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事態が急変したのはディザン将軍と一通りの打ち合わせが終わった時だった。 「ラトル様、大変です!」 慌てた様子で駆け込んできたジェリスに、ラトルは軽く眉をひそめた。 「何があった?」 ラトルの蒼い瞳を見て、ジェリスは少し落ち着きを取り戻す。 だが、まだ表情は強張っている。 「……皇国軍です」 ラトルと一緒にディザンとの打ち合わせに混じっていたユートが言葉を挟んだ。 「ディザン将軍の軍ではないのか?」 ジェリスは厳しい顔つきで、かぶりを振った。 「いいえ、違います。……斥候の情報によると、敵軍の構成はキメラが七割、三割が正規軍、それから魔道士が数名確認されています。敵軍は各地から集結している模様です」 「各地から、ということは……」 「総力戦、ということか」 ユートの言葉を引き継ぎ、ラトルは穏やかに呟いた。そして、ジェリスに笑いかける。 「すぐに私たちもここを発ち、平原に戦陣を置こう。皇国が総力戦をする気なら受けて立つだけだ。総力、ということは、つまり後がないということだよ」 ジェリスを落ち着かせるように言い、ラトルは視線をディザン将軍に転じた。 「ディザン将軍、ご助力願えますか?」 「無論だ」 ディザンは力強く頷いた。 戦闘の知らせは瞬く間に広がった。 ある程度、覚悟があったのだろう。抵抗軍の誰もが速やかに行動し、平原に向けて移動を開始した。 その後、すでに大河を渡っているディザン将軍の一軍と合流する予定になっていた。 「先行部隊には情報収集を徹底させろ」 「はい!」 「残留部隊には街の人々の安全を最優先させるように」 「分かりました」 次々と指示を飛ばしていると、硬い表情のシエネが扉の向こうからやってくるのに気づき、ラトルはわずかに眉をひそめた。 だが、指示を与えるのを止めず、続けていく。 「支援部隊には補給路の周囲を再調査して、報告を」 「は!」 「それから、ディザン将軍の軍との合流後、多少編成に変更を加えるから」 「では、対象部隊に通知します」 「ラトル」 「何だ?」 シエネは心持ち声を抑えて、告げた。 「アウロスが戻ってこないの」 その瞬間、ラトルの動きが止まる。 「……戻ってこない?」 ぎこちない問いに、シエネは無言で頷いた。 ラトルはわずかに手を握り締め、唇を噛む。 アウロスが頭を冷やすと言って外に出てから、半日が過ぎている。 雨が降っていたから、どこかで雨宿りをしているかと思っていたのだが――。 (何か、あったのか?) 不安が過ぎる。 優れた戦闘能力を持つアウロスだ。 何が起こっても、冷静に対処できるはずだ。 そう思いはしても、消えることのない不安にラトルは焦りを覚えた。 「――分かった。何人か人員を割き、探させよう」 たったそれだけの言葉を口にするのに、努力が必要だった。 本当は今すぐ探しに行きたい。 この不安が杞憂に過ぎないと確かめたい。 だが。 (今ここで、この場を離れる訳にはいかない) 「ラトル」 「大丈夫。きっと道に迷ったとかだよ、きっと」 ラトルは軽く笑いかけた。 「ああ見えて、アウロスは結構間が抜けているからね」 「そう、ね」 シエネの相槌にラトルは微笑んで頷く。 「忙しいところ邪魔して悪かったわ。アタシも戻るわね、色々と準備もあるし」 「あぁ」 そして、ラトルはシエネを呼んだ。 「シエネ」 「ん?」 「……気にかけてくれて、ありがとう」 ほんの一瞬、シエネは琥珀の瞳を瞠る。次いで、柔らかく笑って言った。 「アンタに礼を言われるようなことじゃないわよ。アタシ、あの子のこと気に入っているの」 そして、ひらひらと手を振りながらシエネは立ち去る。 その後ろ姿を見送り、ラトルは指示を再開しながら、心の隅で思った。 (そう、アウロスなら大丈夫だ……) 死なないと言った。 やることがあるから死ねないと叫んでいた。 あの涙交じりの言葉は真実。 何があっても彼女は無事だとラトルは確信していた。だが、自分の側にいないことが、目が届くところにいないということが動揺を誘う。 出会った時から、そうだった。 彼女はどこか危うい。自らの命に執着していないせいなのか、その繊細な美貌のせいなのか、鋭さと同時に脆さを感じる瞬間がある。 時折、見惚れるまでに強く、不意に抱き締めたい衝動に駆り立てられるほどに儚く、美しい。 矛盾した強さと弱さ。 それを愛しいと思う。 それを貴いと感じる。 だが、それは同時に彼女の存在を不安定にし、稀薄なものとしていた。 愛しいと思えば思うほど、貴いと感じれば感じるほど、不安が募る。 いつか消えてしまうのではないか。 そう思ってしまうのは何も確約がないせいなのだろうか。 不意に、ラトルは苦笑した。 (たとえ、確かなものがあっても余計にひどくなるだけかもしれないな……) それでも。 (まだ、俺は何も言っていない) 始まりもしていないのに、終わらせる気はない。 「ラトル様、出立の準備が整いました」 部下の言葉に頷いて、ラトルは立ち上がる。 「あぁ、行こう」 抵抗軍の士気は静かに高まっていた。 ついに皇帝を倒す時が現実のものとなろうとしている。 下手をすると、浮かれて隙ができそうなものだが、先に本陣に到着していたユートやディザン将軍の冷静な指示で、昂揚感は漂いながらも隙のないものとなっていた。 ラトルが本陣として張られた天幕に着くと、ジェリスがすぐに状況を報告した。 「――多少の小競り合いがすでに起こっていますが、早まった行動は控えるように厳命してありますので、支障ないでしょう」 そして、ジェリスは微笑んだ。 「幸い、追い風なので敵側からの弓による攻撃が来ませんし」 戦略上、皇国側に丘陵地帯があることが難点だったのだ。 高低差を利用した攻撃の大半が風によって阻まれる。 「ああ、そうだな」 ラトルが穏やかに頷いた。そして、机に広げられた大きな地図に視線を落とした瞬間だった。 「……ラトル、ちょっとヤベぇかも」 天幕の扉の布を払い除けながら現れたガントは珍しく渋い顔をしていた。 ラトルは顔を上げて、軽く眉をひそめる。 「……ガント、報告は具体的に且つ端的にすべきものです」 ジェリスは律儀に咎めた。 「ああ、悪い。それで、だな」 おざなりな返事に溜め息を吐きつつ、ジェリスはガントの話に耳を傾けた。 「皇国の連中、こっちの痛いところを分かってやがる」 そう呟いて、ガントは地図を見るように促した。 「ココとココ。それにココだ。まるで、こっちの動きを知っているようだぜ」 そして、ガントは偵察が掴んできた情報を告げた。 「これは……」 ユートは眉をひそめて、低く唸った。 ガントが持ってきた皇国の布陣の情報は厳しいものだった。 「よほど優秀な指揮官がいるようだな」 ユートの呟きに、ラトルは同じように地図を見ていたディザン将軍に視線を移した。 「ディザン将軍、心当たりは?」 ディザンは無言でガントが示した地点を視線で追った。 「難しいですな……。このうちのどれか一ヶ所を抑えるぐらいの才の持ち主なら思い当たらないこともないが――」 「キメラを良く使いこなしていますね、この指揮官」 平原に配置されている主なキメラは機動力に飛んだ軽量系キメラと破壊力に優れた重量系キメラによって構成されている。 大河周辺地域には水辺に生息する爬虫類系のキメラが配置されていた。河を渡ろうとすると、音もなく忍び寄ってくるキメラは手強く、油断ならない。 皇国の正規軍は本陣近くに留まっていた。 「相変わらず、キメラを前線に出している辺り、皇国の人間らしいですが」 ジェリスの呟きに、シエネは思案するように眉をひそめながら、口元に軽く指を当てた。 「もう、キメラは作れないから、これで全部ってことよね……」 ここを乗り切れば勝利は目前だが、逆に言えば、自分たちにとっては負ければこれまでのすべてが無意味になるのだ。 重い沈黙が生まれる。 「下手な作戦は逆に隙を生む……。これは正面から戦うしかない」 ラトルはユートの言葉に唇を噛み締めた。 勝利するためには多少の犠牲はつきものだ。 分かっていても苦々しい思いは消せない。 「ラトル」 不意にガントに呼ばれて、ラトルは我に返る。 「何だ?」 ガントは呆れたような表情をしていた。 「あんまし深く考えるなよな。皆さ、自分の意志でココにいるってことを忘れるんじゃねえぞ?」 思いがけない言葉に、ラトルは言葉を失って、まじまじとガントを見つめた。不意に、苦笑が込み上げてくる。 「……分かった。覚えておく」 「おお、覚えとけ」 何故か胸を張るガントに、ラトルはくすくすと笑った。しかし、次の瞬間、その笑みが消える。 「そこにいるのは誰だ!?」 ラトルの誰何と同時に、シエネが素早く腰に携えた数本の短剣を本陣の入口に向かって放つ。 他の者も各々の武器を持つ。そして、厳しい視線を入口に注いだ。 ガントとジェリスがラトルを心持ち庇うように前に一歩進み出た。 ばさりと天幕の布が大きくはためいた。 シエネが放った短剣が風に巻き取られ、床に落ちる。 自然な風ではないと本能的に察し、全員の顔に緊張が走った。 次の瞬間、天幕の入口から黒い影が滑り込み、一つの形となる。 「!」 それは灰色の長衣を纏った男だった。その衣装の型には見覚えがあった。 (皇国の魔道士!) それぞれの武器を握る手に力が籠もる。 魔道士は懐から手のひら程度の大きさの水晶球を取り出す。 ジェリスは更に厳しい表情で魔道士を睨みつけた。少しでも呪文を唱えようとすれば、攻撃できるように神経を張り詰めさせる。 しかし、魔道士が手にした水晶球は呪文もなく、淡く輝き出した。 「!?」 驚愕するラトルたちにディザンが小さく囁く。 「皇国の通信球だ」 通信球とは円の世界以前の魔道で、同じ魔力を宿した水晶球を通じて情報を相互に伝達する魔法道具である。 通信球が放つ光は徐々に扇状に展開し、一人の男を映し出した。 漆黒の長衣。 目の前の男と同じ型の衣装から魔道士だと分かる。皇国の筆頭魔道士サリクには及ばないが、かなりの高位魔道士と見えた。 男は作り物めいた微笑みを浮かべ、慇懃に礼をした。 「お初にお目にかかる、ラトゥム殿下」 その瞬間、ラトルたちは息を呑んだ。 それを見て、男は薄く笑った。 「我らが何も知らぬとお思いか? それは侮られたもの」 「!」 ラトルは辛うじて唇を噛み締めるだけに動揺を止めた。 いつまでも隠し切れるとは思っていなかった。だが、こうして突きつけられると驚愕を覚えずにいられない。 「私はダムロード皇国の魔道士ヤーク。我が主、ギリウム皇帝に連なる方に、英断を求めて、此度、使いを遣った次第」 「……英断だと?」 ラトルの言葉に、ヤークは頷いた。 「速やかなる降伏を」 あっさりと告げられた言葉の内容を、ラトルたちは理解するのに、しばしの時を要した。 (……降伏……?) 心の内で何度も繰り返し、ラトルはその言葉の意味をゆるゆると思い出した。 「……それは、どういった過程を経て出た『英断』なのか、説明してもらえると嬉しいのだが?」 絞り出すように、ラトルが問い質すとヤークは平然と澱みなく答えた。 「陛下の数少ない血縁であられる貴殿を失うことを惜しく思えばこそ」 「!」 思わず、ラトルは拳を握り、鋭い眼差しをヤークに注いだ。 (よくも抜け抜けと……) その血縁たる母を、自らの父すら葬り去っておきながら、よくも言えたものだ。 かすかに口端を歪めながら、ラトルは嘲りを込めて言った。 「それを受けると思うのか?」 「受けなければ、命を失うだけのこと。何せ、我が軍を率いているのは皇国でも屈指の指揮官。戦えば、貴殿らの死は確定したも同然なのだから」 その瞬間だった。 漆黒の魔道士の背後にあった帳が揺れた。 「ヤーク、私に何の用だ」 |