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mikado







§U−4§「痛いの痛いの飛んでいけー」


「トォォォーーーッ!!」
「ハァァァーーーッ!!」
 カンカンッ!
 バシッ!
 鋭い掛け声に続いて竹刀が打ち込まれる音。
 一瞬にして旗が挙がり、勝者が決まる。

「……ぇ…??」
 ヒナは初めて見る剣道の試合に、固唾を飲んで見守っていたが、御門の番になってあまりにも早い決着に、目を瞬かせる。
「……ねぇ…翔子ちゃん…今のわかった?」
「う・・・う〜〜・・・見えなかったよねぇ?」
「ぁ、やっぱ?…何がなんだか、どうやって勝敗が決まったのか、わかんないよぉ…」
「竹刀の動きさえ見えなかったしねぇ・・・」
 大声での声援は禁止されているので、ヒナと翔子は周囲を憚りながら小声で会話している。
 大きな体育館の二階部分が、一般の応援と観覧席となっている。
「あれは御門様の面が入ったんだよ。」
 ヒナと翔子が肩を寄せ合い手摺りに凭れて眺めているすぐ側で、メモを取りながら観戦していた男が言った。
「地区大会レベルじゃ、御門様の竹刀裁きをかわせる相手はいないからな。これまでも、ほとんど一瞬で勝負が決まってる。名付けて”瞬殺の御門”。」
「へぇ・・・そうなんですかぁ・・・」
 翔子が感心しながら頷く。

 と、男がニッ、と歯を見せて笑い、
「俺は帝高校2年で新聞広報部の記者をしている、和泉京介(いずみきょうすけ)。大会中は君達以上に御門様の追っかけをしてるだろうから、度々会うことになるだろうな。・・ってことで、今後ともよろしく。」
 と、親指を立ててウィンクをした。
「あ・・私達も帝高校の・・・」
 翔子が顔を赤らめ、慌てて説明しようとすると、和泉京介は、プッ、と吹き出し、
「ウチの制服きてるんだから言われなくてもわかるよ。」
 と、クスクス笑いながら頷く。
「テヘッ・・・そうですよね。それじゃ、改めて、1年D組手芸部の早坂翔子です。これまで剣道とかって縁がなかったから試合観戦もしたことなくて、知らないことばかりなので、色々教えて頂けたら嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いします。」
 翔子がペコッと頭を下げ、
「ほら。ヒナも・・・」
 と促す。
「ぁ…ウン…1年B組の白鳥比奈です。よろしくお願いします。」
 ヒナも翔子に半分隠れながら挨拶をする。
「いいよ。・・・早坂君と白鳥君だね。よろしく。」
 和泉はメモにペンを走らせた。
「あ、でも、私達のことは記事にしないでくださいね?・・特にヒナは立場が微妙だから・・・」
 翔子がヒナを庇うようにして軽く和泉を睨むと、
「わかってるさ。そんなことをしたら、御門様に〆られる。ハハハッ。・・・けど、早坂君だっけ・・友達思いのいい子だな。」
 と、和泉がポンポンッ、と翔子の肩を叩いた。
「え・・いえ・・・別に・・・」
 照れながら首を竦めた翔子は、ヒナにくっついて並ぶと、再び視線を一階に戻した。

 一階フロアは四つのブロックに分かれていて、それぞれ白いテープで枠取りされた中でトーナメントの対戦が行われている。
 順番を待っている選手は、外した面と籠手を手前に置いて、背筋を伸ばして正座している。
 たまに白い胴着の選手もいるが、ほとんど紺の胴着と紺袴で、小袖に縫いつけられた学校名を見ないと判別がつかない。
 そうした中でも、御門は強いオーラを放ち、目立っている。
「ねぇねぇ・・・帝高校の御門様・・髪を短くされたのね。」
「ホントぉ〜・・・あの前髪が色っぽかったのにねぇ〜・・・」
 溜息まじりに囁いているのは他校生のようだ。
「けど、キリリとした目元はご健在ですもの、やっぱり、艶やかだわぁ。」
「ねぇ〜・・・私も帝高校に行けば良かったぁ〜。」
 そう噂しながらウットリと御門に熱い視線を投げる。
 そしてそれは、応援席にいる女性の大半に共通する熱い吐息だった。

 当の御門は真剣な表情で他の選手の試合を見ている。
 ヒナが応援に来ていることは承知しているが、トーナメントが始まってからは二階に視線を向けることもなかった。
 次の対戦が近付き、再び、御門が手拭いを頭にきつく巻いて面を被る。
 面を被った姿なのに、一層オーラが強まったように感じたのは、ヒナだけではないようだ。
 御門の周辺や二階の観客の間にも緊張感が漂う。
「御門鷹麿!」
 名前を呼ばれ、竹刀を持って立ち上がった御門は、殺気を漲らせた剣士そのものだった。
 ”瞬殺の御門”。
 ヒナが初めて知った御門の怖いほどに真剣な一面だった。


 高校剣道地区大会は、団体戦:帝高校と個人の部:御門の優勝で終わった。
 表彰式終了後、ヒナと翔子は一応体育館の出口付近で御門を待ってみた。
 待っていても一緒に帰れないことはわかっている。
 選手以外の剣道部員もいるし、皆で一度高校に戻り、反省会をしてから解散になる。
 それでも、「おめでとう。」の一言くらいは掛けられるだろうか、と期待していたのだ。
 けれど、体育館を出る前から御門の周囲を大勢の人達が取り囲んでいた。
 他校の新聞部だけでなく、新聞社のスポーツ記者達も本格的な取材をしていて、到底近付ける状態になかった。

 集団から抜け出した和泉が、
「先に高校に戻ってよう。取材記者の中には余計なことまで詮索するタチの悪い連中もいるからさ。」
 と、ヒナと翔子の背中を押すようにして、その場を離れるように促した。
 和泉を含めた三人が少し体育館から離れた時、
「御門様ぁ〜!おめでとぉ〜!」
 と、甲高い声が聞こえた。
 ヒナが思わず振り返ると、一斉に焚かれるフラッシュを浴びながら御門の腕にしがみついている女性の姿が、チラリと垣間見えた。
 肩を露出した派手な服を着た彼女は、どこかで見たことがある顔だった。
「えッ?!・・・あの子って・・・最近ドラマで顔売ってる元アイドルグループの香田ひろみじゃない?」
 翔子も気付いたようで、目を丸くして驚きながら取り巻いてる集団の方へ戻ろうとする。
「こらこら。戻るな。」
 和泉が翔子の衿を掴んで引き戻し、
「自称剣道初段とかで、伝統武芸の振興を応援します、なんて言ってるけど、ただの御門ファンだって噂だな。御門様の趣味じゃないし、気にすることないよ。それより、電車が混む前に帰ろうぜ。」
 と、翔子を引っ張りながら先を急いだ。
 ヒナも御門の困ったような笑顔が気になっていたが、小走りに和泉の後に続いた。

「御門様に芸能人の知り合いがいるのは珍しいことじゃないよ。」
 和泉が電車の中で説明する。
「アイドルなんてむしろ小者さ。映画監督からプロデューサー、TV局や新聞社の重役・幹部クラスの人達とも面識があるしな。」
「えーーー・・・知らなかったぁ・・・」
「御門様の母上は○座の最高級クラブのママだったんだよ?今だって女将をしている高級料亭は有名だし・・・しかも亡くなられた父上は大財閥の会長で財界のドンだった、とかって人物。まぁ、その複雑な事情で、御門様が表に出ないだけで、記事として扱われない裏の情報スジでは有名な話さ。」
「・・・そーなんだぁ・・・」
 翔子は目を輝かせて熱心に聞いている。
 ヒナは、すでにその辺の事情を御門本人から聞いていたので、俯きがちに黙っている。
「だから、あのツーショットも記事にはならないだろうな。」
「・・・そうなの?」
「彼女、これまでだって何度も応援に来ては騒がせてるけど、記事として載ったことないだろ?」
「・・・あー・・・そうかも・・・」
 翔子は顎に指を立てて首を傾げる。
「クスッ。中学生じゃ剣道自体に興味がなかったか。・・・去年は関東大会の会場で騒いで追い出されたし・・・」
 和泉が思い出したように笑う。
「それで、試合が終わってから顔出すようにしたみたいだけど、記事にならないんだから宣伝で来てるとしたら意味がない。結局は応援にかこつけて御門様に会いたいだけらしい、って話だよ。」
「ちょッ・・ちょっと、和泉先輩。」
 翔子が肘で和泉を小突く。
 交際中のヒナを気にして注意したのだ。
「気にしない、気にしない。マジに御門様は芸能人嫌いだから。」
「・・・それならいいけどぉ・・・」
 翔子がチラチラとヒナに視線を向け、「ねぇ?」と怒った顔をして見せた。
 ヒナはわずかに微笑み、そっと溜息を吐いた。

「心配するな、って。御門様、裏を知り過ぎているから興味を持てない、って前に言われてたよ。」
 和泉もヒナを気遣って声を掛けた。
「・・・あぁねぇ・・・」
 翔子が納得顔で頷く。
 ヒナは、気にしてない、と答えるように首を振った。
「それに、あの場に白鳥君がいるのはマズイ、って俺に耳打ちして、先に高校まで送ってくれ、って頼んだのは御門様なんだぜ?」
「…ぁ…そぉなんですかぁ…ありがとぉございます。」
 電車に乗って初めて声を出したヒナは、はにかんだ笑顔でペコリと頭を下げた。
「いやいや。光栄なことだよ。」
 和泉は胸を張って手を振ると、
「純粋なスポーツ記事としては、優勝者へのインタビューは当然だし、記事になるのは断れない。載らないのは彼女との記事ってこと。」
 と、話を続けた。
「それはそうですよねぇ。だって、他の地区の選手は他地区の結果とか、次の大会で対戦する相手の情報は欲しいはずだもん。」
 すっかり和泉の話に乗っている翔子は、自分も記者になった気分で意見する。
「そうそう。しかも御門様は去年の高校チャンピオンだから、記事にならない方がおかしい。」
「ですね。」
「・・・ただ、母上の仕事の手前、芸能人に対して露骨に嫌悪感を示せないみたいだけど、神聖な試合を汚されたくない、って、試合関連以外の内容に関しては、父上の代理人だった男に記事にしないよう裏の手を回すべく指示してるらしい。」
「なるほどぉ・・・さすが御門様。」
「・・・第一、アイドルがどうのこうのより、それ以前に、御門様のあれだけの美貌を芸能関係者が放っておく訳がないだろ?」
「ですよねぇ?」
「ま、御門様を表に出させないのは、父上側の圧力も相当あるみたいだけど・・・。跡継ぎである本家の異母兄が、今は財閥の会長として君臨してるし、スキャンダルな記事は困るんじゃないかな。」
「うわッ・・・それってヒドクないですか?」
「いや、御門様ご自身も芸能界を嫌われてるから、好都合なんだろ。」
「・・・いくらそうでも・・・」
「本家は本家で色々問題を抱えてる、って噂だし・・・父上が亡くなられて、本家と縁を切りたかったのは御門様の方かもな。御門様への取材で付いて回ってる時、俺も何度か代理人って人に会ったことあるが・・・何か胡散臭い感じだった。」
「胡散臭い?!」
「肩書きは弁護士だったか・・まぁ、一見すると温厚そうだけど、一癖も二癖もありそうな印象だったよ。・・・って、そこまで話すこともないか。守秘義務厳守を誓って取材許可貰ってる立場だから・・・これ以上は内緒。」
「・・・はぁ・・・そうですよね。」
 和泉が、少し話し過ぎたかと苦い笑みを浮かべたので、もっと聞きたそうな翔子も諦めざるを得なかった。

 ヒナは、御門が「ヒナとの交際を認めて欲しい。」と雄志に頼み込んだ時、「素性も知れない奴に・・・」と怒る雄志に自らの出生を話したことがあり、御門の父親がどんな人物か、母親がどうゆう人間か、については知っていた。
 けれど、それ以上の詳しい話は聞いてなかったので、軽く説明していた御門の話しぶりより、ずっと色々な問題を背負っているのだということを初めて知った。
 だからこそ御門は、周囲の人間関係に負けないだけの確固たる自己を確立しようと、必死に藻掻きながら自己鍛錬に励んでいるのだろう。
 流されて生きていたら、闇の淀みに嵌り込むしかない濁流。
 闇の中の濁流を遡り、激しい水飛沫を舞上げて落ちる滝を登り、天空を目指すのか・・・それとも魂の源泉に辿り着いたら、一気に大海を目指すのか・・・いずれにしても、決して楽な生き方ではない。
 (…自分に甘い奴かと思ってたけど…本当は誰よりも自分に厳しい人だったのかも…)
 甘えればそこまで。
 御門を利用しようとする人々に飲み込まれてしまうだけ。
 媚びも煽ても退ける意志の強さ。
 そして常に研ぎ澄まされた魂で求める生き様。
 (…なんか…幕末に夢を馳せた剣士みたい…)
 ヒナは雅で妖艶な御門の本質を覗いたような気分だった。

 けれど、
 (…ぁ…だから、男女を問わず、みんなマロに惹かれるのかぁ……としたら、ヒナって…鈍いだけぢゃん……)
 と、今頃になって気付き、自己嫌悪に落ち込んでしまった。
「ヒナ。気にしちゃダメだよ?」
 翔子が俯いているヒナの肩に手を置き、
「元アイドルだからって、どうってことないじゃん。御門様は元々嫌いらしいし、ヒナの方が可愛いんだもん。自信持って、気にしないこと。」
 と励ます。
「そうだよ。御門様が、あの場に白鳥君がいるのを心配してたのも、余計なちょっかいを出して欲しくないからさ。白鳥君をスカウトしようなんて考える奴等は、御門様の天誅を受けることになるだろうな。ハハハッ。」
 和泉も明るく笑って励ます。
 ヒナは…少ぉし誤解があるなぁ…と思いながらも、
「ありがとうございます。翔子ちゃんもありがと。」
 と、答えるに留めた。


 高校に戻ると、体育館脇の一角に人の群れが出来ていた。
 その中に頭抜けた体躯の東郷もいる。
 翔子とヒナの二人は、「何だろう?」と素朴な疑問に駆られて近付いて行った。
 けれど、途中でヒナの足が止まり、和泉と翔子も気が付いて立ち止まった。
「…沙也香先輩……」
 ヒナが小声で呟く。
「・・・ちょっと様子を見てくるよ。」
 新聞部の記者魂か、興味を隠せない和泉が集団に向かって走って行く。
 そこに、入れ違いに東郷がヒナに気付いて駆け寄ってきた。

「ヒナちゃん。御門の応援の帰りか?」
 そうにこやかに聞く東郷の手には囓りかけのスイカがあった。
「…お兄ちゃんは…柔道の大会、どうだった?」
「おぅ。どうにか地区大会は突破したぞ。」
「そっかぁ…良かったね。おめでとぉ。」
 ヒナは務めて笑顔でお祝いを言う。
「東郷先輩、おめでとうございます。」
 翔子もヒナに続いて言ってから、パチパチパチと手を叩く。
 東郷は照れた顔で、
「いやぁ、これくらいはなぁ・・・地区で負けてたら、何やってたんだ?って御門にどやされちまうしな。」
 と、頭を掻こうとして、スイカを持っていることを思い出し、
「あ、今、差し入れ貰ってた所なんだ。ヒナちゃん達も貰ってくるか?」
 と、人のいい顔で言う。
「えー・・・どうする?」
 翔子は和泉が気になるのか、集団の方へ行きたそうにしている。
「翔子ちゃん、行ってきていいよ。…ヒナは…遠慮しとく。」
「そうなのぉ?・・・んー・・・じゃ、ちょっとだけ行ってくるね。」
 そう申し訳なさそうに言った翔子は、東郷にペコッと頭を下げて擦り抜けて行った。
 沙也香が御門の元彼女だということは知っていても、翔子はヒナと沙也香の一連の出来事を知らないのだ。
 ヒナの中にあるわだかまりを察知出来なくても仕方ない。
 東郷も今になってやっと気付き、
「・・・スマン。・・・けど、これは慣例みたいなものだから・・・あまり深く考えるなよ?」
 と、小声でヒナに言った。
「…慣例?」
「ああ。生徒会の女子達が大会後に差し入れするのは毎年のことでさ、冷えたスイカとか蜂蜜漬けのレモンとかおにぎりなんかを、運動部の連中に配るんだ。これが楽しみで応援に行った奴等もまた高校に戻って来るし、ヒナちゃんが遠慮する必要はないんだから・・な?」
「…ふーん……でも、いい。」
 ヒナはクルッと背中を向けて校舎に向かった。

 日曜日で校舎に入るには東側玄関を通るしかない。
 普段は教師や保護者専用に使用される玄関で、入り口には警備室が備わっている。
 ヒナは警備室の用務職員に挨拶してから、自分の教室に向かった。
 夕日が斜めに射し込む教室は、一日中閉め切りの熱気でムッとする。
 息苦しさを感じたヒナは、ガラス窓を一つだけ開け、大きく深呼吸した。
 外の空気もまだ昼間の熱気から冷めてないが、いくらか風が通るだけ気持ちがいい。
 ヒナはぼんやりと茜色に変わる雲を眺めた。
 (…生徒会の慣例…)
 引退したとしても、元副会長としてあれだけ影響力のあった沙也香が、あの場にいるのは仕方ないとは思う。
 むしろ、第三者的視点から見れば、生徒会OBとして差し入れの手伝いに参加してくれることは、感謝すべきことなのだろう。
 けれど、生徒会とは関係ない三橋羊子の姿もあり、ヒナから見れば、元彼女達の御門へのご奉仕に思えてくる。
 ほどなく帰ってくる剣道部も、慰労のお持てなしを受けるだろう。
 あの場にいられる訳がなかった。


 どれほど時間が経っただろう。
 辺りが薄暗くなりかけていた。
 と、いきなり、ガラッ、と教室のドアが開き、
「こっちにいたのか・・・」
 と、御門が大きく息を吐きながらヒナに声を掛けた。
「…ぁ…お帰りなさい。お疲れ様でした。」
 振り返ったヒナがふわりと微笑んで言う。
「え・・・あぁ。まぁ、疲れはないが・・・それより、先に図書室へ行ったら鍵が掛かってるし、もう帰ったのかと焦って・・・ドッと気力が失せた。」
 息を弾ませている御門が、苦笑してヒナに歩み寄る。
「…ヒナ?…帰らないよ?…待ってるって約束したもん。ヒナは約束、破らないもん。…忘れることは…たまにあるけど……」
 黄昏色に包まれたヒナが拗ねた顔で口を尖らせる。
「・・・うん・・・そうだったな。」
 御門はホッとした安心感の後から、切ないほどに苦しい愛しさが込み上げてくる。

 (・・・歩いて10分で帰れる家がすぐそばにあるのに・・・)
 顔を合わせたくない相手が、集団を仕切っている。
 事情を知らない友達は、楽しそうな方へと流されて行く。
 本当ならもっと気遣ってくれてもいい東郷までが、とぼけた顔でスイカを囓っている。
 居たたまれずに逃げてきた教室は、蒸し風呂の暑さ。
 シンと静まり返り、自分さえも消えそうな空間。
 それでも、待つことしか知らないヒナ。
 命令されたから、ではない。
 愛奴なら当然とも言えるが、ヒナはまだ完全に御門を信用してはいないだろう。
 ただ、それでも、待つことしか出来ないヒナ。
 (愛してる、ヒナ!・・・そう叫んで抱き締められたら・・・)
 ヒナの目の前に立った御門は、腰を屈めて顔を近付けると、そっとヒナの頬を掌で撫で、
「・・・ヒナはいい子だ・・・」
 と、囁くと、優しく口づけをした。

 バッシィィィーーンッ!!
 強かに御門の頬が張り飛ばされた。
「・・・・・え?」
 御門は理由がわからず、ヒナを見つめる。
 ヒナは夕焼けに染まった赤い顔で御門を睨んでいる。
「・・・・・な・・・・・・・・・・はぁ?」
 何でだ?と問おうとしたが、キスしたのが悪かったのかと、言葉が詰まる。
 (・・・キスはもうOKだったんじゃないのか?)
 御門は怒るよりも当惑して、ヒナが怒っている原因を考えた。
 (・・・応援に笑顔で応えられなかったからか?・・・試合後に変な女に絡まれたからか?・・・けど、さっきは怒ってなかっただろ?)
「・・・・・なぁ・・・ヒナ・・・・・」
「…レモンの味がした。」
 ヒナがプンと背中を向ける。
 東郷が話していた沙也香達の差し入れに、蜂蜜漬けのレモンがあったことを、御門からレモンの香りがした途端に思い出したのだ。
「・・・レモン?・・・帰りの電車の中で囓ってたが・・・レモンは嫌いか?」
「だって……ぇ?……差し入れのレモンじゃないの?」
「俺は差し入れには手を出してない。・・・他の部員達には貰ってくればいい、と言ったが、俺はあの集団には近付いてないぞ?」
「…………ぅ…………」
 ヒナは自分が誤解していたことを知り、背中を向けたまま項垂れた。
 再び惨めさが込み上げてくる。

「……ゴメンナサイ……」
 肩を落としたヒナが小声で呟く。
 御門はようやく理由を理解し、背中からヒナを優しく包むように抱き締めた。
「いや・・・いいよ。・・・辛かったのは、ヒナなんだから・・・」
 ヒナの髪に頬ずりをして、そっとつむじにキスをする。
「…わかってるつもりだった…ウウン…わかるべきだ、って思ってた。…マロにはいっぱい彼女がいたこと…いっぱい愛されていたこと。…その人達が、今も本当はマロを愛してること……」
「・・・それは・・・・・」
 御門がヒナを宥めようと口を開いた時、ヒナが御門の腕の中で、クルリと向きを変え、御門と向き合った。
 ヒナは上目遣いに御門を見上げると、
「……きっとヒナより…ずっとマロを愛してる。」
 と、虚ろな目で言った。
 ズッキィーーンッ!!・・・と、御門の胸に痛みが走る。
「・・・俺がヒナを愛しているんだ!」
 御門はたまらなくなってヒナを強く抱き締めた。
 しっかりと捕まえておかなければ、消えてしまいそうなほど、儚く見えたのだ。

「……ヒナは……たった一人の人でいい。…決して裏切らないたった一人の人がいれば…他に何もいらない。」
 御門の胸に顔を押し付けられ、くぐもった声で言う。
「・・・俺もだ。・・・ヒナ。」
 御門は万感の想いを込めて答えた。
 けれど、ヒナは黙っている。
 (・・・今は信じられなくても無理はない。だが・・・)
「一生をかけて信じて貰う、って言っただろ?」
「……けど……ヒナは……自分を信じてないんだと思う。…マロがどうしてヒナを好きになってくれたのかも、わかんないもん。…だから、信じられる根拠もないし…思う気持ちで負けてるし…いつかは……」
「一生かけて俺に惚れさせるさ。」
 御門は少し腕の力を緩めると、ヒナと額を付き合わせた。
 瞬きを繰り返すヒナの睫毛に、涙の雫が宝石のように散りばめられている。
 御門はもう躊躇うことをやめ、思いのままにヒナの睫毛に唇を押し当て、宝玉の涙を吸った。
「……マロ……」
「ヒナはちゃんと待ってただろ?」
「……ぅん……」
 (・・・ヒナは裏切る行為を知らない。・・・ただ、必死にしがみつくことしか出来ない。・・・俺がすでに諦めて捨て去っていた感情を、俺はヒナの中に見つけた。・・・何かに縋りたい、縋り付かないと生きていることさえ感じられない、そんなヒナを見出した時、・・・俺は、その誰かが俺でなければならない!・・・と、決めたんだ。)
「・・・だから、ヒナは決して俺を裏切らない。」
「……ぅん……」
「・・・俺だけを見ている。」
「……ぅ…ん……」
「・・・俺だけが欲しい。」
「……ぅ……」
「あ・・いや・・・御菓子やアイスはこの際別にしておこう。」
「……ぅん……」
 ヒナはプッと頬を膨らませながらも、小さく頷いた。

 (・・・かッ・・・可愛いーーぞぉーー!!)
 御門の体を熱い電流が駆け巡る。
 (あぁぁぁぁ〜〜!!・・・この想いはもう理屈なんかじゃない!・・・が・・・どうにか理屈を付けておかないと、また落ち込んだり拗ねたりするからなぁ・・・)
「・・・ヒナが必要とする相手は一人だけ。つまり俺だけだ。」
「……たぶん……」
 (・・・・・・・・・・・・・・・多分か・・・・・グフングフン・・・・・いや、めげるな、御門鷹麿!今は多分でいい!・・・としておこう・・・)
「・・・コホン・・・だから、俺もヒナがいればいい。」
「…………??」
 ヒナは御門の言い分がよく理解出来なくて、首を傾げた。
「・・・だからな、ヒナ。・・・・・ヒナにひっぱたかれたホッペが痛いぞ。」
「……ぁ……ぇ?」
「痛いの痛いの飛んでいけー・・・ってしてくれ。」
「……ぇ……ぁ……ぅん。」
 ヒナは訳がわからなくなり、間近で恨めしそうな顔をする御門に困惑した挙げ句、指の形がくっきりと赤くなっている頬に、…チュッ、、チュッ、、…と数回キスを繰り返した。
 御門は呆然と固まった。
 (・・・これが・・・ヒナの”痛いの痛いの飛んでいけー”なのか?)
 はち切れんばかりの嬉しさが込み上げてくる。
 何といっても、ヒナ本人が自分からキスをしてくれたのだ。
 けれど、
 (・・・ってことは・・・あのクソ兄貴はいつもそうしてたってか?!)
 と、思い当たり、怒りも噴き上げてくる。
 (クッソォォォーーーッ!!・・・嬉しいのに、悔しいぞぉーー!!)
「・・・じゃぁ、俺もお返しに・・・」
 御門はヒナの腰と背中に腕を回して抱き上げると、足が宙に浮いたヒナに熱い口づけをした。

「…ッ?!……ン……ンンーッ?!」
 逆さまジェットコースターに乗ってしまったような、天地がわからない感覚に、ヒナは足をバタつかせた。
「・・・愛してる、ヒナ・・・愛してる・・・」
 ヒナの口を吸い、舌を求めて舌を絡ませる合間にも、「愛してる」と繰り返す。
 息苦しさと、生まれて初めて知る感覚に、血が沸騰しそうなヒナは、体の力が抜けていき気絶しそうなほど逆上せていた。
 足掻くヒナの動きが止まり、御門はゆっくりとヒナを降ろして、キスを続けたまま抱き締めた。
 ヒナは、すでに立っている感覚もわからない。
 教室はもう二人のシルエットを一つに写すだけの暗闇に包まれている。
 それでも、御門は机に腰掛けてヒナを膝に抱き、
「愛してる・・・愛してる・・・」
 と、囁きながらキスを繰り返した。

「あのぉー・・・御門様・・・」
 入り口から遠慮がちに声が掛かる。
「・・・・・何だ?」
 邪魔が入って御門が不機嫌に答える。
「あのぉー・・・部長がぁ・・・そろそろ解散したいと・・・」
 暗くてわからなかったが、声の主は剣道部員の一人らしい。
 御門は、反省会を放ったらかしにして、ヒナを探していたのだ。
「部長は西条だろ?部長の判断で勝手に解散にしろ!」
「あ・・は、はい!わかりました!」
 御門の怒りを込めた声に、黒い影が廊下に引っ込み、続いて数名のドタドタと走り去る足音がした。
 御門は大きく溜息を吐き、内心で舌打ちすると、
「・・・もう、暗くなっちゃったな・・・門限破りさせたかな?」
 と、腕時計を覗く。
「……ゥン……」
 御門の胸に力無く凭れているヒナが、半分意識が飛んだ返事をする。
「・・・兄貴が怒ったら俺が謝る。・・・それより・・・歩けるか?」
「……ぅん……」
 ヒナがゆっくりと足を伸ばし、床に足を着けて御門の膝から降りる。
「よし。・・・じゃぁ、送ってくから、帰ろう。」
「…うん。」
 ヒナはコクンと頷き、差し出された御門の手をギュッと握った。