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第五章 〜光の真影 上〜


V


 それと同時に聞こえた声に、ラトルの思考が一瞬停止する。
(な、に……? 今の、声は――)
「下らない事なら、後にしてもらおう。今、私はお前の相手をしてやるほど暇では」
 ない、と紡ごうとした声が呑み込まれる。
 帳を割いて現れた人物はラトルたちを見て、わずかに柳眉をひそめた。
 驚愕は現れた相手より、ラトルたちの方が大きかった。
「――ッ!」
 呻きが零れた。
 誰もが自分の目を疑い、まじまじと見つめる。
 さらりと流れるのは銀色の髪。細い体を包むのは詰襟の白い服に漆黒の上着の軍服。細い腰を締めるのは皮のベルト。たっぷりと空気を孕む黒い外套を肩に止める金色の鎖。そして、華奢な右の手首に飾られた皇国の国章が刻まれた二連の金色の腕輪が重なり、儚い音が鳴る。
 銀と金の細い輝きが漆黒に映え、息を呑むほどに美しかった。
 だが、何より言葉を失うのは翡翠の瞳。そこには何の感情の揺らぎも見えない。正しく、宝石の輝きだった。
 そして、あどけない少女らしい印象を残す白い美貌。しかし、その右頬には引きつったような醜い傷跡があった。
 それでも、彼女は美しかった。
 冷淡な様はその腰に佩いた銀剣のように美しく鋭い。
 その銀剣が遺物と呼ばれるものの一つであることをラトルたちは知っていた。
「呼んだからには用があってのことと決まっているだろう、魔道将軍」
 ヤークの淡々とした言葉に、ラトルたちは我に返った。そして、驚きの表情のまま、ヤークを見つめる。
 『魔道将軍』。
 頭に響く言葉を聞きながら、ラトルは男装の少女から視線を外せなかった。ひたすら、食い入るように見つめ、少しでも、感情の片鱗を探す。
(何故、君がそこに――)
 言葉にならない問いに、答えが返るはずがない。
「まさか、指揮官って……」
 茫然とシエネは呟き、改めて『魔道将軍』を見た。
 ラトルたちの驚愕の眼差しを無視して、『魔道将軍』――アウロスはヤークを鋭く睨みつけた。
「なくては困る」
 用もないのに呼びつけられてたまるかと暗に示して言い放つと、ヤークは薄く笑った。
「では、早々に済ませようではないか。貴殿からも言い添えてもらおう、彼らに降伏するようにと」
 その瞬間、アウロスはわずかに表情を歪める。
「……愚かな真似を」
 小さな呟きには紛れもない嘲りが込められていた。
 そして、アウロスはゆっくりとラトルたちに視線を移した。
 冷めた眼差しに、ジェリスとガントはぞくりと震え、無意識のうちに一歩退く。通信球に映し出された幻像に過ぎないと理解しながら、それでも後ずらさらずにはいられない。
 これが本当に、あのアウロスなのか。否、これが『魔道将軍』なのか。
 しかし、ラトルは怯まなかった。
 冷ややかな翡翠の眼差しをまっすぐに受け止め、見つめ返す。
(アウロス……)
 完全に感情を殺ぎ落とした美貌。
(まさか、精神魔法……か?)
 人の心に別人格を故意に作り出し、操る、忌わしき魔法。
 精神魔法はかけられていないと言っていた言葉は嘘だったのか。
 否、嘘ではない。
 精神魔法の支配を受けた本人にはその自覚がないのだ。たとえ、かけられていても、かけていないと思っている。
(アウロス……!)
 無意識のうちに、ラトルは握り拳を作る。
 もし、精神魔法によって支配されているのならば、あの時、彼女がしたように、すぐに解き放つというのに。
 しかし、アウロスは大河を挟んだ敵陣のどこかにいる。
 身の内から沸き起こる焦燥に駆られ、ラトルが口を開いた瞬間だった。
「抵抗軍に告ぐ」
「!」
 その冷淡な声音にラトルは言葉を呑み込んだ。
「直ちに武装を解除せよ、すでに勝敗は決している」
 言いながら、アウロスはゆっくりと右手を胸元に持ってくる。
 かしゃ、と金色の腕輪が鳴った。
「そう、私がここにいる時点で結果は出ている」
 そして、アウロスは――微笑んだ。


「抵抗軍の勝利が」


「!!」
 その瞬間、金の腕輪が輝き、目も眩むような光を放つ。
 通信球の像が歪み、掻き消える。そして、それっきり何も映し出さなくなった。
 通信球を持っていた魔道士はすぐに異変を察し、この場から逃げ去ろうとする。だが、それより先に動いたシエネが再び短剣を放つ。
「!?」
 鼻先を掠めた短剣に魔道士の動きが一瞬止まる。
「巡る風の鎖、漂う標を繋ぎ止めよ」
 低い声音が紡ぎ出した韻律に導かれ、魔道士の足元から風が巻き起こる。次の瞬間、魔道士の体は不可視の風に縛られ、自由を封じられた。
 土を踏む音と共に、魔道士を封じたラトルは一歩踏み出した。
「ラトル」
 シエネが呼びかけるが、ラトルは答えず、魔道士から視線を外そうとしない。
「申し上げます!」
 不意に、天幕の中に抵抗軍の男が飛び込んでくる。
「我が軍と睨みあっていたキメラが突如次々と倒れ、皇国軍に乱れが生じています!」
 その報告にシエネたちは息を呑んだ。
「ユート殿、ディザン将軍」
 動揺の欠片も見せず、ラトルは落ち着き払った様子で告げた。
「指揮を任せても構いませんか?」
 必死に足掻いて、自由になろうとしている魔道士を観察しながらラトルは続けた。
「恐らく、キメラが倒れたのはアウロスの仕業です」
「ラトル、どういうことだよ?」
 ガントが不思議そうに問うと、ラトルは淡々と答えた。
「皇国軍はキメラを機械で制御しているという。あの皇国の紋章入りの腕輪、あれがそうだったのではありませんか?」
 ラトルの言葉はディザンに向けられていた。
「……うむ。おそらく、そうだろう。制御装置はその時々形が違うが、どれも皇国の紋章が入っている」
「では、アウロスは――」
 茫然と呟くジェリスの言葉を制するようにラトルは口を開いた。
「アウロスが与えてくれた勝機だ。無駄にはできない」
 動揺を断ち切るような言い方に、ジェリスたちは驚いてラトルを見やった。
 穏やかな物言いは普段と変わらないが、何かが違う。
「ラ、トル……?」
 ごくりと喉を鳴らして、シエネは緊張しながら呼びかけた。
 声をかけることを躊躇ったことなど今まで一度もない。なのに、今のラトルは声をかけるどころか近づくことさえ震えが生じる。
「何かな、シエネ?」
 穏やかな微笑みを浮かべながら、ラトルは軽く振り向いた。
 問われたシエネは怪訝そうに眉をひそめ、無言でラトルを見つめた。
「シエネ?」
 答えようとしないシエネを不思議そうに呼びかけた瞬間、ラトルは鋭い視線を魔道士に向けた。
 敵陣に乗り込んでくるだけに魔道士の力はあなどれない。ラトルのわずかな隙を狙って、魔道士は風の戒めを解こうとしていた。
 鋭い一瞥で魔道士の抵抗を捻じ伏せ、ラトルは再び振り向く。
「それで、何の話だったかな?」
 中々と答えようとしないシエネの代わりに、ジェリスが言った。
「……指揮をユート殿とディザン将軍に任されて、ラトル様は、どうなさるおつもりですか?」
 ラトルは静かに微笑んだ。そして、軽く視線だけで魔道士を示して答えた。
「私は彼から聞きたいことがある」
 その瞬間、ジェリスたちの表情がわずかに強張る。
「ラトル、お前」
「分かったわ」
 何か言おうと口を開いたガントを制して、シエネがラトルを見据えて答えた。
「ソイツはアンタに任せる。支援部隊の面倒は引き続きアタシが見てあげる。でも、分かってるんでしょうね?」
 その瞬間、琥珀の双眸に剣呑な光が宿る。
「いつまでも、ソイツに関わっている場合じゃないのよ。さっさと用を済ませて、働きなさいよ?」
 凄味のある眼差しにも動じず、ラトルは困ったように微笑んだ。
「もちろん、分かっているよ……」
 そう分かっている。
 だから、まだ、ここにいるのだ。
 こんな、アウロスを助けることもできない場所に。
 薄く自嘲の笑みを浮かべるラトルを見て、シエネは大きな溜め息を吐いた。
「そう。なら、言うことはないわ」
 そして、シエネは天幕を出るため、ジェリスとガントの横を通ろうとした。その瞬間、シエネは二人に囁く。
「アンタたちはココに残っていなさい」
「シエネさん?」
 訝しげな問いに、シエネはひらひらと手を振った。
「どうせ、何言ったってムダでしょ。だったら、こっちがどうにかするしかないわよ」
 そう言い捨てて去っていくシエネをジェリスとガントは呆けた顔で見送る。
「では、我らも行きますか、ディザン将軍」
「うむ」
 シエネに続いて、ディザンとユートも悠然と天幕を出て行く。
 その瞬間、ジェリスとガントは我に返る。
(これって……)
(つまり……)
 そして、二人は同時に思った。
(ラトル様の護衛を任された!?)
(ラトルの面倒を押しつけやがったな!?)
 感じたことは違っても、思ったことは同じだった二人は問題のラトルに素早く視線を巡らした。