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第四章 〜螺旋の疵〜


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 監獄島。
 かつては凶悪な囚人たちが幽閉されていた島。
 東の国ダムロードの領海に浮かぶ孤島は円の結界の境界近くに存在した。
 島全体を切り立った岸壁が囲んでおり、海上からの上陸はできない。島の東半分には飛行艇ですら越えることのできない険しい山が聳え立つ。その向こうは円の結界、そして虚無。
 飛行艇のみが島に上陸する唯一の手段だった。
 魔道技術研究所は山裾に広がるようにして建っていた。
 監獄島に入れば最期、無事に脱出できることはない。
 その監獄島にラトルたちは上陸を果たしていた。
「信じられないわ……。まさか、監獄島の地形がこんな風だったなんて――」
 驚愕を宿した声音でシエネは呟いた。その琥珀の瞳に映るのは自分たちが乗ってきた帆船とその向こうに広がる虚無だった。
「知らなくて当然だわ。普通、どうやってもここに来ることなんてできないもの」
「僕としてはそれをどうしてアウロスが知っているのか疑問です……」
 憮然とした様子のジェリスの言葉に、アウロスは軽く肩を竦めた。
「ただの偶然よ」
「まあまあ、いいじゃねえの。とにかく、上陸できたんだしさ〜」
 ガントの何も考えていなさそうな笑顔での発言に、ジェリスは溜め息を吐いた。
「実に前向きな思考だ」
 ユートは感心した様子で頷く。
「ガントは昔からそうだよな」
 ラトルまで穏やかに笑うのを見て、ジェリスは水色の瞳を険しくさせた。
「ラトル様! まるで誉めるような発言は控えて下さい! ガントのコレはただ脳天気なだけですッ!! な〜んにも考えてないだけなんですから!」
 ジェリスの言葉にガントは大きく肩を落として呟く。
「……いや、そこまで力説されるとさすがのオレも傷つくんだが……」
「脳天気なのはアンタもよ」
「どういう意味ですか、シエネさん!」
「そーゆー意味」
 半眼で見据えられ、ジェリスは我に返って沈黙する。
 その光景に、アウロスは小さく苦笑した。そして、周囲を見回す。
 アウロスたちが立っているのは監獄島唯一の入り江だった。
 険しい山を越えることができた帆船から見下ろした監獄島は奇妙な地形をしていた。丁度、張り詰めた弓のような形で、その両端が円の結界に達していた。かつての世界では回り込み、入り江に入ることができたのだろうが、円の結界と虚無によって封鎖された状態になっていたのである。
 海上から回り込むことも、山を越えて上空から入り込むこともできなかったため、監獄島の本当の地形を誰も知らなかったのだ。
 アウロスたちは飛行艇より上空を飛ぶ帆船で夜の闇に乗じて山を越え、入り江に上陸することができたのだった。
「で、問題は、ここからどうやって研究所に行くかだが――」
 真面目な顔で呟いたユートに頷いて、ラトルは周囲を観察する。
「私の勘ではあの辺りが怪しいかな?」
 入り江の隅に見つけた洞窟を示し、ラトルはアウロスを見やって笑いかけた。
「正解?」
 アウロスは小さく頷くことで答えを示した。
「あの洞窟の奥から研究所内部に入れるはずよ。誰も気づいていなければね」
 そして、一言言い添えてアウロスは歩き出す。その後をラトルたちはごく自然に従った。
 洞窟に着くと、ラトルたちは角灯を点けた。
 本来なら荷物は少ない方が良いのだが、アウロスに『灯火』の魔法を止められたためだった。
「大丈夫だとは思うけど、研究所にはサリクや高位の魔道士がいる可能性もあるから必要なるまで使わない方がいいと思うわ」
 優れた魔道士は魔道の気配に敏感だ。
「なあ、オレ、前から思っていたんだけど魔力と魔道って違うのか?」
 ガントの素朴な疑問に答えたのはシエネだった。
「ん〜、どう言ったらいいのかしらねぇ。そうね、魔力は鉄の塊で、魔道は磨かれた剣って言えばいいのかしら」
 魔力は魔道の基本。なくてはならない最初の条件。
 魔道は魔法を含めた魔力を用いて行なう技術の総称だ。
「優秀な魔道士は魔道が使われると、それを察することができるわ。魔力はわざわざ意識を集中して捉えようとしないと分からない。だから、私たちがここで大人しくしている分にはバレることはないと考えてもいいわ」
「更に言うと、魔力には個性がある。だから、魔力で誰がどの魔法を使ったのか判別もしようと思えばできるんだよ」
 ラトルが補足すると、ジェリスが納得したように大きく頷いた。
「なるほど。それでは使い魔の感知もそれの応用ですか」
 ジェリスの指摘に先導していたアウロスの肩が小さく震えた。
「そうことだね」
 ラトルは懐から金色のメダルを取り出してみる。
「魔力は血に宿るものだから、その血が付着したメダルは魔力を帯びている。同じ魔力に共鳴して反応するということだ」
「ってことは遺物も魔道の一つ?」
 ガントの問いに、ユートが肯定した。
「遺物もまた魔力が宿った物だからな」
 そうしているうちに、洞窟は終わりを迎えた。
「行き止まり?」
 戸惑いの表情を浮かべ、シエネはアウロスを短く尋ねた。
「いいえ」
 アウロスは一言で否定して、静かに前に進み出る。そして、ゆっくりと行く手を塞ぐ岩壁を見上げた。
「……」
 しばし、無言で見つめていたアウロスは不意に双眸を閉じ、唇を開いた。
 突然、洞窟に響き渡った不思議な旋律に、ラトルたちは息を呑む。
 静かな、静かな囁くような呪文。否、それは歌だった。
「何だ、コレ……?」
「どこかで聞いたことのあるような――」
 眉をひそめ、ガントとジェリスは考え込む。
 細い声が紡ぐ言葉は古き音韻。
 柔らかな抑揚は耳に馴染む音階。
「これは」
 最初に気づいたのはラトルだった。
「子守り歌……?」
 優しい、優しい調べ。
 愛しい子どもの安らかな眠りを守る祈り。
 誰もが知る、毎夜どこかで口ずさまれている歌。
 アウロスは静かに歌っていた。
 魔法を紡ぎ出す古き言葉で、無償の愛を伝える歌を。


『悪い夢を見ない魔法の呪文だよ』


 閉じた瞳が熱く潤む。
 まどろみつつある時、いつも唱えてくれていた優しい魔法だった。
 脳裏に浮かんだ穏やかな微笑みに、アウロスは胸の痛みを覚えた。


『だから、何も心配せずにお休み』


 そして、歌は余韻を残して終わりを告げる。
 その瞬間だった。
 何の変哲もない岩壁の中心に光の一線が浮かび上がり、そこから静かに開いていく。
「!!」
 ラトルたちは驚愕し、言葉もなく、その光景を凝視した。
 わずかに舞う埃の中、アウロスは静かに翡翠の双眸を開く。そして、無言のまま、岩壁の扉を通り抜けた。
「アウロス!」
 慌てて我に返り、ラトルたちはアウロスの後を追った。
 岩壁の扉の向こうには広い空間が広がっていた。周囲を囲んでいるのは岩壁だが、床は整地されており、明らかに人の手が加わっている。
「何ですか、ここは……」
 思わず、ジェリスは呟いていた。
 床や岩壁には黒ずんだ染みが至るところに存在していた。染みだけではない。何かが爆発したような亀裂や、切り傷まである。
「戦闘の痕跡か……?」
「嫌だ、この染みって血?」
「何か腐臭もするぞ」
 ラトルは仲間たちの言葉に厳しい顔つきで辺りを見回した。
 動揺するラトルたちを見て、アウロスは無意識のうちに渇いた笑みを浮かべていた。
「牢獄、実験場……どれが正しいかしらね……?」
 感情が抜け落ちた虚ろな呟きはラトルたちに衝撃を与えた。
「アウロス……?」
 ラトルの呼びかけに応えず、アウロスは薄い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと周囲を見回した。
 明かりの入る隙間のない空間。
 角灯の炎の揺らめきがアウロスの視界に冷たい幻を浮かび上がらせる。
 壁に背を向け、片膝を着いている幼い少女。
 血と泥に塗れた体、空虚な瞳。
 足元に転がっているのは肉塊と化した無数のキメラ。
 昼なのか夜なのか判別できない空間で、何度も実験が繰り返された。
 皇帝の望む兵器の戦闘能力の高さを、その有益さを知るために。
 日溜まりの時間と入れ代わるように訪れる闇の時間。
 知らずに覚えていた子守り歌を口にしていたのは何故だったのか。
(怖かった?)
 否、そんなことはない。
 闇もキメラも自分を傷つけられる存在ではないと知っていた。
 子守り歌が開いた外界への道。
 けれど、その果てで見たのは世界の終わりだった。
(逃げたかった?)
 否、逃げることなんて考えもしなかった。
(私は、ただ――)
 そして、何気なく視線を移動したアウロスはある場所に釘づけになった。
 壁際で左右に散った奇妙な形の染み。
「……ぁ」
 アウロスは無意識のうちに銀剣の柄を強く握り締めていた。


『何故、戦わない? お前にはその力があるだろう?』


 脳裏で嗤う男に、アウロスは唇を噛み締めた。


『何を躊躇う必要がある? お前の存在意義をもう一度教えてやろうか?』


 それはいつもとは違う『実験』だった。
 敵として現れたのはキメラではなく、犯罪者という烙印を押された人間たちだった。
――そこの娘を殺してみろ。そうしたら、ここから解放してやってもいいぞ。
 不遜な声に従わない者はいなかった。
 与えられる武器を手に取り、彼らは彼女に襲いかかった。
 それまで戦ってきたキメラたちの方がよほど俊敏で、強かったにも関わらず、彼女はいつまで経っても反撃することができなかった。

 ドウシテ?

 凶刃を躱しながら、彼女は何度もおのれに問いかけた。

 ホラ、今ナラ急所ガ見エテル。

 紙一重の回避に、刃が掠めた銀髪がはらりと散る。

――何故、戦わない? お前にはその力があるだろう?

 アル。

 一言、音にすれば、カタチになる武器。
 彼女の内には確かにそれは存在し、すぐにでも仕える状態だった。
 脳裏で、もう一人の自分が冷ややかに囁く。

(早く勝負を着けないと不利になるだけ。体力的にはこちらが劣っているのだから)

 分カッテル。

(相手は戦っている私が何者か知らない)

 戦うために生まれた。
 この手は奪うためだけにある。
 それは事実だ。

(殺して何が悪い? 相手は私を殺そうとしているのに)

 デモ。

 何かが引き止める。
 喉から出そうになる言葉を飲み込み、彼女はひたすら意識を内に集中した。

(今まで殺してきたキメラと目の前の人間と何が違う?)

 違ワナイ。

 突き刺さるような殺意。
 明確な敵意に何を疑問に思う必要があるのか。

 デモ。

――何を躊躇う必要がある? お前の存在意義をもう一度教えてやろうか?

 遠くから聞こえる声はどこまで傲慢だった。
 その声に押し出されるように、言葉が零れた。
『凝れる火焔よ、滅びの一矢と』
 呪文は最後の一言で唐突に途切れた。
『!?』
 驚愕のあまり、彼女は硬直した。
 たった一言。
 何も難しくはない一言が、出なかった。
 そして、不意に動きを止めた彼女を敵は見逃さなかった。
(避けられない!)
 翡翠の瞳を見開き、身動きできないまま、迫ってくる白刃を茫然と見つめる。
 刃が空を斬る音と重なって何かが聞こえた。
 その瞬間、彼女の視界が塞がれる。
『ッ!?』
 同時に暖かな温もりが身を包む。
 そして、生温かい真紅の雫が彼女の白い肌を掠めて汚した。
『……?』
 激しく打つ鼓動。
(私の……? 違う、これは――)
 頬を掠めて落ちる、淡い金の髪。
 間近にある顔には普段浮かべている穏やかな微笑はなかった。
 腕に滴り落ちてくる血に、彼女は息を呑んだ。
『ぁ……』
『大丈夫かい……?』
 少し掠れた少年の囁きに、青ざめつつある顔で浮かべた微笑みに、彼女は翡翠の瞳を大きく見開いた。
 そして、再び迫る凶刃。
 彼女を庇う少年ごと斬り捨てようとする現実を直視した瞬間。
『――――ッ!!』
 彼女は完成しかけていた攻撃魔法を暴走させた。
 圧倒的な力の奔流。
 彼女と少年以外のすべての者が炎に呑まれ、形のない刃に切り裂かれ、ついには破裂する。

 止メラレナイ。

 堰き止められていた激流が溢れるように、彼女の感情も理性もすべてを飲み込んで押し流していく魔力。
『ッ……!』
 どうすることもできない彼女は不意に強く抱き締められ、我に返った。
『僕は大丈夫だから』
 優しい声は続いて癒しの言葉を紡ぎ出す。
 回復魔法だと思った瞬間、少年は少し離れて彼女と視線を合わした。
『ほら、もう平気だよ。だから、もういいんだ』

 デモ。

(受けた痛みは変わらないのに……!)

 感情と理性が一致し、彼女は無言で少年にしがみついた。
 同時に、魔力の暴走が収まり、荒れ狂う炎の嵐が掻き消える。
『心配してくれるんだね。ありがとう……』
 少年の言葉に、彼女はかぶりを振るしかなかった。
『どういうつもりだ?』
 唐突に届いた冷酷な声に、彼女は肩を一瞬震わした。
 少年は彼女を腕に抱いたまま、ゆっくりと振り返った。
『見ての通りです。父上こそ、この子を殺す気ですか?』
 穏やかな声音に宿る批判的な響きに、彼女は驚いて少年を見上げた。
『殺す? まさか、そんな気はない』
 嗤いを含んだ答えだった。
『今の一撃は受けても致命傷にはならない』
『重傷には違いないでしょう』
 やがて姿を現した男は喉を鳴らして笑った。
『痛みを知れば、おのれの存在意義を、身を以って知ろうというものだ』
『父上!』
 男は軽く肩を竦めた。
『まあ、良い。これで、我が道具として充分使えると証明されたことだしな』
 その言葉に、少年は言葉を失った。
 少年の動揺を感じ取り、彼女は肩を掴む手に自らの手を重ねた。
 それに気づいた少年はぎこちなく微笑みを浮かべた。
『大丈夫……』


『――大丈夫だよ』


「アウロス?」
 二度目の呼びかけにアウロスは我に返った。そして、かすかな自嘲の笑みを浮かべる。
「ここは私が初めて人を殺した場所よ。私はここで戦うことを教え込まれたの」
 驚愕にラトルたちは息を呑んだ。
 しかし、アウロスは淡々と続けた。
「私が戦場に立つようになってから、この場所がある棟は閉鎖されたと聞いているけど、現在の研究所にも繋がっているはずだわ――」
 何事もないように動き出すアウロスを見て、ラトルは一瞬眉をひそめた。
「アウロス」
「何?」
 呼ばれたアウロスは怪訝そうに問い返した。
「……いや、何でもない。行こうか?」
 静かに笑いかけるラトルに、アウロスは翡翠の瞳を心持ち伏せて頷いた。





第三章