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ルシザーの放った一言は確かな衝撃を持っていた。 ラトルたちはその言葉の意味を捉えかね、しかし、聞いてはいけないことだけは理解した。 ルシザーは薄く笑った。 「おや、タユナ教授。何もお話しにならなかったのですか? 貴女が魔道将軍を作り、その過程でキメラが生まれたことを」 ラトルはルシザーの言葉の真偽を確かめるため、素早くタユナの顔を見やった。 タユナは青ざめ、小刻みに震えていた。かすかに首が横に振られているが、それは否定と言うより拒絶の反応だった。 「……アウロスがキメラ?」 ガントが洩らした小さな呟きは周囲が静かだっただけによく聞こえた。 「違うッ!」 鋭い叫びを上げたのは我に返ったタユナだった。 「アウロスは人間よ! 間違いなく人間だわ!! キメラのように手を加えていない」 「しかし、人工的に作られた生命には変わりありません。そして、魔道将軍を作る過程でキメラが生まれた事実も、また変わりません」 ルシザーの追い討ちに、タユナは絶句した。やがて老いた顔が怒りに歪む。 「ルシザー、お前……よくも!」 そして、タユナはルシザーに向かって掴みかかった。 「どこまでアウロスを道具扱いすれば気が済むの!? お前こそ人間ではない!」 「……人聞きの悪いことを」 低く呟き、ルシザーはタユナを振り払う。そして、床に座り込んだ老女を冷たく見下した。 「タユナ教授、貴方はもう用済みですね」 そして、懐から取り出した短剣を躊躇いもなく、ルシザーが振り下そうとした瞬間だった。 息を呑んだ全員の耳に小さな、それでいて、はっきりとした音が聞こえた。 硝子が砕け散るような音だ。 (何だ!?) その原因を察するより早く、硬い音が続き、ルシザーの手から短剣が飛び弾ける。 「なッ!?」 ルシザーの手元を横切った銀色の一条は短剣を弾くと、くるくると回り、重みを感じさせる音共に床に突き刺さった。 きらりと光を弾く、銀の刃。 静かに伝い落ちる、赤い雫。 ぽたりと赤い一滴が床に触れた瞬間。 「それで?」 不意に届いた冷ややかな声に全員が息を呑んだ。そして、その声の主を見る。 動揺の気配一つ見えない翡翠の瞳。 まっすぐな、宝石よりも美しい輝きを秘めた双玉。 危うい輝きの中に潜む強い意志。 (この瞳だ……) ラトルは剣の柄を握った手に力を込めた。 この眼差しに一瞬で惹きつけられた。 興味を覚えたのは一瞬。 次の瞬間には心奪われていたことに気づいたのだ。 銀剣を投げ放ったアウロスは肩から零れた銀の髪を払い、冷めた表情で繰り返した。 「それで? 私がキメラと同様の手段で生まれた。それがどうかしたか?」 その言葉に驚いたのはラトルたちだけではなく、ルシザーですら言葉を失った。 「そんなことくらいで私が動揺するとでも思ったら間違いだぞ、ルシザー?」 アウロスはふわりと微笑んだ。 それは背筋が冷たくなるような美しい微笑みだった。 「皇国の城で私にどんな評価が下されていたか、お前は知らないらしい」 皇帝の殺戮人形。 人の姿をした兵器。 そして。 「キメラと呼ばれたことはお前が初めてではない。だが、他人がどう判断しようと私には関係ない。人間であろうとキメラであろうと、私が『私』であることには変わり、ない」 ――僕は『お前』を知っているよ。 優しい、優しい声。 ――たとえ、どんな評価を他人がつけても、僕は僕が知る『お前』を信じている。 迷いもなく、差し出された手を取ることに躊躇いを覚えたのはいつだったか。 それでも。 (貴方の言葉は私を支える) その事実に、アウロスは小さく微笑んだ。 自嘲と哀しみと、ほんの少しの安らぎ。 しかし、アウロスは次の瞬間まるで微笑みが嘘のように冷徹な表情で断言した。 「お前は下らないことばかり言う」 血に塗れ、傷だらけでボロボロなアウロスに気圧され、ルシザーは無意識のうちに後ずさっていた。 「……ッ! 私を愚弄する気ですか!?」 アウロスは一笑した。 「愚弄されているということに気づくくらいには聡かったか」 明らかな暴言に、ルシザーは怒りに眦を吊り上げた。 「魔道将軍……」 憎しみが籠もった呼びかけに、アウロスは余裕の笑みで応じた。 「――愚かなのはどちらですか?」 低く唸るような声に、アウロスの顔から静かに笑みが消える。 「自ら唯一の武器を手放すとは! これで貴女の死は確定しました!!」 その瞬間、アウロスを取り囲んでいたキメラ人間たちが飛びかかってくる。 アウロスは避ける気配も見せず、睥睨し、そして――笑った。 キメラ人間たちの手がアウロスの白い肌に触れようとした刹那。 アウロスは自らの魔力を解放した。 「何!?」 驚愕の声をかすかに耳に留めながら、アウロスは意識を自分の内に研ぎ澄ませた。 圧倒的な力の奔流。 それはいかなる属性も持たない、ただ純然たる力。 他を圧倒する力の奔流に呑み込まれたキメラ人間たちは消し飛び、破裂し、四散していく。 「――――ッ!!」 キメラたちの断末魔さえ呑み込み、魔力の奔流は壁を砕き、床を抉る。 結界障壁がなければ、ラトルたちでさえ消滅を免れない。 解放したのはアウロスだが、魔力の奔流はアウロスの意志ではない。事実、解放された魔力はキメラ人間だけでなく、アウロス自身をも脅かしていた。 「……ッ!」 荒れ狂う自らの魔力に、アウロスはかすかに呻いた。 体中を引き裂かれるような圧迫感。 体中の神経の引き伸ばされ、捻られているような錯覚。 本来なら、持ち主の精神によって制御され、呪文によって導かれ、魔力は魔法というカタチを成す。 ゆえに、その過程を経ず、放出された魔力は持ち主にも負担を与える。 その上、頭上に張られた結界に触れるたび、破れないことによる反動が返って、アウロスに幾つのも裂傷が走る。 アウロスの銀剣によって一点の疵を負って、尚、結界の強固さは変わらず、保ち続けていた。 だが、反動による痛みをアウロスは感じていなかった。 神経が麻痺している。 それよりも全身にかかる圧力と歪みが強い。 「く、ぅ……ッ!」 全身に及ぶ衝撃に少しでも意識を飛ばせば、魔力の奔流に呑み込まれたキメラ人間と同じ末路だ。 外へ外へと溢れていく魔力を制しようとするアウロスの耳に幻聴が届いた。 ――いいね、信じるんだよ。その『力』もお前自身なんだ。 強く、導く碧緑の瞳。 優しく、支える穏やかな声。 ――恐れる必要はない。強い意志がすべてを決定するんだよ。 (強い意志が) それは望み。 決して曲げるのことのできない願い。 (すべてを) それは生と死。 おのれがおのれである限り選ばざるえない途。 (決定する) それは未来。 いつか来るであろう現実。 「――――ッ!!」 身が軋む、その異常な感覚をアウロスは言葉にならない絶叫で抑えつけた。 「……っ!」 留まることのなかった魔力の流れが逆転する。 そして、一陣の風が終わりを告げた。 後に残されたのは元の形を想像することもできない肉塊と破壊の限りが尽くされた部屋。 「……」 アウロスはかすかな吐息を吐いて、静かに顔を上げた。 今にも倒れそうなほどに体は疲弊し、意識は危うい。だが、アウロスの眼差しは揺るがないまま、ルシザーに注がれていた。 「誰の死が確定したと?」 クッと一笑して、アウロスは愕然としている研究者に向かって続けた。 「勝算の一つも私が持っていないと思っていたなら、それほど愚かなことはない」 「……バカな、魔法は使えないはずでは――」 アウロスは薄っすらと笑む。 「魔法は、な」 その言葉に、ガントやジェリスはラトルとシエネを見やった。 じわりと汗を額に滲ませながら、シエネは無言で頷く。 「魔法封じの陣は、魔法を構築させる段階で阻む効果があるのよ」 「魔力を封じられた訳ではないから、魔力そのものに支障はない……が」 シエネの言葉を引き取って続けたラトルは厳しい表情でアウロスを凝視した。 (無茶をする……) 制御できない力は自らをも滅ぼす諸刃の剣。 平然と立ち、余裕を失っていないように見せかけているが、本当はアウロスの体はボロボロだった。 魔力の奔流が床を抉り、破壊したせいで魔法封じの陣は消えている。すでに回復魔法を使うことが可能だが、肝心の魔力が足りない。 そして、ラトルたちとアウロスを阻む結界はいまだ健在なのだ。 (ラトルたちの援護は期待できない) 否、する必要などないだろう。 だが、その無事な姿がアウロスの心に余裕を持たせ、どんな思い切った行動も取れ易くしていた。 魔力を使いきっても支障ない。 ここさえ乗り切れば後はラトルたちに任せてもいいだろう。 そろそろ自分の限界が訪れようとしていることをアウロスは感じていた。 不意に、途切れそうになる意識の片隅で過去の記憶が呼び起こされる。 ――いいね、お前はどうあっても腕力や体力が劣るのだから、敏捷性と機動力で補い、魔法を中心で戦うんだ。 避けることのできない戦いから無事帰ってこられるよう丁寧に何度も教えてくれた。 ――本当は、戦わせたくないのだけど。 その言葉を拒んだのはアウロスだった。 ダッテ、ソノタメ二生マレタカラ。 戦ワナイト、私ヲ守ルタメニ貴方ガ傷ツクカラ。 ――魔法で補えない部分は剣術で補う。だから、武器は手放してはいけない。 誰も信用できないから。 いつ裏切り、襲ってくるか分からないから。 私ノ存在ハ憎シミヲ抱カセルダケ。 敵モ味方モ。 ――魔法も使えず、武器も手放した場合、お前に待っているのは死でしかない。でも、僕はそんなこと望まないから。 静かな声に潜む強い想い、否、それは願いだったのか。 ――危険だけど、それしか方法がないから、魔力だけでの戦い方を教えるよ。 (貴方の教えることはすべて私を生かすためのものだった) 脳裏に浮かぶ面影にアウロスはそう呟いていた。 (でも) 本当は。 (私にとっては違った……) そのことを知っていたのだろうか、それとも知らなかったのだろうか、彼は。 (だから、貴方は私を) 一瞬、唇を強く噛み締め、アウロスは現実に立ち返った。 「お前の負けを認めるがいい、ルシザー」 ルシザーは大きく肩を震わし、一歩後ずさった。だが、次の瞬間、そんな自分を恥じるように傲慢な笑みを浮かべた。 「いいえ、それは貴方の方です!!」 その瞬間だった。 アウロスは背後に気配を感じて、振り返る。だが、それよりも早く喉を捕まれ、足の爪先が浮いた。 「ッ!?」 それは、魔力の奔流の中、唯一生き残ったキメラ人間だった。 長い黒衣を頭から纏った影のような姿のキメラ人間は鱗が浮かび上がった腕一本でアウロスを持ち上げていた。 「フメツ、ノ、トリ、ヨ」 間近で発動しようとしている攻撃魔法にアウロスは呻き、ただ翡翠の眼差しをキメラ人間に注ぐことしかできなかった。 「さあ、殺りなさい!」 「アウロス!」 ルシザーとラトルの声が重なって届く。 そして、キメラ人間は最後の呪文を口にした。 「モエハバタケ」 |