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美しい音楽が流れていた。耳に優しい音色は心を和ませ、聴く者にそっと微笑みを浮かばせる。 女はただ一人のためにそれを奏でていた。 女のいる贅を尽くした部屋は趣味良く整えられ、落ち着いた主の人柄を忍ばせる。この部屋に入れるのは限られた人間だけ。その中に自分が含まれていることを女はひそかな誇りにしていた。 そして、その主も彼女の誇りだった。 この冷たい世界の中で、唯一希望とされる存在のために、女は音楽を演奏する。 その音楽に身を委ね、双眸を閉じて聴いていた部屋の主が不意に薄く瞳を開けた。 「……どうにか間に合ったか――」 小さな、小さな呟き。 わずかな時を置いて、音楽が止む。 「……何か、申されましたか?」 美しい音色を奏でていた女は指を止め、声の主たる青年に顔を向けた。 「いいや」 静かに青年は微笑んで否定した。 白皙の美貌に浮かんだ穏やかな微笑に女は頬を薄紅に染めた。 「続きを弾いてくれるかい?」 「はい――」 そして、女は再び演奏し始める。 その姿に微笑んで、青年は双眸を伏せ、椅子の肘掛に腕を乗せて頬杖をした。 (全く、あれほど無茶はするなと言っておいたのに――) しかし、青年の瞳に宿るのは苦笑めいた光。 そして、脳裏に過ぎった映像に青年はかすかに柳眉をひそめた。 (上手く、いかないな……) どうして、彼女はそうやって自ら傷を負うような真似をするのか。 時間切れが来て、遠視の魔法が終わる。 それを合図にしたかのように部屋の扉が軽く叩かれた。同時に、音楽も止んだ。 「……何だ?」 青年の問い掛けに、扉の向こうから答えが返ってくる。 「陛下がお呼びでございます」 端的な答えに青年は小さな溜め息を吐いた。そして、椅子から立ち上がり、演奏していた女に声をかける。 「もっと聴いていたかったのだが、そうもいかなくなってしまった。すまないね」 「い、いいえ、そんな――」 青年は静かに微笑んで、部屋の隅に控えていた侍女に命じた。 「彼女にお茶でも入れてあげてくれ。その後、丁重に送るように」 「畏まりました」 侍女は恭しく首肯した。そして、青年のために扉を開ける。 「殿下」 「待たせたね」 扉から現れた青年に、待ち構えていた男は安堵の笑みと同時に悲痛な眼差しを向けた。 それだけで青年の父の用事と状況を判断した青年は淡い笑みを作る。そして、歩きながら青年は一応尋ねた。 「今回は何かな?」 「ルソナ攻略に失敗しました」 すでに分かっていたこととはいえ、青年は少し表情を暗くした。 「……それで父上はお怒りなのだね」 「はい」 青年に向けられる眼差しは憐憫と悔恨。 「……殿下、申し訳ありません。我々が不甲斐ないばかりに」 小さな詫びに青年は苦笑した。 「気にすることはない。お前たちは自分たちのできる限りのことをしている。父上をお慰めすること、それが今の僕のできる限りのことだ」 「しかし、殿下。それでは貴方様があまりに」 青年は男の言葉を制して続けた。 「本当に、お前たちが気に病むことはないんだよ」 そして、青年は彼の父が待つ部屋の扉をくぐった。 ![]() アウロスが再び目を覚ました時、彼女は寝台の上に横になっていた。 正面に見える、薄汚れた天井。いつも城にある自分の寝室の天蓋でもなければ、戦場での天幕でもない。 寝台の感触も柔らかいとは言い難い。だが、清潔感があり、暖かな太陽の温もりと匂いがした。 (?) ほんの一瞬、状況が掴めなくなる。しかし、次の瞬間、かかった声にアウロスはすべてを思い出した。 「気がついた?」 様子を窺うように上から覗き込んできたのはシエネだった。 「っ!」 咄嗟に飛び起きようとして全身に走り抜けた痛みにアウロスは呻いて倒れる。 それを慌てて支え、シエネはアウロスの体を元通りに横たえた。 「無理しちゃダメよ。一応、大きなケガには回復魔法かけたけど、完治していないし、他は手当てしただけなの」 その言葉に自分の体を見れば、真新しい簡素の服が目に入った。意識を失っているうちに、血で汚れてボロボロになっていた服から着替えさせられたらしい。袖口から見える腕には包帯が巻かれており、それは全身に及んでいるようだった。 「それに失血もひどかったし。貴方、三日も昏睡状態だったんだから、いきなり起きるなんて無理よ」 (三日!?) 何か言おうとして口を開きかけたアウロスは微妙に顔の筋肉が動きづらいことに気づいた。 右頬に布が当てられ、貼り付けられているのだ。 (ああ、サリクの……) 最後の攻撃魔法で受けた火傷の部分だ。 アウロスは静かに右頬の布が外れないように気をつけながら口を開いた。 「あれから、三日も過ぎているのか?」 シエネは頷いた。 「ええ」 「皇国軍は?」 「逃げたわ」 そして、アウロスは一番訊きたくて訊きたくないことを言葉にした。 「……あの子は?」 シエネの顔色がさっと翳る。 その変化にアウロスは自嘲した。 分かっていたことだ。あれで生きているはずがない。 引き千切られた四肢。 散乱した血肉。 人の形すらしていなかった。 「埋葬したよ」 不意に返ってきた言葉に、アウロスは視線を移した。 いつの間に現れたのかラトルが部屋の入口に立っていた。 「埋葬?」 ラトルは頷いてアウロスの側に来る。 「いつまでも、あのままにしておく訳にはいかないだろう?」 アウロスは無言で一度目を閉じると、身を起こそうとした。 「っ!」 痛みに小さく呻いて、アウロスが眉根を寄せるとシエネは急いで止めさせようと手を伸ばした。 「無理しちゃダメって……」 その手を振り払い、アウロスは寝台から降りて立ち上がろうとした。そして、ラトルを睨みつけるように見た。 「どこに埋葬した?」 アウロスの視線を受け、まっすぐに返されたラトルの蒼い眼差しは凪いだ海のように静かで、それでいて強い意志が潜んでいた。 その穏やかさと力強さにアウロスは初めて自分がラトルを見たような思いがした。 別人、なのだ。 (似ているのは容姿だけ……。もう間違えない) 動揺はしない。 アウロスの心はもう乱されない。 (私は――) 二人の間に流れる緊張を孕んだ空気に口を挟めず、シエネは交互に視線をやりながら見守るしかない。 不意にラトルは微笑んだ。 「?」 そして、ラトルはアウロスの側に立ち、軽く屈んだ。 突如、アウロスの視界が回り、体が浮いて視点が高くなる。 「!?」 何が起ったのか一瞬理解できなかった。しかし、間近になったラトルの顔を見た瞬間、アウロスは自分の置かれた状況を瞬時に悟った。 「何をするッ!?」 叫ぶアウロスにラトルはにっこりと笑顔を浮かべた。 「何って、あの子を埋葬した所に行くんだろう?」 「降ろせ!!」 咄嗟にアウロスは抗議するが、体の痛みに抵抗もままならない。 易々とアウロスを抱き上げたラトルは苦笑して言った。 「それはダメだな。だって、今の君は普通に歩くことすら辛いはずだ。そうだろう、シエネ?」 言葉少なく尋ねられ、アウロスと同じように呆気に取られていたシエネは我に返る。 「え、えぇ……」 次の瞬間、アウロスは更に言葉を重ねようとした。 「だからといって」 「じゃあ、治るまで我慢する?」 アウロスは言葉を失い、ラトルを睨みつけた。しかし、その当人は余裕の微笑みを浮かべたまま、答えを待っていた。 「…………」 そして、アウロスは苦々しい表情で顔を背け、抵抗を止めた。 その様子にラトルは微苦笑して歩き出す。 アウロスを抱いて部屋を出て行くラトルの背をしばし見つめ、シエネは軽く頭を掻いた。 「――何か、アレだわねぇ」 訳の分からないことをぽつりと呟き、シエネも二人の後を追って部屋を出た。 |