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獣たち




<11>〜<15>



<11>
「裏切りという意味」
<11>「裏切りという意味」

 伏島が海外へ逃亡した。そう、まさに逃亡だった。一時は腹立ちが収まらず、自分の組織を作って対抗してやろうとも目論んだ伏島だったが、あてにしていた資金繰りが思うようにならず、”絶縁”になったことを知った組員達が一人、二人と姿を見せなくなっていく中、元鮫島組の者達が「伏島の命を取ったる!」と言っているという噂も耳にして、日本に見切りをつけたのだった。取り急ぎまとめられる限りの資産を整理して海外の口座に振り込み、伏島組の解散を宣言した足で空港から飛び立ったのである。
 後の整理を任された若頭は、色々問題のある親分と思いつつも、親と思って長年に渡って尽くしてきた結果がこの裏切りなのかと、絶望の中で自害した。組長以上に信望の厚かった若頭の自殺に泣いた組員は多かった。この若頭あっての伏島組だったのだ。しめやかに行われた葬儀には、表だって組関係者は参列出来ない決まりだったが、名前を伏せた献花がズラリと家からの沿道に並んだ。そして、火葬場へ向かう車が家の前の通りから角を曲がった途端、千人以上はいると思える喪服の男達が延々と整列し、頭を下げて黙祷をして見送った。その中に竜崎を始めとする竜崎組の者達の姿もあったことに、親に恵まれなかった若頭の哀れさを思って涙を新たにする組員達も多かった。

 その数日後、元伏島組の調査室室長だった男が竜崎組を訪れた。
 男はこれまで伏島組で扱ってきた企業絡みの裏金の動きがつけてある帳簿を、竜崎に披露してみせた。それを見れば、伏島組が弱みを握って脅してきた企業も、逆に伏島組を使って問題を解決してきた企業の実体も一目瞭然となる。
 呆れ顔の竜崎が、男の目的を聞くと、この資料を買って欲しい、と言うのだ。そして、自分も竜崎の杯を貰いたいと申し出た。
「いったい幾らで売る気や?」
冷めた声で竜崎が聞くと、男は、
「5億くらいは欲しいとこですなぁ。」
と下卑た笑いを浮かべた。
「あー、そらダメや。今ウチはどこぞの親分のせいで火の車やでの。」
「けど、これがあればまだ金を絞れる企業はありますがな。」
「ほな、自分でやったればええがな。」
竜崎は目を眇めて不機嫌そうに言った。
「今の自分にはそれだけの力はおまへん。」
男は暗い目で、もごもごと口ごもりながら言うと、
「・・・そしたら1億でええですわ。その代わり、わしをここの幹部にしてください。それで手をうちまへんか?」
と上目遣いに言った。
「何を勝手なことをぬかしとんのや。わしがいつわれに杯やるて言うたや?」
竜崎の声に怒気が含まれていた。竜崎の後ろに立って、腕組みをしている黒部の顔も怒りに歪んでいた。その横で大森も柔和な顔に冷酷な目を光らせて睨んでいた。
「この資料が欲しくないんですか?」
男はたじろぎながらも、狡そうな顔で言った。
「今、竜崎組で何をしようと企んでいるか、自分が気付いてないとでも?」
三人の男達の目が一斉に冷たい光を放った。・・・いや、四人。ドアの近くに立っていた昭彦が、黒い目を恐ろしげに光らせてじわじわと近付いてきたのだ。
「昭彦。あかんで。こんな奴は命取る価値もないわ。」
竜崎の言葉に男はギクッとして身を竦めた。
「大森。その帳簿が写しやないか、確かめてみ。」
「はい。」
大森は竜崎の横に来ると、テーブルの上の帳簿を調べ始めた。
「ほ・・本物に決まっとるやないですか。竜崎の親分にお渡しする物を写しなんかに出来ないです。」
男は必死で訴える素振りをしながら、やはり本物を持ってきて良かったと胸を撫で降ろした。温厚と言われる竜崎も、逆鱗に触れた時の怒りようは凄まじい、と評判だったのだ。写しなど持ってきて怒られたら失策だ、と判断して本物を持ってきたことに、男は安堵したものの、竜崎がもっと歓迎して喜んでくれると思っていたことは計算違いだった、と苦々しく思ってもいた。
「間違いないようです。」
しばらく調べていた大森がそう言って、また竜崎の後ろに控えた。
「わかった。ほな、これは1億で買うたるわ。黒部。」
「はい。」
黒部は苦虫を噛み潰した顔で、竜崎の前に小切手を差し出した。竜崎は小切手に1億の金額と裏書きをして男に渡した。
「へへ・・・どうも。」
男は小切手を舐め回すように見てから、懐にしまった。
「もし、これの写しを他で同じように売るような真似をしたら、そん時は絶対に許さへんて、よう覚えときや。」
「へ?・・・竜崎組に自分を置いて貰えんのですか?」
男が不満げに言った。竜崎はカッと目を見開いて、
「ダボッッ!!わしはわれのような奴を受け入れたりゃせんわい!!」
と、部屋のガラス窓がビシビシッと震えるほどの怒声を発した。
「こない組の秘密を簡単によそへ売る奴を誰が身内にするかい!!」
「ひぃ・・・」
男は頭を腕で覆うように身を縮めた。
「わしが一番嫌いなんは裏切りじゃ!!」
「・・・ううう・・裏切られたのはわし等の方でんがな・・・」
男は泣きそうな声で抗弁した。
「そんな親にしたのもわれやないんか!!」
竜崎の罵声が男に突き刺さるように響いた。
「われほど身近におって、何で親に意見出来んかったんや!親が間違うてたら正したったれや!・・・おたくの若頭からわしに手紙が来とったわ。わしだけやない。組長始め山神組の幹部全員にのう。・・・『自分の力不足でご迷惑をかけて済みませんでした。全ての責任は組長を諫められなかった自分にあります。どうか残った組員達は今後の活路が開けるよう許してやってください。』ちゅうて書いてあったで。」
竜崎は涙ぐんで言葉を詰まらせた。が、男を睨むと、
「・・・何でそないええ子分がいて、伏島が馬鹿な真似しよるんかと思うとったが、われのような自分では力もないくせに、人の陰で悪巧みを図るような奴がおったからやと、ようわかったわ。・・・もう用はない。出ていってくれ。空気が不味うなるわ。」
と、吐き捨てるように言った。
 男はこんな言われようをされて、この帳簿を他でもっと高く売ろうかと迷っていた。が、そんな思いも見透かされるように、怒りを込めた視線で射るように見られると、怖くて体が震え、何も言い出せなかった。そして、蒼白になった顔でよろよろと震えながら、竜崎組の事務所を後にした。

「他に流れんで良かったわ。」
男が去ってから竜崎が言った。
「こんな企業の悲鳴が聞こえそうな物は封印するに限るで。」
そう言った竜崎を、黒部が意外そうに見て、
「処分せんでええんですか?」
と聞いた。竜崎はフッと笑みを浮かべ、
「こんなん10年も封印すればだたの紙くずや。・・・けど、今は毒の紙やでのう。・・・あの男が万一写しでも持ってた時に、他で悪さしよるとあかんで、何か妙な動きがないかは帳簿をチェックして用心しとかなならんやろ。・・・毒も使い用では薬になるでの。でなければ、1億で買った意味がないわ。」
と言った。黒部は目を見開き納得顔で頷いた。そんな様子を横目で見ながら冷笑を浮かべた大森が、
「それに、その帳簿にある例の銀行との金のやり取りは、この先に控えている大勝負に役に立つでしょう。」
と言った。
「まあ、そうなんやけどなぁ・・・それ以外では使う気はあらへんで?」
「はい。承知しておりやす。」
大森は心得ているというような笑顔で頭を下げた。
 この大森も必要に応じて、いくらでも冷酷になれる男だったが、それは必要だからであって、竜崎を全面的に信頼し崇拝すればこその行為だった。心根は決して歪んでなく、やはり竜崎の目指すものを尊んでいる男だった。それを知っているからこそ、黒部も時に気に障る冷笑を向けられても、単なる癖の一つとして捉え、気にしないようにしていた。黒部もまた竜崎を崇拝し、ついていく道が同じだったからだ。
 そんな様子を傍観しているしかない昭彦は、自分が入り込めない関係に寂しさを感じ、自分の未熟さが忌々しかった。
「昭彦。」
竜崎がどことなくつまらなそうな昭彦を手招きした。そして、呼ばれるままに側に来た昭彦を膝に抱きかかえた。
「あんまり酷い大人を見て気分悪ぅなったかの?」
竜崎は優しく言いながら、昭彦の頬にキスをした。
「・・・別に。・・・ようわからん・・・」
「どないした?」
昭彦の視線の定まらない表情に竜崎は心配そうに聞いた。
「別になんでもあらへん。・・・どうせわしはお腰につけたキビ団子やし・・・」
「クッフフッ。なんやぁ?この前のことまぁだ気にしとったんか?」
昭彦にもどうして自分がこんな気分になるのか、わからなかった。妙に怠くて、寂寥感に苛まれていた。昭彦は大森や黒部への気遣いすら構うだけの気力も失せていた。
「・・・抱いて欲しい・・・」
昭彦は切なく囁くと、竜崎の首に腕を巻き付けた。
「昭彦・・・」
竜崎は驚いた顔でしばらく昭彦を腕に抱いていた。昭彦から求めてくるのは初めてのことだったのだ。見開いた目を輝かせて、この感激を味わっていた竜崎の股間は、すでに爆発しそうなほどに張り詰め固く勃起していた。
「おおおおおおおっしゃぁぁぁぁぁぁ!!思いっきり抱いたるでぇぇ!!」

 これまで、三階の組長室と応接間の反対側にトレーニングルームと仮眠室と宿直室があった。宿直室は竜崎が事務所に寝泊まりする時に警護する者が控えるようにと用意されていた部屋だったが、昭彦同伴で事務所にいることが多くなったので、この仮眠室と宿直室を改築して一つにし、居住スペースに作り替えたばかりだった。この部屋は、ワンルームマンションのような作りで、ユニットバスの他、狭いながらもちゃんとキッチンもあって、昭彦が料理を作れるようにとの竜崎の心遣いが施されていた。ベッドも会社の仮眠室にある物より、立派なキングサイズのWベッドが置かれてあった。
「ええかぁ?・・・可愛いでぇ・・・」
竜崎はいつもと様子の違う昭彦を愛しく思いながらも、妙な不安を感じて、少しでも気持ちよく感じてくれるように丁寧に抱いてやっていた。
「…ぁぁ…ぁ、、ぁぁ、、…」
昭彦も甘い喘ぎ声で応えて、心も体も陶酔の世界におこうとしているようだった。それでも、よがる表情がどこか寂しげで、きつく抱き締めているにもかかわらず、深く繋がっているにもかかわらず、竜崎の不安は消えなかった。
 竜崎の雄叫びとともに、熱い悦楽のひと時に区切りがついて、昭彦は竜崎の腕の中で、ぼんやりとしていた。体中で竜崎を感じている。触れ合う肌の熱さも、体に残る疼きも、べたつく感触も、竜崎の男の匂いも。今この時、自分は竜崎を独占しているのだと思う。だが、独占することにどんな価値があるのだろう。自分は、共に歩き戦いたいのだ。けれど、竜崎を崇拝してともに同じ道を進む他の人達とは、同化し得ない異質なものを、昭彦は感じていた。
「・・・なぁ・・・兄さん・・・」
昭彦は竜崎の肩にもたれて、竜崎の胸の竜を指先で撫でながら、気怠そうに言った。竜崎は閉じていた目を開けて、昭彦の額にキスをすると、
「なんや?」
と聞いた。
「・・・なぁ・・・わし・・・あと三年もして、18歳くらいになったら、兄さんの身長越すかも知れへんで。」
「クスッ。そやなぁ・・・そうかも知れんなぁ。」
「・・・そしたら・・・わしは兄さんの可愛い子やなくなるやろ?」
「アホなこと抜かすんやない。身長越そうと、仮にわし以上に逞しくなろうと、昭彦がわしの可愛い子であることに変わりはあらへんで。」
「・・・そやろか・・・」
「いくつになったかて、昭彦はわしの可愛い昭彦やがな。」
「・・・けど・・・そうなったら・・・こないに甘えとるんも変やないかぁ?」
「ボケェ!・・・アホなことばかり言うちょると、こいつをまた切ってまうでぇ?」
竜崎は消えない不安に胸をかき乱される思いを、蹴散らすように冗談めかして言った。
「・・・そやな。・・・いっそ切ってくれた方がええわ。・・・そしたら、わしも少しは従順な性格になれるかも知れんで。」
「従順?・・・どんな従順やねん?」
竜崎は体をずらして昭彦の顔と姿が見えるように頭を起こした。見つめ合う昭彦の黒い眼差しに浮かぶ寂しそうな輝きが、抱く前よりも濃くなっているようで、胸が締め付けられる思いがした。わしの想いは届かないんか、と叫びたくなる。胸を切り裂いて心が見せられるなら、そうしたかった。
「今かて素直なええ子やないかぁ。・・・感情を殺した従順さなどいらんわ。・・・このままでええ。成長したらしたで、そのままのお前がええんや。」
昭彦はじっと竜崎を見つめていた。が、フッと視線を反らすと、苦しそうに呟くように言った。
「・・・わし・・・いつか・・・兄さんを裏切るかも知れん・・・」
昭彦の横顔は苦しいほどの寂寥感に震えていた。
「・・・裏切りなんて・・・わしとお前の間にはあらへん。」
竜崎は胸の痛みに耐えて静かに言った。
「・・・けど・・・わし・・・」
「裏切りなんてないんや。なんでか、っちゅうたら・・・お前が何をしたかて、わしは許して認めてるからや。どんなことがあったかて、わしはそのままに受け入れる。そのままを愛しとるでの。・・・せやから、二人の関係には裏切りという言葉は存在しとらんのや。」
「・・・兄さん・・・」
昭彦はたまらなかった。こんなにも愛されていることがわかっている。わかっているのに、自分の中の孤独が埋められないのだ。偉大すぎる存在で、独占など出来ない存在で、命をかけて尽くしたいと願う人達が大勢いる。その大勢の中に溶け込むことも出来ず、自分だけの居場所を見出すことも出来なかった。せめて抱かれて繋がりを感じていたい。けれど、それも今だから出来る関係のようにも思えた。いつか、この関係も途切れるのかも知れない。そう思うと、自分は本当に同じ道を歩いていけるのか、と漠然とした不安を感じてしまう。
「・・・なんか・・・わしに不満があるんか・・・?」
竜崎が切なそうな震える声で言った。
「何でも言うてくれ。・・・頼むで・・・のう?」
昭彦の頬を撫でる竜崎の指先が震えている。これほどに強い男が息を震わせて、脅えるように頬を撫でている。
「どんなことかてええ。・・・わしはお前の我が侭ならなんだって聞いてやるで?・・・無理と思うことかてええんやで?」
昭彦に道理や筋を立てろとは言わない。義理や人情を重んじろというつもりもない。ただ、側にいて欲しい。側にいて、守ることを許して欲しい。それさえ受け入れてくれたら、どんなことだって認めてやる。欲しいものは何でも手に入れてやる。我が侭言うて困らせて欲しい。怒っても、怒鳴っても、蔑んでもいいから、感情をぶつけて欲しい。そして、もっと甘えて欲しい。もっともっと縋ってきて欲しい。・・・なのに、なんて弱い手なんや。わしが握ってやらなければ抱きついてくることも出来ない。わしが離さんようにしなければ、消えてしまいそうなほどに儚い。頼むからもっと強く求めて欲しい。爪を立てるくらいにしがみついてきて欲しいのや。・・・わしではあかんのか?わしではお前を満たしてやれんのか?・・・だが、わしはお前でなければ満たされんのや。傲慢な独裁者と言われようと、わしにはお前を手放すことは出来ん。
「何でもするから・・・わしを嫌わんでくれ・・・」
竜崎はぼろぼろと涙をこぼしながら、子供のようにすすり上げた。
「・・・嫌う訳ないがな・・・」
昭彦は自嘲するような笑みを浮かべて言った。
「わしが・・・口喧しく叱るんが気に障ったやろか?」
「・・・アホ・・・」
「競馬の予想を禁止したんが気にくわんかったんか?」
「そやないことぐらい兄さんかてわかってるやろ!」
「わかってても、その方がええわい!・・・なんや、訳わからん感情でわしを遠ざけようとされるより、よっぽどええで!」
「遠ざけとらん!・・・ただ・・・先が見えんだけや・・・」
「10年経とうと、20年経とうと、わしがお前に負けるかい!・・・そんな細っこい骨しよって!ずっと、わしの方が筋肉隆々で力かて負けたりせんわい!アホッ!」
「アホはそっちじゃ!」
「お前がアホなんじゃ!」
「兄さんはガキじゃないかい!」
「ガキはお前やろが!ドアホ!」
「兄ぃ・・・」
竜崎の熱いキスで言葉が途切れた。激しく狂おしく深く、いつ終わるとも知れないほどに長い長いキスだった。
「・・・昭彦・・・離さへんで・・・わしの側におってくれ。・・・頼むで・・・」
長いキスの後で竜崎が哀願するように言った。
「・・・うん。」
昭彦は目を閉じて微かに頷いた。
<12>
「取引」
<12>「取引」

 某財閥系大手銀行前に黒塗りの車が停まった。運転手が出てきてドアを開ける。降りてきたのは、仕立てのいい黒地のスーツを涼しげに着こなした青年。ちょっと首をあげ、建物を眺めたのか、天気を見たのか、映画のワンシーンのように優雅で美しい姿だった。
 大倉頭取の秘書が待ち侘びたように出迎えた。
「これはこれは、竜彦様。お待ちしておりました。」
竜崎は身長の低い秘書を見下ろすように目を細め、優美に微笑んだ。
「お世話になります。」
と、竜崎が関西訛りで言った時、車からもう一人、柔和な顔をした大森が黒いアタッシュケースを持って降りてきた。秘書は竜崎の秘書だろうと愛想のいい笑顔で頭を下げた。すると、助手席からも、福原正人がジュラルミンのケースを持って降りてきた。福原は柔道家のような体格をしていたので、大倉の秘書は口を開けて見上げながら、慌てて頭を下げて挨拶をした。竜彦様のボディガードだろうか?と内心思いつつ、三人を奥へと案内した。

 事前に連絡をしていたので、竜崎は大倉が渡した名刺を使う必要もなく、頭取室へと案内された。大倉は満面の笑顔で竜崎を迎えた。
「いやぁ、お待ちしておりましたよ。あれ以来、いつご連絡頂けるかとずっと待っておりましたが、なかなかご連絡を頂けないので気になっていた所です。」
「身内に不幸があったものですから、何かと落ち着かなくて。」
竜崎はそう言って、人好きのする笑顔を向けた。もちろん、不幸というのは伏島組の若頭の自殺のことだったし、若頭の気持ちを汲んで、残った組員達の身の振り方の相談に乗ってやったりする時間が取られたのは本当だったが、すぐに連絡しなかった理由の一つには相手が来て欲しいと思うようになるのを待っていたのだった。相手の話にすぐに飛びつくようでは足元を見られる。が、来て欲しい、と待たれれば、こうして手荷物の確認もしないで頭取と対面することが出来るのだ。
「それは大変でしたねぇ。」
大倉は眉を少し寄せて、哀悼の意を表す素振りを示した。竜崎は腹の中で、ケッ、と思いながらも顔には出さず、頭取室を見回した。
「さすがに頭取ともなられるとご立派な仕事場でいらっしゃる。」
大森や福原も同じように感心して見回すフリをしながら、隠しカメラや盗聴器がないかを確認していた。
「本当に素晴らしいお部屋です。」
大森がそう言いながら、竜崎に頷いてみせる。ここにそうした設備を置くことは、大倉自身にも不利益なようだ。一体、ここでどんな悪巧みが話されてきたのか。
「いやいや。たいした事はありませんよ。」
大倉はそう言いながらも、取り寄せたアンティークの家具調度品の説明をした。竜崎も輸入で家具調度品を扱っているので、話を合わせてやると、
「おお、さすがは良くご存知でいらっしゃる。」
と大倉は目を細めた。こうした扱いからしても、大倉がどこぞの御曹司と思い込んでいることが伺えて、竜崎は腹立たしくさえ感じていた。大倉がここまで信用した理由が昭彦の優雅な容姿にあるとわかっているからだった。
「弟さんはお元気でおいでですか?」
大倉は重厚な革張りのソファーに竜崎達を勧めながら、さり気なさを装って聞いてきた。
「ええ。毎日勉学に勤しんでおります。」
「語学が堪能でおられるようですねぇ。」
「そうですね。得意な方でしょう。」
竜崎はそっけなく答えていた。まだだ。まだ、話を合わせていなければ。女秘書が挨拶をして飲み物を持ってくることになっている。人払い出来た時こそ・・・。
「一度ウチのパティーにご招待したいですねぇ。海外からの招待客も参加されることが多いので、きっと語学のお役に立つと思いますよ。」
「そうですか。さぞかし賑やかなんでしょうね。」
竜崎は腸が煮えくり返る思いを押さえて話を合わせ続けた。やがて、女秘書がコーヒーを出して下がっていった。
「そう言えば、まだ竜彦さんの名刺を頂いてませんでしたねぇ。あの時はプライベートだからと無理は申しませんでしたが・・・頂けますか?」
「もちろんです。」
竜崎は背広の内ポケットから名刺入れを取りだした。鞣し革に細かく彫り込んだ柄がお洒落な名刺入れに大倉の目が留まる。全て最高級の物を身につけた竜崎を疑う者はいないだろう。しかも、その顔立ちの美しさや颯爽とした身のこなしは神々しくさえあるのだ。
「あ・・・何か?」
竜崎が名刺入れから名刺を取り出そうとして、手を止め、控えていた大倉の秘書二人に視線を投げた為、大倉がどうしたのかと聞いた。
「まだ、こちらで取引をさせて頂くと決めた訳ではないので、出来れば私は大倉さんとだけのお話にさせて頂きたいのですが。」
「ああ・・・彼等なら口が堅いので心配はありません。」
「そうでしょうが、私も色々と付き合いがありますし、こちらへ顔を出したことを知られると、機嫌を損ねかねない金融関係の友人もいるものですから。」
大倉はなるほど、と大きく頷いた。そして、
「お前達は呼ぶまで下がっていなさい。」
と、秘書を頭取室から締め出した。部屋には竜崎達と大倉だけになった。すると、福原が大きな体で入り口を塞ぐように立った。大倉は、ん?、と眉をひそめた。

「さて。・・・それでは腹を割って話しましょう。大倉さん。」
竜崎は人好きのする笑顔を消して言った。
「名刺はお渡ししますよ。欲しいなら。」
大倉は急に態度の変わった竜崎を不審がりながら、竜崎の差し出した名刺を受け取った。
『竜崎商事(株) 社長取締役 竜崎竜也』
「なっ・・・?!」
名刺をテーブルに投げ出した大倉は、あまりの驚愕に目と口を大きく開け、顔を青ざめた。
「・・・き・・・貴様・・・騙したのか?!」
大倉が口を震わせながら言うと、竜崎は舌打ちをし、
「人聞きの悪い。・・・それはこっちの台詞やがな。」
と大阪弁丸出しで言った。
「せやけど、今日はちゃんとした商談で来たんやで。・・・ほれ、額面50億の株証券かて持ってきたがな。見覚えあるやろ?」
竜崎がそう言うと、大森が脇に置いてあったジュラルミンケースをテーブルに乗せて開けて見せた。
「し・・・知らん。」
大倉は体を震わせながらも、何とか言い逃れしようとしていた。
「わし等は警察やないんや。嘘も言い訳も黙秘も通用せぇへんのやで。・・・わし等はホンマにこれで困っとるんや。あんた、相談に乗る言うたやろ?・・・さぁ、相談に乗って貰おうやないかぁ。」
「・・・一度、渡した株が・・後でどうなったと言われても困る・・・」
「大森。こいつは状況がわかっとらんようや。説明したり。」
竜崎はそう言うと、ソファーにゆったりともたれて、金細工のシガレットケースを取り出し、煙草を吸い始めた。大森はアタッシュケースから、仕組まれた計画倒産の調査ファイルを出して、ざっと概要を説明して大倉の前に提示した。
「これは完全なる悪意や。え、そうやろ?困るなんて台詞を言う資格はあんたにはないんやで。困っとるんはわしの方や。」
くそぉー、と大倉は腹の中で伏島を呪った。あいつが馬鹿な気を起こさなければ、こんなことに巻き込まれずに済んだものを、と口を歪めた。
「・・・どうしろと言うんだ・・・?」
「そこが話し合いのポイントやがな。」
竜崎はにやっと口の端に不敵な笑みを浮かべ、煙草を灰皿に捨てた。
「・・・わかった。・・・迷惑をかけた10億はお返しする。それでいいだろう?」
「はぁ?冗談やないでぇ。これを調べるんかて金が掛かっとるんや。世間には損害賠償やら慰謝料やら、損害を受けた時には請求出来るシステムがあるやないかい。これの為にどんだけ余分な出費が嵩んだと思うとんねん。今更、ごめんなさい。お金はお返ししますから、水に流してください。なんちゅう甘い言い分が通る訳ないやろが。」
「・・・しかし・・・私は一介の銀行家にすぎないし・・・」
「アホぬかしとんやないで。あんたがどんだけ裏で悪さしとるか、知らんとでも思うとるんか?政府、財界、一般人、利用出来るもんは何でも利用して私服を肥やしてるがな。その実体の調査も裏も取れとるんや。」
竜崎が顎で大森に指示した。大森はまたケースから、それらの調査書を出して大倉に提示した。
「こんなんが表に出たらどうなるやろな?」
大倉は蒼白になって言葉を無くしていた。
「あんただけやない。家族も世間の恥さらしになるやろし、丸々肥えた親族もただでは済まんやろなぁ?」
「・・・一体・・・どうしろと?」
大倉は魂の抜けたような顔でぶるぶると震えながら言った。
「死んだ者を生き返らすのは容易なことやない。せやろ?・・・そしたら死んだ株をどうしたら生き返るか考えてみ。」
大倉はすでに思考する気力もなかった。力無く首を振る。
「これをあんたの持っとる某海運会社の株、額面50億分と交換して貰おやないか。同じ50億や。文句はないやろ?」
大倉は悪魔でも見るように血走った眼を大きく見開いて竜崎を見つめた。同じと言われても、その株は身内で持っている会社で、税金対策の為に額面50億にしてあるだけで、その価値は10倍近いものがあったのだ。大倉はガタガタ震えながら首を振った。
「・・・それをしたら・・・身の破滅だ・・・」
大倉はやっと絞り出すような声で言った。
「会社の実権が移るだけのことやないかい。どこが身の破滅なんや?あんたは少しも変わらず、ここの頭取として名誉も地位も守れるんやで?家族かて何も知らんまま、これまで通りに生活出来る。・・ま、少しは贅沢する予算が減るやろけど・・・そんなんは破滅のうちには入らんやろが。・・・それとも、何か?強迫されてます、て警察に訴えてみるか?・・・それこそ、身の破滅やがな。散々悪さしてきたんやろが、え?今更、どんな法律があんたを守ってくれると思うとるんや?・・・ええ加減、目ぇ覚ませや。」
大倉は項垂れたまま黙っていた。
「そうかぁ・・・それやったら、わしが警察に行かさして貰おかぁ?わしの方がよっぽども被害者やでのう。これだけの証拠を見たら、警察は万々歳で、わしを表彰してくれるかも知れんで。しかも、あんただけやなく、その身内会社の裏事情かて色々あるようやし・・・歴史的大スキャンダルでマスコミも大はしゃぎやろのう。」
「ま・・待て。・・・待ってくれ。」
竜崎は冷たい視線を投げつけ、
「あんたの方で交換してくれ、て頼むんやったら考えてやるで。」
と、薄ら笑いを浮かべた。
「・・・わかった。・・・交換してくれ。」
大倉はがっくりと肩を落として、小さな声で言った。

 大倉は大森を伴って、ここの銀行にある自分の個人用貸し金庫へと向かった。大森はジュラルミンケースを持ってついて行き、そこで株を入れ替えると、再び大倉と頭取室に戻ってきた。戻った大森は微かな笑みを浮かべて竜崎に頷いてみせた。
「・・・これで用は済んだろ。・・・さっさと帰ってくれ。」
心ここにあらず、といった風の大倉が投げやりな言葉で言った。竜崎は不敵な笑いを漏らした。
「何言うてまんのや?ここまでは個人的な話でしょうが。ここからが、本当の商談やないですか、大倉さん。」
大倉は、まだ足りないのか、と悪魔の所業にわなわなと唇を震わせて、蒼白を越して青黒くなった顔を竜崎に向けた。
「せっかく大株主になったんやし、あのしょぼい海運会社を建て直さなならんでのう。会社がしょぼいままやったら、いくら株を持ってても価値があらへん。わしがきっちりテコ入れしたるで、その為の資金をおたくの銀行で融資して貰おう、思いますんや。」
「・・・融資・・・?」
「そうや。そう言うてましたやろ?額面50億の株を担保に融資してくれるて。ちゃいまっか?・・・丁度ここにその株を用意しとりますんや。しかも、価値は10倍。こんなええ物件はないでっしゃろ?・・・もちろん、ちゃんとした融資をして貰います。月々の返済かてちゃんと取り決めに応じてしていきます。わしは仕事はまっとうにさして貰てますのんや。銀行に迷惑かけるようなことはせえへん。・・・あんたがしてきたような、無担保での巨額融資なんて、そんな汚いことやる訳ないですがな。」
大倉は呆然として聞いていた。この男は一体なんなんだ?、そう思った時、自分がこれまでに重ねてきた罪の重さを思い知った。そして、神の怒りに触れ天罰が下ったのかも知れない。と、初めて自分の罪深さを味わったのだった。
 大倉は秘書を頭取室に呼び入れて、融資の手続きを黙々と進めた。秘書はその株の銘柄に覚えがあったので、奇妙に感じていたが、これまでも余計な口出しは許されていなかったし、ちゃんとした取引でもあるので、必要以上の詮索をするつもりはなかった。これまで、余計な詮索をしたばかりに、失脚していった者達と同じ憂き目には遭いたくなかった。目を閉じ、耳を塞ぎ、口を固く結んで、今日までやってきたことをこれからも続けるだけだ、と思うのだった。

 何事もなかったように秘書に送られて外に出てきた竜崎は、再び端正な顔を空に向け、
「そろそろ梅雨明けやなぁ。」
と気持ち良さそうな笑顔で言った。大森も福原も同じように空を見上げて、大きく深呼吸をした。
「さて。・・・会社をデカくするでぇ。矢木沢にもまた忙しくして貰うようやなぁ。クッフフフッ。まだまだ、頑張って行こうやないかぁ?」
「はい。」
「ついて行きまっさ。」
爽やかな風が竜崎達の間を吹き抜けていった。車に乗り込んだ竜崎達を大倉の秘書は笑顔で見送っていた。
<13>
「妹」
<13>「妹」

 竜崎は、抱えていた大きな問題を解決したことで、いくらか生活に落ち着きとゆとりを取り戻していた。忙しさは相変わらずだったが、それでも、また午前中をトレーニングジムとサウナでリフレッシュする時間を取れるようになった。竜崎の仕事場もまた竜崎商事の会社の方に戻っていた。
 あの事件以来、しばらく立ち寄ることのなかった会社に来てみると、少しだけ変化があった。社長室が改築され、仮眠用だった別室が広げられていたのだ。防災の建築基準の関係でキッチンを設けることは出来なかったが、シャワー室が新たに設置されていて、壁も防音効果の高い設備になっていた。そして何より昭彦にとって嬉しかったのが、大きな窓が出来たことだった。しかも、張り出し部分が広めの出窓で、クッションを枕に寝転がれば、浮遊感覚を楽しむことも出来た。その分、社長室のスペースが狭くはなったが、「元々広すぎるくらいだったから調度ええ。」、と竜崎は笑って言った。
 毎日顔を合わせ、一緒に暮らせていた事務所の者達は、竜崎が仕事人間に戻ってしまった、と少し残念そうだったが、竜崎は、「アホ!わしは元々仕事熱心やぞ。」と冗談ぽく言った。ただ、会社を大きくするのにあたって、どうしても会社の仕事が多くなった為、組関係の相談はその仕事を終えてからするしかなく、せっかく居住スペースを作ったこともあり、月の内半分は組事務所で寝泊まりするようになっていた。それでも、昭彦に二人だけの時間を作ってやりたくて、半分はまたマンションでの生活になった。

 大株主となった海運会社は、融資されたお金の一部で残りの株も買い占め、大倉の親族を追い出し、社名も矢木沢海運(株)と改めた。更に、経営陣の個人営利主義が蔓延して低迷していた経営状況を刷新する為に、会社の規模自体を大きくし、造船にも今以上に力を入れることにした。これが後に世界に冠たる一大企業にのし上がった矢木沢コンツェルンの第一歩だったのだ。もちろん、そうなる為には竜崎の手腕あってこそのものだったのは当然で、名前こそ矢木沢とつけたが、竜崎なくしては矢木沢コンツェルンも存在しえないのだった。
 一方、竜崎商事(株)の方も、開発部門に力を入れ、海外へも進出して、それに伴う技術革新を図り、実技等の教育機関も設置して、企業水準の向上を目指していくのだが、それらもようやく始まったばかりであった。
 山神組の構成も、鮫島組と伏島組の相次ぐ解散でかなり変動し、気が付けば、竜崎は山神一門のNo.7に位置づけられるほどになっていた。その登り竜のごとき躍進ぶりを、多くの人々は不思議と妬むことなく賞賛し、輝くばかりに神々しい姿を、敬意を持って讃えるのだった。
 こうして、やがては国家さえも認める大組織の大親分になる竜崎の活躍は、まだまだ始まったばかりであり、その輝かしい人生の中で、一際竜崎が熱く燃えた青春が昭彦と過ごしたこの時期だったのだ。

 その青春もまだ始まったばかり・・・未来は誰にも見えていない。

 夏の真っ盛り、昭彦と竜崎が初めて出会った日から一年が過ぎようとしていた。数日を組事務所で寝泊まりしていたので、マンションに戻ってくると熱気がこもって息苦しいようだった。昭彦は全部の部屋の窓を全開にし、空気を入れ換えていた。夜になっても外も熱気を残していたが、それでも新鮮な空気が入ってくるとほっとする。
「一雨来ればええのになぁ。」
竜崎はソファーに座って、溜まっていたポストの中から出してきたものを確認していた。ほとんどは宣伝の手紙やはがきで、竜崎にとって重要な手紙類は会社か事務所宛で来ていた為、マンションへの郵送物はさして気に留めていなかった。それでも、そのままゴミ箱に捨てる訳にもいかないので、こうして確認するのだった。と、
「え・・・おい、昭彦にや。」
と、竜崎がベランダで涼んでいた昭彦を呼んだ。
「お袋さんやで。」
昭彦にそう言いながら渡した竜崎は胸騒ぎを覚えた。金輪際、縁を切る。とまで言っていた母親が手紙を速達で送ってくるには、何らかの事情がありそうだった。しかも、消印から推測すると到着してから数日が経過してしまっているようだ。迂闊だった、と悔やみながら竜崎は昭彦の表情を見つめていた。眉を曇らせながら、手紙を開けて読み出した昭彦は、次第に顔を強ばらせていった。
「どないした?・・何があったんや?」
「・・・・・妹が・・・・・」
言葉に詰まって説明出来ない昭彦は、読み終えた手紙を竜崎に渡した。竜崎は昭彦を気にしながら、急いで手紙に目を通した。手紙には、昭彦の妹が『元々病弱だったのがこの所思わしくなく、入院させて手術を受けさせたいが、お金の工面がつかず、どうにか融通して欲しい。』、と書いてあった。
「すぐ行くで!」
竜崎は青ざめている昭彦に呼びかけた。
「あ・・うん。・・・あ、兄さん。事務所へ寄って欲しい。」
「そうやな。」
竜崎も事務所の金庫からお金を出さなければ、と思い立った。事務所にもいつもは大金を置かないようにしていたが、組員達への給料として銀行から降ろしてきた分がまだ金庫にあったはずだ、と考えたのだ。帰した車を呼び戻す間に、開けた窓を閉めて、簡単な手荷物をまとめた竜崎と昭彦は言葉数も少なく、事務所へと急いだ。

 竜崎と昭彦は、事務所に立ち寄った後、黒部も同行して、母親と妹が暮らしているS県へと車を走らせた。すでに時間は深夜。昭彦は事務所の自分達の部屋の押入から何かの箱を出して手荷物の中へと押し込んでいた。竜崎は黒部に説明しながらお金を金庫から出していたので、昭彦がどんな用事で事務所に寄ったのかは知らなかった。

 明け方、辺りが白々と明るくなり出す頃、ようやく手紙の住所のアパートに到着した。小さな商店街の裏通りに窮屈そうに建っている古びたアパートだった。手すりの塗装が剥げていて、触ると茶色い錆びが手につくようなボロアパートだった。
 まだ明け方という躊躇いもあったが、少しでも早くと気持ちが焦り、二階の一室のドアを叩いた。中からの反応はなく、何度か叩いて様子を伺っていると、ようやく人の動く気配があって、ドアが細く開いた。
「竜崎です。遅くなって済いません。つい数時間前に手紙に気が付きまして・・・こんな時間で申し訳ないと思ったのですが・・・」
言葉が出ない昭彦に代わって竜崎がそう言うと、
「・・・今更・・・何の用やの・・・」
と母親が掠れた弱々しい声で吐き捨てるように言った。その言葉が全てを物語っているようだった。それでもわずかな希望を持って、
「美雪さんは?」
と、聞いてみた。母親は何も答えないまま、ドアを広めに開けた後、部屋の奥へと入っていってしまった。おそらく竜崎達に中へ入ることを促したのだろうと、狭い玄関から靴を脱いで上がると、狭い台所を通って母親が布団を片付けている部屋へと行ってみた。
 壁際に白い小さな祭壇があって、小さな白い箱と、小さな少女の写真が飾られてあった。
「美雪・・・」
昭彦はガクッと膝が折れるようにその前にしゃがみ込んだ。
「あんたになんかお線香あげて欲しくない。」
母親はやはり弱々しい声で忌々しそうに言った。
「美雪・・・」
昭彦は母親の声が聞こえてないかのように、ひたすら写真を見ながら名前を呼んでいた。写真の妹は、はにかんだ控え目な笑顔で優しく笑っていた。泣き虫だったが、笑うと天使のように可愛い少女だった。そして母親から脅えた視線しか投げられなかった自分にも、こうして微笑みかけてくれた妹だった。その妹が、こんなに小さな箱に入っているとは信じられなかった。・・・だが、もう自分に微笑んでくれた妹がこの世には存在しないのだと、母親の冷たい声が教えている。何もしてやれなかった。守りたかったのに、何もしてやれないまま、逝かせてしまった。
「美雪・・・」
守ってやりたかった。けれど、側にいることさえ許されなかった。自分が離れていることで幸せになれるのならと、自分自身を切り離したのに、それがこんなことになるなんて。もう、取り返しがつかない。どんなに悔やんでも、どんなに自分を責めても、神に奇跡を願っても、過ぎた時間を戻すことは出来ないのだ。儚げな優しい笑顔だけが脳裏に焼き付いている。
「美雪・・・」
名前を呼ぶしか出来ない昭彦の瞼に、妹のふわっとした笑顔が浮かんだ時、目から涙が溢れ出した。
「へぇ・・・あんたでも泣くんや・・・」
母親は蔑むように言った。
「けど、今更泣いて貰ったって、美雪は帰ってこないんや。」
昭彦のせいで死んだんだ、と言いたげな言い方だった。そんなつもりはなくても、悲しみが深すぎて、憎しみの対象をどこかに求めたい心が昭彦に向けられているようだった。
「責任はわしにあるんです。昭彦を責めるような言い方はしないでやってくれまへんか?家を留守にしてて手紙に気付けへんかったのは、ホンマに申し訳ないと思うとります。間に合わずにこないな状況でしか伺えなかったことが悔しいて情けないです。お辛いお気持ちは察してあまりあるものと思いますし、ここでお悔やみを申し上げなければならないわしとしてもホンマに辛いですわ。・・・けど、それは昭彦の責任やないんです。」
竜崎は母親の前に手をついて、謝罪するように頭を下げて言った。そして、
「今更と言われるとは思いますが・・・」
と、言った竜崎は、黒部の持っていた風呂敷包みを母親の前で開いた。
「取り急ぎ用意した分です。何かと入り用な時と思いますし・・・どうかお役に立ててくれまへんやろか?」
風呂敷から現れたのは、銀行の印が押された帯で束になった万札が、10束ずつ3つの山になっているものだった。
「これからの生活を思えば、けっして充分な金額とは言えまへんけど、・・・お力落としのことと思いますれば・・・今後は身近でお世話させて頂ければと考えております。」
竜崎は申し訳なさそうに、札束の山を母親の方へと押した。母親は感情のわからない目でその山を見ていた。その横顔が昭彦に重なった。昭彦はこの母親に似ているのだと、竜崎はふと思った。と、その時、
「兄さッ・・竜崎さん・・・竜崎さんにお金を出して頂く理由はもうあらへん。妹の手術に必要で、わしの持ってるお金で足りんなら借りようとも思うてたけど・・・もう借りる必要はなくなったんや。理由のない金はいらん。」
と言った昭彦が、自分の手荷物から箱を取りだした。
「わしが・・・竜崎さんのとこで厄介になっている間に貯めたもんや。これだけあれば、妹のお墓も立ててやれるし、あんたも当分生活出来るやろ。」
そう言って、昭彦は箱の蓋を開けた。中には汚れたりシワになったりしたお金が詰まっていた。一万円札もあれば千円札もあった。竜崎はいつの間に、と少し驚いたが、考えてみれば麻雀でみんなから万遍なく勝っていた昭彦ならこれくらいは持っていても当然だと納得した。
「全部で800万円はあると思う。これを使うてくれ。」
昭彦の言葉に母親はしばらくその箱を眺めていたが、
「・・・なんやの?・・この汚いお金は?」
と、蔑むように言った。
「いつか送ろうと思うて貯めとったんや・・・」
昭彦はボソリと小さく言った。
「どうせまた悪いことした金やろ?」
「いや、昭彦のお母さん。それは昭彦がちゃんと仕事して稼いだ立派なお金やで。けっして汚い金とちゃいます。」
竜崎はそう言ってやりたかった。脅したり盗んだ金ではないのだ。みんなが勝負して納得して渡した金である以上、貯めて持ってきた気持ちを汲んでやりたかった。思えば、一緒に暮らしているものの、小遣いを時々渡すくらいで、きちんとした収入を考えてやっていなかったことに、竜崎は気付いた。まだ15歳とはいえ、社会に出ている以上、お金を貯めて親に仕送りしたいという気持ちがあっても当然だったのに、と、そこまで考えてやれなかった自分を反省した。
「昭彦のわしの所での仕事ぶりを考えれば、わしがお渡ししたいと差し出したお金もまた、彼の稼ぎと言ってもいいくらいです。どちらもご子息のお金と思って、お受け取り願えまへんやろか?」
母親は聞いてるのか、聞いてないのかわからない表情で黙っていたが、
「・・・やくざの仕事なんて、どうせろくなもんやないやろ・・・」
と独り言のように言った。
「日増しに弱っていく娘を前に・・・途方に暮れて、困り果てて・・・捨てた息子をあてにした私がアホやったんや。」
母親は疲れ切った力のないため息を吐いた。
「・・・竜崎さん・・・あんたにやった子や。・・・あんたのお金は、その子を産んだ母親として、あんたに渡した代金として貰わせてもらうわ。」
竜崎は愕然として母親を見つめた。子供の前で言っていいことと悪いことがあるはずや。いくら自分が悲しいからてそれはあんまりや。思わず叫びそうになるのを、歯を食いしばって耐えていた。だが、
「けど・・・そっちの金はいらんで、その子と一緒に持って帰ってや。」
と、母親が続けて言った時、
「あんた、何考えとんじゃ!」
と怒鳴ってしまった。更に言葉を続けようとしたが、
「ええんや!」
と昭彦が止めた。
「その人がそう言うんやったら・・・そうなんやろ。・・・それでええ。」
他人事のように言う昭彦の顔は、表情の見えない中に言い知れぬ孤独を漂わせていた。妹の小さな遺骨の前で流した涙がまだ頬を濡らしていた。
「昭彦・・・」
竜崎はすぐにも抱き締めてやりたい衝動にかられた。だが、それをすれば母親がまた昭彦を侮蔑するだろう。竜崎は悔しさに震えながらじっと耐えていた。
「・・・なぁ・・・最後の頼みや。」
昭彦は母親の前に正座して両手をついて言った。
「・・・美雪の写真・・・一枚でええから・・・わしにくれ。」
昭彦はすり切れてボロボロの畳に頭をつけた。
「頼むで・・・写真、貰えんやろか?」
頭を下げたまま、もう一度言ったが、母親は黙っていた。
「・・・美雪の・・・写真・・・くれや。」
昭彦の声は切なく苦しげだった。けれど母親の口から出た言葉は、
「・・・あんたとは縁のない子や。」
というものだった。
「・・・そうかぁ・・・」
昭彦はため息混じりに呟くと、頭を上げた。竜崎が涙を溜めた目で何かを言おうとしていたが、昭彦は首を振って制した。それから、もう一度、妹の写真の前に座って両手を合わせると短くお経を呟いた。そして、お金の詰まった箱に蓋をして手荷物にしまった後、
「元気でいてや。」
と、母親に言うと部屋を出ていった。竜崎はどうにかしてやりたいと思いながらもどうすればいいかわからず、立ち上がれずにいたが、
「早う行こや。」
と玄関で靴を履く昭彦の声に促されて、仕方なくアパートを出ることにした。ずっと黙ったまま控えていた黒部も涙でクシャクシャになった顔で後に続いた。身内の死に目にも逢えず、葬儀にも出させて貰えないのはやくざに身を落とした者にはよくあることだった。だが、そうはいっても15歳の少年の心を思うとやりきれなくてたまらなかった。

 戻る車の中で、ずっと沈黙が続いていた。すぐにも昭彦を抱き締めてやりたい竜崎だったが、母親に渡してきたお金のことを思うと、昭彦に触れることが躊躇われた。竜崎に昭彦を買うなどという気持ちが欠けらもないことは昭彦もわかってくれているはずだし、自分の想いもわかっているだろう、と思いながらも、今触れることが昭彦を傷つけそうで怖かった。
「・・・済まんかったのう・・・」
長い沈黙に耐えられなくなった竜崎が呻くように言った。
「・・・ええんや。兄さんのせいやない。」
昭彦は抑揚のない声で言うと、いつものように頬杖をついて窓の外を眺め始めた。
「もっとちゃんと手紙を確認するようにしとったら・・・」
「それかて、すぐに気付いていたとしても、どうなったかはわからん。・・・助からんかったかも知れんで・・・これが妹の寿命やったんやて、思うしかあらへん。」
淡々と言う昭彦に、
「けどなぁ・・・」
と言いかけた竜崎は、昭彦の横顔に流れる涙を見て言葉が出なくなった。
「昭彦・・・」
竜崎は昭彦の膝にあった、細長い指をしたピアニストのように綺麗な手を、そっと握った。
「変やなぁ・・・」
そう呟いた昭彦に、
「ん?」
と竜崎が訪ねると、
「・・・仕方あらへん、て思うとるのに・・・妹の笑った顔が浮かぶ度に、涙が溢れてまうんや。・・・何でやろ・・・」
と独り言のように昭彦が呟いた。
「・・・それは・・・お前の魂が泣いとるからやろ。」
竜崎は昭彦をそっと引き寄せると抱き締めてやった。
「それでも、お前にはわしがおるで。のう?・・・わしがずっとお前とおるで・・・」
竜崎は恐る恐る昭彦の唇に唇を重ねた。どこかに、拒絶されるかも知れない、と不安があったが、昭彦は素直に応えてくれた。
「ずっと・・・一緒やで。」
「・・・兄さん・・・」
昭彦は涙が止まらない顔を竜崎の肩に埋めた。
<14>
「平和な日常」
<14>「平和な日常」

 青い空に綿菓子のような雲がひとつ、ぽっかりと浮かんでいる。ゆっくりと移動し、千切れた雲のかけらがすぅーっと消えていく。
 社長室別室の出窓に寝そべって空を眺める昭彦は、千切れて消える雲に妹の儚げな笑顔を重ねて、ぼんやりと妹の声を思い出していた。
「お兄ちゃん…もっとお話聞かせて…」
あどけなく甘える声は透明に澄んだ優しい声だった。
「もう、寝ないとあかん。また、熱があがるで?」
熱を出して寝ている妹の側で、本を読んでやっていた。母親が仕事で出ている時間だけ妹の側にいてやれた。
「うん。…お兄ちゃん…ずっと側におってね?」
「ああ、心配せんかて、ちゃんと側におるで。」
「うん。」
妹はふわっと微笑むと胸に顔を擦り付けて、やがて静かな寝息をたて始めた。・・・ずっと側にいてやれたら・・・。
 跡形もなく儚く消えていく命の一瞬の煌めきを愛おしく思いながら、昭彦は漂う雲を眺めていた。

 トントントン。ドアをノックする音がして、
「失礼致します。昭彦様。」
と、矢木沢が顔を出した。
「あれ?矢木沢さん。来ていらしたんですか?」
昭彦は体を起こすと、足を出窓から降ろして笑顔になった。
「先ほどあちらから戻ったばかりです。」
矢木沢海運の社長に就任して、改革を押し進めている矢木沢だったが、気持ちは今だに竜崎の秘書でいるようで、自分の本拠地はやはりここにあると思っているようだった。
「社長の指示を仰ぎたいと伺ったのですが、会議が長引いてらっしゃるようですね。」
「そうですか。」
昭彦は関知していなかったので、軽く肩をすくめてみせた。矢木沢は銀縁眼鏡の奥の目を光らせて、
「社長の目が届かないからといって、お昼寝されておられるとはいけませんねぇ。少年老いやすく、学成りがたし。ですよ。」
と口元に笑みを浮かべて言った。
「さっきまで、中国語を勉強してたんです。・・・どうせなら、そーゆー時に顔を出してくれたらいいのに。」
昭彦はクスッと笑って、腰を下ろしていた出窓からふわっと飛び降りた。
「中国語ですかぁ・・・それは私にはお教え出来ないですねぇ・・・」
「語尾の上げ下げだけで意味が変わってくるので微妙な言語ですね。教材のカセットテープも聞いているんですけど、会話がメインなので、自分が読みたいと思う本の言葉とかが出て来ないんです。」
「確かに教材で扱う言葉というのは限定されますから、やはりマンツーマンで教えられる者が側にいた方がいいでしょう。わかりました。すぐに手配致します。」
矢木沢は手帳を出すとメモをした。昭彦の勉学の責任もやはり以前のまま自分にあると思っているようで、どんなに忙しくても時々様子を見ては必要な教材や人材を捜してくれるのだった。
「それで、どんな本を読みたいのですか?」
兄が弟を見るような眼差しで矢木沢が微笑んだ。
「歴史書はもちろんですが、漢方や薬草の本も読みたいですね。」
昭彦も矢木沢のことは勉学の師として慕っていた。
「なるほど・・・あ、それに気功術などもあるようですし、中国は奥が深いですからね。学ぶのも楽しみでしょう。」
矢木沢がうんうんと頷いて、机の上の教材に目を通していると、
「おう。待たせて済まんの。」
と竜崎が顔を出した。
「いえ。少し留守にしていましたので、昭彦様の勉学の進み具合も気になってましたから、丁度良かったです。」
と、言って、矢木沢は頭を下げた。
「どや?昭彦は?高校の資格取れそうかの?」
「クスッ。それはもう・・・私がみるまでもないことでしょう。」
「大丈夫や、ちゅうてるのに心配するんです。」
昭彦が苦笑を浮かべて言う。
「昭彦様なら高校の資格だけでなく大学を入試出来る資格も取れると思いますが・・・ご留学ということも可能でしょうし・・・」
「留学?!」
竜崎と昭彦が同時に驚いたような声を出した。あっ、と矢木沢はたじろいで焦ったように気まずそうな笑みを浮かべた。
「アホ抜かせ!海外の情報が必要ならわしがどんどん仕入れたるがな!」
「・・・ふーん・・・留学かぁ・・・悪くないなぁ・・・」
竜崎と昭彦が別々の感想を漏らす。
「あーきーひーこぉー・・・」
竜崎がズシズシズシと部屋に入ってきて、昭彦の頭を拳骨でグリグリと押した。
「あははははは・・・痛いよぉ・・・もぉ、兄さん、乱暴やなぁ・・・」
「海外かて好きなとこ、連れてったるがな。」
竜崎は昭彦の背中から抱き締めると、耳を囓りながら言う。昭彦がくすぐったがって身をよじるのをますます強く抱き締めて頬ずりをする。
「海外旅行も見聞を広げるのにいいですねぇ。」
矢木沢はいつものことなので、笑みを浮かべたまま普通に会話する。
「お前は海外くらいいつも行っとるがな。」
「ですが、仕事と旅行は違いますから・・・是非お供をさせて頂きたいです。」
「そやなぁ。もう少し落ち着いたら考えてみるか。」
「ほんまに?」
振り向いた昭彦の鼻と唇が竜崎の顎にあたる。竜崎はそのまま唇を捕らえてキスをする。
「…ん… 兄さん… なぁ、ほんまに海外旅行するん?」
「おう。どこがええ?」
まだ、キスしたりない様子で竜崎が昭彦の頬に唇を押し当ててている。
「そやなぁ・・・エジプトとか行ってみたいなぁ・・・」
「ああ、それはいいですねぇ!世界遺産ですし、ピラミッドパワーを直接感じてみたいものです。」
矢木沢が目を輝かせて賛同したが、竜崎は眉を曇らせる。
「・・・ピラミッドって・・・墓やろ?・・・それにミイラやら棺やら・・・きしょいやないかぁ・・・縁起の悪い物は好かんで・・・」
昭彦と矢木沢は顔を見合わせた。こうゆう所が子供っぽさを残している竜崎だった。
「・・・けど・・・スフィンクスとか見てみたい・・・」
昭彦が甘えた声を出して、竜崎の顎にキスをする。
「・・・砂漠の星空も見たいなぁ・・・」
少しずつ顔を上げて頬に唇を滑らせる。と、竜崎の股間が固く張り出してきて昭彦のお尻の丸みを押してくる。
「・・・らくだに乗って走れたらなぁ・・・」
昭彦はお尻を微妙に動かして、竜崎の固い物を擦りあげる。目を閉じて昭彦の甘い声を聞いていた竜崎はぷるっと体を震わせて、これ以上はないくらいにきつく抱き締めた。
「ぐぇ・・・に・・兄さん・・・ぐるじぃ・・・」
「アホォ・・・お前が誘惑するからやないかい・・・っとに・・・」
竜崎は昭彦を離すと深呼吸をしながら上半身のストレッチをした。別の意味で昭彦も深呼吸をしてベッドに腰をおろした。
「エジプトやアラブ諸国はこれから貿易のシェアを広げるにも面白い場所ですよ。」
やっと口を挟める状況になったので、矢木沢が目を細めて言った。
「そうそう。」
昭彦も嬉しそうに頷く。竜崎はため息を吐くと、
「しゃぁーないなぁ。ほな、そこでええわ。」
と、諦めたように言った。昭彦は親指を立てて、矢木沢にウィンクしてみせた。矢木沢もクスッと笑ってウィンクを返した。
「相談終了。ほな、仕事するで。」
と、竜崎が鏡を見て服装を直しながら言った。
「はい。」
矢木沢は姿勢を正して頭を下げた。
「あ、兄さん。・・・今日、これから図書館行ってええかなぁ?」
部屋を出かけた竜崎は立ち止まって、ちょっと考えたようだったが、
「ええやろ。6時前には戻りや。」
と優しく微笑みながら言った。
「うん。」
昭彦は手をあげて指先を動かして竜崎を見送った。

 図書館へはあの事件のあった雨の日以来行ってなかった。別室が広くなって窓がついたということもあったが、やはり斉藤康志のことを思うと行きにくかった。それで、必要な本は取り寄せていたが、それだと必要な部分だけ読みたいものは取り寄せることを躊躇ってしまっていた。それでも仕方がないと思っていたのだが、エジプトへ行ける可能性が出てきたことで、まだ途中だった古代史をもっと深く調べたくなったのだった。
 今日はエジプト関連に集中して調べてみよう。と、図書館のドアを開けると、司書の女性が目を大きくして嬉しそうな笑顔を向けた。
「こんにちは。」
視線が合ってしまったので、昭彦は近づいて挨拶をした。
「海外から戻ってらしたんですね。」
「・・・は?」
司書の女性の言った意味がわからず、聞き返すと、司書は恥ずかしそうに目を伏せながら、
「本を持ってきてくださった方が、昭彦様が海外へ行かれてるので代わりに来ました、って仰ってました。」
と、言って上目遣いに昭彦を見つめた。
「・・ああ・・・ええ・・・まあ・・・」
「それに、高校へ行かれないのも、お兄様のお仕事の都合で海外へ出られることが多いからだと教えてくださったんですよ。」
「あ・・ははは・・・そうですか。」
昭彦が取り繕うようなはにかんだ笑みを零したので、司書はますます目を輝かせ頬を赤らめた。
「高校浪人されてるのかと勘違いしてました。済みません。」
「え・・いえ、別に・・・」
謝ることでもないだろう、と思いながら微笑みかけると、更に目を潤ませて昭彦を見つめるのだった。何となく、こうゆう年上の女性も可愛いな、と思ってしまって、昭彦も白い頬をうっすらと赤らめていた。
「それで、難しいご本をたくさん読まれてらっしゃるんですねぇ。」
感心したように言う司書に、昭彦は、
「いえ。単なる好奇心のおもむくままなので・・・適当です。」
と言って、話を切り上げる会釈をしてカウンターを離れた。司書の女性はうっとりと昭彦の姿を追いながら、ホゥッと熱いため息をついた。昭彦はくすぐったさを感じながら、矢木沢の自分へのお坊ちゃま扱いにクギを刺しておかないと誤解をまき散らしてしまう、と思うのだった。

 しばらく集中して本に没頭していた昭彦は、5時に鳴る予備校のベルが遠く聞こえてきたのに、ふっと顔を上げた。そろそろ切り上げなければ、と思い、借りる本と棚に返す本を分けて、返す本を棚に戻してくると、借りる本をカウンターに出した。久しぶりに本を借りる感覚が嬉しく思えて、無意識に浮かんだ微笑みに、司書の女性が首を傾げて目を瞬かせた。誘ったら一発やな、と昭彦が思っていることなど知らない司書は、
「ありがとう。」
と言う昭彦に、
「またのご利用をお待ちしています。」
と、丁寧に頭を下げた。
 図書館を出て、エレベーターを待っていた昭彦は、肩をグッとつかまれた。その前から駆け寄る康志の息遣いに気付いていた昭彦は、
「久しぶりやな。」
と、軽く笑って言った。康志は息を整えながら、
「・・・少し・・・話せへんか?」
と小声で言った。昭彦は腕時計を見て、眉を曇らせたが、
「許可もらわんとなぁ・・・。下で電話して聞いてみるわ。」
と答えた。
 学ビルの一階ホールの脇にある公衆電話から昭彦は電話をかけた。会社でも事務所でも、昭彦が名前を言うだけで、すぐに竜崎に回してくれるようになっていた。
「あ、兄さん。昭彦です。・・・・・康志と少し話してから帰っていいですか?・・・・・うん、今から。・・・・・え、場所は・・」
昭彦が後ろで待っている康志を振り返って、
「場所はどこにする?」
と聞いた。康志はちょっと考えて、
「人に聞かれたくないから教会にしよ。」
と答えた。『織恋庵』は内緒話には向かないと思ったのだ。
「ん、わかった。」
昭彦はそう言うと、再び電話に向かって話し始めた。
「教会に行きます。・・・・・時間はまだわかりません。・・・・・はい。なるべく早く戻るようにします。・・・・・はい、わかりました。」
昭彦は電話を切ると、振り返って康志に微笑んだ。康志は胸の痛みを感じながら、やはり美しい少年だと思っていた。真夏だというのに黒いワイシャツを襟までしっかりとめて着込んでいる。よく見るとシルクの光沢に薔薇の柄が浮き上がるお洒落なワイシャツだった。ネクタイは今日は深い赤で黒っぽい銀糸で蔓薔薇が格子に刺繍されている。そしてダイヤのタイピン・・・。
「タイピン、服で替えるんか?」
「そーゆー時もあるけど・・・?」
「その服やったら前のでも合うがな。」
「ああ、あれは留め金を壊してもうたで・・・」
「・・・そやったんか・・・」
まずい事を聞いてしまったかと、昭彦の様子を伺うと、昭彦は普通の表情のままに微笑んでいる。黒目がちの目が宝石を浮かべて輝いている。その美しすぎる表情に、背筋が寒くなるものを康志は感じていた。
「ほな、行こか。」
昭彦がふわっと笑って歩き出す。康志は魅入られた者がするように、その姿を目で追いながら無意識に足を踏み出していた。

 教会の広い講堂に、いくつもの横に細長いイスが並んでいる。その最後部の端の方に、昭彦と康志は並んで座っている。
「話ってなんや?」
前の席の背もたれ部分に腕をかけて項垂れている康志の耳元で昭彦が囁いた。康志はそのままの姿勢で顔を横に向けた。間近で見る昭彦のひとつひとつの造詣の美しさに涙が出そうになってしまう。康志はゆっくり体を起こしてため息を吐いた。
「・・・わからん。・・・ただ・・・あのままでいるのが嫌やったんや。」
「・・・そなんか・・・」
昭彦は表情を変えないまま、正面を眺め始めた。
「・・・ビックリしたで。」
「・・・ん・・・そやろな。」
「訳は聞かん。色々事情はあるやろし・・・」
「それがええで。関わらんこっちゃ。」
「・・・わかってる。・・・ただ・・・わしはお前に惚れとるんや。」
ん?、と昭彦が康志をキョトンとした顔で見る。
「男なのに・・・可笑しいかぁ?」
「いや。・・・可笑しくはないけど・・・」
昭彦はうつむいて眉を曇らせた。
「忘れようと思うたけど、忘れられへんねん。あのまま、別れるなんてそんなん嫌やったんや。好きでたまらんねや。」
「・・・友達やないんかい・・・」
「友達に惚れたらあかんのか?」
「・・・あかんこともないやろけど・・・怒られてまう・・・」
「誰に?」
「・・・兄さん・・・」
「あの会社の人か?」
昭彦はうつむいたまま頷いた。
「・・・恋人・・・っていうんやろか・・・杯でいうたら兄弟なんやけど・・・」
康志はギクッとした。
「さ・・杯・・・?」
考えないことではなかった。普通の人達の行動とは思えないあの夜の状況を思えば、当然とも言えた。だが、こんな少年なのに、と思ってしまう。・・え・・いや・・恋人って言ったのか?
「恋人?!」
康志は声が大きくならないように注意しながら聞き返した。
「うん。・・けっこうヤキモチ妬きやで、友達なら認めてくれるけど・・・告白されたら、付き合うのは難しいなぁ。」
う・・ううう・・・そんなぁ・・・と思った途端、康志の目から涙が零れた。
「アホ。泣くなや。」
「ショックや。・・・Wショックや。・・・いや、トリプルショックや。」
「・・・しつこいショックやなぁ。」
康志はまた前の背もたれに腕を乗せると、項垂れてポトポトと涙を床に落としていた。昭彦は困ったなぁ、と小さくため息を吐いた。
「・・・そしたら・・・関係・・・あるんか?」
少し拗ねた言い方で康志が言った。どんな関係や、と敢えて突っ込むのも面倒だったので、
「そやな。」
と、あっさり答えた。康志は呻いて、床に落とす涙の量が増えた。
「・・・なぁ・・・いい大人がそれぐらいで泣くなや。」
「まだ・・・未成年やで・・・大人やない・・・」
拗ねモードに涙声が混ざる。
「そない言われたら・・・わしかて大人やないし・・・慰め方、わからんで・・・」
顔を合わせたら怖がられると思っていた。そうでなかったことは嬉しかったが、こうした感情はこれでまた困るものだと途方に暮れた。
「・・・他に話がなかったら・・・帰ってええか?」
「見捨てるんか?」
康志が涙でクシャクシャにした浅黒く焼けた顔をあげた。
「・・・鼻水・・・垂らしてるで・・・」
昭彦はポケットからティッシュを出して渡してやった。
「・・・済まん・・・」
康志はティッシュを受け取ると思いっきり鼻をかんだ。ブィーン、という音が響き渡る。昭彦は思わず、天井を向いて十字架を切っていた。
「だからなぁ・・・友達でいてくれる方が嬉しいんやけどなぁ・・・」
昭彦は何とか話をまとめようとしていた。これ以上時間をくっていると、竜崎の雷が落ちそうだった。
「・・・そうかぁ・・・もう恋人おったんかぁ・・・もう・・・関係もあるんかぁ・・・」
「そうゆうこっちゃ。せやから、友達でおれん、ちゅうなら、忘れてくれ、て言うしかあらへん。」
「忘れられへん!」
「シィー・・・声が大きいでぇ・・・」
「・・・忘れられるなら・・・とうに忘れるよう努力しとる・・・それが出来んから、辛いんやがなぁ・・・」
康志がまたじゅわぁーっと涙ぐむ。
「とにかく・・・友達でいてくれや。な?」
「・・・しょうがあらへん・・・キープ君でもええ。」
「何や?そのキープ君て?」
「・・・やから・・・もし、別れた時の次の予約や。」
ペシッ!と、昭彦は康志の頭を軽くひっぱたいた。
「・・って!・・・何で怒るんやぁ?」
「わしと兄さんに別れはあらへんのや。」
「・・・そない惚れとるんかぁ?」
康志が自分の頭を撫でながら言った言葉に、昭彦はにっこり笑って、
「うん。めちゃめちゃ惚れとる。」
と答えた。その表情があまりにもあどけなく愛らしかったので、康志はしばらく見取れてしまっていたが、
「・・・ほな・・・友達でもええ。・・・友達なら・・・お前を見てられるで。」
と、小さく言った。昭彦はほっと息をつくと、
「ほな、悪いけど、もう時間があらへんねん。また、今度な。」
と言って、席を立った。
 そして出口に向かって振り返った時、すぐ後ろの壁際に、満面の笑みで立っている竜崎を見つけた。竜崎は昭彦と目が合うと、軽く両手を広げ、
「やぁ、ハニー。」
と、囁くように甘い声で言った。その声に康志が振り返ると、竜崎はツカツカと歩み寄り顔を近付け、
「変な気ぃだけは起こすんやないで。」
と、ドスの効いた声で囁いた。顔色を変えた康志が言葉もなく頷くのを見て、満足そうに笑みを浮かべると、昭彦の肩に手をおいて教会を出ていった。
<15>
「男の道」
<15>「男の道」

 無理矢理押し広げられて、擦られる部分がビリビリと張り詰めている。到底受け入れ切れないと思えそうに太い肉棒が、遠慮なしに忙しく上下する。痛さなのか、熱さなのか、神経を狂わされて肉体を自分の物ではないように感じるほど痺れさせている。下腹部は強烈な圧迫感に腰骨が軋んで痛むようにさえ感じる。背筋は突き上げられる度に情けないほどの快感を脳天まで駆け上がらせる。
「あぁぁ…ぁぁ…兄さん、、、兄さん、、、あぁぁ…」
恋しく呼んでしまう。
 竜崎の”暴れ竜”が昭彦の心を解き放ち、体を雌に変える。そう。抱かれて感じている時、昭彦は竜崎の”女”になっていた。生物学的女ではなく、支配されることを喜びとして受け入れる”女”。
「ええ子やでぇ。・・・可愛いでぇ。」
繋がって愛されている時のキスは、普段の何気ない時のキスより切なかった。竜崎の触れる肌が、触れる指先が、滑る唇が、ゾクゾクするほどに快感を誘い、自分を完全な”女”にしていく。伝わる汗の感触も、その野性的な匂いも、全てが心を魅惑していく。
「あぁぁ…兄さん…好きやぁ…狂うてまいそうや…くっ、、、ああぁぁぁ…」
昭彦はたまらずに自分でも腰を振り、より強い刺激に身を任せていく。激しく肌がぶつかり合い、太い根元まで捻り込まれ、引き裂かれそうな感覚が浮遊感のような幻覚を引き起こす。
「あ、、あ、、あぁ、、あ、、、」
甘い声で切なく鳴いてしまう。頼りなく、赤ん坊にでもなったように、なすがままで、幼い剥き出しの魂が、竜崎を求めて泣くようだった。
「ええかぁ?・・・感じるかぁ?」
耳をしゃぶられながら聞かれると、気が遠くなりそうなほど快感に包まれる。
「すごく、、、ええ、、、あぁぁ…兄さん、、、」
身を捩って快感に震えてしまう。
「はぁぁ…んぁぁぁ…ああぁぁぁぁぁぁ…」
最近、前のモノよりもアナルの感覚が敏感になっているように思う。アナルだけの快感でイクことが度々ある。そんな時、竜崎は嬉しそうに、
「ええ子やなぁ。めちゃめちゃ可愛いでぇ。」
と喜んでくれる。そして何度かイッた後に御褒美に竜崎の手で扱いて、溜まったミルクを絞り出してくれるのだ。射精する行為も快感ではあったが、そうした行為以上に、竜崎の”暴れ竜”に体を支配されている自分が好きになっていた。
 だから離れると急に不安になる気がして、抱かれた感覚を咀嚼するように、アナルの疼きを、竜崎の腕の中で味わっていた。こうした心理的変化が、昭彦を益々神秘的な美貌へと磨きをかけていった。今では通りすがりの人さえも、一度目を奪われると我を忘れたように見入って立ち尽くしてしまうほどだった。
「ええ体になったなぁ・・・立て続けに二度イってもうたで。」
竜崎は昭彦の夢見るほどに美しい顔に繰り返しキスをして言う。と、昭彦が、
「…わしは…もっとイったで、、、数えきれへん…」
と、赤味の強い唇に笑みを浮かべ、甘える視線を投げかけてくる。抱いた直後の素直さはゾクッと身震いするほどに妖しい魅力に包まれていた。これがいつもでは、きっと仕事が手につかなくなってしまうだろう。賢帝と誉れ高かった玄宗皇帝が楊貴妃の虜となって政務を忘れ去ってしまったように、この魅惑の時間だけに浸っていたくなる。それでも、今はこうした余韻に浸る時間が30分もすぎると、昭彦が飽きて背中を向けて急にそっけなくなるので、眠るか仕事をするしかなくなるのだが。その時、昭彦は”女”から”男”へ戻るのかも知れない。

 ”男”に戻った昭彦は、やはり探求心と好奇心の詰まった少年のままだった。眠っている時も側にいて欲しい竜崎が、そう要求してからは、目が覚めると横になって本を読んでいる昭彦を見ることがよくあった。
「そない本が好きやったら、将来はやくざやのうて、学者になったらええ。学者なら生涯研究に没頭出来るで。ん?」
背中から腕を回して昭彦の体を引き寄せると、
「なんでや?わしはもうやくざやで。」
と不機嫌そうな流し目で威嚇してくる。
「それに必要があるから本を読んじょるだけや。研究するんは他のも研究してるで。一撃必殺のツボとか、・・」
「勢力増強のツボとか?」
「・・・兄さん、しつこいで。いつまで古いネタ回ししてんねや。」
「冷たいなぁ・・・兄さん、好きやぁ、狂うてまいそうやぁ、て、あんなに可愛く言うてた子はどこいったんやろのう?」
竜崎が胸に抱き包んで頬ずりをすると、
「・・・知らん。」
と昭彦は拗ねたように頬を赤くする。
「知らんなら、思い出させよか?・・ん?」
そう言って竜崎がぴったりと体を密着させると、昭彦の”女”がチラッと顔を覗かせて、困ったような顔でおとなしくなる。クスッと笑いを洩らして、昭彦を離してやり、
「それで今は何を読んどるんや?」
と、”男”の昭彦に話しかける。竜崎は”女”の昭彦も、”男”の昭彦も、可愛くてたまらなかった。
「・・・ん・・エジプトの発掘品やそれに関わった人々にまつわる話とか・・・色々や。どうせ博物館とかを見るなら、知識があって見た方がええやろ?」
「そやなぁ。ま、わしはお前が説明してくれたらええわ。」
「どうせそうやと思うから、兄さんが何を質問しても答えられるようにしときたいねや。・・・それに、兄さんがファラオの呪いにかからんように注意せな。」
「ファラオの呪いー?!・・・ホラーとかの話やないんか?」
「実際に奇妙なことがあるらしいで。一説には太古のウィルスが原因やないかっちゅう説もあるそうやけど、解明されとる訳やないで。」
「ほれみぃ・・・ろくなとこやあらへんがなぁ・・・」
「けど、ナポレオンがピラミッドの中で、天界の音楽を聴いたとかいう話もあるで、面白そうやないかぁ?」
「・・・天の声なら・・・お前の口から聞けるでぇ。クッフフフッ。あれ以上の声はわしには必要あらへん。」
「・・・そない・・・」
昭彦は言いかけて、うつむくと言葉を濁した。耳が赤くなっている。
「ん?」
竜崎が昭彦の首筋から耳まで、赤くなった部分にキスをしながら、先を促すように聞くと、
「・・・そない”女”を刺激せんで欲しい。・・・わしが惚れちょること、わかってて意地悪言うんは・・・狡いで・・・」
と、切なそうに言った。その横顔があまりに頼りなげで可愛いので、
「わしの方が惚れとるがな。わかっとるやろ?」
と言って、もう一度抱き締めると、昭彦が、
「…兄さん…」
と甘い息とともに呼んで、目を閉じて頭をもたれかけてくる。
「くぅぅ・・・あかん。もうダメや。我慢出来へん。」
竜崎は昭彦に強烈なキスをすると、目を覚ました”暴れ竜”を再び昭彦のアナルへと押し込んだ。
「…ぅぅ…あぁぁぁ…兄さん、、、感じてまう、、、あぁぁ…」
「感じたらええ。いっぱい、いっぱい、わしを感じて、甘えたらええんや。可愛いでぇ。めっちゃ可愛いやんかぁ。」
昭彦は再び”女”になった体を切なく悶えさせて喘ぎ始めた。
「気持ちええ、、、あぁぁ…たまらん、、、ホンマに可笑しくなってまうねん、、、」
「どない可笑しくなるんや?」
腰を動かして刺激し続けてやりながら、昭彦に自分を自覚させる。
「あ、、あぁ、、、ん、、んん、、、ええ、、としか、、、よう言えへん、、、」
昭彦は竜崎のリズムに合わせて体を揺らしながら答える。
「どないええんやぁ?」
「はぁはぁ…あぁ…気持ちようて、、、たまらんねやぁ、、、んー、、、」
甘えて拗ねた声になる。
「どない気持ちええんやぁ?」
「あぅぅ…あ、、ぅぅ…体が、、兄さんでいっぱいになって…あぁぁ…」
「うん・・・それから?」
「はぁはぁ…うぅ…繋がったとこが熱くなって…あふっ、、、ぅぅ…」
「うん・・・それでぇ?」
「…ああぁ、、、よぉわからんけど、、兄さんがわしの中におるんやて、、、」
「うん、そやなぁ。それでぇ?」
「…痛いのか、、痺れるのか、、熱いのか、、苦しいのか、、、…ただ…」
「ただ?」
「あぅぅぅ…めちゃめちゃ気持ちええんやぁ、、、あっ、、ああっ、、、あぁぁぁぁ、、、」
昭彦は言葉を話すことも辛いように身悶えて、体をうねらせて喘いでいる。竜崎はこれ以上困らせないことにして、思いきり腰を動かして、激しく突き上げて擦りあげてやった。
「あぁぁぁ…ああぁぁん…はぁはぁ…あぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ、、、、、」
アナル絶頂に昭彦は体を痙攣させる。竜崎はここまで自分に感じて陶酔してくれる昭彦が愛おしくてたまらなかった。昭彦の男根は切る必要もなく、竜崎の御褒美の道具としての存在だけになっている事実が嬉しかった。

 何度もアナル絶頂を繰り返した昭彦を、竜崎は正面から足を上げさせて昭彦を押さえるように抱くと、
「はぁはぁ・・・ほな、わしもイクで・・・一緒にイこぉな?」
と、昭彦のミルクが溢れてベトベトになっている男根を自分の腹筋で圧迫してやった。昭彦を突き上げる度に昭彦の男根も刺激される。
「あぁぁ…兄さん、、、はぁぁぁ…」
昭彦は足首を竜崎の肩に軽く掛けて、背中が浮くほど反り返って感じていた。苦悶に眉を寄せた顔さえ気品が漂う優雅さで、濡れた赤い唇から洩れる吐息は熱く甘かった。
「うううぅぅ・・・昭彦ぉ・・・はぁはぁ・・・ええ子やでぇ・・・」
竜崎も秀でた額に汗を浮かべ、端正な顔に悩ましげな表情をして、小刻みに激しく腰を動かし続けた。
「ううううぅぅ・・・おおおぉぉぉ・・・あああぁぁぁぁ・・・ぅうおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」
竜崎の雄叫びと同時に熱く迸るミルクが昭彦の体を満たし、昭彦の熱いミルクも竜崎と昭彦二人の胸から腹部を濡らした。
「はぁはぁ・・・最高やでぇ・・・」
竜崎は昭彦の足を降ろしてやって、額にキスをすると、ゆっくりと満足げに虚脱した”暴れ竜”を抜いた。
「・・・お前のミルクはええ匂いやのう・・・」
竜崎は自分にかかったミルクを掌で胸全体に伸ばし、昭彦の胸に溜まっていた白濁液を指ですくって舐めた。
「うん・・・味もええ。」
と、竜崎が言うと、ずっと目を閉じて息を整えていた昭彦が、うっすらと目を開けた。輝く黒曜石の眼差しは表情がつかみにくく何処を見ているのかと思ってしまう。
「……なぁ……」
小さな声で昭彦が囁くように言った。竜崎は顔を近付けて、
「なんや?」
と頬にキスをしてやった。そして、昭彦の次の言葉を待ちながら、相変わらず昭彦のミルクを指先に絡め取っては舐めていた。
「…わし……兄さんに言うてないことがあるんや…」
「そら何でも言うて欲しいけど・・・言えんことがあっても仕方あらへんしなぁ・・・」
「…わしなぁ…兄さんが初めての男やないねん…」
竜崎は指を口でしゃぶったまま固まった。
「あふぃふぃ・・ふぉ・・ぐぇ・・・」
昭彦、と言いながら顔を近付けようとして、くわえていた指で喉を突いてしまった。慌てて口から指を出すと、鼻が付くほど顔を近付けて、
「相手は誰や?!」
とドスの効いた声で呻るように言った。いつもならそんな竜崎を眇めた目で見ながら「アホ。」とツッコミを入れてそうな昭彦だったが、今の昭彦は脅えたような悲しげな表情を浮かべていた。
「怒らんから言うてみ!」
と、すでに眉間にしわを寄せ怒声で竜崎が言った。
「……父親や……」
「な?!・・・あぁ??・・・えぇ?!!」
「…小さい頃から…体のあちこちを触られてたんやけど…関係持ってたんは1年くらいや。」
竜崎は言葉をなくしていた。
「…その頃は気持ちええ、なんて思えへんくて…心の中で父親呪う言葉を繰り返して、早う終われ、って思うとった。」
何てことや・・・と竜崎は目を閉じて深い息を吐くと、そっと昭彦を胸に包むように抱き寄せ、額をつけた。
「辛いなら言わんでええで・・・」
鼻を摺り合わせるようにして、優しく言ってやる。
「…ん…けど…話しときたいねん……兄さんは聞くん嫌やろけど…」
「そんなことあらへん。何でも聞くで?・・ん?」
「…うん。」
昭彦も鼻を摺り合わせてから、そっとキスをした。

 昭彦は当時のことを淡々と話した。竜崎は昭彦の髪や肩を撫でてやり、時には苦しそうに頭をぐりぐりと押しつけながら聞いてやっていた。
 そして、昭彦がそうした日々の中で感情を殺していったことや、感情を殺しても沸き上がる父親への殺意とで苦しんだ末に、母親の元に逃げたのだと説明した時、泣きながら昭彦を抱き締めていた。
「…せやから…男に抱かれて感じる自分が許せんかったんや。…感じたら…父親の行為も認めてしまう気がして…」
昭彦は竜崎の頬を伝う涙を指で拭い、キスをした。
「けど…それでも、兄さんが好きやで…好きやて思う度に感じてもうて…それで…男として、兄さんと同じ道を歩きたいて…彫り物で…弱い心を隠すように覆ってもうたんや。」
竜崎は泣きながら頷いた。
「…兄さん……ごめんな…彫り物なんかしてもうて……」
昭彦は震える声で悲しそうに言った。
「・・・ええんや。」
「…だって…もう…兄さんが好きやて言うてくれた体やのうなってしもうた…」
「アホォ・・・今かてめっちゃ綺麗やでぇ?・・・めちゃめちゃ可愛いがな。」
「…ごめんな…」
「ええんや!どんなお前かて好きやっちゅうたやろ?」
「……うん…」
昭彦は顔を竜崎の首筋に押し当てた。竜崎は昭彦の髪を撫でて、
「お前が親父に惚れんで良かったわ。」
と言った。昭彦は、ん?、と眉を寄せた。
「・・・どーゆー意味や?」
「まんまの意味やがな。」
「アホー!父親は父親として子供に接するもんや!」
「クッフフッ。そーゆー妙にこだわりがあるとこが好きやでぇ。」
「兄さんはこだわらんのか?」
「わしには親子の情はようわからん。天涯孤独やでの。」
「・・・親はおらんのか?」
「強いて言うなら、コインロッカーがわしの親や。せやから、わしは人の子やあらへん。・・・捨てた親はどっかにおるんやろけど、子を捨てるくらいやから、どっかでのたれ死んどるかも知れんし、恨んだかて相手もわからんでは恨みようもないでのう。」
「・・・そんなん・・・想像もせんかったわ・・・」
「言うてもつまらんやろ?・・・それに、けっこう気のええ施設で育ったし、そこに寄付しとる気のええおっさんのお陰で高校まで行けたし、割と恵まれとるやろ?・・クフフッ。そない不幸やないでのう。」
「・・・そやったんかぁ・・・」
昭彦は竜崎が面倒見がいい訳を納得したように思えた。簡単に言葉で言ってしまえるほど、楽な人生ではなかっただろうことは想像がつく。だからこそ、社会から弾き出されてしまう不器用な生き方の者達を助けてやりたいと思ってしまうのだろう。そして、人から寄付される着古したボロばかりを着て蔑まれてきたから、身だしなみにこだわるのかも知れない。見た目でしか人を判断出来ない心貧しい人達への嘲笑のように。
 お互いがお互いを思い、しばらく沈黙が続いていた。が、
「・・・それにしても変やなぁ・・・」
と竜崎が沈黙を破って訝しそうに言った。
「・・・ん?何が?」
「昭彦を初めて抱いた時、処女みたいに狭くて固かったんは何でや?せやから、そんな経験あるなんて思わんかったんやし・・・」
「・・・兄さんのは・・・デカすぎるんや。・・・アホ・・・」
「ああ・・・なるほど・・・クッフフフッ。」
昭彦は舌打ちをして、ため息を吐いた。
「今かてしんどくなるねんで・・・」
「それでもええんやろ?」
「・・・そやけど・・・」
竜崎は満足そうに昭彦を抱き締め、キスを繰り返した。それから、昭彦の頬を撫でながら、美しい恋人を愛しそうに飽きずに見つめていた。と、ポツリと、
「なぁ・・・お前の父親・・・殺ってええか?」
と言った。昭彦はビックリして竜崎の顔をまじまじと見つめた。
「何やねん?そない驚いた顔して。」
「・・・だって・・・兄さんが言うような台詞やないで・・・」
「わしかて腹に据えかねることはあるで。」
「・・・せやけど・・・」
「あかんか?」
昭彦は戸惑いながらも首を振った。
「それは・・・兄さんがするようなことやない。」
「むっちゃ腹が立つんや!」
「あかんで。・・・兄さんはそないなことしたら、あかんのや。」
「・・・昭彦・・・」
「兄さんは王道を歩いて欲しいねん。・・・わしは兄さんの影やで、どんなことでもするつもりやけど・・・兄さんはそれをしたらあかんねん。兄さんに惚れてるんはわしだけやないし・・・兄さんを崇拝する人達の為にも・・・王道を歩いてや。」
「・・・どないな王道や?」
「暗黒の太陽が輝き、紅蓮の炎が渦巻く、男の道や。」
昭彦がうっとりとした表情で言うのを、竜崎は呆れたように見ながら、
「どないな道かは知らんが・・・お前がそう望むなら・・・その道を歩いてやるわ。」
と仕方なさそうに言った後、
「けど、そう言うからには、お前もわしから離れたらあかんで?」
と、額を押しつけて睨んだ。
「離れんがな。・・・わしは影やで。」
昭彦はふわっと笑って、竜崎の鼻にキスをした。