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子猫白書

<6>〜<10>

<6>
[友情]
<6>友情

「ウーロン茶を下さい。」
子猫は膝から顔をあげると翔を真正面に見据えて言った。翔は肩をすくめて笑うと注文してくれた。ウーロン茶が運ばれるまで子猫は翔から目を離さずにその表情を観察していた。翔は勝ち誇ったように子猫の視線を意識しながら、一息入れてウィスキーを飲み、長い綺麗な指で額にかかる髪をかきあげた。翔のグラスが空になるとすかさず仲間がアイスBOXから大きめの氷をグラスに入れてウィスキーを注ぐ。
 ウーロン茶が運ばれ二口ほど飲んだ子猫はゆっくりと息をついた。頬にはまだ火照りが残り耳がじんじんするほど熱くなってるのを感じていたが、気持ちは落ち着きを取り戻していた。というか、病院を抜け出してから初めて自分を取り戻したというべきだった。

「惚れたか?」
子猫の視線がずっと注がれていることに満足してるように自信に満ちた笑いを浮かべて翔が言った。
「悪いけど、趣味ぢゃない。」
「お?」
子猫の言葉は意外だったのか、翔の方眉がヒクリとあがる。
「可愛い系の人って苦手。」
周囲で息を飲むような雰囲気が漂った。翔はクゥ〜っとうなって髪をかき、気持ちを落ち着かせようとするかのように後ろに撫でつけ、姿勢を低くして子猫を睨んだ。
「可愛いって言うなよ。俺はそう言われるのが一番嫌いなんだ。」
「そうッスよ!この間も翔をそう言ってからかったやくざをボコボコにして病院送りにしたんッスから。」
「カズは黙ってろ!!」
凄味のある声にその場に緊張が走った。子猫にもその雰囲気は充分伝わってきていたが、気にしないように見せていた。
「ふぅ〜ん。・・猫も可愛いって言われるの好きくない。」
「何でだ?」
「可愛くないもん。」
「何言ってるんだ。素顔でそれだけ可愛いんだ。絶対可愛いって。俺が保証する。何より俺好みだしな。」
翔の顔に笑顔が戻る。が、肩あたりから滲む威圧感は消えていなかった。
「でしょう?可愛いなんて人の好みの問題で絶対的評価ぢゃないぢゃん。それに誉めてるようで実際は内面を無視した侮辱に近い。そんなあやふやな評価で観察されてランク付けされるのって嫌なの。」
「ほぅ。」
体を起こしてソファーにもたれた翔は長い足を組んで腕組みをした。
「ぢゃぁ何で評価したらいい?・・あそこの感度か?フェラの巧さか?」
ドッと笑いが起こり緊張が解けた。が、翔は笑っていなかった。そして
「それとも天才的頭脳の持ち主か?」
と言った翔の目には挑戦的な色があった。
「う・・・どっちかと言えば・・お馬鹿な方だけど・・・」
「はぁ?」
今度は翔も笑った。笑いすぎて涙が浮かんだ目を指でこする。
「だったら可愛いだけましだろが?」
「だって嫌なものは嫌なんだもん!」
「あっはっはー!わかったわかった。ぢゃぁ勝手に俺の中で思ってることにしてやるよ。・・だからお前も俺を可愛いって言うなよ。」
「翔は何でそう言われるのが嫌なの?」
「男は強さと賢さで勝負するものさ。」
「男は?・・って差別ぢゃん。」
「いや。女だって強くて賢い奴はいるさ。姉貴みたいにな。だが、美人だろうと全然可愛くねぇ。対等の人としちゃ認めてるさ。けど、女とは思わない。女は可愛くて・・ちょっと足りないくらいがいいんだ。」
「うぅ〜・・何か差別ぅ〜。」
「つか男で可愛いと変な男が言い寄って来るのがウザイんだよ。男になんか好かれたくないぜ。俺は女が好きなんだ。」
「ふぅ〜ん・・・」
他の理由もあるような気もしたが、のぼせた頭は思考が滞り、しかもすでに深夜でいくらか眠さもあって、子猫にはもうどうにでもよくなってきていた。
「翔って血液型何?」
「ん?」
「ちょっと性格分析。」
「俺はB型さ。あっはっはー!」
「それも同じぢゃん。そっか。何か納得。」
「人に合わせたり強制されるのは嫌いなのさぁ。あっはっはー。けど、俺の性格はかなり後天的に環境によって育まれたものが大きいからな。人によっちゃぁ壊れてるとも表現するようだ。俺を怒らせないように注意した方がいいぞ。・・ま、よほどぢゃなけりゃ女に手出しはしないけどな。」
「そうそう。それを承知でレディースの連中はファンクラブまで作って翔を追いかけ回してるんだからなぁ。」
「はっは、あいつらのしつこさには負けるぜ。」
さっき怒鳴りつけたカズに今度は笑って話しかけた。カズは翔の喜怒哀楽の激しさには慣れてるようで気にする様子もなかった。
「モテるんだぁ。・・それで星座は何?」
「平和主義の水瓶座さ。」
意味ありげにウィンクする翔をじっと見ていた子猫は
「ぢゃぁ、猫の方がお姉さんぢゃん。」
と言って嬉しそうに笑った。翔の表情が一瞬止まり、しまったというように歪んだ。
「猫は5月、双子座だもん。わぁーい!」
「・・・だから?」
「年下には興味ないんだ。でも一人っ子で兄弟欲しかったし、弟としてなら考えてあげてもいいよ。うふっ!」
「うふ、ぢゃねぇー!うふ、ぢゃぁー!」
「きゃっきゃっきゃっ!」
「何でこんなガキにぃー・・・」
「ガキぢゃないよぉー!」
「お前自分見たことあるのか?小学生の妹よりガキづらしてるぢゃんか!」
「知らなぁーい。年上は年上なの!」
がっくりとうなだれた翔は
「学年は同じなんだ。年上って言うな!」
とすねたような口調で言う。子猫は初めて翔の年に似合った表情を見た気がした。それが嬉しくてまた楽しそうに笑う子猫に翔は舌打ちしてため息をつく。
「ったく・・一晩に人のコンプレックスを二つも言ってくれてありがとうよ!」
「えぇ〜、コンプレックスだったのぉ?」
「てめっ!嬉しそうに言うな、嬉しそうに!」
「ぁーぃ!」
いつの間にか翔と子猫の間には不思議な友情が芽生え始めていた。
<7>
[花束]
<7>花束

 朝方子猫は病院に戻った。店に残った翔の変わりに仲間の一人が、呼んだタクシーに同乗して通用口まで送ってきてくれた。
「翔はどうするの?」
「はぁ・・まぁ、親が入院させておくのを諦めるまでは仲間のとこにいると思うッス。いつものことッスから、心配ないッスよ。」
「ぢゃぁもう病院では会えないんだぁ。」
「子猫ちゃんが会いたいならそう伝えときます。ヘッドも御執心のようですし。」
「それはぁ・・嫌かも。冗談キツくてついてけないもん。ただ、ちょこっと気になっただけ。」
「そ、それは言えないッスよ。ヘッド、キレるとマジ恐ろしいッスから。"殺しと盗みはするな!"がチームの鉄則ッスから、俺達はけっこう真面目なグループなんスけど、悪さばかりしてるグループを潰す時には何人も半殺しにしてますからね。はは。」
「よく逮捕されないね。」
「それは・・後でヘッドから聞いてください。俺の口からは言えないッス。」
「ふぅ〜ん。」
「ま、権力のある親らしいッス。で、忙しいからヘッドが発作起こすと入院させちまうみたいッス。」
「・・・同じかぁ。」
「同じッスか?」
「あっ、権力は全然ないよぉ〜。お金もぉ〜。あはっ。・・でもママ忙しいから家においとくより入院させちゃう方が楽みたい。」
「そうなんすかぁ。親父さんは何も言わないんッスか?」
「パパ・・2ヶ月前に天国行っちゃったの。」
「あちゃ・・悪いー。」
「・・パパっ子だったから・・それで食事全然出来なくなって・・普段から貧血症だし倒れて当然だったかも。病院運ばれたついでに家では食事管理出来ないからってずっと・・。」
「そうなんスかぁ・・あ、ぢゃぁ心臓は?」
「ん?心臓は小学校あがる前に人工弁にしてあるの。」
「はぁ・・・」
「ま、気にしない気にしない。」
思わず翔の口癖が出て、二人で笑った。そんなタクシーの中でのやり取りの後、通用口で 「それぢゃ、頑張って。」
と言って翔の仲間は急いで待たせてあるタクシーへと戻って行った。子猫は通用口を睨むようにして大きく深呼吸し、中へと入っていった。

 病院を夜中に抜け出すという大胆なことをしたにもかかわらず、ほとんどいつも通りの朝だった。巡回の時いないことに気付いた時は慌てたらしいが、すぐに常習犯の翔と一緒だったことがわかり、連絡が行った翔の父親の秘書がかけつけ穏便に伏せるように頼んだらしい。秘書は子猫の母親にも連絡し謝罪して、心配ないからと説明したようだった。今からお詫びに伺いたいと言う秘書にもう遅いからと断った子猫の母親は子猫が戻った日の夕方遅くになって病室に顔を出した。
「まったく、どうゆうつもりなの?」
子猫の母は一通りの小言を並べ立てた後、大きな花束を持ってお見舞いに来た翔の父の秘書と病室を出ていき、談話室で少し話した後、そのまま帰宅してしまった。子猫がため息をついてそのままベッドにおいてある花束を眺めてると入ってきた看護婦が
「お母様も忙しいそうなの。わかってあげようね。」
と言って花瓶に花をいけてくれた。子猫はこれまで貰ったことのない豪華な花の香りを吸った。
「・・ッシュン!」
「あぁ、子猫ちゃん花粉症だっけ?どうする?」
「大丈夫です。・・でも・・あの・・」
「なぁーに?」
「翔・・翔太郎君は戻ってないんですか?」
「そうねぇ・・気になるの?」
「だって・・」
「気にしないこと。というより、もう関心持っちゃダメよ。悪い子ではないと思うけど、つき合ってる仲間とかが悪すぎるもの。でしょう?」
「暴走族?」
「らしいわねぇ。」
「でも・・ヘッドって呼ばれてた。」
「クスクス・・みたいね。話すと明るいし冗談ばかり言って面白い子なんだけど・・って、ダメダメ。子猫ちゃんはもうつき合っちゃダメよ。」
「・・はい。」
子猫はうつむきがちに答えた。少し年輩の看護婦はその様子を見てそばに寄ると小さな声で聞いてきた。
「それとも・・何かあった?」
看護婦の言う言葉がすぐには理解出来なかった子猫が
「何か・・?」
と聞き直すと一層声を潜めて
「あの子はもう自分を大人と思いたがってるでしょう?だから・・つまり・・女の子にも興味持ってるし・・ね?」
と言った。やっと意味がわかった子猫は首を振り
「そーゆーのはないです。ただの友達です。」
ときっぱり言った。看護婦はホッとしたように笑って体をおこした。
「きっとそうだとは思ってたのよ。子猫ちゃんはまだ女性として見るには幼いものねぇ。」
「ぷぅー!看護婦さんまでぇ〜・・」
「あの子の外での生活がどんなものかは知らないけど、入院中は小さい子の相手したり、時々来る妹さん達にもいいお兄さんとして振る舞ってるし、その点は心配ないって思ってたの。」
(翔のブリッ子!)子猫は内心そうつぶやいた。あっはっはー。と翔の高笑いが頭に響いてくるようだった。
「でも、やっぱり友達としてあまり歓迎出来ないことも確かだし、子猫ちゃんはもう誘われても付いて行っちゃダメよ。」
「また会えますか?」
「ん〜、どうかしら?発作さえなければ普通の生活しても大丈夫みたいだから、当分は来ないかな?」
「そっか。」
「子猫ちゃんも早く退院できるように元気になろうね?」
「はーい。」
子猫が疲れたようにため息をついたので看護婦は横になって休むように言って病室を出て行った。子猫も昨夜は寝てなかったせいですぐに睡魔に捕らわれ、やがて小さな寝息をついて深い眠りに落ちていった。
<8>
[ハンカチ]
<8>ハンカチ

 中学2年の終わりから春休みを挟んで3年の新学期までの約1ヶ月半を病院で過ごした子猫はひさしぶりの学校に気怠さを感じていた。もともと友達の輪の中に入れない子で一人でいることが多く、保健室と図書室が一番落ち着く場所だった。
 昼休み、図書室で真新しい中3の教科書をパラパラ眺めていると、司書の先生が肩を軽く叩いて隣りに座り、子猫の教科書をのぞき込む仕草をした。司書の先生の顔を子猫が見てるとその若い先生は視線を合わせて微笑んだ。
「退院おめでと。」
子猫は小さく頭を下げ、
「ありがとうございます。」
と答えた。
「勉強遅れて心配?」
「ん〜・・少し・・・」
「そっか。でも大丈夫よぉ〜。子猫さんならすぐにみんなに追いつくわよ。」
「そうだといいですけど。」
(どうでもいい。)子猫は内心つぶやいた。
「もしわからないとこがあったら教科の先生が特別に教えてくれるそうよ。」
「え?」
「担任の森脇先生もとても心配してらしたわよ。」
「あ・・はい。森脇先生からはそう言われてます。」
「他の先生方もね、今度のことは子猫さんも辛かっただろう、ってとても気にしてらしてね、せっかく順調に成績上げてきたのに、って。」
(どうでもいいよぉー!)
「そですか。」
「どうする?放課後少し残って勉強してみる?」
「あ・・塾もまた始めたから大丈夫です。」
「そう?」
子猫は背筋を伸ばして明るい笑顔を作り
「はい。大丈夫です。心配して頂いてありがとうございます。他の先生方にもよろしくお伝えください。」
ときっぱり答えた。司書の若い先生はうんうんとうなずき、また軽く肩を叩いて席を立っていった。
 その姿が見えなくなってから、大きく息を吐いた子猫は広げたままの教科書に顔を伏せた。やりきれない淋しさが体を覆っていくようで、血がざわざわと騒ぎ立て、指先を冷たくしていった。涙が溢れてきて教科書を濡らしたが、顔を上げる気力もなく涙のこぼれるままじっとしていた。
「気分悪いの?」
子猫は怠さですぐに姿勢を戻せなく、顔を横にズラして声の主を見上げた。見たことはある、同じ学年で違うクラスの男子だった。彼は子猫が涙に前髪まで濡らしているのに戸惑って焦っているようだった。
「あ・・マジ大丈夫か?保健室行くか?」
子猫はゆっくりと起きあがり首を振った。
「ううん。・・平気。何でもないよ。」
前髪を書き上げる子猫に彼はハンカチを差し出した。
「よ・・よかったら・・」
「ありがと。」
子猫はハンカチを受け取って涙を拭った。うるんだ目に火照った頬、少し赤らんだ鼻の頭と、いつもより赤みを増した唇。この先、子猫とつき合う男性達が揃って”悩ましすぎる”と言った顔をしていたのかも知れない。ハンカチを貸したまま言葉をなくして子猫を見つめてる彼は短く刈り込んだ頭に汗を浮かべて、それが午後の日差しにきらきら光っていた。子猫は耳を真っ赤にしてる彼のそんな様子に少しおかしくなって、クスッっと笑った。
「どうもありがと。」
子猫がハンカチを返すと
「あ・・ああ、いいんだ。」
と言って、ハンカチをポケットにしまった。
「座る?」
子猫がさっき司書の先生が座っていたのとは反対の席を指して言った。いつもならそんな言葉も出ない子だったはずなのに、不思議と大胆になっていた。彼はぎこちなく薦められるままに席に座った。
「もう・・大丈夫なのか?」
「ん。ちょっと思い出しちゃっただけだから。」
「あぁ・・聞いてる。・・お父さんのこと・・大変だったね。」
「噂になっちゃったの?」
子猫の表情が曇る。どうせまた陰口が囁かれたのかと思うと気分も塞いでくる。
「いや・・噂ってゆーか・・」
「いいよ。慣れてるもん。」 「違うって。子猫さんが休んでるから部活で一緒の斉藤に聞いたんだ。」
「斉藤君?・・何部だっけ?」
「野球部。」
「あ・・そかそか。うん。わかった。」
子猫が頬杖をついてうんうんと笑うと彼も嬉しそうに笑い返した。
「あ、俺はA組の山田信夫。」
「よろしくぅ〜山田君。」
頬杖をしていた手を山田君の前に差し出した。山田君は緊張しながらそっと子猫の手を握った。子猫の手のヒンヤリとした感触にハッとしたように子猫の顔を見た山田君だったが、指をじっと眺めてから、
「綺麗な指だね。」
と言った。そのまま握っているので子猫はクスクス笑い出した。
「握手ぢゃん。」
「え?・・あ!」
慌てて手を離した山田君は照れくさそうにうつむいた。
「気にしてくれてありがとう。」
この言葉は子猫が使ういつものセリフだった。深入りする気はないが取り敢えず励まそうというクラスメートにいつも返す言葉だった。興味が沸いて話し始めたものの話題もみつからないし、と会話を終わりにしようとした言葉だった。そうした空気をさっしたのかはわからないが、
「あのさ!今度の休みに映画観にいかないか?」
と真剣な顔で子猫に言った。え?っと山田君の顔を見た子猫は急になんだか恥ずかしくなって、体温が上昇するような熱さを感じた。
(これって・・デート誘ってるのかなぁ?)
半信半疑ではあったものの、子猫の返事を待って真剣に見つめてる山田君を見ると冗談とも思えなかった。
「いいよ。」
子猫が頷くと山田君はよっしゃぁー!と声にならずに言って拳を握った。
<9>
[ノブと猫]
<9>ノブと猫

「募金してるね。」
「ああ。学校でも募金集めただろ?」
「え?知らない。」
「そっか。子猫さんが入院した後だったかも。」
「ふぅ〜ん。そなんだ。」
 待ち合わせした駅前の通りで、阪神淡路大震災への救援物資を送ろうとボランティアグループが募金を呼びかけていたのである。この年は次々にいろんな事件の起こった年だった。地下鉄サリン事件も連日TVで騒いでいた。
「ねぇ・・映画観るお金寄付していい?」
「あ、今日は俺がおごるつもりで・・」
「あはっ、お互いお小遣い貰ってるんだもん。自分の分は自分で持たなきゃ。ね?」
「それじゃ、俺も・・」
「だって、山田君は学校で寄付してるし・・つき合わせちゃ悪いよぉ。」
「いいんだ。初デートの記念に一緒に寄付したい。」
毎日の練習で日焼けした顔が笑うと白い歯が爽やかな印象だった。Tシャツにジーパン姿の山田君は身長があるだけに制服の時より大人っぽく見えていた。
「ありがと。」
二人は揃って募金箱にお金を入れ、それから相談して公園まで歩いていくことにした。
 山田君の歩調が早いのと歩幅が広いのとで子猫には並んで歩くのが大変だった。それで思わず剥き出しになっていた腕にしがみついた。ビックリした山田君は子猫の息がはずんでいるのに気付いて、
「ごめん。ゆっくり歩くよ。」
と済まなそうに笑い、照れくさそうに子猫の手を握ってゆっくり子猫を気遣うように歩き始めた。

 公園には広い池があってその周囲を桜やケヤキの木が囲うように繁っていて、お花見のシーズンには屋台もたくさん出て賑わう場所だったが、普段は散歩やジョギングの人達や写生している子供達のいる静かな場所だった。
 二人は入り口近くの売店でジュースとポッキーを買って、木陰になっているベンチのところに並んで座った。
「けっこう距離あったから疲れただろ?キツかったかなぁ?大丈夫?」
「ううん。全然平気だよ。」
ジュースを飲んで笑うと山田君も嬉しそうに笑って、
「その服、可愛いね。」
と言った。子猫は白い木綿のワンピースを着ていた。胸とウェストにいっぱいギャザーの入ったアンティーク調でフレアがたっぷりしているのが子猫にもお気に入りだった。大きめに開いた胸元と裾周りに小さな赤い花の刺繍が施されて、裾と袖からはレースが見えている。
「子猫さんが着てると人形みたいだ。」
「あは、お世辞をありがとぉ〜。」
「ほんとさぁ!ここに来るまで何人の男が振り返ったと思う?」
「知らなぁーい。」
「みんな注目してたよ。俺、こんな服で悪かったかなぁ?」
「何で〜?いい感じぢゃん。」
「デートなんて初めてだし、他になくてさぁ・・」
「猫だって・・カントリーだもん。一緒だよぉ。・・でも気に入って貰えたのなら嬉しいなぁ。」
「最高に可愛いよ。・・その白っぽいハートのアクセサリーも似合ってるし。」
「これ?猫も気に入ってるの。これガラスなんだよぉ〜。」
「へぇ〜そうなんだ?」
子猫がネックレスをつまんで少し上げたので山田君は指の先で受け止め覗き込むようにした。山田君の顔が近付き、手が胸元の肌に触れた。

 どうしてキスをしたのかわからない。初めてのデートでそれほど親しく話した訳でもないのに。でも近付いた二人の顔は離れることなく、山田君の顔が間近になっても子猫もそのままでいて、やがて唇が重ねられたのだった。
 押しつけられた唇の温もりと顔にかかる息が微かに震えているのを感じていた。子猫は無意識に山田君のTシャツの胸あたりをつかんでいた。そうしないと体が倒れそうな軽い目眩を起こしていたからだった。山田君は初めはそっと、それから力強く子猫の背中に腕を回して抱き締めた。そして、子猫の唇を割って舌を差し込み、からめるようにしてきた。子猫は口を吸われるまま、舌を求められるまま、従うように応えていた。それはとても初めてとは思えない長いキスだった。
「ごめん。・・でも・・ずっと好きだったんだ。」
一度唇を離して、子猫の耳元でそう囁いた山田君は子猫が何かを言おうと戸惑っている間に、再び唇を重ねて、今度は前以上に強く吸ってくるのだった。
 時々人が通り過ぎるのも意識にはないようだったが、何度目かのキスの後、子猫の手を引いて木が茂った陰の方に移動すると、子猫を木の幹に寄りかからせるようにして再びキスをくり返した。立ってするキスは二人の体が密着し、子猫の体に山田君の何か固いものが当たっているのが気になり、体を引いて離れようとするのだが、一層強く押しつけらるようだった。

 帰り道、二人にはほとんど会話がなかった。手を繋いで帰る足取りはゆっくりしていて、じんじん痺れるような感覚が唇にあり、少しはれぼったく赤くなっている気がした。
 帰り際に山田君がトイレに寄った理由を子猫は後になって知ることになった。が、その時にはそこまで理解出来るほど男性への知識はなかった。
 家の近くまで送ってくれた山田君はその日以来、ノブと呼ぶ相手になった。ノブも子猫を猫と呼んでいた。
<10>
[嫉妬]
<10>嫉妬

 野球部の山田信夫は同じ3年だけでなく下級生の女子からも人気があったようだ。
 ノブと子猫がつき合うようになってから、ノブは廊下で子猫とすれ違う時でも必ず笑顔で声をかけてきた。子猫の教室の出入り口に立って、
「猫!!」
と呼ぶこともあるし、昼休みに子猫が図書室に行く時もつき合って腕がつくほど近くに並んで歩いた。
 当然二人がつき合ってるという噂が校内に充満するのに時間はかからなかった。子猫がノブといる時にはまだ露骨な視線はなかったが、子猫が一人でいると刺さるような冷たい視線と囁きが交わされた。

 子猫は小さい頃、長い入院をくり返して幼稚園に通うことはなかった。小学校の入学も遅れてしまった。学校に通うようになっても体育の時間は保健室で過ごし、昼休みに友達と校庭に出て遊ぶこともなかった。友達の輪の中に入れない子猫を心配した先生達は何かと子猫に声をかけ気遣ってくれていたが、むしろそうした行為も子猫が特別扱いされていると子供達には思えるようで、皆揃って子猫を無視していた。
 その頃を振り返って、悲しかった記憶をあげればキリがないほど次々に浮かんでくる。けれど集団の中にいる者は自覚も罪悪感もなく、ただ同調してるだけだと思っていただろうし、自分のしたいことを優先してるだけであって、自分の生活の中で子猫を意識する暇がないだけのことだったろうと思う。そして時々目障りな存在でしか。
 子猫なりに悩んだり苦しんだ時期もあったが、本の世界が子猫を救ってくれた。本の中の登場人物は子猫の知らない世界を探検し、わくわくするような冒険をしてみせてくれた。時には試練に会い、苦しい困難に出会っても乗り切って頑張っていた。小さな自分の中の殻の壁にぶつかっては痛がることよりも、もっと広い視野で意識を空高く飛ばすことの喜びを教えてくれた。  そして子猫の父親も子猫が本を好きになることに協力してくれていた。子猫が寝る前には必ず子猫が読んだ本の話しを聞いてくれて、驚いたり感心したり一緒にわくわくしたりして、話終えると抱き締めて頭を撫でながら誉めてくれた。それから子猫が寝るまでたくさんのお話を聞かせてくれていたのだった。・・母親にはそれが甘やかし過ぎると思えたようで、父親が度々朝まで子猫の隣りで寝込んでしまうので一層不機嫌になる日も度々あったが・・朝起きてこない父子を起こしに子猫の部屋にきて、父親の腕に包まれるように眠ってる姿を見せつけられれば無理なかったかも知れない。
 その父親を失ったことは子猫にとってはふかふかの羽毛の巣の中から突然ころがり落ちてしまったヒナの心境と同じだった。
(もう、何をしても誉めてくれる人はいない。)
そう思うと孤独の闇に覆われていくような思いだった。
 そこに手を差し出してくれたノブは子猫にとってすがれるものならすがりたいワラだったと思う。恋愛感情はなかったかも知れない。ただ、触れた唇の温もりが好きだった。からみつく舌の感触が好きだった。自分だけを見つめてくれる視線が好きだった。
 ・・不純だったのだろうか?子猫は周囲の嫉妬の視線に困惑していた。顔を知っている程度でそれ以上の興味もなかった相手がある日突然彼氏と呼ばれる存在になり、それだけの理由で敵意を向けられているのだ。小学校の頃のイジメのように自分に問題があったとも思えないのに自分のまったく知らない人からもジロジロ見られヒソヒソ囁かれる事は、子猫に新しい苦痛を与えはじめていた。

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