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子猫白書U




<46>〜<50>



<46>
[厳重警戒]
<46>厳重警戒

 昭彦から連絡が入って、橋本に連れられて行ったレストランはイタリア料理のお店だった。奥に予約専用のVIPルームがあって、そこに昭彦とマサが先に座って待っていた。マサの後ろには二人の男が立っていた。
「遅かったやないか?」
胸元に刺繍をほどこしたギャザーが可愛い白い綿のワンピースを着た子猫を、昭彦は眩しそうに見ながら微笑んだ。
「これでも急いで支度したんだよぉ。髪を乾かす暇なくって・・・ほら、まだ、先の方が濡れてるでしょう?」
子猫は昭彦の隣りに座ると髪の先をつまんで見せた。
「シャワー浴びたんか?」
昭彦は片方の眉をピクッと上げ、チラッと橋本に視線を投げた。
「あ・・あの、自分は車で待ってましたから・・・」
橋本はまだ立ったまま、緊張した面もちで答えた。
「ホントはねぇ、帰ってすぐにシャワー浴びたかったんだけどぉ、橋本さんが自分がいる時にはそーゆー行動はとらないでくれって頼むから、仕方なく昭彦の電話の後で、橋本さんが車を出すのに降りて行ってからシャワー浴びたの。だから、ちょっと遅くなっちゃったのぉ。」
子猫が少し頬を膨らませたのを、クスッと笑って指先で撫でた昭彦は、
「シャワーは寝る前かてええやないか?・・賢明やったな。ご苦労さん。」
と橋本に頷いて見せた。
「いえ。そしたら、呼ばれるまで車で待ってますんで・・」
「何や、一緒に食事したらええやないかぁ?」
マサが口の端に笑みを浮かべて、顎でイスを指した。
「え・・自分は車で適当にすまさせて貰えませんか?・・・彼女にも電話しておきたいんで・・・」
「何やて?」
笑みが消えたマサの眉間に深いシワが刻まれると、たちまち地獄の使者のような形相になる。橋本は硬直して頬を震わせた。
「ええやないか。こっちも無理を頼んじょるんや。・・ほな、1時間位自由にしちょれや。わしもそうゆっくり出来んでな。」
「はい!ありがとうございます。」
昭彦の言葉に橋本は直角に頭を下げて、VIPルームを出て行った。

 注文は先にしてあったようで、マサがウェイターを呼ぶとすぐに料理が運ばれてきた。注文した料理を並べきると、マサの後ろの二人も部屋を出てドアを閉めた。
「あの人達はいいの?」
「ヘッヘッヘ。気にすることあらへん。邪魔が入らんように外を見張ちょるのが仕事やさかいな。・・・にしても橋本は根性あらへん奴ですわなぁ。」
「クックック。彼女の尻にもひかれちょるんやろ。」
「ヘッヘッ。レースクィンとかゆーおなごは気ぃも強いんでっしゃろなぁ。ヘッヘッヘ。」
「えー・・・橋本さんの彼女ってレースクィーンなのぉ?」
「そうらしいですわ。時々サーキットに遊び行っちょるようで、逆ナンされたっちゅうて自慢しちょったて、石橋が言うちょりました。」
「ふーん・・・そなんだぁ。・・・どうりで猫に関心ないわけだなぁ。」
子猫がつまらなそうにピザを口に運ぶのを、昭彦が聞き咎める。
「関心持たれてどないすんねん。アホ!」
「別にどーもしないけどぉ・・・だって・・・橋本さんってゲーム以外のことは何にも話さないし、妙に猫から離れようとばっかするんだもん。」
「お前が近付いたっちゅうんか?」
「そうじゃなくってぇ・・・例えば攻略本とか一緒に見ようとすると、びっくりしたように本投げて後ずさりするんだもん。何か猫のことがそんなに嫌なのかって傷ついちゃうじゃん。」
子猫がプッと膨れると、昭彦とマサが吹きだして笑った。
「ヘッヘッ。こりゃ、相当石橋からの忠告が効いとるようでんなぁ。」
「クックッ。子猫には触れないよう注意するようゆーといたんやが、そない警戒されたら子猫も戸惑うたやろな。」
「でも・・・どうしても倒せなかった敵を倒してくれたし、裏技も教えてくれたから、つまらなくはなかったけどぉ。・・・何か一人でお留守番してた方が良かったかも。」
「うむ・・・どないしたもんかな・・・」
昭彦は眉を曇らせ、ため息をついた。
「レースクィーンの彼女を恋しく思いながら嫌々子守りされたくないもん。」
子猫はいつになく不機嫌に言った。
「嫌々やのうて緊張しちょったんですわ。子猫はんに何かしたら、足3本なくなりますよってな。ヘッヘッヘ。」
「足・・・3本?」
子猫は意味がわからず、怪訝な顔でマサを見ると、マサは、
「1本・・2本・・・で、3本。これでんがな。」
と、両足の次にその真ん中を指して言った。
「あー、マサさんのエッチィー。」
「ヘッヘッヘ。」
「ふふ。・・・でも、なくなるって?」
「そら、切り落とすっちゅうことでんがな。子猫はんに手ぇ出したら、首が胴体についちょらんですて。言い寄るだけでも足3本なくす覚悟はせぇや、っちゅうことですわ。」
「やーん・・・食事中にぃ・・・」
「ヘッヘッヘ。すんまへん。」
「石橋がどう言い含めたんかわからんが、そのうち慣れるやろ。慣れすぎて変な気ぃ起こされても困るで、まぁ、そんくらい言うちょいてもええやろ。」
「そうでんな。ヘッヘ。」
「ふーんだ。変な気なんて起こす訳ないじゃん。彼女がレースクィーンなんだもん。スタイルいいし、美人だし、足長いし、おしゃれだし・・・」
「何拗ねちょるんや?」
「・・・だって・・・昭彦だってそーゆー彼女の方がいいんでしょ?」
「アホ・・・」
「橋本さんに頼めば彼女の友達でレースクィーンの子を紹介してくれるかもよ。・・・そーゆー女性に比べたら・・・猫なんて・・・」
「ドアホ!」
子猫の言葉を遮った昭彦は眉間に指をあてて、
「くだらんこと言うちょるんやないで。忙しい時間を割いても、こうしてお前と会うちょるんを何やと思っちょるんや?そないなこともわからんからガキやっちゅうねや。」
と言うと、疲労の影が漂う額に落ちる髪をうるさそうに撫でつけた。
「そない文句ばかり言いよるなら、もう喰わんでええ。」
昭彦は子猫の腕をつかんでひっぱり、イスから引きずり降ろすと、自分のイスを少し下げて子猫をその前に跪かせた。そして、ベルトをはずしてズボンの前をはだけて、
「こっちをしゃぶっちょれ。」
と、子猫の頭を押しつけた。子猫は躊躇って昭彦の顔を見上げたが、昭彦は更に子猫の頭を押しつけた。仕方なく、子猫は昭彦の男根をつかみ出してくわえた。
「これはお前だけのもんやっちゅうとるやろ?」
「・・・ん・・・」
子猫はめいっぱい頬張りながら頷いた。
「わしが信用出来んなら噛み切ったらええ。」
「・・・ぅ・・ゃぁ・・・」
くわえたまま首を振ると口の中で一段と太さが増した。子猫は一度口から出すと大事そうに舐め回して昭彦の顔を見上げた。
「フッ・・・可愛いでぇ。」
昭彦が優しく頬や髪を撫でてくれたので、子猫は嬉しくなって、再びくわえ頭を懸命に振って擦り上げ出した。昭彦が喉で笑う。
「それにしても、橋本もまだまだ子供でんなぁ。」
二人の様子を食事を続けながら眺めてたマサが含み笑いをして言った。
「橋本を組に入れたんは石橋やったな。」
昭彦には服役してた間のブランクがあった。
「そうでんねん。せやから石橋の側におらん時はさっぱり意気地がなくなりよる。乗り物に関しては天才肌のようですけど、マニアやオタクちゅう域を出れへんのも、石橋が甘いからでっしゃろ。・・今度のことかて、石橋がキツぅ忠告したんは橋本可愛さでんな。」
「そやろな。けど、組に何でも操縦出来る奴がおった方が便利やで、多少やくざの自覚がのうてもしゃぁないわ。まぁ、石橋がついちょれば大丈夫やろ。」
そう言った昭彦は目を閉じて熱い息を吐いた。
「・・ぁぅ・・・子猫の口は気持ち良すぎるで・・・」
「ヘッヘッ。舌使いも得意なようでんなぁ。・・ちょいと席外しとりまひょか?」
「そうしてくれるか?」
「ヘッヘッヘ。ごゆっくり。」
マサはそう言うと席を立って部屋を出ていった。

 子猫はひたすらちゅぷちゅぷとしゃぶっていた。昭彦は子猫の髪を撫でながらイスにもたれて目を閉じ、
「あぁぁ・・・ええでぇ。・・・めちゃめちゃ気持ちええでぇ。」
と呻くように言った。
「疲れも何もかも忘れてまうわ。・・・ぁぁぁ・・・たまらん。もう我慢出来ん。」
そう言った昭彦は跪いている子猫を一度立たせて、ショーツを脱がせてから、膝に抱きかかえた。そして、背中と足を抱え上げられている子猫に、自分の手で昭彦のモノをあてがうように指示した。子猫は言われた通り、脇からスカートをたくしあげ中に手を入れ、昭彦のモノを蜜でぐっしょり濡れた花弁に押し当てた。
「うぅ・・・ぁぁぁぁ・・・」
思わず洩れる声を必死に堪えた。昭彦は子猫を横座りの形で膝に座らせると、背中と腰を支えて抱き締めた。子猫の股間はぴったりと昭彦の下半身に密着し、太くて長い竿をすっかり体内に飲み込んでいた。
「どや?・・・わしがお前の中におるやろ?」
「んー・・・い・・るぅ・・・」
子猫は鼻声で甘えながら、身をくねらせる。昭彦は子猫の腕や背中を撫でながら、唇を重ねて熱い舌を絡めた。
「ん、ん、ん、・・・ん、・・・」
キスをしたまま、腰を細かく振動されて、子猫は昭彦の口に喘ぎ声をこぼした。昭彦は子猫の洩れる声を吸い取るように、いっそう深く舌を絡めた。深く繋がった腰は小さなバウンドを繰り返している。
「ん、・・・ぁぁぁ・・・ん、ん、ん・・・」
子猫はたまらず身悶えて仰け反った。昭彦は子猫をしっかり抱き締め、首筋や耳にしゃぶりついた。
「わしの女はお前だけやで。」
「・・ぁぁ・・・ぅ、ん、・・・」
「こない・・きゅうきゅうと吸い付いてくるまんこは初めてや。」
「・・・ぅぅ・・・う、そ、・・・」
「ホンマやがな。・・・仮に他におったとしても、わしにはお前さえおってくれたらええ。わしにはお前の全てが可愛いてならんのや。」
「・・・おまんこ・・だけじゃなくぅ?」
「そうや。何もかも・・・可愛いんや。」
「・・・どうして?」
「何でやろなぁ・・・わしの女やからかな?」
「・・・ん、ん、・・・ん?」
子猫は小刻みに刺激され続け、快感に満たされて陶酔していく頭でぼんやりと考えたが、脳天まで駆け上がってくる電流のような痺れに、それ以上の思考を放棄してよがり声をあげた。
「あぁぁぁ・・・あ、あ、あ、ぁぁ・・・」
「しー・・・多少防音になっちょる部屋やが、うちほどは完璧やないで、声はちぃーと我慢せい。ええな?」
「・・・ん・・・ん、ん、・・・」
子猫は昭彦の襟元に顔を埋めた。
「ええ子や。そやって我慢しちょるんやで?・・・もう少しゆっくりイかさしてやりたいが・・・今は時間あらへんねや。このまま、一気にイクで、しっかり捕まっちょるんやで?」
「うん・・・ぁぁ、ぁ、ぁ、・・・」
子猫は洩れる声をグッと歯を食いしばって堪えた。快感の渦が出口を失って体中を発火させるようだった。バウンドが次第に大きくなり、体も大きく揺さぶられる。
「ぅぅ、ぅ、ぅ、・・・ん、ん、・・・ぁぁ、ぁぁぁ、・・・」
ぴったりと閉じた両足の間を割り込んで上下する肉棒が、強く肉襞を掻き続ける。スカートに隠された奥で蜜が溢れて飛び散る音がする。固く突起した乳首が固定されたブラジャーの中で揺れ、布に擦れて切なく疼く。
「ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁあ・・・」
「イクで・・・しっかり首に腕巻き付けちょれ。・・・ええか?」
「うん。」
子猫が言われたように首に腕を巻き付けるようにしがみつくと、昭彦は腰を浮かせて、激しく突き上げた。
「んー、ん、ぅぅぅ、・・ぁぁあああぁぁぁ・・・」
わずかに声を上げてしまった時、昭彦が呻いて熱いミルクを迸らせた。
「・・ふぅぅぅ・・・ぅ、ん・・・クックック。外の客に聞かれたかも知れんで。」
イスにどっと座って大きく息をついた昭彦は、子猫にキスをしながら苦笑した。
「・・・ごめ・・ん・・・」
子猫はのぼせた顔を昭彦の肩にもたれかけて、余韻に浸っている。まだ繋がってる部分がドクドクと熱く脈打っている。
「もう少し、こうしていてやりたいが、人と約束しちょるで、時間を延ばせんのや。わしが帰るまでマサがついちょるで、ちょっとは寂しくないやろ?」
「え・・・何でマサさんが?」
一人で留守番するのはいつものことなのに、と子猫が訳がわからないという表情で昭彦を見たが、昭彦は、
「簡単な説明ならマサがするやろ。・・詳しくは帰ってからや。」
と言って、子猫の体から男根を引き抜いた。
「・・・ぅぅっ・・・」
床に足を降ろされ、立ち上がった子猫は、前屈みでテーブルに手をついた。昭彦のミルクが太股を伝う。昭彦はおしぼりで子猫の股間を軽く拭き取ってやり、ティッシュをあてがってショーツを履かせてやった。
「まんこは帰ったらちゃんと洗うんやで。おしぼりはそない清潔やあらへん。・・・まして誰が使うたかわからん物で・・・ックソッ!」
昭彦は苛立たしそうに舌打ちをし、拭き取ったおしぼりをポケットに閉まった。
「あ・・・猫が持ってって洗うから・・・」
「大丈夫。お前は気にせんでええねや。」
昭彦は子猫にキスをして、イスに座らせると、
「ほな、帰るまでええ子にしちょるんやで。」
と言って、VIPルームを出て行った。

 ほどなく、マサがVIPルームにやってきた。子猫は冷めてしまった料理を少しずつ口に入れては咀嚼していた。体中が火照り、イスに座っている部分が熱くなったままジンジンと痺れている。汗ばんだ服が突起した乳首をくっきりと浮かばせてしまっている。しかも、料理を口に運ぶ子猫の視線は虚空を彷徨うように焦点があってなかった。
「料理、温めなおさせましょか?」
マサは元の自分の席に座ると、微かな苦笑を浮かべて言った。
「え?・・・あ・・・ううん、いいの。・・・ありがと。」
「どうやら、子猫はんは別の御馳走で満腹のようでんな?」
子猫はハッとしてマサの顔を見る。目線が合って、子猫は火照って上気した顔をますます赤らめた。
「照れんかてよろしい。仲がええのはええこっちゃ。・・子猫はんと付き合うようになってから、ドクターが穏やかになったて皆喜んぢょります。」
「・・・そう?」
「反面・・・恐ろしさが増したとも言うちょりますが。」
「・・・やっぱり・・・」
「そらしょーがおまへんがな。女を守ろう思うたら、そないなもんでっしゃろ?」
マサのそっけない中にある穏やかな言い方に、子猫は安心感を覚えて、ニコッと笑って頷いた。マサも子猫の笑顔にヘッヘッヘ、と照れたような笑いを返してくれた。
「料理、どないしましょか?すぐに食べれんかったら、無理することあらへんですわ。・・とはゆーても後でお腹が空くと可哀想でんなぁ。」
「これぇ、手を付けてないのもあるし、まだ残ってるのも勿体ないから、持ち帰るように包んで貰えない?」
「そうでんな。なら、そうしまひょ。」
マサは席を立って、ドアの外にいる男達に指図した。
 男に呼ばれたウェイターが容器を持って現れ、残っていた料理を綺麗に詰めてくれた。料理を入れた袋を持って店を出ると、橋本が車を駐車場から出して待っていた。橋本の運転する車に子猫とマサが乗り込み、その後ろを別の車で男達が追従した。

 マンションの部屋にはマサと橋本があがった。マサについてきた男達は駐車場で待ってるらしい。マサが玄関から入る時、別の男達が近付いて、「ご苦労様です。」と声をかけていた。そういえば、子猫が学校から帰った時に少し離れたところから様子を伺うようにしていた男達だった。何となく物々しさに不安を感じて、表情を固くした子猫を見て、マサが、
「あれは用心の為にドクターが配置しちょる奴等ですよって、怖がることあらしまへん。」
と言って笑みを浮かべた。

 部屋に戻った子猫は、昭彦から言われていたこともあって、すぐにシャワーを浴び直した。今回はマサもいることで、少しは気が楽なのか、橋本は途中までやりかけていたゲームを再開して没頭し始めた。マサはソファーでのんびり新聞を読み始めた。
 シャワーから出た子猫は半袖半パンツの白いスェットを着てきた。首にかけたタオルで髪を拭きながら、テーブルの脇に座った。白い太股が露わになったのを、チラッと横目で気付いた橋本は、うおぉぉっ!と驚いた声を上げて、後ろに飛び退いた。
「ボケェ!何ちゅう失礼な態度しちょんねん!このドアホが!」
「す・・すんません!・・・けど・・・あんまり色っぽいもんっすから・・・」
マサにどやされ、橋本は正座して頭を下げた。
「ただでさえ様子が違うて不安になっちょる子猫はんに、そない態度しちょったらあかんがな。ドクターがわざわざお前を指名したんも、なるべく子猫はんが普通でいれるようにやないかい。気ぃ使うならそないことも考えなあかんやろが。」
「・・・すんません。・・・子猫ちゃん見てると、何か無意識に手が伸びそうで・・・」
「そらぁ、困るわな。」
「そうなんっす。困ります。」
「・・・ちゅうことらしいですわ。イジケ虫は飛んでいきやしたやろか?」
「あはは・・・わかんない。でも、もういいの。」
子猫はちょっと肩をすくめて笑った。それから、キッチンへ行って持ち帰った料理を温め直して皿に盛るとテーブルに運んできた。氷をいれたグラスも3つ。コーラとワインとウーロン茶も冷蔵庫から出してきた。
「猫もかまわないから、適当にどうぞ。・・・マサさんも・・ごめんなさい。今日は何も用意してなくて・・・」
「わてのこともかまわんでええですよって、子猫はんが眠ぅなったら、寝ちょってください。まぁ、用心でいるだけですさかい。」
「えー・・・せっかくマサさんと久々にお話出来るんだもん。寝るなんてもったいないじゃん。昭彦さんが帰ってくるまで起きてるもぉーん。」
子猫はそう言って、籠から眠っていたパトラを抱き上げ、マサに見せた。
「ほぉ・・・大きゅうなりましたなぁ。」
マサはそう言ってニコニコしながらパトラの頭を撫でた。パトラがマサの方に手を伸ばしたので、子猫はマサにパトラを抱っこさせると、クスクス笑って棚からカメラをとり、シャッターを押した。
「小さいうちはあっと言う間だから、マメに写真を撮っておいた方がいいって、友達が言ってたの。だから・・ふふ。」
「わてが一緒に写ってええでっしゃろか?」
「パトラ、すっごくいい顔してるよぉ。猫って自分を可愛がってくれる人を見分けるのが得意なんだって。すっごく懐いてるし、マサさんの暖かさをちゃんと感じてるんだよぉ。ふふ。いい写真が撮れたから、焼き増ししたらプレゼントするね。」
「ヘッヘッヘ。照れまんなぁ。」
「照れない、照れない。うふっ。マサさんってけっこういい感じだよ。」
子猫はそう言ってカメラを戻すと、パトラをマサに預けたまま、クッションに座って料理を食べ始めた。パトラはマサの膝の上でおとなしくしていたが、何度か頭を撫でられるうちに眠ってしまたようだった。子猫はまたクスクス笑って、じっとしているマサの為にワインをグラスに注いで渡した。
 いくらかつまんでお腹が膨れてきた子猫は、ウーロン茶を飲みながら、
「ねぇ・・・何で今日に限って、そんなに用心してるの?」
と聞いてみた。マサは氷で薄くなったワインをちびちびと飲んでいたが、
「今ぁ、ちょっと難しいお客さんを迎えちょるもんで、神経質になっちょるんですわ。」
と言って、眉をひそめた。
「難しいお客様?」
「ドクターにとっては恩ある方です。わてもこの前お世話になった中国の方でんな。」
「周さん?」
「覚えちょりましたか。」
「だってぇ、お土産いっぱい貰ったもん。その時話してたでしょう?・・・でも、お友達なら何で用心するの?・・ってゆーか・・・何でそれが猫なの?」
「ちょっと難しい問題があるんですわ。特に海千山千の策士を相手にせなあかん時は、一番弱点になりそうなとこを強化するんが常套手段。・・まぁ、ドクターのことですから、穏便に済むとは思うちょりますが・・・」
「昭彦さんも危険なの?!」
「いえいえ、心配あらしまへん。」
「本当?」
「大丈夫でっさかい、気ぃ揉まんどいとくれやっさ。」
「・・・うん。」
「心配あらへん、あらへん。・・・子猫はんかて何も心配あらしまへんで。・・・そない不安な顔せんで、ドクターの帰りを待ちまひょな?」
「うん。」
子猫は見えない手で頭を撫でられているような、優しい温かさを感じていた。それから、少しマサと話していた子猫だったが、時間もかなり遅くなっていたので、テーブルに頬杖をついてうたた寝を始めた。
「子猫はん?・・・寝るんやったら、ちゃんとベッド行かな、風邪引きまっせ?」
「・・・ぅ・・?・・・ゃぁ・・・寝なぁ・・ぃ・・・」
子猫はそう言いながら、崩れるように絨毯に横になってしまった。と、
「ぅぅわぁぁぁぁぁ!」
と、それまでひたすらゲームに専念していた橋本が突拍子もない声を出した。子猫はびっくりして目を丸くして飛び起きた。
「どないしたんや!」
マサが叱るように言うと、
「マズイっす!マズイっす!ここで寝られたら誰がベッド運べばいいんすか?触れずに運べる訳ないっす!けど、風邪引かしたら・・それも大目玉食らいそうっす!」
と焦って答えた。
「いい!自分で寝るもん。」
子猫はぷん!とばかりに立ち上がると、スタスタと寝室に入っていった。

 朝、目が覚めてリビングに出ていくと、まだスーツ姿の昭彦がキッチンで入れ立てのコーヒーを飲んでいた。
「えー・・・今帰ってきたのぉ?・・・お帰りぃ。」
「おう。ええ子にしちょったようやな?」
「・・・どうだろぉ?・・・二度も橋本さんをビビらしちゃったみたいだしぃ・・・」
「クックックッ。聞いたでぇ。・・今さっきマサも橋本も帰ったけどな、マサは橋本を怒っちょるし、橋本は凹んで子猫に済まないことをした、っちゅうて謝っちょるし・・・まぁ、結果として子猫がちゃんとベッドで寝れたんやからええやないか、ちゅうことで納得さしたとこやで。」
昭彦は子猫に、温めたミルクで薄めたコーヒーを出してやりながら、そう言って笑った。子猫はカップを受け取る前に昭彦に抱きついて、
「よかったぁ・・・」
と顔をすりすりと押しつけた。
「ん?」
「昭彦が無事で・・・良かったぁ。」
抱きついたまま顔をあげた子猫の額にキスをした昭彦は、
「心配ないてゆーちょいたやろ?」
と優しく囁くように言った。
「うん。」
子猫は麝香の香りにうっとりしながら頷いた。そして、カフェオレのカップを受け取ると、昭彦のカップに軽くあてて、
「お疲れ様でした。」
と言って微笑んだ。昭彦も目を細めて笑みを返し、コーヒーを美味しそうに飲んだ。

 子猫が支度して学校へ行こうとすると、昭彦が今日は別の者に子猫の送り迎えをさせるから、とマンションの玄関まで送ってくれた。
「しばらく外へ出る時は人をつけるで、なるべく早う帰るんやで?」
と車に乗り込む子猫に念を押して、
「ほな、頼むで。」
と新しい運転手に声をかけた。運転手は礼儀正しく、
「かしこまりました。」
と言って、車を発進させた。
 途中で、合宿の承諾書や海行きのことを相談出来なかったことを思いだしたが、この警戒状態がどうにかならない限りは、何処にも行けないなぁ、と諦めのため息をつく子猫だった。
<47>
[発作]
<47>発作

 夏休みが始まって一週間が過ぎた。日当たりのいい大きな窓も、夏場には空調を効かなくさせるほどの威力で、強烈な光と熱を注いでくる。白いレースのカーテンだけでは暑さは防ぎきれず、かといって厚いカーテンを閉めたら部屋が暗くなりすぎる。考えた結果、紫外線避けのスモークシールをガラス全てに貼ることになった。そして、空調は効くようになったが、子猫の大好きな青空がいつも黄昏のようにくすんでしまった。
 子猫がリビングでクッションに座り、テーブルいっぱいに教材を広げて、シャーペンを持った手で頬杖をついたまま、ぼんやり空を眺めている所に、昭彦が寝室から出てきた。
「おはよー。」
もう昼過ぎだったが、ずっと夜の外出が続いている昭彦には時差が出来ていた。もっとも、組に復帰する前は夜の仕事でこの時差も当然だったが、一緒に暮らすようになってからは、なるべく夜には帰宅するようにしていてくれたのだった。ただ、夏休みに入ってからはずっと朝帰りが続いていた。それに合わせて生活出来ない子猫は自分なりのペースで時間を調整していた。
「宿題してたんか?偉いやないか。」
昭彦は子猫の横に屈み込んで頬にキスをした。が、すぐに立ち上がると、
「あかん。寝過ぎよったで忙しいんや。」
と浴室へ向かってしまった。昭彦の背中に、
「寝過ぎって、まだ4時間じゃん。・・つーか、お昼食べるでしょう?」
と声をかけたが、
「いらん。すぐ出掛けるで。」
と振り返らないままの答えが返ってきた。子猫は体を捻って振り返った姿勢のままで、しばらく固まっていたが、シャワーの音が微かに聞こえてくると、テーブルに向き直って頬を膨らませた。忙しいのはわかる。疲れてるのもわかる。大変なんだろうとも思う。何をしているからなのかは知らなかったが。それは知るべきことでもないように思えた。でも、子猫は部屋から一歩も出ない生活がもう一週間続いているのだ。ドアの外には常に二人の男が待機していて、ゴミ出しをしてくれるのは助かったし、買い物もメモを渡すとメモ通りに買って来てくれた。が、買い物をしながら思い出して買ったり、ふと目について買うものだってあるのだ。それに文芸部で行くことになっていた海も、結局参加出来なかった。毎日毎日宿題をダラダラと消化していくだけの時間が過ぎていくばかりだ。
「つまんなぁーい!」
誰へともなく叫んだ子猫は絨毯に大の字になって寝転んだ。目を閉じていると、パトラがお腹や胸の上を走り抜けていく。さっきまで、最近一番のお気に入りである、お風呂用おもちゃのあひるをかじって遊んでいたのだが、子猫を踏みつける楽しみを見つけたようで何度もずしずしと踏んでいく。そのうち、体の上をぐるぐると歩き回った挙げ句、顔の真上に腰をおろして毛繕いを始めたようだった。顔を毛皮の重しで覆われている子猫は目を開けられない状態だったが、微妙な体の動きとぴちゃぴちゃと舐める音でそれとわかる。
「クックック。何やっちょんねん?」
昭彦の声がしたと思うと、顔からパトラが退かされる。
「毛が目に入ると腫れるで。気ぃつけや。」
昭彦は目を閉じている子猫の顔を毛を払うように撫でた。子猫は昭彦の手をつかむと両手で握ってキスをした。それから頬ずりをしながら目を開けると、困った顔をした昭彦と目があった。
「かまってやりたいが、今はどうにもならん。」
昭彦はすまなそうに言って立ち上がった。昭彦の手が子猫の手の中からすり抜けていく。
「だったら外出くらい認めてよ!」
「ん?・・・そやなぁ・・・」
昭彦はちょっと考えていたが、
「今月中はみんな忙しいで子猫の相手は出来へんやろなぁ。来月入れば多少時間が出来るやろから、映画とか買い物に付き合うように言うちょくわ。後、何日でもないんやから我慢せい。ええな?」
と言って、着替えをする為に寝室に入っていった。
 子猫は起きあがって昭彦の後を追った。
「誰も付き合ってくれなくていいの!猫には猫の付き合いだってあるんだもん!」
「・・・子猫はわしの女やろ?その辺のとこをよう考えや。」
「だけど高校生でもあるんだもん!学校の付き合いだって大切なの!」
「辞めたいっちゅうとったくせに、ええ加減なもんやな。」
「・・・だって・・・」
「ほんの数日の我慢も出来んで、よう辞めるなんてことが言えたもんやで。今、わしが抱えちょる問題が解決するまでは、子猫が誘拐される危険があるんや。せやからこうして留守中も警戒さしちょるんをどない思うちょるんや?」
「・・・だって・・・」
「来月になれば少しは落ち着くし、10日すぎればわしにも暇が出来るで、そしたら海でも山でも好きなとこに連れて行けるがな。わしがお前のことを考えてないとでも思うちょるんか?」
「・・・そんなことは・・・ないけど・・・」
「ごちゃごちゃゆうて、わしを困らせんと、もうちっと大人になりや。」
ズキンと胸が痛んだ。自分は昭彦を困らせる子供なのか。子供っぽさも含めて、ありのままの子猫を好きだと言ってくれてたのに。いつの間にか昭彦を困らせるやかましい女の一人になってしまったのだろうか。昭彦の過去にはそうやって捨てられた女がいた。自分もいつか煩がられるだけの女になってしまうのだろうか。急に不安になって、子猫は項垂れてベッドの端に腰を下ろした。
 どれくらいそうしていただろう。
「何やねん?泣くほどキツイこと言うたっちゅうんかい。」
身支度を整えた昭彦が子猫の前に片膝ついて屈んで顔を覗き込んだ。え?っと視線を昭彦に向けるとぼやけて見える。昭彦が頬を指でなぞる感覚で涙に気付いた。
「子猫?・・・どないしたんや?」
言葉が出てこない。体が急激に冷えて指先が氷のように冷たくなっていく。
「・・・ぁ・・・ぁ・・・」
体がガタガタと震え、視界が暗く遠退いていく。
「どしたんや?!おい!!」
抱き締める昭彦の体温も感じられないほどの寒さの中で、子猫の意識は消えていった。

 昭彦の呼び続ける声が耳鳴りのように聞こえる。重い瞼をこじ開けるように、やっと薄く開くと、薄暗く斜めに歪んだ視界に輪郭の崩れた昭彦がいた。
「子猫!ええか?しっかりするんやで!」
「・・・ぁ・・・k・・ぃ・・・」
酸素マスクで覆われて声がくぐもる。
「心配いらへん。じき病院につくで。しっかりせぇ!」
昭彦が握りしめた子猫の手を頬に押し当てる。ロウのように白い手が昭彦の体温を炎のように熱く感じる。
「・・・ご・・・めん・・・ね・・・」
「アホォォー!弱気になったらあかん!気ぃをしっかり持つんじゃ!ええな!」
「・・・ぉ・・し・・ご・・と・・・」
「ああ?何いうとんじゃ!そないなもんはどうでもええんじゃ!ドアホ!!」
「・・・ァ・・・ホ・・・ァ・・・ホ・・・ぃ・・ぅ・・・」
子猫は何だか安心してフッと笑って、目を閉じた。
「子猫ぉー!寝たらあかんでぇー!!」
昭彦が耳元で叫ぶ。ああ、耳が痛くなっちゃうよぉ、と頭の中で呟き、クスクス笑っていた。
「何笑っとんじゃ!気ぃしっかりせい!」
「あ・・あの・・眠っても心配ありませんから・・・」
救急隊員が遠慮がちに言う声がする。
「何じゃとぉぉ?!こるぁぁああ!!」
「あ・・いえ・・ただ、少し休ませてあげた方が・・・」
「っんじゃ、われぇぇ!眠ったままになてもうたら、どないすんじゃぁぁぁ!!」
「そ・・それは・・・ないと・・・」
「じゃかぁしぃわい!命は気合いじゃ!気合い入れちょるんを邪魔すんやないで!どたまブチぬいたろかぁ?おお?」
「わ・・わかりました。お好きにどうぞ。」
「っんのぉぉ・・その言いぐさはなんじゃ!!」
「ぁ、あきぃ・・ぃ・・・」
子猫は握られている手を引いた。
「ん?どないした?」
昭彦が頬を重ねるように顔を近付けた。
「・・・キスゥ・・・」
「なっ・・アホ・・・マスクしちょるで無理やがな。ん?」
そう言いながらも、マスクで覆われていない頬や額にキスをしてくれる。
「しっかりするんやで?」
「ウン・・」
「お前がいく時は一緒やちゅうたやろ?」
「ウン・・」
キスを繰り返しながら呼びかけ続ける声に、何とか答え続けて病院に到着した。
 病院は子猫がずっとかかっている所だった。処置室では主治医の竹林先生が待機していてくれた。動揺しているようでも、全て昭彦が手配してくれたらしい。
「薬は?」
「硝酸イソソルビドを2回舌下に・・ニコラルジンは朝に服用してます。」
昭彦は竹林先生の質問にも簡潔に答えていく。先生は子猫の症状を診ながら、感心したように頷いて聞いていた。看護婦に点滴の指示を出した後、カルテを見ながら、
「軽い発作ですね。対処が早かったので、意識障害や血流不全の症状は出なかったようです。んー・・・定期検診をさぼってますね?子猫ちゃん?」
先生がこらこら、という表情で子猫を覗き込む。
「だって・・・調子良かったから・・・」
「薬の副作用や肝機能心肺機能をちゃんと調べておかないと大きな発作に繋がりかねないんだよ。苦しい思いをするのは自分なんだからね。」
と、子猫に言い聞かせた先生は、
「数日入院して落ち着いたら検査の方もしましょう。」
と昭彦に言った。
「よろしくお願いします。」
昭彦は深く頭を下げた。それから子猫に顔を近付けると、救急車の中からずっと握ったままの手に頬ずりをして、ほっとしたように目を閉じた。汗の浮かんだ額に乱れた髪がかかっている。子猫は反対の手で、そっと髪を上に撫でつけた。

 昭彦は子猫の為に特別室の中でも特にVIPな部屋を用意させた。噂では聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。高そうな絵画が飾られ、大型ワイドTVも設置されている。ユニットバスだけでなく、冷蔵庫やレンジの置かれた簡単な調理室も別にあった。付き添い用のベッドルームまである。
「うわぁぁ・・・すごい部屋だねぇ。」
圭子が部屋を見回して言った。そして、
「ホントだ、花が置いてないんだぁ。ふーん・・・今さぁ、面会ノートに書き込んでたら、看護婦さんが成花は呼吸機能に影響を起こすのもあるから禁止されてますって、・・持ってきたんだけど、帰る時に持ち帰るように預かっておきます、だって。」
と肩をすくめてみせた。
「そうなんだぁ・・ごめんね・・・」
「ううん。ちゃんと聞いておかなかったこっちも不注意だったんだもん。気にしないで。・・あ、これ。海のお土産ぇ。ふふ。」
「あぁ・・・可愛いー。・・・ありがとぉ。」
圭子が差し出した袋には、イルカの飾りのついたシャーペンとお揃いのイルカキャラのメモ帳が入っていた。
「海水浴でイルカを見れるわけないんだけど・・海ってイメージで・・・」
「うん。すっごく嬉しいー。マジ、ありがと。・・・結局つき合えなかったから、悪いなぁって思ってたの。ごめんね。」
「いいよぉ。そりゃぁ、猫が一緒じゃなかったのは残念だったけど・・・体調が悪かったんじゃしょうがないもん。・・・まさか、入院するほどなんて思ってなかったから・・・こっちも無理言っちゃったなぁって。」
「ううん。そーゆーんじゃないから・・・心配ないって。」
「なら、いいんだけどさぁ・・・」
「でも、麗奈の応援にも行けなかったし・・・合宿も無理だと思うんだぁ。」
「そっかぁ・・・」
「検査入院なんだけどね。定期検診さぼってたから叱られちゃった。エヘッ。」
「でも、救急車で運ばれたんでしょう?」
「軽い発作だったんだけどぉ、昭彦が大袈裟だから。」
子猫は明るく笑ってみせた。圭子もつられて笑ったが、
「そりゃ心配するよぉ。あんなに猫に惚れてるんだもん。大袈裟なんて言っちゃダメダメ。ちゃんと素直に感謝しなさい。」
と、子猫の額を指で小突いた。
「はーい。・・・で?そーゆー圭子の方はどうなの?順調?」
「ん。まぁまぁかな。今日一緒にお見舞い来たがってたんだけどぉ・・・きっと入り口のとこにいる怖い人達に止められたよねぇ。」
圭子が声をひそめて言った時、付添婦の年輩の女性が調理室から現れ、麦茶とメロンを応接セットの方のテーブルに並べた。小さい声で、
「どうぞ。」
と言ったのに対して、
「あ、すみません。頂きます。」
と元気に答えた圭子は、子猫の点滴を見て、
「そっちのテーブルに置いた方がいいよね?」
と聞いた。子猫は、
「ううん。大丈夫。」
と答えて、点滴を下げるポールごと移動した。
「そかそか、キャスターになってるんだ。入院とかって縁がなかったから・・・あ、ごめん。・・・猫はずっとこーゆー中にいたんだね。」
圭子は目の前に座った子猫を正視出来なくて目を反らした。
「気にしなくて大丈夫だからぁ、気を使わないでよぉ。」
子猫が笑いかけると、圭子は、
「・・・うん。・・・でも・・・翔が言ったんだぁ。」
と眉を曇らせて言った。
「ん?」
「あんな奴と・・って・・これ翔の言葉だから・・・」
「いいよ。続けて。ふふ。」
子猫は苦笑しながら頷いた。圭子は一層声をひそめた。
「昭彦さんといるから発作を起こすんだ。この機会に俺も入院して夜中に忍び込んで説教してやろうか。・・なんて言ってるんだよぉ。」
「あははははは。夜中もガードマンつきでぇーす。」
「だよねぇ。・・・でさ、その時、入院したくてしてるんじゃないんだから、簡単に入院出来る訳ないじゃない、って言ったの。」
「・・うん。」
「そしたら、翔・・・心配するな。俺は医者が診察した途端、強制入院させられる心臓の持ち主だ。って・・・何自慢してんだか・・・」
「あ・・・それは・・・冗談だって・・・」
「だといいけどさぁ・・・でも・・・翔もこーゆーとこにいるんだなぁって・・・」
「こーゆー?」
「・・・生きることと向き合うとこ・・・」
「あぁ・・・そっか。」
「ごめん。・・・ごめん。・・・何かひどいこと言っちゃった。」
「ううん。いいよぉ。その通りだもん。・・・でもさぁ、翔って超ー元気だよぉ。・・俺には野望がある。それを目指す限り俺の命は俺のものだ。・・とか、何かよくわかんないこと言ってるし・・」
「うんうん。野望はよく言ってるよね。」
「その元気があれば全然大丈夫だって。ね?」
「うん。・・・そう信じてよう。あはっ。」
「そうそう。信じる者は救われる、だもん。ふふふ。」
圭子はやっと表情に明るさを取り戻した。それからは、お互いの宿題のことや研究課題をどうしよう、などといったことを話していたが、来て30分を過ぎた頃、疲れさせると悪いから、と圭子は帰っていった。

 圭子が帰った後、子猫は急に寂しくなって、午後の予定分の点滴が終わるまで、眠ることにした。入院して三日も過ぎると大抵のことに飽きてくる。昭彦に言われた橋本がゲームをいくつか差し入れてくれたが、点滴の成分のせいか、すぐに眠くなるので長続きしなかった。石橋は夫人を同伴して女の子向きの本を持ってきてくれた。マサはぬいぐるみや人形を前が見えないほど抱えて持ってきた。それも毎日なので、退院する時どうしよう、と悩むくらい窓際の棚にぎゅうぎゅうに並んでいる。マサが一番子猫を子供っぽく見ているようだ、と昭彦は苦笑したが、そう言う昭彦も、入院中のパジャマや洗面道具等を、ベビー売り場で買ってきたのかと思うほど可愛い物を持ってきた。極めつけが丸いグルグル飴で、うっかり今朝食後にTVを見ながら舐めている所を、回診にきた竹林先生に見られてしまって、看護婦さん達も含めて盛大に笑われてしまった。しかもパジャマがベビードールなのだから、きっと噂の種になってることは間違いなかった。
 明日からは検査も始まる。まだ少し先らしいが、疲労時の心肺機能を調べるストレス検査はかなり疲れるだろう。検査は嫌いだけど、これ以上恥をかかないようにしっかりしなきゃ、と思いながら、うとうと眠り始めた。
<48>
[薔薇の香り]
<48>薔薇の香り

 夕方5時からの早い夕食の後で、入浴が許された子猫は三日ぶりのシャンプーを念入りにすませて、薔薇の入浴剤をたっぷりと入れた湯船に浸った。入院は何度も経験していたが、共同浴場で大勢の大人に揉まれながら、やっと確保出来たシャワーも急かされて、汗だくになって入るお風呂しか経験がなかった。病院というようりホテルにいるような気分になって、子猫は薔薇の香りをゆっくりと楽しんだ。
 汗を拭き取った後は、やはり薔薇の香りのローションを全身に擦り込んで、薄いシルクとレース使いが豪華な白いベビードールと膝上のドロワーズを身につけた。明け方近くに子猫のベッドに潜り込んで、朝食が運ばれてくるまで熟睡していた昭彦が仕事に戻る時、今夜は消灯前に一度顔を出す、と言って出掛けたのだ。入院していても少しでも可愛くしたい女心だった。髪にも香りのミストを吹き付けて、ドライヤーでサラサラに仕上げた。準備は万端、と時計を見た子猫は、まだ7時をまわったばかりの時計が早く9時にならないかと願った。

 TVは画面が大きすぎて、普段からあまりTVを観ない子猫には圧迫感があった。CDをかけてベッドに寝そべった子猫はゲームボーイでテトリスを始めた。色んな落下ゲームがある中で、最終的に落ち着くのはやっぱりこれだよね、と橋本とも意見が一致した。単純でありながら奥が深い、何でも複雑に難しくすれば面白いというものでもない、と。
 橋本が大きなロケットを打ち上げたのが悔しかった。子猫にはまだ小さいロケットが飛ぶ点数しか取れない。なるべくブロックを積み上げておいて、まとめて消して高得点を取らなきゃ、とムキになっていた時、ドアがノックされた。
「はーい。」
返事をする前に看護婦が車椅子を押して入ってきた。看護婦は、
「子猫ちゃん。これから、明日の検査の為の前検査をしますね。」
と言った。
「え?・・・これからですか?」
「ええ。内科の内藤先生が明日から学会で留守になるので、今夜のうちに検査して指示をしていきたいそうなの。外来さんがちょっと遅くに入ったから、診察室が空くのを待ってらしたのよ。付添婦さんには連絡しておいたのだけど・・・どうしたのかしら?」
「あ・・・今、休憩中です。夕食と・・近くの銭湯へ行くからって。」
確かに内藤先生は知っているが、こんな時間からの検査は珍しいことだった。でも学会があるなら、その前にというのはないことでもないと思えた。でも、
「あの・・・何で車椅子なんですか?」
子猫が不思議そうな顔をすると、
「安静時の状態で調べたいからじゃないの。」
と厳しい口調で言った看護婦は、
「忙しいとこを帰らずに先生がお待ちなのよ。早くしなさい。」
と、子猫を急かせた。仕方なく子猫は薄いガウンを羽織って車椅子に座った。
 子猫のガードをドアの前でする男は常に二人いた。一人は留守の部屋を監視し、もう一人が検査に同行することになった。エレベーターで降りていくと、途中で乗り込んだり降りたりする患者がいた。外来は帰ったものの、まだ7時台ではそこここに入院患者や医師の姿があった。診察室は明かりの消えているところもあったが、内科は受け付けの明かりが消えているものの奥は明るい様子だった。
「付き添いの方はここでお待ち下さい。」
受け付けの前でそう言われた男は、
「離れないように言われてますんで、ついていかさして貰います。」
と一緒に奥へ行こうとした。が、
「女性の検診ですよ?それを御覧になると言うんですか?」
と、看護婦にきつく嗜められて、
「あ・・いや・・・」
と、気まずそうに頭を掻いて、薄暗い待合いロビーのイスに腰を下ろした。

 厳しい看護婦さんだなぁ、と子猫は肩を落として車椅子で小さくなっていた。でも、内藤先生は笑顔の優しい先生だった。いくつかある診察室の一番奥がいつも先生がいる場所だった。車椅子が奥へ進むにつれて、子猫には笑顔が浮かんできた。
 が、車椅子を押す看護婦は更に奥へと進むと、人気のない処置室に入った途端、子猫の口を覆った。どこからか白衣の男が現れて、子猫の腕をガムテープで車椅子の肘掛けに固定し、藻掻く足もぐるぐる巻きにしてしまった。口にもガムテープを貼り終えると、マスクをつけさせ、肩まで毛布をかけて、また車椅子を動かし始めた。
 子猫には何事が起きたのかわからなかった。暴れようもなく、叫びようもなく、諦めて項垂れた子猫を乗せた車椅子は、処置室の裏の出口から別の通路に出ると更に人気のない方へと向かった。その方向には普通の人でも敬遠する場所があった。入院患者には言葉にすることさえ禁句の場所である。その場所が近付くにつれて、空気までが異様にヒンヤリとしてくる。子猫は毛布がかかっているにもかかわらず寒気を覚えて体を震わせていた。

   その部屋に入ると、一人の年輩の男がイスに座っていた。後ろと左右にはきっちりとした姿勢で立つ男達が待機している。年輩の男のすぐ横にも一人の小柄な男がいた。
「こんばんは。・・夢野子猫・・さん。」
イントネーションの違うゆっくりとした日本語でそう言った年輩の男は、続きを中国語で話し出した。意味はわからなくても、カンフー映画等で馴染みのある中国語だとわかる。
『初めまして。私は周といいます。日本語は理解出来ますが、少し話すのが遅いので、今回は通訳させることにします。』
と、傍らの小柄な男が、やはり多少アクセントの違う日本語に訳して言った。
「ん・・・んん・・・」
周さん?!子猫は目を見開いて年輩の男の顔に見入った。一見、穏やかな笑みを浮かべた周だったが、細い眼には冷たい炎が揺らめいていた。昭彦も時々放心してこんな眼をする時があった。魔の領域、と言って昭彦は子猫にはなにも話したがらなかったが、同じ性質を持つと聞いたことはあった。
『一度お会いしたいと思っていたのですが、白虎は会わせてはくれないので。ああ、白虎は中国での藤村昭彦の呼び名です。我が家で預かる時にその名前を与えました。』
子猫はああ、そうなんだぁ、と頷きながら、でも獅子で虎じゃないのになぁ、などと状況を把握しないのんびりとしたことを考えていた。
『あなたとは話しがしたいと思ってきました。騒がず逃げないと約束するなら、拘束を解きましょう。もし約束を破った時には、あなたが後ろの寝台に横たわる時と思ってください。』
周は通訳が言い終わる前に一層にこやかな笑みを浮かべた。簡単な祭壇が設えられた寝台。子猫は背筋から悪寒が駆け上ってきた。
 白衣の男が子猫のマスクとガムテープをはがした。両手両足も自由になったものの、体がガタガタ震えていた。周の指示で、一度外された毛布がまた子猫を肩から包み込むように掛けられた。
「周さんのことはお聞きしたことがあります。」
通訳が子猫の言葉を訳そうとしたが、周がそれを押しとどめ、子猫に頷いた。話すよりも聞き取る方が得意らしい。
「お聞きしたといってもお名前を二、三度、昭彦さんが漢方薬の勉強をした時に御世話になった方だと・・・あの・・・マサさんが中国へ行ってお土産をくれた時に・・・」
周はまた頷いた。
「詳しくは知りません。昭彦さんのお仕事だって全然知らないですから。・・・今、忙しいってことと、・・・難しい問題を抱えてるとだけ・・・」
子猫がそう言うと周は静かな声で低く笑った。
『可愛い方ですね。それにとても正直なのが、あなたの声や話し方でわかります。ただ、あなたは小さな嘘をついていますね?』
子猫は困ったように、周を取り囲む男達に視線を泳がせた。
『この者達は私の配下の者です。今ここで話して困る内容ほどのことをあなたがご存知とも思えません。気にせず話してください。』
いちいち敬語に訳されると、子猫も言葉を選ばなくてはいけない気持ちになる。普段使い慣れないだけに、言葉が詰まりがちになる。
「嘘ですか?・・・聞いたけど、話したくないことはありました。でも、言っていいのなら・・・昭彦さんは、周さんには自分と同じ闇に同じ魔の心があるみたいな・・・正確には忘れちゃいましたけど、そんなことを言ってました。」
周はなるほどとばかりに頷いた。
「でも、とても恩がある方だとも言ってました。その方が来日されていると。お仕事でいらしてて、猫が立ち入ることでないというなら、それはそれで仕方ないと思います。・・・だけど、昭彦さんにとって恩があるなら、猫にとっても大切な方です。どうして猫が警戒しなくてはいけないのか、どうしてこんな・・場所で会わなければいけないのか、・・・わかりません。」
子猫は時々寒さで声が震えていたが、しっかりと周を見ながら話した。周は頷きながら聞いていたが、微かに眉をひそめて、一瞬とても冷たい視線を子猫に投げた。
『白虎は日本のこんな田舎で埋もれてるには惜しい才能の持ち主です。私の家族として私の組織で生きるなら、水を得た魚のごとく才能も発揮出来るでしょう。ですから、私の末娘との結婚を勧めているところです。』
子猫はえ?!と周を見つめたまま固まった。
『本来なら、もっと大きなところとする取引を白虎にさせているのも、あの男そのものが欲しいからです。末娘も彼が我が家に滞在していた2年間にすっかり白虎に懐いて、彼となら結婚をしてもいい、と言ってます。とてもプライドの高い子なので、気に入らない男は見向きもしない子です。姉三人は本国の男と結婚してますが、末娘は他の男では嫌だと言ってます。つまり、私と末娘にとっては、あなたは邪魔な存在なのです。』
子猫は呆然と聞いていた。通訳が話し終えても、周はしばらく黙っていた。子猫もしばらく言葉が出てこなかった。
「・・・あ・・・あの・・・」
子猫が言い淀んでいるのを周は待っているようだった。子猫は一度深呼吸をしてから言った。
「あの、末のお嬢様は何歳の方ですか?」
周はああ、とばかりに穏やかな笑みを浮かべた。
『25歳です。白虎とは確か10歳違いでしたね。白虎が我が家に滞在した頃は娘はまだ10歳をようやく過ぎた頃。好きという感情も恋愛にはなりようもない歳でした。』
「じゃぁ、お兄さんのように慕ってらしたんですね?・・・それがどうして今になって、急に縁談話になったのですか?」
通訳の言葉につられて子猫自身の話し方まで、おかしなアクセントになりそうだった。子猫はしっかり自分の言葉で自分の気持ちを伝えようと、気持ちを引き締めた。
『二十歳を過ぎた娘にそろそろ好きな男は出来たのかと聞きました。娘の夫となる者は組織の一員となるに相応しい男でなければなりません。優秀で才能がなければ認めないと常々娘達には言ってきかせてきました。上の三人の娘達は皆私も認めるだけの男を選びました。残っているのは末娘だけ。気位は高いけれど、とても優しい、娘達の中でも一番美しく賢い子です。誰よりも親思いでもあります。そんな娘の選ぶ男が気になるのも当然の親心でしょう。』
今度は子猫が頷きながら聞いていた。
『けれど、娘は誰も好きになれないと言い、私が目をかけている男に会わせても気に入らないというだけでした。とてもいい子なのに、何故そのことでは意固地になるのかと、よくよく聞いた所、白虎に会いたい、と言ったのです。私はなるほどと頷けました。末娘は白虎が話してくれる日本の昔話が大好きで、よくねだっては聞いていました。』
裏世界の大物と言っても娘が可愛いのだろう。娘のことを話す周の眼には温かさがあった。とはいえ、早口に話す通訳もさながら、よく事細かに話すものだと子猫は感心して聞いていた。それとも中国人はおしゃべりが好きなのだろうか。子猫がそんなことを思いながら聞いていると、周がため息をついて首を振った。ん?と子猫は通訳の言葉を待った。
『ですが、白虎は殺人の罪で服役中でした。ようやく戻ってきたので連絡をしたら、やくざな世界が嫌いだから足を洗ったと言ってきました。何度か中国へ来るようにと誘いましたが、入院したり、子猫さんとおつき合いを始めてしまったりと娘の願いは叶いそうにありません。娘にも、もう諦めるようにと言っていたのですが、白虎が裏世界に復帰したとなれば話しは別です。娘と結婚することが白虎にも一番良い選択でしょう。』
今度は子猫がため息を吐いた。しばらく考え込んだ子猫は、
「あの・・・お聞きしてもいいですか?」
と言った。
『どうぞ。何でも聞いてください。』
そう答えた周の眼は、隙を見つけた途端に首に噛みつこうと、体勢を低くして獲物を狙う、獰猛な獣のように危険な光を発していた。
「お仕事のことやご家庭のことをお聞きするつもりはありません。」
子猫は用心深くそう言った。秘密を話したから始末されるというのは映画や小説の中でもよく聞くことだった。周も子猫の意図を理解したようで、口の端で軽く笑うと観察するように眼を細めた。
「どうして昭彦さんにとってあなたのお嬢様との結婚が一番良い選択なんですか?」
『それは始めに話した通りです。』
「あなたの家族としてあなたの組織で生きるなら、水を得た魚のごとく才能も発揮出来るから、と言われたのが理由ですか?」
周はそうだと頷いた。
「それではあなたの仰る昭彦さんの才能ってなんですか?」
『それは子猫さんが白虎から聞いたという魔の本質でしょう。』
「その才能があるから、昭彦さんを認めていると?」
『そう。素晴らしい才能です。』
子猫は首を振った。
「だとしたら、昭彦さんはあなたのお嬢様と結婚しても幸せにはなれないと思います。」
周の口元にあった笑みが消えた。
「あなたにとっては素晴らしいと感じる才能でも、昭彦さんはそんな自分を、・・母親さえも恐れて嫌悪した魔性を嫌っています。それが自分の宿命と受け入れてはいても、自分の残忍で冷酷な痛みを知らない心を憎んでさえいます。何故、嫌い、憎んでいるかといえば、人の心の痛みを知らないことが悲しいからです。昭彦さんはそのことでとっても傷ついているし、悲しい心は温もりに飢えているんです。」
『何を言うかと思えば、あまりにも幼いことを言い出したものです。子猫さんはまだ世間を知らないようですね。純粋さで世間に通用するとは思わない方がいいでしょう。』
「世間は関係ありません。事実を言っているんです。」
『私の組織がどれほど力があるかご存知ですか?私の財産がどれほどのものか、わかりますか?しかも娘は子猫さんよりはるかに美しく優しい子なのです。』
「・・・お嬢様が可哀想・・・」
子猫が呟いた言葉に周が眉をひそめた。
『失礼な言いようですね。』
周の眼差しに敵意が浮かんでいた。が、子猫は負けなかった。
「では、幸せはいくらで買えるものですか?」
『私の権力と財力を持ってすればいくらでも買えますよ。』
「あなたの権力も財力も関係ありません。それにお金で買えるのだとしたら、お嬢様はとっくに幸せなはずです。昭彦さんを慕う必要もないほどに、誰にも負けない幸せを手に入れていて、いいはずじゃないですか。それなら、昭彦さんにこだわる必要もないはずです。」
『娘も白虎の才能を認めているのですよ。』
「なら、益々昭彦さんはお嬢様と結婚したら不幸になるだけです。」
『あなたは自分の立場がわかっていないようですね。』
「話が終わったらどうとでもすればいいじゃないですか。猫は抵抗出来るほど強くないですから。でも、そうやって昭彦さんを手に入れても、あなたもお嬢様も幸せにはなれないと思います。だって・・・だって・・・猫を殺したら、昭彦さんはきっとあなた達への復讐の為だけに生きようとするだろうから。」
周は黙って子猫を睨み付けていた。
「それでも、昭彦さん自身が嫌悪する魔の心を手に入れられれば満足ですか?」
『随分な自信家ですね。それほど自分に魅力があると思っているのですか?』
「自信なんてないです。人と比べて負けないほどの魅力があるなんて思ってません。だけど・・・昭彦さんを幸せにしたいって願う気持ちがあります。そして一緒にいられることが幸せなんだって感じています。それだけです。」
『自分本位の幻想ですね。』
「自分本位なのはあなたじゃないんですか?・・・こんなことを言うのは失礼だと思います。会ったこともない方の心を推察するのも失礼だし、当て推量になって見当はずれかとも思います。・・・でも、お話を伺って感じたのが、お嬢様が可哀想だということです。何故、あなたの認める人達を全て拒否してきたと思いますか?昭彦さんの方が優秀だからですか?・・・でも、ずっと会ってなくて、まだ幼い頃の記憶しかない人の才能がそこまで把握出来ますか?・・・しかも自分を愛してくれるかもわからない相手に、どうしてそこまでこだわらなければいけないのか・・・それは賢く優しく親思いのお嬢様が求めるものと、あなたが求めるものが違いすぎてるからじゃないんですか?」
周の眉がヒクヒクと痙攣する。子猫は続けた。
「異国の優しかったお兄さんに、父親を取り巻く、権力や財力に取り憑かれたお金の亡者にはない、心の安らぎを感じていたからじゃないんですか?・・・日本の昔話が好きだったと仰いましたよね?・・・日本の昔話に出てくる主人公は、ほとんど貧しい暮らしをしている人達です。それでも人を愛し、自然を愛し、心を大切にして暮らしている、といったお話ばかりです。・・・そのお話が好きだと仰られた時から、本当に心の優しい素敵な女性なのだと感じていました。」
周は当然と頷いた。
「そんなお嬢様が・・・権力や財力で幸せになれるって、思ってるとは思えません。・・・それに・・・そちらでの生活がどんなものだったかは知りませんが・・・昭彦さんの才能にあなたが惚れ込むほど・・・魔的な環境であったとしても・・・昭彦さんは自分の魔と向き合いながらも、嫌う心があればこそ・・・お嬢様へ優しいお話をしたんじゃないかって思います。」
子猫はここまで話すと大きく息をついて胸を押さえた。
『では、子猫さんの思う幸せとはどんなものですか?』
「・・・よくわからないけど・・・一緒にいることで生まれる温もりみたいなものかも。・・・楽しいことや嬉しいことを分かち合うなら簡単なのかもしれません。・・・あ、でも、・・・相手の楽しいことが自分の楽しいことだとは限らないし、相手が嬉しさに興奮していても同じだけの嬉しさを感じないかも知れません。・・・だけど、心と心が触れ合った時に生まれる温もりが、悲しさや苦しさで冷えた心を、暖かくしてくれます。そんな温もりが幸せじゃないかって感じます。」
『では、相手が楽しいのは幸せではないというのですか?』
「いいえ。・・・幸せであって欲しいと願う思いがあれば、楽しませたいし喜ばせたいって思います。そして、相手が喜んだり楽しんでいることを一緒に共感したいって思います。」
『ならば、そう思う心のある娘と一緒になれば、相手が子猫さんでなくても、白虎は幸せになれるでしょう?』
「・・・そうですね。」
『しかも、それに加えてお金も手に入るなら、より豊かな幸せを手に出来るでしょう。敢えてお金を嫌うこともないでしょうし、何も貧しさこそが美徳といったりはしないでしょう?』
「・・・そうですね。」
子猫は力無く自嘲的な笑みと吐息をこぼして答えた。周はそんな子猫をじっと見据えていたが、苦笑して言った。
『問題はそうなる為の手段ですね。・・・確かに、あなたの言われるように、あなたを害して強制的にこちらを向かせようとしても、白虎に復讐の炎を抱かせることになるでしょう。彼は愛情の深い男ですからね。』
「はい。」
子猫は泣きそうな笑みで頷いた。
『・・・痛みは哀れむ心でもあります。それを感じないですめば、人はより正確に状況を把握し、情に流されずに判断を下せるのです。』
そう言いながら、周は深く考え込むように眼を伏せた。
『・・・ですが、痛みがないからと言って、怒りや悲しみや苦しみを感じていない訳ではありません。・・・白虎があなたを失った悲しみから復讐への怒りをたぎらせたなら・・・娘がどんなに優しく尽くそうと、私がどんなに目をかけて引き立てようと、・・・冷たい魔の心は哀れみを知ることもなく、確実に復讐という目的を遂行することでしょう。・・・そう。・・・それでは娘は幸せにはなれませんね。娘を愛している私もまた、どれほど権力と財力を誇ろうとも幸せではなくなります。』
周はそこでフッと和んだ表情になった。
『幸せとは不可思議なものですね。人の心もまた難しいものです。』
子猫は話の展開がつかめなかった。周が何を言おうとしているのか、次にはどんな難しい問題を出してくるのか。子猫はじっと周を見守った。周は、緊張した面もちで自分を見ている子猫を、穏やかな眼差しで見つめ返した。
『実を言えば、私が白虎を、その才能を認める以上に好きな理由が、彼の優しさなのです。魔性の闇を内包しながらも、狂うことなく、優しい気持ちを持ち続けられる純粋さが、とても好きなのです。』
あ、っと子猫は口を丸く開けた。周はクックックと笑った。
『その純粋さ故に、少し頑なで・・・警戒心が強いとこもありますが、・・・それも裏社会では必要な要素です。冷酷無比な人間ならいくらでもいますからね。ただ、魔の闇に取り憑かれた者は自分さえも見失ってしまうのです。そして傲慢になり、破滅していきます。』
子猫は返事のしようもなく聞いていた。
『優しさを失わない純粋さこそ、魔を征する強さでもあるのです。・・・私が白虎を息子にしたいと思う理由がわかっていただけましたでしょうか?』
「・・・はい。」
そう聞かれたら、はい、としか答えようがなかった。周は再び笑い声をもらした。ただ、その笑いはどこか楽しげでもあった。
『子猫さんには、このような場所に強制的に連行し、怖い思いをさせて申し訳なく思っています。』
それは社交辞令だろう、と子猫は眉をひそめた。が、同時にここがどんな場所かを思い出して、ブルッと震えた。
『白虎が愛する子猫さんがどんなお嬢さんなのか知りたくて、あなたに会いたいと白虎にずっと頼んでいたのです。が、あの子は裏世界には関わらせたくないから、と拒否され続けていました。・・・私は明日には本国へ戻らなければなりません。その前になんとしても会いたいと、手荒なまねをしてしまいました。』
周は手を広げると、済まなそうに肩をちょっとすくめて見せた。
「あ・・いえ・・・猫もお会いしたかったですし・・・そんなに気にしないでください。」
と、子猫も社交辞令で言った。いくらなんでも、この場所はないだろぉぉぉ、と心の中では叫んでいたのだったが。
『ところで、本題に入りたいのですが・・・』
「え?」
嘘だろぉ?まだ、あるのぉ?と言いたかったが、困惑気味に周の言葉を待った。周はクスクスと笑いながら、
『いかがでしょう?あなたに円で10億差し上げます。10億あれば大抵の夢は叶うでしょう。それで白虎を譲って頂けませんか?』
と言った。子猫は、何だ、冗談かぁ、と一緒にクスクス笑った。
『おや?10億では足りませんか?』
「足りるか、足りないか、そんなお金って見たことないのにわからないですよぉ。それに、昭彦さんの心は猫が売れるようなものじゃないですしぃ・・・その冗談は趣味悪いですよ。」
笑いながら子猫が周のまねをして肩をすくめて見せると、周は、
「はっはっはっは。」
と楽しそうに大きな声で笑った。
『本気で言ったつもりでしたが、・・・そうですか。子猫さんには冗談に聞こえてしまうのですね。・・・確かに、お金で心を買えると思うのは傲慢でした。・・・第一、10億で幸せが買えるなら、私も娘も抱えきれないほどに幸せであるはずですから。・・・いやいや。子猫さんにはしてやられましたね。』
子猫はキョトンと目を瞬かせた。
『帝王学を論じるなら、私も負けないでしょう。経済学でも社会学でも裏社会学でも・・・哲学や倫理でもいい。あなたを論破し、貶めることなど容易いでしょう。・・・ただ、・・・たった一人の小さな幸せに限定された時、大上段の議論が入る余地がなかったようです。』
周は苦笑した。
『まるで、パワーショベルで小さな花壇を作ろうとするかのように。・・・そして、白虎はそんな、小さな花壇を宝物として大事にしているのでしょう。』
そう言うと、周はイスから立ち上がって、子猫の前まで歩いてきた。
「子猫さん、・・あなたに会えて良かった。」
周は日本語で声をかけ、握手を求めるように、手を前へと差し出した。子猫は慌てて毛布の中から腕を引き抜くと、周の手を握った。周は更に子猫の手を包むように手を重ねて、
「あなたと話せて良かったです。」
と、通訳よりもずっと聞きやすい声で言った。子猫はほっとして、
「猫もお話出来て嬉しかったです。」
と、今度は心から言って微笑んだ。
「あなたに・・・お詫びがしたい。」
「いいえ。いいんです、もう。」
子猫が首を振るのを、笑顔で征した周は、
「それでは私の気持ちがすまないのです。なんでも欲しい物を言ってください。お詫びと、あなたに会えた記念に差し上げます。」
と、手を握ったまま言った。
「・・・なんでも?」
「なんでも。」
周の優しそうな笑顔に見守られて、少しの間考えていた子猫は、表情に不安げな影を過ぎらせて、言いにくそうに言った。
「・・・それじゃぁ・・・あの・・・」
「はい?」
「・・・周さんの・・・」
「私の?」
「・・・昭彦さんへの信頼と友情を・・・どうか、猫のせいでなくすことがないように・・・変わらぬまま継続させてくださるように、お願いします。」
子猫はそう言い終わると、頭を下げた。ちょっとして顔を上げた時、見開いた目に涙を滲ませている周を見た。わずかに開いた唇が震えている。
「そう・・か・・・そこまで・・・」
周は言葉に詰まって、後は何度も頷いていた。そして、一筋流れた涙を手の甲で拭った周は、ゆっくりとした口調で言った。
「約束しましょう。白虎・・・藤村昭彦は、ずっと私の”異国の息子”だと。・・・そして、父として・・・あなたの思いに感謝します。息子を愛してくれて、ありがとう。」

 それでは、と言ってから、皆の姿が消えるまでに数秒とかからなかった。子猫は取り残されて唖然としていたが、目の前の寝台が盛り上がって、白い布で覆われていることに気が付いた。うおぉぉぉぉ、と声にならない悲鳴をあげて、車椅子から立ち上がろうとしたが、毛布が足元に絡まって、なかなか立ち上がれない。転びそうになりながら、ようやく毛布をはずした。
 振り向いてドアが開いていたことが救いだった。が、部屋の外へ出ても、どっちへ行けばいいのかわからなかった。背後から冷気が覆い被さってくるようで、足がガクガクと震える。それでも、取り敢えずはこの場から離れたくて、子猫は薄暗い廊下を早足に歩いた。暗いだけに、時々イスや何かにぶつかりそうになってしまう。
 闇雲にあちこち歩き回ったが、どうにか見覚えにある広いフロアに出ることが出来た。と、走り回る数人の人影があった。その中の一つの影が止まったと思うと、
「子猫さん?」
と聞き覚えのある声がする。
「石橋さん?」
「そうです!・・おい!早くドクターに知らせろ!」
石橋は影に指示を出すと子猫に駆け寄ってきた。子猫はそれまでの緊張が解けて、床にしゃがみ込んでしまった。剥き出しの足に触れるビニール質の床が気持ちわるかったが、どうにも足腰に力が入らなかった。
「子猫さん?大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
側に来て屈み込んだ石橋は、子猫の足や背中やお腹あたりに異常がないかと視線を走らせ点検しているようだった。子猫は答える気力もなく、項垂れて体を震わせていた。
「子猫!」
息をきらせた昭彦が現れた。
「あきぃ・・・ぅぅ・・うわぁーーん!」
子猫は昭彦にしがみついて、声を出して泣き出してしまった。
「あぁーんんー・・・怖かったよぉ・・・」
昭彦は屈んだ膝の上に子猫を抱き上げて、きつく抱き締めた。
「よしよし・・・怖かったやろなぁ・・・」
「うえぇーんんー・・・死体ー・・・」
「え・・・死体?・・・誰かやられたんか?」
「ぅぅうーうー・・・違ぁ・・・白い布ぉぉ・・・」
「あ?・・・そうか!くそっ!!霊安室だったのか!!」
「いやぁぁぁーー!!」
子猫は溜め込んだ恐怖を吐き出すように悲鳴を上げた。そして、昭彦の腕の中に潜り込むようにして首を振った。
「わかった・・・もう言わんで。・・・忘れるんや。な?」
昭彦は背中や肩を宥めるように撫でて、頬ずりをした。
「この礼はきっちり返しちゃるで。お前を泣かせたこと・・許さんでぇぇ!!」
「あ・・・ダメ・・・」
「何がや?」
子猫はまだ涙が止まらず、しゃくりあげていたが、
「ダメ。・・・周さんとは・・・仲良くなったの。」
と言った。
「あぁ?どーゆーこっちゃねん?」
昭彦は訳がわからないと怪訝な顔をしたが、震えながら泣きじゃくる子猫をこのままにしておけないことに気付いて、抱き上げた。
「まぁ、ええ。後でゆっくり聞いちゃるで、・・部屋に戻ろな?」
子猫は昭彦の肩に顔を埋めて頷いた。

 子猫の説明は夜更けすぎまでかかった。時々、あの部屋の恐怖を思い出して震える子猫を宥めながら、優しい愛撫とゆっくりとした結合を繰り返しながらの説明だった為である。説明が終わる頃には、子猫はすっかり疲れ切って、昭彦の腕の中で満たされた心地よさに朦朧としていた。昭彦は、
「わかった。・・・よぉ、わかったで。・・・ええ子や。ほんまに・・・子猫はわしの宝やで。」
と言ってキスをし、
「ずっとついちょるで、心配せんと寝えや。」
と、小さな声で子守歌を歌い始めた。子猫はやっと心の底からの安堵に包まれて眠りに落ちていった。

 翌朝、まだ昭彦の腕の中で微睡んでいる子猫に贈り物が届いた。半円球のガラスケースに入った、生花と見間違えるほど鮮やかな色をしたドライフラワーの薔薇の花束だった。カードには、
『昨夜のお詫びに、友情を込めて。 薔薇の香りのあなたへ』
と添えられていた。昭彦の眇めた眼差しに、
「え?・・・何?・・・え?・・・違うよぉぉぉ!」
と焦って言った子猫を、昭彦は笑って抱き締め、
「わかっちょるがな。薔薇の花を散らせたんは、このわしやで。」
と悪戯っぽい目を輝かせてキスをした。
「どや?もういっぺん、大輪の薔薇を咲かそか?」
「あ・・・あ・・・今日から検査ぁ・・・」
「ええがな。」
「あ・・・あん・・・キスマークはダメェ・・・」
「ええがな。」
「いっやぁ〜〜ん・・・」

 この日、心電図をとる時に、検査士が目のやり場に困って赤面した。
<49>
[ノエル]
<49>ノエル

 昭彦の調査の結果、子猫を病室から連れだした看護婦と処置室にいた白衣の男は、ここの病院には勤務していない人間だったことがわかった。
「どうせ、そんなこっちゃろとは思うちょったがな。」
と、舌打ちしながら言う昭彦は、子猫が、周さんとは穏便にこれまで通りに付き合ってね、と言った為、怒りの捌け口をなくして苛立っているようだった。
「その偽看護婦だけでも見つけて、指先から1mm間隔に切り刻んでやったら、楽しいやろにのう。どうにも見つけ出せん。」
と、冗談とも本気ともつかないことを言って、子猫を焦らせたりもした。
 が、ともかく当面の危険がなくなった為、ガードについていた男達は本来の仕事に戻り、子猫も病院内を自由に行動出来るようになった。検査入院くらいで付添の看護は必要ないからと、断ることにしたら、付添婦もほっとしたように、そそくさと病室を後にした。付添婦自身には周との接点はなく、いつもその時間に休憩をとっていることを調べた周サイドが、その時間帯を利用したらしい。が、昭彦が仇でも見るように睨み付けるので、彼女としても辞めたがっていたようだった。

 入院して一週間がすぎた。文芸部では今日から福島での合宿が始まるはずである。
「あーあ・・・光太郎と千恵子の悲しいほど情熱的な愛の軌跡を辿りたかったなぁ。」
「何や?それ・・」
子猫の呟きに昭彦が身支度を整えながら苦笑して言う。昭彦の忙しさは相変わらずのようで、周との取引だけでなく、夏という季節が各地でお祭りが開かれる時期ということも原因していることがわかった。それでも、少しでも一緒にいられるようにと、着替えを持ち込み、寝泊まりを子猫のベッドでしている昭彦だった。
「千恵子は精神が錯乱しても、光太郎が大好きで、誉めて貰えるのが嬉しくて、折り紙を綺麗に切っては見せてたんだって。・・・それが展示されてる美術館も見たかったなぁ。」
「退院したら連れてっちゃるがな。早う元気になるこっちゃで。」
「もう全然元気じゃん。・・・昭彦とも・・・ラブラブしてるしぃ・・・」
「そうかて検査が終わらんことにはしゃぁないやろ?」
「ぅぅぅぅぅ・・・検査嫌ぁーい・・・」
「ええ子で頑張りや。・・ああ、そうや。今日元町の祭りに顔出しがあるさかい、綿アメ貰うてきちゃるでな。」
「うん!・・つーか・・・買いなさい。貰った物じゃ昭彦の愛情がこもってないぞぉー。」
「そないゆうたかてなぁ・・・金とらんやろし・・・」
「えー・・・つまんなぁーい。」
「わかった、わかった。ちゃんと買うてきちゃるで・・・ええ子で待っとき。」
「絶対だよぉー?」
「金ぇ受け取れっちゅうとるやろぉ、われぇ!・・と脅してでも買うちゃるで。」
昭彦はおかしそうに笑ってそう言うと、子猫にキスをして出掛けていった。昭彦が出掛けると急に寂しくなってしまう。子猫はベッドに座ったまま、病室の窓から空を眺めていた。
「とぉきょぉの空ぁ・・灰色ぉの空ぁ・・・」
と、圭子から教わった歌を口ずさんでみたが、朝から抜けるような青空では情感もわかず、サザンの曲を聴きながら海岸沿いのドライブがしたいなぁ、と思ってしまう。退院して昭彦にも時間が出来たら、あれもしたい、これもしたい、と頭の中のリストが増えていって、記憶の端からこぼれ落ちそうである。まぁ、その為にも宿題を済ませておこう、と気持ちを変えて、持ってきて貰ったドリルを開いた。

 朝の回診の時にその日の検査の予定とカルテを挟んだファイルケースを渡される。順番はだいたい自由で、全部終了したらフロアのナースセンターに提出することになっている。検査は一般外来と一緒なので、混んでいると待ち時間が長くなる。一応入院患者を優先はしてくれるのだが、時間のかかるものはかなり待たされることもあって、退屈してしまうのだ。
 購買で文庫本を選んで購入してから、指示された場所に向かった。受け付けにファイルケースを渡して、待合いの長椅子に座った子猫は買ったばかりの本を読み始めた。
「あれ?・・ノエルさん?」
声をかけられて数秒してから、子猫は自分が呼びかけられたことに気付いて顔を上げた。見覚えはあったが名前が浮かばない。と言うより、子猫をノエルと言う人は日常的にはいないのに、と思った時に思い出した。
「あ!文化祭で金平糖を下さった・・・えっとぉ・・・」
「思い出して頂けましたか。あはっ。良かったぁ。・・あ、まだ名前は言ってなかったですよね。僕は篠崎誠といいます。」
「篠崎誠さん・・・」
子猫は頷いて、
「あ、猫は夢野子猫っていいます。ノエルは詩を載せる時だけに使ってる名前なので、すぐに気が付かなくてごめんなさい。」
と言って笑った。その時、子猫の横にいた人が「どうぞ。」と言って席を移動してくれたので、篠崎誠は礼を言って子猫に並んで座った。
「あの時はちゃんとお礼が言えなくて・・すみませんでした。」
「いえ、いきなり知らない相手からの贈り物に戸惑うのは当然です。僕も失礼じゃないかと迷ったんですが、あまりにも美しく切ない詩に胸が打たれてしまって・・・」
「あははは、そんなぁ・・大袈裟ですよぉ。」
子猫が声を出して笑ったので、周囲の視線が集中してしまった。しかも、不安げに検査の順番待ちをしている人達の中では不謹慎だったようだ。子猫が文庫本で顔を隠すようにして、
「あちゃぁ・・・」
と小さく呟いたのを、篠崎誠はクスクスと笑って、
「夢野さんは明るい方ですね。」
と言った。子猫は肩をすくめて、
「てゆーか・・・もう入院も検査もうんざりするくらいしてきたから・・・慣れちゃってて、緊張感が足りないのかも・・・」
と苦笑した。
「緊張したから、いい結果が出るというもんでもないし、いいんじゃないですか?クスッ。・・・でも・・・そうなんですかぁ。・・・詩でも入院してた時のことがありましたが、そんなに何度も・・・」
「そうそう。おかげで生まれた時から診て貰ってる竹林先生なんて、まるで親戚の叔父様みたいにお説教しまくりなの。ま、問題起こしては心配・・つーか・・ここにお世話になってる猫が悪いんだけどぉ。ふふ。」
「夢野さんが問題を?クスクス。どんな問題なんだろなぁ・・・」
「かぁなぁりぃ・・・不良です。公の場では言えないほどに。」
「あっはっはっは。」
今度は篠崎が注目されてしまった。篠崎は大きめの手で子猫のマネをして顔を隠し、
「あっちゃぁ・・・」
と言ってから、子猫にウィンクして見せた。子猫は吹き出しそうになったが、何とか声を出すのをこらえて、口を隠しながらクスクスと笑った。篠崎もクックックと喉で笑いをこらえていた。
 いきなり初対面に近い人とこんなにうち解けて話したことはなかった。病院の同じ検査を受けるという同胞意識があったのかも知れない。が、これまでの入院が絶望感を伴って、放心状態でいたことが多かったのに対して、今回は愛する彼氏の庇護のもとでルンルン入院をしていることが、子猫を開放的気分にさせていたのだろう。
「とても元気そうですが・・・入院されてるのですか?」
篠崎は子猫のガウン姿をチラッと照れながら見て言った。
「ちょっと発作がおきちゃって・・・」
「ああ・・・」
篠崎は同じ経験がある者特有の表情で頷いた。だが、普通ならここで自分がどれほど悪いかを話したがる患者が多い中で、篠崎は自分のことは何も話そうとはしなかった。
「本がお好きなんですか?」
「ん?・・・一応文芸部なので。」
「あ、確かに。」
「なぁーんちゃって。・・ホントは退屈だから買ったけど、普段はあんまり読まないかも。攻略本なら真剣に読むけどぉ・・・」
「ゲームの?」
「そうそう。」
「クスクス。そっか。そうですね。僕も高校の頃は毎日部活で忙しかったし、帰っても教科書も開かず、ゲームしてましたよ。」
「毎日部活?・・じゃぁ、体育系の?」
「ええ。バスケット部でした。」
「あー・・・それで手が大きいんだぁ。バスケットのボールを片手で持てちゃったりするんでしょう?」
「あはは。手の大きさは別にバスケのせいじゃないと思いますけど。でも、身長は中学の時に一気に伸びたかなぁ。中学生からバスケを始めたので。・・ボールは確かに持てますね。」
「ふーん。スポーツマンなんだぁ。」
「・・・だった・・・ですね。」
そう言った篠崎は表情を暗くした。
「・・・ごめんなさい。」
「いえ・・・気にしないでください。」
子猫は言葉が出なくなって、本の表紙を眺めていた。読み始めるのも不自然だったが、また相手を傷つけるようなことを言ってしまわないかと思うと何を話していいかわからなかった。
「済みません。すぐ、暗くなってしまって。・・・こんなだから、かつての友達にも倦厭されちゃうんだろな。」
「そんなこと・・・やっぱ話が合わない時ってありますよぉ。・・・猫だってホントは超暗い子なんです。友達の出来ることが自分には出来ないって思うと・・・イジケるし、寂しいし・・・今日だって文芸部のみんなは合宿なんです。参加したかったけど・・・」
「・・・それは残念でしたね。」
「福島なんですよぉ。今頃、安達太良山でも見てるのかなぁ。」
「智恵子抄・・ですか?」
「ご存知ですかぁ?いいですよねぇ。」
「・・・いいんですか?」
「え・・・よくないですか?」
子猫が目を丸くして意外そうな顔をしたのが、篠崎にはおかしかったらしい。プッと吹き出すとまた笑いをこらえている。長身を前屈みにして笑いをこらえて震えてる姿は、どこも悪そうには見えなかった。長めの前髪が頬にまでかかる。赤みを帯びたサラサラの髪で、鼻筋の通った端正な顔を際立たせていた。
「・・・よくないかなぁ・・・」
子猫は首を傾げて、色んな受取り方はあるしなぁ、と納得しようとした時、
「だって・・・狂った女性をここまで愛し尽くしました、って自慢しているようじゃないですか。元々は自分が仕事と女遊びでかまってやらずに追いつめておきながら。・・・彼女の激情が自分自身を傷つけてバランスを崩してしまったのだとしても・・・心を失ってから大事にしても意味ないと思いませんか?」
と、冷めた目をして言った。
「そ・・・そうなんですかぁ・・・そこまで知らなくて・・・」
「それに、自分や身内の不幸を売り物にしている話は好きじゃないんです。」
「え・・・あ・・・そうですかぁ。・・・そーゆー意見は確かにありますよね。・・・じゃぁ、どんなお話が好きなんですか?」
「何かなぁ・・・うーん・・・本自体好きじゃないのかもしれないですね。課題とかで読むことを強要されて読んだ物くらいなので、好きという感覚では読んでないかなぁ。」
「・・・はぁ・・・」
だんだん気持ちが暗ぁーくなっていくようだった。文化祭で、わざわざ探して求めた金平糖をプレゼントしてくれたのは何だったんだろう、と不思議に思えてきた。
「・・・猫の詩も・・・自分の不幸をウリにしてるかも。」
悲しい気分になって、呟いた。
「そんなことないですよ。」
「・・・だって・・・ノエルの詩は・・・心のため息なんだもん。」
「あ・・・ノエルさんの詩は好きですよ。・・・そんなイジケないでください。・・・何か誤解させちゃったみたいで済みません。僕が好きじゃないと言ったのは、闘病記とか看護日記みたいな・・・自分達はこんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張れ、的な話が苦手なんです。・・・入院期間中にかなり精神的に荒れていたので、度々そーゆー本を薦められてアレルギーになってしまったのかも知れないです。」
篠崎は苦笑してそう言った。そして、
「ノエルは聖夜に降る雪のことですよね?」
と静かに笑いかけた。
「えー・・・ご存知だったんですかぁ?」
「はい。友人にケーキ職人・・と言っても、まだ見習いですが・・いるんです。」
「ケーキ・・・ブッシュ・ド・ノエル?」
「そうそう。クリスマスの薪という意味だそうですね。」
「・・・ええ。」
「でも、そいつが違うって言うんです。・・・ノエル本来の意味は聖夜の雪なのだと。貧しい家の軒下に積まれた薪。そしてそこに白く積もった雪。こんな忘れ去られたような存在であっても、暖かな暖炉の前で豪華な食事をしている人達と何ら変わることなく、聖夜の雪は労るように優しく降り積もって美しく飾ってくれる。神様の愛がすべからく降りそそがれるかのように。」
子猫は感動しながら篠崎の横顔をじっと見つめていた。
「何も暖炉に放り込む為の薪じゃないんだ、と。だから、仕上げのパウダースノウをふる時には最新の注意を払って、神様の愛を感じながらふる。このケーキを買って食べてくれる人にも思いが伝わるように、と。」
「素敵ぃ・・・」
「色々あって落ち込んで殻に籠もっていた時に、そいつがそのケーキをそう言って置いていったんです。・・・僕は礼も言わず、友人が立ち去った後も、しばらくはケーキを睨んでいました。神の愛なんて不公平極まりないと。」
そう言う篠崎の目は深い底なしの闇を見ているような孤独な影が漂っていた。この人は余程辛い経験をしてきたのだろう、と子猫は感じた。
「ですが、退屈してたので・・クスッ。・・食べてみたんです。」
「退屈だからぁ?」
篠崎の浮かべた笑みにホッして、子猫も微笑んだ。
「何しろ、家中の者が兄夫婦のクリスマスパーティーに招待されて行っていて、家には僕一人だったので・・・」
「う・・・それってヒドイ・・・」
子猫は微笑んだ口元を引きつらせて眉をひそめた。
「僕はひねくれ者ですから仕方ありません。・・・それに兄嫁は・・・僕が事故でこんな状態になるまで、僕の彼女だったのですから。・・・招待されるはずもないし、招待されても行くはずがないですからね。」
目を見開いたまま表情を凍り付かせた子猫に気付いて、篠崎は苦笑した。
「あ・・何か嫌だなぁ。僕が不幸をウリにしちゃったみたいですね。あはは。済みません。変なことを話してしまって。どうか気にしないでください。」
子猫は何も言葉が出ずに、固まった表情のまま首を振った。
「話をケーキに戻しますね。・・・で、暇つぶしに食べてみたら、・・・甘すぎず、少し苦みがあって・・・でも、粉砂糖の甘さが全体を包むように、ほんのり効いていて、・・・うまかったんです。ケーキを置いていった奴の甘い話はともかく・・・ずっと心を閉ざして友人付き合いも断って籠もっていた僕を、忘れずにいてくれて、売り切れる前に確保しといた貴重なケーキだから捨てるなよ、と押しつけるでもなく置いてった気持ちが・・・まるで聖夜の雪、ノエルのように優しく、ほんのり甘かったんです。」
子猫はポロポロ涙をこぼしながら頷いた。
「いや・・・泣かれると困るなぁ。」
と篠崎に苦笑されて、子猫は慌てて涙を拭った。
「クスッ。・・・だって、夢野さんの詩に出会ったあの文集は、ちょっとしたスケベ心で、今時の女子高生はどんなことを考えてるのだろう、と買ってみた物だったんですから。」
「・・・ス・・スケベ・・・?」
「これでも一応、男ですから。・・・なぁーんちゃって。」
子猫のマネをしてそう言う篠崎に子猫はどう対処していいか、わからなくなって混乱していた。自分の手も見えない真っ暗闇の中で、悪戯な風にくすぐられるような奇妙な感覚だった。
「嫌だなぁ。冗談だったのに・・・笑ってくださいよ。真剣に、スケベ?・・なんて聞かれたら、かえって恥ずかしいじゃないですか。あははは。」
そう言われても、とても笑える気分ではなかった。
「・・・でも・・・まず、ノエルという名前で引きつけられ、・・・詩を読むうちに、ノエル・・夢野さんの世界に引き込まれていきました。」
「・・・恥ずかしいです・・・」
「雪という言葉は何処にもないのに・・・何故か雪が降るのを感じたのです。まるで深海に降る雪のように・・・静かで悲しく・・・でも優しい・・・」
そんなに誉めないでよぉー、と心の中で叫んでいた。顔が真っ赤になっていく。出来れば布団をかぶって隠れてしまいたいほど恥ずかしかった。誉められたくて書いた詩じゃなかった。寂しさに呟いた独り言だった。でも、期日が迫って、他のもっと子猫自身が望むような明るい詩が浮かばなかった為に、仕方なく提出した詩だったのだ。
「あ・・あれはルール違反です。そうです。篠崎さんの仰るように、自分の傷を公に晒すのはいけなかったと反省してます。・・・詩の才能がないのに・・・詩くらいしか出せなくて・・・それも期限が迫ってるのに思い浮かばなくて・・・自分の為だけに綴った言葉を出しちゃったんですぅ。」
「そんなことないですよ。あれは・・」
「ダメです。お願いですから、もうあの詩には触れないでください。・・・全然ダメなんです。・・・猫なんかより、篠崎さんの方がずっと才能あるみたい・・・です。」
「え?・・・あはは。僕は詩はまったく書いたことないですよ。」
「でも・・でも・・・話す言葉が・・・すごく詩的で引き込まれます。」
「そうかなぁ・・・」
「はい。とても詩的で素敵な話し方だなぁって聞いてました。」
「クスッ。・・んー・・・そう言われると、その気になって、作ってみようか、なんて思っちゃうじゃないですかぁ。」
「是非!絶対いけますよぉ。」
子猫はやっと深海から浮上してきた気分になって、息継ぎをした。と、その時、子猫の名前が呼ばれた。
「あ・・呼ばれちゃった。」
「そうみたいですねぇ。・・・残念だな。ちょっとその気になったとこだったのに。」
篠崎はからかうようにウィンクをした。サラサラする長い前髪は頭を動かす度に揺れて顔にかかる。それを篠崎は長い指で後ろに掻き上げる。掻き上げるそばから、サラサラと落ちてくる。まるでホストが女性を誘うような危険な甘さを含んで。
「綺麗な髪ですねぇ。・・羨ましいなぁ。」
「クスクス。これですか?・・まぁ、美容院でも店の女の子達が触りたがりますね。」
「ホストでもされてるんですか?」
「は?・・・いえ。全然違いますよぉ。・・・よく間違われることはありますが。」
「おしゃれだし・・・カラコンまでしてるし・・・間違うだろうなぁ。」
子猫は納得して頷いた。と、そこで再び名前を呼ばれた。
「あーん・・・もっと、お話したいけどぉ・・・」
「さっきより呼ぶ声が大きくなってますよ。行った方がいいですね。」
篠崎はおかしそうにクスクス笑っている。
「・・・それじゃぁ・・・また・・・」
「そうですね。また、お話しましょう。」
立ち去りがたかったが、篠崎の言葉に促されて、子猫はイスから立ち上がり、小さく手を振ると、検査室へと入っていった。
<50>
[ケーキと子守歌]
<50>ケーキと子守歌

 文芸部の合宿を終えた圭子が京子や麗奈と一緒にお土産を持って面会に来てくれた。麗奈はバスケット部の県高体連で惜しくも僅差で準決勝敗退してしまったらしい。その時の相手が優勝を果たしたのだから、本当に惜しかったのだ。
「ごめんね。応援いきたかったんだけど・・・」
「そんなぁ、気にしないでください。みんなは惜しかったって言ってくれるんですけど、自分としては全力を出しきった結果ですから、悔いはないです。また来年もありますし、その前に秋の新人戦もあって、後ろを向いてる暇もないですし。・・・ってゆーか・・・すぐにお見舞いに来れなかったことが悔しいです。」
ベッドの子猫の腕に腕を絡めるようにして麗奈が言う。
「あはっ・・・しばらく面会謝絶状態だったから・・・」
子猫は麗奈がしがみついている反対の手で、よしよし、と頭を撫でた。
「え?!猫、そんなに悪かったの?」
京子が圭子とソファーに座って、お見舞いで貰ってあったケーキを食べながら、目を丸くして声をかけてきた。今日の子猫は昨夜からの熱と食欲不振で、検査はせずにずっと点滴をしている状態だった。それで、圭子に言って、冷蔵庫に入れておいたケーキを出して貰ったのだ。
「そんなんじゃないけどぉ、昭彦さんと付き合うようになってから初めての発作だったから、昭彦さんが神経質になって面会を禁止しちゃったの。それだけのことで、全然たいしたことじゃなかったんだけどさ。」
子猫は熱っぽい顔に笑みを張り付けて弁解した。文芸部での活動のこともあって、昭彦に圭子にだけは連絡しておいて貰ったが、圭子にもしばらく入院は秘密にしてくれるように頼んであった。昭彦がやくざだと知っているのは圭子だけなので、他に知られないように色々協力してくれている。一時は対立した感情にお互いが苦しんだこともあったが、今では親友とも言える関係になっていた。
「そうそう。全然元気だよね。・・・って言っても、今日の猫はちょっと元気なくて、かえってビックリだぞぉ。・・・どうしちゃったの?」
「ちょっとキツイ検査したら熱出ちゃっただけ。」
「そうなんだぁ。・・でも、発作がたいしたことなかっただけに、昭彦さんも焦っちゃったんじゃなぁ〜い?ふふふ。」
「うん。もう少しで先生のこと殴りそうになってた。」
「あははは。やっぱり。」
圭子は務めて明るく話してくれる。変に心配されるのが、本人にはかえって負担なのだということを、翔との付き合いで身につけたようだ。
「ほら、麗奈。いつまでも猫に張り付いてないで、こっちでケーキ頂きなさい。」
「そうそう。このケーキ、超ー美味しいよぉ。もう一個食べていい?」
「じゃんじゃん食べて。あるだけ食べて。」
子猫は今度は本当に笑って言った。マサにもうぬいぐるみは置けないからと言ったら、翌日からは果物やケーキを両手に抱えて持ってくるようになったのだ。子猫にも促されて、麗奈は圭子の隣りに座ってケーキを食べ始めた。子猫は微笑みを浮かべてその様子を眺めながら、今日のマサとの会話を思い浮かべていた。

 嫉妬深く警戒心の強い昭彦が、子猫に甘いマサをそのまま認めているのは、長い年月の中で生まれた絶対の信頼なのかも知れない。マサだけは自分を裏切らないという自信があり、それはどんな時でも完全な形で報われてきたのだろう。
「ねぇ、マサさんは昭彦さんのどんなとこが好き?」
「ヘッヘッヘッヘ。おもろいことを聞くもんでんなぁ。」
「えー・・・何でぇ?」
「好きやの嫌いやのて・・・そない感情は男と女で言うもんでっしゃろ?」
「そうかなぁ?・・・んー、でも同性同士だって気が合う、合わないはあるでしょう?気が合うのはやっぱ好きだって思うからじゃない?」
「わては難しいことはよぉわかりまへんわ。そない細いこと考えちょる暇はないですよって。生きるか、死ぬかっちゅう時は、気ぃ合うか合わへんかとか関係あらしまへんしなぁ。それにやくざの世界は杯が肝心でっさかい、杯貰うた親の言うことには逆らえへん掟がありまっさかい。」
「じゃぁ、昭彦さんの杯を貰ったの?」
「へぇ。兄弟の杯を頂きました。」
「親じゃなく?」
「すでにやくざ者しちょりましたさかい、親は別にいちょりました。」
「ふーん・・・何かぁ・・・よくわかんない。」
「ヘッヘッヘ。知らんかてええですがな。ドクターが組長にならはって、子猫はんが姐さんにならはったら、だんだんわかってくることとちゃいまっか?」
「・・・猫には・・・姐さんなんて出来ないよぉ。」
「難しいことなんてなぁーんもあらしまへん。なんも心配せんかてドクターに甘えちょったらええですて。」
「・・・もしぃ・・・昭彦さんが他の女性を好きになっちゃったらぁ?」
「ありえへんことを聞かれても答えようがあらしまへんがな。」
「絶対なんてことはないじゃん。・・・猫だって・・・他の人を好きになるかも・・・」
「そら困りまんなぁ。わてに子猫はんの遺体を処分させんようにしとくんなはれ。頼んますよって。そないなことにならはったら、ごつぅシンドイですよってなぁ。」
「・・・冗談?」
「ほんまのことでんがな。子猫はんはドクターをどない思うちょります?」
「・・・超ー優しいよ。」
「ヘッヘッ。そらそうでっしゃろけど。」
「・・・でも・・・猫がこんなに弱いんじゃ、昭彦さんの負担になるじゃん。」
「そらちゃいまんがな。こーんなええ子の何が負担になりまっしゃろ?・・ええ子すぎて・・綺麗すぎて・・・子猫はんはわての天使でっさかい。ずーっとドクターと仲良うしちょくんなはれ。頼んますわ。」
「もぉ・・・マサさん、調子いいんだからぁ。誉めすぎても何もでないよぉ。」
「わてはお世辞は苦手ですよって、ホンマのことしか、よう言えませんわ。・・・子猫はんはこんなわてを真っ直ぐに見て優しゅうに笑うてくれはります。濁りのない澄んだ綺麗な目で、包むように暖かい眼差しです。・・・こんなのは初めてでんがな。母親さえそないに見たことあらしまへんで。」
「マサさんのお母様のご事情が何だったのかはわかんないけど・・・きっと辛いことを抱えてらして、一番近い故の甘えが出て、マサさんへの冷たい仕打ちになってたんじゃないかなぁ。」
「ヘッヘッ。・・・そうかも知れへんけど・・・もうええこっちゃ。」
「それに・・・マサさん、彼女がいっぱいいるじゃん。聞いてるんだからぁ。ふふ。」
「彼女なんていてません。」
「だって・・・」
「わては金で綺麗なおなごを言うこときかすんが趣味でんねん。散々わてをコケにしちょったおなごへの復讐ですわ。ヘッヘッヘッヘ。」
「そんなぁ・・・マサさん、ホントは優しいのに・・・ちゃんと向き合って人を愛した方がマサさん自身が幸せになれるんじゃないの?」
「わての魂はドクターに捧げちょりますんで、ドクターが望めばいつでもこの命捧げまっさかい、おなごにやる命はないですよってな。」
「・・・ふーん・・・じゃぁ・・・もし、昭彦さんが猫を殺すように言ったらそうする?」
「そないなこと言うはずないでっしゃろ?」
「だから絶対ってものはないじゃない。」
「ドクターが子猫はんの命を他人に奪わせるお人やと思いまっか?・・・生かすも殺すも、子猫はんの全てはドクターの手の中ですよって、それを他の誰かに渡すっちゅうことは、まずないでっしゃろと思いますわ。」
「・・・そっか・・・」
「わてがするのはその後始末でんがな。ヘッヘッ。死体がなければ殺人が成立することは滅多にないですよってな。綺麗に跡形もなく消しちゃりますわ。」
「・・・猫でも?」
「そりゃそうでんなぁ。」
「うぅぅー・・・いじわるぅ・・・」
「ヘッヘッヘッ。せやからドクターを裏切らんと仲良うしちょくんなはれや。」
不思議な会話だった。どちらも穏やかに笑みを絶やさず、いたわり合うような眼差しを交わしながら、静かに淡々と話していた。マサが自分を好意的に思ってくれているのは子猫でもわかるほどだった。それでもマサは子猫をミンチにして魚の餌にすることも出来るのだ。確かにやくざの世界とは好き嫌いの感情に関係なく動くものなのだと実感した。そして、マサにとって昭彦は、好き嫌いを超越した神にも等しい存在なのだということがわかったように思えた。昭彦もそんなマサの気持ちをちゃんと知っているのだろう。男同士の友情を越えた絆を羨ましく感じる子猫だった。

「猫ぉ・・・大丈夫ぅ?」
子猫が焦点の定まらない目でぼんやりしていたので、京子が顔を覗き込んできた。圭子が子猫の額に手をあてて眉を寄せ、
「もう、横になって休んだ方がいいみたいだね。」
と言った。
「えー・・大丈夫だよぉ。」
「無理しちゃダメだよ。頑張ることと無茶は違うの。」
そう言って圭子は、起きあがっていた子猫のベッドの背もたれを倒して、子猫を寝かしつけた。京子も麗奈も、
「早く元気になって、また一緒に騒ごう。」
「猫先輩、早く元気になれるのを待ってますから。」
と励ましてくれた。子猫はもう一度お見舞いとお土産のお礼を言って、圭子達を横になったまま見送った。

 その夜、子猫は無性に昭彦に甘えたくなった。昭彦の忙しさはまだ続いていたが、それでも周が帰国したことで、朝方まで帰宅出来ない状況はなくなっていた。今はこのVIPの病室が二人のスィートホームになっていて、昭彦のいる間だけ入り口を見張る者が睨みを効かせていた。それで、夜の看護婦の巡回は必要がない場合はパスされていた。が、この夜は熱が下がらないことと点滴も継続中だったこともあり、昭彦は子猫の横で抱き枕に徹していた。
 一度看護婦が検温と点滴のチェックをしていった。子猫は昭彦の腕の中でうつらうつらしながらも眠れずにいた。看護婦が出ていってから、昭彦は子猫の額の髪を撫で上げながら、
「ちゃんと眠らんとあかんやろ?」
と言って、額にキスをした。子猫は昭彦の手を両手で包み込み、指の一本一本にゆっくりキスをしていった。昭彦はくすぐったそうに、
「クックッ。心配せんかて、ずっと側にいちゃるで、ゆっくり寝ぇや。」
と、子猫の握る手で頬をそっとなぞった。子猫は今度は一本一本の指を、まるで男性のシンボルに奉仕するように、舌を絡めながら丁寧にしゃぶっていった。
「そない誘うと我慢出来んようになってまうで。」
と、言いながらも、昭彦は子猫の好きなようにさせてくれていた。
「・・・熱でとろける・・猫も・・いいかもよ。・・うふっ。」
「ほぅ。・・・クックッ。ほな調べてみよか?」
昭彦は子猫のしゃぶっていた手を布団の中へ滑り込ませ、ベビードールの白いブルマーの奥へと忍びこませた。子猫はしゃぶる対象をなくしたのがつまらなくて、腕枕をしていた方の手を顔の真上に持ってくると、またその指を舌を絡めながら舐め始めた。
「んー・・燃えるようやな。」
昭彦が中指を静かに根元まで差し入れるのに合わせて、子猫も昭彦の中指を根元までくわえてしゃぶる。昭彦の指の動きに合わせ、出したり入れたり舌を絡めたりして中指をしゃぶり続ける。
「・・・どないした?・・・やけに甘えん坊さんやでぇ?」
子猫を見る昭彦の眼差しは駄々っ子に手を焼く父親のようだった。
「・・・抱いてくれないのぉ?」
「アホやなぁ。点滴が逆流してまうで。」
子猫はちょっと唇を尖らせたが、昭彦の方に体の向きをかえると、胸に顔を埋めた。昭彦は子猫の燃える蜜壺からそっと指を抜いて、
「退院したら、いくらでも抱いちゃるがな。」
と、蜜で濡れた指を舐めた。
「・・・あきぃ・・・」
「なんや?」
「・・・弱くて・・ごめんね。」
「何ぃ気弱になっちょんねん。病院で出会うちょるんや。初めから承知しちょることやがな。体で惚れたんとちゃうんやで?ドクターストップで一生抱けへんかて、わしは子猫を離さへん。わしの最後の女やちゅうとるやろ?」
なんて完璧な愛だろう。子猫は切なさに胸が痛くなって、すすり泣いた。
「なんで泣くんや?」
昭彦はこの痛みを理解しない。ただ、ひたすらに自分が満足するまで愛し尽くすのみ。そのあまりの愛の深さに、恐れおののき、失う不安にさいなまれることを知らない。
「・・・ずっと側にいてね?」
「聞くまでもないこっちゃで。離さへんちゅうとるやろ?・・・もう、ええから寝えや。」
「・・・うん。・・・昭彦ぉ・・・愛してるよぉ。」
「わかっちょるがな。・・けぇど、わしはその何倍も愛しちょうでな。」
うん、そうだね、と子猫は心で呟いた。が、何も言わずに顔を昭彦の胸に擦りつけた。昭彦は子猫の髪を撫でながら、今夜もまた子守歌を囁くように歌い始めた。



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