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第五章 〜光の真影 下〜


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 戸惑いながら、アウロスはレザムを見つめた。
「哀れだとは思うよ。だけど、僕は、お前を傷つけたリリシアを大切に思えない」
「!」
 その言葉に思い当たることがあり、アウロスは息を呑む。
 アウロスはレザムに誰よりも何よりも大切に思われていた。
 それは誇張でも、自惚れでもない。
 紛れもない事実。
 その事実をレザムの妻となり、彼を愛したリリシアは許すことができなかった。
 どんなにレザムがアウロスを特別扱いにしても、その立場は臣下だ。
 リリシアは殊更にアウロスに臣下である立場を思い知らそうと振る舞い、レザムのいないところでは冷淡に応じた。
「レザム、違う。私は平気だった……!」
 アウロスは小さくかぶりを振り、否定した。
 リリシアのしたことに傷ついたことなどなかった。彼女の行動は当然であり、城にいた時の日常の一つだった。
 アウロスに対して恐れを抱きつつ、立場の上下を主張して嘲る人々だけが周囲に多くいた日々。
 彼らの感情は当然のもので、アウロスは何故と疑問にさえ思わなかった。
 兵器として人為的に創られた、この命。
 まるで機械のように屍を生み出す、この力。
 恐れて当然だ。
 侮蔑されて当然だ。
 レザムはアウロスを優しく見つめ、呟いた。
「アウラは優しいから」
 だからこそ、信じることはできないと言外に伝えられ、アウロスは愕然となった。
 絶望が足元から忍び寄ってくる。
 それでも、アウロスは言葉を紡ごうと口を開く。しかし、声が出ない。
 言っても受け入れて貰えない。
 なら、言葉を重ねる意味があるのか。
「でも、もう大丈夫だよ。リリシアがお前を傷つけることは二度とない」
 穏やかな言葉に不穏なものが潜んでいることを感じ取り、アウロスの顔が強張る。
「……レザム?」
 それはどういう意味かと問おうとした瞬間。
「ッ!」
 短い悲鳴と共に、レザムの足元に一人の娘が放り出される。乱れた淡い栗色の髪が床に広がった。
 強かに打ち付けられた痛みに、くぐもった悲鳴が上がった。
 その声にアウロスは我に返る。
「リ、リリシア様……?」
 そして、レザムの影から這い出るように、深緑の長衣を纏った魔道士が現れた。
「レザム様、お連れしました」
「サリク!?」
 思わず名を呼んだアウロスに、サリクは無言の一瞥を投げかけた。
 レザムは静かに娘を見て、振り向きもせずにサリクに問い掛けた。
「まだ生きているのだろうね?」
「はい、辛うじて」
「そう、良かった」
 一つ頷いてレザムは跪く。
 二人の会話に、アウロスは茫然となった。
(何故……)
「リリシア、僕の声が聞こえているかい?」
「…………レ、ザム、様……?」
 細い息の下から声を絞り出し、リリシアは緩慢な動きで首を巡らした。そして、レザムの姿を認めると、はらはらと大粒の涙を零した。
「皇帝の……魔道士が、私を……!」
 何の気遣いもなく放り出されたため、全身が痛みに痺れてしまっているのだろう。リリシアは体を起こすこともできず、震わすだけだった。
 不意に、アウロスはリリシアの腕が何かを抱き締めているのに気づいた。
 まだ少ない金色の髪が布の包みから覗いている。
(あれは――)
 リリシアが生んだ子どもだろうか。
 アウロスはぼんやりとそう判断した。そして、レザムがリリシアに優しく声をかける姿を眺める。
 レザムの優しい表情は見慣れたものだ。
 その眼差しがリリシアに向いていることに安堵を覚える。
 いつだってレザムが『自分以外の誰かを大切にする』ことはアウロスにとって何より重要なことだった。

――私ハ皇帝ノ人形ダカラ。

 いつかレザムに剣を向ける時が来るかもしれない。
 たとえ、したくないと思っていても、するかもしれないから、その時、レザムが絶望せずにすむように。

――私ガイナクテモ、笑ッテイテ。

 そう願って、距離を取ろうとして。
 そして。

 過ちを犯した。

「大丈夫だよ。約束した通り、父上には殺させない」
 わずかな衣擦れの音に交じる金属の擦れる音。
 その音がアウロスを現実に立ち戻らせる。
「レザム!」
 鋭い呼びかけは何の役にも立たなかった。
 レザムの剣がリリシアの抱えていたものごと左胸を貫いていた。
「……な……ぜ……」
 極限まで双眸を見開き、リリシアは呟いた。
 しかし、レザムの答えを待つことなく、瞳から力が失われていく。
「約束したからね」
 そう囁き、レザムは碧緑の双眸を細めた。
「だから、僕が殺してあげるよ」
 虚ろな若葉色の瞳から涙が一滴零れ落ちる。
 レザムは口端を歪めた。
「レザム!! どうして、どうして!? リリシア様は貴方を、間違いなく貴方自身を愛していたのに!」
 アウロスの叫びに、レザムは顔を上げた。
「僕が愛するアウラを傷つけるのに、僕を愛している? そんな『愛』、僕は必要としない」
「!」
 レザムはゆっくりと立ち上がろうとした。その動きに従って、刃が引き抜かれ、リリシアの胸元が赤く染まっていく。
 ぽたりと床に赤い雫が滴り落ちた。
「あぁ、忘れるところだった」
 そして、レザムは背後の魔道士に囁いた。
「……お前もアウラを傷つけたことがあったね?」
「レザム様!?」
 驚愕の声は悲鳴と入れ代わる。
「其は一掴みの灰塵と帰せ」
 レザムの呟きと同時に、深緑色の長衣が一瞬にして真紅に包まれ、漆黒の灰と化す。
「!!」
 かつて人であったものが完全に形をなくした頃、レザムは困ったように独白する。
「あれほど傷つけるなと言ったのに、僕の命を破るからだよ」
 そして、レザムはアウロスに微笑みかけた。
「僕はお前を傷つけようとする者は絶対に許さない」
 立ち尽くすアウロスにレザムは静かに歩み寄った。
「たとえ、お前が平気だと言っても、傷ついていることが僕には分かるから」
 その瞬間、二人の間に割り込む形で何かが飛び込んでくる。
「!」
 我に返り、アウロスが一歩退くと同時に苛立ったような声が届いた。
「人が、黙って聞いてたら、好き勝手、言ってくれる、よなッ!?」
 荒い呼吸で途切れながら叫んだのはガントだった。
 驚いて見つめたアウロスは目の前に飛んできたものが意識を失った敵兵の体だったことにようやく気づいた。
「全くですね!」
 どさりと重い音に重なるように別の声が届く。
 視線をやれば、足元に敵兵の体を転がしたジェリスが鋭い眼差しでレザムを睨んでいた。
「そう言っている自分こそアウロスを傷つけていることに気づかないんですか?」
 冷ややかな言葉に、レザムは無言で応じた。
「目の前の現実をもっと見つめるべきだろう」
 ジェリスに続いて、ユートは低い声で指摘した。突き出していた槍を引くと同時に敵兵が前倒しに床に崩れ伏せる。
 三人とも満身創痍で、血が滲み、持っている武器も一部刃が欠けているところもある。だが、その眼差しには力が満ち、この部屋に入る前以上の気迫を放っていた。
「俺たちだってなぁ、アウロスを傷つける気なんてないんだよ! それでも傷つけたっていうなら、謝るさ」
「傷つかず築ける人間関係なんて聞いたことがありませんよ」
「人の心は変わる。だが、変わらないものも確かにある」
 そして、三人は揃ってレザムに攻撃態勢を取った。
「アウロス、自分を犠牲する必要はない」
 ユートの言葉にジェリスとガントは大きく頷いた。
「もう邪魔者はいませんからね」
 レザムの攻撃を躱すことくらいできるとジェリスは笑った。
「そーそー。ラトルも情けねぇ顔してんじゃねぇよ」
 ガントに言われて、ラトルは曖昧な笑みを浮かべた。
 三人の言葉を聞いていたアウロスは力を得たかのように深呼吸してレザムを見据えた。
「レザム」
 呼ばれて、レザムは視線をアウロスに移す。
「私は貴方が思うような『特別な存在』じゃないわ。私一人のために誰かの命を踏み躙って当然なんてことはないの」
 そして、アウロスは毅然と言い切った。
「もし、私を傷つけようとするものがあるなら、その時、私自身の判断でどうするか決めるわ」
 受け入れるか、否か。
 それを判断するのはレザムではない。
(私自身だわ)
 この場に立つことを選んだのも、自ら望んだからこそ。
「レザムが決めることじゃない」
 はっきりとした拒絶に、レザムは小さな溜め息を吐いた。そして、柔らかな苦笑を浮かべた。
「アウラ、それはお前の思い違いだよ」
「……?」
 わずかな警戒を漂わせ、アウロスは柳眉をひそめた。
 レザムは微笑んでいた。
「この世界でお前以外価値のあるものなんて最初から存在しないんだ」
 アウロスを映す碧緑の瞳が愛しげに細められた。
「お前が『特別』なのではない。この『世界』そのものが無意味なんだ。そう、『契約者』すらね。だから、お前を傷つける存在を容認する『世界』など存在しなくていい」
 レザムの唇が何かの呪文を刻み始めた。
 ラトルたちが警戒して身構える。
(これは――召喚呪文!?)
 何を召喚するのか分からないままアウロスは呪文の完成を阻むための呪文を唱え出す。しかし、空気が鳴動する感覚に、息を呑んだ瞬間、火花が散るような音と共に弾かれ、中断させられる。
「!?」
 咄嗟に、体を強張らせ、走り抜ける衝撃をアウロスは耐えた。そして、同時に意識を凝らし、周囲の異変の正体を探ろうとした。
(空間が共鳴している!?)
 それを導いているのがレザムの紡ぐ呪文だとアウロスが悟った瞬間、共鳴の意味が明らかになる。
 空間を裂いて、飛来する三つの光。
 赤、緑、黄。
 アウロスは驚愕して双眸を見開いた。
「まさか、精石!?」
 動揺したシエネの叫びが届く。
 それを合図にした訳でもないだろうに、レザムの腕に嵌っている金の円環に輝いていた青の精石が強い光を放ち、飛び立つ。
 四つの精石はまるで踊るように宙を滑り、光の螺旋を描き始める。
 何が起こっているだろう。
 アウロスは無意識のうちに震える体を抱き締めた。
(何、この感覚は……!?)
 奇妙な、全身が粟立つような感覚。
 魂の奥底から沸き起こる震え。
(怖い)
 まるで自分が自分でなくなるような錯覚。
 この感覚はこの身に流れる『契約者』の血のせいなのだろうか。
「何をする気だ、レザム!!」
 怒号に近いラトルの叫びに、レザムは淡く笑った。
「世界は何で構成されているか、知っているだろう?」
 ラトルは双眸を見開いて、硬直する。
 レザムの問いに、シエネの唇が喘ぐように動いた。
「四大元素……」
「そう、地・水・火・風の四つだ。かつて世界には数多の精霊が存在したというが、そのどれもが大別で四大元素に分類できる」
 穏やかに、魔法史学の基礎をレザムは説く。
 かつての世界。
 崩壊を迎える以前の世界ではすべての人々が魔法を扱えたという。しかし、崩壊の兆しと同時に精霊は姿を消し、人々の内からは魔力が失われていった。
 魔法の前提条件は魔力。
 この魔力は精霊の力の証――精石との契約によって齎される。契約した精石は血に宿り、魔力となるのだ。
「世界が滅びを迎えた時、精霊たちも姿を消した。不思議に思わなかったかい? それなのに、何故、僕たちは魔法を使うことができるのか」
 四つの精石が描く光の軌跡が交差する。
 その輝きに縛られたかのように誰も動けなかった。否、それともレザムの言葉に魅入られたのか。
 目的の見えないレザムの話が恐ろしく重要なことだけが全員に分かっていた。
「答えは簡単だ。精霊たちの存在の代わりとなる精石が存在したからだ」
 そして、レザムはゆっくりと詠うように告げた。


「シィセーリ・アイズェ・ウァーレラ・スヴェテ・エテ・スヴェテ・サゥテ・ターディア・コォークァーリ」


 それは精石の内に刻まれていた言葉だとラトルたちは一瞬遅れて思い出す。
 そのことを知らないアウロスは訝しげに柳眉をひそめた。


「四精の礎とは吾の事なり。万物に在り、万物に在らず。ただ此処に在る……?」


 古き言葉。
 それは魔法を導く音韻と同じもの。
 だが、レザムが紡いだ言葉は呪文ではない。否、魔法を導くのではなく――。
(存在の確定……? でも、何の?)
 次の瞬間、アウロスは脳裏に閃くものがあった。
「――精石の契約者は……『円の世界』?」
 呟きながら、アウロスは圧迫感に襲われていた。
 契約者の血に宿るがゆえに契約済みの『精石』は形がない。だが、相手が人ではなく『円の世界』そのものであれば存在することにこそ意味があるではないか。
「アウラは聡明だね」
 満足げな響きに、アウロスはレザムを見上げた。
 レザムは嬉しそうに微笑んでいた。
「そうだよ。この四つの精石はこの『円の世界』を構成するのに必要な礎なんだ。そう考えたら、すべて道理が通っているだろう?」
 精石は魔力の源。
 契約者――『円の世界』に力を与える。
 それが『四精の礎』が意味するもの。
 ならば、その後の言葉は何か。
 思案を巡らすアウロスたちに、くすくすとレザムは笑った。
「だけど、それだけじゃない。四つの精石は『鍵』なんだ」
「な、に……?」
 ラトルの呟きを耳に留め、レザムは悠然とした眼差しを注いだ。そして、朗々とした声で語り出す。


「『四精の石は聖なる石への標であり、鍵。だが、それは永久に封じられるべきもの。誰も触れてはならない。許してはならない。聖石に宿る力は創造と破壊。創造の行き着く果ては破壊。神との契約は滅びの時を我らに委ねられたに過ぎない』」


 一度言葉を止めると、レザムは輝きを増す精石を見つめた。
「これは、この名も無き神殿で生涯を終えた『始まりの契約者』である初代王の遺した言葉だよ」
 そう呟いて、レザムは視線を落として苦笑した。
「かの王が何を言いたかったのか分かるかい?」
 くすくすと笑うレザムに、アウロスは表情を強張らせた。
「彼の言葉はこの『円の世界』が理に反していると告げているんだよ」
 創造と破壊。
 生ある者が死を迎えるように、形ある物は壊れる。
 それは否定のしようがない事実だ。
「四つの精石は世界の礎、だが、名も無き神殿は封印だった」
 アウロスの脳裏にナファームの名も無き神殿が蘇る。
 地下に立ち入る者すべての命を奪う罠。
 『契約者』である初代王が施した、死の魔法は『円の世界』を守るため。
「だが、今、四つの精石は封印から解放され、こうして揃っている」
「貴様、何をする気だ!?」
 ラトルの鋭い問いに、レザムは静かに笑った。
 その透き通るような笑みに、その場にいた全員の背筋に悪寒が走った。
「この狂った世界を終わらせる。アウラを傷つける存在を容認する世界など無意味だからね」
「なッ!?」
 レザムは夢を語るように朗々と告げた。
「精石の解放、そして、共鳴。それによって聖石は再び顕現し、この手に収まるだろう」
「そんなことをしたら、結界がッ」
 呻くようにアウロスは呟いた。
 脳裏に過ぎるのは監獄島から見た虚無。
 すべてを喰らう暗黒の、永遠の混沌。
 この『円の世界』は聖石の力が創る結界によって混沌から守られているのだ。
 その聖石を手にするということは今の状況を壊すということに他ならない。
 結界を創る当然の条件として不可欠な『要』を失って、その効果が発揮されることはない。
 その『要』とは術者であり、魔法陣の支点、魔力を帯びた物。
 聖石とて同じことが当て嵌まる。
「消えてしまうだろうね」
 レザムはあっさりと頷いた。
「レザム!」
「だって、必要ないだろう? むしろ、邪魔だよ。アウラが笑っていられる世界を創造するには」
「そんなことはさせないッ!!」
 言い放つと同時にラトルは攻撃魔法を完成させる。
「凝れる火焔よ、滅びの一矢となれ!」
 真紅の烈火にレザムの体が包まれる。
「ッ!」
 猛火が起こした風に煽られ、アウロスは翡翠の瞳を見開いて言葉を失った。咄嗟に腕を上げ、その熱から顔を庇いながら、レザムの様子を見やる。
(レザム!)
 炎の中でレザムの影が動いた。
「シエネ、精石を!」
 ラトルの言葉に頷くこともせず、シエネは共鳴して輝く精石を抑えるため封印の呪文を唱え出した。
 直後、ラトルは胸元に閉まっていた金貨が熱を帯びる。
 それが何を意味するか察するより先にシエネの頭上から漆黒の影が落ちた。
「!」
 シエネは体を捻り、半ば倒れこむようにして、影を避けた。次いで、彼女は影の正体に息を呑む。
「使い魔!」
 唸り声を上げて、双頭の漆黒の豹が首を巡らした。
 驚愕するラトルの目の前で、炎が掻き消える。何一つ変わらない様子で立つレザムは冷ややかにラトルを見つめた。
「……邪魔は、させないよ」
 小さな呟き。
 その瞬間、感じた魔力の気配にアウロスは我に返る。素早く視線を彷徨わせ、ジェリスたちの方に向かって切り裂くような声を迸らせた。
「避けて!!」