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「今、なんと言った?」 たった今耳にしたことが信じられず、ラトルは思わず聞き返していた。 ポポリアでの補給と情報交換を終えたラトルたちは再び各地の抵抗軍と連携を取りながら、『帆船』で移動していた。 現在、彼らが留まっているのは北のクァ―ルと東のダウロードの境に位置する街だった。 街の南には森に囲まれた湖があり、その向こうには平原と大河が流れている。その大河の向こうには丘陵地帯があり、その終わりにダムロードの都があった。 そのダムロードの都から、内密の使者が来たという。否、正確に言うと、ダムロードから出陣した皇国軍からの使者だった。 ラトルに報告を持ってきた抵抗軍の男も戸惑った様子で同じ言葉を繰り返した。 「ダムロード皇国軍ディザン将軍です」 ダムロードの将軍ディザン。その智謀と勇猛で知られ、『智勇将軍』と呼ばれている男はかつて『魔道将軍』の名で知られたアウロスと共に恐れられていた。 つい最近までダムロードの軍で恐れられていた人物は三人存在した。 筆頭魔道士サリク。 魔道将軍アウロス。 智勇将軍ディザン。 しかし、現在、アウロスは皇帝に背き、ラトルたちと共にいる。 「何故、ここに……」 ラトルは動揺を隠せなかった。 まさか情報が漏れたのだろうか。 「それで、ディザン将軍はどれだけの兵を率いて来ているのだ?」 緊張を帯びたユートの問いに、抵抗軍の男は躊躇いがちにこたえた。 「それが、どうも一人のようで……」 「はあッ!? 皇国軍の優秀で偉い将軍だろ? んな嘘みてぇな話あるかよ!」 ガントが信じられなそうに叫ぶ。 「しかし、本当にそうなのです。その上、武装まで解除しているので」 逆に手を出せないのだと言う。 武力を持って襲ってくるのなら反撃もできよう。だが、無抵抗な者を襲うような卑怯なことはできない。 「ナニ考えてんの、その将軍?」 「というか本当にディザン将軍なんですか、その男は」 シエネとジェリスは疑わしそうに眉をひそめた。 「なら、私が確認しよう」 不意の申し出に、ラトルたちは驚いて声の主――アウロスを凝視した。 「確認って……」 「ディザン将軍とは面識があるから。もちろん、将軍も私を知っているから隠れて確認することになるけれど……」 魔道将軍と呼ばれたアウロスが抵抗軍にいることは皇国軍に知られている。 そして、アウロスはラトルを見つめた。 「もし、本当にディザン将軍なら、彼は信用していいわ」 「それはどういう意味かな?」 「……彼は曲がったことが嫌いなの」 「そんな人物が皇帝に従っているんですか?」 ジェリスが訝しげに問うと、アウロスは薄く瞳を伏せる。 「将軍は愚かではないわ。ダムロードという『国』にとっての自分の必要性を知っているのよ」 皇帝に背いた者は虐殺された。 けれど、一部の者は歯を食い縛り、手に血を滲ませてでも、生きることを選んだ。 ディザン将軍のその中の一人だ。 (その時が来るまで――) 皇国には彼らの希望が残されていたから。 (だからこそ、私は憎まれていたのだけど――) 残された希望である『彼』が皇帝の命のままに殺戮を繰り返す『魔道将軍』を庇護しようとしていたことは彼らにとっては自殺行為に等しかったのだろう。 皇帝の命令一つで刃を向ける人形を側に置く『彼』を彼らは常に咎めていた。 アウロスの言葉に、ラトルは思案して頷いた。 「分かった。アウロスの言葉を信じてみよう」 「では、私が将軍に会おう」 ユートは静かに申し出た。 「いつまで待たせるのも怪しかろう」 「そうですね。かと言って、他の者では荷が重いかもしれませんから」 結局、将軍と会うのはユートとジェリスということで決まった。 残されたアウロスたちは部屋の続き間の扉にかかった帳の陰から覗き見ることとなった。 アウロスたちが見守る中、ユートとジェリスが現れ、将軍と名乗った老年の男と挨拶を交わす。 「……アウロス?」 シエネの小さな呼びかけに、アウロスは小さく頷いた。 「将軍よ」 一見、温和な容貌の老人にしか見えないが、がっしりとした巨躯が放つ威厳は歴戦の戦士を窺わせている。 「おっさんと良い勝負だな、ありゃ」 ガントがぽつりと感心した様子で呟いた。 「『おっさん』って、アンタ仮にも伯爵よ、ユートは」 「……姐さんだって、呼び捨て」 「二人とも静かに」 ラトルの注意に、二人は慌てて口を噤む。 落ち着いた様子で椅子に座り、泰然としているディザンを見て、アウロスはかすかに笑んだ。 敵陣に乗り込んでいるというのに、さすがだ。 「して、こちらに如何なる用向きでしょうか?」 まるで屋敷の主のように振る舞うユートの問いに、ディザンはゆったりと笑った。 「抵抗軍の指導者にして『三人目の契約者』殿にお会いしたい」 その瞬間、緊張が走った。 三人目の契約者。 それが誰を意味するか明白だった。 一瞬にして厳しくなった雰囲気に、ディザンはまるで気にしていない様子で話しを続ける。 「私は腹の探り合いが苦手でしてな」 「なるほど」 感情の乏しい声音で、ユートは頷いた。 「その代わり、不意打ちに優れておられる」 「不意打ち? いやいや、すでに予測しておられたはずだ」 「さて、何の話ですか」 惚ける姿勢を崩さないユートに、ディザンは軽く肩を竦めた。 「……私がここに来た理由は予想できるはずだが、アウロス?」 「!」 ディザンの呼びかけとアウロスの行動は同時だった。 アウロスは帳の陰から飛び出し、流れるような動きで、銀剣を引き抜く。そして、その切っ先をディザンの後ろ首に向けた。 「その物騒な物を収めよ」 低い命令に、アウロスは翡翠の双眸を細めた。 「いいえ」 揺るがない背を見据えたまま、アウロスはディザンの言葉を拒んだ。 「貴方の目的を聞くまでは退けません」 「私を信用しないか?」 「しています。貴方は自分の信念のためには命を賭けられる。だからこそ、私は見極めなければならない」 割り込む隙間のない会話に腰を浮かしたユートは、剣を鞘から引き抜こうとしているジェリスに気づいて無言で制する。 帳から出ようとしていたラトルたちもまた息を呑んで成り行きを見つめるしかない。 「何を見極めると?」 その問いに、アウロスの肩が一瞬震えた。 「……貴方の行動が誰の意志によるものか」 「おかしなことを。私は私の意志によってのみ動く」 アウロスは一息吐いた。 「では、質問を変えます。貴方は誰の意志に従うことを決めたのか」 ディザンはゆっくりと席から立ち上がり、振り向いた。 アウロスの銀剣の切っ先は変わらずディザンの喉を示していた。 「――すでに知る答えを聞くなど愚かな真似をする」 その瞬間、アウロスは唇を噛み締め、切っ先がかすかに揺れた。しかし、翡翠の瞳をまっすぐに上げ、ディザンの深い眼差しを正面から受け止める。 「答えは私ではなく、私を受け入れてくれた彼らに必要です」 その言葉に、ディザンはゆっくりと部屋を見回した。 アウロスの行動に出遅れたラトルたちだったが、ディザンが不穏な動きを見せれば、すぐに対応できるように身構えていた。 一人ずつ見やり、ディザンは小さく笑う。 一見、感情的なものと見えたアウロスの行動はある意図が隠されていた。 ラトルたちの早まった行動を制し、ディザンの安全を確保すること。 そして、ディザンが信用できることをラトルたちに証明することだ。 ディザンの笑みをアウロスは無表情で見つめた。 聡い彼が自分の行動に隠された意図を掴んだと察しても、アウロスは気を緩めなかった。むしろ、緊張が増す。 (もし) 答えが予想通りだったら。 (私は……) ディザンは静かに、はっきりと告げた。 「我が忠誠はレザム皇子殿下に捧げたもの」 ラトルたちは息を呑んだ。 「我が主君は皇帝の暴挙を食い止めるため、ついに起つ。私は抵抗軍への協力要請を願いに赴いた」 剣の柄を握るアウロスの手が震えた。 激しく渦巻く感情を宥めようとしても、できない。 「ッ!」 堪え切れず、アウロスは叫んでいた。 「それで!? ここに来ているのは貴方だけなのですか!?」 ディザンは小さく瞠目した。 「……お前が言いたいのが殿下のことなら、あの方は王都に残っておられる」 「何故ッ!?」 (どうして!?) 声に詰る響きが混じっていた。 (何故、一緒ではないの!? どうして……ッ!?) 不意にアウロスを不安が襲う。 間に合わないかもしれない。 「ッ!」 心臓を鷲掴みされた気分だった。 震えが止まらない。 (嫌、嫌よ……絶対に) そんな未来など認められない。 欲しくない。 (私は望んでいない。だから……!) 不意に脳裏に過ぎった面影に泣きたくなる思いが生まれる。 だが、アウロスは唇を噛み締め、激しく暴れる葛藤を押さえつけた。 ディザンは落ち着き払った深みのある声でアウロスの問いに答えた。 「事を成し遂げるために、自分の残留が必要だと殿下御自身が言われたのだ。お前なら、この意味が分かるだろう」 アウロスは翡翠の瞳を大きく見開いた。そして、何か言おうと口を開くが、すぐに唇を硬く噛み締め、瞳を伏せた。 「……」 アウロスはゆるゆると剣を下ろし、鞘に収めた。そして、無言で踵を返す。 「アウロス……」 気遣わしげなラトルの声に、アウロスは努めて冷静を保って告げた。 「頭を冷やしてくるわ」 「ちょっ、アウロス!?」 シエネの呼び止める声を振り切り、アウロスは部屋を出ると、そのまま外に向かった。 独りになりたいという衝動のままに、アウロスは馬に乗り、屋敷を飛び出した。 横に流れていく街並が緑の景色に変わり、湖に出たところで、アウロスは手綱を引き、馬を止めた。 きらきらと日差しを反射する水面の眩しさに、翡翠の双眸を細め、アウロスは鞍から下りた。 ごく自然に湖の水を飲んでいる馬を軽く撫でながら、アウロスは水面に映り込んだ自分の顔を見つめた。 不安定に揺らぐ像は彼女自身の心そのもの。 静かな風にでさえ、乱される湖面は捕えどころのない感情のようだった。 (分かっている、分かっているから) ディザンの言葉を反芻し、アウロスはきつく唇を噛み締めた。 分かっているのだ。 誰よりも『彼』を理解しているのは他ならぬ自分であることをアウロスは知っていた。 (どうして、貴方は……ッ!) 強く拳を握り、アウロスは立ち尽くす。 記憶の中で微笑んでいる青年に、どれだけ問い掛けても答えは返ってこない。 その微笑みが優しければ優しいほど。 その声音が温かければ温かいほど。 アウロスの心は締め付けられるような痛みを覚えた。 時間が経つにつれ、風が冷たくなり、空に薄い雲が広がっていく。 やがて、けぶるような日差しの中、静かに雨が降り出した。 音もなく降り注ぐ雨。 透明な雫は緑の上を滑り、いくつも弾ける。 少しずつ濃くなっていく雨と緑の匂い。 肺に染み込む冷たい空気。 雨粒がアウロスの身を縁取り、銀色の髪が重みを増して、傷跡の残る白い頬に張り付く。 ぱしゃんと馬が軽く身震いして、足元の水を弾いた。 アウロスはゆっくりと振り返った。 「……いつまで、そこにいる気だ?」 その声に応えるように、アウロスの視線の先で空気が歪んだ。 そして、一つの影が凝り、白い仮面を被った漆黒の長衣を纏った男が現れた。 アウロスは驚きもしなかった。 「皇帝陛下より勅命を申し伝える」 男は恭しく一礼して告げた。 「魔道将軍アウロス、速やかに帰参せよ。その後、抵抗軍殲滅の指揮を取れ」 雨粒がアウロスの白い頬を打つ。 濡れた睫に縁取られた翡翠の瞳は雨に濡れて鮮やかになった緑によく似ていた。 アウロスは不意に薄く笑った。 「手段は選んでいられない、か……」 「将軍」 「分かっている」 その瞬間、脳裏に過ぎった面影にアウロスは胸に痛みを覚えた。その痛みから振り切るように腰に携えた銀剣の柄に触れる。 そして、アウロスは冷淡に尋ねた。 「与えられる戦力は?」 アウロスの問いに男は即座に応じた。 それを聞いて、アウロスは柳眉をひそめた。 「それでは足りない。各地に向かっている、すべての戦力を集結させろ」 「すべての戦力?」 アウロスは口端を歪めて、冷ややかに笑った。 「明後日には抵抗軍とディザン将軍率いる反乱軍が合流する。……殲滅、するのだろう?」 その美しい冷笑に、仮面の男は一瞬息を呑み、戦慄して震えた。 「……承知した」 雨はまだ止みそうになかった。 |