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獣たち




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「エジプト旅行記(6)」
<21>「エジプト旅行記(6)」

 八日目。朝、矢木沢がアレキサンドリアからレンタルした車を走らせてきた。今日から3泊をアレキサンドリアでゆっくりリラックスして過ごそうと、日本で予定を組んだ時に竜崎が決めたことだった。遺跡や埋葬品ばかりを見ていたら気分が滅入る、というのが竜崎の意見だった。
 地中海の真珠と謳われるアレキサンドリアで、海を眺めながらのんびりしたり、シナイ半島のシャルム・エル・シェイクまで足を伸ばして、スキューバーダイビングをしよう、ということになっていた。
 予約したホテルはパレスティンホテルで、最も展望のいいホテルと旅行雑誌に紹介されていたので選んだのだが、リッチモンドは、『最高の部屋を用意させるから。』、とアレキサンドリアにあるヒルトンを勧めた。けれど竜崎は、『すでに予約してしまった以上、キャンセルは失礼になるので、申し訳ないが。』、とリッチモンドの申し出を辞退した。リッチモンドは寂しそうに不承不承納得してくれた。竜崎も昨夜の昭彦のことがなければ、勧めに従っていたかもしれない。
 11日目にはまたカイロに戻り、1泊してから日本への帰路に着くことになっているので、二人の秘書はまたカイロに残ることになった。リッチモンドは、『それならアレキサンドリアから戻った日にメナハウス・ホテルのゴルフコースでゴルフをしよう。』、と誘った。このコースはピラミッドを背景に楽しめるコースで、景観がいいのだということだった。
 昭彦はもう一度ピラミッドを見学したかったし、考古学博物館でも見逃した物がまだあったので、『最後の日くらいは、自分は秘書の二人と一緒に観光してくるから、兄さんと矢木沢さんは招待を受ければいいのに。』、と勧めた。竜崎が迷って返事をしない前に、リッチモンドは嬉しそうに、『それでは待っていますので、早めに戻ってくださいね。』、と決めて笑っていた。仕方なく竜崎も承知して、アレキサンドリアへと出発した。

 矢木沢の運転する車でアレキサンドリアへ向かう道中は、昨日矢木沢が会ったという男からの情報で終始した。元々そうした密談がしたくて、わざわざ矢木沢自身が車をレンタルしてきたのだ。
 その男は、矢木沢が情報を求めたマフィアのボスが送り込んだ男だった。マフィアのボスは、矢木沢がアメリカ留学中に親しくしていた友人の兄で、当時から度々家にも招待を受けていたので、ボス自身とも交流があった。その友人は抗争に巻き込まれ、父親と共に殺害されていた。そして、殺害した男がしばらくボスとして君臨していたが、友人の兄である今のボスが仇を討ち、亡き父親の意志を継いでボスとなったのだった。
 矢木沢の話がよく聞こえるように竜崎は助手席に座っていたので、昭彦は後部座席に寝転がって本を読んでいた。昨夜あれから、竜崎に旅行中最っとも過激な情熱で抱かれた為、座り続けているのがきつかったのだ。

 男は報告書の類は持っていなかった。これまで、マフィアのボスも何度か”周凰明”について調査してきたが、その度に部下数名を抹殺されてきたので、かなり警戒していた。そして、報告書などの後に残る情報を渡すと、矢木沢自身にも危害が及び兼ねないからとの配慮で、口頭での情報提供になったのだ。
 周凰明は表向きは香港に居を置く大富豪だった。中国本土の北京・上海・南京にも邸宅があり、別荘は世界中に点在しているらしい。手掛けている事業の数々は挙げきれないほどで、説明してもそれほど価値のある情報とは言えなかった。何故なら、世界中に存在する華僑と言われる人々はなんらかの形で関わり合いを持ち、多くの中国人が集団を成す中国人町や中華街には、大きな影響力を持っていると言われる人物だったからだ。中国関連の大きな取引をしようとする時に、周を無視しようものなら、必ず報復を受けた。
 つまり、周凰明は、世界中の華僑の頂点に立つ男だったのだ。いわゆるチャイニーズマフィアの総統である。組織の本拠地があるのか、ないのか。黄河流域か、長江流域か、あるいは両方か、その流域の険しい岩壁が入り組んだ入り江にあるとも、海南島の奥地にあるとも、噂されるがはっきりとはつかめていないということだった。
 周の組織は、以前から中近東とは宝石や麻薬の取引、人身売買などもおこなっており、かなり親密な関係にあるらしい。そして、ナイルヒルトンの支配人は、金持ち相手に麻薬や売春婦を斡旋して私服を肥やしているらしく、周のご機嫌を取って組織のものを回して貰っているようだ、ということだった。
 周の組織の勢力は今やヨーロッパにも及び、アメリカでも台頭してきている為、アメリカマフィアとしても対抗手段を講じようと、何度も調査してきたという訳だった。矢木沢が調査を依頼したマフィアのボスは、周の名前をつかむだけでも大変だったのに、何故その名前を知っているのかと逆に不思議がっていた、と、男は最後に付け加えたそうだ。

 竜崎は眉間にシワを寄せ、大きくため息を吐いた。
「・・・フゥゥゥー・・・エライ相手やで。」
「到底、太刀打ち出来ないですね。」
矢木沢もハンドルを握り、真っ直ぐ前を向いたまま表情を暗くしていた。
「・・・敵にしたら怖い相手や。」
「ええ。」
「・・・けど、周にも弱みはあるで。」
竜崎は腕組みをして不敵に言った。矢木沢は思わず驚いた顔で竜崎の方を向いた。が、障害物のない砂漠の道とはいえ、道路を外れると砂にタイヤをとられてしまうので、また前をむいて、
「どんな弱みですか?」
と聞いた。
「元々は華僑を守る為に作られた組織やろ?」
「おそらくそうでしょうね。」
「つまり、いくら影響力があると言っても、華僑は一般人や。」
「はい。」
「あんまり調子に乗って悪さするようなら、日本にいる華僑をイジメたるで。と、言うてやればええんや。」
「は?」
「そやろが。いくら大きな組織かて、山神一門の総力を結集して華僑をイジメてみぃ。到底守りきれるもんやないで。」
「確かに。」
「そないなったら、華僑かて黙ってへんやろ。組織とは別に華僑の繋がりは深いでのう。」
「そうした話は聞きますね。」
「なんで華僑が日本のやくざにイジメられなあかんねん、と不平を言い出す。原因はどうやら周の組織にあるらしい。華僑を守る為て理由で始めたくせに、最近は自分等の利益ばかりを追求しとるようだ。ろくな組織やあらへん。と、華僑内部で反対勢力が出てくる。」
「なるほど。」
「相手は一般人だけに、悪の組織と烙印を押したら、必死で抵抗を始めるで。」
「ええ。」
「それが世界中の華僑に広まったら、これまで隠れ蓑にしとった場所から組織の連中は追い出されるやろ。」
「確かに政治家や政府と付き合いの深い華僑が世界中にいますからね。」
「そうなれば、各国の警察が追い出されたゴミを回収し始めるやろし、そうなったら周かて困るやろ。」
「はい。」
「せやから、周にしてもわしを敵には回せん。っちゅうこっちゃ。」
「・・・ですが・・・命を狙ってくる場合もありますし・・・警戒は必要でしょう。」
「そない簡単に殺されてたまるかい。わしが死んだら、日本中の中国人を殺しまくれっちゅう遺言でも残しといたるでの。」
「・・・社長・・・大胆ですねぇ・・・」
矢木沢は呆気に取られながらも、楽しそうに笑いをこぼした。
「力勝負やっちゅうなら、結局はそうなるんや。相手が悪どければこっちかて悪に徹するがな。日本中の華僑を人質に取られとるもんやでのう。それでも、わしを敵にするほど、周っちゅう男はアホやとは思えんで。」
「そうですね。」
「せやから、あんな姑息な手を使うて近付いてきたんやろしのう。お互い腹の中では敵対しても、表面上は友好的にする。政治の世界かて、それが常識っちゅうもんや。わし等も東西の冷戦に倣おうやないかぁ。クッフフフフッ。」
竜崎の不敵な笑みに、矢木沢が感服して頷いた。
「・・・けど・・・」
竜崎はまた顔をしかめた。
「そもそも周がわしに近付いた目的はなんなんや?」
「問題はそこですね。」
「日本のやくざと取引したいなら、わざわざエジプトで切っ掛けを作らんかてええやろし・・・昭彦の一件があって直後っちゅうことは、目的は昭彦なんやろなぁ。」
「ええ。」
「昭彦の特殊な能力が気に入ったのか、可愛さの虜になったのか、あるいは両方なのか・・・いずれにせよ、面倒な相手に目をつけられたもんや。」
「・・・はい。」
矢木沢も神妙に頷いた。
「それやったら、簡単やがな。」
と、ここまで話に参加しなかった昭彦が言った。
「ん?」
竜崎が助手席から後ろを振り返った。昭彦は読みかけの本を寝ている腹の上に伏せて、
「わしが目的やったら、わしが相手にしなければええんやろ?なんも組織の大きさがどうやの、世界の華僑がどうやのて大袈裟に言わんかて、単純な話や。」
と、面白くなさそうに言った。
「そない言うほど単純やったら、わしかて頭、悩ませんがな。」
「わしの才能っちゅうけど、強制されてまともに披露してみせるほどお人好しやないで。賭け事かて全部外してやったら、いい加減懲りるやろ。無駄金捨てるだけや。」
「・・・惚れとるとしたら、どないする?」
そう尋ねる竜崎と視線が合った昭彦は、しばらく車の天井を眺めて考え込んだ。
「アホ!何を考える必要があんねや!」
「せやかて、兄さんが聞くから考えてみとったんやないかぁ。」
「どないなことや!」
狭い車内で竜崎が吼えると声で埋まりそうになる。エアコンを効かせる為に窓は締めっきりで、声が外に逃げにくいのだ。
「そない怒って言わんかてええがな。・・・もう、ええ。」
竜崎は歯ぎしりした。
「怒らんから言うてみ。」
「知らん。もう、メンドイ。」
昭彦は腹に伏せておいた本を取ってまた読み始めた。
「昭彦!」
「・・・あぁぁもぉぉ・・・告白されたら考えるで、やかましくせんといてや。」
今日の昭彦は竜崎以上に機嫌が悪かったようだ。しかも座席に寝そべっているので、矢木沢の姿が視界に入っていなかったこともあって、二人だけの時のように話してしまっていた。
 竜崎は昨夜、無理をさせすぎたことを反省していたので、機嫌の悪い昭彦をこれ以上刺激するのはやめておくことにした。前を向き、窓を少しだけ開けると煙草に火を付けた。

 アレキサンドリアに到着してからは、周について話されることはなかった。滞在先がヒルトングループとは違うホテルではあったが、一応は警戒していたということもあっただろうが、周がすでにエジプトを出立していたということもあった。周は、竜崎達がルクソールへ出掛けた翌日、本国へ戻ったのだと、さりげない会話の中でリッチモンドから聞き出していた。
 それで、当初の目的通り、ビーチ・リゾートを満喫しようと気持ちを変えることにした。宿泊するパレスチンホテルは、現在迎賓館となっているモンタザ宮殿の並びにあり、元は宮殿の庭園だった広大で格式ある公園内にあり、アレキサンドリアでも特に美しいと言われるモンタザビーチに面していた。

 部屋に入るなりバルコニーからその景観をうっとり眺める昭彦を、背中から優しく抱いた竜崎が、
「どや?こうゆうバカンスもええもんやろ?」
と、耳元で甘く囁いた。
「うん。ええなぁ。」
昭彦は海を眺めたまま答えた。
「日本では彫り物禁止のビーチばかりやで、ここで海水浴でも楽しんでこか?」
「けど、ここにも遺跡や博物館があるで、それが見たいなぁ。」
「もう、散々見てきたがな。キリないでぇ。」
「せやったら、せめてローマ劇場とグレコ・ローマン博物館くらい見せてや。それくらいやったらたいして時間もかからんで、後は兄さんのいいようにするで。」
「しゃぁーないなぁ。ほんまに昭彦は勉強好きやで。」
「本で読んでた物を実際に目で確認してみたいだけや。研究しようとかは思うとらんで、単なる好奇心や。」
「そないなもんかのう。」
竜崎は不思議そうに昭彦の横顔を見て、輝く頬にキスをすると、
「わしは生きている今が好きや。せやから、興味も生きてるもんに向くけどな。」
と言った。昭彦はクスッ、と笑って、
「うん。兄さんらしいわ。」
と振り返り、眩しそうに竜崎を見つめた。

 ローマ劇場と博物館を見学してから、海辺の大通りにあるヨーロッパ風の カフェで遅めの昼食を摂った竜崎達は、質のいい宝石店や骨董店がある通りで土産物を買うことにした。まだ、昭彦がルーレットで稼いだお金がかなり残っていたので、土産物も奮発することにした。
 黒部にはエメラルドのタイピンとカフスのセットを、大森にはブルーダイヤのタイピンを、福原にはキャッツアイのタイピンとカフスのセットを選んだ。
 辰巳は宝石を土産にしても、すぐにお金に換えそうなので、ちょっと用途のわからない難解な骨董品を土産物として選んだ。
「兄さんもけっこう意地が悪いですね?」
昭彦がクスクス笑って言うと、
「あいつは動きたがらんし、これを金に換えるのにあちこちの店を回ってみたらええんや。価値を知らんと安くたたかれるで、調べる必要もあるやろし、ええ勉強になるやろ。」
と、竜崎は可笑しそうに答えた。
「社長は人の動かし方がとても上手でいらっしゃいますので。」
と、矢木沢が信頼しきった笑みを浮かべて補足するように言った。昭彦は、いや、絶対意地悪して楽しんどるで、と思いつつ眇めた目で、はいはい、とばかりに頷いた。
 後は適当にトルコ石の細工物や異国情緒溢れた開襟シャツやTシャツを選んだ。組員や社員の顔を思い浮かべるとかなりの数になってしまい、宝石以外のこれらは航空便で郵送することにした。
 最後に、竜崎が、
「これはわしからや。」
と、昭彦にプラチナにルビーを埋め込んで薔薇の花を象ったピンをプレゼントしてくれた。ブローチにもスカーフ止めにも、大きめだがタイピンにも使えそうな綺麗な物だった。
「お前には赤い薔薇がよう似合うでな。」
と言った竜崎の眼差しは、愛しい恋人を見つめる甘い情熱が込められていた。組の人達の顔を思い浮かべていたので、すっかり組員と同じ気分になっていた昭彦は、こうした時でも恋人としての自分を忘れないでいてくれる竜崎に、”女”心がキュン、と甘酸っぱく疼くのだった。

   九日目は早朝ホテルを出て、セスナ機でシナイ半島南端のシャルム・エル・シェイクへと向かった。世界屈指のダイビングのメッカとして知られるだけあって、光が注ぐ海中やカラフルに泳ぐ多くの魚達の姿は図鑑で見るよりも遙かに美しかった。
 すっかり極彩色の海に魅せられた三人は、一日中何度も酸素ボンベを交換しては潜り続け、心地いい疲労感に包まれながら浜辺のレストランでシーフード料理を満喫し、夜遅くになってパレスチンホテルに戻った。

 十日目は、そうした何日間もの詰め込みすぎたスケジュールの疲れを癒すように、日がな一日ビーチでのんびりと過ごした。

 そして、十一日目。リッチモンドが待っているので、ヘリコプターでカイロに戻ることにした。朝の内にナイルヒルトンに戻った竜崎達を、リッチモンドは嬉しそうに出迎えた。
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「エジプト旅行記(7)」
<22>「エジプト旅行記(7)」

 アレキサンドリアから戻った竜崎と矢木沢は、荷物の整理をする暇もなくリッチモンドと出掛けて行った。メナハウス・ホテルのゴルフコースでゴルフをする為だ。ピラミッドに向かって玉を打つからって何が楽しいのかわからなかったが、お金持ちはファラオ気分にでも浸れるのだろうか。
 一方昭彦は昭彦で秘書が待っていることもあって、やはり荷物の整理はそこそこに、ピラミッド見学へと出掛けていった。

 今回は鈴木と沢木の体力のことや時間を有効に使うことを考えて、三つの巨大なピラミッドを徒歩で回ることはしないことにした。
 その分、内部をゆっくり見学し、王の棺が収められていたと言われる玄室でピラミッドパワーがどんなものなのかを体感したかった。玄室を取り囲む石から滲み出る成分なのか、磁場なのか、気の流れなのか、目を閉じて全神経を研ぎ澄まし感じたかった。
 これだけの石で覆われた空間でもやはり蒸し暑く、しかも入れ替わり立ち替わり見学する人達が出入りすることによる汗と熱気で、長くいると息苦しく感じるようだった。それでも、集中して気を感じると、周囲の雑音が消え、どこからか新鮮な空気が流れてきて包み込まれるような感覚にとらわれた。目で見て確認出来る訳ではないのに、魂がピラミッドの頂点に吸い込まれそうな引力を感じていた。
 二人の秘書は、目を閉じて軽く手を広げた昭彦が顔をピラミッドの頂点に向ける姿を、不気味に見守っていた。それで昭彦が目を開けて秘書達を見た時には思わずギクリと体を硬直させていた。二人には昭彦の目が異様に輝いているように見えたのだ。昭彦はそんな二人の様子に目を伏せ、
「次へ行きましょう。」
と、静かに言った。

 ピラミッドとスフィンクスを見学した後、昭彦が考古学博物館へ行きたがると、二人の秘書は顔を見合わせガッカリした表情になった。訳を聞くと、二人は、カイロ市内のだいたいの観光名所は、仕事の合間にすでに見学しているのだと告白した。特に考古学博物館はホテルの並びにある為、散歩がてらに何度も訪れていたので、すでに興味がなくなっているのだと言った。
 鈴木と沢木は、カジノで所持金の全てを失ったものの、日本の友人に頼んでお金をカイロ市内の銀行で受け取れるように振り込んで貰ったので、自由に行動するくらいのお金はあったらしい。そして、今日、竜崎から彼等自身もお土産を買っていいからと、かなり多目の軍資金を渡されたので、出来れば今日は観光よりもハンハリーリ市場やショッピングセンターを覗いてみたいらしかった。
 昭彦はなるほどぉ、と感心して頷いた後、
「それなら私達も別行動にしましょう。ホテルに戻る時、博物館の前で落ち合って一緒に帰れば、兄さん達にバレないで済みますし。」
と提案した。また、顔を見合わせた二人は悩んだ末、そうすることにしたようで、決まった途端に嬉しそうな顔をして、町中へと消えていった。

 昭彦も自分のペースで見ることが出来るようになってホッとしていた。それに、二人の秘書が自分を見る時のどこか脅えたような視線も煩わしいものがあったので、二人がいなくなった時密かな開放感を味わっていた。
 考古学博物館の埋葬品や財宝が展示されている部分はざっと流すように見て、歴代の王や王妃のミイラが納められているミイラ室へと向かった。保存の関係か室内は薄暗く、青白い弱い照明でミイラが浮き上がるように照らされている。エアコンも他の展示室より低めに設定されているのか、部屋に入る見学者達は身震いしながらさっと見回ると早々に部屋を後にした。
 昭彦はケースのガラスに顔を近付けてじっくり観察しているので、大人達からは気味の悪い子供に見えるらしかった。なるべく意識しないようにしていても、ケースから視線を離した時にそうした視線とぶつかってしまうことがあった。
 それでも無視してラムセス2世のミイラをじっと見つめていると、一人の男が自分に向かって近付いてくる気配を感じた。顔はミイラに向けたまま横目で一瞥した昭彦は、また視線をミイラに戻して観察を始めた。

『死体に興味がおありかな?』
昭彦の横に立った男が英語で聞いてきた。昭彦は、
『当時、使用していた布材や薬剤に興味があるだけです。周さん。』
と、中国語で返した。周は、ほう、っとわずかに目を見開いて、笑顔になった。
『では、漢方などにも興味をお持ちかな?』
周は今度は中国語で言った。
『ええ。とても。』
それまでミイラから視線を動かさなかった昭彦が、初めて周に顔を向け、笑顔で答えた。周は目を細めて頷き、
『古代史に興味がある貴方なら、きっと中国の歴史にも興味があるだろうとは思っていましたよ。』
と、嬉しそうに穏やかな笑みをこぼした。こうして見ると、目の奥の冷たい光を除けば、社交的で礼儀正しい紳士に見える。
『いかがですか?外のカフェで、カルカデでも楽しみながらお話しませんか?・・おお、そうだ。フルーツも用意させましょう。』
すでに昭彦の好みは知っていると匂わせるような言い方だった。
『そうですね。』
昭彦は構えることもなく承知した。
 竜崎が警戒する相手だとわかっていたし、こうして昭彦が単独で会うことを知っていたら決して許さないだろう、と思ったが、これも一つの巡り合わせかも知れない、と感じていた。
 周に従ってミイラ室を出る時になって、昭彦は入り口に冥龍がいたことに気付いた。大抵の気配なら見なくても察知出来る昭彦だったが、ここまで気配を消せる冥龍に内心驚いた。側に寄るまで、まるでキョンシーのように生気を感じさせずに存在していたのだ。
 ミイラ室を出る二人の後についてくる冥龍に聞こえるように、
『彼は周さんの恋人ですか?』
と聞いてやった。周は声を出して笑い、どちらともつかない表情で肩をすくめた。昭彦はそれ以上追求はしなかったが、チラッと後ろを振り返って見た時、冥龍の氷のような視線が一層温度を下げているのが可笑しかった。

 噴水が吹き上げる広場に面したカフェで、冷たいカルカデとフルーツの盛り合わせを頼んでくれた周は、目の前に座った昭彦をじっくりと鑑賞するように眺めていた。昭彦はしばらく噴水の吹き上げる水が微妙に変化する様子に気を取られて眺めていた。
 頼んだ物がテーブルに置かれたので、氷の浮いたグラスのカルカデを一口飲んで、昭彦は周へ視線を向けた。
『何にでも興味を持たれるのですね?』
周が待っていたように話しかけた。
『全てかどうかはわかりませんが、そうかも知れません。』
昭彦は素直に答えて微笑んだ。
『では、私にも興味を持って頂けるかな?』
『彼が嫉妬しない程度なら。』
昭彦は視線を一度冥龍へ向けかけ、途中で引き返して周を見ると、クスッと笑みをこぼした。そのわざとらしい態度に冥龍がムッとしているのを感じて、さっきミイラ室で気づけなかった意趣返しが出来た気分になり、これ以上構うのはやめよう、と判断した。本気で怒らせて敵を作るのは得策ではないだろう。いや、すでに本気で怒っているのか。一見穏やかな相手も感情をくみ取りにくいが、それ以上にいつも不機嫌そうな相手はもっとわかりにくかった。
『彼が気に入ったようですね?』
『なかなか歳の近い友達が出来ないので、気になるのは確かですね。』
『ああ、なるほど。冥龍も友達が出来にくいようですし、貴方が友達になってくれたらきっと喜ぶでしょう。』
『そう出来れば私も嬉しいです。』
昭彦は今度はまともに冥龍へ顔を向け、手を差し出した。冥龍は一瞬眉をひそめたが、素早く視線が周に動いた後、昭彦の手を握り返し、
『よろしく。』
と、抑揚のない声で冷たく言った。
『でも、周さん。友達というなら彼にも座って欲しいのですが。』
昭彦は周に向き直るとにこやかに言った。そして、
『私は立ったままで構いません。』
と言う冥龍を無視するように、
『まさか座れない特別な理由がある訳ではないでしょう?』
と、小首を傾げて悪戯っぽい視線を周に投げた。冥龍の手が強く握られプルッと震えたようだった。周はまた声をあげて笑うと、冥龍にも座るように言い、飲み物を注文した。冥龍は言われたままに席に着いたが、眉間にシワを寄せた目を昭彦に向けることはなかった。
 昭彦はそんな様子をイスの肘掛けに頬杖ついて楽しそうに見ていたが、噴水の近くで少女の甲高い声が聞こえたので、そちらに気を取られ眺め始めた。
『・・藤村さん・・』
と周が呼んだので、昭彦は眉を曇らせ、
『昭彦でいいです。と、言うより、その方がいいです。その姓は好きではないので。』
と言った。
『では、昭彦、と呼ばせて頂こう。』
『そうして下さい。』
昭彦は気を取り直して笑みを浮かべた。周は優しげに微笑み頷いた。それから、
『昭彦は誤解しているようですが、私には家族がいるのですよ。』
と、紳士的な表情で言った。が、
『そうですか。なら、私に興味を持つ必要はないし、私も多くの興味を周さんに持つ必要もない訳ですね?』
と、昭彦が黒目がちの目に妖しい光を浮かべたので、目を眇めたまましばらく黙り込んだ。
『昭彦はいつも大人に対して、そうした言い方をするのかな?』
やっと口を開いた周からは微かな苛立ちが感じられた。
『いいえ。竜崎の兄以外では他に思い当たりません。』
ほう、っとまた周の雰囲気が変わった。
『では、いつもはどのように話されるのかな?』
『挨拶以外必要なければほとんど話さないか、相手を刺激しないように当たり障りがないように気をつけているつもりです。どうも、黙っているだけでも私は当たり障りがあるようでなので、せめて言葉くらいは注意するようにしています。』
『なるほど。冥龍にも見習わせたいですね。』
『ええ。そうして下さい。今のままでは思いっきり感じ悪いですから。』
と、言った途端、昭彦は声を出して笑った。その笑い声はまだトーンが高く、あまりにも無邪気だったので、怒って立ち上がろうとした冥龍さえ、気が抜けてしまったようだった。
 昭彦の笑いが収まるのを待って、
『私や冥龍の前でこんなにリラックスされる方は珍しいですね。』
と、周が苦笑した。
『不思議ですね。私もこんなに警戒なく話せる相手は珍しいです。』
『私に興味を持って頂けたかな?』
『貴方より、貴方を通して見えてくる中国の伝統に興味が沸きますね。周さんを見ていると、いつのまにかTVで見た黄河の雄大な流れが重なって見えてきます。』
『では、是非いらっしゃい。どんな場所にでも案内しますよ?』
『ええ。行く機会があったら、甘えさせて頂きます。』
昭彦はにっこりと微笑むとカルカデを飲み干した。まだ、行きたい場所があったので、この辺で話を切り上げたかったのだ。そうした昭彦の気持ちを察したように、周が、
『まだ、行かれる所があるならおつき合いさせて頂きますよ。明日には帰国されるようですし。』
と言って、先に席を立ち上がった。先手を取られた昭彦は小さくため息をついて後に従った。

 数ヶ所を回って、サラディン王のシタデル(城塞)へ登った時には、かなり日が傾き始めていた。カイロ市内を一望し、その向こうに夕日に染まったギザのピラミッドが見えた。昭彦は長いような短いような滞在の日々を思い浮かべて、明日にはここを離れるのだと寂寥を覚えながら眺めた。
『そんなにこの国が気に入ったのか?』
周が昭彦の風になびく髪を撫でた。サラサラと指を抜けるしなやかな感触が気に入ったようで、何度も繰り返した。
『私なら毎年でも、毎月でも連れてきてやれる。』
『クスッ。・・誘惑しても無駄ですよ。』
昭彦は振り返り、見晴台の枠の石に仰け反ってもたれると、目を閉じて体中に夕日を浴びた。数ヶ所を回る内に、周と昭彦の間から警戒も遠慮も、計算という思惑も消えていた。
『それほど、あの青年がいいのか?』
『ええ。私の憧れです。』
『憧れはやがて苦しみに変わるものだ。』
昭彦は体を起こし、周を見た。周の眼は昭彦の心の中を見透かしているようだった。
『竜崎の兄の人柄を愛しています。』
『確かに、なかなかの人物のようだね。度量もあるし、閃きという天分もある。歳を重ねるごとに人間としての厚みも増し人望を集めるだろう。』
『・・・そうですね。』
昭彦は目を伏せて頷くと、またピラミッドの方へ体を向け、石の枠に頬杖をついた。周も同じようにピラミッドを眺め始めた。
『中国には”気”という言葉がある。』
『ええ。詳しくはまだ知りませんが知っています。日本でも”気”を使った言葉がそのまま生きています。』
『そう。西洋ではオーラと言ってるようだが。』
『あ・・・そうなのか・・・オーラが”気”なんだ・・・』
昭彦は感心したように頷いた。周は、大人びた話し方をする昭彦が時々示す、そうした素直な少年らしい仕草が、これほど愛しく感じるものなのか、と思い、竜崎という男が夢中になるのも無理はない、と感じていた。
『・・そして、時々強い”気”を持って生まれてくる人間がいる。』
周は話を続けた。
『だが、強い”気”にもタイプがあって、太陽のように大きく輝く”気”もあれば、暗闇に光る水晶のように鋭い”気”もある。』
『私も兄は太陽のようだと感じていますよ。』
周の言いたいことはわかる、と言いたげに昭彦は言った。
『そう。彼は太陽の”気”だ。人はその暖かさ、明るさ、強さに憧れて集まってくる。・・・だが、一方の水晶の”気”は、近寄るだけで傷ついてしまう。そして見ているだけで、異質な恐怖を感じてしまうのだ。』
『私がそれなのだと言いたいのでしょう?・・・それでは周さんはどんな”気”なのですか?私と同じなのですか?』
昭彦は少しムッとしていた。が、それはリッチモンドに感じる不快感ではなく、拗ねているとも言えた。
『私の”気”は、”無”もしくは”闇”。・・彼とは対局に位置する存在かも知れない。彼は意識せずとも人の気を集める。そう、人気、という言葉もあったね。・・・私は人の気を吸い込み、喰ってしまう”闇”なのだと思う。』
『・・・ふーん・・・面白いなぁ。・・けど、それも”気”って言う?』
『まともな人としての”気”ではないだろうが、光と闇はお互いなくして存在はしえないものだろう?どちらか一方だけが存在している訳じゃない。』
『・・・そっか。・・・で?』
『昭彦には私こそふさわしい。私なら昭彦の鋭い”気”で傷つくこともなく、昭彦にとっても居心地は悪くないはずだ。』
『・・・ふーん・・・』
そう言ったきり、昭彦はぼんやりカイロの町並みを眺めていた。
『私の所へ来てみないか?』
周は昭彦の肩に手を置いて、昭彦のこめかみにキスをした。
『・・・ねぇ・・・でも、それって、私の気も喰われるってことじゃない?』
昭彦は体を離して、訝しげに周を睨んだ。
『クックックックッ。さぁ、それは昭彦次第だろう。』
『どんな次第かは知らないけど・・・どう言われても誘いには乗らないから。』
周は残念だと言わんばかりに肩をすくめた。
『中国の文化を知りたくはないかね?医学から文学、はたまた天文学にまで独自の世界があって美しいものだよ。』
『もちろんそれは知りたいです。ですから、いつかは勉強に伺うかも知れません。が、今は兄とは片時も離れられないほどにお互いを求めているんです。』
昭彦は石の枠を離れて数歩歩き始めた。
『”気”と”魂”は違うでしょう?』
振り返って昭彦が笑った。周は昭彦について歩きながら、頷いた。
『私の”気”が周さんの”闇”が居心地がいい、というのはわかります。だって、こんなに心を割って話せる相手は今までいなかった。・・って、・・あははは。』
昭彦がいきなり笑い出したので、周は意味がわからず、
『ん?』
と不思議そうな顔をした。
『クスッ。今の台詞はリッチモンドが兄に言った言葉でした。』
『ああ。なるほど。』
周は意味がわかって笑みを浮かべた。
『ただ、”気”はそうでも、私の”魂”が兄といたい、って言ってるんです。・・・多分。・・・聞こえてる訳じゃないけど。』
昭彦は少年らしい爽やかな表情をしていた。周は眩しそうに目を細めた。そして、深くため息をつくと、
『どうやら、今回は諦めた方が良さそうだ。』
と言った。そして、
『ただ、私は執念深いからね。何年でもチャンスを待って、必ず昭彦を手に入れてみせるよ。』
と、昭彦について歩いていた足を止めた。
『なら、それまで兄には指一本、触れないことです。でなければ、私はあなたに落ちたフリをしてでも、あなたを殺します。』
昭彦は薄暗くなりかけた中で、目を光らせて言った。
『クックックッ。では、彼が怪我をしないように守ってやらなければいけないかも知れないな。心当たりのないことまで、私のせいにされては困る。』
『周さんが兄の前に立ちふさがらないと約束してくれるなら・・・私は周さんへずっと友情を抱き続けるでしょう。』
『わかった。約束しよう。』
昭彦はにっこり笑うと、
『ありがとう。』
と言って、
『秘書が待っているので、これで失礼します。今日はとても楽しかったです。・・・またいつか、お会いする日まで、お元気で。』
と、投げキスをすると、走り出して行った。周は昭彦の後ろ姿を見送りながら、その魂の透明な美しさから漂う甘い香りの余韻に浸っていた。

 昭彦が考古学博物館の入り口へ行くと、不安顔の鈴木と沢木がオロオロと待っていた。
「ごめんなさい。お待たせしました。」
と、昭彦が駆け寄ると、ほっとため息をついて、揃ってホテルへと戻っていった。
 二人の秘書と別れて部屋へ戻ると、すでに竜崎が帰って待っていた。竜崎は昭彦を抱き寄せてキスをすると、
「寂しかったで。・・・どや?今日は楽しく過ごせたかな?」
と聞いた。昭彦は竜崎の肩に顔を埋め、
「やっぱ、兄さんがおらんと寂しい。」
と甘えた声で答えた。
「そやろう?」
竜崎はうんうん、と昭彦の髪を撫で、再び熱いキスをするのだった。

 翌十二日目。竜崎達5人は、それぞれにたくさんの思い出を胸に、日本への帰路に着いたのだった。


THE END