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第一章 〜血涙の絆〜


V



 ゆっくりと落ちていく小さな命。
 それに向かって走り出しながら、アウロスは自問した。

 何故、私ハ――。

(ここにいる?)
 独り残された部屋の中でアウロスは自問していた。
 ここを一刻も早く去らねばならない。
 皇帝の命に背き、裏切って逃亡しようとして捕まった時の約束がある。
 これから始まる戦闘に備えて警備も手薄になっているはずだ。ここから逃げ出すことは容易い。シエネという女が言った通り、体は衰弱しているが、この程度なら大したことはない。もっとひどい状況で、戦場に立っていたこともあるのだから。
 投獄され、暴行受けたことも多々あったが、その度にケガは治療された。
 誰の指示かは分かっていた。


『女の子なんだから、傷は残してはダメだよ』


 投獄された状況で治療などしても意味はないだろうにと嗤えば、監守は冷たい眼差しで言ったものだ。
『お前は大事な研究材料だからだとよ』
 女だから?
 研究材料だから?
 どちらであろうと構わなかった。ただ、相変わらずなのだと思っただけだった。
 歩くことに支障はないし、武器はないが魔法が使える。逃げ出す算段を考えていたアウロスの脳裏にラトルという青年の姿が過ぎった。
 別人だと分かっている。分かっていて、尚、面影が重なる。
(思い出したくないのに……ッ!)
 容貌こそは似ているが、微笑み方も存在感も違う。
(なのに、どうしてッ)
 アウロスは強く胸元を握り締めた。
 気にかける必要などない。その資格も義理もない。
(いや、義理はあるのか……)
 あのまま放っておいてくれればと思うが、一応助けてくれたのだ。恩義はある。
(だけど)
 何故、彼なのか。どうして、似ているのか。
(似ているのに、何故、私は――)
 苛々として考えが纏まらない。
 抵抗軍の指揮官に関する情報は皇国でも手に入れていない。あれほど似ているのなら、噂になっていいはずだ。
 何故なら、ラトルが似ている人物は皇国では有名なのだから。
(本当に他人とは思えないほど似て……)
 その瞬間、アウロスは凍りついた。
「ラトル……ラトゥム……?」
 記憶を探り、随分昔に見たダムロード王族――皇族の系譜をアウロスは思い出す。
(そう、確か……)
 皇帝ギリウムには国内の貴族に降嫁した妹がいた。しかし、二十年前に事故死している。
 その時、共に亡くなった幼い息子の名は――。
(ラトゥム……)
 その瞬間、アウロスは呆れたように嗤った。
「そういうことか……」
 皇帝ギリウムが他の三国を滅ぼし、徹底的に王族を殺して回ったのは他の『契約者』を消すためだった。
 円の世界は『聖石』によって守られ、『契約者』はその証である。
 世界の存続のため、守られるべき血をギリウムは滅ぼすことで世界を手に入れようとしていた。
 現在、知られている『契約者』はギリウム皇帝とその息子レザム皇子の二人。息子を生かしているのは邪魔をしないからだけで、自分の野望のために必要ならギリウムは迷わずレザムを殺すだろう。
「抵抗軍が発足する訳だ……」
 抵抗軍にも『契約者』がいるのだから。
 例え、ダムロード皇国が滅んでも、ラトルという『契約者』がいるのなら世界は変わらず存続する。
 何度叩かれても決して抵抗軍が消えない理由がようやく分かった。
 そして、アウロスは溜め息を吐く。
 似ていて当然だった。何故なら、彼らは従兄弟だ。
「だからって、私にどうしろというの……?」
 ぽつりと呟き、アウロスは顔を両手で覆った。
 その瞬間だった。
 突如、感じた強い魔法の気配にアウロスは弾かれ、顔を上げた。
(これは移動魔法?)
 空間を移動する魔法はかなりの高等魔道で、使える魔道士はめったにいない。
(それに、この魔力の波動には覚えがある――)
 少し考えてアウロスは思い当たった。
(サリク……)
 皇国の筆頭魔道士。
(あの男が私の代わり……?)
 アウロスは柳眉をひそめ、唇を噛み締めた。
 脳裏に浮かんだ微笑みにアウロスは苦痛を耐えるような表情で両手を組んだ。
 そして、アウロスは不意に顔を上げて、寝台から降りる。そして、毅然とした表情で呪文を唱え始める。
 古き言葉の連なり。
 奇跡を導く韻律。
 自らの身に潜む力と呼応させ、望むカタチに現出させる法則。
 そして、アウロスは最後の呪文を唱えるべく、口を開く。
 一瞬の後、アウロスは部屋の中ではなく、戦場に立っていた。
 悲鳴と雄叫び。
 そして、飛び散る血飛沫と血臭。
 殺意と敵意、狂気に彩られた独特の緊張感と空気。
 アウロスは自分の心が冷えていくのを感じた。
 ここに来ることを直前まで悩んでいたのが、嘘のように迷いが消え、神経が鋭くなっていく。ほんの少し意識を広げると、サリクの居場所はすぐに分かった。
 アウロスはゆっくりと歩き出した。そして、不意に襲いかかってくるキメラを瞬時に唱えた魔法で葬りさる。
(身の程知らずが――)
 殺せる相手かどうかくらい察すればいいものを。
 自然に生きる獣の方がよほど利口だ。
 行く手を阻むように現れるキメラを機械的に倒していくと、サリクと対するようにラトルがいるのが見えた。

 何故、私ハ――。

(あの時、助けた?)
 サリクの攻撃魔法に対する結界が間に合わないと知った瞬間、アウロスは自らの魔法でその攻撃を阻んだ。
 サリクの最大級の攻撃魔法を受け止めようと堪えているラトルを見つめ、アウロスはぼんやりと考えていた。
(私は、もう、将軍ではない……)
 それは事実。
(戦いたくない……)
 それも、また、事実。
 いつの間にかアウロスは強く拳を握り締めていた。
(私は――)
 握る拳から血の雫が落ちた瞬間、結界の軋む音が耳に届いた。

「止めて――――ッ!!」

 アウロスの叫びも虚しく、嬰児はサリクの真下に控えていたキメラの群れに飲み込まれた。
 一際、嬰児の声が大きくなった。
 次の瞬間、アウロスは我を忘れてキメラの群れに飛び込もうとした。
「アウロスッ!!」
 突然、腕を捕まれ、アウロスは地面に引き倒される。
「!?」
 同時に、アウロスのいた場所が抉り取られた。
 ラトルに庇われたアウロスはすぐさま顔を上げ、身を起こす。そして、空に浮かぶサリクを見上げた。
「サリク、貴様ッ!!」
 アウロスの怒号に、サリクは平然と、むしろ楽しそうな嗤いを浮かべた。
「どうした? 早く行かねば、喰い千切られ、果てには何も残らぬぞ」
 泣いていた嬰児の声はすでにか細くなっていた。
「おのれッ!」
 アウロスは即座に攻撃魔法を唱え、キメラの群れに向かって放った。しかし、その前に降り立ったサリクの結界に阻まれ、弾かれて霧散する。
「サリク、そこをどけッ!!」
「どく理由などない。約束を違えたのはお前だ。私はそれを守ったに過ぎない」
「煩いッ! どかなければ、倒すまでだ!!」
 激昂したアウロスは先程より更に強大な攻撃魔法を編み上げて放った。
 今度の攻撃魔法は弾かれることはなかった。しかし、サリクの結界は強固で破るまでに至らない。
「くッ!」
 押し破ろうと必死に力を込めるが、今一歩のところで及ばない。
「アウロス、それ以上は止せッ!」
 魔法を破られた時、多かれ少なかれ反動がある。これほどに強大な魔法だと、結界が破れなかった時、アウロスを襲う衝撃は激しいものとなる。ましてや、本調子ではない彼女の体では耐えられるか怪しいものだ。
 ラトルの言いたいことはアウロスも充分理解していた。しかし、退けない。
(私は死んでもいいから!)
 手元に自分の剣がないことが悔やまれた。
 アウロスの剣は円の世界以前の遺物で、魔法の力が宿った剣だ。その力は魔力の増幅。
(剣さえあれば、サリクに負けないのに……ッ!!)
 魔力自体はサリクの方が上だが、剣を手にし、武術と魔法を行使するとアウロスの方が圧倒的に戦闘能力は高い。
 アウロスの魔法が破られつつあった。
 隙間を縫うようにして走る衝撃波にアウロスの頬や腕に傷が生まれた。
(あの剣さえあれば!)
 その瞬間、ちりりと左耳の辺りで火花が散った。
「!?」
 アウロスの左耳を飾っていた銀の十字のピアスが小さな光の塊に転じ、彼女の目の前でその形を変えた。
 それが何を象っているのか理解した瞬間、アウロスは腕を伸ばし、掴んでいた。そして、そのまま、大きな動きで薙ぎ払った。
 閃光が迸った。
 圧倒的な力を誇る、光の一条。
 アウロスの攻撃魔法を支え、推し進めるような光はサリクをその結界ごと呑み込んだ。
 絶叫が轟く。
 光が消えると、そこにはサリクの姿はなかった。
 アウロスは未だ群れているキメラの元へ行こうとした。
 衰弱した体で、あれだけの魔法を使ったためか全身が疲労を訴えていた。気を抜けば、倒れてしまいそうだった。
 しかし、アウロスは唇を噛み締め、右手に力を込めて足を動かした。
 右手にある、馴染んだ感触。
 決して軽いとは言えない重み。
 それを自在に振るえるまで、かなりの時を要した。


『訓練するのもいいけどね、皮手袋くらいしたらどうだい?』


 自分と他人の血で塗れた銀の剣。
 遺物であるがゆえか刃こぼれしない、アウロスの剣。
 多くの戦場を共にし、多くの命を奪ってきた。
 それでも。
 この剣だけがアウロスの真実で、支えだった。
 奇声を上げて空から鳥類系キメラたちが降下してくる。
「アウロス!」
 危機を知らせるラトルの声。
 襲いかかってくるキメラを一瞥し、アウロスは億劫そうに剣を一閃した。
 その瞬間、血飛沫を上げ、アウロスを赤く染め上げながらキメラたちは地面に落ちる。そして、数秒、痙攣したかと思うとすぐに動かなくなった。
 アウロスは自分が作り上げた血の絨毯の上を、疲弊した体を引き摺るようにして歩いた。
 仲間の悲鳴を聞きつけたのだろう。一ヶ所に固まっていた獣類系キメラが顔を上げ、アウロスに牙を剥く。
「お前たちでは私を殺せない……」
 そう呟くと同時にアウロスは呪文を唱えていた。同時に、剣が蒼い輝きを纏う。そして、彼女が放った攻撃魔法はキメラを瞬時で灰の塊へと変えた。
(息さえ、息さえあれば……)
 肩で息をしながら、アウロスは嬰児の所へ行こうとした。
 彼女の剣で魔力を増幅し、最大級の回復魔法を使えば、助けることができる。
(お願い、もっと早く動いて)
 どんな叱咤しても、アウロスの体は機敏に動いてくれない。
 ほんのわずかな時でさえ、惜しい――そんな時に。
「アウロスッ!!」
 不意に上空から届いた怒号に、アウロスは我に返り、上を見上げた。
 空にサリクがいた。深緑の長衣はボロボロで、所々血が滲んでいる。その両手にはすでに完成された攻撃魔法があり、後は放つだけの状態だった。
 一瞬、サリクは暗く嘲笑うと、その魔法をアウロス目掛けて放った。
 熱量を伴った光の球が走る。
「ッ!!」
 結界障壁の呪文が間に合わない。
 咄嗟に、アウロスは剣に魔力を注ぎ、剣自体を結界の盾代わりにして身を捻る。光の球が剣に衝突した。その衝撃と熱さに、剣を支える力が弱まる。
 その隙を縫って、光の一部がアウロスの右頬を掠めた。
 肉を焦がす匂いと熱さ。
 次の瞬間、アウロスは翡翠の双眸をきつく見開いた。
「――!!」
 渾身の力を込めて、剣を押し返す。
 それが功を奏して、わずかとはいえ、方向を逸らされた魔法は角度を変えて地面に直撃する。尋常ではない熱量に、直撃した部分が消滅した。
 衝撃の余波がアウロスを弾き飛ばした。しかし、次の瞬間、彼女はどこにそんな体力があったのか俊敏な動作で体勢を立て直し、次の攻撃に備えた。
 だが、サリクからの次の攻撃はなかった。
 サリクは何故か蒼白な顔で何事かを呟き、そしてアウロスを睨んで叫んだ。
「アウロス! 覚えておくがいい。お前は所詮ただの駒に過ぎんッ!!」
 そして、サリクは唐突に姿を消した。
(移動、魔法……。逃げた、のか?)
 何故と思い、アウロスはふと周囲を見た。
 指揮官であるサリクが自分にかまけていたせいか、戦局は完全に抵抗軍のものとなっていた。
 残ったキメラも低合軍の連携攻撃に劣勢になり、倒されるのも時間の問題だろう。
(抵抗軍の勝利……)
 ぼんやりと思った瞬間、右頬が激しい痛みを訴え始め、アウロスは我に返った。そして、当初の目的を思い出す。
 ゆるゆると顔を動かし、ぴくりとも動かないそれを見る。
「……」
 アウロスは無言で近づいた。
 散らばった肉塊。
 土と血に塗れた白い産着。
 引き千切られた肉と骨の断面。
 かろうじて繋がっている頭と胴。
 見開かれた眼から流れた涙のような血。
「……っ!」
 アウロスはそれらを掻き寄せるようにして抱き締めた。
「ごめんね……守ってあげられなくて」
 翡翠の瞳から涙が零れ、血に濡れた頬を伝っていく。
「私の、せいで……ごめんね――」
 そして、アウロスはついに意識を手放した――。

 何故、私ハ――コノ子ヲ死ナセル真似ヲシタノダロウ?