも、魔法が廃れつつあり、魔道の素質を持つ者は少ないので洗脳される子どもは少ない。代わりに殺される大人は多いのだが。
 圧倒的な力で世界を蹂躙するダムロード皇国に対して抵抗軍が生まれたのは自然の成り行きだった。だが、皇国を滅ぼすまでの勢力とは成りえていない。
 他ならぬ彼女自身がそれを阻んでいたのだ。
(あぁ、でも、彼らなら、きっと私を)
 殺すだろう。
 何故なら、彼女は彼らにとって憎い敵であるはずだから。
 彼女はまっすぐに見つめて静かに答えた。
「私の名は――アウロス」
 その瞬間、緊張が走った。
 次いで、鞘が走る音がしてアウロスに目掛けて刃の切っ先が向けられた。
「アウロス、ということはお前が、あの冷酷無比の『魔道将軍アウロス』か?」
 憎悪の輝きを宿した水色の眼差しを受け止め、アウロスは無表情に肯定した。
「ああ、そうだ」
 冷酷無比の魔道将軍アウロス。
 操る魔法は破壊を、その剣は血煙を生み出す。
 戦場に立てば、殺戮機械のように動き、皇帝ギリウムの命ならば街一つ焼き払う――血も涙もない女将軍。
 それがアウロスだった。
「では、斬られても文句は言えないな」
 冷徹な表情で、ジェリスが剣を振り上げようとした瞬間、女がアウロスを庇うように立ちはだかった。
「止めなさい、ジェリス。武器も持たない相手に何をしようっていう気なのよ?」
「そこをどいて下さい、シエネさん」
「イ・ヤ」
 アウロスは自分を庇う女――シエネの肩をゆっくりと押し退けた。
「何を」
「構わない」
 一言告げて、アウロスはジェリスをまっすぐに見据えた。
 その眼差しに一瞬ジェリスは気圧された。しかし、すぐに気を取り直し、柄を握る手に力を込めた瞬間。
 くすりと笑う気配がして、穏やかな声がジェリスを制した。否、正確にはアウロスに話しかけた。
「随分と素直なんだね。自分の名を言えば、殺されると分かっていて答えるとは」
 思いがけない言葉に、ジェリスは息を呑んで振り返る。同時にアウロスは声の主を見ようと視線を動かした。
 次の瞬間、アウロスは目を瞠って固まる。
「……ム?」
 小さな呟きは誰の耳にも届かなかった。
 ただ、アウロスの眼差しを直接受けた相手だけが一瞬虚を突かれたような顔になる。
 それを見てアウロスはすぐに我に返った。そして、相手をさりげなく観察した。
 純金の糸のような髪、蒼穹のような蒼い瞳の青年だった。整った顔立ちは白皙の美貌と言っても差し支えないが、柔らかな表情が雰囲気を柔らかくさせ、一瞬では気づかせない。姿勢の良い姿はそこはかとない育ちの良さを漂わせている。それでいて椅子を浅く座っているのは何かが起こってもすぐに対処するためだろう。
(……似ているけど、違う――)
 よく見れば髪の色も瞳の色も違う。
 アウロスは安堵と焦燥が襲う内心を押し隠し、努めて平静を装った。
「――貴方は?」
 青年はにこりと微笑んで答えた。
 その微笑みはアウロスの見誤った人物が浮かべるものとは明らかに違うもの。
「ラトル。一応、ここの総責任者、になるのかな? でもって、私が君を助けた」
(助けた? この男が、私を――?)
 不意に、アウロスの胸に苦々しさが込み上げた。
(どこまで行っても、私はこの手の顔の男に縁があるのか?)
 アウロスはゆっくりと心を落ち着かせて言った。
「それはこの辺り一帯の? それとも、抵抗軍全体の意味か?」
 どこか挑発めいた言葉にジェリスの顔が一層厳しくなり、壁にもたれた男が眉をひそめた。壮年の男は冷静に見つめている。
 一瞬、緩まった空気が、また緊張を孕んだ。
 しかし、ラトルはおもしろそうにアウロスを見つめて穏やかに答えた。
「後者だよ。止むに止まれぬ事情があってね」
 そして、ラトルはジェリスに向かって告げた。
「とりあえず、その剣は収めたらどうだ、ジェリス?」
「ラトル様までそんなことを仰るんですか?」
「彼女は、もう『魔道将軍』ではないからね」
 その瞬間、誰もが息を呑んだ。当のアウロスですら、言葉を失い、ラトルを凝視する。
「何を言って――」
「彼女は投獄者だよ」
「ッ!!」
 ジェリスは言葉を失い、立ち尽くす。
 アウロスを助けた時、両手首にあった鎖と手錠を思い出したのだ。
「……だから、何だと? 私が魔道将軍だったことも、皇国の名の許に殺戮を繰り返した事実には違いない」
(そう、何も変わりはしない――私が犯した罪も)


『そんな風に自分を追い詰める必要はない。お前は何も悪くないのだからね』


(嘘だ、そんなのは違う……)
 不意に、ラトルは一瞬蒼い瞳に真摯な光を宿して、アウロスを見やった。
「――そんなに死にたいのか?」
 思いがけない言葉は的を射ていた。
 否、死にたい訳ではない。だが、このまま――特に抵抗軍の中で生きている訳にはいかないのだ。
「分かった。なら、私は皇国軍へ出頭する」
 そして、アウロスは掛け布を取って寝台から降りようとした。
「ちょっと待って」
 慌ててシエネが押し留めようとする。
「アンタ、自分の言ってること分かってるの? それだって死に行くようなものよ。第一、衰弱した体じゃ、まともに動けないでしょ?」
「……どいてくれ。貴方たちのことは話さないから」
 それでも、心配なら殺せと言外に告げられ、シエネは眉をひそめた。
「そういうことを言っているんじゃ……」
「出て行く必要はない」
 それまで黙っていた壮年の男の言葉に全員が注目した。
「ジェリスも剣を退け」
「しかし、ユート様」
 褐色の瞳を細め、壮年の男――ユートはアウロスをちらりと見た。
「噂に聞く魔道将軍は魔法をも操るという。本当に彼女がそうで、私たちを害なすつもりなら、すでに攻撃魔法の一つでも唱えているだろう」
 ユートの言葉を同意するように、ラトルも頷くのを見て、ジェリスは渋々剣を鞘に収めた。
「……分かりました」
 しかし、まだ不服そうな顔でジェリスは言った。
「だからと言って、信用した訳じゃありませんからねッ」
 どこか拗ねたような雰囲気でジェリスはラトルの側に戻る。
 それを見て、シエネは苦笑しながらアウロスを寝台に戻した。
「だってさ。だから、安心して休んで。と言っても、休めないかもしれないけどね。だけど、他の部屋は墜落事故で家を失った人たちに貸しているから」
「魔道将軍を独りにしておくなんて冗談じゃありませんね」
 ずっと沈黙していた屈強な男が不意に呆れたように言った。
「……ジェリス、お前ってホント頑固だよな〜」
「煩いですよ、ガント。このくらい当然なんです」
 渋い顔で言われた屈強な男――ガントは軽く頭を掻いて呟く。
「頑固っていうより、子供か……」
「な・に・か、言イマシタカ!?」
 くすくすと沸き起こる笑いに、居心地の悪さを感じながらアウロスは何かが心の琴線にひっかかっていることに気づいた。
(何? 何が――)
 そして、次の瞬間、脳裏に閃くものがあった。
「ルソナ」
「え?」
 シエネが怪訝そうに覗き込むと同時にアウロスはその腕を掴んでいた。
「ここがルソナというのは本当なのか!?」
「え、えぇ、嘘じゃないけど?」
「だったら、危ない」
 アウロスの言葉に全員の顔色が変わった。
 しかし、それに気づかず、アウロスは自分の考えに没頭する。
「何が危ないって言うんだ、アウロス?」
 名前を呼ばれてアウロスは我に返った。
「!」
 ラトルの穏やかな蒼い瞳がアウロスを映していた。
「アウロス?」
 穏やかな呼びかけ。
 戸惑いを覚える、眼差し。
 既視感を覚えると同時に違和感を覚えた。
 それを振り切るように、アウロスは一言で告げた。
「まもなく、ここに皇国軍が来る」
 驚愕が走った。
「それは確かなのか?」
 ラトルの問いにアウロスは即座に頷いた。
「ルソナの襲撃は私が指揮するはずだった」
 投獄されて多少時間間隔が崩れたが、まもなく皇国軍が来ることには間違いない。
「分かった。すぐに警備を強化しよう」
「ラトル様、信じるのですか!?」
「彼女は嘘を言っていないよ」
「しかし」
 ジェリスが言い募ろうとした瞬間、部屋に警備の者らしき男が部屋に飛び込んでくる。
「大変ですッ!! 皇国軍の偵察部隊を発見しました!」
 アウロスの言葉が真実だったと証明された瞬間だった。





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