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第二章 〜仮面の宴〜


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 会場にはすでに多くの招待客が来ているようだった。
 正面玄関には入れ代わり立ち代り、馬車が止まって乗客を降ろしては馬房の方へと去っていく。
 先に降りたラトルが差し出した手を見て、アウロスは記憶に残る皇国の貴婦人たちの姿を思い出した。
(……確か、そうだった)
 いつも馬車を先に降りるのは男で、その手を取って助けられながら女が降りていた。
 アウロスは躊躇いがちに手を重ねて、軽く引き寄せられる感じで馬車から降りる。
 銀色の髪とドレスの裾がさらりと揺れて流れた。その瞬間、玄関前の受付係や近くにいた招待客から感嘆の吐息が零れる。
 だが、長い裾で転ばないように意識を集中させているアウロスは気づかない。
 ラトルはアウロスを連れて、白い階段を上ると受付係に招待状を渡した。
「――エモリス・トミル殿ですね」
 偽名が書かれた招待状と名簿を照らし合わせ、受付係は頷いた。同伴の女性の確認はしないことが流儀だ。
 招待状が送られた男性客は女性の同伴が許されている。妻や恋人、婚約者を連れてくる者も多いが、特別な関係でもない女性を連れてくることもある。
 同伴者として選んだ女性の品性や容貌から振る舞いが男性客に対する周囲の評価にも繋がるせいである。
 優れた女性ほど誘われる数も多い。果たして品定めをしているのは男か女か、或いは両方なのかもしれない。
 同伴者である女性の名も確認する時はすでに婚約を発表した時と婚姻した時だけだ。
 もちろん、独りで来ても良い。だが、その場合、独身男性は女性にもてない、或いはまだ女性に興味がないなどと受け取られ、婚約済みの者や既婚者は病気や出席できない正当な理由がない限り、相手の女性との関係の不和を噂される可能性もある。
 また、主催者が女である場合は違う流儀が存在している。
 ともかく、その流儀のおかげでアウロスは一言も言わずに済んだ。口数が多いとその分だけバレる可能性が強い。
 受付係は恭しく腕を広げて告げた。
「ようこそ、どうぞお入り下さい」
 会場の扉は開かれると同時に夜の闇を払うような光が溢れ出てきた。
 硝子細工の装飾が無数の蝋燭の光を乱反射し、虹色の煌きを生み出している。
 絶え間なく、奏でられる音色に興じて踊る仮面の男女たち。
 会場の片隅で談笑し、杯を交わす人々。
 空にならないように何度も入れ代わる料理皿。
 華やかな世界にアウロスは一瞬眩暈を覚えた。
 このような世界が珍しい訳ではない。ただ、やはり違うと確信した。
 軍服を纏い、横から異変がないか観察するのと、招待客として煌びやかなドレスを纏い、入場するのとでは立場が大きく違う。
 踵の高い靴に怯え、心持ち表情を硬くしながらアウロスは一歩一歩を慎重に歩く。
 無意識のうちにラトルの手と重ねた手に力が籠もり、握り締める形になる。
 それに気づいて、ラトルは小さな笑みを口端に浮かべた。
「あぁ、大事なことを言い忘れていた」
 アウロスは緊張しながら顔を上げた。
 注意であろうと助言であろうと、失敗しないために必要な情報は聞き逃せない。
 ラトルはにっこりと微笑みながら囁いた。
「綺麗だよ。とても良く似合ってる」
 アウロスは翡翠の瞳を見開き、そして徐々に細めてラトルを睨みつけた。
「……ふざけてないで、真剣に自分の身を心配したら?」
 鋭さを帯びた声だったが、ラトルは笑って受け止めた。
「まあまあ、楽しんでいないと怪しまれるよ?」
「!」
「とりあえず、コレ持って」
 そして、ラトルは横を通った給仕の男からグラスを二つ取り、その一つをアウロスに手渡した。
 思わず、受け取ったアウロスはグラスの色と中身の匂いにわずかに眉をひそめた。
 ワインだ。
「ラ……エモリス」
 偽名を強く呼ぶと、ラトルは微笑んで言った。
「別に飲まなくてもいいよ。だが、何も持っていないと不自然だからね。かといって、食事をしていられる状況でもない。それとも、踊る?」
 アウロスは言葉を失った。
 不意に、ラトルがくすくすと小さく笑い出す。
「――からかったわね?」
「まさか」
 にこりとラトルは穏やかに微笑んだ。
「全部真実だよ」
 そして、ラトルはアウロスの手を引いて歩き出した。





「……あれじゃあ、どっちが護衛だか分かんないわ」
 溜め息混じりの呟きを聞き咎めたガントが振り返る。
「何が?」
 シエネとガントはラトルの警護として目立たないように会場の隅で控えていた。反対側ではユートとジェリスが控えているはずだ。会場内にも何人か紛れ込ませている。
「あの二人」
 端的な答えに、ガントはちらりと視線を会場内に向けた。
「……楽しそうだな、アイツ」
 ガントの視線の先で、ラトルは微笑みを浮かべながらアウロスと話していた。アウロスの方は戸惑いながらもぎこちなく、微笑みを浮かべようと努力している。
 シエネは無言で髪先を摘んでいじった。
 出たことがないと言っていた言葉は嘘ではなかったらしく、アウロスは自分のことと刺客のことにしか気が回らないようで仮面をした他の招待客に声をかけられても戸惑っている。それをラトルはにこやかに応対しつつ適当にあしらい、さりげなくアウロスを庇っていた。
(それにしても)
 シエネはしみじみとアウロスの姿を観察した。
 お膳立てしたのは自分だが、着飾るのに力を入れすぎたかもしれない。
 仮面をしていても分かるアウロスの美しさと初々しさは会場でも少なからず人々の興味を惹いていた。ただ、ラトルから離れようとしないので、中々近づけない。話しかけてもラトルが上手く追い払っていた。
 どこからどう見ても初めて華やかな場所に立った、初々しい可憐な令嬢だ。遜色のない、充分、優れた容姿をしているラトルが隣に立っていることで、まるで微笑ましい恋人たちのように見える。
(本来の目的、忘れてなきゃいいけどね……)
 シエネはラトルを見て、小さな溜め息を零した。
(そりゃ気持ちは分かるけどさぁ)
「なんつーか、アレだ。何だかんだ言いながら仲良いよな、あの二人」
 思わず、シエネは半眼になる。
「仲が良いってゆーか、じれったい」
 状況が状況だし、立場が立場だ。
 しかも、あのアウロスの性格が難点だ。普段、あれだけの洞察力を発揮しているのに、何故気づかないのか。
 何やら苛立っているシエネを見て、ガントは軽く首を傾げた。そして、無意識のうちに会場を見回して呟いた。
「このまま何もなく終わるといいよな……」





 アウロスは必死で微笑みを維持し続けていた。
 息を吐く間もなく、見知らぬ人間が声をかけてくる。しかも、ラトルが少し離れた時や別の人間と話している隙を狙って現れるのだ。
 話の内容はおよそ意味のないもので、アウロスは曖昧に微笑んで躱すのが精一杯だった。
(用がないなら話し掛けて来ないで欲しいわ)
 ラトルの側にいると、何故か極端に話し掛けられないことに気づいてからは離れないようにアウロスは心掛けていた。護衛という本来の目的にも適している状況だ。
 アウロスの注意はラトルとその周囲に払われていた。しかし、それが周囲の目を大いに勘違いさせていることには全く気づいてない。
 事情を知らない他人からすれば、不慣れな場所で恋人に頼り切っている少女そのものだ。
 ある意味正しく、ある意味間違っている認識だ。
「フェリナ」
 不意に、偽名を呼ばれたアウロスは一瞬反応が遅れた。
「あ……何?」
 仮面から覗く蒼い瞳がちらりと動くのを見て、アウロスはその視線の先を辿った。
 そこには招待客たちと挨拶を交わしている男の姿があった。
 色鮮やかな鳥の羽をあしらった仮面をしている。
「ラズゼーニだ」
 ラトルの短い言葉にアウロスは小さく頷いた。
「挨拶に行くよ。それから本題だ」
「分かったわ」
 アウロスは中身の減っていないグラスを近くのテーブルに置いた。
 気を引き締め、二人はゆっくりと歩いて、ラズゼーニの許へ向かった。
「ラズゼーニ殿」
 ラトルの呼びかけにラズゼーニは顔を向けた。
「おお、エモリスか。よく来たね。おや……」
 ラトルに気づいて、ラズゼーニは笑みを浮かべた。そして、アウロスに気づくと軽く眼を見開いた。
「そちらのお嬢さんは……」
 ラトルは穏やかに紹介した。
「私の今夜の相手フェリナ・タニールです」
 注目されたアウロスは薄く瞳を伏せ、慎ましくドレスの裾を持ち上げて黙礼した。
 本当は何か挨拶の言葉を言った方が良いのかもしれないが、上手く演じられるか疑問な上に、ラズゼーニという男が一癖も二癖もある男だということをアウロスは感じ取っていた。
 ラトルに話し掛けられた瞬間の応対の仕方と言い、態度と言い、事前に知っていたとはいえ、ラズゼーニにはわずかな変化さえ見受けられなかった。
 そして、眼差し。
 その瞳の色はラトルと違い、榛色だが、その穏やかさに秘められた強さと鋭敏さは間違いなく血縁を感じさせるものだった。
(経験の多さの分、手強さはラトルより上を行くかもしれないわね)
 さらりと何気に核心を突いてくるラトルがアウロスはなんとなく苦手だった。
 言葉を交わせば交わすほど、知られたくないことまで知っているような瞳に出くわすのだ。そして、その時、アウロスは言葉にできない既視感と恐怖に襲われる。
 いつの間かアウロスが考え込み始めていると、不意に呼びかけられた。
「フェリナ? 疲れたのかい?」
 アウロスは咄嗟に何の考えもなしに曖昧に頷いてしまっていた。
 我に返って、アウロスは自分の失敗に気づく。
(しまった。今のは頷くところじゃないわ)
 ラトルの言葉はアウロスの意識をこちらに向かせるためのものであって、本当は自分を気遣うものでない。
 自分が頷いたら、ラトルの取る行動は一つしかない。
「そう。じゃあ、少し座って休むといいよ」
 優しい言葉に変わったところは何もなかった。
 ラトルにとっても予定外の出来事には違いないのに、彼は『エモリス・トミル』であることを止めなかった。
 アウロスはラトルの護衛だ。
 ドレス姿になって、慣れない人付き合いも耐えて、会場から逃げ出さずにラトルの側にいたのはそのためだ。
 その自分が自ら離れるというような敵にとって好都合な状況を与える訳にはいかない。
 アウロスはどうにか微笑みを浮かべ、小さくかぶりを振る。
「いいえ、大丈夫です……」
 しかし、それを受け入れるはずのラトルは否定の言葉を発した。
「ダメだよ、慣れていないのだから無理をしたら」
 アウロスは必死で声を押し殺した。
 場所が場所でなければ怒鳴っているところだ。
(普段、余計なところで鋭いくせに……!)
 それとも、分かっていてやっているのか。
 だとしたら、余計に怒鳴り散らしたいものだ。
(自分の立場を本当は理解してないんじゃないのかしら)
 『契約者』であることの重要性を。
 世界を守るべき『契約者』によって蹂躙されているる世界を救える人々の希望であることを。
 そんなアウロスの心境など知りもしないラトルはラズゼーニに断りの言葉を告げていた。
「少し失礼して宜しいですか、ラズゼーニ殿」
 ラズゼーニはどこか楽しげに微笑んで頷いた。
「構わんよ。どうやら、そちらのご令嬢はこのような夜会には初めてのようだね。さして動かなくても気疲れしてしまったのだろう」
 アウロスは顔を心持ち俯き加減にすることで表情を隠した。仮面をしているので、早々、表情を読まれることはないと思うが、ラズゼーニなら、わずかな変化さえ読み取るかもしれない。
 何気に今夜の相手であるラトルとも一曲も踊ってないことを突く辺り、間違いなくラトルの叔父だとアウロスは確信した。
 ラズゼーニの許しも出て、アウロスは拒むにも拒みきれず、ラトルに導かれるまま、会場の壁側に置かれた椅子に腰を下ろした。
「エモリス」
 椅子に座った状態で、見上げながらアウロスはラトルの偽名を呼んだ。
 ラトルはにこりと微笑む。
「少しぐらい大丈夫だよ」
 そして、ラトルはゆっくりと辺りを見回した。
 睨み付けられた訳でもないのに、慌てて視線を逸らす男性客の多さにアウロスは眼を瞬かせた。
(……刺客って訳でもないでしょうに)
 疚しいところなんてあるはずのない男性客の反応を訝しく思ったアウロスは少し考えてそれを改めた。
 予期せず、全くの他人と視線が合うとそれなりに気まずいものがあるのかもしれない。
「じゃ、私は頑張ってくるよ」
 そして、ラトルは再びアウロスの方を見ると、淡黄色の手袋に包まれた細い手を取り、その手の甲に軽くくちづけた。
「!」
 思いがけない行動に、アウロスは固まった。
 ラトルはにっこりと笑うと、ラズゼーニの許へ戻った。
(何なの、今の……)
 あんな妙な行動を取れば目立つではないか。
 そろそろと手を自分の許へ戻しながら、アウロスは鋭い視線でラトルの背を追いかけた。