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第一章 〜血涙の絆〜


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(どうして、こういうことになるの……)
 アウロスは唇を噛み締め、心の中で呟いていた。
 不本意だ。甚だ不本意だ。
 抵抗軍の人間とは皆こうなのだろうか。
 敵国の人間を二度に渡って――一度目はともかく、二度目は自分の正体を知っているにも関わらず――助けるなんて皇国では有り得ない。
 ちらりと気づかれないようにラトルを見て、アウロスは渋い顔になる。
(シエネといい、このラトルといい……)
 変わっている。最初、アウロスを殺そうと刃を向けたジェリスの反応こそが彼女にとって納得のいく正しい反応だった。
 理由も分からず、向けられる気遣い。
 今だって、ラトルは極力アウロスの体に歩く振動を伝えて、痛みを与えないようにして動いている。
 作為のないものだと分かるからこそ、逆に戸惑う。
 これが皇国の情報を引き出すために油断させようというのなら理解もできようが、彼らはアウロスの体を労わるだけで、情報を引き出す素振りもない。
「あ、ラトル様。ちょうど良かった。実は――」
 別室から出てきたジェリスは通りかかったラトルに呼びかけようとした瞬間、その腕に抱かれたアウロスを見つけて表情を硬くした。
「……どちらへ行かれるんですか?」
 平静を装っているが、その水色の瞳に宿る不信の色は隠しきれていない。
 その反応にひどく安心した。
 アウロスにとって不信や冷淡な視線はとても馴染みが深かった――彼女の故郷たる皇国においてでさえ。
(まあ、こんなに素直なものではなかったけど……)
 まだ若く経験が浅いだけに隠すのが下手なのだろう。
 ジェリスと同じ年頃である自分のことは完全に特例としてアウロスは扱っていた。事実、経験だけは歴戦の将、二枚舌の政治家に負けないほど豊富だ。
「彼女をあの子の墓に連れて行くんだよ」
 ラトルはあっさりと答えた。ジェリスの不信を気づきもしていないような穏やかな声音はアウロスを戸惑わせる。
 分かっていて言っているのか判断が着かない。
 しかし、アウロスの白い容貌に戸惑いの色はない。ただ、無表情で関心がなさそうに見えた。
 それをそのまま受け取ったジェリスは不信の色を更に強くして告げた。
「私も同行します」
「別に構わないけれど、忙しいんじゃないのか?」
「平気です」
 そう言ってジェリスはちらりとアウロスを見た。
 ラトルに何かする気ならば、すぐ対処する心積もりであることがはっきりと分かった。
 とても分かり易いジェリスに、アウロスは内心笑んでいた。
 そんなに心配しなくても何もする気はないというのに。
 そう、本当に『何も』する気がないのだ。
(いっそのこと殺してくれれば楽なのに――)
 そうすれば、何も考えることはない。
 何かを選び、決める必要もない。
 何かも得ることもなく、失うこともない。
 何かを奪うことも、奪われることもない。
 ラトルの後ろを歩きながらジェリスは不満げに呟く。
「大体、一人で外に行くなんて無防備ですよ。その状況じゃ、すぐに応戦しようにも無理でしょう」
 護衛もなしでと咎めるジェリスにラトルは困ったように笑った。
「外って、すぐソコだけど」
「そーそー、それにアタシもいるんだけどねえ?」
 追いついたシエネが軽くジェリスの肩を叩いた。それを横目で見て、ジェリスは答える。
「シエネさん、攻撃魔法は不得手でしょう」
「防御魔法――特に回復魔法が得意なだけで、使えないとは言った覚えはないわよ?」
 軽い皮肉の応酬。
 けれど、そこに在るのは温かな感情で。
 それはアウロスに全く縁のない光景だった。
 そして、四人は外に出て裏手に広がる森の小道に入った。戦場とならなかった森は静かで清涼感に満ちていた。木々から零れる日差しが陰影を深め、まるで別世界のような印象をアウロスに与えた。
 さくさくと草を踏み進む音が続く。
 柔らかな風が吹き、まるでさざ波のように木々の枝が揺れた。
 不意に森が開ける。立派な枝振りの大樹が現れた。その側に見覚えのある男が立っていた。
「ガント?」
 ラトルの呼びかけに、アウロスは小さく納得した。
 あの時、部屋にいた男だ。
 呼ばれたガントは振り返る。
「ラトル」
 そして、その腕に抱かれたアウロスを見ると、黒い目を少し丸くした。しかし、何も言わず、静かにガントは横にずれた。
 ガントの後ろから現れたものを見て、アウロスはびくりと震えた。
 大樹の根元に据えられた、白い墓石。周囲の土は掘り返されたばかりで、そこだけ草はなく、色が違う。その上には少し萎れた花と供えられたばかりらしい瑞々しい花。
 ラトルは墓石の前までアウロスを運び、屈んだ。しかし、彼女を降ろすつもりはないようだ。
 アウロスはゆっくりと右手を伸ばし、震える指先で墓石の表面をなぞった。
 真新しい墓石には名前が刻まれていなかった。ただ、その幼い命の死を悼む言葉と安らかな眠りを祈る言葉だけが丁寧に彫られてあった。
「……名前を教えてくれたら入れるよ」
 呟かれたラトルの言葉に、アウロスは墓石を見つめたまま、翡翠の双眸を細めて小さくかぶりを振った。
「知らない……」
「え?」
「私は、何も知らない――」
 その言葉にラトルたちは困惑した。
「知らないって、そんなはずないだろ。あんた、この子を守ろうとしていたんじゃなかったのか?」
 ガントは率直に不思議そうに訊いた。
「ガント」
 シエネが黙るように目配せした。
 アウロスはガントの言葉が耳に入っていない様子で、冷たい墓石に幼い命の面影を探そうとするように見つめ続けていた。
 長い静寂。
 やがて、陽が雲に隠れて、薄暗い影が落ちる。
「……どうして」
 ぽつりと届いたアウロスの声にラトルたちは息を呑んだ。
 頼りなげな、今にも泣きそうな声。
「私は守れなかったの……? 最初から、無理だったの?」
 少女らしい、柔らかな口調。
「やっぱり、殺すしかできないの?」
「アウロス――?」
 思わず呼びかけたラトルの声に、アウロスの肩が大きく震えた。そして、ぽつりと言った。
「……あの子、笑ったの――」
 そして、アウロスは途切れ途切れに話し始めた。
 それが何の任務だったのか覚えていない。
 何のための戦いだったのか、何の罪科で攻めたのか。
 皇国に対する不穏分子を根絶やしにするためだったか。
 一つの街を攻め滅ぼし、そこの領主の館にいる者をすべて殺せという命令が出たのだ。
 いつものように抵抗する者を斬り伏せ、街を制圧したアウロスは最後まで命令を果たすべく剣を振っていた。
 領主の首を取り、命乞いをする無抵抗な人間の命を奪い、血に塗れていた。
 そして、アウロスは揺り籠の中で眠る幼い嬰児を見つけたのだ。その時は何も思わなかった。だから、剣を掲げた――殺すために。
 しかし、嬰児は自分を見つめるアウロスを見て、無邪気に笑った。
 衝撃を受けた。
 そして、混乱した――初めて覚えた感情に。
(どうして?)
 アウロスの足元には母親らしき女が倒れていた。
 床に広がった大量の血。
 見開かれたままの双眸。
 女は絶命していた。
(私は今)
 たった一人しかいない母の命を奪ったのに。

――ドウシテ、笑ウノ?

「殺せなかった……。死なせたくない、そう思った――」
 それが命令違反だと分かっていた。
 分かっていて背いた。
 初めて自分に意思があることを知った。
 しかし、皇国は――否、ギリウム皇帝はアウロスの変化を許さなかった。
 アウロスが救った嬰児をギリウムは殺そうとした。だから、彼女は皇国を裏切って嬰児を連れて逃げようとした。
 だが、いかに『魔道将軍』と呼ばれたアウロスでも皇国の追っ手からは逃げ切れず、追い詰められてしまった。
 必死で最期まで抵抗しようとするアウロスに、ギリウムはある条件を提示した。
『大人しく投降し、処分を受けるならば、その子どもの命と安全を保障しよう』
 信じるしかなった。
 投獄され、幾度となく暴行を受けても歯向かわず、監獄島へ送られることを受け入れた。
 監獄島とは名ばかりで事実上、死刑を宣告されたにも等しかった。四方を海に囲まれた小さな、その島には魔道技術を研究する施設があった。そこでキメラは生まれている。そして、キメラの中には材料として人間すら使っていた。
 生まれながらに優れた魔力を持つアウロスはただ殺すのではなく、キメラとして生かされるはずだった。
「飛行艇さえ墜落しなければ、この子は生きていた――」
 呟いてアウロスは唇を噛み締めた。
(違う。私が『裏切り』さえしなければ、だ……)
 あの時、行かなければ。
 あの時、動かなければ。
(どうして、私は――)
 約束を反故したのはアウロスの方だ。サリクの言っていたことは正しい。
 責めを負うべきはアウロス自身。
 自分で自分が許せない。何故、そんなことをしたのか分からないから余計に腹立たしい。
 半分、泣き笑いに近い表情でアウロスは呟いた。
「もう、何もなくなってしまった……」
 嬰児を守るために、それまで得ていたすべてを切り捨てた。
 地位も名誉も、自分の存在意義も。
 いや、地位や名誉なんてどうでもいい。だけど、存在意義だけは失うことは辛かった――特異な生まれを持つ彼女だからこそ。


『そんなことを気にするんじゃない。むしろ、誇っていい』


 必要される存在になりたかった。この世界にいていいのだと言って欲しかった。
 欲しい言葉は与えられていたけれど、何故か受け入れられなくて、それでも縋るしかなかった。
 あの嬰児に何かを見つけたような気がした。それこそが自分の求めていたものだと感じた。
 間違った土台を組んで建てた城を直すには最初からやり直さなければならない。何度、補強して誤魔化し続けてもいつかは破綻する。
(だから、私は)
 すべてを捨てた。
 それを後悔している訳ではない。どうしても必要なことだったのだと分かっている。
 けれど。
(私は、どこに行けばいいの――?)
 居場所がない。
 否、たった一つだけある。だが、それだけは認めてはならない。認められるはずがない。認めたら、同じことの繰り返しだ。
「そんなことはない」
 不意にかかった言葉にアウロスは我に返った。
「?」
 顔を上げると、とても優しい表情でラトルがアウロスを見つめていた。
「まだ、君は生きている。命がある」
「……それが何? 私の命に、生きていることにどんな価値があるというのだ?」
 硬い声音にラトルは一瞬哀しそうにアウロスを見て、そして静かに答える。
「……あるよ」
 アウロスは無言で睨みつけた。その鋭い眼差しを受け止め、ラトルはまっすぐに見返す。
「アウロス、君はもっと自分を知らなくては」
 そして、ラトルは微笑む。
「ここにいるといい。戦いたくないのなら戦わなくていいから――」
 長い長い沈黙の後、アウロスは顔を伏せ、ラトルから視線を逸らした。
 風がそよぎ、アウロスの銀色の髪を乱していく。墓前に供えられた花の幾重にも重なった花びらが小さく震えた。
「…………………………変な人」
 ぽつりと呟かれた一言。
 そこに宿る響きは困惑。
 だが、そこに拒絶はなかった。
 そのことに気づいたラトルはそっと苦笑を浮かべ、静かに答えた。
「それはひどいな」
 言葉とは裏腹に穏やかな声音だった。
 アウロスは再び白い墓石に視線を注いだ。
 今まで多くの命を奪ってきた。
 たった一つの命でさえ守れなかった。
 でも。
(……罪を償わずに逃げることはできない)
 過去は変えられない――どんなに否定したくても。
 脳裏に過ぎった面影にアウロスは唇を噛み締めた。
(戦える、だろうか……私に)
 勝つことは無理でも、向き合えるだろうか。
 狂気に飲み込まれている、あの国を止めることができるだろうか。
「――私は、今度こそ守れる……?」
 何を守るのか、それすら分からないけれど。
 戦うことしか知らないけれど。
 多くの血を流してきたけれど。
 それでも。
(そんな私でも)
「ああ、守れるよ」
 迷いもなく、即答された。
 そして、アウロスはほんの少し口元を緩めて微笑んだ。


第二章 〜仮面の宴〜 T へ続く