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落ちてくる瓦礫をラトルと逆側に避けたアウロスは半壊しかけた壁に寄りかかっていた。 崩れ倒れる激しい音に紛れて、叫びが聞こえた。 それが誰のものか察した瞬間、アウロスは息を呑んで俯いた。 「……ごめんなさい」 (私は、結局、最後の最後で貴方を裏切る――) 次の瞬間、割れるような頭痛に襲われ、アウロスは座り込む。 「ッ!」 頭を抑え、唇を噛み締めると、アウロスは痛みを堪えるかのように表情を歪めたまま、立ち上がった。そして、頼りない足取りで、積み重なった瓦礫とは逆の方向へ歩き出す。 足が重く、思うように進めないことにアウロスは焦りを覚えた。 崩壊が速い。 (間に合うかしら) 不意に、重い音が鳴り響く。 「!」 アウロスは咄嗟に視線を上にやり、真上の天井に大きなひびが走っているのに気づいた。 ひびは稲妻のように横に走り、壁に密着していた円柱に到達していた。 ぱらぱらと細かい瓦礫が降り落ち、ずんと足元から重い振動が伝わった瞬間、円柱が壁から離れ、アウロス目掛けて倒れてくる。 「守護の盾よ!」 アウロスは咄嗟に防御呪文を叫ぶ。 淡く輝く障壁が生じ、瓦礫を弾こうとした、その瞬間。 「!!」 心臓が抉り出されるような衝撃と頭痛に、一瞬アウロスの意識が飛ぶ。 結界が消える。 だが、アウロスは新たな呪文を紡ぐことも、その場から逃げることもできなかった。ただ、呻きを洩らし、膝を着く。 大きな衝撃音。 アウロスを目掛けて、瓦礫が降る。 「ッ!」 咄嗟に衝撃に備え、アウロスは目を閉じて身を強張らせた。しかし、落ちてきたのは小さな破片だけ。 「!?」 即座に異変を察し、アウロスは目を開ける。そして、床に落ちた影が今もまだ留まっていることに驚き、顔を上げた。 屈み込んだアウロスを守るように立っていたのは美しい黄金の獣。 魔力によって創り出された異形の生命。 「……レザム?」 思わず、零れた名に反応するかのように、獅子の瞳がちらりとアウロスを見やった。 落ちてくる瓦礫は獣の巨体に阻まれ、アウロスまで届かない。 「――」 きつく唇を噛み締め、アウロスはゆっくりと立ち上がった。 不意に、しなやかな動きで漆黒の獣が目の前に現れる。そして、首を落とし、乗るように促す仕草を見せた。 しかし、アウロスはかすかに瞳を伏せ、無言でかぶりを振った。 (私は、私の足で行く) そうしてこそ、意味がある。 唇を噛み締め、アウロスは歩き出した。 漆黒の獣はただ静かに寄り添いながら足音もなく、銀髪の少女に従った。金色の獅子もまた止まるどころか激しさを増していく崩壊から守るように動き出す。 やがて瓦礫の隙間を縫うようにして、再び神殿の最深部にアウロスは辿り着いた。 つい数分前まで存在した扉は半壊していた。 瓦礫の隙間に銀色の輝きを見つけた。 (私の剣……) 無意識のうちに手が伸びていた。 柄に触れた瞬間、銀剣は形を無くし、蒼い火花を散らして小さな光の塊となる。 そして、アウロスの手から剣の感触が完全に失われた。 目の前で起こった出来事に、アウロスはしばし目を瞠り、そして手を引き戻す。そのまま、複雑な曖昧な微笑を隠すように顔を覆う。 これが答えか。 (これが私の) 次の瞬間、瓦礫が音を立てて滑り落ちる。 「!」 咄嗟に身を退き、躱したアウロスはもはや一刻の猶予もないことを察した。 瓦礫の数が次々と増えていく。 (行かなくては) 再び強い決意を抱いてアウロスは進み出す。隙間を探し、瓦礫を押し避けて奥へと入り込む。使い魔たちはアウロスを支えるように寄り添い、自らの瓦礫を取り除こうとした。 一際大きな瓦礫が倒れ、現れたのは広い空間。 そして、アウロスは一歩も動かず何事もなかった様子で立っている青年の姿を見つけた。 (レザム) 風もないのに、淡い金色の長い髪が揺れていた。 レザムの手の中にある聖石が発する力の波動のせいだ。そして、それによって崩れ落ちてくる瓦礫が粉砕され、砕け散った破片は光の粒子となって消えていく。 その光景はアウロスの心に痛みを伴う切なさを齎した。 脳裏に過ぎるのは過去の、懐かしい光景。 色素が薄く長い髪は光を通すと本当に光のカーテンのようで綺麗だった。 (私はそれを見るのが好きだった) そう思い出して、アウロスはかすかに苦笑する。 レザムが髪を伸ばしていた理由が何だったのか、それが今になって理解できた。 (貴方は本当に私のためだけに何でもしていたのね……) なら、本当は分かっているはずなのに。 今、彼がしていることのどこが彼女のためなのか。 どこで歪んでしまったのか。 何がレザムを変えてしまったのか。 (違う) アウロスは問い掛けて、すぐに否定した。 (最初から……出会った時すでに貴方は――) ただ、気づかなかっただけ。 ただ、知らなかっただけ。 それだけだ。 アウロスは意識を集中し、徐々に増していく頭痛を振り払おうと残された魔力を高める。 魔力の強さは潜在的な才能に拠るところが大きいが、精神も大きく左右する。 乱れた心では魔法が暴走するように、安定した心だと魔法の効果は強くなるのだ。 少し遠退いた痛みに、アウロスは表情をわずかに緩ませた。そして、静かに足を踏み出した。 ゆっくりと使い魔に守られながら歩いてくるアウロスを認め、レザムは静かに微笑んだ。 「おかえり、アウラ」 何度も聞いた優しい響きの言葉に泣きそうになる。 それが顔に出ていたのだろう。 レザムは困ったように碧緑の瞳を翳らせ、わずかに首を傾げて微笑みを浮かべた。 「変わらないね、お前は。いつも、帰って来るたびに、そんな顔をするね」 「させているのは、貴方だわ……」 小さな反論に、レザムは苦笑した。 深呼吸をして、アウロスはレザムの前に立った。 優しい碧緑の眼差し。 いつでも見守ってくれていた。 どこにいても。 何をしていても、変わらず。 (貴方は私を待っていてくれた) だから。 (私は) そっとレザムはアウロスの頬に触れた。涙と血で張り付いた銀色の髪を優しく払い、こびりついた血を落としていく。 「ボロボロだね」 アウロスはレザムの手を拒もうとせず、無言で瞳を閉じた。 温かい手。 いつでも躊躇わず差し出してくれた。 どんな時も。 何が起こっても、変わらず。 閉じた瞳から一筋の涙が零れた。 (だから、私は――一緒に行けなかった) 脳裏で怒っている蒼い瞳の青年にアウロスは告げた。 (レザムは決して諦めない) アウロスが戻ってくることを信じて待ち、聖石で世界を変えようとする。 (私に心なんかなければ良かったのに) 何かを大切に思い、守ろうと願い、それゆえに傷つく。 すべては切り離せない。 大切なものを守れるなら傷ついても構わない。 それは本当なのに。 (レザムは私が傷つくことを許さない) だから。 (私は一緒に行けなかったのよ、ラトル) 心の中で呟き、アウロスは瞼を開けた。 「レザム、貴方の願いは『私を守ること』?」 「あぁ、そうだよ」 アウロスはレザムをまっすぐに見つめた。 「……私だけ? 自分のことはどうするの?」 レザムは寂しそうな微笑みを浮かべた。 「僕がいたら、お前は傷つくよ」 そして、レザムはアウロスを抱き締めた。 わずかに体を硬くするが、アウロスは拒まなかった。 「僕がしたことは、お前を傷つけた。いや、今も傷つけている……ッ!」 苦渋の満ちた言葉に、アウロスはきつく唇を噛み締めた。 「――それでも、止めてはくれないのね?」 もう何度懇願したか分からない。 そのたびに返って来る言葉は同じだった。 そして、今も。 「あぁ、これだけはダメだ」 アウロスの細い体を強く抱き締め、レザムは絞り出すように続けた。 「アウラ、お前を守ること――それだけが僕が生きる意味なんだ。この想いだけが僕が『僕』である証。この世界での唯一の真実」 「――」 レザムの胸の中でアウロスは目を閉じた。 (――ようやく分かった) レザムがここまで自分に固執する理由が。 (寂しくて、辛くて、苦しくて、哀しかったのね、貴方は) そのことに気づけないほどに。 (この世界から何も貴方は与えてもらえなかった) アウロスがレザムから与えられた温もりも、優しさも。 そして、憎しみさえも。 レザムが自我を育てるに必要な想いを。 (私は、貴方に何かあげられたのかしら) 覚えはない。 (でも) 「レザム、貴方にとって必要なのは『私』だけなのね――」 穏やかな問いに、レザムが頷く気配がした。 「あぁ、そうだよ」 躊躇いなど欠片もない答えだった。 アウロスは瞳を閉じたままかすかな笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと顔を上げた。 レザムの想いを拒めない自分がいた。 (否定できない) どんなにひどい仕打ちをされても、長い間彼女を支えてきた思慕は消えない。 本当はもっと別の方法があったというのに。 心の片隅でアウロスは冷静な自分が呟くのを感じた。 レザムの望みは誰もアウロスを傷つけず、哀しむ必要のないこと。 それは今の世界を壊さなくても可能な望み。 それなら、アウロス自身喜んで受け入れた選択。 (けれど) 翡翠の瞳を翳らせ、アウロスは体から緊張を抜いた。 (それは貴方が嫌だったのね) 本当はもっと大切なものが、この世界には優しいものが、美しいものがあった。それを見つけて欲しかった。 だが、それをレザム自身が望んでいない。求めることすら知らない。否、知っていて拒んでいる。 (それが貴方の我侭……) レザムが自分のために初めて望んだことなのだ。 (なら、やはり私は貴方を止める) 「レザム」 そっと呼びかけると、レザムはぎこちなく腕の力を緩め、アウロスの顔を見つけた。 「アウラ?」 どこか戸惑った響きに、アウロスは微笑む。 さらりと銀色の髪が揺れる。 翳りのない綺麗な微笑みに、レザムはわずかに目を瞠った。 その隙を突いて、アウロスは両腕を上げ、背伸びをしてレザムの首の後ろに手を回した。そして、抱きついた態勢で、アウロスは口を開いた。 「私を本当に守ると言うなら」 ちりりとアウロスの左の耳元で火花が散り、小さな光の塊が現れる。そして、それは形を変え、確固たる存在感を持って彼女の手に収まる。 すべては一瞬。 レザムが異変を察して反応するより先に。 「貴方が私を選ぶと言うのなら」 銀色の優美なそれが蒼い輝きを纏う。 そして。 ――一緒に逝きましょう。 光が、溢れた。 終章 〜蒼穹の銀〜 へ続く |