§U−2§「手と手から始めよう」
御門の送迎に伴い、登校時間が1時間も早いヒナは、HRまでの時間を図書室で過ごすようになっていた。
当然、図書館管理の人の手伝いをすることも多くなり、いつの間にか図書委員に組み込まれてしまった。
あまり本を読まなかったヒナだが、返却された本を分野別とか50音順に並べていく内に、普段なら手にすることもないような本の存在を知り、興味本意に中をパラパラと眺めたりする楽しみが出来た。
御門がヒナの買い物に付き合う時、ヒナが迷って時間を費やす間、よく読書して時間を潰している御門に、「そんなに本って面白い?」と聞いたことがある。
御門は特に意味のある返事はせずに、「まぁね。」と笑っていたが、こうした雑学のような知識も面白いものなのかも、と思えるようになった。
同じ本好きでも、哲学や思想系もしくは法学関係を好んで読んでいた兄とは(少し違うな)と思う。
御門の勢いに押されて、名目上は交際が始まっているが、ヒナにはまだ御門がどんな人間なのかがわからなかった。
兄と比較するべきではない、とは思う。
けれど、身近な男性であった兄と、無意識にも比較してしまう。
優しかった兄の代わりが欲しい訳じゃない。(…多分…)
ただ、兄の存在がヒナ自身の存在証明だったから、自身すら見えなくなりそうで不安な心を、誰かに繋ぎ止めて欲しかったのかも知れない。
いつものように図書室の鍵を開け、本の整理をしてから、窓際の席で読み掛けの本を開く。
眠い時はそのまま本を枕に寝てしまうし、気持ちが文章に入っていかない時は校庭で朝練をする運動部の姿を眺める。
剣道部は道場で練習なので御門の姿は見えないが、サッカー大好き少年の天野耕祐が、遠目にもわかる○ッカムヘアで元気に走り回っている。
クラスメートの高倉操が生徒会役員に立候補した時、天野に誘われて後援会に参加して以来、日常的に会話する親しい関係になっている。
「あ、やっぱりいたぁ〜。ねぇねぇ〜ヒナぁ、手伝ってぇ。」
生徒会書記になった操が、図書室に大量のコピーを抱えてやってきた。
「ぁ…うん。」
いつものことなので慣れてるヒナは、本を閉じて、資料を分けて束ねる手伝いをする。
「ギリギリになってアンケートを提出してくるクラスがあるから、もぉ〜今日が会議なのに間に合わなくなるじゃん、ねぇ?」
「そぉなんだぁ……操さんも大変ねぇ。」
「ホント、厄介事は一年まかせだし・・・って言っても、好きでなった役員だから、文句も言えないけどねぇ。ウフッ。」
完璧にヒナをアテにしている操だったが、そのせいか、ヒナといつも一緒に操が行動することが多く、ヒナも孤立しがちだったクラスに馴染むようになった。
ただ、わずかな問題は、クラス委員で押しの強い操と一緒にいることで、受動的立場ではありながらも中心グループと見なされがちなことだった。
中学までは寡黙で隅っこにいるタイプだっただけに、常に人に囲まれている状態は、精神的に疲れることもある。
だから、操や取り巻きの人達の会話に合わせて笑っているのが精一杯だったが、会話が苦手な分を出来ることでフォローしようと、なるべく操の手伝いは積極的にするようにしている。
それが益々操にアテにされる要因になっていた。
「ふぅ〜・・・サンキュ、ヒナ。助かったぁ〜。」
「どういたしまして。…フフッ…」
「じゃぁ、これ、生徒会室まで運んで教室に戻ろう?」
「ぁ、うん。」
操と行動する利点は、どれほど忙しくても操が時間をはっきり把握している、という点だろう。
本に没頭してHRに遅れてしまうヒナには良き友だ。
会議の資料を半分ずつ持って図書室を出ると、
「ヒナ、おはよぉ。」
と、早坂翔子が現れた。
翔子は親しくなっていく内に、始業前にヒナを迎えに来てくれるようになった。
クラスが違うので、登校したら図書室に顔を出し、少しの間だけでもヒナと話が出きる時間を持つようにしているらしい。
「あ、生徒会室?手伝うね。」
気さくな翔子がヒナの抱えている資料から半分取り上げる。
「翔子。私のも手伝いなさい。」
操が苦笑気味に文句を言うと、翔子は、
「はいはい。」
と、操の方からも少しだけ掴み取る。
クラスは違っても、ヒナを間にして翔子と操も親しくなっていた。
「おやおや。朝から仲良し三人組に会えるとは、嬉しいね。」
資料を生徒会室に置いてきた帰り、階段の途中で、朝練を終えた御門と出会した。
少し紅潮した御門の顔は、汗を洗い流したばかりで輝いている。
「「お早うございます。」」
ヒナの彼氏とわかっていても、どうしても赤面して返事をする操と翔子。
ヒナだけは、(学校では顔を合わせたくないのに…)と、不機嫌そうに目を伏せる。
御門の彼女だった人達が、どこで見ているか、わからないだけに嫌だったのだ。
噂では、公認・非公認を合わせると、御門と関係のあった女生徒の数は、両手でも数え切れないらしい。
そんな世界とは無縁だとヒナは思う。
御門の存在は必要でも、恋人という感覚が持てない。
とは言え、友達でもなく、まして兄貴分でもない。
どんな自覚を持てばいいのか、わからないヒナは、御門の顔を見ると急に不安になってしまうのだった。
俯いてるヒナを余所に、操と翔子が、御門に促されるように取り留めもない会話をしている。
ヒナが腕時計を見て溜息を吐いてみせても、反応がない。
仕方なく翔子の半袖の端を摘んで軽く引っ張ると、
「あぁ、そうだ、ヒナ。今度の日曜日、午前中は早坂君と買い物だっけ?」
と、御門がわざわざ確認する。
「……ぅん…」
何も今言わなくても、と怪訝顔で答えると、
「だったら、早坂君も一緒にお昼を食べよう。ヒナの面倒を見て貰ってるお礼に、俺が奢るからさ。」
と、今度は翔子に向かって言う。
(…はぁ?!)
ヒナは御門が何を急に言い出すのかと、眉を寄せて見上げた。
お昼は”翔子と一緒だから”と断っておいたはずなのだ。
「え・・・そんないいですよぉ・・・お邪魔虫にはなりたくないから、遠慮しておきます。」
翔子は、ヒナと御門が午後からデートなのだと察知して、そう答えた。
「そんな遠慮はいいから・・・な?」
「・・・でもぉ・・・」
「ただ、時間が少し押すけど、ヒナのお守りをして待ってて欲しいんだ。いいかな?」
「あ、はい。それはもちろん・・・」
「じゃぁ、それで決まりだな。」
御門は爽やかに微笑む。
ヒナは胡乱な目で固まっている。
「いいなぁ、翔子。私も日曜のお稽古事が早く終わればなぁ・・・」
操が翔子の腕を掴み、揺らしながら言うと、
「俺も多少遅れるし、お昼’だけ’でも一緒にしようか?それで良ければ・・・」
と、仕切る御門。
「いいんですか?・・わぁい、やったぁー!」
何故かヒナの意志は無視されたまま話が進む。
…こんな時、どうすればいいのだろう……
ヒナが悩んでいると予鈴が鳴り、話はそこで打ち切られ、各々の教室へと急いで向かうことになった。
後になってメールで、ヒナが「翔子と約束があるから」と御門を断ったことを説明すると、翔子は「午後は御門様とデートなのかと思ってたぁ・・・」と笑いながら謝ってきた。
「でも、お昼を御馳走して貰えてラッキー♪でいいじゃん?」と気にする風でもなく、「彼氏は大事にしなよ?まして御門様ほど素敵な彼氏なんて、なかなかいないんだから、ね☆」とアドバイスまでしてくれる。
ヒナは、メールでは複雑な心境を伝えられない、と思い、「…うん。」と曖昧に返事するしか出来なかった。
真夏の陽射しが照りつける日曜日。
おしゃれな街に繰り出したヒナと翔子は、ファッションビル巡りをして可愛い服を見て回った。
翔子は自分でアレンジして着るのが好きなタイプで、買うと言うよりデザインを参考にしようとチェックしている。
ヒナはこうした所の服は、大抵兄からのクレームがつくので、見学気分で翔子に付いて回った。
兄の雄志に言わせると、流行りのファッションの大半が、「あんな服は外国の文化圏じゃ娼婦しか着ないぞ。」らしい。
結果、ヒナの着る服は、衿と袖のある清楚な物がほとんどだった。
今日の服装も、衿と袖ぐりが白いブルー地のワンピースで、派手な服装の人達の失笑を込めた視線を向けられている。
段々周囲から浮いた気分に落ち込んできた頃、
「ま、チェックはこんな所でいっか。アイス〜食べに行こうね。」
と、翔子が言った。
ヒナはホッとして、
「うん♪」
と、笑顔で答えた。
「ん〜〜…オイチィ〜♪」
ソフトクリームの尖った先端を口に含んだ途端、ヒナの笑顔が弾けた。
すると、二段重ねのアイスクリームを囓っていた翔子がクスクス笑い出す。
「…ぇ…?」
「あ〜可愛いなぁ、ヒナは。」
「…ほぇ…?」
「同性から見ても可愛い、って思うんだから、御門様がヒナに夢中になるのもわかるかもぉ〜♪・・・フフフ・・・」
「もぉ〜翔子ぉ……からかわないでよぉ…」
「ホントだって。」
「ヒナより翔子の方が可愛いじゃん。すっごく女の子らしいしぃ…おしゃれだし…」
ヒナは暑い陽射しに溶け出すソフトクリームが垂れないように舐めながら抗議する。
「ヒナの服装だって可愛いじゃん。そーゆーのってロリータっぽくってマニアにはたまらないんじゃない?」
「……何…それ?」
「あ、知らないかぁ。・・・じゃ、いいや。忘れて。」
翔子は笑いながら、自分もアイスクリームを舐める。
「…ぅぅ…なーんか気になるぅ…」
「ダメダメ。変な知恵を付けちゃうと御門様に叱られちゃうもん。」
「そんなぁ……そんなに…親しい関係でもないよぉ……」
ヒナは口を尖らせて口ごもる。
「そう?・・・でも、恋人でしょ?」
「まさかぁ…?!」
「だって交際宣言したじゃん。」
「…だって……交際始めたら恋人になるの?…恋人ってどんな存在?」
ヒナが真面目な顔で問う。
「えー?!・・・そう改めて聞かれるとなぁ・・・どうなんだろ?」
翔子も真面目な顔で首を傾げる。
それから何となく周囲を眺めて、カップルの男女に視線を投げた。
「・・・並んで歩いているからって恋人同士とは限らないよねぇ・・・」
「…ぅん…」
「手を繋いだら?・・・キスをしたら?・・・Hしたら?・・・だけど、HだけのSFの場合は恋人とは言わないだろうし、援助交際とかの場合は・・・はっきり言ってただの売春だしね。」
「…ショ…ショーコォ……」
翔子のストレートな言い様に、ヒナが顔を赤らめる。
「やっぱ気持ちの問題かな。その点で言えば、御門様にとってヒナは大事な恋人だと思うなぁ。だって、すっごく大切にしてるのが見てるだけで伝わってくるもん。」
「……そぉ…?」
「うん。だから、後はヒナの気持ちがもっと・・・」
「……もっと…?」
「トキメクようになるとか・・・すれば・・・かなぁ?ごめん。私にもわかんないかも。アハッ。」
「……トキメキ…かぁ……トキメク…けどぉ……」
ヒナはボンヤリと御門を思い浮かべて考えてみる。
御門に見つめられればドキドキする。
ドキドキするのが怖くて、向き合って見つめ合えない。
何となく気配を感じていられれば安心できるし、今はそれ以上どう接していいかがわからなかった。
だから、困って赤面する姿を学校で晒したくなくて、出会してもそっぽを向いてしまうのかも知れない。
「あ〜〜!ヒナ、ヒナぁ!垂れてるって・・・」
「…ぇ……ア゙〜〜ッ……」
溶けやすいソフトクリームを持ったまま考えていたので、液状と化したクリームがポタポタと滴り落ちている。
慌てて口をかぶせたら、逆に一気に手を伝って流れてしまった。
「…ぅッ…ぅぅーッ…ベトベトォォォ……」
口の回りもクリームだらけになって半べそ状態のヒナに、
「ぷぷぷぷッ・・・プーーックックククッ・・・」
と、翔子が笑いながら、
「これだもんなぁ・・・ほら、そこの店で手を洗わせて貰おう?」
と、ヒナを慰めつつ誘導する。
周囲からも知らない人達の笑いが聞こえる。
「…グフン……クフン……」
恥ずかしさで顔を上げられないヒナは、翔子に腕を引かれるのを頼りに店の中へと逃げ込んだ。
(…お兄ちゃまと一緒にお出掛けしてた頃は、お兄ちゃまが垂れる前に舐めていてくれたから…)
ヒナは情けなさと同時に、兄が恋しくなっていた。
(…恋…?……恋って…?)
御門と待ち合わせの約束をしたモニュメント前。
すっかり落ち込んだヒナが項垂れて立っている。
交差点の信号機前でヒナの姿を見つけた御門が手を振るが、手を振り返したのは翔子だけだった。
片目を眇めた御門が小走りに横断歩道を渡り、ヒナ達に近付いてくる。
翔子がヒナに何事かを耳打ちしたが、ヒナは顔を上げなかった。
「どうにか早めに切り上げて来たつもりだったんだけどな。・・・どうした、ヒナ?」
そう御門に声を掛けられても顔を上げないヒナに代わって、翔子が小声で御門にソフトクリームの一件を説明する。
「・・・そっかぁ・・・楽しみにしてたのに、溶けちゃったのか・・・」
御門があまりにも優しい声でそう言ったので、翔子の方が驚いた顔で御門を見つめた。
わずかに寄せた眉と痛むような笑みに細めた切れ長の目は、今にもヒナを抱き締めそうな愛しさが込められている。
学校では見たこともない御門の表情に、翔子は言葉を失って瞬きを繰り返した。
「今日は特に暑いみたいだからなぁ。これだけ暑かったら溶けて当然だろ?笑う奴等の方が可笑しいさ。ソフトクリームがマシュマロで出来てるとでも勘違いしてるんじゃないのか?なぁ?」
「なぁ?」と言われて、返事をしようか迷った翔子だったが、腰を屈めた御門の視線がヒナを見つめていることに気付き、そのまま黙っていた。
「誰だって失敗くらいする。気にするな。」
(・・・今、この場で、黙って抱き締めてやれれば・・・あぁ・・・せめて、頭を撫で撫でしてやれれば・・・)
御門の胸がキューンと痛くなる。
切ない想いのままに行動してしまったら、ヒナは激しく拒絶するだろう。
(・・・怖くない・・・怖くないよ?)・・・と伝えたいが、今はまだ無理なのだ。
見つめ合うことさえ怖がるヒナに、触れることは許されない。
見つめ合えるようになって初めて、そっと手を合わせよう・・・と決めている。
そうしたフラストレーションが、御門の”人形抱っこ”になるようだ。
「・・・けど、勿体ないことをしたなぁ。今度、溶け出したら、俺が一口で喰ってやるさ。」
甘い物は苦手だったが、(ヒナの為なら!)と決死の覚悟の御門に、ヒナが少し顔を上げてチラリと視線を向けた。
「……甘いの…嫌いなくせに……」
「心頭滅却すれば・・・どうにかなる。」
自信満々に答える御門に、ヒナがツンと顎を向ける。
「そんな食べ方されたら、ソフトクリームが可哀想じゃん。」
「ヒナがイジケるよりはマシだろ?」
「…ぅッ…イジケ…てないもん。…プン!…」
「ほぅ?・・・まぁ、いいさ。」
御門が大袈裟に肩を竦めてみせると、ヒナは頬を赤らめて視線を逸らし、小さく息を吐いた。
翔子から見れば、恋人同士の他愛ないじゃれ合い的会話に思える。
何より、人に対してこれほど優しく接する御門を、翔子は見たことがなかった。
御門と言えば、規律に厳しく礼儀を重んじ、男子には常に威圧的で、女子には(陰で耳にする噂は別として)距離を持ち、礼節を踏まえて接していたのだ。
「贈り物を御門様が気に入られると、お手つきになるそうよ。」と先輩から教えられたりもしたが、全ての女性に向けた御門の優雅な微笑み等は、一つのパフォーマンスであり、サービスの一環なのだと皆が理解していた。
いわば、女性に対して、本音を出さない、仮面をつけていた、とも言える。
それなのに、ヒナに対しては、剥き出しの感情そのままに本気で向き合い、想いを伝えているのが、ひしひしと伝わってくるのだ。
学校でもヒナに向ける眼差しや態度で感じていたことだが、こうして学校を離れると殊更ヒナに甘い。
はっきり言って、(・・・ちょっとやってらんないなぁ・・・)という立場にいる自分に気が付いた。
「高倉君はまだのようだが、どれくらいで合流出来るのかな?」
取り敢えずヒナの落ち込みが軽減したようなので、御門は翔子に話し掛けた。
「あ、はい。さっきメールしたら、電車が駅に着いた、って言ってましたから、もうすぐだと思います。」
「そうか。じゃぁ、このまま待ってるとするか。」
頷きながらそう言った御門は、
「今度待ち合わせする時は、建物の中にしよう。」
と、陽射しの強さを気にしている。
自身の為でなく、逆上せ顔のヒナを気遣ってのことだと、すぐにわかる。
「ホント!アツイですもんねぇ〜!」
翔子が皮肉っぽく返事をすると、
「かき氷…食べたいねぇ…」
と、わかってないヒナがハンカチで汗を押さえ、
「外を歩く時には帽子か日傘がいるな。」
と、承知で惚ける御門が片頬に笑みを浮かべた。
操が合流し、御門の先導で、オープンテラスもある明るい雰囲気のレストランに入った。
雑誌で何度か紹介された若手料理人の創作料理が楽しめる店だった。
混んではいなかったが、その理由は全て予約席だそうで、御門が今日の為にセッティングしていたらしい。
まだ高校一年生のヒナ達は、紳士淑女が利用するような大人の雰囲気の店に、困ったような顔を見合わせた。
「そう気を使う店じゃないから、もっと気楽にしていいんだよ?」
戸惑う三人に代わってメニューを決めた御門が、静かな笑みを湛えて低めの声で言った。
その話し方からして大人っぽさが漂っている。
「・・・御門様って、いつもこんな感じのお店で食事されるんですか?」
操が小声で聞く。
「たまに利用するくらいだな。むしろ普段はもう少し・・・照明が暗い店を選ぶことも・・・。ま、ここは君達に合わせて選んだ店だから、気に入って貰えるといいけど・・・」
「そぅなんですかぁ。・・・・・何かスゴイねぇ・・・」
操が翔子とヒナに同意を求める。
緊張気味に息を潜めている二人は黙って頷く。
音量を押さえた静かなクラッシックが流れている。
テーブル同士の感覚は広いが、離れた席から時々食器の音が聞こえて来るほど、澄んだ明るさが支配している。
各々のテーブルで交わされる会話も、明瞭には聞き取れない程度の上品な話し方がなされているようだ。
普段、女子高生が騒いではしゃぎながら会話するファーストフード店とは、格段の差がある。
それでも、料理が運ばれ食事が始まると、肩の緊張が和らいでくる一方で、背筋が伸びてくるから不思議だ。
創作料理と言うだけあって、意外な食材の取り合わせや、これまで知らなかった美味しさは、場の雰囲気に慣れない彼女達でも充分堪能出来た。
それに、いつもなら人一倍頼りない印象のヒナが、割と慣れた様子で食事を楽しんでいた。
「どう、ヒナ?・・・美味しい?」
御門の問い掛けにも、控え目な笑顔で、
「…ぅん。」
と、素直に答える。
危なげな様子もなく、ナイフやフォークを動かす手がしなやかに運ばれる。
「ねぇ・・・ヒナってこうゆう店に慣れてる?」
ふと疑問に感じた操が聞くと、
「…ンー…ワカンナイ……けど、お兄ちゃまが好きそうな雰囲気みたい。…ゥフッ…」
と、笑顔で瞬きをした。
「クスッ。・・・だろ?」
御門は承知していたように、満足そうな笑みを零す。
ヒナには、兄に連れられて行く店自体に興味がなく、慣れているという自覚がないとしても、あの雄志なら選ぶだろう店の雰囲気を、御門は推察していた。
むしろヒナには、一般的女子高生が好きな店は息苦しい場所なのだとわかっていた。
だから緊張状態が続いて、つい失敗をしてしまうのだ。
常に兄:雄志に守られてきたことを理解した上で、ヒナと付き合うことが、ヒナの心を解きほぐす手段だろう、と踏んだのだ。
「・・・ふーん・・・・・フゥッ・・・アツイね・・・」
ナプキンで顔を扇いだ操が、ジュースの入ったグラスに手を伸ばし、ゴクゴクと飲む。
「・・・クスクス・・・エアコンは効いてるけどね。」
翔子は、操も、御門のヒナへの有り得ないほどの優しさぶりに気付き、アテられ始めたなぁ、と可笑しさが込み上げてきた。
これだけアテつけられたら、到底午後まで行動を共にする気が失せる。
お邪魔虫は早々に退散しよう、と翔子と操がアイコンタクトで了解し合う。
御門は一層笑みを深め、
「冷たいデザートを追加注文しようか?」
と、さり気なく言うが、目を輝かせたのはヒナだけで、
「「遠慮します。」」
と、二人は即答した。
「……ぁーーーぁ……何で二人とも急に帰っちゃうんだろ……ブツブツ…」
レストランを出るなり、翔子と操は申し合わせていたかのように、ヒナと御門に暇を告げた。
昨日の確認メールでは、午後も付き合えるようなことを言ってくれてただけに、ヒナは取り残された気分になっていた。
「用事が出来たらしいし、仕方ないさ。な?」
何故かご機嫌な御門が明るい声で受け流す。
「それより、食後の腹ごなしに少し歩かないか?外はもう暑くて無理だから、あのビルなんてどう?」
御門が指差したビルは、ヒナもたまに服等を買うショップも入っている、結構大きな建物だった。
兄が連れて行ってくれる時は、いつも車で駐車場に乗り付け、そこにある入り口から中に入っている。
歩いて通りの入り口から入るのかと思うと、兄との思い出が徐々に過去になっていくような感慨にとらわれ、ヒナは返事に躊躇った。
「・・・午前中に歩き過ぎて、疲れちゃったかな?」
ヒナの顔を覗き込むように優しく聞いてくる御門と、顔を上げたヒナが思いの外、間近に見つめ合ってしまい、ヒナは焦って顔を背け、
「…べ…別に…平気だもん。」
と、答えた。
「良かった。じゃぁ、行こうか。」
御門が自然に手をヒナの前に出す。
ヒナは小さなバッグの柄を、ハンカチごと両手で握り、差し出された手を擦り抜けて歩き出した。
(・・・まだ早かったか・・・)
御門は、ギュッ、と手を握って拳にしてから、フッ、と苦笑を洩らし、ヒナに並んで歩き始めた。
辿り着くまでの日中の陽射しが、ビルの中に入った途端クールダウンする。
暑さに弱いヒナは、ホッとして深呼吸した。
ビル全体にほの甘い爽やかな香りがするのは、空調にアロマを使用しているからだと聞いたことがある。
行き届いた管理は、このビルで扱われる商品の高さを頷かせるだけの価値がある。
出来れば、こうした場所は汗をかかずに訪れたいと、つい我が侭に考えてしまう。
クールダウンしたのはいいが、汗が冷やされて背中が冷たくなってきていた。
「今年の夏はレースの上掛けみたいなのが流行りだろ?」
女性ファッションを扱っている階に、エスカレーターで上がってきた時、御門が言った。
御門は足を速めてヒナを誘導するように一歩前を歩き出した。
そして色々なレース物が並ぶショップで、
「これなんかヒナでも似合いそうだな。」
と、選び始める。
ヒナが(…どうかなぁ?)と首を傾げていると、
「合わせてみよう。」
と、背中を押されて鏡の前に立つ。
フワッ、と肩に掛けられると、背中の寒さが和らいだ。
粗い目で編み込んである総レースで、意外と軽いがエアコンの冷気は防いでくれる。
ヒナが寒くなっていたことを気が付いていたらしい。
(…どうしてわかっちゃうんだろ…?)
…まるでお兄ちゃまみたい…と思ってから、ヒナは自戒に赤面した。
「なかなかに可愛い。」
御門が気に入って頷いている。
が、ヒナは値段に視線を向けて、目を丸め、口パクで{「ダメダメダメェ〜!」}と御門に訴えた。
「気にするなよ。今日のデートの記念に俺からのプレゼントさ。」
御門が余裕でそう言った途端、ヒナの表情が曇った。
そして、ストールを外すと、
「これ、戻しておいてね。」
と、キッパリ言って、ショップから出てしまった。
「え?!・・・おい・・・」
「何が気に入らなかったんだ?」
商品を戻してヒナに追いついた御門が聞く。
ヒナは口を引き結んで怒った表情を崩さない。
「けっこう似合ってたけどなぁ・・・」
「そーゆー問題じゃないの。マロにプレゼントして貰いたくなかったの。選んで貰えるのは第三者としての意見だから嬉しいけど、マロに買って貰うのは嫌。…まして、あんなに高価な物…」
「たいした額じゃないさ。」
「だから…そーゆー問題じゃないの。」
同道巡りのような押し問答になってしまう。
通路で言い争うのも体裁が悪い。
御門はヒナを展望ルームのラウンジへと促した。
喫茶コーナーの席に向き合って座る。
「食事したばかりだし、さっぱりとレモンティーにしようか?」
そう聞いてくる御門の声はあくまでも優しい。
ヒナは黙ったまま、コクリ、と頷いた。
レモンの香りが心地いい、温かいレモンティーを一口、含むように飲んだヒナは小さく息を吐いた。
気持ちが和んでくる。
「……美味しぃ……」
「そっか。良かった。」
御門からも安堵の息が零れる。
ヒナは上目遣いにチラッと御門を見てから、もう一口レモンティーを飲んで、カップをテーブルに置いた。
「……どうして?」
「・・・ん?」
「…どうしてそんなに優しいの?」
ヒナが拗ねたように唇を尖らせる。
御門はヒナのアヒル口に、プッ、と笑みを零し、
「彼女に優しくするのは当然だろ?」
と、首を軽く傾けた。
「……だけど…前はもっと意地悪だったし……」
「・・・ッ?!・・アッハッハハッ!・・・っと・・・」
御門はうっかり声を出して笑ってしまい、慌てて口を掌で覆うと、悪戯っぽい目をして肩を竦めた。
それから、
「そりゃ・・・ヒナとは出会い方がまずかったし・・・俺にも意地があったからな。ついムキになってキツイ態度にもなったが・・・今思えば、ずっとヒナが好きだったんだと思うよ。好きだから意地悪するなんて、俺もまだまだガキだぜ。」
と、苦笑する。
あまりにも率直な答えに、ヒナはまじまじと御門の顔を見てしまった。
御門は優しい眼差しを返してくれる。
それが意識しないほど自然だったので、ヒナはじっと御門の瞳の奥を覗いていた。
≪ガタンッ・・・≫、と後ろのテーブルから音がして、ヒナはハッと我に返る。
そして、しばらく見つめ合っていたことが急に恥ずかしくなって、耳まで赤くして目を伏せた。
「……マロって…本当は優しいんだ……」
「どうかな?・・・俺だって怒る時もあれば・・・色々さ。」
「……ぅん。」
「それに・・・誰にでも優しくは出来ないしな。」
「……そぉ…?」
「取り敢えず、彼女限定ってことにしておいてくれ。」
(ドキッ…)としてヒナが視線を向けると、御門は片眉を上げて不敵な笑いを浮かべた。
「生徒会からは退いたし、今後は個人の努力が試される時期となる。誰彼と無く親切に出来る余裕はなくなると思うしね。」
「…ぁ…ぅん。」
暗に、ヒナの友達までご機嫌取りは出来ない、と言ってることを、鈍いヒナにも理解出来た。
今日だけは特別サービスをしたが、今後は友達一緒のデートはしない、と言うことだろう。
「…ごめんなさい…」
ヒナが両手を膝の上に置き、ペコリ、と頭を下げると、
「わかって貰えればそれでいい。」
と、御門はレモンティーのカップを口元へ運んだ。
「・・・けど、何でさっきは急に怒り出したんだ?」
「……あれは…だって……」
「俺の態度が強引だったから?・・・気に入らないことでも言った?」
御門のわずかに寄せられた眉が、穏やかな問い掛けとは裏腹に、胸中の苦しさを語っている。
そんな真摯な態度に、ヒナも誤魔化すべきではないと、自分の正直な気持ちを話すことにした。
「…そーゆーことじゃないの。」
一度レモンティーで喉を湿らせてから、ヒナが話し始めた。
「…マロから高価な物をプレゼントされるのは嫌なの。」
「高価ってほどじゃないだろ?」
「でも…御菓子とかアイスとかなら、ヒナもマロの分を買ったりして、お互いで気にしない範囲に交換出来るけど…万単位の物は頂くべきじゃないと思うの。」
「・・・彼女なんだから・・・あれくらいいいじゃないか・・・?」
御門にはヒナの言いたいことがわからない。
デートの度は無理でも、記念になるような時にはジュエリーも贈りたいと思っている。
「俺が自分で稼いでないからか?・・・だったら心配はない。俺には俺の事情があって、自由に出来る貯金はかなりあると言っていい。」
「違うの。」
ヒナはもどかしげに首を振る。
御門は腕組みをして、聞こえないように溜息を吐いた。
「……だって……マロはこれまでたくさん贈り物を貰ってたでしょう?」
ピクリッ、と眉が動き、
「・・・まぁね。」
と、苦々しく答える。
「…だから…せめて今の高校にいる間は、ヒナはマロからの贈り物を貰うべきじゃない、って思う…」
「それは別問題だ。」
「…別じゃないもん。…御門様に認められたい、って一生懸命考えたりお小遣いを貯めて買った物かも知れない。その気持ちが…消えない時に、ヒナが何かを貰ったりしたら、それは傲りであって、みんなの純粋な気持ちへの冒涜になりかねないもん。」
「・・・そんなに純粋でもないさ。」
つい投げ遣りに言ってしまう。
と、ヒナがムッとして睨む。
「…女の子は…きっといつだって…恋をする時は必死だもん。だから、純粋だもん。」
「・・・お前なぁ・・・自分がされたことを忘れたのか?」
御門は今度は聞こえるように溜息を吐いた。
「だけど…マロだって…自分の責任だ、って言ってたじゃない。」
「それはそうさ。確かに俺にも責任はあったと思う。・・・だから、本当は、汚ぇ最低な行為だ、って思っても、言わずに・・・俺が引き受けられる罪なら全て引き受けようとしたんだ。」
「…なら…」
「だが、俺の責任は責任としても、罪のないヒナへの嫌がらせは、最低だぞ?そんな最低なことをする奴を俺が好きになるとでも思うのか、と問いたいほどさ。人を恨む前に、自分の心の鬼と向き合え、って言ってやりたいね。」
「…みんながみんな…って訳じゃないじゃん。」
「そうだとしても、・・・だ、ヒナ。俺の気持ちはどうなる?人から思われていたら、本当に好きな相手に好きだと言うことも許されないのか?」
御門が身を乗り出して訴える。
「……言ってるぢゃん……」
小声で言ったヒナの一言が、グサリと胸に突き刺さり、御門は目を閉じて目頭を押さえる。
御門が黙り込み、ヒナは拗ね顔で次の言葉を待っていた。
と、しばらくして顔を上げた御門は、
「・・・クッソォ〜〜・・・好きだから、何かをプレゼントしてやりたい、ってのが悪いってのか?え?」
と、語彙を強めてヒナを睨み付けた。
ヒナは御門を真っ直ぐに見つめ返して、怒りを受け止めた。
そして、
「…気持ちに…物はいらない。」
と言うと、目を潤ませて、スンッ、と鼻を鳴らした。
(・・・ッッだぁぁぁぁーーーーー!!!・・・か・・・可愛いぞぉぉぉーーー!!!)
勝負はついた。
御門は敗北を認め、
「・・・そうか。」
と、前髪を後ろに撫でつける仕草をした。
残念ながら、まだ梳き上げるほどの前髪がなく、格好がつかなかったが、冷めたレモンティーを飲み干して、どうにか誤魔化し、
「なら、せめて・・・態度で現させてくれ。」
と言って立ち上がると、ヒナに手を差し出した。
ヒナは躊躇って瞬きを繰り返したが、
「……ぅん。」
と、小さく頷くと、差し出された御門の手に、そっと自分の手を乗せた。
負けて勝つ。
どちらが本当の勝者なのかはわからない。
恋の駆け引きなど、本当はどちらが勝つというものではないのかも知れない。
それでも、ヒナは御門に一歩近付き、御門はヒナとめでたく手を繋ぐことが出来たのだった。
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