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![]() ★1★『Curry and rice』 ![]() 駐車場に車を停めて、助手席の書類鞄を持って降りた直人は、冷たい風に含む甘い香りに気付き、背筋を伸ばして深呼吸した。 今年も隣接する公園の梅が甘く香ってくる。 「・・・5年目の梅の香・・・だな・・・」 直人はふと思い浮かんだ懐かしい顔に甘い疼きを感じて、口元に笑みを浮かべた。 青い目をした不思議な少年ソラと出会ってから、もう5年が過ぎた。 いつも、不意に現れては、不意に消える。 ひとつ所に留まれぬ風のように・・・。 つかみ所なく、それでいて悪戯に心をくすぐる。 ・・・甘く香る早春の風のようだ・・・と、直人は苦笑してマンションに向かって歩き出した。 マンション10Fの自宅まで、階段で上がる。 ここに住むことを決めた時から、不文律のように守ってきた。 だが、考えてみれば、当時結婚を考えていた相手にも、無意識に強要してしまっていたかも知れない。 自分が階段を使うと言うのに、一人先にエレベーターで10Fに行ってる、と言える相手は少ないだろう。 案外、それが苦痛に思えて別れたくなったりして・・・。 そう思うと滑稽だが、そうした自分の頑なさが、相手を追い詰める場合もあるのだ、とも言える。 いずれにしても、長い階段を登る時間は、色々なことを考えるものだ。 体にわずかに纏った梅の香りが孤独な心を慰めてくれる。 ・・・桜には陽光が似合う。 楽しい仲間と賑わいながら、愛でるのに相応しい色香がある。 ・・・だが、寒風に咲く梅は、一人で生きる者に優しく香るように感じる。 冷たく張り詰めた空気の中で、寡黙に耐えて生きる切なさを知っているかのようだ。 母方の叔父である佐田建設の社長が、体調を崩して現役から後退した。 叔父の娘婿は政治家の三男坊で、次の選挙で出馬しようと虎視眈々と準備中である。 政治家になることの何がそれほど魅力的なのかはわからないが、佐田グループの人脈(いわゆる組織票)と金(政治献金)をアテにしているらしい。 まったく・・・政治に何億と落とす為に稼がされる方はたまったものじゃない。・・・が、叔父が娘可愛さに応援しているのだから仕方がない。 娘婿の後援会に力を入れたくて、会長職に退いた、とも社内では噂されている。 が、実際、年数回入院していることを思えば、社長の職に耐えられないのは身内ならわかる。 娘婿が銀バッチを付けるまでは、とすでに妄執に近い心境かも知れない。 それでも、そのしわ寄せがくる身内としては、いい迷惑だ。 天下りの傀儡社長を据えて、実質の実務は副社長に抜擢されてしまったこの身に降り懸かる。 ”業界の若き担い手””青年実業家”と、巷ではやっかみも含めて噂してくれるが、30歳を過ぎて”青年”呼ばわりされるのもどうかと思う。 建築デザインを考えるのが好きだったのに、それもままならず、日々山と積まれる書類に向かう。 アフターファイブも会議と会合で追われ、なかなかプライベートな時間が持てない。 ・・・たまに、思い切り叫びたくなる。 ・・・いつも、損なクジを引く・・・ ソラと一緒に行きたかった。 ソラの故郷だと言う南海の島。 その海辺を一緒に走れたら、どんなにいいだろう。 けれど、ソラは「一緒に来いよ。」とは言わなかった。 どんなに辛くても背負わなければならないものがある、ということを知っているから・・・。 あの、突き抜けた青空のようなソラが、時として激昂し、怒りにも近い感情で叫ぶ。 「生きることは戦うことだ!」・・・と。 あれほど無垢で透明な魂を輝かせながら、心を切り裂くように叫ぶ。 ・・・だから・・・ 「生きることは愛することだよ。」・・・と、答えてやる。 会議の合間に息抜きをする時、副社長室の窓から空を見上げる。 以前は星空が好きだったが、今は抜けるような青空が好きだ。 ソラの青い目と向き合ってる気がするから。 ・・・そして呟く。 「・・・あぁ。戦って生きているよ。・・・それでも・・・愛している。」 鼻の奥がツンとする切なさ・・・。 甘い郷愁・・・。 そして・・・ソラの笑顔と共に、爽やかな薫風が吹き寄せてくる。 光り輝く風を体一杯に受け、新たな意欲が漲ってくる。 「だって、そうだろう?・・・愛する存在があるからこそ、戦えるんだ。」 ・・・ソラを愛している・・・ 敢えて言葉にはしない。 ソラは僕の栄養剤だな・・・と、階段をいつの間にか登り終えていた直人は、笑みを浮かべる。 この所忙しくてスポーツジムにも行けなかったが、近い内に時間を作って通えるようにしよう、などと思う。 副社長になって3年。 ようやく肩書きに見合った仕事が出来るようになった。 周囲の見る目も変わってきた気がする。 「若いくせに・・・」が「若いながらも・・・」に変わり、「甥っ子だから・・・」が「甥っ子ではあるが・・・」になった。 名実ともに認められるのは嬉しい。 頑張った甲斐があるというものだ。 ただ一つ困ったことは、持ち込まれる縁談が増えたこと・・・。 粉骨砕身の日々をようやく乗り越えたら、新たな悩みの種が出来た。 そろそろ自分の時間が持てるようになったことだし、体を動かして発散しよう。 まだまだ筋力でソラに負ける訳にはいかない。 直人は、そうと決めたらいつにしよう、などと頭の中のスケジュール帳を開きながら、玄関ドアの鍵を開けた。 玄関を入ってすぐに気が付いた。 自分の物ではない靴がそこにある。 直人より二回りほど小振りの靴・・・と、更に小さな靴・・・? ≪ソラが来てる!≫ ・・・と喜んだものの、小さな靴が気になって、その場に屈み込んだ。 靴の片方を手に取って眺めてみるが、やはり小さい。 「俺の靴に触るなッ!」 聞き慣れないボーイソプラノの声が、リビングに続くドア付近から聞こえる。 直人がしゃがみ込んだまま顔を上げると、ちょうど視線の真っ直ぐ先に、自分を睨んでいる少年の顔があった。 五月人形のようなはっきりとした顔。 意志の強そうな目元と、キリリと結んだ口。 「誰だ、お前はッ?」 五月人形が凄んだ声で問う。 ボーイソプラノとはいえ、気迫のこもりようは尋常ではない。 直人は溜息を吐いて、乱れた靴を揃えながら、 「・・・そっちこそ人の家に上がり込んでいるんだから、名乗ったらどうだ?・・・それに、人に靴を触られたくないなら、揃えて端に置くようにしろよ?」 と、注意する。 注意しながら、前にも同じような溜息を吐いた気がして、少年の素性が何となく推察出来た時、 「あぁ〜、ナァ〜オ。お帰りぃ〜。」 と、明るい声がして、五月人形の背後に、青い目を持つ美しい彫像が姿を現した。 明るいテノールの声は、涼やかで甘く優しい。 気が抜けそうなほど、呑気な響きがある。 すると、途端に五月人形が、どこにでもいる少年の顔になり、 「お兄ちゃ〜ん・・・コイツ誰ぇ?」 と、拗ねて甘えた顔をする。 直人は内心・・・ほぉー・・・と変わり身の早さに感心しながら、一瞬にして兄弟関係の在り方が見えた気がして、クスクスと笑みを漏らした。 まだ会ったことはないが、「大魔王」と称するソラの父親の血を、濃く受け継いだ弟。 5年前、得体の知れないコロポックルだった頃からは成長しているようで、少年にしてすでに魔性の匂いを持つ。 それでも甘えて兄を呼ぶ声と見上げる眼差しは、子供特有の独占欲が見え隠れし、お兄ちゃん大好きっ子の様子が見て取れる。 直人は穏やかに微笑んで立ち上がり、 「来てたのか・・・ソラ。」 と、声を掛けた。 たまに顔を出すことはよくあるので、なるべくいつも普通に話し掛けるようにしている。 感激したのも束の間、顔出しだけで忙しそうに帰ってしまうこともあり、前もって都合を知らせてくれる甲斐性もなく、喜び損なこともよくあることだった。 それでも、顔を見られるだけで、こうも嬉しいのだと、つくづくと実感してしまう。 直人はしばしソラの透明な青い瞳に心を奪われて見つめていた。 「玄関口は寒いから、遠慮せずに早く上がれよ。」 (・・・それはこっちのセリフだろうが・・・) 直人は、やれやれ、と靴を脱いで上がる。 「ナァーオがいると思ってさぁ、夕飯食べないで来たから、腹が減って待ちくたびれたぞ。…なぁ、ミライ?」 「なぁ〜、お兄ちゃん。」 兄と手を繋いでリビングに戻った少年が、得意げに相槌を打つ。 「連絡もなくいきなり来たって、歓迎する御馳走なんて作れないだろうが?」 背広を脱いでソファーに放り、ワイシャツの袖を捲り上げて、キッチンに向かいながら、文句を言う。 それでも、頭の中では冷蔵庫の食材で何が作れるかを考えている。 「何でもいいぞ。…美味けりゃ。」 (・・・そりゃ、そうだろ・・・) 「俺も手伝うよ。」 (・・・おぉー・・・成長した言葉・・・) 身長も肩が並ぶほどになったソラがキッチンに来ると、 「あーーッ!お兄ちゃん、俺もぉーーッ!」 と、甘えん坊の弟が兄の腰にしがみつく。 子供の頭の位置で、包丁を持った手元を覗き込まれるのは、危険に思える。 「じゃぁ・・・二人共テーブルに座って、人参と玉葱の皮を剥いてくれるか?」 「・・チッ・・・つまらない作業・・・」 そう小声で零したのは弟。 「人参は皮むき器ですればいいんだよな?…フフッ。ミライはどっちがいい?」 嬉しそうに言う兄。 「お兄ちゃんが手を怪我すると嫌だから、俺が人参を担当するね。お兄ちゃんは玉葱を剥いてればいいから。」 さすがに利発そうな弟が的確な判断を下す。 「ん?…いつから人参の皮むきが得意になったんだぁ、ミライ?」 ソラはにこにこと兄の顔をして弟をイスに座らせてやる。 「んっと・・先週くらい・・・」 弟は惚けた顔で兄に受け答えする。 この弟なら、ナイフでも包丁でも、自在に扱えそうだ。 何でもそつなくこなせそうな雰囲気がすでにある。 それに対して、どうしてこうもソラは危なっかしさが伴うのか・・・。 シンクに向かい、ジャガイモの皮を包丁で剥きながら、ママゴトのような二人の様子を盗み見る。 ―――頭の中で、遠い記憶が蘇る。 「・・・お兄ちゃんは何でも出来るから・・・出来ない子の気持ちがわかんないのよ。」と、目に涙を溜めて言った妹の顔が浮かぶ。 いつの頃からか、一緒に遊ばなくなった妹が寂しそうに言った言葉。 周囲から”出来て当然”と思われる立場も辛いが、妹を庇うように何でも手を貸していたことが、逆に妹の負担になっていたことに、その時初めて気が付いた。 危なっかしさが愛しくて、ついついしてしまったことだったが、大抵のことなら簡単に出来てしまう傲りがあったかも知れない。 その妹も大らかな性格の男性に愛され、母となって幸せに暮らしている。――― そう思うと、弟なりに兄を気遣っている気持ちがいじらしい。 小さいながらも、精一杯兄を立てつつ、守ろうと意地を張る・・・そんな姿が、なかなかに苦労人に見えてきて、この際自分としては見守る立場でいよう、と思う直人だった。 「人参と玉葱とジャガイモ・・・それと豚肉・・・で、出来る料理は?」 「・・・肉じゃが?」 「カレーだ、カレー。ナァーオのカレーはすっごい美味いぞぉ。その辺のレストランより美味いんだ。」 「・・・・へぇ・・・・」 つまらなそうに目を眇める弟。 「だから御馳走は出来ない、って言っただろ?」 直人は苦笑して肉や刻んだ材料を炒める。 「食べる前にガッカリするなよ。不味いステーキと最高に美味しいカレーと、どっちが嬉しい?」 ソラが弟を窘めるように言う。 「・・・・ステーキ・・・・」 「ミライ〜〜……」 「いや、いいさ。明日はステーキにしような。」 噴き上がる本質を押し殺して”いい子”で居続けるのは難しい。 時には我が侭を言ってしまうことの方が、子供らしいとさえ言える。 「・・・って、言っても明日までは居られないか・・・?」 弟を連れて来るくらいだから、今回の逗留も短いだろう。 「ううん。しばらくは日本にいるつもりだから。」 「ん?・・・首都の本宅か?」 「ここだよ。」 「・・・こっち?・・・あぁ、ソラの為に用意した家がある、とか言ってたな。」 「そうじゃなくて、ここ!」 ソラが少し怒った口調で、”ここ”を強調する。 直人は思わず振り返り、ソラの顔に注目してしまう。 「・・・ここ?」 と、聞き返しながら、視線を頭一つ分低い位置にある少年に移し、またソラに戻してから瞬きをした。 「……だって…ナーオの所が一番、居心地がいいんだもん……」 紫がかった目の色が、濃紺の深い闇に翳り、視線をテーブルに落とすソラ。 「・・・ソラ?」 「……だって……パパとママが……ゴニョゴニョゴニョ……で、置き去りにされて……」 厄介なソラの「ゴニョゴニョ」。 それでも沈んだ表情が気になって、フライパンを火に掛けたままキッチンテーブルに近付くと、 「ねぇ・・焦げてない?」 と、小さな子供に指摘される。 「ぉわッ・・・・・・フッ・・・焦がすのも味の内さ。」 そんな誤魔化しが通用するとも思えないが、なるべく焦げ付いた部分を残して鍋に移す。 それから、お湯で溶かしたスープを加え、どうにか手を離せるようにして、ホッと息を吐く。 ・・・煮込む間に事情が聞けるだろうか・・・ 直人はサラダ作りは後回しにして、シンクから離れた。 「何があったんだ、ソラ?・・・もう、ここはいいから、向こうでゆっくり話そう。」 リビングのソファーに促そうと、ソラの肩に手を置くと、 「お兄ちゃん。あっちでTV見ようよ。」 と、弟が兄の手を引っ張ってカウチへと連れていってしまう。 ゆったりとした一人掛けのカウチでは、ソラと弟が並んで座ればいっぱいいっぱいだ。 直人は、少し離れた所にあった大型クッションを持ってきて座り、ソラの様子を窺う。 弟は兄に寄り掛かりTVを眺めているが、ソラは頬杖をついて伏し目がちに弟の髪を撫でている。 「・・・あ・・なぁ、ソラ?」 「ん〜〜……時差があるから眠ぃ……」 ズルッ、とコケそうになる。 伏し目がちに悩んでいるのかと思えば、眠いだけなのかも知れない。 「寝るなら寝ろ。ただし、カレーが出来ても起こさないぞ。」 (・・・疲れて帰って来た所を作ってやったんだ。) 食べずに寝るのか?・・・と抗議する。 と、たちまち弟が怒りを込めた目を直人に向ける。 冷たく燃え上がる黒目がちの目は、まさに魔性のものだ。 ソラからは見えない位置のせいか、本来の気性を視線に込めて、牙を剥いてくる。 (・・・くぅぅ・・・やりにくいなぁ・・・) 直人は、項垂れると額に掛かる前髪を、長い指で梳き上げた。 「ハァァ・・・ま、それより、彼を紹介して欲しいな。」 「んー?…紹介してなかったっけ?」 「ミライ君という名前を呼んでいるのは聞いたが、直接は紹介されてないよ。」 「アッハ…そっかぁ…お腹が減って忘れてたな。」 ソラが青い光を弾かせ、真っ白い歯を見せて笑った。 それだけで、どんな疲れも消えていく。 直人もつられて目を細めると、少年の眉間にシワが寄る。 ・・・困ったものだ・・・と、ますます可笑しくなる。 「ようするにソラの弟君、ってことだね?」 「そう。過去・現在・未来…の未来と書いて…そのままミライ。…パパ似だから、かなり気性が荒いとか激しいとか、みんな言ってるけど、…まだ8歳になったばかりの子供だし…これで結構、甘えん坊なんだ。」 ソラがグリグリと頭を強く撫でると、撫でられて首を揺らす弟が、ニッカーッ、と笑みを作る。 「そうか、未来君か。・・・僕は佐田直人。建築デザイナー兼事務要員、ってとこかな。よろしくな?」 身を乗り出して、握手しようと手を出すと、未来は振り払う勢いでタッチして、 「こっちもよろしく。」 と、そっぽを向いて答えた。 「クスッ…ミライ、照れることないのにぃ…」 (・・・照れ?・・・照れなのか?・・・本当ぉぉーに照れだと思うのか?!) ・・・人の感情には敏感なソラなのに、弟に関してはオブラートに包んで見てしまうらしい。 しばらく滞在すると言うなら、その辺をキモに命じておかないと、ソラとの関係までがギクシャクしてきそうだ。 「それで・・・未来君も一緒にここで生活するのか?」 「うん。着替えとか荷物は、ナーオの了解を貰ったら運ぶことになってる。」 「・・・用意がいいな。」 「もちろん。抜かりはないさ。」 ソラが得意そうに胸を張る。 「・・いいお兄ちゃんだ。」 ソラの髪を撫でてやりたいのに、手が届かない。 (・・・せめて、その柔らかい髪くらい触らせろ。・・・抱き締めたい、とは言わないから・・・) 愛しさを込めて見つめる。 ソラも真っ青な目で見つめ返してくれる。 見つめ合うと、いきなり空間が狭まったように感じる。 ―――白く透けそうな肌は一見すると華奢な印象があるが、触れた質感は弾力と張りがあり、しっかり鍛えている躰だとわかる。 どんな楽器も弾きこなす綺麗な指をしている手は、厳しい訓練を受けているとは思えない優雅さで流線を描く。 しかも光沢のある爪が、クリスタルでも填め込んだのかと思うほどだ。 細すぎず太くもない首に支えられた頭部の美しさは、表現する言葉が浮かばないほどだが、長い睫毛に縁取られた煌めく青い目はもとより、細く通った鼻筋は繊細で、細部まで刀匠が拘りを持って最高の技術で仕上げた彫刻のような端正さだった。 そして、その下にある、思わず触れたくなる柔らかそうなピンク色の唇は、天上の華の色香がある。 自虐的に噛み締めたりすると赤く腫れたり、熱いコロッケで火傷したりして、持ち主はその魅力的価値に疎すぎるが、横柄な物言いをしても罪なく聞こえてしまうのも、この唇のせいだ、と近年直人は疑っている。 魂が吸い寄せられずにはいられないほど美しい青年になった。――― 本当に、誰もが愛さずにはいられない光の御子。 (・・・空を見上げるほどに遠い存在になってしまった・・・) 直人は、白昼夢を見ているような甘い幻覚から、どうにか抜け出して、釘付けになる視線をソラから剥ぎ取った。 滞在がどのくらいになるかで、用意する物も違ってくるだろう。 多少長くなるなら、弟の方にも専用の湯飲みや茶碗くらい買ってやりたい。 それに、どうしてそうした状況になったのか・・・ 一番気になっていることを、まだ聞いてなかった。 直人は思考を事務的レベルに切り替えることにした。 「・・・あ・・・それで・・」 「お兄ちゃ〜ん。TV面白いのがないからゲームしようよぉ?」 未来が直人の言葉を遮る。 これで何度目かの妨害だ。 これが続くようでは肝心な用件も話すことが出来ない。 直人は、腹を据えて、今度は未来の顔をじっと見つめた。 「いいかい、未来君?・・ここで生活する以上、ここのルールは守って貰う。・・・まず、・・・我が侭や甘えたりするのは、子供の特権でもあるし、認めてやる。が、子供である以上、年長者・・いわゆる大人には礼儀正しくしろ。自分を曲げないプライドを持つのはいいことだが、それは相手を見下したり、排斥することとは違うだろう?本当にプライドの高い者は、相手のプライドも認められるものだ。」 直人は背中を低めて、未来の目線で語り掛けた。 未来は目を見開いて驚いている。 ソラはフクフクと腹筋を痙攣させて笑いを堪えている。 普通、8歳の子供に使う言葉ではないだろう。 けれど直人は、利発そうなこの少年、未来なら充分理解出来ると見極めていた。 直人は続ける。 「次に・・・人が何かを話そうとしている時に、遮る行為はするな。もしこれが、重要な懸案だったり、緊急を要する情報だったら、どうする?・・・必ずしもそうとは限らないが、それはある程度、その人物の伝えたい内容を把握してからでなければ、わからないことだろう?将来的に、人の上に立って引っ張っていこうと思うなら、そのことを忘れるな。」 カッ! と未来の目に怒りの炎が燃え上がる。 「お前ッ!・・生意気だぞッ!」 カウチから飛び降りた未来が、腰を落として身構えながら叫ぶ。 「ナーオには手を出すなよ、ミライ。…フフッ。」 サラリと言うソラの言葉が、実は絶対的重みがある。 組織で逆らえる存在はいないだろう。 「・・クッ・・だって、お兄ちゃん!コイツッ・・・」 未来が悔しそうな半ベソで振り返る。 「ここはナーオの領域だからな。ナーオの言い分はしっかり聞かないとね。俺だって、ここではここのルールを守ってるぞ。」 ソラが笑顔で言う。 どうやら、室内であっても服は着用するべし、と言われたことを言ってるらしい。 「まぁ、二人で話してなって。…俺、ちょっと鍋の様子を見てくるな。」 ソラは未来を直人に任せて、キッチンへと逃げる様子だ。 「お兄ちゃ〜ん・・・」 「Sit!!」 ソラが珍しく強い口調で単語を発し、行ってしまう。 「・・・・・犬じゃないやぃ・・・・・」 未来が項垂れて小さく呟く。 その様子があまりにも哀れだったので、直人は無意識に未来の頭を撫でていた。 「・・・・・ッ?!」 不意のことに、未来は言葉なく直人の手を振り払った。 頬が赤らんでいるが、眼光は鋭さを取り戻している。 「・・・君はいい子だな。・・それにとても賢い。・・・だから、難しいことも話すんだよ?わかるね?」 (・・・こーゆー言い方は誤解を招くか・・・) 直人は、出来のいい弟に自己嫌悪になりがちなソラには失言になるな、とソロリと顔を上げてソラに視線を向けた。 カウンターの向こうのキッチンで、ソラが肩を落としている。 (・・・ヤバッ・・・・・地獄耳だった・・・・・) ソラが視線に気付いてか、どうか……チロリンと肩越しにイジケた眼差しを投げ掛け、それから、プイッ、と背中を向けてしまった。 直人は苦い笑みを口の端に貼り付けたまま、わずかな時間固まっていた。 「…ブファッ!!……ッヂィィ……」 ソラが叫んで仰け反っている。 どうやら、前屈みに鍋の蓋を開けてしまったらしい。 ズンドウの銅鍋は縦に長い分、蓋を開けた時、一気に蒸気が上がる。 「ソラッ!?」 「お兄ちゃんッ!」 先を争って駆け付け、ソラをイスに座らせて、濡れたタオルで顔面を冷やす。 どっちが何をするか、と争っている場合じゃない。 未来がタオルを渡せば直人が水で濡らして絞り、未来に渡して未来がソラの顔に掛けている間に、直人が別のタオルを濡らして絞る。 ―――緊急事態で、功を競うより、共通意識を持って最善を尽くす。 大袈裟な言い様だが、人種や思想を凌駕する仲間意識が、そうした苦難を乗り越えた時に培われるように思える。――― ソラを守りたい、と思う意識は、直人も未来も同じだった。 「いいよぉ……もぉ…二人共ぉ……」 次々と冷たいタオルを顔に掛けられ、ソラが溺れそうな声で喘ぐ。 「・・赤味は引いたか?」 「まだ少し赤いよぉ・・お兄ちゃん・・・」 「いいったら……ったく…大袈裟にするなッ。」 タオルを顔から退けて、ジロジロと顔を観察している二人を睨む。 「…どーしてみんな俺に過保護にするんだ……」 怒った顔の奥に、悔しさが滲む。 「・・・いや・・・そーゆー訳じゃないが・・・まぁ・・・なぁ?」 直人は返答に困り、未来にパスする。 「・・・ぅ・・・・・・なぁ?」 未来も直人にモジモジと躙り寄り、後ろに隠れようと間合いを計っている。 「……チェッ……なーんか二人っていきなり仲良くない?……つーか…腹空き過ぎて…怒る気が失せたし……なぁ〜…ナァ〜ォ…」 直人は、ああ!と笑顔になり、 「そうだな。もう煮えてるだろう。仕上げて食事にしよう。」 と、頷いて答えた。 この後、三人で迎えた食事風景は、妙なハイテンションとぎこちない和やかさで、楽しく賑わうものとなった。 けれど、謎は残されたまま・・・。 親とはぐれた二人の少年”Boys”は・・・どうなるッ?!(…な訳ないし…) 『Curry and rice』......end...... ![]() |
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