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mikado







§U−3§「小夜鳴鳥」


 小さな子供達が、朝から元気いっぱいに遊び回って、そろそろパパのおっきな背中で寝たくなる・・・そんな午後のティータイム過ぎ。
 帰り支度を始めて出口に向かう親子連れとすれ違うように、御門とヒナは遊園地を訪れた。
 夕暮れからは恋人達の時間。
 昼間の甲高い喧噪と笑い声から、寄りそう二つの影が一つのシルエットになる夕暮れの落ち着いた空間に変貌する、都会の遊園地。
 日が延びて、まだ辺りは明るいが、カップルばかりの遊園地に、ヒナは恥ずかしくて俯き加減に御門に手を引かれて歩く。

「・・・ヒナの門限は7時だったよな?」
「…ぅん。」
「まだ、母上と兄貴は留守なんだろ?」
 (つーか、自分の家に帰れよ!クソ兄貴!)
「ぅん。…でも、7時にはお兄ちゃまから電話が来るから…」
「・・・そっか。じゃぁ、間に合うように送ってくから・・・」
 (・・・海外でも日本時間を睨んでるのか、兄貴は・・・恐るべし・・・つか、マジ、自分の女房をもっと気にしろー!!)
 平素の顔で胸中の葛藤を隠し、ヒナが安心するように笑顔で頷く。
「…アリガト…」
 ヒナは控え目な笑みを浮かべ、頬を染める。
 その信頼を寄せる横顔を見られるなら、まずは無理をさせない策を取った方が、得策だろう。
 無理に親やその他の保護者に逆らわせることは、支配権の固持を相手に示す方法ではあるが、相手方の反感を買うリスクも伴う。
 そのリスクが相手(彼女)との絆となる場合もあるが、ヒナにはまだ負担にしかならないだろう。
 負担となることが不信感へと通じるような危険は犯したくない。
 御門はチラッと腕時計で時間を確認した。


「あまり遊ぶ時間はないけど、・・・それでも、どうしてもヒナと乗りたかった物があるんだ。」
 御門が少年のような明るい声で言う。
 ヒナは御門を見上げ、
「……何…?」
 と、なるべく自然に首を傾げる。
 本当はドキドキしてたまらないのに、自意識過剰とは思われたくない。
「あれさ。・・・メリーゴーランド。」
 御門が指差し、ヒナは指し示された先に顔を向ける。
 と、途端にそれまで雑音でしかなかった音楽が、全身を包み込んだ。
 どこかで聞いた懐かしい音楽。
 しばらく遊園地に来ることがなかったヒナは、スーッと気持ちが子供の頃に帰っていく。
「…ぁぁ…懐かしぃねぇ……」
 無邪気な笑顔で頷くヒナに、御門はクスッ、と冷めた笑いを洩らす。
 ヒナにとっては懐かしい空間でも、御門にはそうした郷愁がない。

 ―――小さい頃に遊びに来なかった訳ではない。
 が、御門を気遣って連れてきてくれる父か母の知り合いと一緒に来たところで、他の親子連れの楽しげな笑顔がウザくて嫌だった。
 機嫌取りだとわかっているから、適当に遊んでやって、早々に「疲れた。」と文句を言って終了させるイベント。
 だから、幼い頃の楽しい記憶がある人達には、ある種、神聖な場所だろう遊園地も、御門には利用できるアイテムにすぎなかった。―――

「ヒナのナイトとしては、やっぱり白馬でお迎えに上がらないとな。」
 軽く片目を瞑ってウィンクした御門は、一番大きそうな白い木馬にヒナを誘う。
 足場も高く乗りにくいので、
「…ァーン…怖いよぉ…」
 と、隣の小さめな木馬にしたかったヒナに、
「大丈夫、大丈夫。・・・ほら、ポールにしっかり掴まって・・・」
 と、手を貸してどうにか座らせた。
「……で?…マロは?」
 身長の高い御門より目線が高くなる。
 おずおずと見下ろすヒナに、御門はフフフと意味ありげな笑みを見せる。

 <ヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリリン!!>
 開始のベルが鳴り、音楽が流れ、ゆっくりと床が動き始めると、木馬も静かに上下し始めた。
 すると、側に立っていた御門が、ヒラリ、とヒナと同じ白馬に跨った。
 (…えっ?!)
 ドキッ、としてヒナが肩を竦めた時には、御門が真後ろに座り、ヒナが掴んでいるポールへと両手を伸ばしていた。
 ヒナの背中に御門の胸板がピッタリと重なっている。
 御門の顎がちょうどヒナの頭頂部に当たり、背中から抱き包まれてしまっていることに気付いた。
 けれど今更気付いても、こんな状況では身動き出来ない。
 グルグルと床は回り、視界も回り、木馬は速度を速めて上下する。
 (…ウェ〜ン……どぉ〜しよぉ〜……)
 ポールを掴んでいる腕が触れ合う。
 手を離すには目が回って怖さが増している。
 ヒナは出来るだけ下を向いて目を閉じた。

「・・・風が気持ちいいな。」
 御門が耳元で優しく囁いた。
 真っ赤になって俯いてるヒナは、目を閉じた暗闇で御門の声を聞いた。
 それまで風に気付くことも出来なかった。
 ドキドキ高鳴る鼓動と息苦しさで体が火照り、顔から汗が噴き出すほどに熱かった。
 (……風……?)
 言われてみれば、確かに風が火照った顔や触れ合う腕の隙間を抜けていく。
 髪が後ろになびいて、擦られる耳がくすぐったい。
「・・・ヒナの髪は、いつもいい香りがするな。・・・フフッ・・・」
 一瞬だけ、頭に圧力を感じたが、すぐに遠離った。
 ヒナの髪に頬をくすぐられた御門が、たまらずにそっとキスをしたのだ。
 視界を閉ざした暗闇の中にいるヒナには、一瞬の圧力でしかないが、重なった背中の温もりと大きさが、それほど不快には感じなくなっていた。
 木馬が上下するたびに、触れ合っている腕がわずかに擦れ合う。
 自分で自分に触れる肌とは違う感触。
 女性とも違う、張りのある筋肉を感じる逞しい腕。
 硬質ながらも弾力のある感触が、遠い記憶を呼び覚ます。

 ―――どれほど昔だろう・・・。
 ジリジリと照りつける太陽、ジージーと鳴く蝉の声。
 目映い光が木々の葉に反射する。
 ガラス戸を開け放した軒先で、ヒナは強い陽射しを浴びて座っていた。
 幼すぎる記憶だが、誰もいない背後の室内に、視線を向けるのが怖かったことだけは覚えている。
 外の明るさに比べて、室内は異様に暗く感じた。
 自然の音と光に溢れた外とは対照的に、室内は薄暗く一切の音を消していた。
「ヒナ?」
 何度か兄に名前を呼ばれたが、気付かなかったらしい。
 頭に置かれた兄の手の重さで、ようやく兄が”お外”から帰ってきたことを知る。
「ヒナ・・・頭がアツアツだぞ?”おんも”に出る時は帽子を被らないとね。」
「……おんも…ヂャナイヨ……」
「・・・そっか・・・ならお日様にコンニチワを言う時は帽子を被る、ってことにしよう。いいね?」
「…ぅん……」
 兄に手を引かれて入った室内。
 外との対比に視界がぼやけていた。
 ヒナがぼんやりと佇んでいると、ステレオから音楽が流れ始める。
 TVではあまり聞かないような不思議な音楽。
「塾の帰りに見つけたから・・・ヒナに聞かせようと思ってね。」
 説明しながら、雄志はソファーやテーブルを部屋の隅に押して移動させた。
 ヒナはボーッとしたまま、兄を眺めていた。
 すると、
「さぁ、ヒナ姫。踊りのお相手を。」
 と、言った兄がヒナの両手を取って、曲に合わせて回転し始めた。
 まだ足元がおぼつかないヒナは、引っ張られる状態でフラフラしてしまう。
「クスッ。抱っこした方が早いな。」
 と、雄志はヒナを抱き上げ、片手だけ伸ばすように繋いで、クルクルと回転を始めた。
「…ア〜ン…怖ィ〜…」
「大丈夫だよ、ヒナ。音を感じてごらん。目を閉じて・・・」
 目を閉じると音が大きな流れとなって体の中を駆け抜けた。
 (…後で、その時かかっていた曲が『美しき青きドナウ』だと知った…)
 兄の腕とヒナの腕が触れ合って、髪が巻き起こる風で顔に掛かりくすぐったく、ヒナは次第に楽しくなっていった。
「…クスクス…クスクス…オ兄チャマ……」
「なぁ〜、ヒナ。音楽って楽しいだろぉ?・・・アハハ・・・ほぉら、もっと回るぞぉ〜・・・ハハハ・・・」
「…キャハ……ウン…楽チィ……クスクス…ウフフ…」
 嬉しくて目を開けたヒナを見つめる兄の顔は、悲しいほど優しい笑みを浮かべていた。
「・・・ごめんなぁ・・・遊びに連れてってやれなくてなぁ・・・」
 兄が高校受験を目指していた夏の日のことだった。―――

 (……お兄ちゃま……)
 鼻の奥がツンと熱くなり、涙が滲む。
「・・・ヒナ?」
 ずっと俯いたままのヒナの様子が心配になったのか、御門が呼び掛ける。
「…ぅぅん。…何でもないの。」
 ヒナは顔を上げて目を開けると、手の甲で滲んだ涙を拭い、
「…気持ちいいねぇ……フフッ…楽しぃ……」
 と、少し御門に背中を凭れかけた。
「・・・・・ヒナ・・・・・」
 御門はヒナの頬が濡れている理由が気になったが、今は問うことをやめ、わずかに掛かってきた重さを愛おしく味わうことにした。


「もう一つ、欠かせないのが、アレ・・・観覧車だよな。」
 御門が大きな観覧車を見上げて言う。
 ヒナもつられて見上げるが、あまりの高さに立ち眩みがして、地上に視線を戻す。
 入り口とおぼしき場所からズラリとカップルが並んでいる。
「……時間…掛かりそうだけどぉ……」
「んー・・・ギリギリ間に合うくらいかな・・・いや、間に合わせるから、任せとけって。」
 御門はヒナの手を掴み、グイグイと引いて、列の最後尾に並んだ。
「…アーン…もぉ〜強引なんだからぁ…」
 ヒナは掴まれていた手を振り離し、痛そうに反対の手で撫でる。
「迷ってる分だけ時間をロスするだろ。」
 御門が不敵に笑う。

 初めて手を繋いでから、そう時間が経ってないのに、すっかり主導権を握っている御門に、ヒナの中で警鐘が鳴り始める。
「……こーゆー行列って…苦手だなぁ……」
 ちょっとだけ我が侭を言ってみる。
 と、御門が苦笑してから、
「そうだなぁ。俺も好きじゃないが、・・・ヒナとだから並んでみたかったのさ。」
 と、照れ臭そうに言った。
 ドキッ、とする。
 それでも、男性の常套句かも知れない。
 ヒナはワザと拗ねたように口を尖らせ、
「……ヒナじゃなくたって……」
 と呟いた。
「いや、マジでさ。・・・俺、遊園地自体好きじゃなかったからな。」
 (・・・つーかベッドインしてるし・・・)
「…そぉなのぉ?……フーン……」
「あまりガキの頃に来なかったし・・・いい思い出とかないんだ。」
「…へぇ……」
 ヒナは一見するとお坊ちゃま風の御門を、不思議そうに見上げた。
「別にそれはたいしたことじゃないさ。・・・けど、ヒナはよく遊びに来てたんだろなぁ?」
 あまり深く追求されるのも困るので、話をヒナの方へと振った。
「…ヒナ?…うん。お兄ちゃまが色んな所へ連れて行ってくれたから。」
「・・・だろうね。」
 大袈裟に肩を竦める御門の眉尻がピクピクと痙攣する。

「……でも…お兄ちゃまが朋子さんとお付き合いするようになってからは…行かなくなったけど…」
「それは当然だろ?」
「……ぅん。…当然。…ヒナだってわかってるよ。」
 御門の少しトゲのある言葉に、ヒナは素直に頷き、会話が途切れた。
 フッと背中を向けたヒナからは、焦燥感が漂ってくる。
 ”当然”だと理解することと、”当然”だと思えるようになることと、その差は大きい。
 御門は自分の失言に気付いた。
 (・・・迂闊だった・・・)
 長い待ち時間も、ヒナとゆっくり話が出きる時間と思えばこそ、長蛇の列に並ぶ気になったのだ。
 気まずいままでいたくない。
 (・・・何か話題を見つけて話をしよう。)
 ヒナの口から「お兄ちゃま」という言葉が出て、ムカッとするのは自分の嫉妬からだとわかっている。
 わかっていても不愉快になるのだ。
 勿論、ヒナを理解する上で、兄:雄志の存在は不可欠な要素であり、兄への恋慕がヒナを苦しめているのだということも承知している。
 付き合い始めて当分は兄貴の代理的存在でも仕方がない、と思っていた。
 それでも、頑張って代理を務めている自分の前で、その呼び名を何度も出して欲しくなかった。

 (・・・今度の大会の話がいいか・・・)
 大きく息を吸って気を取り直した御門が、背中を向けているヒナに、
「・・・なぁ、ヒナ・・・」
 と、呼び掛けて顔を覗き込んだ。
「・・・・・・・・・・ヒナ・・・・・」
 ヒナの横顔を見た途端、ギクリッ、と表情を強ばらせた御門は、そのまま口ごもり、唇を噛んだ。
 ぼんやりと虚空に視線を投げたヒナは、魂の抜けた人形のように立ち尽くしていたのだ。
 並んだ行列は少しずつ着実に前へと進んでいる。
 前との間隔が空いて、後ろから咳払いが聞こえる。
 御門はヒナの手を握ると、促すように引いた。
 ヒナは躓きそうになりながらも、前進する。
 御門は無理に会話することを諦め、今現在、唯一の絆であるヒナの手を、息苦しいほどの切なさで握っていた。


 ようやく順番が回ってきて、御門はヒナをエスコートして観覧車に乗り込んだ。
 取り敢えず並んで座ることが出来て、御門はホッと息を吐き、ヒナに話し掛けようと笑みを向けた。
 ヒナはゆっくりと遠離る景色を眺めているようだ。
「・・・あ・・・なぁ・・・さっきは無神経な言い方して、ごめん。」
 どことなく御門らしくない気弱さで口火を切る。
 すると意外なことに、
「ぅぅん。…ヒナこそごめんなさい。」
 と、すぐに返事をしてきた。
 ただ、その表情は暗く沈んでいた。
「いや。俺がヒナの兄貴を意識しすぎていた。・・・一番身近な人間が話の中で出てくるのは、ごく自然なことなのに。・・・東郷だって、すぐに姉貴の愚痴をこぼすしな。」
 御門は務めて明るく言った。
 けれどヒナは、
「ぅぅん。…ホントに…ごめんね。」
 と言ってから、
「……ヒナには…マロとお付き合いする資格がないのに……」
 と、申し訳なさそうに頭を下げた。

 一瞬息が止まり、目の前が真っ暗になった。
 わずかに見えていた灯台の灯りが、真っ暗な雲に覆われ、掻き消されてしまった。
 ドックドックドックドック・・・
 鼓膜に鼓動が響く。
「・・・なぁ・・・・・ヒナ・・・・・」
 切れそうな糸を手繰るように、言葉を探す。

「…ヒナね……お兄ちゃまの幸せだけを祈ってた……」
 肩を落としたヒナが、懺悔するように呟く。
「・・・だけ、って・・・?」
「…一度は否定したかった。お兄ちゃまは絶対ヒナのものだって…誰にも渡さないって。…それ以外の事実は…何にも見ない、聞かない、理解しない、って頑なに決めて…倒れた。」
「・・・入院してた話は聞いてるけど・・・」
「うん。…でも、お兄ちゃまが泣くの。…死なせる為に愛してきたんじゃない、って。」
「・・・・・・・・・・」

「…ヒナね……いつも真っ白な何にもない世界にいたの。自分って存在すらわからなかった。」
 (・・・そうか・・・母親が育児放棄していたから・・・)
 御門は胸が痛くなって、小さく頷いた。
「…でも…お兄ちゃまが教えてくれた。ヒナが生きてること。お外の世界があること。笑うこと、怒ること、泣くこと、全て…お兄ちゃまが教えてくれた。」
 (・・・本当なら、母親が赤ん坊をその腕に抱き、教えてやるだろうに・・・)
 まだ何も知らない真っ白な状態の赤ん坊を、母親が無性の愛で包み込み、色々なことを教えるのが本来の姿だろう。
 少なくとも自分は母親に愛されていた、と御門は思い返す。
 (・・・むしろ・・・溺愛かもな。・・・何しろ、愛人としての確たる立場を得る、保障みたいなもんだし・・・)
 (愛されず、何も教えられずに育ったら・・・孤独というものも知らずに、孤独の恐怖だけを感じていたのだろうか・・・?)
 胸が締め付けられて息苦しくなり、御門は震える息を何度も吐いた。

「…お兄ちゃまね……本当に色々なことを教えてくれたの。勉強も、遊びも、…ご挨拶とか、…お友達もヒナの為に作ってくれた。」
「・・・そうか・・・」
 御門は、(もう、わかったから・・・)と言うように、うんうん、と頷いた。
「ヒナがお友達との付き合い方がわからないから、お兄ちゃまが誘ってみんなを色々な所へ連れて行ってくれたの。」
「わかったよ・・・ヒナ。」
「……楽しかったはずなのに…あまり記憶にないけど……」
 (・・・受動的な記憶とは、そんなものかも知れない・・・)
 御門はまた、うんうん、と頷く。
「…なのに…ヒナはお兄ちゃまを泣かせちゃった……」
「離れても兄貴は兄貴だから・・・」
「………………」
 (・・・いや。・・・母親であり、父親であり、兄でもある存在は、兄貴という立場を超越しているのか・・・)

「……ヒナ…お兄ちゃまがいなくなって…また、カラッポになっちゃったの……」
「・・・そうかも知れないな・・・」
 御門が深い溜息を吐いた。
「そのことがお兄ちゃまを悲しませる。…失望させる。」
「・・・失望じゃないだろ?」
「…だけど…ヒナが心配掛けてると、お兄ちゃまは幸せになれないもん。…だから、お兄ちゃまに、ヒナはもう大丈夫、って思って欲しかった。」
「ヒナはちゃんと頑張ってるよ。」
 御門はヒナの手を握っていた手に力を込める。

「……ダメ……」
「いつだって一生懸命に生きてるじゃないか。」
「……ワカンナイ……」
「ヒナはここにいる。俺の目の前に。そして、いつもキラキラ輝いて、ふわふわ優しくて、サラサラと透明で、・・・俺を惹きつける。俺の心を呼び覚ます、愛しのナイチンゲール・・・」
 ヒナの理解を越える御門のセリフに、ヒナは怪訝な顔で首を傾げる。
「…意味が…ワカンナイ……」
「う・・・つまり、それくらい好きだってことさ。・・・それに、ヒナは自分がない、みたいに言うが、ちゃんと自分の考えや意見を持ってるじゃないか。ん?」
「…自分の意見?」
「そりゃ、兄貴の受け売りだったりする場合もあるだろうが、時には兄貴に逆らっても意見するだろ?・・・例えば、あの加害者達を罪に問うな、とか・・・」
「…それは……」
「それは?」
「…結局……」
「結局?」
「…つまり……」
「つまり?」
 御門にオウム返しに返され、プッ!!と頬を膨らませたヒナは、
「…ヒナのせいで、誰かを不幸にしたくないんだもん。」
 と、怒ったように答えた。
 御門は優しく微笑み、
「ほらな?・・・一番綺麗なヒナが、ちゃーんとここにいるだろ?」
 と、ヒナの純情が自分のことのように嬉しくてたまらない、といった顔をした。

 けれど、御門の想いはヒナに届かない。
 ヒナは俯いたまま首を振る。
「…だけど……パパもママも、ヒナを見る時いつも悲しそうなの。……お兄ちゃまも悲しそう。……その上、マロまで悲しい思いをするなら…ヒナも悲しい……」
 ヒナの声が震えて掠れる。
 (・・・母親に愛されなかった子は、これほどに優しい孤独を抱え込むのか・・・)
 御門も嗚咽が込み上げてきて、飲み下すのに何度も喉仏が動いた。
 (・・・だが・・・悲しみは過ちに気付いていたからじゃないのか?)

「・・・それはな、ヒナ。・・・みんな、お前を愛してるからなんだと思うよ。愛してるのに、どう伝えていいかわからなくて、包んでやりたいのに出来なくて、そんな自分がやりきれないから悲しくなるんじゃないかな?」
「……愛…してるから……?」
「ああ。」
「……ヒナは…マロを傷付けない?」
「ああ。」
 ヒナが涙をいっぱい溜めた目で御門を見つめると、御門も涙を浮かべた眼差しを向けていた。
「……泣かないで…マロ……」
「・・・それは俺のセリフだ・・・ヒナ・・・」
「……でも…」
 そうヒナが言いかけた時、御門の唇がヒナの唇の動きを止めた。

 いきなり間近に迫った御門の顔。
 唇に触れる温かく優しい感触。
 驚きと困惑で息を止めたヒナは、しばらく事態をつかめずにいた。
「今はもう・・・これ以上の言葉はいらない。」
 御門はほんの少し唇を離して、そう囁くと、再び唇を重ね合わせた。
 そっと押し当てるような優しいキス。
 瞬きをするヒナの目から涙がポロポロと零れ落ちる。
 目を閉じた御門も涙が頬を伝う。
 ヒナは間近な御門のクッキリと長い睫毛に感心しながら何度も瞬きをした。
 涙に濡れた御門の頬をヒナの睫毛がくすぐっている。
「・・・ヒナ・・・怖くないから・・・目を閉じてごらん。」
 唇を触れたまま囁かれ、ヒナは戸惑いながらも目を閉じた。
 暗闇の空間に御門の存在を感じる。
 いつの間にか肩に腕を回され、包み込むように抱き寄せられている。
 御門の熱を感じ、逞しい腕の力強さを感じ、柔らかな感触を感じる。

 (……何でこんな展開になるんだろ?)
 御門の熱い息遣いを感じた時、ヒナは急に怖くなった。
 魂が抜けたように心を投げ出していた体に緊張が走る。
 御門はヒナの変化に気付いて、ヒナを腕の中から解放した。
 ヒナは頭から湯気が立ちそうなほど真っ赤な顔をしている。
 (……何でマロと…キ…キス……?!)
 あまりの恥ずかしさからか、ヒナがプーッ!!と膨れっ面をする。
 御門は嬉しさを噛み殺した澄まし顔で、
「いい眺めだな。」
 と、すでに下っている外の景色へと視線を向けた。
 ヒナは頬を膨らませたまま口を尖らせ、
「……お兄ちゃまだって、口にキスなんてしないのに……」
 と、恨めしそうに呟いた。
 (ブッ・・・!!)
「・・・ったり前だろッ!」
 思わず叫んだ御門が、眉間にシワを寄せてヒナを睨む。
「……当たり前だけど……」
 ヒナも自分の言ったことが間違ってたと納得したものの、だからと言って、御門にキスしていいとも言ってないのに、と膨れ面をやめない。

 御門は困った顔で髪を掻いた。
「・・・あー、わかった、わかった。いきなりで悪かった。・・・お詫びに、入り口のワゴンで売ってたグルグル渦巻きのロリポップを買ってやるから。」
 ご機嫌取りにと、試しに言ってみただけだったが、
「ロリポップ?」
 と、聞き返すヒナの口元が、キャンディーの幅に広がる。
 ヒナの脳裏を、ロリポップを頬張って舐めるイメージが支配したようだ。
 横幅が広いキャンディーだけに、ヒナが思い切り笑みを浮かべた時と同じ顔になる。
 (・・・俺のキスより・・・キャンディーが嬉しいのか・・・ガキ・・・)
 御門は、やれやれ、とばかりに溜息をそっと零して、観覧車が地面に到着するのを待った。


 こうして御門がヒナをマンションに送り届けるまで、ヒナの口はキャンディーに占拠されてしまった。
 今日のデートの思い出が、大きなグルグル巻きのロリポップになりそうだ。
 キャンディーに負けた御門は、(兄貴の留守を狙うより、兄貴の信頼を得る男になってやるさ。)と決意を新たにし、大人しくヒナのマンション玄関で、
「お休み、ヒナ。」
 と、別れを告げた。

 夜の闇に沈み始めた地上に戻り、マンションを見上げる。
 ヒナのいる10Fの灯りは、ここからは見えない。
「・・・ナイチンゲール・・・小夜鳴鳥・・・愛しき鳥よ・・・夜の闇より深き黒の森で、赤い灯火のごとき翼を震わせ、真実の愛を唄う鳥よ・・・俺にも聞かせてくれ・・・愛しき俺のナイチンゲール・・・」
 そう小声で歌うように呟いた御門は、軽いステップで歩き出した。