|
|
|
![]() ★10★『Dreaming Boy』 ![]() 10階までの階段が、これほど遠く感じられたことはなかった。 一歩一歩の足の重さが、鉛の靴を履いてるかのようだ。 このマンションに住むようになって、初めて手摺りに縋った。 溜息を吐いては一歩上がり、溢れる涙を落としては、また一歩上がる。 涙で歪む階段を踏み外しそうになって、また溜息を吐く。 (・・・何で突き放してしまったんだ・・・) 無邪気な笑みに投げ掛けた言葉は、氷の刃となってソラの心を突き刺した。 強がって見せても、本当は自分の居場所を探している、寂しがり屋な迷子猫だったのに・・・。 ジッと直人を見つめる青い目は、いつも、「ここにいていい?」と問い掛けていた。 慣れない土地と環境の中で、「どう生きればいいか…」をいつも探し求めていた。 『MilkyWay』でバイトを始めたのも、マスターの娘の美夜子と親しくするのも、直人との繋がりをより確かなものにしようとする、ソラの健気な想いだった。 (・・・わかっていたのに・・・) ”嫉妬と疎外感”という直人自身の苛立ちから、突き放してしまった。 直人は大きく溜息を吐き、ようやく最後の階段を登った。 玄関の鍵を開け、重いドアをゆっくりと引き開ける。 室内は暗く、リビングの水槽だけが薄青い照明に浮き上がっている。 直人は、暗い部屋に進み、取り敢えず全ての部屋の灯りをつけた。 部屋に灯りがついていれば、遠目に部屋からこぼれる明るい光を眺めて、「帰ろう」と思ってくれるかも知れない。 それから、ソファーに座り、携帯を呼び出してみた。 途中からも何度か試してみたが、初めに呼び出しが鳴った時、すぐに不通になってから後、電源が切られてしまっていた。 おそらく、あのゼロという男が、そうするように指示したのだろう。 (・・・あんな金髪野郎の何処がいいんだ!) そう心で叫んでから、(いや・・・違う・・・)と首を振る。 (・・・ソラを行かせてしまったのは、僕自身だ・・・) 横柄な態度で常識から外れていることはあっても、ソラが個人資産の多少で人を区別したことはなかった。 尊大ぶって見せるのは単に強さへの憧れであり、相手が弱いからといって見下すこともなかった。 ソラの心はいつも透明な輝きを放っていた。 「一般庶民は」と言うことで、ソラとの間に壁を作ったのは、直人自身・・・。 「お前はウチの子じゃない」と、野良猫を追い払うように、ドアを閉める行為と同じだ。 (・・・心のドアを閉めてしまった・・・だから・・・ソラは居たたまれなくなって逃げ出したんだ・・・) 直人はソファーに体を沈めて額を押さえた。 …ジットリ…と嫌な汗で指が滑る。 「・・・風呂に入るか・・・」 声に出して言ってみる。 ここで落ち込むばかりでは、自分自身で希望を捨ててしまうような気がした。 気晴らしに、誘われていた集会に、参加しただけかも知れない。 気が済めば帰ってくる、と信じたい。 帰ってきた時、ソラを抱き締め、いい香りのするソラの髪に顔を擦り付けてやろう。 思う存分、柔らかなソラの髪に頬ずりして、行き違ってしまった心の縺れを解こう。 直人はソファーの背もたれに張り付いている体を、無理矢理引き剥がした。 たっぷりのお湯にゆっくり浸かり、時間をかけて体を丁寧に洗う。 決して時間を引き延ばしているんじゃない、と言い訳しながら・・・。 それでも、耳はいつも玄関へと向いている。 ドアの開く音、「ただいまぁ〜。」の声を待ち望んでいる。 期待を裏切られるのが怖いから、無理して”意識してない”と自分自身を騙してみても、逆上せ気味に風呂から上がった時、静まり返った空間に、また目頭が熱くなった。 バスタオルで乱雑に髪の水気を拭き取りながら、ついでのように顔を押さえる。 髪の滴が目に入っただけ・・・。 と、ふと視線を向けた鏡に、惨めな顔が写っていた。 長湯で湯当たりでもしたのか、頭痛がする。 サウナはもっと長い時間でも大丈夫なのに、長湯は苦手だった。 冷たい水を飲もう、と冷蔵庫を開けると、飲みかけのワインボトルが目に入った。 いつ開けたのか記憶がはっきりしない。 ソラと暮らすようになって、夜にアルコールを摂取しなくなっていた。 「ナァ〜ォ…ナァ〜ォ…」とよく喋る猫を相手にしていると、どんな仕事の疲れも忘れてしまう。 気持ち良さそうな寝息が聞こえてくると、直人も自然と睡魔に引き込まれた。 微かに微笑むようなソラの寝顔を見ていると、どんな奇跡も夢も信じられる気がした。 ・・・空を眺めるのが好きだったソラ・・・ 月光を浴びて、月の魔力に恋するように、飽きずに眺めていた。 ・・・ソラ自身が輝く星なのだと、気付きもせずに・・・ 不意に直人の胸に激痛が走った。 このままソラを失ってしまうのかも知れない、と認めずにいた事実が襲いかかってきた。 直人はボトル用の栓を開け、ワインを瓶のまま口に付け煽った。 味も香りもわからない。 天井に顔を向け、ゴクゴク、と喉を鳴らして飲み、込み上げる嗚咽を流し込む。 「・・・ッ・・ブフォッ・・・ゲホッ・・・」 無理矢理飲み込もうとした嗚咽が吹き出した。 首に掛けていたタオルで、ワインが零れた顔を押さえ・・・堪えきれずに噎び泣いた。 翌朝、直人はソファーで目を覚ました。 ソラのいないベッドで寝る気がしなかったのだ。 カーテンを全開にし、星空を眺めながら、新しく開けたワインをカラにしたのは覚えている。 もう一本開けようかと思ったが、面倒なのでそのままソファーにもたれている内に、眠ったらしい。 眩しい朝日が目覚まし時計の代わりをした。 (・・・・・・・・・・朝か・・・・・・・・・・) 直人は怠い体を起こし、ソラが帰ってないだろうか、と確認しながら、各部屋の灯りを消していった。 ソラの姿はなかった。 (・・・本当にもう帰って来ないのだろうか・・・) 「・・・どうしようもないか・・・」 いつもの口癖が無意識に口から零れた。 いつも、そう呟いて、憤りも、やるせなさも、納得いかない全ての思いを諦めてきた。 (・・・それでいいのか?) 「いいわけがないだろ!」 虚空に叫ぶ。 「どうしようもない」は「どうでもいい」の同義語だ。 諦めてしまったら、そこで全てが終わりだ。 (ソラを探そう!) 「僕の幸せを見届ける、と言った約束を忘れるな。」 (・・・ソラといることが、僕の幸せだった・・・) ソラを何としても見つけ出し、どうしても言わなければ気が済まない言葉がある。 「・・・ソラ・・・」 (・・・お前を愛している。) 直人は目を閉じて、深く深呼吸した。 もう、泣いて弱気になったりしない、と心に誓う。 例え何年かかろうと、必ずソラを見つけ出してみせる。 眩しい朝日の中、目を開けた直人の顔には、強い意志が漲っていた。 手がかりは何と言っても、県内最大という暴走族集団『火龍会』。 だが、活動拠点もリーダーの名前も知らない。 ”ゼロ”というのは通称であって、本名ではないだろう。 ”ソラを探す”と決めても、仕事をさぼれる訳がない。 しかも、”どんなに時間がかかっても”と決めている以上、生活基盤はしっかり確保しておくべきだ。 ソラが戻ってきた時、養ってやれないプー太郎では困る。 ・・・という訳で、直人はいつものように会社に出勤していた。 昼休みにはいつもの『MilkyWay』に顔を出す。 「マスター。・・・マスターは暴走族とか、ご存知ですか?」 食後のコーヒーを飲みながら、マスターの手が空くのを待っていた直人が聞いた。 「いやぁ・・申し訳ないけど、その方面には疎くてねぇ・・・」 マスターが眉を曇らせ首を振る。 マスターには今日の開店時間に、ソラが手伝いに行けないことだけ、電話で連絡しておいた。 忙しそうなマスターにそれ以上は聞けない。 直人は「そうですよね。」と笑みを浮かべて頷いた。 マスターも、「暴走族らしい客が来て、ソラに絡んでいた」ことを源川司から聞いていたので、何かあったのでは、と気懸かりそうにしていたが、ソラのいない穴を埋めるのに忙しく、思うように直人と話が出来なかった。 が、ハタと思い付いた様子で顔を上げ、直人の前にきた。 「そう言えば、司君なら何か知ってるかも知れませんね。」 「・・司君が?」 「ええ。彼は一級エンジニアを目指して勉強してますし、講習がない日の昼間は修理工場でバイトしてますから、その方面の情報も入ってくるでしょう。」 「・・あぁ・・・そうか・・・」 直人も以前、司が「いつかはレーシングマシンの修理スタッフになりたい」と言っていたことを思い出した。 「ありがとう、マスター。仕事帰りに寄って、聞くことにします。」 細い糸からでも情報を手繰り寄せたい。 直人は一縷の望みを抱き、コーヒーを飲み干した。 そして、お約束の仕事帰り。 残業で会社を出たのは夜10時近かった。 『MilkyWay』のドアを開けると、司が暇そうにグラスを磨いていた。 この時間帯になると急ぐ客もなく、音楽とコーヒーの香りとゆったりとした雰囲気を楽しみに来る客ばかりで、従業員ものんびりしている。 「あ、佐田さん。いらっしゃいませ。」 そう言った司が、カウンター席に座った直人に顔を近付け、妙に真剣な表情で、 「マスターから聞きました。ソラ君が帰ってないとか・・」 と、声をひそめて言ってきた。 「・・あぁ・・・昨日、ここの帰りがけ、表の通りにあの男が待ってたようで・・・」 直人は、詳しい説明は語尾を曖昧にして誤魔化した。 「だったらヤバイっすよ。」 「・・そうだよなぁ・・・おそらく暴走族だろうし・・・」 「いえ、そうじゃなく・・・昨夜、相当大掛かりな取り締まりがあったんですよ。ご存知なかったんですか?」 「・・・えッ?!!」 直人は冷水を浴びせられたように、全身から冷や汗が吹き出した。 「今朝、ラジオのニュースで言ってたっすよ?」 直人は言葉が出ず、強ばった顔で「聞いてない」と首を振った。 「かなり検挙されたとか・・・で、怪我人もかなり出たとか・・・警察の強行手段が行き過ぎたんじゃないか、とかって・・・」 直人は目を見開き、席から立ち上がった。 「わかった。・・警察に行ってみよう。」 「ぇ・・・ぁ・・・気を付けて。」 司は店を駆け出していく直人に声を掛けた。 直人は閉まり掛けるドアの向こうで軽く手を挙げていた。 警察署の前は、マスコミが集まって混雑していた。 警察官が警備に出ていて、おいそれとは近付けそうにない。 「・・あ・・あの・・・通して貰えませんか?」 「下がってください。今夜の記者会見はもう終わりです。」 「いえ。身内の者なんです。」 「・・・・・は?」 押し合い圧し合いの中、玄関前で警察官に押し戻された直人は、咄嗟にそう答えていた。 と、それまで競争するように張り合っていた周囲の男達が、メモとペンを持って直人を取り囲む。 「お子さんですか?」 「怪我をされたんですか?」 「今回の警察の行為をどう思われます?」 「むしろ親として、子供を放置している責任をどうお考えですか?」 矢継ぎ早に質問を浴びせられる。 慌てた警察官が、 「勝手な質問は困ります!」 と、記者に向かって怒鳴り、直人の腕をつかんでグイグイと警察署内に引き込んだ。 署内に入ると、別の警察官が直人の応対に当たった。 「ご子息のご氏名は?」 「・・・え・・・あ・・・いえ・・・息子ではないんですが・・・」 「・・・はい?」 事務的な声が低くなり脅しが掛かる。 眇めた視線が、「ただでさえ忙しいのに」と言っている。 「・・いえ・・一時的ですが預かってる子が・・・もしかして悪い誘いを受けてないかと・・・」 勢いで警察署まで来てしまったが、いざとなると説明する言葉が見つからない。 あの”ゼロ”が率いるグループが検挙されたのかどうかも確証はなく、無闇にソラの本名をここで言っていいものか、と迷う。 「・・・捜索願いですか?」 警察官が迷惑そうな顔をする。 「保護者の方にはすでに連絡してあります。お宅は連絡を受けてますか?」 「・・・・・・・・・・ぃぇ・・・ですが・・・」 直人はどう説明すべきか、乱れた前髪を後ろに撫で上げながら言葉を探す。 警察官は仕方なさそうに、 「黙秘して身元を明かさない少年も数名残ってますが・・・何か特徴は?」 と、質問をしてきた。 「あ、はい。・・真っ青な空色の目をした少年なんです。」 「・・・ほぅ・・・」 腕組みをした警察官が、探るような視線を直人に向ける。 「・・15歳なんですが・・大人びて見えたり、子供っぽかったり・・・」 「まぁ、難しい年代ですがね。・・で、何故、その少年が今回の一件と関わりがある、と思われたのですか?」 「それは・・・族関係の友達がいるので・・・」 「・・・なるほど。・・・しかし、それだけではねぇ・・・」 「族のリーダーはゼロとか・・・」 県内の暴走族と言っても、一つではないだろう。 ”ゼロ”が関わっているのかどうかだけでも知りたかった。 「え・・ゼロだって?!」 警察官の顔色が変わる。 そして、「ちょっと待ってるように」と言って、二階に上がって行ってしまった。 (ゼロの名前を出したのは、マズかったんだろうか・・・) 不安にかられながら廊下の隅に佇んでいると、さっきの警察官が私服の男と下りてきた。 私服刑事だ。 「どうも。私、杉山と申します。少しお話をお聞かせください。」 そう言われて、直人は小さな部屋に案内された。 簡素なソファーとテーブルがやっと置かれているような部屋だ。 多分、被疑者の親などが待たされる時に使用される部屋だろう。 「ご子息がゼロと関わっておられるとか・・・」 そう聞かれて、直人は眉を寄せた。 (そんなに老けて見えるのか?) まだ31歳の直人にとって、子息と簡単に思い込める相手の目を疑う。 と、その時、廊下で騒がしい音がして、「ウチのバカ息子はどこにいやがる!ブン殴ってとっちめてやるぜぇ!」と若い声がした。 直人が驚いて目を瞬かせていると、 「あ・・・失礼しました。ご子息ではなく、身内の方でしたね。補導した少年の中には小学校を卒業したばかり、なんて子供もいますし、あのように親御さん自体が若い方も多いので、こちらとしてもすぐに判断がつかないんです。」 と、苦笑して言った。 「・・・はぁ・・・そうですか。」 確かに18歳で子供が出来れば、そのくらいの子供の親になっていても不思議はない。 直人は改めて、警察が子供を相手に苦慮している事情を理解した。 やることは凶悪でも、逮捕ではなく補導と言わなければならず、思うような事情聴取も出来ないで、扱いが難しい。 野放しにしておけば非難され、強攻策に出れば出たで問題視されてしまう。 直人はつい同情を覚えて、杉山という刑事を見ながら頷いていた。 杉山は直人の真摯な態度や口調から、信頼出来るものを感じ取ったようで、苦笑を穏やかな笑みに変え、背筋を伸ばした。 直人もちゃんと身元を明かして話を聞くべきだろう、と杉山に名刺を渡した。 「ほぅ・・・あの佐田建設の・・・」 杉山は名刺と直人の顔を見比べて、こんな所で遭遇するのは意外だ、と言いたそうな顔をしている。 「佐田さんと仰るということは・・・佐田財閥のご子息ですか?」 (こんな地方でも、多少の名士は財閥と呼ばれてしまう・・・やれやれだな。) 「いえ。社長は叔父です。僕は普通のサラリーマンですよ。・・そう印刷してないですか?」 ほんのジョークだった。 が、杉山は名刺を裏返し、 「・・・どこにもそうした表記はないですねぇ・・・」 と、返事をした。 直人が今更「冗談だ」とも言えず首筋を掻くと、「ハハハッ。」と杉山が笑ってウィンクをした。 警察にも、ジョークをジョークで返す人物もいるのか、と直人はホッとし、警察署に乗り込んできた時の緊張が解れてくるのを感じた。 しかし、飲み屋で会ってる訳ではないので、早速本題に話題が移った。 「それで・・・佐田さんはゼロという男をご存知なのですか?」 「・・知ってると言えるほどではないんですが・・・預かっている少年から、名前を聞いたことがある、という程度です。」 「・・・そうですか。ゼロは我々もずっと追っている奴ですが、なかなか捕まえられないんです。アイツがいる限り、火龍会は潰せないですからねぇ。」 杉山は悔しそうに首を振る。 「それじゃ、今回も・・その火龍会を狙って?」 「上の方から情報がありまして、強攻策で壊滅しろ、と・・・あッ・・・これは内密に・・・」 直人に親近感を感じた杉山が、つい裏事情を話してしまい、口元を押さえた。 「もちろん、口外はしません。僕はソラがこちらにお世話になってないかを、お聞きしたいだけですから。」 「ソラ?」 「ぁ・・・もし、僕の勘違いだと、預かっている責任上、名前を出すのは・・・と、申しますか、僕は彼をソラと呼んでいますので・・・」 直人はまた説明に苦慮して、閉じた瞼を指先で押さえ、溜息を吐いた。 「・・・某財閥の御曹司のことですか?」 意外にも、答えが杉山の口から小声で零れた。 直人は、ハッ、として目を開け、杉山を見つめた。 簡素な応接セットのソファーに座る杉山が、座る位置を前にズラし、身を乗り出した。 向かい側に座る直人も体を傾ける。 「青い目の少年、と伺い、もしかすると、と思ってましたが・・・」 「・・・・・はぁ・・・・・」 「もちろん、青い目は御曹司だけではありませんが、彼ほど印象的な目は他にありませんからねぇ・・・」 「・・・刑事さんも会ったことがお有りですか?」 「クククッ。一度、補導したことがあります。」 (アッチャァーーッ・・・あのバカ・・・) 直人は再び瞼を手で覆った。 「それで、海外で教育を受けられた等の事情を伺いまして、社会勉強の一環として自由にさせてますので、よろしく、と頼まれました。」 「・・・・・そうですか・・・・・」 (警察は承知していたのか・・・) 直人は力無く溜息を吐きながら頷いた。 「ですが、御曹司がゼロと関わっているとなると・・・本庁から、わざわざこんな地方の暴走族を取り締まるように、言ってきた理由がわかりますねぇ・・・」 杉山も溜息を吐く。 「・・・それで・・・ソラは?」 「ゼロは捕獲出来ませんでした。御曹司がゼロと一緒だとすると、何処かに身を潜めているんでしょうか・・・坊ちゃまの気紛れというか、冒険にも困ったものですね。」 杉山は肩を竦めて、疲れた笑みを浮かべた。 「自分もしがない一塊の警察官ですよ。・・・どうやら大目玉をくらいそうです。」 「・・・上はいつも無理難題を押し付けてくるものです。」 「お気持ちは察します。」と言葉にはせず、表情で伝えるように頷き、 「わかりました。・・どうもお世話になりました。」 と言って、直人は立ち上がった。 杉山は、 「ゼロの正体はわかっているんです。・・が、如何せん捕まえるだけの証拠がなくて・・・」 と、直人にゼロの氏名と住所を教えてくれた。 「ありがとうございます。」 直人はメモを握り締め、心から感謝を言うと、警察署を後にした。 警察署を出た時はすでに11時を過ぎていたが、寝ているなら叩き起こしてもソラの所在を確かめようと、直人はメモにある住所に向かうことにした。 『MilkyWay』から警察署まで走って来たので、直人の車はまだ会社に置いてある。 直人は大きな通りでタクシーを拾って、住所を告げた。 混み合った下町にある工場。 その裏手にあるアパートの一室がゼロのねぐらだという。 入り組んだ細い路地は、風の通りが悪いのか、空気が淀んで感じる。 得体の知れない異臭もしてくる。 小さな外灯一つだけの薄暗い家並みは、すでに深夜ということもあり、灯りの消えている窓が多い。 どの家々も古く煤けて色を失っている。 灯りが漏れる窓からも、活気のある笑い声は聞こえてこない。 下町全体を荒んだ空気が覆っているように感じるのは、直人がそうした生活を知らないからだろうか。 工場の高い屋根が、自然の恵みである太陽の光さえ奪っているのだろうか。 月明かりで空は冴え冴えと澄んでいるのに、月も見えない町は暗く沈んで見える。 (・・・平等って一体何だ?) ソラを探すのが目的であることは忘れていないが、足を踏み入れた町の様子に、つい胸を痛めてしまう。 こんな環境で生まれ育ち、常に満たされず、喧噪と絶望の中にいたとしたら、平和な顔で笑っている人々を恨むようになるかも知れない。 誰彼なく威嚇して、絶望と恐怖の叫びを、知らしめてやりたくなるかも知れない。 直人は、ソラを追い続けるゼロの執着が、少しだけわかる気がした。 (・・・ソラは星・・・夢を紡ぐ明けの明星・・・) いつか目映い光を浴びたい、と潜在意識下にも、ソラの持つ輝きに憧れずにはいられなかったのだろう、と思う。 直人は自分がソラを探す正当な理由を見失ってしまった。 それでも、直人はソラを見つけ出したかった。 ソラを傷付けたままにしたくない、とか、「ここに居場所がある」と言いながら突き放した裏切りを謝罪したい、とか・・・色々理由を探してみるが、本当の理由は一つ。 言えずにいた「愛している。」という言葉を、どうしても言いたかった。 何の正当性もない。 ただ、直人自身のエゴでしかなかった。 (・・・愛とはエゴイズムだ・・・) だから、ソラ自身、みんなから愛されながらも、苦しんでいたのだろう。 直人は自分のエゴを自覚することで、心が洗われていくように、冴え渡っていくのを感じた。 透明になった心に灯るのは、ソラへの愛。 赤々と燃え上がる愛。 ゼロにとって、どれほどソラが必要な存在であろうと、ソラをカイトと呼んだ男が、どんなに悲嘆にくれようと、直人は自分自身の為にソラに伝えたかった。 「愛している。」と・・・。 直人は目的のアパートを見つけ、階段を登り、メモにあった部屋番号のドアを叩いた。 《…コンコン…コンコン…》 ・・・返事がない。 深夜なので控え目に叩いたが、もう少し強くドアを叩いてみる。 《…コンコン…コンコン…》 ・・・やはり返事はない。 直人はドアに耳を近付け、中の気配を探る。 シンと静まり返っている空間には、寝息さえないように思えた。 (・・・出掛けているのか?) 夜に動き回るのが習性になっているなら、深夜過ぎでもまだ出歩いている可能性が高い。 どうしようか、と迷った直人は、階段を下りた所で、ゼロが帰るのを待つことにした。 ・・・ドガッ! いきなりの衝撃だった。 屈んだ態勢のまま階段下のジャリに倒れ込んだ。 尖った小石が顔に当たる。 息が止まりそうに感じ、「ぅぅぅ・・・」と直人が呻いた。 「てめぇッ!こんな所で何してやがるッ!」 声が頭上から降ってくる。 直人は肘をついて、どうにか顔を上げた。 暗闇の中を襲われたと思っていたが、瞼を開けると、もう辺りは薄明るかった。 ゼロを待つ内に、眠ってしまっていたらしい。 「・・ぅぅ・・・ソ・・ソラは?」 蹴られた脇腹を押さえて、ようやく体を起こした直人は、ゼロの周囲に視線を巡らせた。 「・・・ケッ。・・・知らねぇよ。」 ゼロは忌々しそうに唾を吐き捨てると、階段を登っていく。 《…カンッ…コツン…カンッ…コツン…》 ギブスをした足を杖で支えて、ゆっくり上がっていく。 「待てッ。・・待ってくれ。ソラと話がしたいんだ。」 直人が手摺りにつかまり、ゼロを追おうとすると、見下ろすように振り返った。 「だから知らねぇって言ってんだろッ。」 「知らないはずがないだろ?あの時連れ去ったじゃないか。」 直人は諦めない。 ゼロはウンザリした顔で、 「集会は一緒だったさ。・・けど、マッポの邪魔が入って散り散りになった時、気が付いたらルシファーの姿も見えなくなっていたぜ。・・・怖くなって逃げ出したかと思っていたがな・・・あんたが知らねぇなら、俺にもわからねぇな・・・」 と言うと、暗い表情でまた階段を登っていく。 「・・・だったら・・・何処にいるんだ?」 「だから、こっちが聞きてぇくれぇだぜ。・・・ルシファーに、あんたには手を出さない、と約束してたが・・・今日にでもあんたを締め上げて、ルシファーの居場所を吐かせようと思ってたんだ。・・・あんたの所にもいねぇなら・・・何処を探せばいい・・・また探さなきゃならねぇのか・・・」 最後は独り言のように呟くと、ゼロは階段を登りきり、部屋の鍵を開けて入ってしまった。 (・・・ここにはいないのか・・・?) 嘘をついているようには見えなかった。 現にゼロは一人きりで部屋に入っていった。 疲れた虚ろな目が、何よりソラを失った悲しみに見える。 直人は、ソラがマンションに戻っているのかも、と考え、急いで帰ることにした。 マンションに戻り、部屋を隈無く探す。 だが、ソラの姿はなく、昨日の朝、直人が出掛けた時の状態のままだった。 (ソラ・・・ソラ・・・一体何処にいるんだ?) もう泣かないと決めてある。 諦めずに探すと心に誓った。 直人は崩れそうになる体にムチ打って、熱いシャワーで体に気合いを入れた。 仕事に出掛ける前に、内藤に電話して聞いてみた。 ソラの世話役だという紳士と面識があるなら、何か知っているかも知れない、とわずかな希望に縋った。 内藤は渋々連絡先の電話番号を教えてくれたが、直人が掛けた時には「現在使用されてません」という案内が流れるだけだった。 某商事グループの研究施設を建設中の現場に出向いてもみたが、そこの責任者クラスではグループ筆頭である会長の動向を知るはずもなく、ましてその家族について何も知っているわけがなかった。 手がかりは全て途切れてしまった。 ソラが会員になったスポーツジムにも度々顔を出し、ひょっこり泳いでないかとプールを覗く。 ソラが顔を出したら連絡して欲しい、と頼んであるのだから、連絡がない以上いるはずもなかったが、それでも時間が許す限り立ち寄って確認してしまう。 満開の梅の花が散ってしまった。 (・・・ソラに見せてやりたかった・・・) ジョギングで立ち寄るたびに、高い小枝を見上げてソラを思う。 休みの日には、一日中、繁華街を歩き回って姿を探す。 冷蔵庫には、ソラの為の食料がいつも用意されている。 ソラを待ちながら、牛乳とジュースを飲み、また新鮮な食材を用意する。 水槽の熱帯魚も忘れずに世話している。 今となっては、ソラの愛した小さな魚達が話し相手だ。 「・・なぁ・・・お前達のパパは何処をフラフラ泳ぎ回っているんだろなぁ?」 (・・・もうすぐ桜も咲き始めるだろう・・・) 見事な満開の桜。 数日、深夜までの残業が続き、朝のジョギングが出来なかった。 やっと休みになった朝、久し振りのジョギングで公園に立ち寄った。 春の穏やかな風がそよぐと、チラッ…チラリッ…と花びらが舞い落ちる。 直人は大きな桜の木の下で深呼吸をした。 気分良くマンションに戻り、10階までの階段をステップで上がる。 適度な汗が春風を受けて心地いい。 (熱いシャワーでサッパリしよう。) 鍵を開けて玄関ドアを開くと、そこに見覚えのある靴が転がっていた。 直人がソラに買ってやった靴だ。 一瞬、幻覚かと思った。 (ソラがいるのか?!) ソラが帰ってきた夢を何度も見ては、目覚めて失望の溜息を吐いた。 迂闊に喜んでしまうことが怖い。 直人はドキドキ高まる鼓動を、胸を押さえて落ち着かせながら、ランニングシューズをもどかしげに脱ぎ捨てた。 リビングに入って部屋を見回すと、ソラが窓際のソファーで、長々と体を横たえている。 そっと足音を忍ばせて近付くと、小さな寝息が聞こえてきた。 間違いなくソラだった。 (・・・僕は・・夢を見ているんじゃないだろうな・・・?) 「・・・ソラ?・・・ソラなのか?」 声を掛けながら、体の一部に触れてみると、確かに手応えがある。 けれど、一向に起きそうもなく、呑気な寝顔をしている。 (・・・散々心配させておいて・・・) 「・・・・・ソラッ!・・・おいッ、起きろッ!」 怒ってはいないが、大きな声で呼び掛けた。 「・・・んー・・・っだよぉ・・・」 ソラが寝惚けた顔で目を擦る。 それから眩しそうに片目を開けると、 「あぁーーッ!」 と叫んで起き上がった。 直人は、ドキッ、として目を瞬かせる。 「ナーオ!お前、何処行ってんだよッ?」 (・・・・・それは、こっちの台詞だろーが・・・・・) 「朝はジョギングと決まってるだろ?」 「うわ、ズッルゥーーッ・・・一人で抜け駆けかよ・・・チェッ・・・」 ソラはそう言って伸びをすると、大きなあくびをした。 そして、凝ってそうもない若い首を回し、 「空港から徹夜で車を飛ばして戻ってきたから、疲れちゃったよ。」 と、ソファーから立ち上がって腰を伸ばした。 「・・・ソラが車を?」 「いや。運転は爺やだけど・・・」 (・・・・・だろうな・・・・・それにしても・・・) 「空港って?」 「なぁー・・・腹が減ったぁ・・・説明前に何か喰いたいぞ。・・・なぁー、ナーオ・・・」 (・・・・・やれやれ・・・・・) 感動の再会シーンなどあったものじゃない。 溜息を吐いた直人は、クスクスと笑い出した。 変わらないソラ。 いつもと同じ会話。 (・・・これでいい。・・・これで充分・・・いや、これが最高なんだ。) 「今、作ってやるから・・・顔くらい洗って来い。」 直人はソラの柔らかい髪をクシャクシャと撫でて言った。 バターとマーマレードを塗ったトーストに囓りつき、大きなコップで牛乳とジュースをお代わりして飲む。 カリカリベーコンとスクランブルエッグにサラダを添えて、簡単な朝食。 それでも、ソラは嬉しそうに食べる。 眺めているだけで、幸せが胸いっぱいに広がり、笑顔が溢れてくる。 「でさ、爺やが休憩しよう、って言い出すから、休むなぁー!って怒鳴ってやったり、・・運転してなくても大変だったんだぞ。」 「・・ふーん・・・」 どんな話でもいい。 目の前にソラがいることが嬉しくて、直人は笑顔で聞いている。 「だいたい島に戻って地獄の猛特訓をさせられたのだって、爺やが余計な告げ口をしたからなんだ。」 ソラは三枚目のトーストを囓りながら、眉を寄せて怒ってみせる。 「・・告げ口?・・・猛特訓?」 話が見えない直人はオウム返しに聞くしかない。 「人の尻馬に乗って悪いことをするな、って。悪事は罪の重さを知ってから、完全犯罪になるように緻密な計算と完璧な計画を持ってやれ、って。」 「・・・・・って・・・誰が?」 「だから、パパだよ。」 (・・・・・・・・・・どんな親だ・・・それは・・・・・??) 「・・・随分・・・変わった父君だな・・・」 直人は軽く眉を寄せ、苦笑を洩らす。 「そうか?」 ソラは指に付いたマーマレードを…ピチュッ…と舐める。 「んー・・・けど、パパはどれほど巧みに罪を隠しても、神の前では白日の元に晒されることを忘れるな、って。その時、胸を張って罰を受ける覚悟がないなら、善良に生きるのが一番だ、とも言うけどな。・・・やっぱ、変かな?・・・変かもな。・・・何しろ妖怪ファミリーだし・・・」 クックックッ……と悪戯っぽく笑う。 (・・・・・・・・・・それでいいのか?・・・・・わからない・・・・・) やはり、ソラの親も得体の知れない存在であり、ソラも不思議な少年だ。 「・・・島に戻ってるなら戻ってるで、一言連絡してくれたらいいのに。」 「出来ればしてるし・・・」 ソラはヒョイと肩を竦め、コップの牛乳を飲み干した。 「あぁ〜・・・お腹いっぱいになったし・・・寝よ・・・」 ソラは両手を上げて背中と胃袋を伸ばしながら、寝室へ向かう。 直人は飲みかけのコーヒーカップを持って、ソラの後を追う。 また何処かへ行ってしまわないか、と不安になったのだ。 「ハァァ・・・気持ちいいなぁ・・・ナーオの匂いがするぅ・・・」 ベッドに寝そべり、ゴロゴロと転がる。 それから毛布の端をつかんで引っ張り上げ、顔を押し付けて目を閉じる。 「・・・ソラ・・・話があるんだが・・・」 「俺もいっぱいあるぞ。・・・けど・・・眠いし・・・」 ソラは目を閉じたまま、毛布に顔を擦り付ける。 落ち着く位置が見つかったのか、ソラの動きが止まり、呼吸が安定していく。 眩しい光が差し込む寝室。 ソラの長い睫毛が頬に影を差す。 少し頬が痩せ、体が引き締まったように見える。 (・・・地獄の猛特訓って一体・・・・・いや・・・それより言わなければ・・・) 「ソラ・・・ソラ・・・愛してる・・・」 白く輝く頬を、指でそっと撫でながら、長く胸に溜め込んでいた想いを告げた。 「・・・ンー・・・俺も愛してるぞぉ・・・ムニャァ・・・アフッ・・・」 (・・・ぞぉ・・・ってお前なぁ・・・) 勇気を奮って告白したのに、寝言のように簡単に返されてしまった。 多分、ソラは何でも愛してるのだろう。 熱帯魚もコロッケも、古本屋のオヤジも・・・。 (フフッ・・・それでいいさ・・・今は、な・・・) 聞きたいことは山ほどあるが、今はここにソラがいるだけでいい。 愛の告白も、「お休み」の挨拶程度の扱いだが、それでいい。 光に包まれた空間で、今、この瞬間ほど、愛おしく満たされている時はない。 (何もいらない。・・・ソラさえいれば・・・) 直人はコーヒーカップをサイドテーブルに置き、自分もベッドに横になった。 ソラに添うように体を伸ばし、そっとソラの手を握る。 と、すでに夢を見ているような寝顔のソラが、軽く握り返してきた。 直人は静かに微笑み、目を閉じた。 (It is a happy moment at now. The boy who dreams is in the space which is full of light. ......Morning star is my "Dreaming Boy"......) 『Dreaming Boy』......end...... ![]() |
|
|
|