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第五章 〜光の真影 上〜


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 首都からの急使が齎した情報は抵抗軍の勝利の余韻を吹き飛ばした。
「それは本当ですか、ディザン将軍?」
「うむ」
 厳しい表情でディザン将軍は重々しく頷いた。
「ジェリス」
 ラトルの呼びかけに、ジェリスは即座に反応した。
「はい」
 そして、ジェリスは手早く地図を広げた。
「ダムロードの名も無き神殿は確か――」
「ここよ」
 ジェリスが見つけるより先に、アウロスの細い指先が地図の一点を指した。
 東南の海に突出した半島――その先端部分。
 首都から見て、南。
 抵抗軍の現在位置からは東南東だが、その間に大地の裂け目が存在し、陸路では迂回するしかない。
「『帆船』を使えば、明朝には名も無き神殿に到着しますが……」
「ユート殿、『帆船』は?」
「整備は済んでいる。だが、ここから『帆船』まで戻るのに、最低でも半日はかかる」
「首都からでも一日は必要だ。急使を出すと同時に動いたとしても、皇帝が名も無き神殿に入る前に間に合うか難しいところか」
 ディザンの言葉に、ラトルが思わず険しい顔で唇を噛み締めた瞬間だった。
「方法ならあるわ」
「!」
 全員が同時に声の主――アウロスを凝視した。
「転移魔法を使うのよ」
「無茶だわ!」
 顔色を変えて、シエネは言い募った。
「転移魔法の対象は個人限定のはずよ。それをどうやって」
「魔法陣に応用するのよ」
「な!?」
 アウロスは地図上の名も無き神殿に視線を固定したまま呟いた。
「空間摂理安定呪文と空間固定呪文を魔法陣に組み込んで、転移魔法と同時に連動呪文を構築。次元座標を一点に集中せず、限界範囲まで拡大。それによって生じる誤差を魔法陣で修正。必要とされる魔力と完全構築までの時間は通常よりかかるけど、迂回や『帆船』まで戻るより早いはず……」
「……アウロス、貴方……」
 シエネは茫然として、アウロスの横顔を見つめた。不意に、戦慄が走り、彼女は思わず自分の身を抱き締めた。
(今のわずかな間に新しい魔法を計算して創り出すなんて……!!)
 才能の一言で済む問題なのか。
 シエネの慄きも余所に、アウロスは地図から顔を上げて、ラトルを見た。
「抵抗軍すべてを転移することなんて無理だけど、ここにいる人数くらいなら転移可能よ」
 そして、アウロスは無言で尋ねた。
――どうする?
 もし、ここで否という返事が返ってくれば、アウロスはたった一人でも名も無き神殿に向かうつもりだった。しかし、ラトルが否と言うはずがないという確信も彼女の中にはあった。
 そして。
「――その準備にどれくらいの時間が必要だ?」
 硬い声に、アウロスは婉然と微笑む。
「数刻もあれば」
「……分かった。アウロスの案に乗ろう」
「ラトル!!」
 シエネの叫びを制し、ラトルはアウロスに告げた。
「ただし、魔法を行使する際には私とシエネが補助に入る」
 アウロス独りに負担をかけるつもりはないと言い渡され、アウロスは口元を綻ばした。
「構わないわ。むしろ、頼みたいくらいよ」
 銀剣の力で魔力を増幅しても発動するか半々の確率だ。しっかりと研究と実験を重ねれば効率良く魔力を伝導させ、発動までの短縮ができるだろうが、そんな時間はない。
「すぐに取り掛かるわ」
 そう告げて、アウロスは踵を返す。
 ラトルはすぐにシエネに命じた。
「シエネ、アウロスの手伝いを」
「ラトル、本気で言ってる訳?」
 珍しく緊張を帯びているシエネに、ラトルは苦笑した。
「一人で行くと言われるより、よほど良い案だと思うからね」
 そして、ラトルは他の仲間たちに言った。
「他に何かあるか?」
「……それしか方法がねぇんだったら、しょーがねぇだろ」
 軽くガントは肩を竦めた。
「――僕としては、ラトル様には残留していただきたいのですが」
 万が一、ラトルの身に何かあってはいけないと案じるジェリスにラトルは穏やかに笑った。
「私が行かなくてどうするんだ? ……『契約者』に相当する魔力を持っているのは『契約者』だけだよ」
「確かに――」
 ラトルの言葉に、ディザンは頷いた。
「皇帝の魔力は代々の『契約者』より遥かに強大だ」
 その父でさえ超えるほどに。
「私の見立てでは、殿下とラトル殿お二人が揃って、ようやく勝機があるかといったところか」
「そんな……!」
 ジェリスは言葉を失った。
 しかし、ラトルは柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「ならば、勝てますよ」
「ラトル殿?」
「私と皇子で互角なら、ここにいる彼らの力が加われば、その分だけ勝るということでしょう?」
 ディザン将軍は息を呑み、そして相好を崩した。
「……確かに。確かに、そうですな」
 そして、ラトルは表情を引き締めた。
「では、転移魔法陣の完成まで各自引き継ぎを行ない、休憩も取るように」
 ラトルの言葉が一時解散の合図となり、ディザンやユート、ガントが天幕から出て行く。
 ラトル自身もジェリスと幾つかの事項や情報を確認した後、休憩を取ることになった。
「じゃあ、ジェリスもゆっくり休むようにね」
 ラトルに言われて、ジェリスは小さく苦笑する。
「アウロスにも言って下さいよ。僕より彼女の方が休みそうにありませんから」
「あぁ、そうだね……。でも、シエネがついているから、そう心配しなくてもいいと思うんだが」
 一人では無理をしかねないことはラトルも分かっていた。だからこそ、シエネをつけたのだ。
 面倒見の良いシエネなら、時期を見計らって休むように言うだろう。
「とにかく、ラトル様も休んで下さいね」
「あぁ、分かったよ」
 軽く答えて、ラトルは天幕を出た。
 勝利の余韻が残る本陣は深夜になってもいまだ静かな熱気に満ちていた。
 アウロスの言葉を信じるなら、魔法陣は夜明け近くに完成するはずだ。
 ラトルの足は無意識のうちにアウロスとシエネが魔法陣を作成している平地に向かっていた。
「あら、ラトル」
 現れたラトルに気づいて、シエネが顔を上げた。その手には白い粉が詰まった小袋があった。
「シエネ、それは?」
「水晶粉の代わり」
 魔法陣はただ描くだけでは効力を発揮しない。その形そのものに意味はあるため護符程度の効果はあるが、今回のような大きな作用を齎す魔法陣は特殊な道具も必要であり、描く手順も複雑だ。
 何よりも重要なのは魔力を伝導させる媒介だった。大抵は洗浄された水晶粉や、魔力を宿らせた水である。
「皇国軍の支援物資の中に上等の真珠があったから、それを砕いたの」
 戦争を行なう上で戦力と同じくらい、否、もしかするとそれ以上に戦況に大きな影響を与えるのが支援物資だ。
 どれだけ強大な戦力を保持していようと、その兵たちを賄えるだけの物資がなければ張りぼてと同じである。
 補給路を確保して、物資を運ぶには時間もかかれば限りもある。現地で調達することも多々あった。その際、手軽な宝石類で払うこともあり、シエネの言う真珠もそこに含まれていたのだろう。
「勝手に使ったけど文句はないわよね?」
 シエネの言葉にラトルは苦笑した。
「もちろん、と言いたいところだけど、後でジェリスに報告しておいてくれ」
 経理面で、その生真面目な性格を活かしているジェリスは皇国軍の物資の内容を確認して、管理している。
「あー、あの子、煩そうだものねえ」
「……で、魔法陣は?」
 ラトルの問いに、シエネは表情を改めた。
「最終調整までは漕ぎ着けたわ」
 そして、シエネはちらりと視線を動かした。
 琥珀の眼差しの先にはアウロスがいた。
 アウロスは真剣な顔で、魔法陣内に描かれた幾何学模様の交差部分を睨みつけ、ゆっくりと緑の小枝を刺していた。
 緑の小枝は魔法陣に注がれる魔力を調整し、滞ることなく安定して伝達する『要』代わりだった。
 通常、『要』となる物は選別された特殊な輝石を使う。だが、アウロスは今回敢えて輝石を使わず、緑の小枝を選んだ――大地に描かれた魔法陣と最も馴染むという理由で。
「全く、大したものだわ、これだけの魔法陣を短時間で、ここまで計算するんですもの」
 呆れの響きが混じった声音で呟くと、シエネはアウロスに声をかけた。
「アウロス、後の調整は私がやっておくから、アンタは少し休んできなさい」
「いいえ、私は」
 大丈夫よ、と言いかけて顔を上げたアウロスはそこでようやくラトルがいることに気づいた。
「ラトル、いつ来たの……?」
 心底不思議そうな声に、ラトルは苦笑を滲ませながら、軽く肩を竦めた。同時に、シエネの視線がきつくなる。
「ア〜ウロス〜ぅ? いいから、さっさと休んでらっしゃい」
「え、でも……だったら、シエネが先に」
 その瞬間、シエネはにっこりと笑った。
「私はとっくの昔に休憩したわよ?」
「え」
「ちゃーんと声かけたけど?」
 そして、シエネは腕を組み、戸惑うアウロスを半眼で睨みつけた。
「聞こえてなかったのね?」
 アウロスは咄嗟に記憶を探るが、心当たりが全くない。
 シエネの笑みが更に深まる。
「――休むわよねぇ? 神殿に着くと同時に倒れるなんて冗談にならないものね?」
 否、と答えられるはずがなく、アウロスは無言で頷いた。
「では、私が連れて行こう」
 その思いがけない言葉に、アウロスは翡翠の瞳を瞠った。
「ラトル?」
「ちょうどアウロスには話があったから」
 微笑みながらも、その蒼い瞳には真剣な光があった。
 それに気づいて、アウロスはわずかに表情を硬くする。
 そんな二人を横目で見比べて、シエネは無言で意味深な笑みを浮かべた。そして、何やら納得した様子で、頷く。
「じゃあ、ラトルに任せたわ。きっちりアウロスが休むように送ってね」
 間違っても、別の仕事なんてさせないように。
 しっかり釘を指すシエネに、ラトルは静かに頷き、アウロスは困ったように首を傾げた。
「じゃ、ソレ貸して?」
 にっこりと張り付いたような笑顔のシエネに、アウロスは気圧される。
 その様子に、ラトルは笑いを密かに噛み殺した。




 アウロスから残っていた緑の小枝を受け取ると、シエネはさっさと作業に戻ろうとする。
「シエネ」
 呼びかけられたシエネは肩越しに振り返り、婉然と微笑んだ。
「予定通り仕上げてみせるから、心配しないで」
 そうまで言われては何も言えず、アウロスは無言で頷く。だが、何故か半分追い出されたような気分になり、無意識のうちに小さな溜め息が零れた。そして、多くの天幕が並ぶ本陣の方へと歩き出す。
 アウロスと並ぶようにラトルも歩き出した。
 しばらく、無言の時が流れた。
 不意に吹いた夜風に、アウロスは一瞬身を竦めた。
 夜風は涼しさというより冷たさを帯びていた。
 そして、アウロスは唐突に気づいた。
 夏が終わり、すでに季節は秋に入っているのだと。
(まだ一年も経っていない……)
 しかし、状況はあまりにも違っている。
 春の初め、アウロスはまだ『魔道将軍』だった。
 それが今、抵抗軍の一人として皇国に刃を向け、戦いは終わろうとしている――どんな結末だとしても。
(後少しで終わる……)
 その時、自分はどうなっているのか。
 一瞬、アウロスの全身を衝撃が襲う。
(何故……)
 愕然となって、アウロスは自分を疑った。
 幻のように過ぎって消えた考え。
 あまりにも唐突な事実に、アウロスは怯え、思わず自らの身を抱き締めた。
「……大丈夫か?」
 不意にかかったラトルの声に、アウロスは驚いて顔を上げた。
「え?」
 そして、一拍遅れて何を言われたのか理解して、慌ててアウロスは言葉を言い添えた。
「えぇ、大丈夫よ。風が冷たいのに驚いただけだから」
「本当に?」
「本当に」
 アウロスはくすりと笑った。
「ラトルは時々心配性になるわね」
「――そう、かな?」
 少々、憮然とした顔でラトルは呟いた。
「心配性くらいで丁度良いくらいとだと思うけど」
「そうなの?」
「そうだよ。人の気も知らないで無茶ばかりする人がいるからね」
「!」
 思わず、アウロスは言葉に詰まり、足が止まる。そして、ゆっくりとラトルの方を見上げた。
「ラトル……?」