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第四章 〜螺旋の疵〜


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「アウロスッ!!」


 その声が聞こえたのか一瞬翡翠の瞳が振り返り、ちらりと上を見た。だが、すぐに視線は前方から襲ってくる敵に戻る。
 奇声を上げて襲ってくるキメラ人間の素手での攻撃を満身創痍のアウロスは銀剣を水平に構えることで受け止めた。
 ぽたりとアウロスの肘の先から血が滴り、床に落ちる。
 戦いの苦戦を物語るように、四肢は血に濡れ、大小の傷が幾つも存在していた。
 反対に強化されたキメラ人間の腕は硬く、爪も異常に鋭く鉱石のような鈍い輝きを放っていた。直接受けても傷一つ負うことのない。
 銀剣とキメラの硬い腕が火花を散らし、競り合う。


「キメラと力で競り合うなど無駄なことを」


 その声にラトルたちはようやく部屋に自分たち以外の人間がいることに気づいた。
 神経質そうな男が正方形に刳り抜かれた淵に立っていた。
「ルシザー……」
 タユナの震える声が呟いた名に、ラトルは男の正体を知った。
「そう思いませんか、タユナ教授。キメラは環境適応能力を特質的に表面化させた生き物。この世界で一番愚かで忠実、そして戦うための兵器。感情を覚えた、壊れた兵器で勝てるはずがない」
「アウロスは兵器ではない!」
 思わず、ラトルは叫んでいた。
(兵器だと?)
 ただの兵器があんな風に泣くものか。
 守りたかった幼子の命を守れず、何かを守りたいと望んで。
 ただの兵器があんな風に笑うものか。
 硝子のような脆さで、自分が傷ついていることも知らないで。
 ルシザーはラトルを見て、軽く薄墨色の瞳を瞠った。
「……殿下……? いや、そんなはずはない」
 そして、訝しげに眉をひそめて、ルシザーは問うた。
「貴方はどなたです? 察するに抵抗軍の愚か者のようですが……」
 不意に、ガントが小さく呟く。
「――丁寧なんだかバカにしてるんだか訳分かんねぇ……」
「バカにしているに決まっているでしょう!!」
 即座にジェリスは断言し、厳しい眼差しをルシザーに向けた。
「答える必要性を感じないな」
 ラトルは冷ややかに言い捨てた。
 ルシザーはしばらく無言でラトルを見つめ、軽く肩を竦めた。
「……まあ、いいでしょう。とりあえずは続行中の実験を貴方たちも見物して下さい。後で、私の最新作がお相手しますよ」
「!!」
 敵意を漲らせ、仕掛けようとするジェリスをユートが制する。
 そして、ラトルたちはアウロスとキメラ人間たちの足元に描かれた魔法陣を見て、愕然となった。
 魔法が封じられている。
(そんな、それでは――!)
「アウロス……!!」
 よろよろとタユナは淵に駆け寄った。
 いかに剣技に優れていると言っても、アウロスは生身の少女だ。ルシザーの言葉通り、腕力の不利は事実だった。
「ッ!」
 アウロスの眉間に皺が寄り、銀剣との間が縮まっていく。それはかろうじて保たれていた拮抗が破れようとしていることを示していた。
「アウロス!」
「ダメよッ!!」
 咄嗟に飛び降りようとしたラトルはシエネが放った危機感に満ちた声に足を止めた。
「シエネ!?」
 琥珀の双眸は四辺の淵を見据え、褐色の肌には汗が滲んでいた。
「……なんて強い結界なの……」
 思わずと言った様子で零れた呟きを聞き咎め、ラトルは意識を凝らした。
 ある、とてつもなく強固な結界が。
「結界があるのか?」
 ユートの問いにシエネは我に返り、小さく頷き返す。
「基本は単純な魔法結界よ。双方の魔法の影響が及ばない。けれど厄介なのは物理的にも効果があること。結界に触れた瞬間、弾け飛ぶわよ、……冗談じゃなく」
 その余裕のない声に珍しいと思いながら、ラトルは問うた。
「破れるか?」
「ムリ」
 即答だった。
「……シエネ……」
 無意識のうちに声音には苛立ちが滲んでいた。
「だって、ホントにムリなんだもの」
 シエネは歯軋りしかねない様子で唸りながら答えた。
「圧倒的に魔力が違う。アタシとアンタの魔力を合わせても時間がかかる。それじゃ意味ないでしょ」
「では、どうしろと!?」
 ラトルが耐え切れず声を荒げた瞬間、思わぬところから答えたが返ってきた。
「ですから、大人しく見ていればいいのですよ」
 嘲りさえ籠もった冷たい言葉に、ラトルは弾かれるようにルシザーを見やった。
「貴様……!」
 ルシザーが薄っすらと笑みを浮かべる。
「もうすぐ決着がつきますよ」


「!!」
 ついに均衡が崩れた瞬間、アウロスは身を引いて、相手の腹に蹴りを入れた。
「ぐッ!」
 キメラ人間が一瞬怯んだ隙に、アウロスは刃を切り返す。
 銀色の刃はキメラ人間の双眸に直撃した。
「うあッ!!」
 赤い血を流して、転がったキメラ人間の腹をアウロスは踏みつけて抑える。そして、叫びを迸らせる口に銀剣を突き立てた。
 キメラ人間は両眼を極限まで見開き、全身を痙攣させた。
 震えは徐々に小さくなり、そして静止する。
 一つ息を吐き、アウロスは顔を上げた。
 ふわりと銀の髪が舞った。
 アウロスの姿が一瞬キメラ人間たちの視界から消える。
 流れる、赤と銀。
 一体のキメラ人間の懐に飛び込んだアウロスはその喉を目掛けて下から銀剣を突き立てる。
「ぐぅッ!」
 そのまま銀剣を引き抜こうとしたアウロスは不意にその肩を掴み、手前に引き寄せ、振り返った。
 アウロスの首を背後から掴もうとしていたキメラ人間は瀕死状態の仲間を代わりに掴んでしまう。
 その一瞬の間にキメラ人間の横合いから現れたアウロスは銀剣を滑らせた。
 関節を狙われたキメラ人間は鮮血を溢れさせ、もう一体のキメラ人間と共に重い衝撃音を立てながら床に倒れた。
 それまでの苦戦が嘘のように瞬く間に三体のキメラ人間を葬ったアウロスを本能的に怯えたのか、残ったキメラ人間たちは闇雲に攻撃するのを止め、隙を窺うような素振りを見せる。
 アウロスはそれを認め、冷徹な笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと顔を上げた。
 視線の先に立つルシザーの顔が驚愕に歪んでいた。
「どんなに高い能力を持っているとしてもキメラはキメラ。複雑な思考ができない彼らに駆け引きができるはずがない。そして」
 銀剣に付着した血を振り払い、アウロスは続けた。
 視線はルシザーに向けたままだが、全身の神経は周囲の敵に向かっている。
「動く以上、関節は存在する。どんなに硬い鎧で身を包もうと繋ぎ目は脆い」
 力の競り合いに負けたのは駆け引きの内だった。
「魔道将軍……!」
 深い憤りを感じさせる声に、アウロスは嘲りの笑みを浮かべた。頬にべったりと付着した血と肌の白さが、その笑みの印象を強くさせる。
「お前のキメラの欠点を教えてやろうか?」
「……何?」
「お前に作られたことだ」
「!」
 絶句するルシザーを見て、アウロスは低く笑った。
「ルシザー、お前は戦いを経験したことがない」
 どうやって相手を殺すか。
 どうすれば的確に弱点を狙えるか。
 どう反応すれば望む行動に出るか。
「戦ったことのないお前が作るキメラは単純だ。反射能力を高め、腕力を増強する。皮膚を硬化させる。利点だけを見て、欠点に気づかなかっただろう?」
 生身である自分がキメラ人間より力で劣るのは最初から分かっていたことだ。自ら魔法を封じたのは、それでも、勝算があるからこそ。
「自らの欠点さえも利用するとは……」
 感情の抜け落ちた声で呟いた瞬間、ルシザーは不意に狂ったかのように笑い出した。
「さすが、さすがです!! さすが皇帝陛下が望んだ兵器!」
 その声の調子に何か不穏なものを覚え、アウロスは双眸を細めた。
 タユナが顔色を変える。
「止め……」
「タユナ……?」
 何をそんなに怯えているか。
 それを疑問に思った瞬間だった。


「さすがはキメラの母です!!」