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第五章 〜光の真影 中〜


U


 扉の向こうには大きな空間が広がっていた。
 押し寄せてくる荘厳な空気。
 ラトルたちは機敏な動きで駆け込んだ。
「ギリウム皇帝!!」
 静謐を湛える空間の中で、壁に刻まれた在りし日の世界の姿を眺めていた男は漆黒の長衣を翻し、ゆっくりと振り返った。
「騒がしいぞ、場を弁えよ」
 落ち着き払った威厳のある声音。
 だが、それよりもラトルたちはその姿に息を呑み、足を止め、驚愕の眼差しで男を凝視した。
 ただ独り冷静を保つアウロスだけが無表情なまま柄を握る手に力を込めた。
 ダムロード皇帝ギリウムは年齢から見れば老年期に入っている。だが、今、目前に立つ男は到底そんな年には見えなかった。
 濃い金色の髪に碧緑の瞳。冷ややかな印象を与える、整った容貌は――ラトルによく似ていた。否、ラトルが似ているのだ。ただ、明らかに違うのはその双眸に宿る鋭い輝き。見る者を震撼させる圧倒的な、見下す、その眼差し。
 ギリウムはゆっくりとアウロスたちに視線を注いだ。
「ほう、これは面白い顔触れだな」
 そして、くすりとギリウムは嗤った。
「死んだはずの甥に、忠臣と名高い将軍、そして――」
 貫くような碧緑の視線をアウロスは逸らさず、負けじと睨み返す。
「私の所有物、とはな」
「!」
 ラトルたちは一瞬にして気色ばむ。しかし、言われた本人であるアウロスは動じなかった。ただ、翡翠の双眸に宿る宝石そのものの輝きで、無言で睨みつける。
 ギリウムは婉然と微笑んだ。
「こんなところにいて良いのか? お前を守ろうと必死だった我が息子は私の置き土産に踊らされているぞ」
 その瞬間、アウロスの細い肩が震えた。
 ギリウムの言葉が示唆する意味はすぐに察せられた。
 『刺客』。
 精神を歪められた、忌わしき暗殺者。
「……黙れ」
 感情の昂ぶりに自然と声音が低くなる。
 アウロスは唇を噛み締め、そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「そんなことは、有り得ない、絶対に」
 強い確信を持って断言するアウロスに、一瞬、ラトルは驚いた表情で見つめた。
 次の瞬間、アウロスは銀剣を引き抜き、床に突き立てる。
「!」
 硬質の音が響くと同時に激しい烈風がアウロスたちを襲う。だが、床に突き立てられた銀剣を境に二つに割れた烈風は壁に激突し、破壊の爪痕を残した。
「……ほう、受けたか」
 楽しそうに喉の奥でギリウムは笑った。
 呪文のなく行使された魔法を防ぎ切ったアウロスは無言で銀剣を引き抜く。そのゆっくりとした動作が不意に速まり、銀色の刃が真横に薙ぎ払われた。
 間近に迫っていた炎の塊が切り払われ、霧散する。そして、溶けるように掻き消えていく火の粉が金色の輝きを残しながらアウロスの銀色の髪に降る。
「アウロス」
「動かないで」
 思わず呼びかけたラトルに、アウロスは視線を向けず、短く答えた。
「周囲に攻撃魔法を封じた魔法陣が点在しているわ」
 魔法陣は内側と外側と隔絶する性質を持っている。それゆえに、結界として防御の手段や、転移の際の空間を切り離す作用として利用できるのだ。
 そして、ギリウムは魔法陣内にすでに完成された攻撃魔法を封印し、それを自分の意志で魔法陣を解除していた。
「さすが、というところか」
 感嘆どころか嘲りの響きを含んだ声音だった。
「このわずかな時間で、よく見切ったな。それでこそ、我が『魔道将軍』」
 ギリウムは薄く微笑み、悠然と腕を軽く振った。
「!」
 その瞬間、朱金の炎が、白光の雷が、蒼白の氷が、無色の旋風が、破壊と死と齎す圧倒的な力が一斉にアウロスたちに襲い掛かった。
 次の瞬間、爆煙と轟音が弾ける。
 攻撃魔法の余韻を残す衝撃音と共に床に亀裂が走り、破片が飛び散った。
 そして、爆煙が徐々に収まると、ギリウムは興味深げに碧緑の双眸を細めた。
 爆煙の中から現れたのは淡く光り輝く半球の結界に守られたアウロスたちだった。
「……アタシたちのことを忘れてもらっちゃ困るのよね」
 不敵に微笑み、シエネはギリウムを睨みつけた。
 咄嗟にシエネが張った結界が間に合ったのだ。しかし、かなり瀬戸際だったのか、その額にはわずかに汗が伝っていた。
「カレース公国の魔道士か……」
「アンタには聞きたいことがあるのよ」
「私に?」
 くすりと笑い、ギリウムは無言で続きを促した。
「――魔道士が行方不明になっていたのはアンタの仕業よね。連れ去った人たちをどうしたの!?」
 その問いに、アウロスの肩が一瞬震えた。
 アウロスはその答えを知っていた。
 監獄島で戦った魔法を操るキメラ――捕えられた魔道士たちの、その末路を。
 ギリウムは泰然とした様子を崩さず、言葉を紡いだ。
「答える必要などあるまい。すでに知りながら、問いを重ねるなど愚かな」
「!」
 シエネは思わず、唇を噛み締めた。小刻みに震える肩がその動揺を伝える。
 その様子にアウロスはシエネが薄々察していたことに気づいた。
 研究棟の崩壊が決定した、あの時、シエネは茫然としていた。それは見知った面影をあのキメラに見出したせいだったのだろうか。
 そう思い当たると同時に、アウロスはその時覚えた感情を思い出した。
 あの人は誰だったのだろう。
 切ない眼差しで、痛みを含んだ声で呟いていた。それはすべてを知った上で現実を受け入れたことを感じさせた。
 決して、諦めではない。絶望でもなかった。
 だから、アウロスは混乱したのだ。
 『彼』と同じだったから。
「ダムロード皇国皇帝ギリウム」
 不意に響いた朗々とした声音に、アウロスは我に返った。
「お前は犯してはならない罪を犯した」
 蒼穹の空に似た色の眼差しを真っ直ぐに注ぎ、ラトルは断じた。
「この世界に生きる者として、それは許される罪ではない」
 その瞬間、ギリウムは嘲笑した。
「何が罪だというのだ? 所詮、『契約者』がいなければ存在できない脆弱な世界だ」
「貴様一人が『契約者』だとは思うな!!」
 即座に否定の言葉を叫び、ジェリスは二振りの剣を抜く。
 ギリウムはちらりとジェリスを見ると、薄い笑みを浮かべた。
「そうとも。だから、私は他の『契約者』を排除したのだ」
「……排除だと?」
 唸るように呟いたのはユートだった。
「そんな感覚で我らがクァ―ル王家を、他の『契約者』を殺したのか!」
 いつも寡黙で冷静なユートが激しい感情を叩きつけるように吐露するが、ギリウムは何一つ顔色を変えなかった。
「『契約者』でありながら、弱かったことを私のせいにしてもらっては困る」
 神と契約せし者の末裔。
 人間でありながら、神との契約の証そのものの存在。
 世界を繋ぎ止める役目を担うに相応しい力を与えられた者。
 本来、契約の証は神の力を宿すとされる聖石だ。しかし、その在処は誰も、契約者たちでさえ知らない。
 ゆえに、神との契約を裏付けるのは契約者の存在だけなのだ。
「――強い者が生き残る価値があるとでも言いたいとでも?」
 吐き捨てるようにディザンは続けた。
「どんな力を持っていても、人間は世界の崩壊に抗えなかったことを忘れたか!」
 それはアウロスも感じたことだった――あの遺物の『帆船』の中で。
 人間は世界の崩壊を止められなかった。
 高度に極められた魔法も、何も役に立たなかった。
 それを止めることができたのは『神』だけだった。
 人間はどんなに力を持っても、滅びの前に無力なのだ。
 命ある者にとって死が避けられないものであるように。
 しかし、ディザンの叫びを一笑に切り捨てた。
「私は世界を存続させている『契約者』だ」
「……自分はただの人間じゃねぇ言いてぇのかよ。あんただって、死ぬことには変わりはねぇんだ!」
 ガントの感情的な言葉にラトルが冷静に続けた。
「だが、私たちはお前の死が訪れるまで待つ気はない」
 ギリウムが死ぬまで、どれだけ多くの人間が必要以上に死ぬことになるのか想像もつかない。全滅することはなくても、人々の心は死んでしまうだろう――おそらく、取り返しのつかないところまで。
 ラトルの言葉に触発され、アウロスは苦渋の表情になる。
 時間はあまり残されていないのだ。
 希望があるうちに、問題は解決されねばならない。
 やがて、ギリウムはゆっくりと笑みを消した。
「待つ必要などない」
 そして、ギリウムは無造作に腰に佩いた長剣を抜いた。
「お前たちはここで死ぬ。そして、私は死ぬことは有り得ない」
「!?」
「そのための手筈はすでに整えた」
 玲瓏な容貌に酷薄な笑みが浮かんだ。
「お前たちにも見せてやりたいところだが、どう考えても黙っていられそうにない。だから」
 その瞬間、圧倒的な殺意がギリウムから立ち昇る。
「私自らの手で葬り去ってくれよう」