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猛々しい宣言と同時にギリウムは魔法を構築する。 「苦獄の魔人よ、破滅の角笛を吹け!!」 急激に膨れ上がる魔力。 それは魔力の暴走に似ていた。だが、明らかに違う点がある。 (これは暴走じゃない) ギリウムは魔力を纏い、にやりと微笑んだ。 その瞬間、アウロスは咄嗟に叫んでいた。 「止めて!!」 鋭い声は圧縮される空気に押し潰された。 ギリウムを中心に集束する圧倒的な力。 一ヶ所に凝った力は一瞬にして膨れ上がり、限界を迎え、弾けた。 それはまるで嵐だった。 逆巻く風がラトルたちの声を奪い、刃となって四肢を切り裂く。結界を張る暇さえもない。ただ、過ぎ去るのを待つしかなかった。 「!」 不意にアウロスは鈍く浸透してくる衝撃に気づいた。同時に呼吸がままならなくなり、ついに体は均衡を失った。咄嗟にアウロスは銀剣を支えに、片膝を床に着いて座り込む。 (何、これは……) 幾度となく走る鋭い痛みを堪えて、アウロスは意識を集中した。 (これは――音!?) 激しい風に紛れて耳に入ってくる小さな音は微量の魔力を帯びていた。それが毒のように体の奥へと侵入し、自由を奪おうとしていた。 アウロスの脳裏に、ギリウムの唱えた呪文が蘇った。 ――苦獄の番人よ、破滅の角笛を吹け。 (これが破滅の角笛……!) 軽く腕を上げて眼を庇い、アウロスは風を防ぎ、ギリウムの姿を捉えようとした。視界の隅で漆黒の長衣が大きく翻る。 アウロスは咄嗟に視線で追っていた。 振り上げられた長剣が狙う先は――。 「シエネ!」 荒れ狂う風に紛れて届いたアウロスの叫びに、シエネは弾かれて顔を上げた。 乱れる視界に鋭い煌きが走る。 「!」 硬直したシエネの体が突き飛ばされ、硬質の金属音が鳴り響いた。 思わず息を呑んだアウロスの耳に呪文が届く。 「楽園の楽師よ、安寧の調べを紡げ!」 ギリウムの魔法を打ち消すラトルの魔法が瞬く間に効果を発揮し、風が静まった。 痛みが拭い去られ、意識が明瞭になっていく。そして、アウロスは硬質の金属音の正体を知った。 ギリウムの長剣を瀬戸際でディザンの剣が受け止めていた。 「……ほう、まだ生きていたか」 口端を歪め、ギリウムは薄く笑った。 歯を食い縛り、ディザンは剣の柄を握る手に力を込め、押し返そうとする。 火花が散るような耳障りな音がなると同時に、二人の刃が離れ、再び交差した。 幾度となく散る火花。 鋭い剣戟の響き。 アウロスは唇を噛み締め、剣の柄を握り締めた。 割り込む隙がない。 ディザンの体の傷は魔法によって一応塞がっている。だが、失った血が戻った訳でもなければ、体力まで回復した訳ではないだろう。 (いくらシエネが回復魔法を得手にしていると言っても、そこまで回復させられるほどの余裕はなかったはず……) 回復魔法に集中して守りが疎かだったシエネはギリウムの攻撃を受けずには済んだとはいえ、突き飛ばされた衝撃をまともに受けていた。 気絶はしていないが、素早く動けそうにない。 ラトルはもちろんユートやジェリス、ガントも意識を回復し、態勢を整えていた。だが、誰もギリウムとディザンの戦いに加わることができずにいた。 ギリウムの剣技は切り込みが早い上に重い。鋭さも遺物の剣ゆえに尋常ではない。かすかな切り傷さえ、予測していた以上に深くなる。 しかし、ディザンの卓越した駆け引きと優れた勘はギリウムを勝り、かろうじて拮抗している。何より尋常ではない気迫がディザンに勢いを与えている。 だからこそ、誰も手出しできない。 余計な手出しは逆にディザンに隙を生み、ギリウムの優勢を促してしまう。 (だけど、このままでは!) 焦りだけが募る。 「ッ!」 空気を裂いて振り下ろされる刃にディザンは舌打ちし、咄嗟に刃を返し、受け止めた。 鬩ぎ合う二つの刃を挟み、ディザンとギリウムは向き合う形になった。 「死に損ないの身が諦めの悪いことだな」 緊張と疲労に強張ったディザンに対して、ギリウムには余裕があった。身体的な理由からではない。ギリウムは常に人を見下し、精神的に優位な立場になっていた。 それは誰にも曲げることの出来ない『真実』を自分だけが知っていることから生じていた。 たった一つの『真実』が運命を左右することをギリウムは知っていた。そして、その『真実』を明かす時も熟知していた。 「愚かなことだ、あれの罪も知らずに」 「な、に……?」 薄く笑い、ギリウムはディザンに囁く。 ゆっくりと含み聞かせるようにして紡がれた言葉に、ディザンは双眸を見開いた。思考が停止し、ギリウムの告げた『真実』が何度も脳裏に響いた。 「……馬鹿な……」 驚愕の余り、一瞬、ディザンの気が緩んだ。 その瞬間、ギリウムはディザンの剣を弾き飛ばし、素早く剣を閃かせた。 「!」 咄嗟に身を退こうとするが間に合わない。 ギリウムの刃に喉の皮膚を切り裂いていく。 視界に勢いよく広がっていく真紅に眩暈を覚え、ディザンは均衡を失い、後ろへと倒れた。 「ディザン将軍!!」 手から滑り落ちた剣の音と悲鳴にも似た叫びが重なった。 「絶望の連なりよ、鬨の声を上げろ!」 ラトルの魔法が完成した瞬間、ギリウムの足元から円錐状の岩が次々と突き出して襲い掛かる。 ギリウムは間近な岩を赤い輝きを帯びた長剣で打ち砕き、後方に飛び下がった。 その隙を突くように、ユートが攻撃を仕掛ける。 的確に急所を狙ってくる穂先をギリウムが長剣で捌き、弾くと、ユートに続いてジェリスが懐に飛び込んだ。そして、二つの剣を駆使して連撃を繰り出す。 しかし、ギリウムは踊るような軽やかさでジェリスに攻撃を躱した。 「踏み込みが甘い」 そして、一言を評すると、一瞬にしてジェリスの背後に回る。 「!」 そして、ギリウムはジェリスの背に向けて剣を振り下ろそうとするが、次の瞬間、横に退いた。 空いた空間に大剣が空振り、ガントは舌打ちをした。 ラトルたちがギリウムに挑んでいる隙に、シエネとアウロスは仰向けに倒れたディザンに駆け寄っていた。 「将軍……!」 剣の刃はそれほど深く皮膚を切ってはいなかったはずだった。しかし、ディザンの喉の傷は大きく、血が止まることなく溢れている。 傷を見た瞬間、シエネは青ざめ、無言で唇を噛み締めた。 手の施しようがないことはアウロスにも分かっていた。 蒼白さを通り越し、白い顔を血の赤に染めたディザンは徐々に力を無くしていく瞳を動かし、動揺に歪んだアウロスの顔を捉える。 「……アウ……前は……殿下、の……?」 血に噎せながら、ディザンは言葉を紡ごうとした。 その瞳に戸惑いと悲嘆を見つけ、アウロスは息を呑んだ。 決して、優勢だった訳ではない。長期戦になれば、ディザンの体は耐えられなかっただろう。 アウロスはディザンがギリウムの一撃を受けた時のことを思い出した。 わずかな一瞬、ディザンは隙を見せた。 その隙をどうやってギリウムは作ったのか。 (まさか……) 「将、軍……」 その呟きにすべてを悟ったのだろう。 ディザンは不意にアウロスの腕を掴み、引き寄せた。 どこにそんな力が残っていたのかと思うくらいの強さにアウロスは抵抗できなかった。 「大罪を犯すな……!」 「!」 心臓を抉られた。 そんな気分に陥り、アウロスは言葉を失う。 大罪。 (分かっている……分かっているわ) 何が罪か。 何を罪だと。 そんなことは言われなくても分かっている。 関係ないと言えるだけ傲慢でもなければ、無知でもない。罪だと知って、尚、望むことなどない。 最初から、違ったのだから。 「ディザン将軍、私は」 アウロスが言い募るより早くディザンの手から力が抜け、ずるりと落ちる。 「!」 苦悶に顔を歪ませ、虚ろな瞳を訴えるように見開いたまま、ディザンは息絶えていた。 アウロスはしばらくの間無言で見つめていたかと思うと、ゆらりと立ち上がった。 「――アウロス?」 訝しげなシエネの呼びかけには緊張の響きが宿っていた。 銀剣を手に、アウロスは儚い微笑を浮かべた。 「シエネ、私は……本当は逃げたかったの……」 思いがけない告白に、シエネは琥珀の瞳を瞠った。 「全部、投げ出して、楽になりたかった……。そんな風に思う自分が嫌いで、そんな無責任でいいはずがないのに、できる訳がないって分かっていたのに――」 『強さ』を望むと同時に、『痛み』を受けたくなかった。 喜びと哀しみは表裏一体で、どちらか一方だけなんてことあるはずがない。感情の受け皿である心は不器用だ。 「分かっていたから、ここにいるのに。間違っていないはずなのに、それでも、どうしてかしら。どうして、私は……」 こんなに泣きたくなるのだろう。 ディザンの死を素直に悲しむのでなく、改めて突きつけられた『真実』に、今更、切なくなるのだろう。 感情に理由を求める方が間違っているだろうか。 「アウロス……?」 そして、アウロスはそっと溜め息を吐いた。 「現実は、残酷ね」 不意にアウロスの耳に短い悲鳴が届いた。素早く視線を巡らすと同時に彼女の足は動いていた。 ギリウムは魔法で生み出した衝撃波でユートたちを弾き飛ばすと同時に他の者には目もくれず、ラトルに狙いを定めた。 避けられない。たとえ、無理に避けても追ってくる第二撃が急所を捕える。 一瞬の間に、そう判断すると、ラトルは自ら刃を受けるかのごとく前に踏み出した。 腕を一本犠牲にしてでも、自分を倒そうとするラトルに、ギリウムはわずかに双眸を吊り上げた。 「無駄だ!」 下降していた長剣の向きが変え、ギリウムはラトルの肩から斜めに斬りつけようとする。 「!」 鋭い金属音が鳴り響く。 それと同時にギリウムの長剣が上に弾かれた。 咄嗟にギリウムは柄を握る手に力を込め、剣をその手に止める。同時に、刃を下から銀剣で弾いて邪魔をしたアウロスの腹に膝蹴りを放つ。 「ぐッ!」 思わず、アウロスは座り込む。 「竜の咆哮よ、彼方まで轟け!」 一瞬の隙を逃すまいと放ったラトルの一撃はギリウムの唱えた攻撃魔法に阻まれ、その体ごと壁に打ち付けられる。 鈍い音と同時に血を吐いたラトルにアウロスは息を呑んだ。 「ラトル!」 顔色を変えて叫んだアウロスは、次の瞬間、我に返って銀剣を構えた。 手に痺れが走ると同時に銀剣はアウロスの手から飛び抜け、床の上を滑っていく。 「!」 「他人の心配などするからだ」 嘲りの笑みを浮かべ、ギリウムは切っ先をアウロスの喉元に向けた。 アウロスは身動きがならぬまま、静かにギリウムを睨みつけた。 「どうした? ここまでか?」 喉の奥で笑いながら、ギリウムはアウロスに立つように促した。 アウロスは唇を噛み締め、油断なく緩慢な動きで立ち上がった。 「……私を殺せるものなら殺してみればいい」 その言葉に、ギリウムはかすかに眉をひそめた。 アウロスは皮肉を含んだ笑みを浮かべた。 「私にとって、死は恐れの対象ではない。私が恐れるのは絶望。そして、『絶望を齎すもの』はお前ではない。たとえ、『幾多の墓碑が建てられよ』」 うとも。 アウロスの言葉が不意に途切れる。 「!」 ギリウムの空いていた左手がアウロスの喉を締め上げていた。 苦しそうに呻くアウロスを観察し、ギリウムは鼻で笑った。 「変則魔法とは考えたな」 その瞬間、アウロスの表情に苦々しさが宿った。 『絶望を齎すもの』 『幾多の墓碑の建てられようとも』 ――絶望を齎すものよ、幾多の墓碑を建てよ。 「だが、あまりにも直接的すぎる」 不意に喉を掴む手に力を込められ、アウロスは眉根を寄せ、喘いだ。そして、両手でギリウムの手を外そうとする。 無意味な抵抗をギリウムが嘲笑った瞬間、アウロスの爪先が軽く浮き、圧迫感が増した。 「う、ぁ……!」 「アウロス!」 切迫した声に、アウロスはかすかに視線を動かした。 視界の片隅に、側に駆け寄ったシエネが回復魔法をかけようとするのを制し、立ち上がろうとするラトルの姿があった。 しかし、次の瞬間、ラトルは顔を顰めると、片膝を床に着く。再び、口元から血が溢れた。 「!」 骨が折れて、内臓を傷つけたのだろうか。 「そんなに奴が心配か?」 ギリウムの呟きに、アウロスは再び視線をギリウムに戻した。 凍りつくような酷薄な笑みが待っていた。 「ッ!」 「我が息子の次は我が甥か。どこまで行っても、お前は我が血から逃れられんようだ」 (違う) アウロスは必死の表情で否定しようとした。 (血なんか関係ない) 反論の言葉を紡ぐはずの唇は空回り、細い乱れた息だけが零れる。 抗うアウロスの手によって、ギリウムの手の皮膚が傷を作った。だがギリウムは気にも留める様子もなかった。 アウロスに意識を向けている隙を狙い、態勢を整えたユートたちがギリウムに刃を向けた。 しかし、機先を制するがごとく背後から、白面に黒衣の男たちが駆け込んで襲いかかってくる。 ギリウムに従う精鋭の騎士たちだった。 激しい剣戟の音が空気を震わす。 戦いの気配を視界の外に感じ取り、ギリウムは薄く微笑んだ。 「役に立たぬ人形に用はない」 「ぁ……ッ!」 喉の骨を折られるかと思うくらいの締め上げにアウロスは細い悲鳴を上げた。 ギリウムの長剣が動く。 「止めろ――!!」 ラトルの絶叫と同時に刃が閃いた。 そして。 刃が重なる音と叫びの中、朦朧となりながらアウロスはその声を聞いた。 「守護の盾よ」 アウロスの心臓を貫こうとした切っ先が閃いた結界障壁に弾かれる。 「竜の咆哮よ、彼方まで轟け!」 驚愕に息を呑んだギリウムの体が横合いから放たれた風の塊に吹き飛ばされ、壁にぶつかった。 解放されたアウロスの体がゆっくりと落ちる。 さらさらと銀の髪が流れ、背を叩いた。 背後から伸びてくる腕が力なく崩れる華奢な体を支え、抱き止める。 そして、アウロスは涙を堪えるように瞳を閉じた。 全身が訴える。 見なくても分かる。 問わなくても答えは出ている。 間違える訳がない。 誰よりも長い間側に存在した温もり。 何よりも大切だった、痛みと安らぎを齎す手。 無意識のうちに、震える唇が一つの名を呟いていた。 「レザム……」 第五章 〜光の真影 下〜 T へ続く |