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第二章 〜仮面の宴〜


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 目覚めた時、アウロスは自分が皇国の城に戻ってきたのかと錯覚した。
 精緻な彫刻と絵が描かれた天井。
 体を包み込む柔らかな褥。
 部屋を支配する静寂。
 記憶に残るそれらをぼんやりと現実に眺め、そして我に返った瞬間、アウロスは跳ね起きた。
「くっ……」
 不意の眩暈にアウロスは額に手を当てる。
 そして、ゆっくりと周囲を見回した。
 見覚えのない調度品とその配置。
 城にあったものと同じ種類だが、よく見れば微妙に違う。
 記憶にない部屋に、アウロスは柳眉をひそめた。
(ここは……私――)
 やがて意識が途切れる寸前の記憶をアウロスは思い出した。
(そうだ、毒を飲んで倒れたんだ……)
 偽名を呼んで倒れるアウロスを受け止めたのは――ラトルだ。
 見覚えがないところを察するに、ここは、まだラズゼーニの館なのだろう。
 何気なく視線を寝台の横にやると、棚の上に空になったコップと薄く小さな白紙があった。
(解毒剤、か)
 状況を把握すると同時に、アウロスは自嘲の笑みを浮かべた。
 皇国の城だと錯覚した理由を理解したからだった。
 まだ、断ち切れていないのか。
 過去は二度と戻らない。
(あの時に帰れるはずがないのに――)
 唇を噛み、自らの愚かさを思い知った痛みに呻いていたアウロスは、やがて、かぶりを振って立ち上がる。
 まだ、アウロスはドレス姿だった。だが、仮面と手袋ははずされている。
(とにかく、あれからどうなったのか確かめないと――)
 体中に広がっていた熱はすでに存在しなかった。意識を失っている間に酒気が無くなったのだろう。
 アウロスが寝室の扉を開けると、次の部屋でははユートが待っていた。
 現れたアウロスを驚いた様子もなく見て取り、壁に寄りかかったままでユートは静かに問うた。
「もう良いのか?」
 アウロスは頷きながら答えた。
「毒に慣れている体ですから」
 その答えにユートは小さく眼を瞠ると、納得した様子で頷いた。
「なるほど、最初から勝算があってのことだったか」
「女はどうしました?」
 ユートは端的に答えた。
「捕えた。今、尋問中だ」
 アウロスは双眸を細め、小さく笑った。
「尋問? それでどうですか?」
 ユートは思案深げな表情でアウロスを見つめた。
「知らぬ存ぜぬと言ってばかりだ。……利用されただけではないのか?」
 アウロスは無言でかぶりを振った。そして、無表情に告げた。
「あの女は皇国の刺客です。彼らを尋問する仕方を知らなければ、そう結論してしまうのも無理はないことです」
 アウロスは感情を殺ぎ落とした声音で言った。
「私がやります。どこで尋問を?」
 ユートは壁から身を起こすと静かに答えた。
「……案内しよう」
 ユートの先導でアウロスは部屋から廊下に出る。
「そう言えば、あの後、夜会はどうなりましたか?」
 自分が倒れたことで何か影響は出なかったか気にかかっていた。
 アウロスの問いにユートは答えた。
「一時、騒然となったくらいだが、大したことはない」
「……何も?」
 ユートはかすかに笑った。
「全く、とは言えないかもな。だが、貴殿が目覚めたのなら解消される」
 アウロスは訝しげにユートを見つめた。
 だが、ユートは口元に笑みを浮かべるだけで、それ以上何も言おうとしなかった。
 やがて二人の前方に扉の前に立つガントの姿が見えた。
 ガントはユートの後ろにアウロスの姿を見つけると、笑顔になった。
「もう起きて平気なんだ?」
 アウロスは小さく頷いた。
「中で尋問を?」
 ガントは頷きつつ、妙に決まり悪そうに言った。
「シエネとジェリス、ラ……じゃなくて、エモリスがしてるけどよぉ、あの女本当に刺客なのか? 何か、オレらの方が悪人みてぇで……」
 アウロスは小さく笑った。
「刺客なのは間違いないわ。……入っていい?」
 ガントは小さく頷いて、場所をアウロスに譲った。
 アウロスは鍵がかかっている扉を軽く叩いた。しばらくして、中から返事が返ってくる。
「誰ですか?」
 ジェリスの声だ。
「私です」
「……アウロス?」
「ええ」
 アウロスは肯定して尋ねた。
「中に入っていいですか?」
「今、鍵を開けます」
 そして、鍵が開く音がして、扉が向こう側から開かれた。
 アウロスが入るとすぐにジェリスは扉を閉めて再度鍵をかける。そして、アウロスをまじまじと見やった。
「……もう立てるんですか?」
 アウロスは頷きながら、辺りを見回した。
 部屋の中にはジェリスしかいなかった。
「尋問は?」
「次の部屋でしています」
 その答えにアウロスは納得した様子で頷いた。
(なるほど)
 逃亡を阻むために念を入れているのか。
 ジェリスと一緒に次の部屋に行くと、中にいた三人の人間の注目を一斉に浴びることになった。
 正面のテーブルを挟んでシエネと女が座っていた。扉の側には仮面姿のままのラトルが立っている。
 まだ、『エモリス・トミル』でいるのは刺客の女を警戒しているのだろう。
「……どうして貴方までここに?」
 正体が発覚する危険性を考えるなら、この場にいない方が良いはずだ。
 アウロスの言葉に、ラトルは虚を突かれた様子になり、そして複雑そうな微笑みを浮かべた。
「――どうしてだろうね?」
 曖昧な答えを返すラトルを呆れた様子で見つめ、ジェリスは小さな溜め息を吐いた。
 アウロスが毒で倒れたことで一番衝撃を受けていたのはラトルだった。尋問の場に立ち会っているのもそのせいだ。
 会場でアウロスが倒れた時のラトルの顔と態度を見たら、人の心の機微に疎いところがあるアウロスでもさすがに気づいただろう。
 訝しげな表情をしながら、アウロスはシエネの前に座る女に視線を向けた。
 アウロスの翡翠の眼差しを受け、女はかすかにたじろいだ。
「あ、あの私は何も知りません……っ!」
 怯えが入り混じった声で女は訴えた。
 シエネは眉をひそめ、女を一瞥するとアウロスに視線を戻した。
「そう言い続けているんだけど?」
 アウロスは視線を女に向けたまま、答えた。
「今の彼女ならそう答えるしかないわ」
 そして、アウロスは女に近づいた。
 感情を読み取れない表情に怯えて、女は座っていた椅子から腰を浮かし、後ずさった。やがて、背が壁にぶつかり、どこにも逃げられなくなる。
 アウロスは静かに右手を伸ばした。
 何をする気なのかと他の三人は息を呑んで見守った。
「わ、私は本当に何も……」
 女の言葉はアウロスの手が額に触れた瞬間、途切れた。
 アウロスは翡翠の双眸を薄く伏せて呪文を唱え始める。それに応じて女に額に当てた右手に光が集まり出した。
 女は双眸を極限まで見開いて硬直した。アウロスの手を振り払うこともできない。
「あ、あぁ!?」
 戸惑いの声が女の喉から溢れた。
 その声を聞いて、アウロスは更に魔力を右手に集中させる。
 女にかけられた精神魔法を解くには一定以上の魔力と普通の魔道士は知らない特別な呪文が必要だ。


『何があるか分からないから覚えておくんだよ?』


 そう言われて覚えたが、実際に使ったことはない。
 アウロスはいつも解除せずに躊躇いもなく、刺客の命を奪っていた。
 その非情さが皇国で求められていた。
 きりと唇を噛み締め、アウロスは翡翠の眼差しで女を射抜いた。
 最後の呪文を声に出した瞬間、右手に宿っていた光が女の額に貫いた。
 女はびくりと震えて、鉛の棒でも飲み込んだようにまっすぐに立つ。
 その姿を見て、ラトルたちは驚愕した。
 女の顔から表情が消えていた。
 それまで瞳に浮かんでいた怯えの色もなく、まるで硝子のような虚ろで冷めた眼差しをしていた。
 ゆっくりと右手を下ろし、アウロスは女を静かに眺めた。
「……我が問いに答えよ、お前の目的は?」
 女は無表情に答えた。
「ラズゼーニ・ズガゥロの命……」
 翡翠の双眸を細め、腕を組んで、アウロスは質問を続けた。
「命令したのは誰?」
「――ダムロード皇国皇帝ギリウム陛下」
「何故、ラズゼーニの命を狙った?」
「それは……」
 女の顔が苦悶に歪む。
 それに気づいて、アウロスは声に力を込めて答えを促した。
「それは?」
 女の身に染み込んだギリウム皇帝の魔力が質問に答えることを阻もうとしているのが感じ取れた。
 アウロスは意識を女に集中し、注ぎ込んだ魔力で抵抗を捻じ伏せようとする。
「我が問いに速やかに答えよ。何故、ラズゼーニを殺そうとした?」
 女の体が壊れた操り人形のように大きく痙攣する。視線を定めないまま、女は口を開いた。
「ラズゼーニ……商人を束ねる……自治都市……いずれ皇国を阻む勢力……危険危険危険危険危険」
 女の呟く言葉の羅列を聞いて、アウロスは後ろにいるラトルたちの方へと振り向いた。
「これでいい?」
 その瞬間、息を呑んでいた三人は大きく息を吐き出した。
「何なんです、今のは?」
「皇国の刺客たちはすべて魔法で精神を操作……いえ、改造されているの。だから、刺客本人も自分がそうだと思っていない」
 思わず、シエネは叫んでいた。
「それは禁忌の魔法よッ!」
 アウロスは軽く肩を竦めてみせた。
「『契約者』を殺している男に禁忌なんてあるなんて思う?」
 世界の存続に必要不可欠な『契約者』。
 そのために、『契約者』の血脈は直系だけでなく、傍系の末端まで常に見守られていた。
 円の世界において『契約者』とは王族の血を継ぐ者を示している。ゆえに、周囲は王族の男女関係に敏感だった。
 過去において、女性関係が派手だった王族は不特定多数の女性と望むままに性的関係を結ぶために特殊な魔法を受け、子を成さないようにしていたという。
 『契約者』の数はある一定数で保たれるように管理されていたと言っても過言ではない。
 少なすぎても多すぎても人々は不安を抱く。
 その存在意義と、彼らが無条件で有する強大な魔力に。
 皇帝ギリウムはその守られねばならない暗黙の規律を破った。
 そして、他の王家を滅ぼし、世界を盾に取ることで服従を強いている。
 それが禁忌の行いでなくて、何なのか。
「そんな、そんなひどいことを……」
 シエネの呟きに、アウロスは瞳を伏せた。
「……元に戻すことは?」
 不意に尋ねてきたラトルに、アウロスは顔を上げた。
「それは何もされていない完全な状態という意味で?」
 ラトルは頷いた。
「無理だわ」
 アウロスは努めて冷淡に断言した。
「一度引き裂かれた精神を完全に繕うことはできない。できるのは覆い隠すだけ。それだって普通の生活はできるけど、再び命令を与えられたら同じことよ。今は……私が彼女を支配しているから何もしないけど」
 そして、アウロスは切り捨てるように言い放った。
「彼女の人生を背負う余裕なんてないし、する気もない」
「……正論ですけど、それじゃあ、どうしたら良いんです?」
 ジェリスの言葉にアウロスはかぶりを振った。
「どうにもならないわ」
 だから、アウロスはずっと殺してきた。
 しかし、それを提案する気にはならなかった。
(どうせ、反対するでしょうし……)
 いつだって、殺したいと思って殺した訳ではない。
「ただ、このまま捕えておくことも解放することも止めておいた方がいいわ。再び刺客になる可能性があるのもの」
 その言葉にジェリスは黙って傷ましそうに女を見つめた。
「君は?」
「え?」
 どこか真剣な様子でラトルはアウロスに尋ねた。
「君は、大丈夫だな、アウロス?」
 危険と呟き続けていた女が小さく一瞬震えるが、誰も気づかない。
 アウロスは自嘲気味に小さく微笑んだ。
「かける必要性なんてどこにもなかったから……」
 皇帝の忠実な部下だった。
 表舞台に立つ将軍だった。
 精神魔法をかけられなくても、長い時間がアウロスをそう育てていた。
(私が裏切るなんて誰も考えていなかった――)
「そうか――」
 ラトルが安堵の吐息を零し、微笑んだ瞬間だった。
 それまで壊れたように同じ言葉を呟いていた女に変化が現れた。


「ア……」


 アウロスは弾かれたように振り返った。
 小さな、消え入るような声。
 その声が、確かに彼女の名を呼んだ。
(まさか)
 女の瞳に意志の光が戻り、アウロスを捕える。
 そして、女は艶やかに微笑んだ。
「伝言を預かっています」
 聞き返す間もなく、女の唇が言葉を紡いでいた。


『お前に相応しいのは絹のドレスでも宝石でもない。お前を本当に美しく飾るのはただ一つだけだ』


 その瞬間、女の体が破裂した。
 赤く染まる、視界。
 唇に触れる、その苦い味。
 肺を満たす、噎せ返るような匂い。
 肌を濡らす、ぬめりを帯びた生温かい液体。
 頬に張りつく、銀の髪から零れ落ちる真紅の雫。
 すべての五感が、覚えがあると伝えていた。


 血。


「っ!」
 飛び散った肉片がずるりと胸元から滑り落ちていく。
 蒼いドレスが濃い紫に染め変えられていた。
 我に返ったラトルたちの声を遠いところで聞きながら、アウロスはゆっくりと視線を泳がせた。
 辺りに散乱している、肉片と赤い水溜まりの中に、濁った眼球が浮かんでいた。
 一瞬前まで立っていた女の姿はどこにもなかった。
 脳裏に蘇る、女の最期の言葉。
 一瞬で刻まれたそれが何度も何度も繰り返される。
 そして、やがて伝言を告げる声が女から男へと変わっていく。


『お前に相応しいのは絹のドレスでも宝石でもない。お前を本当に美しく飾るのはただ一つだけだ』




第三章 〜眠る秘鍵〜 T へ続く