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ラトルはすでに魔道士に向き直っていた。 「……アウロスのいる本陣の位置はどこだ?」 低い声音に、びくりと魔道士は震えた。そして、嘲笑うように口端を歪めた。 「――無駄だ。魔道将軍はすでに処分されているだろう」 魔道士の言葉に、ラトルの顔から表情が消える。 「皇帝陛下が一度裏切った魔道将軍を本当に信用していると思うか。常に、監視を置き、裏切った際に処分するよう最初から命は下っていた」 そして、魔道士はラトルが無言なことに調子づいて言葉を紡ぐ。 「如何な魔道将軍でも、何人もの優れた騎士と魔道士が相手では敵うまい」 魔道士が無気味な笑い声を上げた瞬間だった。 「ラトル様!」 ラトルは魔道士の襟元を掴み、引き寄せた。 「そんなことは聞いていない。今すぐ引き裂かれたくなければ、俺の質問に答えるがいい」 冷徹な眼差しに、魔道士は息を呑んだ。次いで、その体がぶるぶると震え始める。 魔道士を封じる風の鎖がその体を戒めたまま、内部に侵入して膨張し始めていた。 「あ……」 四肢の内側を走り、心臓までラトルの魔法によって身動きを封じられる。 このまま締め潰すことも、破裂されることもラトルの意思一つだった。 魔道士は愕然となって、冷ややかに見下しているラトルを見つめた。 そして、唐突に魔道士は思い出す――目の前に立つ青年がどういった存在なのかと。 存在するはずのない三人目の契約者。 ギリウム皇帝とよく似た容貌は紛れもない『血縁』の証。 その瞬間、魔道士の背筋に悪寒が走った。 その反応に気づいて、ラトルは薄く笑った。 「さあ、どうする?」 選択を委ねながら、ラトルは命じていた。 魔道士は息も絶え絶えに口を開き、声を震わしながら言葉を紡ぎ出す。 「に、西の、お……丘の、影に!」 次の瞬間、ラトルは魔道士から手を放す。同時に、魔道士の体は地面に転がった。 すでにラトルの意識は魔道士に向けられていなかった。素早く身を翻し、天幕の外に出ようと足早に歩き出す。 「ラトル!」 慌てた様子でガントは呼びかけるが、その声をラトルは無視した。 軽く舌打ちするとガントはラトルの後を追った。 「見張りを付け、どこかに捕えておいて下さい!!」 まだ残っていた抵抗軍の男に命じて、ジェリスもラトルの後を追う。 ラトルの追いかけるガントに追い着き、その隣で走りながら、ジェリスはガントに話しかけた。 「もしかして、ラトル様すごく怒っているんですか?」 「何、お前気づいてなかったのか?」 ガントは前を行くラトルの背をちらりと見て、小声で答えた。 「アイツ、あぁ見えて怒らせると、怖いんだよ。普段、我慢強いだけに一度暴走すると止まりゃしねぇ」 「そんな、まさか、ラトル様が?」 信じられないと眉をひそめるジェリスにガントは小さく笑う。 「お前さぁ、ラトルを何だと思ってんだ? アイツだって、人間の男だぜ?」 ラトルの向かう先が軍馬を集めたところだと気づいて、ガントは小さく舌打ちする。 「やっぱ、そう来るか」 「何ですか?」 「いいから、遅れんじゃねぇぞ。今のアイツ、本気で怖いからな」 そうガントがジェリスに言い含めている間に、ラトルは一頭の馬に乗ると、勢い良く走り出した。 続いて、ガントとジェリスも馬に乗り、その後に続く。 「おい、あの男が言っていた西の丘への最短距離は!?」 ガントは鋭く尋ねた。 「最短距離!? 確か、西南の森に抜けたところの浅瀬ですが、まさか!?」 地図と事前の情報を思い出しながら答えたジェリスは顔色を変えて叫んだ。 「ラトル様はそこに行く気ですかッ!?」 「その、まさかだよ!」 「無茶です!! 皇国軍だって、そこが狙われ易いと分かっていますよ!?」 かつて架かっていた幾つかの橋はギリウム皇帝の侵略が始まった初めに落とされ、使い物にならない。今、主な戦場となっている橋も両軍が一時的に架けた橋で、互いに相手の橋を落とすことが重要な意味を持っていた。 橋を架けずに渡れる場所はそのまま激しい戦場となっているはずだ。 たとえ、遠回りでも自軍が確保している橋を渡った方が比較的安全に対岸に渡れる。 「んなこたぁ、ラトルだって分かってるだろうさ!!」 そして、ガントは馬の横腹に鞭を入れた。 「は!」 先行くラトルの馬に並ぶと、ガントは声を張り上げた。 「ラトル!」 呼びかけられたラトルは顔色一つ変えないまま、ちらりと無言で視線をガントにやる。 蒼い瞳の奥に凍えるような、それでいて激しい感情の炎を見つけ、ガントはわずかに怯む。しかし、それを振り切るように叫んだ。 「俺たちが道を作る!! お前はさっさと行け!」 その瞬間、ラトルの顔に戸惑いが過ぎった。 だが、それも一瞬。 「……分かった!」 ラトルがしっかり頷くのを見届け、ガントは更に馬に鞭を入れて、前に出る。 同時に、ラトルの乗る馬の速度がわずかに下がり、後方に退いた。 「ラトル様、ここはお任せを!」 ガントと反対側からジェリスは馬を走らせ、そう一言叫んで彼も前に出て、剣を引き抜いた。 森を抜け、浅瀬に出たとたん、キメラの異変に動揺していた皇国兵が我に返り、武器を手に襲いかかってくる。 「死にたくねぇヤツはどけ――ッ!!」 荒々しい馬の足音に浅瀬の水が弾けた。 切り結ぶ刃の金属音がせせらぎを打ち消し、澄んだ水が踏み荒らされていく。 その中、ジェリスとガントが次々と皇国兵を斬り伏せ、二人の間に生まれた。 ラトルは口早に呪文を唱え、二人を魔法で援護しながら、その道を駆け抜けた。 緩やかな土手を勢いよく駆け上り、ラトルは一度手綱を引いた。そして、ちらりと視線を浅瀬で戦うガントとジェリスを注いだ。 「――」 不意に、ラトルは唇を噛み締め、再び馬を走らせ始めた。 目指すのは西の丘――その影に置かれた本陣。 キメラの異変は敵陣に大きな乱れを生じさせていた。 通常なら、即座にラトルに気づくであろうが、混乱した皇国軍はまともに統制が取れていなかった。 辛うじて、ラトルの存在に気づいた兵も、何か叫ぶより早くラトルの刃に血飛沫を上げて、倒れていく。 ラトルの意識も皇国兵にはない。ただ、自分の視界を掠める障害物を薙ぎ払っている感覚だった。 まともに声が届かない喧騒が何故か遠かった。 ――お前は見かけより感情的なんだな。 不意に、ラトルの脳裏に苦笑交じりの声が蘇った。 馬の嘶きと躍動が一瞬だけラトルの意識を現実に引き戻す。 だが、それだけだ。 脳裏に蘇るのは苦い言葉。 仮面を被り、自分を偽る夜に、ラトルの意識は束の間立ち戻る。 『突然、何ですか、ラズゼーニ』 怪訝そうに尋ねると、ラズゼーニは苦笑した。 『二人の時くらい叔父上と呼んでも構わんよ』 『いえ、咄嗟の時にそう呼ぶようなことになっては危ないでしょう』 ラトルの言葉に、ラズゼーニはくすりと笑った。 『それが理由か? 私はまた叔父と認めてもらっていないのかと思ったが』 ラトルはかすかに眉をひそめた。 『そんな訳はないでしょう。……で、何ですか?』 曖昧に話を濁そうとしていたラズゼーニは軽く溜め息を吐いた。 『――お前は理性的なように見えて実際は感情的だと言ったんだ』 ラトルは無言でラズゼーニを見据えた。 『それは自分でも分かっているのだろう?』 そして、ラズゼーニは薄く笑った。 『だからこそ、自制心が強く、常に冷静であろうとする』 『……それが、いけませんか?』 ラトルの声音は無意識のうちに硬くなっていた。 『いいや、ダメだとは言わんよ。むしろ、正しい選択であろう』 残された契約者。 最後の希望は在り続けねばならない。 無謀な行動はむしろ障害にしか成り得ない。 『……あの娘はお前にとって危険だ』 その瞬間、ラトルの顔が強張る。 『――彼女が裏切るとでも?』 自らの身を危険に晒して、毒杯を口にした彼女が。 『そんなことは知らん。それを判じるのはお前やその仲間たちだろう。だが、お前を幼い頃から知っている私は確信を持って言えることがある』 『何をです?』 自然とラトルは警戒していた。 『いつかお前はあの娘のために愚かな選択をする』 『ラズゼーニ』 『下手をすれば、お前は死ぬぞ』 『!』 ラトルは息を呑み、言葉を失った。 『これは忠告だ。あまり、深入りはするな。自分の立場と今の状況をもう一度考えろ』 ――自分の立場と今の状況をもう一度考えろ。 (考えた、考えていたさ) 渋い顔で忠告したラズゼーニを思い出し、ラトルは唇を噛み締めた。 それでも、心は、想いは止められなかった。 理性は告げる。 これは愚かな行為だと。 指揮官失格だと。 この命が自分一人のものではないのだと。 (分かっている、分かってはいる) 託された願いが、多くの命が、あった。 ギリウムを倒した後の世界の未来が、この命に賭けられていた。 それでも。 (どうやって、殺せというんだ、この感情を) 荒々しい感情の奔流はラトルの行動を制するすべての理由を押し流していた。 考えるより先に体が動く。 考えた先から忘れていく。 水に溺れた人間が闇雲に空気を求めるように、ラトルは銀色の少女を求めていた。 すべての感情が入り混じり、ラトルはアウロスと自分を阻む世界そのものに一瞬憎しみを抱く。否、憎しみより怒りというべきか。 だが、同時に、愚行に走る自分を止めるのではなく、助けてくれたガントたちを思い出し、怒りの行く先はアウロスに向かった。 (一人で背負うなとあれほど言ったのに……!) 失われる同胞の命に、心が痛んだ。 だが、たった一つの命が失われるかもしれない今の現実に心臓が抉られているような衝撃は一体何なのだろう。 抵抗軍は勝つだろう。 敵の主力であったキメラ部隊はアウロスの単独行動の結果、倒れた。そして、数々の戦いを潜り抜けてきたユートとディザンという優れた指揮官がいる。『ラトル』がいなくても、抵抗軍は勝利する。だが、『契約者』であるラトルの死はそれを無に帰し、敗北へと転じる。 しかし、ラトルにとって『勝利』とはアウロスも生きていてこそ、『勝利』と言えた。 死ぬ気はない。 世界や人々のためだけでなく、自分のために、死ねるはずがない。 そんな未来を望んで戦っているのではない。 望む未来。 それを手に入れるために、それを現実にするために、ラトルは剣を振るい、道を作り、突き進む。 「はッ!」 鋭く馬を操り、ラトルは敵兵を跳び越えた。そして、見えてきた丘に思わず眼差しを険しくした。 「俺の邪魔を、するな――ッ!!」 |