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第三章 〜眠る秘鍵〜


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「ラトル様!」
 危急を知らせるジェリスの声と同時にラトルの背後から大きな影が落ちた。
「透けし鎌よ、命紡ぐ糸を断ち切れ!」
 高らかに届いたシエネの言葉が巨大な風の刃を生み出した。
 ラトルを背後から狙っていたそれは風の刃に斬られることはなかったが、その勢いに弾かれ、壁にぶつかる。
 その魔法抵抗力の強さと突然の出現に、ユートはそれの正体を察して叫んだ。
「使い魔か!」
 新たに現れた使い魔は豹に似た漆黒の双頭の獣だった。大の男くらいの大きさは先に現れた使い魔より小さいが、その分だけ俊敏だ。
 使い魔は衝撃を振り払うように頭を振り、深紅の瞳をシエネたちに向けた。そして、唸り声を上げ、牙を向いて襲いかかる。
 体を起こし、敵が増えたことを知ったアウロスは自分の取るべき行動を一瞬迷った。
 ラトルに協力して男から精石を奪うか、シエネたちを援護するか。
 素早く両者を見比べると、アウロスは唇を噛み締め、俊敏な動作で剣を掲げた。
「天の鉄槌よ、瞬きと共に来たれ!」
 激しい轟音。
「ッ!」
 魔法によって導かれた稲妻が使い魔を直撃した。
 爆風に銀の髪を煽られながら、アウロスは唇を噛み締めた。
 最優先なのは精石の奪取。
 ラトルと男の戦闘能力はほぼ互角。
 結果だけを求めるのなら、アウロスはラトルの戦いに加わるべきだった。それによってシエネたちを見捨てることになったとしても、彼女たちは恨むことはなかっただろう。
 それだけの覚悟を持って、戦いに挑んでいるのだ。
 最終的な勝利を求めるなら、それが正しい選択だった。
 だが、アウロスはシエネたちに加勢することを選んだ。
(させない……!)
 脳裏に浮かんだ使い魔の主にアウロスは叫んだ。
 何を望んでいるか知っている。だからこそ、阻む。
(――信じていいわよね?)
 声に出さず、視線を向けることさえもせず、アウロスはラトルに問うた。
 敗れることはないと。
 精石を守れると。
 アウロスはラトルたちほど世界を守りたいと思っていなかった。
 守りたいと願うほど世界を知らないから。
 世界に寄せる想いがないから。
(けれど)
 稲妻の名残が床を走り、火花を散らして消えていくのを翡翠の瞳でアウロスは凝視した。
 狭い『世界』でずっと生きていた。
 それはとても残酷な幸せだった。
 それはとても甘い悲劇だった。
 不意に、おのれの無知を気づかず、その時間の意味を知らずに甘受していた記憶がアウロスの脳裏に過ぎった。
(私は変化を望んで、本当に必要な強さを知ったから)
 奪うのではなく、守りたいと。
 諦めるのではなく、望み続けたいと。
 心に残る約束を枷にするのではなく、絆にしたいと。
(して、いいのよね?)
 たとえ、裏切りとされ、詰られても、絶対に譲ることのできないものがあった。
(それがどんなに痛みを伴おうとも)
 ラトルたちがおのれの未来を賭けて戦場に立つように、アウロスは覚悟を決め、眼差しに力を込めた。
(私は私の望みを叶える……!!)
 使い魔はアウロスの魔法が呼んだ稲妻の衝撃に動きを鈍らせ、その隙を突いて、ユートが槍の穂先で足を貫く。
 短い悲鳴を上げ、使い魔は憤怒の光を深紅の瞳に宿らせてアウロスたちを睨みつけた。
「アウロス、いいのか!?」
 ガントはアウロスの加勢を知り、叫んで問いかけた。
 アウロスは銀剣を構え直し、即座に動けるように注意を払いながら低く答えた。
「先にこちらを片付ける」
「そりゃイイ考えだわ」
「弱点は分かっていますから、さっさっと倒してラトル様の加勢に行きましょう」
 使い魔の攻撃を避けたシエネとジェリスが言葉を挟む。
「問題はその弱点の場所だな」
 冷静な突っ込みを入れたのは使い魔から間合いを取って一歩退いたユートだった。
 弱点である核の場所は使い魔によって違う。
 アウロスは銀剣を水平に構え、空いていた手のひらを剣の平に当てた。
「私が探すわ。少しだけ時間を稼いで」
 そして、アウロスは返答を待たずに双眸を閉じて意識を集中させた。
 感じ取れる、魔力は三つ。
 ラトルとシエネ、そして使い魔。
(ラトルの魔力はほとんど尽きかけている)
 急がなくてはならない。
 焦りを覚えつつ、アウロスはラトルから意識を引き剥がした。
 シエネの魔力が膨れ上がり、そして縮小するのが分かった。
 魔法を使ったのだろう。
 そして、一切の変化のない魔力の塊。
(使い魔……)
 使い魔の全身に蜘蛛の巣のように張り巡らせられている魔力の糸。
 それは使い魔の血管。
 核は使い魔の心臓なのだ。
(そう聴くのよ――)
 その鼓動を。
 アウロスの銀剣が滲み出すように蒼く輝き出す。
 光はゆっくりと零れ落ち、アウロスの足元の床に触れた。
 その瞬間だった。
 アウロスは翡翠の瞳を見開き、毅然とした声で叫んだ。
「左の頭、右耳の付け根!」
 言い放ち、アウロスは銀剣を構え直し、使い魔に斬りかかった。
 アウロスに気づいた使い魔が前足を振り上げ、荒々しく払おうとする。
「!」
 咄嗟に屈み込み、アウロスは頭上を鋭い爪が擦り抜けるのを感じた。
 ガントが雄叫びを上げた。
 使い魔の右の頭がガントの方へ向く。そして、牙を剥き出し、吠えた。開いた口から鋭く細い無数の氷柱が吐き出される。
「く!」
 大剣で氷柱を弾き飛ばして、ガントは大きく跳躍した。
 刃が使い魔に届こうとする直前、横から巨大な鞭のような尾に弾かれる。
 退けられたガントを踏み台にして、代わりにジェリスが使い魔の頭に飛び乗った。
 床に転がったガントの手から大剣が離れて床の上を滑る音が響き渡る。
 ジェリスは自分を振り落とそうと暴れる使い魔の体に右の剣を突き立てた。そして、その体勢を保ったまま左頭にある核を狙おうとした。
 だが、片割れの頭が牙を向き、氷柱による攻撃を仕掛けてくるので、ジェリスはしがみつくのが精一杯だった。
 不意に使い魔の動きが鈍る。
「!?」
 ジェリスが下方を見やれば、ガントが太い腕を回して右頭の首を押さえつけ、ユートが槍の穂先を口の中に突き立てていた。
「尾を喰らう蛇よ」」
 アウロスが紡ぎ出す韻律に導かれ、使い魔の周囲に螺旋の描く小さな風の輪が無数に生じる。
「逆立つ鱗の印を刻め!!」
 魔法の完成と同時に使い魔の四肢を風の輪が襲いかかった。
「!」
 使い魔の動きが一瞬だけ完全に止まる。
 その隙をジェリスは逃さなかった。
 核を破壊した硬い響きが届き、アウロスはかすかに表情を緩め、そして、双眸を閉じて次の呪文の詠唱に入る。
 使い魔の輪郭が曖昧になり、色が落ち、壁に描かれた絵を殺ぎ落とすように消える。
 そして、小さく響く、儚い硬質音。
「うわっ!」
「うげ!!」
 使い魔の上に乗っていたジェリスは着地の体勢を取れず、ガントの上に落ちた。
 その二人の足元には亀裂の入った菱形の黒曜石が転がっていた。
 ユートはそれに気づき、拾い上げた。
「これが媒介か……」
 その瞬間、黒曜石は脆くも砕け散る。
「痛ぇ……ジェリス、どいてくれ」
「ちょっ……乱暴しないで下さい!」
「バカ、まだ終わってないのよ!」
 二人に対するシエネの罵倒を耳にしながら、アウロスは魔法の完成を急いだ。
 刃と刃が交わる、高い金属音が何度も鳴る。
 ラトルの連撃を男は器用に短剣で受け止め、時には曲芸紛いの動きで躱していた。
 アウロスの魔法で炭化した左手はすでに手として機能していないにも関わらず、伸縮は利くようで精石の首飾りをしっかりと掴んでいた。
 ラトルは腕ごと切断しかねない勢いで剣を振り下ろす。
 男の腕が大きく弛み、刃を躱す。しかし、それを狙っていたラトルは身を反転させ、首筋を狙って回し蹴りを放った。
「!?」
 思いがけない攻撃に、男はまともに受けて、体勢を崩す。意識を失わなかったのはキメラゆえの耐性だったのだろう。
 アウロスの魔法が完成したのはその瞬間だった。
「凝れる火焔よ、滅びの一矢となれ!!」
 絶妙の連携で、ラトルが身を退く。
「!」
 正面に迫った炎の塊に、男は一瞬硬直した。左腕が受けた痛みを無意識下に覚えていたのか、男の回避反応がわずかに遅れ、体勢を少し崩しつつ、アウロスの魔法を躱す。
 しかし、その時点で男の横に回り込んでいたラトルが鋭い剣戟を繰り出し、男の左腕を切り落とした。
「――――ッ!!」
 激しい叫びを上げて、男が床の上を転がる。
 同時に、切断された腕から精石の首飾りが零れ落ちた。
 ラトルは床の上に落ちた精石の首飾りを見て、わずかに表情を緩めた。
 シエネたちもそれに気づいて精石の首飾りに視線に向け、思わず安堵の息を洩らした。
 不意に、小さな靴音がラトルの耳に届いた。
 その瞬間、ラトルは何かを感じて振り向いた。
 床に蹲り、失った腕の部分を抱え込んでいる男の間近にアウロスが立っていた。
 その手には鋭く煌く銀の剣。
 静謐を湛えた翡翠の瞳で、痛みに呻く男を見下ろし、アウロスは無言のまま腕を振り上げた。
「!!」
 高く、響き渡る金属音。
 アウロスは自らが振り下ろした刃が受け止められたことに驚き、翡翠の瞳をわずかに瞠った。
「……どうして?」
 小さな問いに対して問いが返ってくる。
「何故だ?」
 まっすぐに見返してくる蒼い瞳に、戸惑いの表情を浮かべた自分が映っているのを見て、アウロスはかすかに銀剣を引いた。
「何故、止めを刺そうとする? もう決着はついている」
 アウロスの銀剣を受け止めたまま、ラトルは問いを重ねた。
 その追及に、アウロスは翡翠の双眸を細め、一瞬表情を歪める。だが、形の良い唇から零れた声音は冷ややかだった。
「――終わりにするのよ」
 アウロスは淡々と続けた。
「キメラと化した生き物は、それまでの生き物じゃない。別の生き物になったというだけ」
 そして、アウロスは感情の窺えない眼差しを床に蹲る男に注いだ。
「彼の心は死んでいる。キメラとなる前の彼は死んでしまったのよ」
 生きた兵器――それがキメラ。
 歪められた生命。
「二度と元通りにはならない。だから、終わらせるのよ」
(私が)
 アウロスは唇を噛み締めた。
(私にはその責任がある)
「それで?」
 低い声に、アウロスは我に返った。
「そうやって何も感じてないように殺して、後で泣くんだ?」
 思いがけない言葉にアウロスは言葉を失った。
 その様子を冷静に見つめ、ラトルは口端に笑みを浮かべる。
「俺が気づいていないと思っていた?」
「違う……」
 アウロスは掠れた声で否定した。
 キメラを殺すことに罪悪感を覚えたとしても涙を流すことを自分に許したことはない。
「違う、私は!」
 不意に脳裏に過ぎった微笑みに、アウロスは言葉を呑み込んだ。
 暖かな日差しの下に立つ、一人の青年。
 アウロスは強く剣の柄を握り締めると、ゆっくりと引き下がった。そして、ラトルから視線を逸らす。
「……もう、いいわ」
 曖昧な態度で引き下がったアウロスに、ラトルが訝しげな視線を注いだ。
 ラトルとアウロスの遣り取りを見ていたシエネたちも訝しげな顔をしている。
 アウロスは無言の追及を逃れるように顔を背けた。
 その視線が床に落ちたままの精石の首飾りに止まる。
「?」
 精石の首飾りが小刻みに震えていた。
(何……?)
 次の瞬間、精石の首飾りが音もなく浮かび上がった。
「!!」
 精石の首飾りが突如現れた深緑の長衣を纏った男の手に渡る。
「お前」
 アウロスの声は男の低い声に掻き消された。
「星の欠片よ、怒りを纏いて粛清せよ!!」
 深緑の衣が大きくはためき、空いていた手が振り下ろされる。
(サリク!!)
 膨れ上がる、暴力的な魔力。
 咄嗟のことに対応できず、アウロスは立ち竦むしかない。
 視界に広がり、迫ってくる魔法の隕石。
(ダメ、間に合わない!)
 突然、痛みを覚えるほどの強さで肩を引き寄せられる。
「!」
 アウロスは翡翠の瞳を大きく見開き、息を呑んだ。
 頬を掠める、純金の糸。
 その正体を理解した瞬間、体が強く突き飛ばされた。
 耳が痛くなるほど激しい爆音と部屋中を逆巻く爆風。
 炎を纏った隕石が炸裂し、細かな礫と化して爆心地から飛び散った。
 大きく煽られる深緑の長衣。
 そして、皇国の魔道士は幻のように消え去る。
「ラトルッ!?」
「アウロス!!」
 ジェリスたちは爆風から自分を庇いながら、必死に叫んだ。
 やがて、部屋中に充満していた爆風が収まり、視界が蘇った。
 それを待ち望んでいたジェリスたちは自分たちの眼に映った光景が信じらなかった。
「まさか……」
「そんな、バカな……」
「信じられねえ」
「……どうして?」
 茫然とした驚愕の声に、アウロスは意識を取り戻し、倒れた時にぶつけた頭を振りつつ、体を起こそうとした。
 そして、アウロスもまた茫然となる。
 視線の先には床に投げ出された体。
 爆発に汚れた床の上に広がっていく、赤い血。
「あ……」