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第三章 〜眠る秘鍵〜


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 耳障りな唸り声がする。
 それを不快に感じた瞬間、アウロスは腕を横に薙いでいた。
 手に握られていた銀剣は唸り声の元を的確に断った。
 蒼い輝きを宿したアウロスの剣は魔法が栄えた時代の遺物。
 刃毀れのしない銀剣はアウロスの魔法で強化され、その鋭さを増している。
 振り下ろされた爪を躱し、アウロスは弧を描くように体を回転させ、その勢いで攻撃してきたキメラの体に刃を滑らせた。
 さして力を込めずとも、恐ろしく鋭い刃は肉に食い込み、その繋がりを断つ。
 切断された腕が地面の上を転がっていく。
 その痛みにキメラは絶叫を上げ、残った腕をアウロスに叩きつけようとした。
 剣舞でも踊るかのように、アウロスは優雅に身を翻す。
 宙を舞う、銀の髪。
 描き出される、対称的な赤い軌跡。
 飛び掛ってくる返り血で視界が隠されないように手で庇うが、それだけだ。返り血を浴びることも厭わず、アウロスは機敏な動きでキメラたちの間を擦り抜ける。
 ドウッと血飛沫を上げてキメラの巨体が倒れ伏した。
 アウロスはそれを見届ける前にその場から上へと飛び退いた。
 土を削るような音がし、アウロスのいた場所に豹に似た六つ目のキメラの体が現れる。
 キメラの攻撃を躱したアウロスは重力に従うままに落下し、そのままキメラの体に刃を突き立てた。
 肉を貫く、重い衝撃。
 わずかに飛んだ血がアウロスの白い頬に赤い筋を残す。
 雄叫びが聞こえた。
 アウロスは剣を突きたてたまま、ちらりと周囲を見回した。
 今まで戦っていたキメラは熊のような巨体のキメラだった。強力だが、その体の動きは鈍い。腕の動きだけは素早く厄介だが、動きが大きく見切ることは容易い。
 腕力はそれほどないが、俊敏さはアウロスの方が上回っていた。速攻と攻撃魔法の連携は彼女の得意とする戦法だった。
 だが、今、アウロスを取り囲んでいるのは俊敏さが優れているキメラ種だ。
 まだ戦う気のある指揮官がいたらしい。
 キメラたちは脳に埋め込まれた小さな機械で使役される。命令する人間は小型の装置で命令を伝えるだけでいい。
(数が多いな……)
 冷静に判断を下し、アウロスはすうと息を吸った。そして、小声で呪文を唱え出す。
 キメラたちが一斉に大地を蹴った。
 風が、吹く。
 血で濡れた銀色の長い髪が揺れて、アウロスの顔を覆い隠した。
 滑り落ちる、細い銀糸の隙間から、翡翠の瞳が妖しく煌く。
 迫る牙も爪も何一つ怯えていない瞳。
 そして。
「……凍えし尖塔よ、大地より天に聳え建て」
 詩でも吟ずるような静かな呟き。
 それに応え、赤い雫を滴らせる銀剣に宿る蒼い輝きが増した。
 その瞬間、アウロスを中心とした周囲一帯の大地から無数の氷柱が突出し、キメラたちを串刺しにした。
 悲鳴を上げ、宙に浮いたキメラたちは血反吐を吐く。
 アウロスは剣をキメラの死骸から引き抜いて立ち上がった。
 同時に氷柱が水へと戻り、大地に大きな水溜まりを作った。
 息絶えたキメラの死骸が落ちて、水飛沫を弾き、血と水が混ざり合う。
 運良く氷柱の襲撃から逃れたキメラたちは怯むことなく、アウロスに襲いかかろうとした。
 しかし、アウロスはすでに次の攻撃魔法を完成していた。
「閃光の蛇よ」
 アウロスの左手から白みを帯びた雷撃が宿る。
「地を這いて我が敵を喰らえ」
 そして、アウロスは雷撃を襲いかかってくるキメラではなく、水に濡れた大地に向けて放った。
 その瞬間、水溜まりの中を電撃が走り抜け、キメラたちに衝撃を与えた。
 キメラたちの体を紫電の光が這い回り、その場に縫い止める。
 わずかな静寂。
 そして、黒焦げになったキメラたちが次々と倒れていく。水溜まりの中に倒れたキメラたちは完全に息絶えていた。
 周囲一帯の敵を葬り去っても、アウロスの表情は冴えなかった。
「……」
 血で濡れた手、顔、体。


『お前に相応しいのは絹のドレスでも宝石でもない。お前を本当に美しく飾るのはただ一つだけだ』


 脳裏で囁かれる言葉。
 闇の中で微笑んでいる、その顔。


「!」


 身が竦んだ。
 銀剣を握る手に力が籠もる。
 その瞬間、アウロスの足元に影が飛来する。
 我に返ったアウロスが振り仰ぐと同時に視界に鋭い煌きが飛び込んできた。
「ッ!」
 咄嗟に身を捻ったのは潜り抜けた数々の死線の成果だったのか。
 大地に転がることで直撃を避けたアウロスだったが、剣を持った右腕に痛みを覚え、利き手が使い物にならなくなったことを知った。
 素早く身を起こして、アウロスは自分を襲った敵の正体を確認する。
(鳥類系キメラ……!)
 しかも、小型種。
 一羽一羽の戦闘能力は低いが、本能的に集団行動を好むキメラ種だ。集団で襲い掛かられると下手なキメラより手強い。
 アウロスはわずかに唇を噛み締めた。
 傷を負った腕では小型のキメラを剣で的確に捉えて倒すには無理がある。魔法で迎撃するしかない。
 瞬く間に判断し、アウロスは攻撃魔法を編み上げた。
 縦横無尽に飛び回っていた小型キメラが一斉にアウロスに向かって突撃する。
 アウロスの銀剣が蒼く輝く。
「竜の軌跡よ、すべてを斬り裂け」
 アウロスを中心に突如起こった旋風をキメラたちは避けられなかった。そして、圧倒な風力に身を縛られ、鋭い無数の刃に切り裂かれる。
 溢れ出た血で旋風が赤く染まる。
 そして、旋風はその内に捕えていたすべてのキメラを葬ると一瞬に消えた。
 後に残されたのはアウロスと宙を舞う血に染められた羽根。
 そして、地面に落ちた無数の肉塊から漂う血臭。
 嫌でも思い出される、女の微笑み。
 視界が赤く染まる瞬間まで見ていた微笑み。
「――ッ!」
 アウロスが立ち竦んだ瞬間。
「アウロスッ!!」
 危険を知らせる声にアウロスは現実に立ち返った。
 その瞬間、体を掬われ、視界が横に流れていく。
 立っていた場所が瞬く間に遠退いた。
「!?」
 アウロスは瞳を見開いて息を呑んだ。
 一瞬前まで立っていた場所の地面から緑色の触手が出現していた。
(植物系キメラ!)
 驚くアウロスは強く引き寄せられ、馬上で安定した状態になる。
 危険から救った人物をアウロスは確かめなくても分かっていた。
 ちらりと見上げると、そこには厳しい表情をしたラトルの顔があった。
 ラトルは敵を上手く避け、戦場から離脱する気でいるようだ。
 アウロスは無表情のまま視線を後方にやった。
 触手が現れた場所には穴しかなかった。だが、その場所からアウロスたちの後を追うように土が盛り上がっていた。
 触手が地面の下を這い、恐ろしい速さで追って来ているのだ。
「追ってくるわ」
 端的に伝え、アウロスは呪文を唱え始める。
 思いがけない事態になっても右手にしっかり握られていた銀剣が蒼い輝きを帯びていく。
 一度双眸を閉じ、アウロスは意識を集中させた。
 眼を閉じると、アウロスの体を支えるラトルの腕の感触がより強く感じられた。
「……凝れる火焔よ」
 地面が割れる音がして、アウロスは眼を開けた。
 翡翠の瞳が地面から伸びた緑色の触手を捉える。
「滅びの一矢となれ」
 次の瞬間、アウロスは左手を閃かせると、その手のひらから炎の塊が放たれた。
 後少しまで迫っていた触手に炎の塊が触れた瞬間、爆音が轟いた。
「ッ!」
 間近で起こった爆発に、ラトルとアウロスは馬上から弾き飛ばされる。
 咄嗟にラトルはアウロスを庇い込み、地面の上を転がった。
 爆風で飛んできた小石や枝が頬を掠め、ラトルの顔に傷を与える。
 爆風が収まり、状況が少し落ち着いたところで、ラトルは首を巡らせて背後を見た。
 爆発と炎に焼かれ、触手は身悶えしていた。更に遠くでは地面が抉れ、炎と煙が立ち昇っていた。
 アウロスの魔法の炎が地面を伝い、本体も焼き滅ぼしたのだろう。
 安堵の吐息を零し、ラトルは腕の中のアウロスを見た。
 全身を血に染めた姿は、一瞬、動揺を誘う。だが、白い美貌は平然としており、すべて返り血なのだと知れる。顔色が青ざめているのは魔力の使用過度のせいだ。
「アウロス、大丈夫か?」
「……」
 アウロスは無言でラトルを見上げた。
 まっすぐ見つめてくる蒼い瞳。
「アウロス?」
 気遣う声は耳に心地良い。
 アウロスは何かを思い出そうとするかのように双眸を細め、ゆっくりと左手を上げた。
 そっとラトルが負った顔の傷に触れ、回復魔法をかける。
「……アウロス?」
 三度の呼びかけには小さな驚愕と困惑が混じっていた。
 アウロスは瞳を閉じて、溜め息を吐く。
「私は、平気……大丈夫よ」
 遠くで勝利を知らせる鬨の声が聞こえた。
 眼を閉じたまま、アウロスは囁くような小さな声で呟いた。
「勝ったのね……?」
「……あぁ」
 ラトルは体を起こし、戦場の方を見やった。
 中央に見えた皇国軍の旗の代わりに抵抗軍の旗が見えた。
 それを凝視して、旗の細部まで確認してラトルは告げた。
「ユート殿の部隊が本陣を落としたようだ」
「そう――」
 静かに答えて、アウロスは吸い込まれるように意識を失った。