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第四章 〜螺旋の疵〜


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 扉の向こうの廊下に出たラトルたちはアウロスの言葉が事実だったと実感した。
 廊下は人気がなく、埃が積もっていた。
 見捨てられた閉鎖空間は人の立ち入りがなかった名も無き神殿の地下と同じはずなのに、空気が違う。
 人が厭う、陰鬱な狂気と絶望の空気。
「この先に扉があるわ」
 廊下の雰囲気にも呑まれず、アウロスは先導して歩き始める。
 アウロスにとって周囲の陰鬱の空気は馴染みのあるものでしかなかった。
 アウロスは静かな廊下に響く靴音を聞きながら不思議な感慨に捕われていた。
(私――懐かしいと感じている?)
 この冷ややかさを。
 神経が研ぎ澄まされ、感情が凍り、ただ、どのように戦い、目的を果たすべきか思考が鋭敏になっていく。
 棟の終わりを示す扉は固く閉ざされていた。
「随分と重いな……」
 扉の頑丈さを確かめながら、ユートはかすかに眉をひそめて呟いた。
「鍵か何か持っているのか?」
 尋ねられたアウロスは憂いげにかぶりを振った。
「ねえ! 思い切って魔法で壊してみる?」
 にっこりと笑って提案するシエネに、全員は絶句した。
「シエネ……それをしたら即バレてしまうよ」
 ラトルは渇いた笑みを浮かべて、その提案を退けた。
「冗談に決まってるでしょ。ちゃんと分かってるわよ〜」
 ホホホ……と艶やかに笑って手を振るシエネを見て、ガントが額に汗を浮かべながらぽつりと呟いた。
「いや、姐さんなら知っててもやりそうだし……」
 それは全員の気持ちを代弁していた。
 不意にジェリスは真顔になる。
(こんなことじゃいけない! 僕がしっかりしないとッ!!)
 強く拳を握り、ジェリスはラトルに申し出た。
「ラトル様、ここは僕に任せて下さい」
 そして、ジェリスはおもむろに扉に近づき、施錠部分を観察した。
「なるほど」
 一つ頷いたジェリスは真剣な顔で懐からきらりと煌く針金を取り出した。それを鍵穴に差し込んで、何やら斯き回すように手を動かした。
 その光景をアウロスたちは訝しげに見守った。
 不意に、ジェリスは笑顔で振り返った。
「開きました!」
 その爽やかさと裏腹に彼の仲間は奇妙な表情を浮かべていた。
「どうか、しましたか?」
 不思議そうにジェリスに問いかけられ、ラトルは我に返った。
「いや、助かったよ、ありがとう……」
 その言葉と同時に浮かんだ微笑みがいつもと違い、かすかに困惑が滲んでいることを、ジェリスを除いた全員が気づいていた。
「――人は見かけによらない特技を持っているものなのね」
 シエネがぽつりと零した小さな呟きを聞き咎め、アウロスは心の中で頷いた。
「……とにかく、進むか」
 ユートの言葉に気を取り直し、一行は奥に進んだ。
 扉の外は中庭になっており、白い石が敷き詰められた三叉路だった。
 道の一つはたった今アウロスたちがいた棟に繋がっている。
「左が遺物研究の専門棟、右がキメラ研究の専門棟に辿り着く道よ」
 そう説明したアウロスは視線を右に向けているラトルに尋ねた。
「先にどっちへ行く気?」
 問われた瞬間、ラトルは言葉を失った。
 アウロスは翡翠の瞳で観察するようにラトルを見つめた。
「……それはどういう意味だ?」
 ラトルは蒼い双眸で見つめ返した。
「貴方の目的の優先順位を聞いているのよ」
 キメラか遺物か。
 これ以上キメラを創らさないためにはキメラ研究棟を破壊する必要がある。だが、遺物を――名も無き神殿から奪われた精石を優先させると、それを成し遂げることが難しい。
 その瞬間、ラトルの脳裏にキメラと化されても、尚、人間の心を持ち続けた男の顔が過ぎった。


『島へ行け』


 死の瞬間、何を思って男はそう告げたのか。
 ラトルは乱れる感情を纏めるように息を吐き出すと、微笑みを浮かべた。
「左へ」
「それでいいのね?」
 何度も確かめるアウロスにラトルは苦笑した。
「そのために来たんだろう?」
「――そうね」
 そして、アウロスは前を向き、歩き出した。


 人気の少ない中庭の中で一人の少女が蹲っている。


 視界にちらつく幻像にアウロスは声を殺した。
 幼い頃の記憶が導く胸の痛み。
 思い出すのも厭わしい過去が大半だからこそ、綺麗な、ささやかな一時が輝かしく、哀しく愛しい。
 二度と戻ることができない。
 望むことすらできない。


 少女の肩に青年の手が触れ、少女は弾かれたように抱きつく。


 幻像の中の少女に向かって叫びたくなる思いをアウロスは銀剣の柄を強く握ることで抑えた。
(私は過去の私を恨んでいる?)
 手の中にある剣を鞘から抜き放ち、斬り捨ててしまいたい。
(それとも妬ましい?)
 何も知らなかった昔のままで彼の許に、その側にいたい。
 次の瞬間、アウロスは自分を嘲笑った。
 できる訳がない。
 過去の自分がいたからこそ、今の自分がある。
 無知であった自分を罵ったことがある。
 そのすべてが後悔に満ちていたとしても――。
 そして、アウロスは少女と青年の幻像に命じた。
(消えろ)
 翡翠の瞳に力が宿る。
(私は立ち止まらない。私の望みを、もう一度……会うまでは!)
 その瞬間、幻像の二人は水面に映った虚像が揺れるように輪郭を曖昧にし、掻き消えた。
 アウロスは迷いのない足取りで棟の中を進んでいった。
 その後をラトルたちは足音を殺して追った。
「兵士の姿がありませんね……」
 ジェリスの呟きにラトルは頷いた。
「そうだな。先ほどから見かけるのは研究者のようだし……」
 二人の会話を耳にし、アウロスは淡々と説明した。
「逃げ場所はないし、兵がいなくてもキメラがいるもの」
 元々、侵入者に対する警備は申し訳程度だ。代わりに、内部からの騒動を警戒し、一室一室が頑丈な作りになっており、制御されたキメラが配備されている。
「キメラの配置は避けているし、このまま行けば遺物調査室に無事入れるわ」
「遺物調査室?」
 ラトルたちの中で一番遺物に関して知識があるユートが興味深げに尋ねてくる。
「遺物が魔力を秘めているのは知っているでしょう? その魔力の強さ、属性、効果を調べるための所よ」
 やがてアウロスたちは目的の場所に辿り着いた。そして、気配を殺し、無言のまま扉の横に立って、室内の様子を探った。
 特に変わった様子はない。
「……」
 アウロスはかすかに柳眉をひそめ、ラトルを見た。
 その視線を感じ、ラトルは一つ頷く。そのまま、視線を他の仲間にやり、眼差しで踏み込む合図をした。
 扉は難なく開いた。
 中に入った瞬間、アウロスは素早く視線を巡らした。
「!」
 積み重なった書類と道具の隙間。
 一番奥の壁に両腕を頭上で括られ、吊るされた老女の姿を視界に認めた瞬間、アウロスは駆け出していた。
「タユナ!」
 アウロスの声に、老女の肩がびくりと震えた。力なく俯いていた顔がゆっくりと上がり、アウロスの姿を見て、虚ろだった瞳に光が戻る。
「来てはダメッ!!」
「!?」
 老女の悲鳴にも似た叫びに、アウロスの足が一瞬止まった。
 しかし、次の瞬間、その足元に魔法陣が浮かび上がるのを見て、アウロスは翡翠の瞳を瞠る。
「アウロスッ!」
 異変に気づいたラトルが手を伸ばし、アウロスの腕を掴んで引こうとした。
「ッ!」
 ラトルの手が白い腕に触れようとした、その直前、まるでアウロスの存在が幻だったかのように掻き消える。
 ラトルは愕然となって、何も掴めなかった手を見つめた。
 指先に残るのはわずかに掠めた銀の髪の感触。
 ラトルは一気に血が引いていくのを感じた。
 それを疑問に思う暇もなかった。
「ラトル様!!」
 危機を知らせるジェリスの声にラトルは我に返った。咄嗟に、その場から飛び退く。
 緑色の粘液が床に広がり、煙を上げて触れた部分を溶かした。
(溶解液!)
 振り向くと、ラトルたちの周囲の壁が競り上がって、奥から次々とキメラたちが現れるところだった。
 ラトルを狙った溶解液を放ったキメラがユートの槍で止めを刺され、重い音を立てて倒れていく。
「罠か!」
 ラトルはすぐに剣を抜き、応戦体勢に入る。
 一瞬、脳裏に過ぎった少女の面影に、唇を噛み締め、ラトルは厳しい眼差しをキメラたちに注いだ。