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第五章 〜光の真影 上〜


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「残念ですよ、魔道将軍」
 深い憤りの声に、地に落ちて壊れた通信球を見つめていたアウロスはゆっくりと首を巡らした。
「私はこれでも貴方を信頼していたというのに」
 アウロスは喉を鳴らして笑った。
「信頼? お前が私を? 信憑性がないぞ、この状況では」
 アウロスの周囲を何人もの騎士が武器を構えていた。そして、その背後には攻撃魔法を即座に放てるよう魔道士たちが控えている。
 今にも襲いかかろうとしている彼らを目の前に、アウロスは冷然としていた。
「……それにしても、悠長なことだ。私の相手などしている暇があるのか? 後、一刻もしないうちに、抵抗軍が本陣まで切り込んでくるだろう。逃げるなら今のうちだぞ」
 統制を欠いた皇国軍に対して、抵抗軍にはユートやディザンといった優れた指揮官がいる上、ラトルやジェリスたちは抵抗軍の兵士たちの心を纏め上げている。
 皇帝ギリウムの力に魅せられた一部の人間を除いて、皇国軍の大半が圧政と恐怖に従っているに過ぎない。
 キメラを失い、戦うことに意義を見出さない皇国軍に勝つ可能性などあろうか。
「……我らが命は皇帝陛下に捧げたもの。裏切り者にとやかく言われる筋合いはないと思いますがね」
「裏切り? ――愚かなことを」
 裏切りなど最初から存在しない。
 裏切るための前提条件――『信頼』がないというに、裏切るという行為が成立するはずがないのだ。
「自らこそが正しいとでも?」
 アウロスは静かにヤークを見据えた。
「何が正しいかなど不要だ」
 間違っているのかもしれない。
 正しいのかもしれない。
 何が正しくて、間違っているのか、それを判断する基準は人それぞれゆえに、人は迷い、過ちを犯す。
(だけど)
 過ちを恐れて、何もしなければいいということではないのだ。
(間違っていてもいい。誰に責められて構わない)
 ただ、悔やむことだけはしないと決めた。
 目を逸らし、逃げることは止めた。
(私は私の望みを叶えるために)
 どんなに愚かだと分かっていても、忘れることができなかったのだから。


――約束だよ。


(それが私にとってどんな意味を持つかなんて考えもしていなかったでしょう、貴方は)
 忘れてしまえば消える口約束。
 しかし、時が経てば経つほどに、約束は比重を増し、アウロスを支え、そして穏やかな時と苦しみを交互に与えていく。
 そして、アウロスが忘れなかったように、彼もまた忘れてなどいない。
 それが分かる。
 分かってしまう。
 不意に、アウロスは銀剣の柄を強く握り締めた。
 心の中で感情が振り子のように揺れていた。
 認めてはいけない。それは過ちだと、それが罪だと、理性は訴えているのに、正しい選択を取りかねている。
(どうして……)
 いつも同じところで迷っている。
 迷わないと決めても、後戻りできないところまで来ているのに、それで想いは還る――どこにも行き場がなくても。
 捕えどころのない想いはアウロスの意識を攫い、どこか分からないところへ連れ去ろうとする。
 それに逆らうように、アウロスは唇を噛み締め、そっと溜め息を吐いた。
「……どうでもいい。どうでも、いいことだ」
 そして、アウロスは周囲に立ち並ぶ騎士と魔道士たちに視線を注いだ。
「私の邪魔をするなら、排除する」
 一瞬の空白。
 そして、その空白が終わった瞬間、動いたのは騎士たちだった。
 一人の騎士が腕を振り上げ、勢いよくアウロスに向かって振り下ろす。
 鋭い一撃は確実にアウロスの体を捕えていた。
 しかし、アウロスは騎士より遅れて剣を抜いたにも関わらず、騎士の一撃を受け止め、その勢いを受け流す。そして、そのまま相手の剣を辿るように銀剣を滑らせる。
 火花が散った。
 銀剣の刃が手元に触れ、騎士は血飛沫を上げながら、剣を取り落とす。
 アウロスは一斉に四方から押しかかって来た騎士たちに向かって、薄く瞳を伏せると銀剣を一閃した。
 銀色の軌跡がアウロスの周囲で描かれる。
 直後、騎士たちは双眸を見開いたまま、ゆっくりと倒れた。
「灼熱の獅子よ、咎人を食め!」
 次いで、届いた呪文に、アウロスは薄く笑った。
 溶岩で形成された獅子が跳びかかり、アウロスの華奢な体を食いつこうとした。
 しかし、アウロスがほのかに蒼く輝く銀剣を大きく斜めに振り払い、その刃に触れた瞬間、灼熱の獅子は霧散した。
「バカな!」
 結界障壁で防ぐならまだしも銀剣の一振りで解呪するなどできるはずがない。
 動揺を断ち切るように、別の魔道士が呪文を紡ぐ。
「竜の咆哮よ、彼方まで轟け!!」
 背後から狙われたアウロスの外套が大きくはためき、風圧の塊が直撃する。
「仕留めたか!」
 ヤークは思わず叫んでいた。
 しかし、その瞬間、魔道士は自分の顔に金色の鎖が落ちてきたのに気づいて、ふと上を見上げた。
 上空から漆黒と銀の煌きが流れた。
「うあッ」
 さくりと土を踏む音共に片膝を着いて着地したアウロスが握る銀剣から赤い雫が伝い落ちる。
 そして、機敏な動きでアウロスが立ち上がるのと対照的に、攻撃魔法を放った魔道士は倒れ、その上に漆黒の外套が舞い落ちて覆い隠す。
 外套の下から、ゆっくりと赤い血が広がっていくのを見て、魔道士たちはわずかに怯んだ。
 アウロスは振り返ると、冷ややかな眼差しで、彼らを見つめた。
「数で攻めれば殺せると考えたのなら甘いな」
「ッ!」
 絶句し、ヤークは大きく震え出した。
「魔道将軍――!!」
 怒りの雄叫びと同時にヤークは攻撃魔法を構築した。
「破滅の光よ、無の闇と共に在れ!!」
 咄嗟に、結界呪文を唱えようと、アウロスは口を開いた。
「!?」
 しかし、身動きが取れず、声が出ない。
 息を呑んで、素早く視線を見回すと、数人の魔道士が声を揃えて、同じ呪文を低く何度も繰り返していた。
「ッ!」
 アウロスは眉をひそめ、心の中で舌打ちする。
(魔法封印と行動制御の魔法か!)
 とはいえ、完全に封じ切れていない。何度も呪文を繰り返して、重ねないと効果が発揮しないほど魔道士たちとアウロスの魔力の差はあった。
 だが、今の状況で一瞬の隙は命取り。
 ヤークの魔法が完成し、アウロスを目掛けて、白い光の球体が宙を走る。
「!」
 球体はアウロスの目の前で弾けて、闇を産む。光によって導かれた闇は拡散し、アウロスを包み込もうとした。
 アウロスは翡翠の瞳を見開き、自分の身を無に帰そうとする闇を鋭く睨んだ。
 一陣の風が吹く。
 銀色の髪が乱れ、アウロスの頬を打った瞬間。
 闇が一筋の光に切り裂かれた。
「何ッ!?」
 ヤークの驚愕の声。
 それと同時に切り裂かれた闇の隙間から腕が伸び、アウロスの細腕を掴む。そして、力強く引かれた。
 アウロスが息を呑むと同時に、その体は軽く浮き上がった。
 闇が消滅した時、そこには息の荒い一頭の馬と馬上の人となったアウロス、そして手綱を握ったラトルがいた。
「……どうして……」
 驚きの余り、声から感情が抜け落ちていた。
 アウロスは自分を引き上げたラトルの顔をまじまじと凝視した。
 何故、ラトルがここに現れるだろうか。
(前線が本陣近くまで移った?)
 否、それにしては時間が早すぎる。いくら情勢が抵抗軍に有利と言っても、そこまで皇国軍は脆くない。
 それ以前に、ラトルが前線に立っていいはずがない。
「どうして? それはこっちの言葉だと思うが?」
 硬い声音に、アウロスは言葉を失う。そして、戸惑いがちにラトルを見つめた。
 汗ばんだ顔は険しく、息も多少荒い。それでいて、蒼い瞳は激しい光を宿していた。
 いつもの穏やかさが嘘のようだ。
 しかし、アウロスは幾度となくラトルのこんな表情を見たことがあった。
 それはいつもアウロスが危険を顧みず行動した時だった。
 気まずげに視線を逸らし、アウロスは小さな声で呟いた。
「ごめんなさい……」
 消え入るような謝罪の言葉に、ラトルは眉をひそめた。
「――謝るくらいなら、最初からするな」
「!」
 あまりな言いように、アウロスは反論するため顔を上げた。しかし、次の瞬間、言葉を失う。
 言葉の厳しさとは裏腹に、ラトルは悲しそうな表情をしていた。
「他にもやりようはいくらでもあるだろう」
 思わずアウロスは逃げるように視線を逸らした。
 もっとも効果的な方法だったと自信を持って言える。にも関わらず、アウロスはそう言うことができなかった。
 ラトルの言いたいことは分かった。
 数ヶ月前のアウロスなら、分からなくて、戸惑うか切り捨てていただろう。
 しかし、たった数ヶ月の間に、アウロスは変わっている自分を自覚していた。
 心が痛む。
 まるで『彼』を前にしていた時のように。
 同じではない。だが、似たような感覚だった。
 動揺が漣のように広がっていく。
 間違っていない。これしか方法はなかった。
 最小限の犠牲で、最大限の時間短縮で、勝利するには――王都に入るには、これが最適だった。
 分かっていたはずだ。
 ラトルたちがどう感じるか。
 冷淡な人間ではない。
 感情豊かな、生きた人間。
 その彼らの心を一瞬でも傷つけることを覚悟で決めたはずだった。
(手段は選んでいられなかった……!)
 アウロスは唇を噛み締め、ゆっくりと口を開いた。
「……時間がなかったから」
 そう呟いて、アウロスは素早く銀剣を水平に持ち上げる。
「――天空の鏡、虚像は実像の真実なり」
 その瞬間、ラトルとアウロスの側面に円状の光が出現する。そして、襲ってきた攻撃魔法を反射した。
 自ら放った魔法に倒された魔道士の悲鳴が続く。
「だからと言って、何も相談なしでするなと言っているんだよ」
 言い放ち、ラトルは軽く手綱を引く。
 馬は大きく嘶いて、馬首を巡らした。
「業火の連輪よ、死の馬車を導け!」
 ラトルの魔法が完成すると同時に、数人の魔道士が炎の輪にその身を捕えられて悲鳴を上げた。
 魔力を持つゆえに即死するほど威力を与えられないが、攻撃魔法を紡ぐ精神集中を阻害するには充分だった。
「とにかく、話は後だ」
「えぇ、そうね」
 そして、二人は同時に攻撃魔法を放つ。
「旋風の鈴、戦慄の音を奏でよ!」
 風の乱舞が魔道士たちの視界を奪う。
「アウロスには言わねばならないことがあるから」
 その言葉に、アウロスは一瞬瞳を伏せた。
 心配をかけたのだから、文句や説教を言われても仕方ない。
 しかも、今までにない単独行動だ。
 抵抗軍側では動揺もあっただろう。一軍を率いる者として規律を乱す者を処罰するのは当然の権利だ。
「分かったわ」
「じゃあ、とりあえず勝つか」
 軽く言い放ち、ラトルは馬に合図を送った。その瞬間、二人を乗せた馬が大河の方へと向かい出す。
 自軍に戻ろうとするラトルたちに気づいて、ヤークが叫ぶ。
「奴らを逃がすな!!」
 その命令を聞いて、皇国の騎馬が二人の乗る馬を追いかけ出した。
「ラトル! 左手が薄いわ」
 皇国の布陣を完璧に把握しているアウロスの言葉に従い、ラトルは進路をわずかに変えた。
 手薄だった広告軍の部隊は後方から現れたラトルたちに統制を失う。その隙を突いて、抵抗軍の進撃が更に激しさを増した。そして、その進撃で乱れる皇国軍を縫って、ラトルたちは対岸に渡り切る。
「ラトル様!」
 返り血を浴びて汚れたジェリスが敵の刃を弾きながら、振り返る。そして、無事な姿を認めて微笑んだ。
「ッ!」
 アウロスは間近に迫ってきた騎馬の敵を一閃で馬上から切り落とす。
「アウロス!」
「あちらに移るわ」  ラトルが止める間もなかった。
 アウロスは動く馬の反動を利用して、身軽に空いた敵の馬に飛び乗る。そして、素早く手綱を取り、暴れる馬を御して、正面に向き直った。
「畏敬なる星の煌きよ、魂を鼓舞せよ!!」
 唱えるや否やアウロスの銀剣から白金の光の柱が立つ。そして、戦場に光の雪を降らせた。
 後方支援部隊を指揮していたシエネが光の雪に気づいて、思わず振り仰ぐ。
「回復守護魔法!?」
 弱った魂を鼓舞し、戦う力を与えると同時に、護りの力も齎す高等防御魔法。
 それを構築し、行使した人物をシエネが直感的に察した瞬間、大地を震わすような鬨の声が轟き渡った――。