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第四章 〜螺旋の疵〜


V


 視界が一瞬ぶれたかと思うと、眩暈を覚え、アウロスは片膝を床に着いた。
「くッ……」
 強制的に転移させられたせいだ。
「おやおや、誰が罠にかかったのかと思えば魔道将軍ではありませんか」
 卑屈な響きを含んだ声音に、アウロスは素早く顔を上げた。反射的に右手が剣の柄にかかる。
 正方形に繰り抜かれた白い部屋の上から白衣の男がアウロスを見下ろしていた。
 灰褐色の髪に薄墨色の瞳の神経質そうな容貌の男だった。
 アウロスは不快感も露わに男を睨みつけた。
「ルシザーか」
「おや、私を覚えていましたか」
 ルシザーはアウロスの観察するように眺めた。
「忘れるものか。犯罪者の巣窟に押し込んでくれたのはお前だったからな」
 アウロスは立ち上がり、ルシザーの視線を跳ね返すように、真っ直ぐな眼差しで見つめ返した。
 密やかに喉の奥で笑う声が届く。
「全員を皆殺しにしておいて何を言うかと思えば――」
 アウロスは視線をルシザーに向けたまま、状況を理解しようとした。
 捕えられ、吊るされていた老教授タユナ。
 仕掛けられていた強制転移魔法陣。
 天井部分と上の階が繋がっている、入口のない部屋。
 そして、遺物、否、キメラ研究者ルシザー。
(これが罠だとすると、タユナは――)
 アウロスの思考を察して、ルシザーは薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「そう、貴方がかかったということはタユナ教授に会われたということですか」
「ルシザー」
 その感情を押し殺した声音に、ルシザーは興味深そうに器用に片眉を上げた。
「しばらく会わないうちに随分と感情的になったのですねぇ」
「お前は相変わらず薄気味の悪い」
 即座に返ってきた皮肉に、ルシザーは再び片眉を上げた。
「……どうやら自分の置かれた状況を理解していないみたいですね。冷静かつ優秀な殺戮人形が壊れてしまったのですか?」
 その瞬間、ぴくりと剣の柄を握るアウロスの指先が動いた。
「いいでしょう。私が説明してあげますよ。タユナ教授は愚かにも皇帝陛下の意志に背こうとしたのです。おかしなことに戦争の道具に過ぎない貴方を守ろうとしてね」
「!」
 アウロスは驚きに息を呑んだ。
「だから、タユナ教授は罰を受けた訳です。本当なら即刻処理されるはずだったのですが、これまでの功績を考えて存命を許されました」
 そして、ルシザーは口端に嘲りの笑みをかすかに浮かべた。
「確かに皇帝陛下の判断は正しかったみたいです。まだ、教授にも利用価値にありましたね」
 アウロスは無言で唇を噛み締めた。
「さて、せっかく戻ってきたのですから予定通り魔道将軍にはキメラの素材となって頂きましょうか」
「……そんなことができるとでも?」
 昔のように無抵抗だと考えているのなら、それは大きな間違いだ。
 あの時、自分には何もなかった。
 虚ろな心。
 ただ状況に流され、その意味を考えることさえなく、受け止めるだけの生。
 誰がどうなろうと何も感じない、正に人形。
 それが。
 アウロスは一瞬表情を歪めた。
(……何が正しいなんて私には決められない。けれど)
 結局、辿り着くのが血塗られた戦いだとしても。
 変わりたいと望んで、望むことを知って、諦められない約束に苦しんで、苦しみによって齎された想いがある。
 キメラになる――それはすべてを捨てること。
 それまで持っていたもののすべてを。
 希望も、絶望も、喜びも、悲しみも、自分を取り巻く世界から与えられるすべてのものから隔絶された生が『生きている』と言える訳がない。


『本当にお前は無欲だね』


 苦笑が滲んだ、優しい声。


『少しでいいから、僕だけでいいから我がままになってごらん?』


 何を望むのか。
 望むものが何か。
 知らなかったから、言えなかった。
 言えなかったから、失ってしまって、それがどんなに大切で脆かったのか知って絶望した。
(けれど)


――守り方は一つじゃないから。


 そう笑って言ってくれた。
 言葉だけではなく、態度で信じると伝えてくれた。
 何考えているか掴めないところは相変わらずだけど、苦手だと思うことも度々だけど、信じていいと思う。
 その言葉を信じたいと思った。
 まだ間に合うのだと何度も自分に言い聞かせて。
(だから、私はここにいる)
 信じてもいいと思える、自分を信じてくれている人たちがいるから。
 不意にルシザーは何か気づいた様子で、小さく笑い出す。
「もしかして、一緒に来た抵抗軍の方々の助けを期待しているのですか?」
「!」
 ルシザーは酷薄な光を薄墨色の瞳に輝かせていた。
「今頃、キメラたちの良い餌になっているでしょうね」
「ッ!!」
 一瞬にしてアウロスは攻撃魔法を編み上げ、感情の昂ぶりのままルシザーに向かって放った。
「車輪の火影よ、破滅の軌跡を描き出せ!!」
 呪文の完成と共に数枚の炎の円盤が空中に出現し、ルシザーに向かった。
 しかし、炎の円盤はルシザーに届く一歩手前が何か阻まれたかのように砕け散る。
「なッ!?」
 アウロスは目の前の光景に茫然となった。
 きらきらと火の粉に似た魔法の名残が降り注ぐ。
 その幻想的な光景に一瞬引き込まれたアウロスは肌に焼けつくような痺れを感じて我に返った。
「霧氷の帳よ!」
 咄嗟に魔法が破られた反動を逆属性の魔法によって打ち消し、アウロスは自分の魔法を破ったものの正体を察して唇を噛み締めた。
(結界か!)
 アウロスのいる部屋を覆うように強固な結界障壁が張られていた。
「どうやら、ようやく気づいたみたいですね」
「……随分と用心がいいな」
「この結界は皇帝陛下直々によるもの。いくら貴方でも破れませんよ」
 アウロスは翡翠の双眸をすがめた。
 用意周到に張られた結界は確かに強固だった。
 銀剣で魔力を増幅しても破るには至らないだろう。何度も繰り返せば、破れるかもしれないが、それまでに返ってくる反動にこちらが倒れる可能性が強い。
 その上、周囲を囲む高い壁は上ることは難しい。
(安全な位置で見物とは相も変わらず良い趣味だ)
 内心、皮肉を呟き、アウロスは冷笑を浮かべた。
「――それで? お前のことだ、まだ何かあるのだろう?」
 無言で見返すルシザーに向かって、アウロスは意図的に高圧的な態度で告げた。
「聞いてやるから言うといい」
 整った白い美貌は感情が抜け落ちると、壮絶な威圧感を纏う。
 少女の可憐さが残るゆえに、それは逆に冷徹な印象は強く残り、見る者を圧倒するだけの力を持っていた。
「!」
 ルシザーの表情から余裕の色が消え、苛立ちが過ぎった。
 劣勢に立っているはずのアウロスの態度に、ルシザーは吐き捨てるように言い放った。
「昔のように実験につき合っていただきましょう!」
 その瞬間、アウロスの周囲に幾つかの魔法陣が浮かび上がった。
(転移魔法陣!)
 そして、現れたのは数人の人間だった。否、人間のような存在というべきだろうか。
 肌が青い者、肩が鋭く咎っている者、腕が三本ある者、眼の位置が大きく上下にずれている者。
 彼らから受ける印象は一様に奇妙の一言に尽きた。
 その正体を察したアウロスは無意識のうちに唇を噛み締めていた。
(キメラか……!)
 ナファームの名の無き神殿に現れた男と同じだ。
「さあ、どうします? 昔のように戦うことを拒みますか?」
 嗤いを含んだ声が上から降ってくる。
 アウロスは視線をキメラ化された人間たちに向けたまま、答えようとはしなかった。代わりに、銀剣を滑らかな動作で引き抜いた。
 切っ先を床に向け、構えらしい構えを取らず、アウロスは一度翡翠の瞳を閉じた。
 脳裏にラトルたちの顔が過ぎる。
(大丈夫)
 そんなに簡単に倒れるほど弱くない。負ける訳にはいかない理由が彼らにもある。
 信じると決めた。
 戦うと決めた。
(だから、私は迷わなくていい)
 手に感じる剣の柄の感触、その重み。
 戦うための力と武器、そして意志。
(大丈夫、私は戦える)
 そして、深呼吸を一回。
「……」
 次の瞬間、瞳を開くと同時に、アウロスは床を蹴っていた。
 青い肌のキメラ人間の間合いに入り込み、鋭い斬撃を繰り出す。
 確実捕えた一閃は硬質の音を立てて弾かれた。
「ッ!」
(硬い!!)
 一瞬の判断でアウロスは飛び退いた。
 その直後、青い肌のキメラ人間の両腕がアウロスの居た空間を空振りする。飛び退くのが一瞬遅かったから、捕えられ、絞め殺されていただろう。
 小さく舌打ちし、次の攻撃に移ろうとした瞬間、アウロスは突然生じた魔力の流れに気づいて、剣を掲げた。
「守護の盾よ!」
 済んだ声に応じて不可視の障壁がアウロスの眼前に閃く。
 それと同時に、その障壁に炎の奔流が押し寄せた。
「くッ!」
 アウロスは唇を噛み締め、柄を握る手に力を込めた。
 銀剣が青みを帯びた光を纏い、静かに輝く。
(持ちこたえられない!?)
 魔力自体の強さはアウロスの方が優れている。だが、術者の操る炎の流れが巧み過ぎる。
 結界の弱い部分を重点的に狙っているのだ。
 障壁が壊れた瞬間、炎もまた掻き消えた。
 乱れた呼吸を整え、アウロスは術者を見据える。
 炎の攻撃魔法を放ったのはキメラ人間の一人だった。
「……リュウ、ノ、キセキ、ヨ……」
「スケシ、カマ、ヨ――」
 二つの魔法が同時に放たれる。
「!」
(魔法を使うキメラ!)
 アウロスはその場を飛び退き、襲い掛かる風の螺旋と刃を走り避けた。そして、口早に呪文を唱え、魔法を構築する。
「極光の破片よ」
 剣を握る右手と逆の左手に光が集束する。そして、横に凪いだ左手が描いた虹色の軌跡は陽炎のようにアウロスを包み込む。
「散じて楔と成せ!」
 その瞬間、陽炎の壁は自ら砕け散り、今にも攻撃魔法を放とうとしていたキメラ人間たちに降り注いだ。
「!?」
 虹色の破片がキメラ人間たちの動きを封じていた。
 アウロスが思わず安堵の吐息を洩らした瞬間だった。
「どうです、私の最新作は?」
 頭上からの自慢そうな声に、アウロスは顔を上げた。
「『最新作』だと?」
「従来のキメラはただ運動能力や身体そのものの強化しただけですが、今回は素からが違いますからね」
 同じ命を持つ人間だとは思っていない声音に、アウロスは唇を噛み締める。
「まあ、その分、時間がかかりましたが――。何が素材に使われているか知りたくありませんか?」
 口端を歪め、ルシザーは問いかけた。
「……魔道士か」
 薄墨色の瞳を輝かせ、ルシザーは頷いた。
「貴方は聡明です、魔道将軍」
「少し考えれば誰だって分かる」
 斬り捨てるような口調に、ルシザーは不快そうに眉をひそめた。
「『魔道士狩り』は敵の戦力を削ることだけが目的ではなく、自らの戦力とするためだったのだろう?」
 幼い子どもは洗脳して。
 成長しきった大人は殺して。
 生きて捕えられても行く末がキメラならば死んだも同然。
「有効に活用しているだけですよ」
「ルシザー!」
 苛立ちを込めて、アウロスは叫んだ。
「何です、魔道将軍?」
「そうやって命を弄んでいるお前も」
 一瞬、脳裏に過ぎる顔。
 ずきりと痛む心から意識を逸らし、アウロスは声を絞り出した。
「誰かに弄ばれているにすぎないんだ……!」


――お前も所詮ただの駒にすぎない。


(誰が誰の駒だと言うんだ、サリク)
 かつて同じ言葉を自分に投げつけた魔道士にアウロスは語りかけた。
(誰もが誰かの駒なんだ、本当は)
 醜い傷を負って、尚、美しい白い顔に自嘲の笑みが浮かび上がる。
(私とお前の違いは自覚があるかないかの違いだけ)
「負け惜しみとは愚かなことを……」
 その呟きに、アウロスはかすかに笑う。
「何も知らぬまま終わるのは幸せかもしれないな――」
 まるで無知だと言っているも同然の言葉に、ルシザーはアウロスを侮蔑の眼差しを注いだ。
「そんな無駄口を言っていていいのですか? ほぉら、御覧なさい」
 促されるまま、視線をキメラ人間たちに戻した瞬間だった。
「カイホウ、ノ、ツバサ、ヨ」
 動きを封じられたキメラ人間の背後に無数の人影が立っていた。
「イマシメ、ノ、オリ、ヲ、ハカイ、セヨ」
 虹色の破片が霧散する。
「!」
「私の作品がたった数人だけだと思っていましたか? 失敗作や試験作でも充分戦力になるだけの能力はあります。成功作に至っては忠実かつ優秀な道具ですよ。ただ単調に攻撃魔法を放つだけではありません。回復魔法を含めた防御魔法も状況に応じて行使することだってできますからねえ」
「煩い」
 長々と続くルシザーの説明をアウロスは一言で断じた。
「失敗作だと成功作だと下らないことを言う。結局のところ、キメラなのだろう」
 そして、アウロスは一度双眸を伏せ、そして静かな怒りを宿した眼差しをキメラ人間たちに向け、口を開いた。
「煉獄の番人よ、かの地を封じて守れ」
 紡ぎ出された古き言葉と韻律が、床に魔法陣を浮かび上がらせる。
「!」
 思わず、ルシザーは息を呑んでいた。
「バカな。魔法封じの陣だと!?」
 アウロスが使ったのは空間干渉の魔法の一つ。
 一定範囲の空間の魔法を無効化するもの。
 敵も術者も関係ない。その魔法の効果が切れるまで、すべての魔法が使うことができない。
「気でも触れましたか、魔道将軍! 魔法を封じられてもキメラはキメラ。身体能力の強化はされているのですよ。対して、貴方はただの人間同然です」
 アウロスはルシザーの声を無視して答えようとしない。
 翡翠の眼差しはゆっくりと向かって来るキメラ人間たちに向けられたまま。
 そして、アウロスは静かに銀剣を構える。
「さあ、来るがいい」
 形の良い唇が笑みの形に歪み、銀色の髪がさらりと揺れた。
 そして。


「私が殺してやる」


 冷ややかな、感情を廃した声音が死を宣告した。