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![]() ★5★『X' Boy』 ![]() 直人が仕事に出掛けようと玄関で靴を履きかけた時、 「ナァーオ!ナァーオ!ナァーーオ!」 と、ソラ猫が喧しく鳴いた。 朝からの会議が入っていて会社に遅れる訳にはいかないが、ソラを放ってもおけず、リビングに戻る。 「どうしたんだ?」 ソラは水槽の前でガラスに額を付けている。 直人も顔を近付け中を覗いてみる。 ソラが今やったばかりの餌を魚達が元気に啄んでいる。 が、一匹だけほとんど体を横向きにし、微かに尾ビレを動かすだけで、餌を食べない魚がいた。 「・・・ぁー・・・これはもう、どうにもならないなぁ・・・」 直人が呟くと、ソラの体がブルッと震えた。 「・・・どうにもならないのか?・・・何でだ?・・・何でそんなことが言えるッ?」 ソラがキッと直人を睨んだ。 直人はすぐに返事が出来ず、言葉に詰まった。 自分が熱で苦しい時でも、水温・水質検査と餌やりを欠かさなかったソラだけに、納得出来ないのだろうか・・・。 魚の命を重んじるにしても、昨夜、子持ちししゃもを頭から囓ってたことを思うと、ここまで大袈裟に騒がなくても・・・と思ってしまう。 「うーん・・・多分・・・ご高齢だったんだろう。」 生まれつき弱い、というのは当たり障りがありそうで、一番無難な長寿を全うしたとも言うべき表現を選んだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・そうか・・・・・」 直人の作戦通り、ソラは反論出来ずに渋々納得の表情を浮かべた。 そして、水槽から顔を離し、その場に踞って膝を抱えた。 直人はソラの肩に手を置き、優しく撫でながら、 「・・今日は天気がいいらしい。もう風邪もほとんど残ってないだろうから、陽射しが暖かくなったら、散歩して気分転換をするといい。・・・この魚は夜までもつか解らないが、帰ったら僕が葬ってやるから・・・な?」 と、言った。 外見は大人顔負けの躰付きをしていても、心はまだ15歳という脆弱な子供なのだ。 目の前の死に直面するのは辛いだろう。 「・・・・・・・・・・・・・・・・ぅん・・・・・」 ソラは膝に顔を隠すように埋め、小さな声で答えた。 「じゃぁ・・・行って来るな?・・・なるべく早く帰るよ。」 ソラの返事はなく、直人はソラの柔らかい髪を何度か撫でると、立ち上がった。 直人がリビングから玄関への廊下に出る寸前、 「・・・行ってらっしゃぃ・・・」 と、ソラが寂しそうな声で言った。 振り返れば戻ってしまいそうで、直人は背中向きで手を挙げ、 「行ってきます。」 と、答えて玄関へ進んだ。 (今日は帰りにケーキでも買ってきてやろう。) 靴を履きながらそう考えた直人は、腰を伸ばして気持ちを切り替え、玄関ドアを開けた。 会議の後と昼休み、数回家に電話をしてみたが、ソラは出なかった。 ソラから電話する方法は教えてあるが、まだ直人からの電話に出るようには言ってなかったことに気が付いた。 (ソラ用の携帯を持たせるべきだな・・・) 直人はソラのことを気にしながらも、精力的に仕事を進めていった。 残業が日常化している勤務実態で定時に帰るには、昼食時間を減らしても仕事をこなさなければならない。 スタッフに眉をひそめられながらも、厳しい口調で尻を叩き、仕事のスピードアップを図った。 就業時間間際、部長が、 「悪いがこれも頼めるかな?」 と、厄介な図面計算を持ってきた。 (これはウチの課の仕事じゃないでしょうが!) とも言えず、直人は小さく溜息を吐き、スタッフの顔を見回すが、皆ぐったりした顔で視線を合わせないようにしている。 直人が仕方なくファイルを受け取ると、 「助かるよ。じゃぁ、明日の朝までに頼む。」 と言い残し、部長は帰ってしまった。 中途半端な責任だけを負わされる中堅社員の悲哀を背負い、直人はスタッフを帰して一人PCに向かった。 (・・・まぁ、二時間もあれば出来るか・・・) 愚痴っている間に仕事を進める方が早い。 直人は一心不乱に細かい計算を始めた。 一時間ほど経過した頃、石田陽子が差し入れを持って戻ってきたが、 「気持ちは有り難いが、休憩する暇はないんだ。今日は早く帰る、と約束してあるから、夕飯も用意してきてなくてね。」 と、丁重に断った。 「そんな心配しなくて大丈夫ですよぉ。今時、小学生だって適当に自分で何か食べ物を見つけますって。」 陽子が明るく笑いながら言う。 (・・・そうかも知れない・・・が・・・) 「・・約束というのはそうゆう問題じゃないだろ?・・・こっちの言い訳や勝手な判断は関係ない。相手がどう行動するか、も結果論だ。約束したことは最大限努力して守る。・・・人としても仕事上でも、基本だと思うぞ。」 妨げられる時間を気にして厳しく言い過ぎた。 陽子の顔から笑顔が消え、 「・・・済みませんでした。」 と、小声で言うと、ペコリと頭を下げて帰っていった。 項垂れた後ろ姿を見送り、直人は(またやってしまったか・・・)と眉間を指でおさえた。 ――直人の父親は豪傑な男だ。 開業医をする傍ら、空手道場で師範もしている。 患者には柔和で優しいが、一方で息子の直人には厳しかった。 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」をモットーに、「心・技・体」を磨く修練を朝晩の稽古で叩き込まれた。 その父が「嘘を付くな」「人を騙すな」「出来ない約束をするな」と常に言っていた。 そんな厳しく頑固な父親に反発して、医者への道には進まなかった。 就職と同時に家も出た。 ・・・最近は父も歳を取り、孫が出来たせいもあるのか、人当たりが良くなった。 何故自分ばかりに厳しいのか、と倦厭していた時期もあったが、今は、息子だからこそ唯一自分の目指す夢を託したかったのかも知れない、と思うようになった。 そして、反発していた父と同じような考え方になっている、と気付かされる時、 (三つ子の魂、百まで・・・か・・・) と、嫌が応にも父の息子であることを思い知らされる。―― (そう言えば・・・「弱き者を助けろ」とも言っていたな・・・) (・・・矛盾するじゃないか・・・)と、直人は腕組みをする。 どうみても石田陽子はか弱き女性だ。 親切で気遣ってくれたのを、説教して追い返してしまった。 自分を曲げたくなくて言った言葉が刺となって、弱き者に突き刺さる。 (・・・・・やれやれ・・・・・) 直人は溜息を吐いて苦い後味を飲み込み、余計な時間を費やしてしまったことに焦りながら、仕事を終わらせるべくPCに向かった。 ケーキを買って急いでマンションに帰ると、玄関を開けた途端冷たい風が吹き抜ける。 (・・・何でだ?) 怪訝に思いつつ、靴を脱ぎ、 「ただいまぁ・・・」 と、声を掛けながらリビングに進んだ。 冷たい風の原因はすぐにわかった。 ソラがリビングのガラス戸を開けたまま、ベランダに出ているのだ。 直人はケーキの入った箱をテーブルに置き、ベランダに出た。 「・・・ただいま、ソラ。」 煌々とした月を見ているソラの肩に手を置くと、体が冷え切っている。 直人は上着を脱いでソラの肩に掛けてやり、胸に抱き寄せた。 特別な意味はなかったが、そうしてやりたかった。 冷たくなっている髪に頬ずりをすると、 「・・なぁー・・・月って魔力があるって本当かなぁ?」 と、言う。 「・・・さぁ・・・引力で海水の高さを変えてしまうほどだから、何かあるかもな。・・・詳しくは解らないが・・・」 「・・・・・そっか・・・・・うん。きっとあるな。」 月明かりで青白く輝くソラの顔が、満足そうな笑みを浮かべた。 そして、直人の方に顔を向け、 「お帰り・・・ナーオ・・・なぁー・・・」 と鳴き出したので、 「お腹が空いたんだろ?・・クスッ・・ケーキがあるぞ。」 と、髪をクシャクシャッと撫でた。 ソラがケーキを頬張る。 一応フォークでカットして口に運んでいるが、一口分が多すぎて口の端にクリームが付いてしまう。 それを指先で拭い、その指を舐めて余計クリームでベトベトにしてしまう。 ただ、それだけなのに可愛くてたまらない。 直人は自然と込み上げる笑みをそのままに、夕食作りをしていた。 夕食の後、水槽を見ると、弱っていた魚の姿が見えない。 (・・・ん?・・・1.2.3......10.11......一匹足りないか・・・) 「・・ソラ。今朝、弱ってた魚はどうした?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・ぁー…ゴニョゴニョ…食べた・・・」 ソラはTVを観ながら答えた。 「・・・ッ?!食べたぁッ?!・・・って、いつだ?お腹は痛くないか?」 直人は焦ってカウチの前に回り、ソラの顔色を伺う。 ソラは青いガラス玉の目をキランと輝かせ、片頬で笑い、 「・・・だからぁ・・・ヒルゴロ...カンゼンニ...ウイチャッテ...ソノママジャ...カワイソウダシ......ベランダニオイタラ...カラスガ......食べた・・・」 と、ゆっくり繰り返した。 「・・カラスが・・・・・・・・・・・・・・・・ハァァ・・・」 直人は脱力感に尻餅をつき、カウチの前であぐらをかいて座った。 (ソラのゴニョゴニョ…が禁物なんだ。・・・あの時だって・・・「ゴニョゴニョ…猫だし」って言ったのも、後から問い質したら、「…アレハ...オレトイッショニ...トジコメラレテイタ...オトウトノ...カワイガッテイル…猫だし」って言ったと言い張るし・・・ハァァ・・・承知で聞こえないように言ってるフシがあるからなぁ・・・やれやれ・・・) 直人が項垂れて首を振ると、サラサラの前髪が揺れる。 「なぁー・・・ナァーオ・・・TVが見えない〜〜〜・・・」 ソラがカウチに上向きに寝そべり、手を伸ばして直人の揺れる前髪にじゃれつく。 それほど興味があった番組ではないようで、TVへの興味が直人の前髪に移ったようだ。 直人は顔を上げながら、前髪を後ろに撫で付け、 「ソラ〜〜〜〜・・・くすぐりの刑だ。・・・コショコショコショ・・・」 と、ソラの腹を揉む。 「・・うぉッ・・・や…やめてくれぇ〜〜・・・くすぐったいのは嫌いだぁ〜〜・・・」 体を曲げて逃げるソラと揉み続ける直人の攻防戦がしばらく続いた。 「アハハハッ・・・アッハッハッハッ・・・やめろぉ〜〜〜・・・」 「クスクスッ・・・ハッハッハ・・・そらそら、ソ〜〜ラ〜〜・・・クックックッ・・・」 ソラも直人も意味もなく笑い出してしまう。 お互い笑いすぎで疲れ、攻防戦は終わった。 「・・・ハァハァ・・・風呂、入るか?」 「・・・・・ハァハァ・・・・・ぅん・・・」 それから順番にお風呂に入り、ベッドに横になった。 後からベッドに入った直人は、気持ち良さそうに寝息を立てるソラを起こさないよう、そっと体を伸ばした。 と、ソラが寝返りを打って、額を肩に押し付けてくる。 フワッ、と甘い香りがして、ソラの柔らかい髪が首筋をくすぐる。 (・・・お前の方がよっぽどくすぐったいぞ・・・) 直人はムズムズする鼻を擦り、目を閉じた。 他愛もない一時が、一日の心身の疲れを払拭してくれる。 「・・・お休み、ソラ。」 (今夜もいい夢が見れそうだ・・・) 直人は無意識にソラの手を握り、眠りについた。 三度目の週末、暦は二月に入っていた。 土曜日の夕方、ソラを連れて久し振りにスポーツジムへ行った。 珍しく仕事が早く終わったので、すっかり風邪も治ったソラを運動させるのに、良い機会だと思ったからだ。 だが、直人がソラを家族会員にしようとしたら、 「佐田さん。冗談でも困りますよぉ?」 と、事務員に笑いながら睨まれてしまった。 小さな地方都市だけに、中途半端に有名な一族の直人は、あっさり家族ではないことを見破られてしまった。 「嘘をつくなー!」と親父の怒鳴り声が頭の中で響いてる・・・。 直人は、肩を竦めて苦笑した。 「なぁー・・・会員じゃないと、ここ、使えないのか?」 直人より少し下がって立っていたソラが、カウンターに胸を付けて、顔を受け付けの男に向ける。 受け付けの男はソラの綺麗な顔をマジマジと見つめてから、ハッ、としたように目を逸らし、 「・・申し訳ございません。なにぶん会員制ですので・・・」 と、軽く会釈しながら答えた。 「ふーん・・・なら、俺が自分で会員になればいいんだろ?」 「もちろんそれで構いません。・・・何か身分証明のような物をお持ちでしょうか?」 「・・えー・・・俺が俺でもダメなのか?」 (・・・おいおい・・・) 直人はソラを肘で軽く小突いた。 「そう言われましても、私共には・・・ご推察しかねます。」 「・・・そっか・・・」 ソラはポリポリと頭を掻くと、ポケットから財布を取り出し、黒いカードを提示した。 「パパがこれを出せば、身分証の代わりになるって言ってたんだけど・・・」 受け付けの男は見たこともないカードに首を捻って表裏と返して調べている。 が、自分では判断がつきかねると思ったのか、 「ちょっと失礼します。」 と言って、カードを持って奥へ入っていった。 カードを目の届かない所へ持って行く行為は、充分注意しなければいけない。 「・・・大丈夫かな・・・偽造されたらカードがカードだけに厄介だぞ?」 上限なしのセンチュリオンカードだけに、被害額も膨大になるだろう。 「へぇ・・・そうなんだぁ・・・」 「何を他人事に・・・」 「ぁん・・・そんなことを言われたって・・・あまり使うことがないからわかんないよぉ。」 「・・・・・普段は使わないのか?」 「え?何で普段使うんだ?」 (・・・・・お坊ちゃまの言うことはよくわからん・・・・・) 「あのカードって、プレゼントを買う時と、身元保証をする為の物じゃないのか?」 ソラが真っ直ぐな目を向けて聞いている。 親からそう言って渡されたなら、そう思っているのも仕方ないかも知れない。 「・・・・・いや。そんなもんだろ。」 直人はフッ、と笑って腕組みをした。 受け付けの男がジムオーナーと慌てた様子で戻ってきた。 「これは、これは、これは・・・お坊ちゃま。ウチの者が大変失礼を致しました。・・・おい!」 どうやらカード会社に電話して確認した結果、とんでもない御曹司だと判明したような反応ぶりだ。 「あ・・はい。・・ど・・どうも・・・申し訳ありませんでした。」 ジムオーナーが事務員の頭を押さえつけて謝罪させる。 「別に・・いいけどさぁ・・・会員になれるの?なれるなら早くしろよ。」 (やれやれ、何て態度だ・・・) 直人は、少しずつでもソラの横柄さを直してやらなければ、と思いながら見守っていた。 「では・・・一応これにサインをお願いします。」 オーナーが入会申込書の名前の所を指している。 ソラはカタカナで”ソラ”と記入した。 「・・・・・あ・・・では、こちらにもお願い致します。」 オーナーは変な名前と思ったのか、一瞬固まったが、黒いカードをソラに返しながらカード用のサインを求めた。 (・・・お?!・・・何てサインするのかな?) 未だにソラの本名を知らない直人は固唾をのんで見守った。 ソラは綺麗な英文字で、”Lucifer”とサインした。 (Lucifer?!・・・ルシフェルだってぇ??!!・・・嘘だろぉ・・・?) 直人は愕然として固まっていた。 オーナーは満面の笑みでソラに、ジム特製のトレーニングウェアや水着やタオルを渡している。 (・・・Luciferの意味を知らないのか?・・・いや・・・違う意味があるのかも知れない・・・帰ったら調べてみよう・・・) 直人は身の毛もよだつサインに目眩を感じた。 「ナァーオ・・・・・?」 ソラに腕をつかまれ、ビクッとする。 「なぁー、早く行こうぜ?・・俺、先にプールがいいな。久々に思い切り泳ぎたいし・・・」 「・・・あ・・・あぁ、そうか・・・じゃぁ、そうしよう。」 (・・・この光り輝くソラが・・・悪魔のはずないじゃないか・・・) 直人は青ざめた顔で、嬉しそうに先を急ぐソラを見ていた。 この日は夜の食事も外で済ませて帰って来た。 スポーツジムでは水泳の他にも色々なエクササイズをこなし、最後にサウナで汗をかいてシャワーを浴びたので風呂もパスし、マンションに戻ってから寝るまでに時間が空いた。 ソラはカウチに寝そべりTVを見ている。 直人は、 「少し仕事の下調べがあるから、仕事部屋へ行くが・・・ソラは眠くなったらちゃんとベッドに行って寝ろよ?」 と声を掛け、仕事部屋のPCに向かった。 ”Lucifer”を調べてみると、ラテン語では”光をもたらす者”という意味で”明けの明星”(=金星)を指す言葉とある。 言葉そのものの意味は決して悪いものではなかったが、神話や宗教論争などでは地の底に落とされた”地獄の王”に位置づけられている。 元々は天界において、もっとも美しく強大な力を誇った偉大な天使長でありながら、神に謀反を企てたとか・・・。 ”地獄の王:Satanサタン”の同義語、つまり”悪魔”(=神に敵対する者)ということだ。 (・・・こんな名前を可愛い息子に付けるのか?・・・まさかな・・・) 直人は背筋に寒気をおぼえてPCを切った。 30分もかからずリビングに戻ったので、ソラはまだTVを見ていた。 直人は寝そべっているソラの髪を撫でてから、カウチに寄り掛かるようにして絨毯に座った。 ソラの長い足が背中にあたる。 直人はソラの足のスネから膝に腕を置き、顔をソラに向けた。 「・・・明日、買い物に行こう。ソラも携帯電話くらい持ってないとな。」 「・・んー?・・・携帯電話かぁ・・・」 「今日、何度も電話したんだぞ?一度くらい出てくれたらいいのに・・・」 「・・えー・・・直人じゃなかったら嫌じゃん。」 「・・・だろ?・・・だからいつでも連絡出来るように携帯を持っていて欲しいんだ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・ふーん・・・・・・・・・・・・・・・・」 ソラはぼんやり天井を眺めている。 直人は絨毯に置いてあったチャンネルを取り、TVを消した。 急に部屋が静寂に包まれる。 ……ボコボコボコボコ…… 水槽のエアーポンプの音が聞こえる。 (・・・ソラ・・・お前は悪魔の子でも悪魔でもないよな・・・?) 直人はソラの足をそっと撫でた。 「うわぁ〜〜・・・やめろぉ〜〜・・・今夜はもう疲れてるんだからなぁ。」 ソラが体を起こし、カウチの上であぐらをかいて直人を睨む。 「・・・くすぐってないだろ・・・」 そう答える直人の声が沈んでいる。 (・・・何で携帯を持ちたがらない?・・・束縛されると思うのか?・・・それとも・・・いつかは出て行ってしまうから?) 「・・・携帯を持つのは嫌なのか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・いや・・・・・別にいいよ・・・・・」 「・・・思いっきり嫌そうだぞ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・ま・・・ちょっと色々あったたからさ・・・・・」 「・・・そうか・・・」 (話したがらないことは、深入りせずにおこう・・・) 「それに俺、島育ちであまり携帯とか馴染みないからさぁ・・・落としたり壊したり忘れたり・・・面倒で出ない時もあるけど、それでいいなら持つぜ?」 (・・・・・・・・・・・・・・・・一番安いタイプにしよう・・・・・) 「けど、TVが見れるタイプっていいよな?」 (・・・・・一番安い・・・・・) 「それにカーナビみたいに地図で場所が解るのもいいなぁ・・・クフッ・・」 (・・・一番高いタイプになりそうだ・・・・・) 「あ、骨で聞こえるってのも面白そうだよな?」 (・・・どれも最近TVでCMを流してるような・・・) 「・・・そーゆー希望は店で言え。」 「あれってさぁ、腕とか足の骨でも聞けるのかな?」 「・・・定員に聞いてくれ。」 「どんなのがいいかなぁ・・・海に潜っても使えるのってないかなぁ?」 (・・・ないない・・・第一海の中で声が出せるのか?) 直人は返事の代わりに生あくびを噛み殺した。 「・・海・・・・・あ゙ーーーーーッ゙!!」 「・・・デッ・・・」 突然の大声に舌を噛んだ直人は涙目で抗議する。 「そう言えば、人魚の誕生日がもうすぐだったんだ。すっかり忘れてた・・・」 「・・・島にいた頃のお前の彼女か?」 「え?・・男だよ?」 「・・・男の人魚なんていないだろ?」 「けどさ、普通にしてたら男に見えないくらいスッゲー綺麗なんだぜ?まさに魔性の色気って感じでさぁ・・・。今年のプレゼントは何がいいかなぁ・・・」 「・・・普通にしてたら?」 「見た目と中味は大違いさ。女と間違えたり、知っててからかうと・・・ボコボコにされる。クックックッ。だから、からかってから誰が上手く逃げ切れるか、ってゲームしたけど、10人中9人が失敗した。」 (するな〜〜そんなゲーム!) 「・・・ソラは?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・プレゼント・・・何にするかなぁ・・・・・」 (・・・失敗したんだ・・・) 《…バズッ……》 直人はあくびのフリをして口元を手で覆ったが、結局ソラに笑っているのがバレて、カウチに寄り掛かっていた背中を蹴られてしまった。 「テテテッ・・・プレゼントは、明日、街で探せばいいだろ?」 背中をさすりながら立ち上がった直人は、溜息を吐いて寝室へと歩いていく。 「・・そうする・・・」 ソラは直人を追い越し、寝室のドアを開け、ベッドにダイブした。 何故かソラは自分で電気を消したがらない。 (・・・暗闇が怖いのか?・・・猫も悪魔も暗闇は得意だろうに・・・) 一緒に暮らすようになって、早三週間が過ぎる。 今でもわからないことばかりだ。 ・・・ただ、もうソラのいない生活は考えられない。 直人は自分の知らないソラの世界があることに、少し寂しさを感じながらベッドに入った。 「・・・なぁー・・・ナーオの誕生日はいつだ?」 寝ていると思ったソラが呼び掛けてきた。 「ん・・・10月だよ?」 「・・・随分先だなぁ・・・何かプレゼントしたいけどなぁ・・・」 「・・10月まで待つよ。その方がいい。」 (なるべく先の方がいい・・・それだけ繋がっていられると信じられそうだから・・・) 「遠慮するな。俺が家族以外にプレゼントするのは珍しいんだぞ。・・人魚はゲームの代償に毎年のプレゼントを約束させられたんだ・・・」 「・・クスッ・・・だから、10月まで楽しみに取っておくよ。」 「・・・そんなもんかなぁ・・・」 「ソラの誕生日はいつなんだ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・1月1日・・・・・」 「・・・・・え?」 「お陰でその日は島をあげてのお祭り騒ぎさ。御輿は出るわ、パレードはあるわ、餅はバラ撒くわ・・・今年は俺がいないのにやっぱり祭をしたらしい。」 「・・・・・それは正月だからじゃないのか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・そうとも言う。」 「・・・・・お休み。」 「本当だってぇ〜〜・・・まぁ、一説には12月13日の金曜日とか、12月25日ベツレヘムの馬小屋で・・・とかも噂されてるが・・・パパがどちらも気に入らない、と誕生日捏造疑惑も・・・」 「・・・・・zzzzzz・・・・・」 「俺を信じろ〜〜・・・信じる者は救われるんだぞぉ〜〜・・・」 「・・ZZZZZZZZZZZZ・・」 「・・・・・いびき煩いぞ・・・・・チッ・・・・・」 ソラはバウンドを付けて寝返りをし、背中を向けた。 直人は何だか可笑しくなって、笑いを浮かべながら、睡魔の誘いを受け入れた。 翌、日曜日。 ソラは店員に1時間以上説明をさせて散々迷った末に、ようやく希望の携帯電話を選んだ。 契約をして使えるようになるまで、「2時間程度お待ち下さい。」と言われたので、その間に人魚へのプレゼントを探しに行くことにした。 携帯ショップを出て歩きながら、 「デパートでいいのが見つかるといいな?」 と言うと、ソラは腕組みをし、 「・・・過去三回・・・どれも不評だったからなぁ・・・」 と、首を回す。 「・・・どんなプレゼントをしたんだ?」 黒いセンチュリオンカードで買ったのだろうから、興味が沸く。 「・・ぇっとぉ・・・12歳の時はまだカードとか持ってなかったから、ウミガメを捕まえて首輪して”ペットにどうぞ”って渡したのに、バーベキューで甲羅焼きとかして食べちゃってさぁ、挙げ句に甲羅占いなんかして遊んでんだぜ?」 「・・・・・ぅーん・・・・・」 (・・・いいのだろうか?・・・遠い外国の話だ。・・・聞かなかったことにしよう・・・) 「だから、翌年は火星の土地を通販で買ったんだけどさ・・・”俺に火星ダコと結婚しろとでも仰るおつもりか?”ってキツぅ〜いデコピンされたしなぁ・・・」 「・・・・・ふむ・・・・・」 「別にそんな意味ないし・・・」 (・・・多分・・・ソラの欲しい物が選ぶ基準になってるんだな・・・) 「で、去年は痴漢撃退ダッチ君をプレゼントしたら・・・サンドバッグ代わりにされて、一日でボロボロにされてゴミ箱に投げられてたし・・・」 「・・・は?・・・何だ、それ?」 「え?知らないかなぁ?・・・TVで、<一人暮らしの女性も安心、力強いパートナー>って座ってる姿のムキムキマン人形をCMしてたんだ。」 (・・・懲りない奴だ・・・) 「ドライブ用の上半身タイプも一緒におまけしたのにさ・・・」 「・・・あのなぁ・・・もっと普通のを思い付かないか?」 「・・・・・普通・・・・・だろ?」 「・・・違うと思うぞ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・へぇ・・・・・」 ソラは腕組みをしたまま首を捻りながら歩く。 直人は助言しようかとも思ったが、やめた。 ”人魚”というニックネームから浮かぶイメージとは、ほど遠い強烈な個性のようで、直人の理解を越えていた。 妖怪家族・・・ドラキュラに人魚・・・まだまだこの手の化け物がいるんだろうか・・・ 普通の感覚が解らないソラも無理ないかも知れない・・・。 表通りを横切りデパートの入り口に向かっていた時、ソラの足が、ピタッ、と止まった。 二三歩前に出ていた直人が振り返ってみると、腰を低くしたソラが臨戦態勢で一点を睨んでいる。 ソラの視線を追っていくと、デパートの大きな柱に寄り掛かっている男がいた。 黒い革製のライダースーツの上に、やはり黒の革ジャンを羽織っている。 そこら中に鋲が打たれた厳つい革ジャンと、幾重にも重ねたシルバーアクセサリーが、男の普通ではない素性を物語っている。 ・・・ユラリ・・・と男が柱から体を起こすと、《…ジャラジャラ…》と、冷たい音がする。 何の用途か解らない鎖が、何本も腰から下がっている。 「よぉ・・・ルシファー・・・会いたかったぜ。」 (・・・ッ?!・・・ルシファー?!・・・ルシフェル?!) 直人は一瞬息が止まり、続いて息苦しく動悸が胸を打ち付けた。 ソラは微動だにせず、男を睨んでいる。 「・・クックッ。そんな怖い顔をすんなよ、ベィビー。俺の気持ちはわかってるだろ?ぁーん?」 ……ペッ!! ソラが唾を吐き捨てる。 「知るかッ!お前なんかの顔、二度と見たくないぞッ!」 「・・・・・っんだと・・くぉるぁぁあッ!」 ジャラジャラの男が一歩前に踏み出した。 「ナオッ!走れッ!!」 ソラが直人の手首をつかんで走り出した。 直人はつんのめりそうになる態勢を立て直し、ソラに遅れないように走る。 「待ちやがれッ!!」 《ジャッガッジャガッジャッズッ・・・》 男のアクセサリーやら鎖やらが喧しい音を立てている。 背後からその音が間近に迫り、直人は(クッソォーーーッ!)と猛ダッシュする。 と、先を走っていたソラが振り向き、 「ナオは先に行け!」 と叫んで立ち止まり、迫ってきた男の腹に跳び蹴りを喰らわした。 直人は走りながら肩越しに振り返って、男を蹴ってから空中で一回転して着地するソラの動きを、目の端で捉えていた。 (・・・・・やはり猫だな・・・・・) いや、そんな場合じゃない。 一度は地面に倒れた男が、すぐに跳ね起きて、また全力疾走で追って来たのだ。 「ナーオ、早くぅ〜〜・・・」 直人を追い越しながらソラが呼ぶ。 「チ…クショォーーッ!負けるかぁぁぁーーッ!」 日頃の階段登りは伊達じゃない。 若い奴等に負けてたまるか、と直人は歯を食いしばった。 二手に分かれる道でソラが一瞬迷って立ち止まる。 「こっちだッ!」 直人はソラの手首をつかんで賑やかな通りの方へと誘った。 ”木は森に隠せ”という言葉がある。 ヘタに人気のない方へ逃げると、相手に動向を全て知られてしまうものだ。 (親父から教え込まれた兵法もムダじゃないかったな・・・) 直人は男が角を曲がってくる前に、大きなデパートの裏口から中に入った。 人混みを縫うように進み、エレベーターに乗り込んで最上階で下りた。 「・・・どうするんだ?」 ソラが訝しそうに付いてくる。 「あ?・・・取り敢えず休もう・・・」 直人は吹き出す汗をハンカチで押さえ、大きく息を吐いた。 あのジャラジャラの男も二十歳前後だろう。 逃げ続けるだけの体力があるかどうか・・・ 「・・・呑気だし・・・」 ソラは軽く肩を竦め、レストランに入る直人に続いた。 直人はコーヒーを、ソラはクリームソーダを注文した。 そこは展望レストランで、窓は足元までガラス張りだ。 遮光ガラスになっていて陽射しの暑さは和らげられるが、交差する大通りの様子がつぶさに観察出来た。 「・・・ぉ・・・アイツだ・・・」 アイスクリームを泡に塗して口に入れたソラが呟く。 「・・・あぁ・・・どうやら巻いたようだな。」 直人はホッと息を吐き、そう美味しくないコーヒーを飲んだ。 ジャラジャラの男は、豆粒ほどの大きさになっても、その異様さを街中に振りまいている。 ソラを探して忙しく辺りを見回している。 「・・・彼も妖怪家族の一員なのか?」 いきなり走った疲れと窓際の暖かさから、ボォーッ、とした様子で直人が聞いた。 「アイツが?・・・ククッ・・・まさか。」 ソラも眠そうな顔をしていたが、直人の質問に苦笑して答えた。 「・・・アイツさぁ・・・俺を一番最初に拾った奴だよ。」 ……ズッキィーーン…… 直人の胸が疼くように痛んだ。 「・・・・・お前・・・みんな逃げて終わりにするのか?」 (いつかは僕からも逃げるのか?) ソラは目元を赤くし、ムッ、としてからストローでアイスクリームをつつき、泡が溢れそうになったのを慌てて啜った。 「・・・アイツは・・・どうかしてるんだ・・・何か変だし・・・」 (・・・ソラも相当変わってると思うが・・・) 「どこが?」 直人は冷たい口調で先を促した。 「・・・・・初めは親切ないい奴だと思ったけど・・・・・」 ソラは渋々話し出した。 「一人旅って言われてもなぁって、・・・目的もなく街をブラついても、何をどうすればいいか解らない時、アイツのバイクが停まってるのを見て、いいなぁ〜、って眺めてたんだ。」 「・・・バイクか・・・」 (「変な族に付け狙われている」と内藤が言ってたな・・・) 「そしたら、アイツが興味あるなら乗せてやる、って。で、一晩中アイツの仲間と走り回って遊んだんだ。」 (・・・・・いきなり暴走族入隊か?) 直人はヒクヒクと痙攣するコメカミを指先で押さえた。 「で、頼んでないのに、俺のとこに泊まれ、って言うし・・・それじゃ、って居候することになったんだけどさ・・・」 (・・・・・無防備な子だ・・・・・) 「寝てる間に持ち物調べられて・・・黒いカード見つけ出したら、あれ買え、これ買えって・・・」 (・・・・・・・・・・・・・・・・やれやれ・・・・・) 「それだけなら良かったんだけど・・・アイツ・・・寝てる時・・・・・キスしやがるんだぜ?しかも舌まで入れてくるからキモイったらないし・・・だって、パパだってそこまではしないぞ?」 (・・・・・当然だろうが・・・・・) そこで父親が出てくるあたり・・・ソラにはまだ、恋愛感情というものが理解出来ていないらしい。 大事にされて世間を知らずに育ったお坊ちゃまだけに、情操的な部分が未発達なのだろう。 (だから一人旅に出したのか・・・) だが、あの男がソラに惚れてしまう気持ちは判らなくもない。 が、あれこれと物を買わせる行為は、あれだけの体躯の強面な男でも、内面は子供ということだ。 (物を得たら、一番大事な存在を失ってしまう、ってこともよくあるものだ・・・) 直人は頬杖をついて溜息を吐いた。 「でもって、アイツ・・・何を勘違いしてるのか、仲間達の前で恋人宣言なんてするから頭にきて・・・その場で蹴り倒して縁を切ってやったのに・・・いつまでもしつこく追い掛けてくるから大迷惑なんだ・・・」 (・・・・・気の毒に・・・・・) あの男が、ソラに惚れたのか、黒いカードに惚れたのかは知らない。 もし、自分だったら、ソラに惚れるだろう。 だから、あの男もそうだろう、と好意的に解釈するなら・・・闇雲に気持ちをぶつけて足蹴にされた立場に同情を禁じ得ない。 お金の怖さを知らない世代には、黒いカードに魅力を感じてしまうのも無理はない。 (ソラに買い物をねだって、その都度サインを見てたから、ソラを”ルシファー”と呼んだのか・・・) 悪魔のサインのカードなど、触れるべきじゃないのに・・・。 「・・・さて・・・どうしよう?」 ソラがクリームソーダを飲みきるのを待って直人が切り出した。 「そろそろ携帯は受け取れるだろうが・・・まだ探している可能性があるしな。・・・ソラはタクシーで先に帰るか?」 「・・・・・プレゼントぉ・・・・・」 ソラが不服そうに頬を膨らませる。 「通販のカタログ雑誌を貰ってくるよ。・・・あぁ・・・ネットで探してもいいしな。」 「え?PC触ってもいいの?」 パッ、と嬉しそうな顔をする。 青い光が目の中で弾けたように輝く。 (・・・そりゃ惚れるよなぁ・・・) 直人は目を細めて頷き、魔性の猫とタクシー乗り場まで向かった。 ソラをタクシーに乗せた直人は周囲に注意を払いながら、携帯ショップへと歩き出した。 (天使の顔で悪魔の名前を持つ不思議な猫・・・まったく・・・He is X' Boy・・・) 『X' Boy』......end...... ![]() |
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