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第三章 〜眠る秘鍵〜


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 異変は突然に訪れた。
 いつもなら家族揃って摂るはずの夕食に父の姿がなかったことはその前兆だっただと後になって彼は思った。
「どうして、父上はいないの?」
 そう尋ねると、母は困ったように微笑んで答えた。
「まだ仕事みたいね。きっとお兄様が困らせているのよ」
 そっと溜め息を吐いた母の表情は柔らかかった。
 母の兄――つまり彼の伯父は母を溺愛していたのだという。王女だった母が父の許に降嫁する時も最後まで渋ったという話だった。
 彼が異変を知ったのはその深夜だった。
 寝台で眠っていた彼は館の騒がしさに目を覚ました。
「なに?」
 目元を擦りながら、柔らかな寝台から降りた彼は不意に感じた寒気に身を震わせた。
「……?」
 顔をしかめた瞬間、寝室の扉が開き、蒼白となった母が飛び込んできた。
「ははうえ……?」
「!」
 寝惚けた彼の声に、母は初めて彼がそこに立っていることに気づいたように驚いた。そして、慌てて自分の口元を抑える。
「……母上?」
 いつもと違う母の様子に彼は先ほどよりはっきりと呼んだ。
 母は泣きそうな顔で彼をしっかりと抱き締めた。
「ラトゥム、ラトゥム……」
 その抱擁の強さに彼は眉をひそめ、そして母の肩が震えていることに気づく。
「母上、泣いてるの?」
 何かがあったのだと子ども心に感じて、彼は怯えた。
「何が、あったの?」
 恐る恐る尋ねると、母の震えが止まった。
 そして、母はゆっくりと彼と向き直ると碧色の瞳に激しい光を宿らせて告げた。
「父上が亡くなったの」
「なく……?」
「父上が死んだの。いいえ、殺されたのよ」
 彼に言っているはずの言葉はまるで母が自身に言い聞かせているようだった。事実、そうだったのだろう。
「殺されたって……誰に?」
 問い掛けながら、彼の脳裏に穏やかに笑っている父の姿が浮かんでいた。
(死んだ……? 父上が?)
 母は一度唇を噛み締め、そして一息で告げた。
「お兄様。私の、血を分けた兄――貴方の伯父ギリウム」
 母の手が彼の肩を掴み、食い込みそうなほど力が込められた。
「っ……母上」
 痛みを訴えようとする彼の言葉を制して母は続けた。
「父上だけではないわ。お父様……貴方のお祖父様も一緒に殺したの。他にもたくさんの人が殺された」
 会議の場で突然起こった殺戮。
 本来なら父は出席できる立場ではなかった。それを伯父が引き止め、理由を付けて同行させたのだ。
 そして、殺した。
 その場にいた重臣や父親である国王さえも。
「もうここにはいられないわ。逃げなくてはいけない」
 碧色の瞳が爛々と輝いていた。
 その狂気にも似た光に彼は母が母ではない錯覚を覚えた。
「母上……」
 小さな呼びかけに母は不意に表情を和らげた。
「大丈夫、大丈夫よ。私が貴方を守ってあげるから」
 そして、母と彼は夜の闇に紛れて騒がしい館から逃げ出した。
 だが、すでに追手はかかっていた。
 王女として生まれ、大貴族の妻となった母と無力な子どもでしかなかった彼では逃げ切ることは到底、無理な話だった。
 追い詰められ、寂れた家の庭の片隅に身を隠していた二人は見つかる寸前だった。
 そして、見つかったのだ。
 二人を見つけたのは一人の若い近衛兵だった。
「おい、ニールド。どうかしたか?」
 後方から届いた声に彼と母は唇を噛み締め、絶望に震えた。
 しかし。
「……いや」
 近衛兵は何事もなかったように振り返り、軽く肩を竦めた。
「何もない」
「ふん? だったら、さっさと家の中の捜索を手伝えよ。サボってると隊長に怒鳴られるぞ」
「そりゃ、御免だな。今、行く」
「早く来いよ」
 やがて、他の近衛兵がいなくなると、近衛兵の青年はちらりと二人を見やった。
「さっさと行け。次は庇えないぞ」
 それだけ言うと、あっさりと近衛兵の青年は去っていった。
 逃亡の間、この時ほど絶体絶命な状況は他になかった。
 だが、実家とは絶縁されたという父方の叔父の許へ辿り着くと同時に母は燃え尽きたように息絶えた。
 そして、彼は残された。
 一人の人間の欲望に脅かされる世界に。
 決して逃れられない使命と共に――。

――ラトゥム。
(分かっています、母上)
――どうか。
(分かっています、母上)
――兄を。
(分かっています、母上)


 分カッテイマス、母上。





「大きくなったら僕も父さんのような騎士になるんだ」
 それが幼い頃からの彼の口癖で、そして夢だった。
 逞しい腕。
 大きな背中。
 二本の剣を握る大きな手。
 力強さを感じさせる温もり。
 彼は父のことが大好きだった。
「父さんの名に恥じない騎士になる」
 そう言うと、父は嬉しそうに笑った。
「そうか、それは楽しみだなあ」
 父が笑うと、母も姉も笑みが零れた。
 成長して、彼は王国の士官学校寮に入ることになった。
 騎士になる始まりの道。
 士官学校の入学試験に合格したことを伝えた時、父は一つ頷いただけだった。
(?)
 珍しいこともあると思った。
 嬉しかったこと楽しかったことを伝えると、父はいつも快活に笑って誉めてくれた。
 今度もてっきりそうだと思っていた彼は怪訝そうに父を見つめた。
 初めて見る、父の厳しい顔。
 何故か背筋が震えた。
「騎士になるか」
 今更な質問だった。
 ずっと幼い頃から言っていたのに、何故、確かめるのか。
 それでも彼はまっすぐに父を見つめ、素直に答えた。
「……はい、父さん」
 深海の色をした、すべてを見透かすような眼差し。
 いつの間にか握り締めていた手のひらに汗がじわりと滲んでいた。
「何のために?」
 父の静かな問いが彼の心を貫く。
 まるで死に直面しているかのような感覚。
 足が竦んでいることに気づいて、彼は悔しさを覚えた。
 目の前にいるのは尊敬する父。
 彼が憧れる騎士。
 そして。
 不意に彼の脳裏に閃くものがあった。
 それは恐らく心の底にずっとあったもの。
「何のために騎士となる?」
 再度の問いに、彼は深く息を吸った。そして、父の眼差しをしっかりと受け止め、見返した。
「父さんを越えるために」
 その言葉に父は小さく目を見開き、次いで微笑んだ。
「……そうか」
 その穏やかな微笑みに彼は自分の答えが父にとって満足のいくものだと知った。その瞬間、肩から力を抜ける。
「ならば、手向けにこれをやろう」
 そう言って渡されたのは細身の長剣。わずかに曲線を描くそれが弾く輝きは本物だった。
「父さん?」
 まじまじと父と長剣を見比べて、彼は父の意志を問うた。
「どうした? 受け取れ」
 彼は戸惑いながら父の手から長剣を受け取った。
 細身の剣は見た目より重く、彼は落とさないように腕に力を込める必要があった。
「重いか?」
 父の問いに彼は素直に頷いた。
「確かに今のお前ではその剣でも重いだろう。だが、いつか自在に振るえることができる」
 騎士となった時に。
 彼が父を越える日に。
 彼は父の言葉に心が震えるのを感じた。
「ありがとうございます、父さん」
 畏まった礼の言葉に父は笑った。
「礼を言うのは早い。これに続きがある」
「続き?」
 そして、父はもう一振りの剣を彼に見せた。
「父さん、それは?」
「お前に渡した剣と対のものだ」
 彼は父の手にある剣を観察した。
 確かに鞘と言い、柄と言い、同じ造りだ。だが、その刀身は彼の手にある剣より短い。
「お前が騎士になった時、これもやろう」
 彼は息を呑んで、父の顔を凝視した。そして、無言で剣を鞘から抜いて掲げる。
「はい、父さん」
 二本の剣を自在に扱う、ナファーム王国一の騎士に彼は誓った。
「必ず、僕は騎士になります」
 だが、彼は父からもう一振りの剣を受け取ることはなかった。
 彼が士官学校を卒業して、騎士の叙勲を受ける前に、彼の父はダムロード皇国との戦いに散った。
 残されたのは一振りの剣。
 喪服姿の母から渡された、二本目の剣を握り、彼は静かに泣いた。

――ジェリス。
(はい、父さん)
――騎士になるか。
(はい、父さん)
――何のために?
(……)
――何のために騎士となる?
(皇国を倒すために)

 皇国ヲ倒スタメニ。





 魔道士は家系。
 それが一般的に言われている説だ。だが、時に隔世遺伝か突然魔力を持って生まれる子どもがいる。
 彼女もその一人だった。
 魔道士に成り得る子どもを持った家には国から補助金が出される。魔道の素質を持つ子どもが少なくなっている現在、彼女のような存在は歓迎されていた。
 貧しい家庭で生まれた彼女は生まれた時から魔道士になることが決まっていた。
 だが、彼女にとってそれは喜びになりはすれ、苦しみにはならなかった。
「平気よぉ。だって、アタシ、自分の力を極めていくのって楽しいもん」
 彼女は笑って魔道学院に入った。
 彼女の素質は攻撃魔法より回復魔法が高かった。
 何もない平和な時代なら、それでも充分だったろう。だが、今は違った。
 彼女の祖国カレース公国はダムロード皇国のギリウム皇帝に脅かされていた。
 一人でも多くの戦力が必要とされていた。特に、攻撃魔法の仕える魔道士を国は求めていた。
 さすがの彼女も精神的に苦しくなってきた時、彼女の担当教師は微笑んで言った。
「貴女が自分を卑下することなんてどこにもないわ」
 褐色の肌の人間が多いカレース皇国で珍しい白い肌と艶やかな栗色の長い髪の美しい女性。
「ディセイラ先生……」
「私は貴女の方が素晴らしいと思うわ。だって、誰だって痛いのは嫌でしょう? 苦しいのも、辛いのも、哀しいのも……」
 強い魔力は強い魔道を編み、強い魔法となる。
 その果てに待ち受けるものは傷ついた人々。
 彼女の教師は強い魔力を持っており、戦場に立つことを望まれながらも拒絶し、教える立場に留まり続けていた。
 彼女は静かに教師を見つめた。
 教師の決断を批判する者と賛同する者。
 戦況が危うくなっていくたびに批判の声は多くなっていくだろう。だが、優しい容貌に反して鋼の意思を持つ教師はおのれの道を歩むに違いない。
 それを感じ取り、彼女の心は静かに熱を帯びた。
「今、多くの人が傷つき、苦しんでいるわ」
 強い魔力を持った教師は柔らかく彼女に笑いかけた。
「貴女なら、その力で癒すことができる。とても、大切な力よ」
 彼女は搾り出すようにして声を紡いだ。
「ありがとうございます」
 そして、不意に小さく笑い、彼女は教師を見上げた。
「でも、ディセイラ先生の方がもっと素敵。だって、もうすぐ結婚するのでしょう?」
 そして、幸せな花嫁になる。
 彼女に言われた教師は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。
「誰から聞いたの?」
「学院中で噂になっています。ちなみに、その源はネレイル先生です」
 にっこり笑って彼女が言うと、教師は益々顔を赤くして、視線を逸らした。
「もう……あの人ったら……」
 口の軽い婚約者を咎める声音には羞恥と愛しさが含まれていた。
「先生の花嫁姿、楽しみにしています」
「ありがとう」
 そう言って微笑んだ教師はとても美しかった。
 だが、彼女が教師の花嫁姿を見ることはなかった。
 ある日、突然、彼女の教師は姿を消したのだ。
 学院中が大騒ぎになり、婚約者は昼夜を問わず、行方を捜し、そして、彼もまた姿を消した。
 後になって、彼女は皇国が魔道士狩りを行なっていることを知り、彼女の教師とその婚約者の行く末を察した。
 その瞬間から、彼女は抵抗軍への参加の意志を固めた。

――シエネ。
(先生、私は……)
――貴女が自分を卑下することなんてどこにもないわ。
(でも、先生、私は……)
――私は貴女の方が素晴らしいと思うわ。
(でも、先生の方がもっと素敵)
――とても、大切な力よ。
(本当にそうでしょうか?)

 本当ニソウデショウカ?