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第一章 〜血涙の絆〜


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 慌てて戦闘の準備をしながら、ラトルは次々と仲間に指示を出していく。
「ルソナの防衛指揮はユート殿に任せる」
「心得た」
 愛用の槍を手に、その感触を確かめながらユートは深く頷いた。
「シエネは後方支援、治療と魔法による援護を頼む」
「援護は余り期待しないでもらいたいわね」
 回復魔法を得意とするシエネの言葉にラトルは苦笑する。
「それと万が一の退却のことも――」
 シエネは呆れた顔になって腕を組んだ。
「最初から負けることを考えるの? 情けないわねぇ」
「シエネさん!」
 ラトルを心酔するジェリスが咎めた。
 ラトルは少し憂鬱そうに答えた。
「いつも最悪のことを想定しておけば、その時になって判断に迷わずに済むからな」
 そして、ラトルは朗らかに微笑んだ。
「まあ、負けていられる状況じゃないし、勝つ気ではいるが」
「……結構、余裕あるんじゃないの?」
 ぽつりと呟くシエネに笑いかけて、ラトルは表情を改めた。
「ジェリスとガントは私と皇国軍を迎撃する」
「はい!」
「おう、任しておけ」
 力強い返事にラトルは微笑む。
「では、行こうか」
 そして、ラトルは頷く仲間たちと共に歩き出す。不意に、さりげなくシエネの横に立ち、小声で話しかけた。
「シエネ」
「分かってる、アウロスのことね?」
 シエネは琥珀の瞳を細めた。
「外には出るなって言っておいたわ。退却する時も連れていくように留守に残る者に言ってあるし」
 先に言いたいことを告げるシエネにラトルは心持ち意外そうな表情になる。
「何よ、その顔。気にいらないの?」
「いや、そうじゃないが――。気にならないのか?」
「何が?」
「何がって……」
 ラトルとガントを除いたシエネたちは全員が全員祖国をダムロード皇国によって滅ぼされた人間である。
 もしかすると、その戦争にアウロス自身が指揮を取っていたかもしれないのだ。
「痛々しいのよ、あの子」
 その呟きをラトルはすんなりと受け入れた。
 誰もが恐れる、皇国の女将軍アウロス。
 それが彼女だと誰も気づかなかった。
 磨き抜かれたような銀色の長い髪に、繊細で秀麗な容貌。意識のないアウロスに魔道将軍を思わせるものは何もなくて、年相応の少女にしか見えなかった。
 だからこそ、ラトルは鎖と手錠に驚き、さてはどこかの令嬢で人質にでもなったのかと考えたのだ。
 だが、実際は令嬢でもなく、ただの少女でもなかった。
 目覚めたアウロスは冷静で表情に乏しく、刺々しさこそはなかったが冷淡で、まるで完成された人形のようだった。身を包む雰囲気は紛れもなく一国の将のものだった。
(だが――)
 ほんの一瞬、それが崩れた瞬間があった。
 初めて、まともにラトルと顔を合わせた瞬間、アウロスの翡翠の瞳が揺らいだ。それは束の間で、本人も気づいているかどうか分からない。
 あの時、浮かんだ感情は驚愕、焦燥、そして他の何か。
 複雑な感情が絡まりあった眼差しは一瞬だった。
 後に残ったのは痛いほどにまっすぐな翡翠の瞳。ただ、前を見据える眼差しは美しかった。
 何故、投獄されたのか。
 何故、頑なに拒絶するのか。
 何故、死にたがっているのか。
 訊きたいことは何も訊いていない。
(そう、そして――)
 ふと思ったことにラトルは我に返り、そして苦笑する。
「どうかした?」
 シエネに尋ねられ、ラトルはかぶりを振った。
「いや、やはり負ける訳にいかないことに気づいただけだよ」
「おーい、ラトル。何してんだ?」
「ラトル様、迎撃部隊の準備が整いました」
 ガントとジェリスに呼ばれ、ラトルは軽く笑いかけた。
「分かった、今行く」
 そして、シエネに声をかけた。
「じゃ、また後で」
 ラトルは足早にガントとジェリスの所へ向かった。
「それで、偵察からの情報は?」
 ラトルの問いにジェリスが即座に答えた。
「まもなく二時方向から見えるはずです」
「各部隊の配置は?」
「丘の上に主力部隊、左右に広がる森にも部隊を配置しました」
「上手く挟み撃ちできるといいよな」
 呟くガントに、ラトルは小さく頷いた。
「そうだな。だが、このくらいは皇国側も予測しているだろう」
 大量生産できるキメラを主力としている皇国に対して、自分たちの戦力は補充が期待できない。せめてもの救いはキメラの知能が低いので、やりようによって被害を最小限で戦えることぐらいだろう。
「こうなると、『魔道将軍』を確保しているのは都合が良かったですね」
 あくまで「助けた」と言わないジェリスは難しい顔で続けた。
「辣腕で知られる『魔道将軍』が指揮官では戦局は更に厳しいものになったはずですから」
「だったら、いっそ一緒に戦ってもらえばいいんじゃねえの?」
 次の瞬間、ジェリスは恐ろしい顔つきでガントを睨んだ。
「このバカッ! 投獄されたと言っても『魔道将軍』は敵ですよ。信用できません。裏切られるに決まっています」
「そ、そういうもん……?」
「そうです!!」
 ラトルは淡く微笑んで、ジェリスを宥めた。
「まあ、落ち着いて。……ガントも、それは無理だ。シエネの話だと外傷こそはないが、体が随分衰弱しているようだから今のアウロスに戦うことはできないよ」
「そっか、じゃあ仕方ないな」
 ちょうど話がまとまった時だった。
「皇国軍が見えましたッ!」
 伝令の報告に、三人の顔がすっと引き締まった。
 ラトルは二人の顔を見て頷き合うと、命令を発した。
「各部隊、迎撃せよッ!!」





 ルソナを襲撃した皇国軍の主力は獣類系キメラと鳥類系キメラだった。
 ルソナが平原と森に囲まれた街だったからだろう。
 森に配置した部隊の弓兵隊が鳥類系キメラに一斉射撃を開始したのを合図に戦闘が始まった。
 平原や森を駆けるに適した獣類系キメラに苦戦しながらも、じりじりと戦局を有利に運び、どうにか勝てそうかと思った時だった。
 不意に感じた魔法の気配に、ラトルは上空に向かって結界障壁を張った。
 次の瞬間、激しい閃光と弾け、巨大な爆音が轟く。
「ッ!!」
 束の間の静寂。
「く……」
「ラトル様ッ!?」
 剣を地面に突き立て、片膝を着いたラトルに気づいたジェリスが側に行こうとするが行く手をキメラに阻まれて叶わない。
「中々やるではないか、若造」
 上から届いた声にラトルは顔を上げた。
 空に裾の長い深緑色の長衣を纏った男が浮かんでいた。濃い赤い髪に黒の瞳。余裕の笑みを浮かべた顔は醜いという顔立ちではないはずなのに、醜悪だった。
「お前は……」
「我が名はサリク」
「サリク……皇国の筆頭魔道士の?」
 ダムロード皇国の魔道士を纏める、魔道士サリク。
 その残忍さと強大な魔道は『魔道将軍アウロス』と並んで悪名高い。
 男――サリクは悠然と笑った。
「いかにも。皇帝陛下の命を受け、貴様らを刈り取るために来た」
 ぐっとラトルは歯噛みし、立ち上がろうとする。
「お前も魔道の使い手のようだが、この私には敵いはせん。大人しく殺されたらどうだ?」
「黙れ」
 サリクは喉を鳴らして笑う。
「現に、たった一撃を受け止めるのに、その様ではないか」
 その時、宙に浮かぶ男が皇国軍の指揮官だと察したのだろう。弓手兵たちが放った矢は何の障害もなく、サリクを射抜くはずだった。  しかし、次の瞬間、すべての矢が燃え落ちる。
「下賎な輩が……」
 呟いた瞬間、サリクの手から攻撃魔法が放たれた。
 弓手兵たちの体が炎に包まれた。
 絶叫を上げて地面を転げ回る彼らの姿を見て、サリクは黒い瞳を面白い見世物を見るように細めて楽しげに笑った。
「貴様……」
 ラトルは低く呻いてサリクを睨みつけた。
 それを一瞥し、サリクは冷たく笑った。
「皇国に逆らうお前たちが愚かなのだ」
 そして、サリクは再び呪文を唱えた。両腕を広げ、高らかに宣言する。
「破壊の炎よ、すべてを薙ぎ払え!」
 先程のより強い攻撃魔法の発動を感じ、ラトルは息を呑んだ。
(結界が間に合わないッ)
 しかし、次の瞬間、サリクとラトルの間に突風が割り込み、炎を巻き上げた。
「何ッ!?」
 方向を逸らされた炎は空高く立ち昇り、サリクを掠めて消える。
 二人は同時に首を巡らし、サリクの攻撃を阻んだ正体を見定めようとした。
 キメラと抵抗軍が戦う戦場の中から現れる銀の煌き。
(まさか)
 ゆっくりと、しかし、確かな足取りで歩いてくるのは一人の少女。
 腰まで流れる銀の髪。それに縁取られた美貌には何の感情の浮かんでいない。ただ、翡翠の瞳だけが強い輝きを宿している。
 簡素な衣服だけで防具も、武器も持っていない無防備な少女に気づいたキメラが襲いかかる。
 しかし、少女が形の良い唇をわずかに動かした瞬間、キメラは切り裂かれ、ドウッと地に倒れ伏していた。
「アウロス……」
 ラトルの掠れた声が聞こえたのか、アウロスは翡翠の瞳をすがめた。
(何故、ここに――)
 ラトルが問いを声にするより早く、サリクがアウロスに話しかけていた。
「これは不思議なこともあるものだ。何ゆえ、貴殿がここにおられる、アウロス将軍?」
 アウロスはサリクを見上げた。
「サリク、私はすでに将軍位を剥奪されている」
 将軍ではないと告げるアウロスに、サリクは口端を歪めた。
「では、言い直そう。投獄者アウロス、お前は監獄島に送られていたはずだ。何故、ここにいる?」
 その瞬間、アウロスの表情がわずかに歪んだ。
「……それは私が訊きたいものだな」
「――なるほど。自分の意思ではないと言うのか」
「そうだ」
 不意に、サリクは薄く笑った。
「では、何故、そこの男を助けた?」
「!」
「先程の私の魔法を阻んだのは間違いなくお前の意思だろう」
 アウロスは答えなかった。その代わり、彼女は冷笑を浮かべた。
「黙れ、サリク」
 冷たい声。
 翡翠の瞳が妖しく煌いていた。
「お前にとやかく言われる筋合いはない」
 その細い身から立ち昇る圧倒的な気迫に、サリクは気圧された。
「私の処遇に関しては戻って改めて決定すればいいだろう。私は抵抗軍の仲間になった訳ではないのだから。今の行為を反逆と取るなら、それでも構わない」
「で……では、ここで抵抗軍を滅ぼせ。そうすれば、減刑を考えてやらなくもないぞ」
 その言葉にラトルは息を呑んで、アウロスを見つめた。
 アウロスは静かに翡翠の双眸を細めた。
「サリク、お前は何様のつもりだ? 私に命じられる立場にあるとでも考えているのか?」
「それはお前の方だろう。約束を忘れたか?」
 アウロスは息を呑み、視線を伏せた。かすかな音を立てて左耳のピアスが揺れる。そして、彼女は強く拳を握り、華奢な肩を震わせて答えた。
「いや……忘れていない。だが、もう二度と戦うつもりはない」
 次の瞬間、サリクは哄笑を上げていた。
「かの魔道将軍が聞いて呆れるわッ! まあ、良かろう。ならば、そこで大人しくしているがいいッ!!」
 そして、サリクは呪文を唱え出す。今度はこの辺り一帯を吹き飛ばしかねない強大な攻撃魔法だった。
「くっ!」
(受け止めきれるか!?)
 結界の呪文を唱えながら、ラトルは焦りを覚えた。
 自分は死ぬ訳にはいかない。何があっても、生き残らねば、抵抗軍は根底から覆される。
 どれだけの犠牲を払っても、生き延びること。
 ラトルに託されているのは抵抗軍だけではない。言うなれば、『世界』を託されているに等しかった。
 それゆえに、抵抗軍の指揮官になった。『世界』の希望として、皇国を滅ぼした後の『世界』のためにラトルの存在は欠かせないものだった。
 否、『ラトル』というより、その身に流れる『血』が必要不可欠なのだ。
 抵抗軍の指揮官には代わりはいる。だが、ラトルの代わりはいない。人材不足でさえなければ、彼は戦線から外されていただろう。
 もっとも、それで納得するようなラトルではない。自分の存在の価値を充分に理解した上で、彼は抵抗軍の仲間と共に戦うことを望んでいた。
 サリクの魔法が発動する。
 同時に、ラトルの結界も完成した。
 地を揺るがすような轟音。
「ッ!!」
 全身にかかる負荷にラトルは唇を噛み締めた。
 ここで踏み止まり、結界を支えなければ、この地にあるすべてのものが消し炭と化す。
 軋む音がした。
 サリクの魔法がラトルの結界を侵食してきているのだ。
(ここまでか!?)
 その瞬間だった。
 ラトルの横にアウロスが立ち、その涼やかな声音が呪文を紡いだ。
 突如、膨れ上がる結界。
 そして、サリクの魔法を飲み込み、打ち消していく。
「なッ!?」
 魔法を返された反動で、サリクを衝撃が襲った。それに耐えたサリクはラトルを助けたアウロスを睨みつけ、叫んだ。
「一度ならず二度までも。どういうつもりだ、アウロス!!」
「アウロス?」
 荒い息の下、ラトルが呼びかけると、アウロスは視線を落とし、強く唇を噛み締めた。硬く握り締められた拳から血が滴り落ちていた。
「そうか。お前がその気ならば――」
 そして、サリクは右手を掲げた。
 一瞬、攻撃かと身構えたラトルだったが、その手に現れた白い塊に視線を奪われた。
 戦場の喧騒に不釣合いな泣き声をそれは上げていた。
 白い産着に包まれた、まだ幼い嬰児。
 弾かれたようにアウロスの顔が上がった。
「約束を反故したのは貴様だッ!!」
 その手から嬰児から滑り落ちる。
 そして。


「止めて――――ッ!!」