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数日は何事もなく、それなりに忙しく過ぎていった。 そして、夜会が開かれる当日。 ジェリスやガントと警備の打ち合わせをしている時だった。 「アウロス〜」 機嫌良い呼び声に三人は打ち合わせを中断して顔を向けるとそこには笑顔のシエネが立っていた。 「シエネ? 何かあったの?」 言われた通り口調を改めているアウロスは怪訝そうな表情をしてシエネを見つめた。人と接する機会を長らく逸していたアウロスだが、ここ最近になってようやく表情を出せるようになっていた。以前はよくよく観察しないと分からない程度でしかなかった。 「んふふふ、何かあるのはこれから〜」 きらりとシエネの琥珀の瞳が煌いた。 「……シエネさん、また何か企んでるんですか? 後にして下さい、後に。僕たちは今夜のことで忙しいんですから」 水色の瞳を細めてジェリスは釘を刺した。しかし、それは後回しにしろというものであって、制止ではない。 アウロスがそれを疑問に思っている隙に、シエネは強かな笑みを口元に刻んで告げた。 「そんなんじゃないわよ。ラトルの警備をもっと確実にする良い方法があるの。ユートも承諾済み」 「……ユート様が?」 シエネの言葉にジェリスは顔色が微妙に変わる。 「それ、本当でしょうね?」 「モチロン」 「確かに、ラトル様の警護については現段階では不安が残るものがあります。一体、何ですか?」 「んふふふ、それはねぇ」 「勿体ぶらずにさっさと言えよ。あんまし時間ないんだしさ」 ガントの言葉にアウロスは同意した。 「そうね。シエネの話によっては警備の案を修正する必要も出るでしょうし」 シエネはにっこりとアウロスに笑いかけた。 「アウロスがラトルを護衛するのよ」 アウロスは訝しげにシエネを見つめた。 「護衛って……それは最初から予定の内だけど」 再び、シエネの琥珀の瞳が煌く。 アウロスは何故か悪寒を感じた。 何か見落としているような気がする。うかうかと敵の策略に嵌っているような危機感があった。 「そうじゃなくて、アウロスはラトルの一番近くで警護するのよ」 「一番近く……?」 訳も分からない危機感に襲われながら、アウロスはシエネの言葉を繰り返した。 (ラトルの一番近くって、だって、あの人、出席者の一人として) 「!」 アウロスの表情の変化を鋭く察して、シエネはついに策を明かした。 「アウロスも出席するのよ、ラトルと一緒にね」 「――」 短い沈黙の後、混乱した声で叫んだのはアウロスだった。 「む、無茶を言うな!!」 あまりのことに口調が戻っていた。 「どーしてよお」 シエネの眼差しに咎められ、アウロスは我に返った。そして、口調を正して言い募る。 「私なんか出席できるはずないでしょう!?」 「根拠は?」 動揺しているアウロスとは対照的にシエネは冷静だった。先ほどまでの笑みはない。 「夜会にはダムロードの貴族も来ているわ。私の顔を知っている人間だっているに決まっている! それに、この顔ではムリでしょう!?」 傷跡を示して言うアウロスに、シエネは平然と答えた。 「都合良く仮面舞踏会よ。顔のことなら心配ないわ」 一瞬、アウロスは言葉に詰まるが、すぐに口を開いた。 「私は夜会なんて出たことないの! 作法も何も知らないのよ!!」 その言葉に初めてシエネの表情が揺らいだ。そして、大きく瞬きをして尋ねてくる。 「一度も?」 その反応に安堵して、アウロスは心持ち余裕を取り戻した。 「一度も。警護の名目上、監視として行ったことはあるから警備に関しては問題ないけど、出席者なんて――」 シエネは少し考えた。 「ふうん? ……ま、どうにかなるでしょ。ラトルもいるんだし」 諦めていないシエネにアウロスは慌てて呼びかけた。 「シエネ!」 しかし、シエネはアウロスを無視してジェリスとガントに話を振る。 「どう?」 「どうって、どうよ?」 ガントは困惑した様子で判断をジェリスに任せた。ジェリスの方が年下なのだが、こういったことにはガントは全く役に立たない。 ジェリスは難しい顔でシエネを見上げて尋ねた。 「アウロスを指定する根拠は何ですか? 年齢と経験から考えるとシエネさんでもいいはずですよ?」 ジェリスの言葉にアウロスは希望を見出して、翡翠の双眸を輝かした。 シエネは腕を組み、薄く笑った。 「そーね。でも、皇国の手口を一番知っているのはアウロスよ」 それを聞いた三人は息を呑んだ。 「そりゃあね? アタシだって魔法使えるし、いざっていう時どうにかできる自信はあるわよ。でも、それは事が起きてからの話。事前に防ぐまでは保障しないわ。その点、アウロスなら大丈夫じゃないの?」 アウロスは反論できなかった。 十二歳での初陣からずっと孤立していた。皇帝の寵を妬み、水面下で幾度となく危険に晒された。逆に、皇帝に反する者たちを洗い出し、その命や地位を奪ったこともある。実際に実行していないにしろ、それを行なう者と度々接触した。 空気や呼吸、気配で察することができる。断言できるとまでは言わないが、少なくとも今まで外したことはない。 「それに、アウロス」 シエネはちらりとアウロスを見た。 「アンタ、今、剣を持ってないでしょ? それでどう警備する気だったの?」 アウロスの手にはいつもの銀剣が存在しなかった。鞘を造るために、信頼できるとジェリスから紹介してもらった鍛冶屋に預けたのだ。 「それは……代用の剣を借りるつもりで」 「使い慣れない剣じゃ危険だと思うけど?」 追い討ちをかけられ、アウロスは言葉を失う。 「確かに――確かにそうですね」 やがてシエネの意見を承諾したのはジェリスだった。 「ラトル様の安全を確保するにはアウロスの護衛が最適でしょう。ラトル様の顔を隠すのが最重要としても、その御命が失われては意味がありません」 正論だった。 アウロスは何も言えず、唇を噛み締める。そして、搾り出すように呟く。 「……でも」 「まだ何かあるの?」 「ドレスではいざという時に戦えないわ――」 反論の声はひどく弱々しかった。 「それを防ぐために警備を強固にしますし、そんな立ち回りをしなきゃならないほどの騒ぎになれば僕たちも戦います」 ジェリスがはっきりと断言すると、予想していたアウロスは肩を落とした。 「まぁまぁ、そう心配するなって。どーにかなるさ」 明るく笑うガントにアウロスは思わず頭痛を覚えた。 (そんな簡単にいくのかしら……) ![]() シエネの策を知らなかったのはラトルの同様であった。 「え? 相手?」 夜会用の衣装に着替え、最後の確認をしながら、ラトルは部屋にいるユートに聞き返した。 「うむ。シエネの案で護衛をつけることになった」 言葉少なに説明するユートにラトルは複雑そうな笑みを浮かべた。 「ホントにそれはシエネの発案か? 心配性のジェリスじゃなく?」 ラトルの言葉にユートは苦笑を浮かべた。 ジェリスがラトルを心酔するあまり、事を大げさにする帰来があるのは周知の事実だった。 「いや、シエネだ」 「へえ? 堅苦しいことは苦手だって言っていたのに珍しいこともあるものだ」 発案者であるシエネが夜会に出るのだろうとラトルが受け取っていることを察し、ユートは訂正の言葉を紡ごうとした瞬間だった。 「お待たせ〜」 弾んだ声音でシエネが現れた。 「シエネ」 振り返ったラトルはシエネの姿を見て、眉をひそめる。 「まだ、着替えてないのか? 急がないと間に合わないぞ」 その瞬間、シエネは笑い出した。 「嫌ねぇ。私は夜会には出ないわよ。ラトルの相手はこっち」 そう言って扉の向こうにシエネは手を伸ばした。 「ホラホラ、さっさと来る」 何やら揉めている様子にラトルは訝しげな顔になってユートを見やった。 ユートは口端に笑みを浮かべていた。 「ユート殿? 私の相手とは一体――」 「諦めが悪いわよ。これも仕事だと割り切りなさいって」 ラトルの問いとシエネの宣告は同時だった。 シエネは躊躇する相手をラトルの前に引き摺り出した。 「っ!!」 ラトルは絶句した。 「シエネ、やっぱり止めましょう。無謀よ、絶対にボロが出ます」 頼りない声に我に返り、ラトルは我に返った。 「……アウロス?」 呼ばれた瞬間、アウロスはラトルを見て困惑と同時に助けを請うような表情を浮かべた。 ラトルの目の前に可憐で美しいとしか形容できないドレス姿の少女が立っていた。 銀の髪は更に磨き抜かれたのか光沢を増し、真珠と翡翠で作られた花の髪飾りで軽く結い上げられている。薄く化粧を施されているせいか秀麗だった美貌に艶が増し、浮かべる頼りない表情が初々しい。広く開いた襟刳りから覗く白い首筋には銀鎖の首飾りだけ。流れるような細身の蒼いドレスは何枚も薄絹を重ねているので下に行くほど色が濃くなっていく。その癖、冷たさは感じさせない温かみのある不思議な蒼だ。腰を縛る布地も同じ蒼だが、銀糸の模様が入っていて美しさを印象付けていた。白い細腕には金糸の縁取りが入った長い淡黄色の手袋を嵌めている。 惜しむべくは右頬の傷跡だが、それでもアウロスは美しかった。 思わず、ラトルは眩暈を感じた。額に手を当て、そして確信犯のシエネを見やる。 「……シエネ」 「何よぉ。文句、ある?」 にやにやと笑っている様子からして、完全にこちらの心情が読まれているのが分かった。 完敗だ。 さすが抵抗軍一の女傑。 違うところへ意識を持っていってみるが、ラトルは無意識のうちにアウロスに視線を移していた。 何か縋るような眼差しと遭遇し、今度こそラトルは再び言葉を失った。 「感想は?」 「……感想?」 「そう、感想。アタシが精魂込めて着飾ったのよ。元が良いから飾りがいあったわ〜。だから、感想」 ラトルは正直に、端的に答えた。 「完敗」 ぴくりとシエネは眉を上げ、半眼になってラトルを睨み付けた。期待したものとは違ったらしい。 だが、ラトルはそれ以上言う気はなかった――少なくとも、この場では。 「仕方ないわね。時間もないし、それで勘弁しておいてあげる」 その言葉にラトルは心の内で呟いた。 (充分、意味を理解しているだろうに……) 鋭すぎるほど鋭いシエネのことだから、何もかもお見通しなはずだ。いつもなら、対等にやり合えるラトルも今回ばかりは対抗できない。 ホホホ……と艶やかな笑い声を上げながら、シエネはユートと部屋を出て行く。 その後ろ姿をラトルは半ば呆れた様子で見送り、そして、居心地の悪そうなアウロスを見やった。不意に微笑が込み上げてくる。 「……悪いね、シエネには誰も逆らえないんだ」 穏やかな声に、アウロスは曖昧な笑みをかすかに浮かべた。 「分かるわ……」 抵抗らしい抵抗もできず、されるがままに着飾られたアウロスは小さな溜め息を吐いた。 ラトルは小さく笑った。 それに気づいて、アウロスは鋭い眼差しをラトルに向けた。 「他人事だと思って――」 「いや、他人事じゃないけど」 笑いを収めようと努力しながら、ラトルは告げた。 「だって、アウロスは今夜の私の相手で護衛なんだろう?」 確かに他人事ではない。 納得して素直に頷くアウロスに、ラトルは苦笑した。 老獪で冷徹な面を持ちながら、銀髪の少女は同時に驚くほどの素直さも持ち合わせている。 「とりあえず、行くか。馬車が待ってる」 「え」 「え、って、アウロス?」 戸惑っているアウロスにラトルは微笑みかけた。 「大丈夫、仮面もあるし、どこから見ても立派な令嬢だ」 しかし、アウロスは難しい顔で言った。 「……シエネもそう言っていたけど、私、作法なんて知らないのよ。絶対、バレるわ」 ラトルは少し考えた。そして、安心させるように穏やかに告げた。 「基本的な動作をゆっくり時間かけてやればいい。後は自然に振る舞った方がいいだろうね」 戸惑いや躊躇いは初々しいだけだ。むしろ、変に慣れていない方が目立たないだろう。常連客ならともかく新顔の若い令嬢が場慣れしては逆におかしい。 「でも……」 まだ渋るアウロスにラトルは微笑みを消した。 「心配し続けたって何にもならない。行動しないと失敗も成功もない」 静かな言葉に宿る真摯で強い力にアウロスは息を呑んで、ラトルを見つめた。 その眼差しを受けて、ラトルは再び微笑みを浮かべた。 「大丈夫だよ。君は独りじゃない。私が側にいるし、失敗しても上手く誤魔化してあげるから」 そして、ラトルは手を差し出した。 「行こう?」 しばらくして、アウロスは表情を緩め、かすかな笑みを浮かべ、ラトルの手に自分の手を重ねた。 ラトルは満足げに微笑み、漆黒の仮面を付けて、豪奢な帽子を被る。一見、派手で特徴的に見えるが、肝心の顔の特徴は逆に隠され、ラトルと知らなければ分からない。 アウロスもそれに従って淡い緑の仮面を付けた。シエネが美観を損なわないように考えて、用意したらしい仮面は綺麗に右頬の傷跡を隠した。ドレスを纏い、髪を結い上げた姿はアウロスを知っている者でも分からないだろう。 そして、二人は馬車に乗り込んだ。 二人が乗ったことを確認し、席に着くのを見計らって、ゆっくりと車輪が回り出し、馬車が動き始める。 「……そう言えば、ラズゼーニという人はどういう人なの?」 不意に思い出したかのようなアウロスの言葉に、ラトルは少し驚いて見やった。 「誰からも聞いてない?」 アウロスは頷いた。 「機会を逸して、そのまま……」 「そうか」 ラトルは小さく笑った。 「言い触らすものでもないけど、ラズゼーニは私の叔父なんだ、父方の」 「……叔父?」 淡い緑の仮面から覗く翡翠の瞳が訝しげに細められた。 すでにその顔に戸惑いの色はない。冷静に物事を考えようとしている時のものだ。 「だけど、確かラメルダ公家は完全に断絶されていたと――」 その言葉にラトルは小さな感慨を覚えた。 (ラメルダ――。そんな名前だったか) 重要なのは『契約者』の血だったため、ラトル自身すっかり忘れていた。 叔父のラズゼーニも、当時の名を捨てているし、両親のことは話しても家のことは話そうとしなかった。 「アウロスはよく知ってるね」 笑いを含んだ声に、アウロスは気まずげに視線を逸らして答えた。 「……皇国に歯向かう残党の把握は必要だったから」 「――なるほど」 かすかに笑ってラトルはアウロスの顔を覗き込むように首を傾げた。 「また、今度でいいから教えてくれるかな?」 思いがけない言葉に、アウロスは柳眉をひそめた。 「どうして?」 くすりと笑ってラトルは答えた。 「皇国にとって危険な存在ということは私たちにとっては味方になりうるということだろう? ……味方は多ければ多いほどいい。今夜も味方を得るために行くんだし」 ぎこちなくアウロスは頷いた。 それを見てラトルは微笑み、話を続けた。 「ラズゼーニ――叔父は私の父の異母弟なんだが、家とは絶縁して、名を変えて商人として成功したんだ。それで、一人だけ助かった私を育て、支援してくれている」 アウロスは無言で頷いた。そして、翡翠の瞳を伏せ、小さな声で尋ねた。 「……大切?」 細い声はわずかだが震えていた。 それを不思議に思いながら、ラトルは静かに答えた。 「あぁ、大切だよ。ただ一人、生きている家族と言える人だから」 その瞬間、アウロスは手をきつく握り締め、顔を上げて尋ねた。 「守りたい?」 ラトルは双眸を細めて、アウロスを見つめた。 翡翠の瞳は不安定な感情で揺らいでいた。 何かを必死で守ろうとしているような、危うさがそこにはあった。 「アウロス?」 呼びかけた瞬間、アウロスは我に返った。 「ごめんなさい。変なことを聞いたわ」 そして、俯いたアウロスを眺め、ラトルは困惑を隠して答えた。 「守りたいよ。でも」 無意識のうちに声に力が籠もった。 「叔父だけじゃない。私を助けてくれた人や、協力してくれる仲間、信じてくれる人々も守りたいと思っている。もちろん、独りでできる訳ないけど」 そして、ラトルはアウロスの名を呼んだ。 「アウロス」 ゆっくりとアウロスは顔を上げた。 「その中には、当然、君も入ってるよ」 アウロスは唇を噛み締め、ラトルから視線を逸らして瞳を伏せた。 「……私には、まだ、分からない……」 小さな呟きは車輪の音に消されて、ラトルの耳には届かなかった。 |