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第四章 〜螺旋の疵〜


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「はあ〜、もうダメ。ちょいと休憩」
 どしりと大仰に腰を下ろして、ガントは壁に凭れかかった。
「どうやら打ち止めのようだな」
「配置してあった分は、といったところでしょうか……」
 床に倒れ重なったキメラの死体を見つめ、ジェリスはユートの言葉を補足した。そして、次の判断を仰ぐため、ラトルを見やった。
 ラトルは剣に付着した血を振り払い、鞘に収めるところだった。
「ラトル様」
「あぁ、分かっている。恐らく、私たちの侵入はバレたと考えていいだろう。目的が達成できたら、早々に脱出したいところだが――」
 一瞬、ラトルの蒼い瞳に翳りが過ぎる。そして、アウロスが消えた場所を見て、ゆっくりと歩を進めた。
「ラトル様!」
「……大丈夫だよ、どうやら一回限りのようだ」
 ラトルは小さく笑って安全を保障した。
 だが、その一瞬、唇を噛み、舌打ちした音を、老女を介抱していたシエネは聞いていた。
 吊るされていた老女を支えるようにしながら、シエネは顔を上げる。
「ラトル……」
 シエネの呼びかけにラトルは穏やかに微笑みかける。
「シエネ、その方の具合は?」
「……衰弱しているけど命には別状ないわ」
 シエネの探るような眼差しに気づき、ラトルは内心苦笑しながら頷いた。
「そう、それは良かった」
 それは間違いなく本音だった。
 この老女を助けようとしてアウロスは罠にかかったのだ。
 罠の危険性を一番熟知していたのに、それを忘れるほどアウロスにとってこの老女は大切な人物だったのだろう。
「う……」
 不意に、老女が呻いて、ゆっくりと瞼を開ける。
 茶色の瞳が瞬きを繰り返す度に、徐々に焦点が合い、ラトルの顔を見た瞬間、大きく見開いた。
「殿下!」
「!?」
 いきなり腕を掴まれ、ラトルは固まる。
「あの子を、早くあの子のところへ……!?」
 しかし、老女は不意に言葉を途切れさせ、掴んだ手を放す。
「違う……?」
 そして、老女は慌てて周囲を見回した。そして、シエネやユートたちの姿を認め、怪訝そうに双眸を細めた。
「……貴方たちは……?」
 小さな問いには警戒が滲んでいた。
「私たちは抵抗軍よ」
「抵抗軍――」
 シエネの答えに、老女は真実を見極めるかのようにラトルたちの顔を見つめた。そして、偽りの影がないことを認めたのか、そっと息を吐き、真剣な眼差しで問い質した。
「いいでしょう。貴方たちが抵抗軍だとして、何故……アウロスが共にいるのです?」
 言葉こそは落ち着いたものだったが、ラトルはその瞳に焦りと不安が漂い、わずかに手が震えていることに目敏く気づいていた。
「アウロスは捕まって乗っていた飛行艇が落ちて、それを助けた時から私たちと行動を共にしているの」
 老女は一瞬大きく震えた。
「飛行艇が落ちた――? よく、それで無事で……」
 驚愕と安堵が入り混じった呟きだった。
「失礼だが、貴方は?」
 ラトルの問いに、老女は我に返る。
「私は、タユナ。この研究所の総責任者だった者よ」
「『だった』……?」
「すでに過去の肩書きですもの」
 淡々と答える様子と裏腹に、その声音には過去の自分を悔いるような感情が秘められていた。
「貴方は――」
「時間がない。今は、あの子の、アウロスのところに行かなくちゃ」
 タユナはシエネの手を拒み、ふらつきながら立ち上がる。
「アウロスの居場所を知っているのですか!?」
「予測はつくわ……ッ!」
 不意にタユナの体が傾ぐ。
「!」
 咄嗟にラトルは腕を伸ばし、タユナを支えた。
 タユナは無言でラトルの顔を見つめ、何かを見定めるように凝視した。
「貴方は何者……?」
 その囁くような問いが何を示しているかラトルは鋭く察し、苦笑を浮かべた。
(そんなに似ているのかな、皇国の『彼』と俺は……)
 血縁を感じさせる程度にはと言ったアウロスの言葉は少し控えめだったようだ。
「見ての通りです」
 その言葉に、老いた顔に驚きが漣のように広がる。
 たったそれだけでタユナはすべてを察したようだった。
「そう……」
 そして、タユナは表情を引き締めた。
「行きましょう、あの子のところへ」
 その言葉に、ラトルは強く頷いた。
 タユナの導きに従い、ラトルたちは遺物研究棟を出て、キメラ研究棟に向かった。
「捕われていたのなら、名も無き神殿から持ち込まれた遺物のことは御存知ありませんよね?」
 不意のジェリスの問いに、タユナは少し間を置いて答えた。
「それは、あの巨大な精石のこと?」
 ラトルたちの顔が緊張に強張る。
 その反応を見て、タユナは言葉を続けた。
「それなら残念だけど、すでに持ち去られた後よ」
「そんな!」
「数日前までいた魔道士たちが厳重に封印して、ここを発ったわ」
「捕まっていたのに、どうしてそんなこと知ってんだ?」
 素朴な疑問を抱いて、ガントは尋ねた。
「持ち去られる最後に、私のところに来たからよ。遺物研究においては私以上の者はいないから」
 淡々とした言葉は事実を告げていることを示していた。
「それで、貴殿の見解は?」
 自身も多少は遺物の知識を持っているユートが問うと、タユナは研究者の顔で冷静に答えた。
「あれは確かに精石だけど、少し質が違うわね」
「質が違う?」
 タユナは小さく頷いた。
「精石は契約者を得ると、その血に溶け込み、消える。だけど、あの精石は消えないわ」
「……契約できないってことかしら?」
 シエネの呟きに、タユナはかすかに微笑む。
「従来の契約はできないでしょうね。あの精石から力を得ることはできる――『引き出す』という方法でね。けれど、あの精石に宿る力は別の目的のために存在するようだったわ」
「別の目的、ですか?」
 そして、タユナは不意に詩でも吟ずるように古き言葉を紡いだ。


「シィセーリ・アイズェ・ウァーレラ・スヴェテ・エテ・スヴェテ・サゥテ・ターディア・コォークァーリ」


「……四精の礎とは吾の事なり。万物に在り、万物に在らず。ただ此処に在る」
 ラトルの呟きはタユナの言葉と同じ響きを持っていた。
 タユナは真剣な顔で頷いた。
「精石の内に刻まれていた言葉よ。あの精石は存在することそのものに意味があるのかもしれない」
「――そんなものを手に入れて皇帝はどうする気なんだ」
 血に溶け込まないが力を得ることはできる精石。
 それは力の独占を望む皇帝にとって、あまり喜ばしいことではない。
 誰でも扱える強力な武器はいつ自分に襲いかかるか分からないのだから。
 そんな不安要素を残す男だろうか。
 それとも。
(皇帝はあの精石の真価を知っている……?)
「まずいな……」
 思わず零れた呟きを側にいたタユナは心苦しそうに表情を歪めた。
「役に立てず、ごめんなさい。あの子を助けてくれたみたいだったから、何かお礼がしたかったけど」
 ラトルは我に返り、穏やかに否定した。
「いいえ、充分ですよ」
 そう、充分だ。
 思った以上に、状況が油断できないものだと分かっただけでも収穫はあった。
(時間がない、か……)
 長期戦で皇国の力を削いでいる暇はないかもしれない。
(せめてキメラだけでもどうにかできればいいが――)
 戦力の大半を占めるキメラがいなくなれば戦況も戦略も大きく変わってくる。
「――私は愚かでした」
「タユナ?」
 不意に話し始めたタユナに、ラトルは怪訝そうな視線を向けた。
「私は、子どものできない女なのです。そのせいで夫とも別れました。私は子どもなどいらないと自身に言い聞かせ、遺物の研究に没頭しました。そして、私は見つけてしまった……!」
 一瞬、タユナは呻き声を洩らした。
「円の世界以前の魔道には人為的に『生命』を生み出す技術があることを――」
 搾り出した言葉は見えない重みを伴って床に落ちた。
「……そんな、ことが、本当に?」
 魔道に携わる者として当然の疑問をシエネは呟いていた。
 タユナは薄く双眸を伏せて答えた。
「当時の魔道ならできた、ということよ。……私は子どもが欲しかった。本当は、どうしても、欲しかった。だから、私はあの男の手を取ってしまった」

 あの男。

 それが誰のことか言われなくとも分かった。
「あの男の協力を得て、優秀な研究者が集められ、時間も費用も気にすることなく研究は進んだわ。そして、その過程で生まれたのがキメラよ」
「!」
 ラトルは息を呑んで、タユナの顔を見やった。
「最初、キメラは今のような攻撃的な性質を持っていた訳ではないの。私の助手をしていたルシザーという研究者が戦争の兵器として使えるように作り変えたのよ」
 そして、タユナは皮肉げな笑みを浮かべた。
「今ではキメラ研究の第一人者よ」
「……総責任者である貴方を差し置いて?」
 硬い声で問いかけたのはジェリスだった。
 皇国の侵略を許した最大の原因が倒しても倒しても現れるキメラにあった。あの異形の存在がなければ、皇国の独裁は成り立たなかっただろう。
「――私は」
 タユナは小さく呻いた。
「キメラを、戦争の兵器を作りたかった訳じゃない。私は遺物研究者よ。けれど、自分の夢に固執して、黙認していた罪は認めるわ。アウロスにもひどいことをしたわ。愚かだったわ、本当に。もっと早くに気づけば良かった」
「何に?」
 ごく自然にラトルは尋ねていた。だが、返ってくる答えは予想がついていた。
「あの子を、アウロスが大切になっていたことを。……だから」
 落ち着いた声音に力が籠もった。
「助けたいのよ」
 それは紛れもない子を思う親の心情そのものだった。
 長い沈黙の後。
「……きっと分かっていると思います、アウロスは」
 ラトルの言葉を耳にして、タユナはかすかに微笑んだ。そして、見えてきた一つの扉に視線をやると、厳しい表情になる。
「あの扉がルシザーの実験場に繋がっているわ。おそらく、アウロスはそこにいる――」
 そして、扉を破って駆け込んだ瞬間、タユナは悲鳴にも似た声を上げた。