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第二章 〜仮面の宴〜


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 緑の濃い匂いに満ちた森。ルソナの戦いから二週間の時が過ぎ、季節は春を終え、すっかり初夏の匂いを伝え始めている。
 アウロスは今となっては歩き慣れた小道を歩いていた。
 目指す場所は彼女が初めて守ろうと思い、守れなかった幼い命が眠る処。
 最初、訪れた時、森にはまだ木々には花も多く、若葉ばかりだったというのに今は鮮やかな緑に包まれている。
 アウロスの向かう場所も少し変わった。掘り返された土に緑が萌え、白い墓石は少しずつ雨風に汚れていた。
 投獄で弱り、戦いで傷ついていたアウロスの体もすっかり治った――ただ、ひとつを除いて。
 長袖の服に袖なしの上着、下衣は男物で靴も丈夫で歩き易い革靴。見事な光沢を誇る、銀色の髪の大半は無造作に一つに束ねられていたが、右側の横髪だけは垂らしたままになっており、アウロスの顔の半分を隠している。細い体は男装していても少女らしさを伝えると同時に隙のない動きがその印象を打ち消している。だが、誰もいないと分かっているせいかアウロスの表情は彼女自身気づかないうちにわずかだが和らいでいた。少なくとも、二週間前にはすることのなかった顔だ。
 不意に垂らしたままの銀色の髪が揺れた。
 銀の糸の隙間から覗く、引きつったような醜い傷跡。
 まるで彼女の罪科を刻んだかのような傷跡はその美貌が類稀なだけに余計に醜く見える。
 アウロスは名もなき墓の前に立ち、持ってきた花を供えた。そして、静かに瞳を伏せた。
「……」
 まるで凍りついたように動かず、アウロスは祈りを捧げた。
 花を手向け、祈る。
 それが彼女の最近の日課だった。
 ルソナの戦いを境にして、アウロスは抵抗軍に身を預けることになった。だが、今のアウロスには何も望まれていなかった。否、何もしないことこそが望まれていた。
 今までの敵が急に味方になったと言って信じられないのだ。だから、抵抗軍は様子を見ている。アウロスも、そのことは理解していたので、目立たないように留意している。
 ラトルたちは抵抗軍の中心であるため、色々と忙しいようだが、アウロスは関与しない。下手に申し出ても、警戒されるだけだ――その周囲に。
 そう、ラトルたちはアウロスを仲間として受け入れたのだ。
 最初から何故か好意的だったシエネはもちろん、ガントという男も屈託なく今では話し掛けてくる。ユートとジェリスは二人ほど親しげに話し掛けてはこないが、刺々しさはない。そして、ラトルに至ってはアウロスが戸惑うほど自然すぎるほど自然に話し掛けてくる。
 何がそうさせたのか考えるまでもない。嬰児を死なせてしまったことに対して打ちひしがれたアウロスを見て敵意を喪失したのだ。
「……おかしいわね。こんな、風に穏やかに過ごしていられるはずがないのに――」
 呟いて、アウロスは唇を噛み締めた。
(サリクから私の裏切りを知ったはず……)
 このまま、何も起らないはずがない。
 皇国を離れたと言っても、何も変わっていないのだ。あの国には『彼』がいる。
 脳裏に浮かんだ微笑みにアウロスはおのれの体を抱き締めた。
 忘れようのない感情。
 それに翻弄される自分が哀しくて、アウロスは瞼を閉じた。
 こんなことではいけない。
(私は祖国を裏切った。捨てたのだから。それは何のためだった?)
 墓石の下で眠る幼い命を守るため。
 だが、それはアウロス自身の変化を守るためであった。
(変わらなくてはならない)
 漠然とアウロスは思った。
 今までより強く、強くならなければならない――犯した罪を受け止められるほどに。
 新たな決意を胸に刻んだ直後、背後に人の気配を感じて、アウロスは振り返った。
 そこにはジェリスが立っていた。
「やっぱり、ここでしたか」
「……何か?」
 ジェリスは真面目な顔を崩さず、淡々と答えた。
「すぐに出立の準備をして下さい」
(……出立?)
 わずかに柳眉をひそめたアウロスが口を開くより先にジェリスは続けて言った。
「皇国軍はルソナ攻略を断念したようなので、こちらも次の行動を開始することになりました」
 事務的な口調だったが、アウロスは気にしなかった。それより、告げられた内容に驚いていた。
 ジェリスの言葉は『次の行動』にアウロスも含まれていることを指していた。
「私も?」
「我が軍に優秀な人材を遊ばしておく余裕はありませんから」
 その言葉にアウロスは静かに苦笑した。
「……そうね」
 そして、アウロスは表情を引き締めた。
「手間取らせてごめんなさい。すぐに準備するわ。そう時間は取らずに済むから」
 元々、身一つで来たようなものだ。唯一、彼女のものと言えるのは剣くらいなものだが、今は取り上げられている。持っていなくても、魔法が使えるので攻撃手段を奪ったとはいえない。だが、剣を預けたという行為が周囲と信頼を結ぶ始まりになるからとラトルは申し訳なさそうに預かっていった。
「準備ができたら荷物を持って西の平原に来て下さい」
 ジェリスの言葉に頷いて家に戻ったアウロスはわずかな荷物をまとめて、二週間前、戦場だった平原へと向かった。
 すっかり青々とした草原と化している地に巨大な船が着陸していた。
「これは……」
 アウロスは茫然と立ち尽くして、船を見つめた。
 帆船だ。まさしく海を走る帆船だ。三本の帆柱が立っており、船腹からは幾つもの櫂が出ている。紛れもない船が地上にあり、その上、宙に浮き、数本の碇によって大地に繋ぎとめられているのだ。しかも、信じられないくらい巨大だ。飛行艇とは比べものにならないくらいの大きさだ。
 飛行艇とは特殊な技術で生み出した燃料と機械によって空を飛ぶものである。金属でできたそれは皇国のみが保有する科学の傑作だ。ダムロードの先代王は魔法が衰退する事実を憂え、科学を国政レベルで奨励してきた。その結果、ダムロードは四王国の中でも随一の機械学を誇り、数々の成果を上げていたのだ。先代王はその技術を他国にも伝えようとしていたのだが、かの王は急逝し、後を継いだギリウムは自らを皇帝と名乗って他国へ侵略を開始したのである。
 だが。
(こんなものは見たことがない……)
 木造ではないことは遠目からでも分かる。しかし、明らかに科学の代物ではない。
「驚いた?」
 不意にかかった声にアウロスは驚いて振り返った。
 いつの間に現れたのかラトルが彼女の背後に立っていた。
(気配を感じなかった……!)
 アウロスは一瞬翡翠の瞳を見開いた。
 たった二週間の穏やかな時間に気が緩んだだけなのか、それともラトルが気配を殺すのに優れているのか。前者ならいい。だが、後者なら、これからも度々驚くことになる。
 アウロスはラトルと会う時自分がひどく緊張していることを自覚していた。その理由もはっきりしている。だが、どうしようもない。
 別人だと分かっていても突発的に会うと動揺してしまうのだ。
 せめても救いはその動揺を隠すことができていることだった。
 アウロスは視線を船へと戻した。
「……あれは何?」
 搾り出した声はわずかに掠れていた。
 海洋を走る船が地上にあるという現実はかなりの衝撃だった。
 ラトルは静かに微笑む。
「何に見える?」
 どこか楽しそうな響きがあった。だが、不快ではない。だから、アウロスは素直に答えた。
「船」
 くすりとラトルは笑った。
「そうだ。船だ。君の剣と同じ前時代の遺物だよ」
 次の瞬間、アウロスは弾かれたようにラトルを見上げた。
「遺物? あれが? ――まさか」
 ラトルは蒼い瞳を和ませながら答えた。
「そのまさかだよ。あの船の動力源は魔法だ。と言っても、まだ完全に解明された訳ではないけどね」
「そんなものが、一体、どこに――」
 一瞬、ラトルは表情を曇らせた。
「元々はクァ―ル王国領の北端で発掘されていたものだ。皇国に国を滅ぼされて、一時は発掘中止になっていたらしいけど」
 感じた胸の痛みを堪え、アウロスは拳を握り締めた。
「……それが何故ここに――?」
「あれが眠っていた地は我が領土だった」
 アウロスの疑問に答えたのは深みのある低い声だった。
 その声の主はラトルの後からやってきたらしいユートだった。
「領土?」
 かすかに柳眉をひそめたアウロスにラトルは静かに告げた。
「ユート殿は伯爵閣下なんだよ、クァ―ル王国の」
 その言葉にユートは褐色の瞳をわずかに細めた。
「もはや意味のないことだ」
 淡々とした言葉は静かにアウロスの心を貫いた。
 クァ―ル王国は皇国の最初の犠牲となった国だった。アウロス自身は参戦していない。だが、クァ―ル王家を滅ぼしたのは間違いなく彼女の故国であった。
 言葉を失ったアウロスに気づいて、ユートは瞳を伏せ、そして持って来ていたものを差し出した。
 それを見て、アウロスは我に返る。
 ユートの手にあるもの――それはアウロスの剣だった。鞘のない剣は布を巻かれていたが、持ち主である彼女には確かめなくても分かった。
「これを返そう」
「……」
 アウロスは戸惑い、何も言えずユートを見つめた。
 ユートはかすかに口元を綻ばした。
「貴殿にはこれが必要だ。違うか?」
「…………」
 アウロスは長い沈黙の後、小さく答えた。
「いいえ」
 答えた瞬間、アウロスは自嘲の笑みを浮かべていた。
「私には必要です」
 この剣で罪を重ねてきた。
 だからこそ、この剣で罪を贖わなくてはならない。
 アウロスはゆっくりと剣を受け取った。そして、何かを確かめるように抱き締める。
 それを見て、ユートは静かに頷き、ラトルを見やった。
 ラトルは何か気遣わしげにアウロスを見つめていた。彼の目はアウロスが剣を受け取る瞬間、彼女の指先が一瞬震えていたのを捉えていた。
「荷の積み込みがまもなく完了するそうだが、目的地は決まっているのか?」
 ユートの問いかけにラトルは我に返って頷く。
「あぁ……、ポポリアに行く」
 その瞬間、ユートは眉をひそめ、アウロスは顔を上げた。
「ポポリア……?」
 ユートが訝しげに呟いたのも無理もないことだった。
 ポポリアはダムロード皇国領の南の大都市である。港町が発展し、かつてはダムロードの海上商業の中心地だった。
「ちょっとした御招待を受けたものだから」
 軽く肩を竦めて答えたラトルの様子にそれ以上はここで話す気はないと知らされ、アウロスは視線を再び剣に落とした。
 布の下に感じる、わずかな魔力の波動。
 使い手が魔法を使わない限り、剣に秘められた魔力は明確に感じられない。魔法を使う者でなければアウロスの剣はただの銀剣でしかなかった。


『ポポリアの商人がね、持ってきたものなんだ。その者はただの銀剣だと考えてみたいだけど、……分かるだろう?』


 優れた魔道の素質を有していたアウロス。
 そのことを知っていた『彼』はこの剣をアウロスに与えた。
 その時からこの剣はアウロスと共にあった。
(片時も離したことなどなかった……)
 そう言われていたから。


『ここは平和なようでいて物騒で、綺麗なようでいて醜いから』


 彼女を守り、支えてきたもの。
 時には盾となり、牙となったもの。
 彼女の裏切りによって、奪われたはずもの。
 その剣の形態をピアスへと変化させ、持ち主である自分にでさえ気づかせず持たせた者の思惑を考え、アウロスの心は暗く沈んでいく。
 その意思を少しでも探そうとしても、冷たい無機物である剣は魔力の波動を伝えるだけ。
 変化させていた魔法の波動さえ感じない。
(バカなことを……)
 何を求めているのか。
 何を期待しているのか。
(今更だわ――)
 そして、アウロスは強く唇を噛み締め、おのれの愚かさを心密かに蔑んだ――。





第一章