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Boy







★4★『Centurion Boy』



 ソラが熱を出した。
 40度近くあり、ぐったりとして辛そうだ。
 ベッドの隅っこで背中を丸めるようにして横たわっている。

 氷枕をし、手持ちの解熱剤を飲ませてみたが、一向に熱が下がらない。
 冷たいみぞれに濡れたことで、風邪を引いたのだろう、と思われるが、素人判断をするのは危険だ。
 それに、風邪だとしても、軽くみていると後で合併症を引き起こしたりする。

 とは言え、身元も判らずに病院へ連れて行って、診て貰えるだろうか・・・。
 「親はいる。」と言っていた。
 連絡した方がいいのかも知れない。
 直人自身で何とかしてやりたい気持ちはあったが、親の気持ちを思えばそれは許されない傲りだろう。
 直人は、毛布にくるまり目を閉じているソラの側に行き、絨毯に座ってソラの顔を覗き込んだ。

「ソラ?・・・何か飲むか?」
 サイドボードには、水とスポーツドリンクとリンゴジュースを用意してある。
 熱が出ている時は、とにかく水分を多目に摂った方がいい。
 けれど、飲む動作だけでも辛いのか、ソラ自身で手を伸ばすことはなかった。
「・・・い…い・・・・・」
 唇がわずかに開き、熱い息が零れる。
「・・・少しだけでも飲め。・・・な?」
 直人は胸が痛くなって、水のボトルにストローを差し、吸い口をソラの唇に押し当てた。
 ソラは何度か熱い息を吐いてから、やっと一口吸った。
 が、それ以上は毛布で口を覆い、飲みたがらなかった。
 (・・・どうしてやればいいんだ?)
 直人は何もしてやれない自分が情けなく悔しかった。
 側にいるだけで熱を感じる。
 (また熱が上がったか?!)
 直人はソラの汗ばんだ額に手を当て、唇を噛んだ。

 立ち上がり忙しく部屋中を見回す。
 (どうすればいい?)
 部屋を見回したからと言って、何かあるはずもなかったが、どうにかして救いの糸口を見出したかった。
 と、棚に乗せておいたままだった同窓会の案内に目が留まる。
 (そうだ!医者がいたな!)
 直人は急いで昔の卒業名簿を出してきて、そこの名前と住所を頼りに電話帳で探した。


「これでしばらく様子をみてくれ。」
 診察をし、注射を二本打ち、点滴を取り付けた内藤康介が言った。
「ありがとう。助かったよ。」
 直人はホッとした息を吐いて、笑みを浮かべた。
 内藤は横目でその顔をチラリと見ながら、
「まだ礼を言うのは早いぞ。熱が下がらなければ安心出来ないからな。その時はちゃんと病院で診て貰えよ?」
 と、厳しい口調で言う。
「・・・あぁ。」
「僕だって闇医者じゃないんだ。薬は管理使用が煩いんだから、いくら僕でも自由には出来ないんだぞ。・・・まぁ、今回は家族に使用したことにしておくが・・・」
「・・・スマン・・・」
 直人は眉を曇らせ頭を下げた。
 と、内藤は、
「・・ひとつ貸しが出来たな。フフン・・・」
 と、妙な顔をして笑った。
 直人は、はて?、と首を傾げたが、「点滴が終わるのを待つ間、コーヒーでも飲まないか?」と、リビングの方に誘った。


「それにしても・・・佐田が結婚しない理由に、こんな訳があったとはな。」
 内藤はコーヒーを一口飲んでから、片目を細めて言い出した。
「・・・は?」
「いくら深夜だからって、救急病院も当番医もいるだろ?・・それに身元を証せない、なんて・・訳ありだと、ピンとくるじゃないか。」
「・・・え・・・あ・・・いや、あの子は猫なんだ。」
「クスッ。・・・だから、ネコなんだろ?・・お前の・・」
 内藤は妙な笑みを一層濃くした。
「・・・・・え・・・・・」
 (マズイッ!・・・そーゆー意味合いもあったかぁ・・・)
「違うッ。猫じゃないんだが・・・猫と思って・・・」
「いいさ。どんな恋愛だって、僕は否定しない。」
 (いや、だから・・・違うんだぁーーー!)
「ただなぁ・・・まだ相手は少年だろ?その辺をちゃんと判って付き合っていけよ?・・本気で好きなら仕方ないが・・遊びで傷付けるようなことはするなよ?」
「・・・・・あぁ。」
 (いや、違うだろぉぉぉーー!!)
「ちょっと訳ありで預かってるんだが・・・自分のことをあまり話そうとしなくて・・・」
「・・・家出か?」
「・・・・・そうかなぁ・・・?」
「だが、今回みたいに病気の時に医者へ行けない、というのは困るだろ?」
「うむ。・・・確かにな。」
「恋人同士だと名乗らなくても、一度ご両親に挨拶をしておいた方がいいと思うぞ。」
 (グッ・・・頼むから、話をそっちに持っていかないでくれ!)
「いや。恋人じゃなく・・・」
「言い辛いのは判るよ。世間的にもまだまだ認知されないしな。・・・心配するな。僕はそんなに口の軽い奴じゃないさ。誰にも言わないから安心しろ。」
 (だから、それはお前の誤解なんだ!)
「なぁ・・・内藤・・・」
「お前のベッドだろ?・・・で、裸で寝てる子を見れば、僕がそっち方面に疎い方でも判るってものさ。」
 (・・・・・っだぁぁぁーーーッ・・・・・)
 直人はグッタリと項垂れて頭を抱えた。
 汗をかいたパジャマをソラが脱ぎ捨てたから、新しいのを着せてやろうとしたが、暑がって着なかっただけなのに・・・
 (・・・・・濡れ衣だ・・・・・)

「・・しかし・・・お前でもそんなに慌てふためき、憔悴した顔をするんだな。」
 内藤がポツリと言った。
 (・・・・・・・・・・・・・・・・え?)
 直人は顔を上げ、内藤の顔を見つめる。
「フッ・・・お前って、いつもどこか冷めてて、黙って人を見下してるところがあっただろ?」
 (だろ?、と言われても、自覚はない。)
「財閥一族だからな、って・・・みんな諦めてたが・・・今夜のお前はいい顔してる。・・・惚れた相手を思う気持ちが、痛々しいくらいだ。」
 (・・・いや、恋人じゃないが・・・そうなのか?・・・僕はそんな嫌な奴だったのか?)
「だから、その顔に免じて・・・と言うか、電話で必死に頼んできたお前の声に免じて、かな・・・今回のことは僕の一存で処理しておくよ。」
「・・・・・ありがとう・・・・・」
「いい気味だ。」
 (・・・・・・・・・・・・・・・・おい・・・)
 直人が目を眇めると、内藤は穏やかな笑みを浮かべ、コーヒーカップに視線を落とした。
 「いい気味」と言いながら、不思議と嫌味な感じはしない言い方だった。


 それからの一時間、不思議と和やかな時間が流れた。
 ソラが直人の恋人だという誤解は、結局最後まで解くことは出来なかったが、同窓会でも話したことがなかったお互いのことを、高校時代の思い出を交えながら話した。
 30代になって、それぞれ違う立場で色々なものが見え、感じるようになったことを、これほど素直にすんなりと話せるとはお互いに思っていなかった。
 内藤は、「あの少年が良くなったら、またゆっくり飲み直そう。」と言い、ソラの点滴を外すと、帰っていった。
 直人は、かつてのクラスメートが新しい友人になった気がして、少し嬉しかった。
 考えてみれば、自分が思っている自分とは、違う自分が相手の中にはいるのだ、と今更に気付き、一方的に相手を評価してきた自分を反省した。
 そして、相手の中の自分を認めることで、お互い腹を割って話せることもあるのだと知った。

 ソラは注射と点滴が効いたようで、穏やかな寝息をたてている。
 額にそっと触れると、熱もいくらか下がったようだ。
 直人は、無性に胸が熱くなり、涙が出てきた。
 恋愛感情とは違う想いだが、確かにソラを愛している。
 存在するだけで、こんなにも満たしてくれる。
 ソラの熱はソラ自身を苦しめ、直人を焦り困惑させもしたが、古き友との新しい出会いをもたらしてくれた。
 (幸せの招き猫・・・・・僕の・・・ソラ・・・・・)
 直人はソラの枕元に、涙に濡れた顔を押し付け、そのまま眠りに落ちていった。




 夜が明け、朝がきた。
 ソラはすっかり熱が下がり、機嫌がいい。
 直人は絨毯に座り込んだまま寝てしまい、また寝違えて首を痛めてしまった。
「なぁー、ナーオ。なぁーったら、ナーオ。」
 (喧しい猫だ・・・)
「・・・ッテテテ・・・はぁぁ・・・疲れた・・・」
 痛む首筋を手で押さえながら、解すように回す。
「なぁー、お腹空いたぞ。」
 ベッドに起き上がり剥き出しの上半身を左右に動かし運動をしている。
 直人は顔を擦った手で前髪を後ろに撫でつけ、ソラの赤ん坊のような肌を恨めしそうに眺める。
 (この肌のせいで僕は誤解されたんだぞ・・・)
「いくら熱が下がったと言っても、薬が効いてるだけだろ?いきなり無茶はするなよ。」
「・・・腹ぁ〜〜・・・」
「わかった、わかった。今、おかゆを作ってきてやるから・・・大人しく寝てろ。いいな?」
「えー・・・おかゆ・・・・・・嫌いだ・・・」
「嫌いでもおかゆが一番だぞ?」
「シチューの残りがあっただろ?俺、それがいい。」
 ソラはそう言って毛布をはね除け、ベッドから飛び起きた。

 (うわッ・・・・・・)
 全裸のソラを目の当たりにして、直人は思わず目を塞ぎたくなった。
 あまりの美しさに・・・だ。
 まだ完成はされてないが、ギリシャ彫刻を思わせる均整の取れた体付きをしている。
 しかも滑らかなラインを象る肌は、何とも甘く香るシルキーミルクな輝き。
 目を覆いたくもなる。
 けれど、覆うことも出来ずに魅入ってしまった。
 と、グラリとバランスを崩したソラが、絨毯に倒れそうになった。
「ッ・・・ソラッ!」
 直人は咄嗟にソラの全身を背中から抱き締めた。
「・・・ぁ・・・・・地面が回るぅ・・・・・」
 ソラは直人の腕の中で呑気な声を出す。
「・・・・・だから無茶するな、と言ってるだろうが・・・」
 直人は、ゾクゾクと妖しい誘惑が体を駆け巡るソラの肌の感触を、(毛並みのいい猫)と言い聞かせ、ベッドに引き戻した。
「いいな?朝飯を作ってきてやるから、それまでそこを動くな。わかったか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ぅん。」
 ソラも思いの外ダメージのある自分に気付いたらしく、小さな声で答えた。


 昨夜の内に、米を水に浸しておいた。
 それを焚いて五分粥を作り、蒸らす間に自分の身支度をし、それからソラの体を熱い蒸しタオルで拭いてやった。
 お粥を食べさせるのに、裸で向き合うのもどうかと思われ、新しいパジャマを着せる為だ。
 ソラはまた少し熱が出てきたようで、もどかしそうな溜息を吐きながらも、大人しくされるままになっていた。

 お粥を茶碗によそい、レンゲで口に運んでやる。
 ソラはムスッとして嫌そうに啜った。
「・・何でおかゆが嫌いなんだ?」
「・・・・・だって・・・スッゲェー自分が病人っぽく思えてくるじゃん・・・」
「・・病人だろうが?」
「・・・・・弱い俺は嫌いなんだ。」
「・・強くても病気になる時はあるだろう?」
「・・・・・俺の周囲には病気になる奴は滅多にいない・・・」
「・・そうなのか・・・・・健康家族だな。ハハ・・」
 ソラはチラッと直人を睨んだが、それ以上は黙り込んだので、直人も先に食事をさせることにした。
 (家族のこと・・いや、家のことか・・・。身元が判らなければ医者にも行けないしな・・・聞かない訳にはいかないだろうが・・・)


 食事を終えて、ソラをいつも直人が寝ている方に移動させた。
 ソラが寝ていた方の毛布を上げておけば、少しは熱で出た汗が発散されるだろう。
 氷枕を新しくして寝かせてやると、直人は話の口火を切った。
「なぁ、ソラ。お前のことを教えてくれ。」
 ソラは目を細め、窓の外の空を眺めている。
「最低限でいいから。でないと、今よりもっと具合が悪くなった時困るだろ?・・僕も預かってる責任があるし、ご両親に申し訳ない。」
 そう言って直人が溜息を吐くと、ソラは空を眺めたまま、
「・・・ナーオが預かってるんじゃないぞ。俺が勝手に、いてやってるんだ。」
 と、ふてくされ気味に答えた。
 (・・・どーゆー言い分なんだ、それは・・・)
「・・どっちでも同じだろうが。」
「同じじゃない。ナーオには責任はない、って言ってるんだ。」
「責任はあるぞ?お前が仮に拾った猫だとしても、やっぱり責任がある。そーゆーもんだろ?」
「・・・・・猫じゃない。」
「だったら、余計に・・・心配してる家族がいるだろう?」
「・・・・・病気だなんて言えるか。・・・かえって心配させるし・・・」
「病気なのに知らないでいる方が、親としては辛いぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ソラは目を閉じ、パジャマを着ている腕で両瞼を覆った。
 すんなりとした高い鼻と、赤味のある繊細な唇だけでも、綺麗な子なのだと認識してしまう。
 小さな溜息と共に漏れる甘い息。
 朝日に透ける白い肌。
 直人は想像し得なかった存在の前に言葉を失っていた。

「・・・わかった・・・・・話すよ・・・・・」
 しばらく黙っていたソラだったが、ようやく目の覆いを外して直人を見つめた。
 深く青い目はサファイアのように透明な輝きを放っている。
 長い睫毛がゆっくりと瞬きをし、熱で上気した頬に影を差す。
 これほど魅惑的な少年が、何故・・・。
 直人は少年との不思議な出会いを思い出していた。
 と、ソラが、
「・・・実は・・・ウチの家族は・・・妖怪家族なんだ。」
 と、真っ直ぐな目を直人に向けて言った。
 直人は固まった。
「父親は大魔王で、母親は妖精で、弟はコロボックルで、叔父貴は大天使ミカエルで、爺はドラキュラとホムンクルスの双子で、他にもフランケンやら人魚や狼男やゴーレムやトロルや・・・そんな家族なんだ。」
「嘘つけッ!」
 直人は初めジッと聞いていたが、その内あまりにもヒドイ嘘に腹が立ってきた。
 ソラの頭を拳骨で挟み、グリグリとコメカミを捏ねる。
「あぁ〜〜ん・・・本当だよぉ〜〜・・・」
「じゃぁ、お前は?!」
「だから俺は・・・キャットマン・・・」
「・・・・・ソ〜〜ラ〜〜〜〜・・・・・」
「…クフン、クフン、、……何だよぉ・・・ちょっと見た目で紹介しただけじゃないかぁ・・・頭痛してんのにぃ・・・」
 頭痛と言われて直人は、ハッとして拳骨を離した。
「・・・ったく・・・頭痛してる時にわざわざ人をおちょくってるなよ・・・」
「・・・・・だってさ・・・ウチのことをあまり外で話すと、ドラキュラの爺やが怒るんだもん・・・」
「もう、いい。だったら、連絡先だけでも教えてくれ。保険証番号だけでも聞きたいしな。」
「・・・今、親達、日本にいないし・・・」
「え・・・いない?」
「・・・それに、俺もずっと外国の田舎で育ったし・・・保険証って何だ?」
「・・・・・は?・・・あ、じゃぁ、爺やさんは?」
 (しっかし・・・爺やがいるなんて・・・お坊ちゃまか?!)
「・・・ドラキュラだけに、どこにいるのかなんて俺にはわからないさ。」
「お前なぁ・・」
「だから、いいんだ。もう治るから、自分で治すから、俺のことは聞くな。」
 ソラは毛布を深く被り、直人に背中を向けた。
 (何なんだぁーーー!)


 直人は自分まで頭痛がしてきて、額に手を当てた。
 前屈みになると寝違えた首が痛い。
 頭痛と首の痛みと寝不足と・・・情けなさに打ちひしがれる。
 (結局、何にもわからないじゃないか・・・)
 と言うより、聞けば聞くほど訳がわからなくなる。
 (猫を理解しようとしたのが間違いなのか・・・)
 直人が力無く首を振った時、携帯電話が鳴り響く。
 (あ・・・会社か・・・)
「――はい、直人です。――あ・・石田君か・・・――いや。僕じゃないんだが、親戚の子が具合が悪くなっちゃってね・・・――親が外国に行ってる間、預かってるんだ。――あぁ。だから、今日は会社を休むよ。――え?――あー・・・その書類かぁ・・・――出来なくはないが・・・――それじゃ、午前中に仕上げておくから、取りに来てくれないか?――あ、それと来る時に買い物を頼みたいんだがいいかな?――あぁ、悪いね。――それじゃ、また後で電話するから。――」

「・・・ナーオ?」
 ソラが不安そうな眼差しを向けている。
「ん?」
「・・・仕事・・・行っていいぞ。」
 本当は心細いのだと、青い目が訴えている。
 直人は、フッ、と優しい笑みを浮かべ、
「心配するな。今日はずっと側にいるから・・・な?」
 と言って、ソラの前髪を後ろに撫で上げた。
 が、前髪の真ん中部分はすぐに額に落ちてくる。
 つむじの関係か毛の流れだろうが、その前髪がトラ猫の額の柄に見えてしょうがない。
 (子供の頃飼っていた、少しマヌケでドジなトラ・・・)
 ソラを猫の品種で想像するなら、血統書付きという気品ある顔立ちの猫を思い浮かべる。
 が、何故か性格は愛嬌のあったトラと重なる。
 直人がもう忘れていた昔を思い出しながら、ソラの髪を撫でていると、
「・・・ナーオ・・・」
 と、ソラ猫が寂しそうに鳴いた。
「ほら。根性で治すんだろ?だったら、出来るだけ寝て体を休めることだ。」
 (僕も書類をいそがないとな。)
 直人が自分自身の気持ちを切り替えるように言う。
「・・・わかった・・・」
 ソラは何度か瞬きをしてから目を閉じた。
 目を閉じると、光に溶けそうな顔になる。
 直人は立ち上がり、カーテンを閉めようとしたが、
「・・・開けといてよ・・・」
 と、ソラが言うので、そのままにして寝室から仕事場へと向かった。


 仕事を始める前に、内藤に電話した。
 「どうしても身元を明かさないので、申し訳ないが、薬を出して貰えないか?」という内容の頼みだった。
 内藤は往診に来てくれた時、「今回だけ」と言っていた割には、あっさりと引き受けてくれ、「看護婦に薬を持たせたから、午前中分はすぐ飲ませるといい。」と言った。
 その上、「午後にも、もう一度往診に行こう。」と言ってくれた。
 いくら旧交を温めたからと言っても、昨夜は薬事法違反に引っ掛かり兼ねない診察と処置に、かなり渋い顔をしていたのだ。
 (・・・何か変じゃないか・・・?)
 直人の心にそうした思いが過ぎったが、往診してくれた方が有り難いに決まっている。
 感謝の言葉を言って、電話を切った。

 看護婦は内藤が勤務している病院の制服姿で、内藤直筆の手紙を添えてある薬を届けてくれた。
 その上、「内藤先生から指示されましたので。」と、ソラの体温と脈拍と血圧を調べて、病院に戻っていった。
 (これじゃ、まるっきり公の診療行為じゃないか?・・・大丈夫なのか?)
 直人が薬に添えてあった手紙を読んでも、
{この薬は確かに僕の出した処方箋による薬だから心配するな。}
 とあるだけだった。

 しかし、確かに知らない者から渡される薬は怖い。
 病院名の入った捺印と内藤自身の印鑑が押されている手紙には、処方した薬の名前も記されている。
 直人は袋の中の薬と手紙に記されている物を見比べて確認し、ソラに飲ませてやった。
 程なく薬の効いてきたソラが静かな寝息を立て始めたので、見守っていた直人は安心して、本格的に仕事に取り掛かることが出来た。



 昼近くなって訪ねて来たのは、直人と同じ職場の石田陽子だった。
 玄関を開けた直人は、
「え・・・もう来ちゃったのか?・・・まだ仕上がってないんだけど・・・」
 と、戸惑った顔で招き入れた。
「どうせならチーフと一緒にランチしようと思ってぇ、早めに来ちゃいました。フフッ。」
 陽子は明るく笑って、興味深そうに部屋の奥へと入ってきた。
 以前に一度だけ会社からの届け物を持って来たことはあったが、その時は玄関先だけで中までは入らなかったので、直人の部屋の様子に興味があったようだ。

 直人は朝入れたコーヒーの残りを、
「悪いが、書類を仕上げないことには話にならないからな。こんな物しかないが、待っててくれ。」
 と言い訳しながら出した。
 陽子はニッコリ笑って、
「それより私にチーフのお昼を作らせてください。・・頼まれた買い物をするついでに、お昼用の材料も買ってきたんです。」
 と、やる気満々に立ち上がった。
「・・あ・・・いや、気持ちは有り難いが・・・」
 (いきなり他人に台所を使われたくないだろ、普通・・・?)
 (いや・・・普通は嬉しいのか・・・?)
 直人が返事に窮していると、陽子が首を傾げながら直人の顔を下から覗き込むようにして、
「手作りのミートソース、けっこう自信があるんですよ。チーフもお好きですよね?」
 と、目を得意げに細める。
 「好き」と聞かれて「嫌い」とは答えられない。
 現場先で一緒に食事することもあり、目の前でミートスパゲティを食べているのだから・・・。
「・・・まぁ・・・けどなぁ・・・僕も仕事に専念したいから手伝ってやれないし・・・」
「大丈夫です。女の勘でだいたいの場所はわかりますから。・・それに、必要な道具は勝手に探させて頂きます。ウフッ。」
 (・・・・・・・・・・・・・・・・はぁぁ・・・)
 積極的な性格が反映されて有能なのは知っている。
 仕事では多いに役に立つことだし、客受けもいい。
 が、(付き合っている訳でもない男の家で取る態度ではないだろう?)と言いたくなった。
 とは言え、頼み事をした直人としては弱い立場で、「迷惑だ」とも言えずに、
「・・・じゃぁ・・・頼むよ。」
 と答えるしかなかった。


 直人は何度も中断して捗らない仕事を仕上げる為、「呼びに来ないでくれ。」と釘を刺して仕事部屋へ向かった。
 昼を回り午後1時を過ぎて、ようやく書類が完成した。

 直人が仕事部屋からリビングに出てくると、ソラがカウチに座ってTVを観ていた。
「ソラ?・・・ちゃんと寝てなきゃダメだろう?」
 ソラはカウチに足を上げ、膝を両腕で抱えるように丸くなっている。
「熱は下がったのか?」
 直人はソラの額に手を当ててみた。
「・・・んー・・・まだあるぞ?・・・起きているのは辛いだろ?」
 ソラはふてくされた顔で黙っているし、これだけ話し掛けている直人を見ようともしない。
「・・・ソラ?」

「あッ、チーフ。待ってたんですよぉ。」
 陽子がカウンター越しに身を乗り出し、直人を呼ぶ。
「あ・・石田君、待たせたね。書類出来たから、部長に渡してくれ。今、電話で確認したら2時までに持ってきて欲しいそうだ。」
「はい、わかりました。・・・って、もうあまり時間ないじゃないですかぁ・・・せっかくチーフと楽しいランチをしようと思ったのにぃ・・・」
 (・・・病人がいるのに楽しいランチもどうかと思うが・・・)
「じゃぁ、早く食事にしましょう?」
「あ・・・先に食べてくれないか?僕はソラに食事させて薬を飲ませてからにするよ。」
「それじゃ、待っていた意味ないですぅ。」
 (・・・やれやれ。彼女の顔を立てるのも、仕事上のチームワークを崩さない為には必要か・・・)
 直人はTVしか見ようとしないソラに、
「一緒に食べるか?・・・起きれるなら自分で食べれるかな?」
 と聞いてみたが、やはり返事をしない。

 溜息を吐いて顔を上げると、陽子が直人を身振りで手招きしている。
 何かソラには聞こえないように話したいと言う素振りだ。
 直人が陽子の側に行くと、
「親戚の坊や、私が話し掛けても一切無視なんですよぉ。難しい年頃なんでしょうかねぇ?」
 と囁いた。
「・・・そうか・・・」
 (・・・坊や・・・と呼べるほど子供でもないと思うが・・・)
「あの年頃って、きっとシャイで無口なんですね・・・」
 (いや。ソラはお喋りだぞ。・・・でもまぁ、女性相手ではシャイなのかも知れないな・・・)
「・・・そうだな・・・」
 直人は眉を寄せ、考え込む。
「それよりチーフ。早く食べないと。・・部長に叱られるのは私なんですから。」
 陽子は直人の腕をつかみ、引っ張る。
「わかった。・・おい、カウンターは越せないだろ?今、そっちに行くから・・・」
 直人は苦笑し、カウンターを回ってキッチンテーブルの席に座る。

「・・・あ・・・美味いわ、これ。・・・へぇ・・・」
 直人は思わず感心して陽子の顔を見た。
「ウフッ。良かったぁ。」
「たまに挽肉とソースが口の中でバラバラになるミートソースがあるだろ?あれって腹が立つんだよなぁ。」
「でしょう?・・だからぁ、何度も練習してたんですよぉ。」
「・・・今日の為に?」
「アハッ。まさかぁ・・・いつか、チーフに御馳走出来たらいいなぁ、って思って・・・」
 陽子はテレながら、直人を上目遣いに見ながら瞬きし、
「・・・本当はもっと色々得意料理あるんですけどぉ・・・」
 と、物足りなさそうに付け足した。
「そうかぁ・・・なら、今度デザインスタッフみんなで野外パーティーでもしようか?石田君にも料理の腕を振るって貰って・・・」
「いいですねぇ〜、楽しそぉ〜。・・・でもぉ・・・チーフだけに御馳走したいなぁ・・・なんて。あー・・時間がぁ・・・急いで食べなきゃ・・・あ、チーフはゆっくり召し上がれ。」
「・・・なんか・・・こんな時で悪かったな。」
「いいえ。お役に立てて嬉しいです。」
 陽子は頬を赤く染め、少な目によそった自分の分を急いで食べ始めた。
 そして、先に席を立つと、直人がカウンターに置いた書類を持って、
「じゃぁ、これ。お預かりしていきます。」
 と、明るい笑顔で挨拶をして、会社に戻って行った。


 明るい笑顔が去って、どんよりと鬱陶しい空気を背負ったソラが、
「なぁー・・・腹が減った・・・」
 と、キッチンにやってきた。
「あぁ。待たせたな。今、おかゆを温めるよ。」
 直人が土鍋を火に掛け、中に卵を落とす。
 起きていられるなら、少しは栄養価のある物も摂った方がいいだろう。
 ソラは黙ってキッチンテーブルの席に座り、ぼんやり窓の外を眺めている。

「ほら、半熟卵だぞぉ?・・熱いから気を付けてな。」
 直人が茶碗によそって、ソラの前に置いてやると、ソラは面白くなさそうにお粥に視線を落とした。
「・・・ん?・・・何だ、ソラもミートスパゲティがいいのか?・・・消化悪いだろ?・・・まぁ、少しなら大丈夫か・・・」
 黙っているソラ相手に一人で喋りながら、ソラにもスパゲティを出そうと席を立ちかけた。
「・・・いらない。」
 ソラが不機嫌にボソリと言う。
「・・・まだ食欲ないか・・・」
 直人は浮かした尻をイスに戻し、残っていた自分のスパゲティを食べ始めた。
 ソラはムスッとしてお粥を口に運ぶ。
「それが食べられたら、薬を忘れずに飲むんだぞ?・・・午後にはまた内藤が往診してくれるそうだから、それまでは大人しく寝てること。・・いいな?」
 ソラは嫌そうに片眉を聳やかしただけで、ウンともスンともない。
 直人は仕方なく食事を終わらせ、新しくコーヒーを入れ直した。

 ソラの食事も終わり、湯冷ましで薬を飲ませる。
「・・・なぁー・・・アイツ・・・ナーオの彼女なのか?」
 湯冷ましの残りを不味そうに飲み干したソラが、呟くように聞いた。
「・・石田君か?・・・デザイン課の部下だが・・・」
「・・・・・”こんな時で悪かったな”で、悪かったな。・・フン。」
「・・・え?・・・あ・・・あれは社交辞令だよ。」
「・・・・・どーせ、俺は難しい年頃の、シャイで無口な坊やだよ。・・・チェッ・・・」
 (・・・しっかり聞いてたな・・・って、どこが無口だ?)
「お前、挨拶もしなかったのか?・・黙ってりゃ、無口と思われても仕方ないだろうが。」
 ソラは目を眇め、頬杖をついて窓に顔を向ける。
「・・・だって・・・いきなり知らない奴がいるし・・・」
「あ・・・そっか。石田君が来た時は、ソラは寝てたからな・・・」
「・・・彼女なら・・・俺・・・ここを出てってもいいぞ。」
 (・・・・・・・・・・・・・・・・ッな・・・・・?!)

 直人は体が硬直した。
 言葉の意味より、せっかく一緒に暮らし始めたものを簡単に投げ出せるような言い方をしたソラに腹が立ってくる。
「・・・お前・・・ふてくされるのもいい加減にしろッ。」
「・・・・・違ぅ・・・・・」
「お前が具合悪くて寝てる時に、知らない者を呼び入れて悪かったよ。・・けどな、それもお前についていてやりたいから、会社を休んだ為で、お前を邪魔にしたりしてないだろ?」
「・・・・・違ぅぅ・・・・・」
 ソラは窓から直人に顔を向けたが、視線はテーブルに向けている。
「何がどう違うんだ?ただ、機嫌が悪いだけじゃ、わからないだろうが?・・・それに、石田君は彼女じゃないが、大切な仲間だ。明るくていい子だぞ?何でそーゆー態度に出るかなぁ?」
 ずっとソラに気を使っていた直人だったが、腹立ちまぎれに厳しい口調で言ってしまった。
 ソラはうつむいていたが、
「・・・・・居場所がなくなる・・・・・」
 と、小さく呟き、ポトッ、と涙を落とした。
「・・・居場所・・・って・・・ここはお前と俺が暮らしてる部屋だ。誰に遠慮がいる?」
 (・・・いや・・・ちゃんと挨拶しろ、とか、機嫌良くしろ、と強要したら、それは遠慮しろってことになるのか?・・・そんなつもりじゃないが・・・わからない・・・)

「・・・直人に必要な相手なら・・・今度からちゃんと挨拶する。」
 ソラはテーブルに落ちた涙をパジャマの袖で拭いた。
 (・・・何で泣くんだ?・・・まるで別れみたいに・・・?!・・・別れ?!)
「おい。・・・ソラ・・・誤解するなよ?石田君は彼女じゃないし、この先もそうした感情は持たないだろう。トキメクならとっくに惚れてるだろうが?もう3年も同じ職場にいるんだぞ?」
「・・・どっちでもいいよ・・・」
 ソラはパジャマの袖で目を擦り、顔を上げた。
 いつもの強気なソラの顔がそこにあった。
 直人は怪訝に眉をひそめ、
「僕は不愉快だぞ?・・ただ、仕事の都合で部下が来たくらいで・・・」
 と話を続けた。
 すると、ソラは軽く肩を竦め、
「明るくて料理上手でいい子じゃないか。それにナーオに惚れてる。積極的なのも社会に馴染んでいい性格じゃない?・・・付き合えばいいのに。きっといい奥さんになるぞ。」
 と、笑って見せた。
「・・・余計なお世話だ。・・・どうせ、夢見がちな奴とバカにすればいい。俺は打算で恋はしない。世間体で結婚もしない。運命的な出会い、ってものを信じているんだ。」
「・・・・・ふーん・・・・・」
 ソラは興味なさそうにまた窓の外の空を眺め始めてしまう。

 (・・・貶されるよりはマシだな・・・)
 大概、そこで、「30歳を越えて言うことか?」と言われる。
 「そんな夢を思い描いている間に、すぐ歳を取ってしまうぞ。」と続き、「出会いがないまま、一生終えたらどうするんだ?」と呆れられる。
 (・・・自分を曲げるよりはいいさ。・・・夢を無くして、想像の世界の仕事が出来るか。僕はいつでも夢を大事にイメージしているんだ。・・・それを捨てたら・・・もうデザインは出来ない・・・)
 直人は冷めたコーヒーを、口に含むようにして飲んだ。
 それから、
「ソラ・・お前と暮らすのを楽しいと思ってる。・・それでいいだろ?」
 と、呼び掛けた。
 ソラは青い目だけ直人に向け、
「だったら、ここは俺のいられる場所にしてよ。外で誰と何をしようと、ここにいる以上に楽しいことをしようと、ナーオの好きでいいけどさ・・・ここだけは・・・俺の居場所にして欲しい・・・」
 と言ってから、また遠い空に目を向け、
「・・・でないと・・・俺にはいられない・・・」
 と、悲しげに呟いた。
「もちろん、ここは僕とソラだけの部屋だ。」
 直人は、ソラの青い目と、青い目に映る青い空に、引き込まれるように見つめながら答えた。
 ソラは、
「・・・俺の我が侭だってわかってる・・・だけど・・・」
 と、小さく息を吐き、
「・・・お前の心の一部分だけでも・・・俺が一番の場所がないと・・・俺はいられないんだ・・・」
 と、消えそうな声で言った。

 胸が締め付けられる。
 愛しくて愛しくてたまらない。
 これが女なら躊躇うことなく抱き締めていただろう。
 猫だっていい。
 猫の姿をしてくれていたら、迷惑がって蹴りを咬まされるほどに抱き締められるのに・・・。
 (・・・あぁ・・・これがあの男とソラが別れた本当の理由なのか・・・)
 あの男も同じ思いを持っていただろう。
 いつからソラが背を向けるようになったのか・・・
 ソラが「こうした方がいい」と言う通りにして、自分の方を向いて欲しかったのかも知れない。
 だが、結局ソラ・・・いや、カイトは出て行ってしまった。
 恋愛対象ではなくとも、切なく狂おしく愛していたのだろう・・・
 (・・・ソラ・・・ずっとここにいてくれ・・・)

 直人はソラに涙を見られたくなくて、席を立ち背中を向けた。
「・・・いつでも、どこでも・・・ソラが僕には一番だよ。・・・お前は僕が拾った猫なんだから・・・勝手にどこかに行くな。」
 そう言って背中で気配を探る。
「・・・・・ぅん・・・・・」
 ソラはコクリと頷いて、立ち上がった。
 直人は体を支えてやろうか迷いながら様子を伺った。
 ソラはカウチには行かずにベッドに戻るようで、寝室のドアを開けた。
 直人は、フゥーッ、と息を吐き、寝室のドアに隠れるソラの背中を見ていた。



 午後3時過ぎ、内藤が往診に来た。
「何度も来て貰って済まんな。助かるよ。」
 直人が感謝して言うと、内藤は困ったような笑みを浮かべ、
「佐田への友情と患者への奉仕精神を感じて・・・と言えればいいが・・・実は別のスジから、正式に診察の依頼が入ったものでね。」
 と、済まなそうに返事を返した。
「・・・・・は?・・・・・別のスジ?」
「そのことは後で話すよ。点滴を待ってる時間にでもな。」
 内藤に肩を叩かれ、直人は首を捻りながらも、寝室に案内した。

 ソラは大人しく寝ていた。
 が、注射をされた後、
「・・・明日も来たら、蹴り倒してやる・・・」
 と、睨み付けながら呻った。
「ハハ。・・それくらい元気になって頂ければ、伺う必要もないでしょうね。」
 内藤は気にせず穏やかに答え、
「あなたが落とされた財布・・・預かってきましたよ。」
 と、ポケットから小振りのお洒落な財布を取り出してソラに渡した。
「え・・・見つかったのか?」
 ソラは驚いた顔で中を開き確かめる。
 ソラが確かめたのは現金ではなく、カードだった。
 しかも、直人は見たことがない黒いカードが三枚。
 (・・・?!・・・黒って・・・センチュリオンか?!・・・上限なしの?!)
 噂だけは聞いたことがある。
 ゴールドカードより上のプラチナカードのはるか上にランクされ、資格審査が厳しいという黒のセンチュリオンカードだ。
 (・・・内藤もいきなり敬語使いだしなぁ・・・)
 直人は腕組みをして眉をひそめた。

「ハァァ・・・助かった。ありがと、先生。」
「いえいえ。頼まれただけですから。・・あぁ、それと・・猫は無事に戻ったから心配されないように、とのことです。」
 (・・・・・猫?!)
「そっか・・・何度か探しに行ったんだけどさ・・・弟が日本に帰った時、あの猫がいないと泣かれるし・・・」
 内藤はソラの話にどう納得しているのか、笑みを浮かべて頷いている。
「あまりお一人で無茶をなされませんように、と仰ってましたよ。」
「・・・・・ドラキュラが?」
「・・・クスッ・・・はい。」
 ソラは「チッ!」と小さく舌打ちをして、財布を枕の下に押し込んだ。
 内藤はソラに点滴の管を取り付け、
「一時間ほどご辛抱を。」
 と言うと、茫然自失の直人の腕をつかんで、寝室を出ていった。


「な・・内藤ッ・・・ど・・どーゆーことだ?!」
 直人がつかみかかる腕を払い、
「気持ちはわかる。・・が、落ち着け。また、美味いコーヒーを入れて欲しいな。でないと、話さないぞ。」
 と、軽く諫めた。
「・・・・・わかったよ。」
 直人は興奮と動揺で震える手で、新しくマメを挽きコーヒーを入れた。

「・・・んー・・・いいね。香りとコクが違う。マメがいいのかな?」
「・・・・・あのなぁ・・・・・」
 直人は焦れて膝を指で叩いている。
 内藤は何口かコーヒーを味わってから、
「・・僕も詳しくはわからないが・・・」
 と前置きしてから話し始めた。

――――――――――
 内藤の話によれば、直人からの依頼で往診した夜、帰宅して間もなく人が訪ねてきたという。
 礼儀正しく身嗜みも整った年輩の男が、「突然の訪問、申し訳ない。」と挨拶をしてから、「今、診察をした方の様子をお聞かせ願いたい。それと治療処方の継続もお願いしたく、伺いました。」と、丁寧に頼みこんだ。
 「若君は今、父君の御意向で修行中なれば、公には援助出来ませんが、治療費は全額保険なしでお支払い致しますので、よろしくお願い致します。」
 と、年輩ながら矍鑠として威厳のある紳士が言った。
 だが、言葉は丁寧でも氷のように感情の見えない冷たい眼をして、魂を吸い取られそうな雰囲気があった。
 内藤が不審がると、紳士は仕方なさそうに、簡単な事情を説明した。
 ――『某企業の研究プロジェクトの為の施設を造る計画が進行中であり、会長御一家も度々この地方を訪れている。
 そんな折り、若君の父君であらせられる会長が、「この程度の田舎ならそう危険はないだろう。」と母君を説得され、15歳の若君の一人暮らしをさせることに決められた。
 それでも母君が不安がるので、一応若君が帰れる家を購入し、時々は様子を見にくることでどうにか納得をさせた。
 ただ、納得をしても寂しさから塞ぎ込む母君の為に、父君が若君と同じ目の色をした猫を見つけてきて母君に贈られた。
 弟君がその猫を大変気に入られ、「ボクのにーたん」と宣言されたので、弟君の猫、ということになった。』――
 「そうして若君の一人暮らし・・と申しますか・・社会勉強の為の一人旅とでも申しましょうか・・・が始まったのですが・・・どうにも危なっかしい若君でいらっしゃいまして・・・」
 と、紳士は眉間のシワを指で押さえて溜息を吐いた。
 「街のヤンキーに喧嘩を売るわ、変な族には付け狙われるわ、財布を落とすわ、家に普通に戻ればいいものを忍び込んで猫を外に出してしまうわ、猫と一緒にゴミ箱に閉じ込められるわ・・・それも経験だろう、と会長は仰られますが、何かあった時に・・・いえ、何かあっては取り返しがつきませんし・・・今度はご病気になられ、心配で心配で身も細る思いです。」
 そう、いかにも頑丈そうな体躯を震わせて頼み込んできたのだという。
――――――――――

 直人は呆気に取られて聞いていたが、
「・・・その企業って・・・あれだろ?・・・『○商事グループ』・・・今、こっちの方で、そんな大きなプロジェクトを抱えてるのはそこくらいだしなぁ・・・」
 と、溜息まじりに言った。
「あぁ。僕も噂程度だが、聞いたことはあるよ。まさか、そこの御曹司だったとはな・・・」
 内藤も自分で説明しながら今更のように感心している。
 直人は大きく溜息を吐いた。
 (・・・はぁぁぁ・・・何とも・・・ゴージャスでセンチュリオンなお子様だ・・・)
 15歳と言われればそうも見えるし、もう少し上か、あるいは下にも見える時がある。
「・・・佐田も辛いな。」
「・・・・・関係ないよ。・・・僕には今でも猫のソラ・・・それでいい・・・」
「・・・しかし・・・あそこの会長は冷酷で厳しいと評判だろ?・・・一方で奥方には今でもベタ惚れで家族を溺愛していると聞くし・・・認めて貰うのは無理だろう?」
「・・・・・何を?」
「・・・だからいくら惚れてても、御曹司を自分のネコだ、って言えないだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・?!」
「僕は関知しないからな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・勝手にしろ。」
 内藤の誤解は解けそうにない。
 内藤は、あっそう、と目で答え、腕時計で時間を確認してから、手近にあった新聞を読み始めた。

 直人は内藤の誤解に舌打ちをしたが、心には嵐が吹き荒れていた。
 一緒に暮らしたいと思う気持ちは、恋愛感情に近いのだろうか・・・?
 (それにしても・・・何て相手だ・・・)
 直人はソファーにもたれ、目を閉じた。
 (・・・ソラ・・・ My sweet Cat Boy........but........What's a Centurion Boy........)

                       『Centurion Boy』......end......





by ゆう様☆