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第三章 〜眠る秘鍵〜


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 ナファーム――始まりの『契約者』の一人が西の地に開いた王国である。否、だったというべきか。
 ダムロード皇帝ギリウムによってナファームを治める王家は完全に断絶された。
 現在では各地の領主によって統治されているが、その大部分がギリウムの支配下に甘んじている。
 特にギリウムの支配が強いのは戦略上及び経済上重要と考えられる地で、その地の領主の下に皇国から監視官が派遣されていた。
 しかし、その他の地についてギリウムは関心を持っていなかった。ただし、歯向かう兆しを少しでも察したら殲滅させるが。
 名も無き神殿があるのはナファームの中心にある王都から見て北西にある地方都市イナルークだった。
 イナルークは三方を山に囲まれているため、陸路は一つしかない。また、山の標高が高く、飛行艇でも上空を通過することはできない。
 しかし、その遥か上空を飛ぶことができる帆船は最短距離でかの地に向かうことができた。
「で、ココからどうする訳?」
 分厚い硝子窓から下の光景を眺めながら、シエネはやや憮然とした様子で尋ねた。
 帆船は確かに高く早く飛ぶ。だが、その大きさが尋常ではない。着陸するのも場所がいる上、何より目立つ。
 下に見えるイナルークの街にはすでに皇国軍が来ていた。幾つかの飛行艇が着陸しており、そして街に人気はなかった。
 息を潜めている街の住人たちに代わり、皇国の兵士たちが闊歩している様子が見て取れた。
 この状況では下降しただけで大騒ぎになる。
「あーあ、先越されちまった……」
 同じく窓を覗いていたガントは溜め息を共に呟いた。
 ラトルは静かにジェリスを見やった。
「ジェリス、準備は?」
 短い問いにジェリスは即答した。
「できています」
 そして、ジェリスは全員の顔を見つめて言った。
「全員、第三船倉に移動して下さい」
 言われるまま移動して彼らが目にしたのは皇国の紋章が印された飛行艇だった。
 見覚えのある機体をアウロスはしみじみと眺めた。
「どーしたの、コレ?」
 シエネの疑問に答えたのはユートだった。
「先日の戦いで皇国軍が輸送していた飛行艇だ」
 その瞬間、ガントは弾けるような笑みを浮かべた。
「ソレをオレらが奪ったんだ?」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。有効に活用させてもらうだけです」
 律儀に訂正するジェリスに軽く笑いかけ、ラトルは穏やかに告げた。
「この飛行艇に乗って地上に降りる。下から上へ高く飛ぶことは制限されているけど、降下するには充分だからね」
「……一つ、疑問なんだけど」
 飛行艇の周囲を歩き、凝視していたシエネは首を巡らせて尋ねた。
「誰かコレを操縦できるの?」
 ジェリスは一瞬にして固まった。
 それを見てシエネは半眼になる。
「……考えてなかったのね……?」
 たらりとジェリスが冷や汗を掻いた瞬間だった。
「私が操縦するわ」
 一斉に全員が発言者を注目した。
「アウロス?」
 シエネに呼びかけられてもアウロスは飛行艇から視線を離さなかった。
「操縦、できるの?」
「えぇ、必要と思われることはすべて覚えさせられたから」
 戦い方も駆け引きも。
 皇国を勝利に導くために必要だと言われるまま覚えた知識。
 将軍になってからは下士官が操縦していたが、それ以前に触ったことは何度かある。
「皇国の機械学にも詳しいのか?」
 ほうと小さく驚いて、ユートは尋ねた。
「戦争で使用するものに関しては一通り知っているわ」
 アウロスの返答に一つ頷いて、ユートはラトルを見て告げた。
「あまり時間はなかろう。早速、行動に移るべきだと思うが」
 ラトルは素直に頷いた。
「そうですね。じゃあ、アウロス、飛行艇の操縦は君に任せていいかな?」
 アウロスはゆっくりと首を巡らして答えた。
「ええ」





 ラトルたちが乗り込んだ飛行艇は帆船の船倉から滑り出ると、問題なく地上に降り立った。
 飛行艇が着陸した場所は山間に広がる森の中の開けた場所だった。ちょうど神殿の裏手に位置する。
 飛行艇の周囲に結界を張り、その機体を隠したラトルたちは無言のうちに神殿に向かった。そして、神殿の裏から側面を回り込み、壁に身を隠しつつ、正面の入口の様子を伺う。
「見張りがいるな」
 入口には槍を構えた皇国の兵士が二人立っていた。
「別の入口を探しますか? あまり最初から騒ぎを起こすのはいただけませんから」
 ラトルとジェリスの会話を耳に挟んで、ユートは言葉を挟んだ。
「だが、入口は正面のみにしか見当たらないようだが」
 ユートの言葉は正しかった。
 名も無き神殿は祈るためだけの場所。
 通常、他の神殿は神官や巫女と呼ばれる者たちが住み、神に仕え、人々に祭儀を行なうことで営まれている。
 だが、名も無き神殿に神官も巫女も存在しない。人々の好意による手入れと王命による定期的な改修工事のみが名も無き神殿を支えていた。また、この改修工事は四つの国に共通する慣例である。
 祈りを捧げる一時のためにある神殿の構造は単純だ。規模は四階の建物程度だが、すべて一階から吹き抜けになっているのだ。
 不意にラトルが呟いた。
「……強行突破するか」
 返答は誰からもなかった。だが、その表情を見れば答えは明らかだった。
 不敵な笑みを浮かべる者、無表情の者、無言で頷く者。
 全員の無言の了承を確認し、ラトルは微笑みを浮かべた。
 アウロスはそれを視界の隅に認めながら、名も無き神殿内を探るように眺めた。
(……結界はないわね)
 いざとなれば転移魔法で脱出できる。
 アウロスは腰に佩いた銀剣の柄を一瞬強く握った。
 銀剣に宿る魔法で魔力を増幅すれば多少無茶かもしれないが全員で脱出することも可能だ。
 少なくとも退路を断たれても全滅することはない。


『忘れてはいけないよ。僕はお前の帰りを待っているのだから』


 戦場に赴くたびに告げられた言葉。
 忘れることのできない言葉。
 アウロスは唇を噛み締め、一度瞳を閉じる。
(きっと、貴方は、まだ――)
 待っている。
 けれど、その時が来るのを待っているのは彼だけではない。
(分かっているから)
 決着を迎えずに死ねるはずがないのだから。
 立ち向かうだけの強さを手に入れて。
 そして。
(私は私の望みを叶える……)
 アウロスは眼を開け、感情を消した冷静な眼差しを神殿に注いだ。次いで、再び視線をラトルたちに戻した。
 揃って頷き合い、全員が一斉に動き出す。
 アウロスたちの行動は機敏だった。
 一同の中で最も敏捷なアウロスとジェリスが最初に見張りの背後を取り、喉を潰す。
「ぐ……!」
 低い呻き声を上げながら倒れる見張りをユートとガントが受け止め、鳩尾に拳を繰り出した。
 その隙にラトルとシエネは周囲に気を配りつつ、入口横の壁に身を潜ませて中の様子を探った。
 人の気配はなく、静かだ。
 気絶させた見張りの兵士は縛り上げ、適当に見つけた布を猿轡代わりにして、アウロスたちは揃って神殿内に入った。
 入口の扉を閉めることも忘れない。
 神殿の中は静寂に満ち、煌々と蝋燭の光が照らしていた。そして、神秘的で侵し難い雰囲気に包まれていた。
「……誰もいない?」
 屋内を見回し、誰もいないことに眉をひそめながらシエネが呟いた。
「いや、違うな」
 不意に届いた否定の言葉に全員の視線が声の主――ユートに向けられた。
 ユートはいつの間にか神殿の壁の前に立っていた。
 ちょうど方角的に西に面している壁だ。そこにはナファーム王国の紋章の彫刻が幾つも均一に並んでおり、その背景には秋の風景を象ったらしいものが刻まれていた。
 その無骨な指でゆっくりと彫刻の紋章を撫でながら、褐色の瞳を細めて呟く。
「どうやら、この奥に何かあるようだ」
 そして、ユートはおもむろに紋章に手を当て押しながら回した。
 その瞬間、紋章は軽く盛り上がり、そして何か引き寄せられるように壁の奥に沈んだ。同時に側にあった柱がずれて、隠し通路が現れる。
「すごーい」
 シエネは感嘆の声を思わず零していた。
「さすがユート様ですね」
 感心した様子でジェリスは何度も頷く。そして、隠し通路の奥を覗いた。
 奥は暗く長い下り階段となっていた。視界の先は完全な闇だ。
「何か明かりが必要でしょうか……」
 見たところ奥に光はない。
「ああ、待って。確か角灯を持ってきたはずだわ」
 手持ちの荷物の中から角灯を探すシエネの横を通り、ガントはジェリスと同じように通路の奥をひょいと覗き込んだ。
「こりゃ、確かに明かりがないとマズいわ」
 そして、ガントは開いた壁に何気なく手をかけた。その瞬間、その手に冷たい滑らかな丸みを帯びた感触に驚く。
「あ?」
 ガントが眉をひそめると同時に、隠し通路の天井に明かりが灯っていく。
「ッ!?」
「何したんですか、ガント!?」
 ジェリスの問いにガントは驚愕の表情を浮かべたまま大きく顔を横に振った。
 慌てる二人の隙間を縫って、アウロスは通路の入口を慎重に覗き込み、その周囲を見回した。
「ジェリス」
 アウロスに呼ばれて、ジェリスは顔を向ける。
「何です?」
「帆船と同じよ」
「……へ?」
 アウロスの言葉に反応したのはガントだった。
「帆船の照明と同じよ。この横に同じような半球があるわ。ガントの手がそれに触れたのね」
「おお、なるほど!」
 ガントは納得した様子で手を打った。
「なるほど、じゃありません! 先に入った皇国兵にバレるじゃありませんか!」
 ジェリスは顔を険しくして叱りつけた。
「……アタシはそうやって騒ぐ方がバレると思うわ」
「!」
 ぽつりと呟いたシエネの言葉にジェリスは言葉を失った。そして、救いを求めるようにラトルを見やる。
 ラトルはジェリスの視線に気づいて微笑みを浮かべた。
「大丈夫、バレたところで問題ない。戻ってきたら戻ってきたで戦うだけだ。限られた空間で戦う以上、人数の差は大したものではないし。ね、アウロス?」
 同意を求められたアウロスは静かに頷いた。
「そうね」
 左右を壁に囲まれ、行動範囲は限られている。しかも、神殿内は誰もおらず、入口は封鎖した。それによって敵の襲撃は正面だけだ。
「じゃ、行くか」
 そして、アウロスたちは階段を下り始めた。
 先頭はガントとユートの二人、その後ろにラトル、シエネ、アウロスが並んで続き、殿はジェリスが引き受けた。
 長い階段は不意に途切れ、その突き当りの角を曲がると一本の直線通路が現れた。
「……」
 アウロスは無言で片膝を着いて床に手を伸ばし、触れて見つめた。
 それに気づいたシエネは訝しげに声をかけた。
「アウロス? どうかしたの?」
 アウロスは顔を上げずにシエネに答えた。
「ここを皇国の兵士が通ったのは確かだわ」
 積もった床の埃の上に幾つもの足跡が残っていた。
 それを説明すると、ラトルは厳しい表情で頷いた。
「先を急ごう」
 アウロスたちは足早に通路を進んだ。
 直線通路はすぐに終わりを迎えた。だが、代わりに再び階段が現れる。
 地下二階も同じような直線通路となっていた。ちょうど地下二階の通路を逆行するようになっている。
 同じことが三回続いた頃、ガントはげんなりした顔で呟いた。
「何なんだよ、全く……。結局、下に続いているだけじゃねぇか」
 ガントの言葉は最なものだった。
 直線通路と階段。その繰り返しで、何があると言う訳でもない。これならば階段だけで充分だ。
「随分、面倒なことをしますよねえ」
 溜め息混じりにジェリスが呟くと、シエネは軽く肩を竦めた。
「そんなこと言ったって歩くしかないでしょ」
 ガントとジェリスは揃って肩を落とし、溜め息を吐いた。
 それを見つめながら、アウロスはかすかに柳眉をひそめた。
 二人が溜め息を吐きたくなるのも無理はない。
 何かあるだろうと警戒していたのに、長時間何もなければ気も抜けるというものだ。その上、同じような光景がずっと続いている。徐々に自分たちが何階にいるか曖昧になっていくのがおぼろげに感じられた。
(な、に?)
 何だろう。
 意識が拡散し、上手く考えが纏まらない。
 ただ、無性に胸が詰まる。
 苦しさではない。痛む訳ではない。むしろ、感じるのは――。
 懐かしさと安心感。
(これは――)
 そして、アウロスは異変を探ろうと意識を凝らした。