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mikado







§U−5§「弓張り月」


 夏休みに入り、御門は弓道でも地区大会の優勝を果たし、剣道と同じく着々と全国大会へ向けて勝ち進んでいる。

 キリキリキリ…
 ビンッ… …ヒュンッ… タンッ!
 わずかな弧を描き、的に鋭く突き刺さる矢。
 キリキリキリ…
 引きの強い弓のビンッ!と弾ける音とともに放たれた矢弾が、的の中心に刺さっていた矢を真っ二つに裂いて、更なる中心に楔打たれた。
 静観していた周囲に「おーーー・・・」と感嘆の息が木霊する。

 ヒナも目を丸くして開きかけた口を手で押さえていたが、周囲の拍手に気付き、そっと小さな拍手を御門に贈った。
 防具を身に着けた剣道の試合での御門も凛々しさに溢れているが、弓道での真白い装束に緋色の胸当てを片袖から肩に掛けて着けた姿は、一段と優美な凛々しさがある。
 無の境地まで精神を研ぎ澄ました横顔は、どれほどの絵師にも写し取れない神々しさに包まれている。
 御門本人の意思にかかわらず、モテないはずがない・・・と言うより、女性が放っておくはずがない・・・とヒナも納得してしまう。
 しかも、そうした御門に密かに思いを寄せるのは、女性に限ったことではなかった。

 若狭京介(わかさきょうすけ)も、本気で御門に惚れている一人だ。
 現在、○○川県警本部に勤務している若狭は、去年の国体で、剣道での決勝戦で御門と対決し勝者となった男である。
 その時、御門に一目惚れし、試合中に口説くという暴挙に出て、御門が怒りのあまり冷静な判断を失った―――という相手だ。
 御門は今年こそ「思い知らせてやるッ!」と、リベンジを誓っているが、当の若狭は休日にわざわざ剣道とは関係のない弓道の試合を観戦に来ている、という自覚のない迷惑な男だった。
 (・・・うーーん・・・いいねぇ。)
 腕組みをした片手で口元を隠して、ニヤリと好色な笑みを零す。
 25歳という年齢よりは老けて見えるのも、警察組織のキャリア組とゆう枠組みにいるせいだろう。
 (・・・鎌倉の古式ゆかしき祭事で、流鏑馬に出場させたいなぁ・・・)
 頭の中ではすでに、”夜着のもろ肌脱がせた御門を、薄い敷き布団に押し倒す”、妄想が渦巻いている。
 (・・・クククッ。屈辱的に睨み付けるお前を、俺の腕の中で泣かせてみたいぞ。)
 静けさが戻った会場の神聖な試合中に、とんでもなく不謹慎な男である。
 ただ、この若狭だけでなく、御門の放つ矢が的を射るたびに、紅潮した目元を細める年輩の男達も、かなり怪しいものがある。
 歴史上、男色を一種の嗜みとしていた時代を持つ日本だけに、古典的武道に長けた美しい御門は、失われた雅な夢を馳せるシンボルなのかも知れない。

 けれど、古典も漢文も「超苦手」と嘆くヒナには無縁の世界。
 彼等が御門に抱く恋慕は理解しようがない。
 だけでなく、御門自身をどう評価すればいいのか、まだ掴めてないのが本当のところだろう。
 未だに、恋心というものがわからない。
 居て欲しい相手、縋りたい支え、ではあっても、一歩が踏み込めず、まだ自分から甘えることも出来ずにいる。
 それ故、常に言い様のない寂しさが心を支配していた。


 弓道の試合後、ヒナは学校へは戻らずに、自宅であるマンションに帰った。
 御門が試合後にすぐには帰れないので、そう話し合って決めたことだった。
 その為、夏休みに入ってからは、ほとんど二人だけで会える機会がない。
 毎日欠かさずメールはしているが、向き合って話が出来ないのは、お互いに寂しいと思っている。
 特に御門は、ヒナと見つめ合い、手を触れ合い、甘い息遣いを感じ、ひと時の心地良い憩いに浸りたい、と願う気持ちが強かったが、それでも、自分の行動が制限される中で、あまりヒナを人の群れの中に放置したくなかった。
 (・・・自分が盾となり壁となってヒナを守れるなら、もっとヒナには自由な世界を見せてやりたい。
 ・・・だが、今は真剣勝負に立ち向かう時・・・
 ・・・やるからには、己自身に悔いを残したくない。)
 「大会が終わったら、一緒にお祭りに行こうな。」と、約束している。
 それまでは、寂しくても会えない辛さに耐えるしかなかった。


 夜になり、御門からメールが入る。
 ヒナは今日の勝利へのお祝いを@「おめでとう。」と短い言葉で伝えた。
 短い言葉の奥に見え隠れする、ヒナとの距離感が、御門の胸を切なく苦しめる。
―@「ありがと。・・・ごめんな。せっかく応援に来てくれてるのに、会えなくて・・・」
@「ううん。今は大事な時だから、仕方ないもん。ヒナのことは気にしなくていいから、ゆっくり休んでね。」
 少し長い文章も優等生的返事で、そこからはヒナの心が見えてこない。
 試合で緊張感を持続し続けたせいで、多少疲れている御門は苛立ってしまう。
―@「俺にはヒナも大事なんだぞ!」
@「ヒナは待ってられるから。…”勝負は時の運。だが、ベストを尽くさなければ、ただの怠慢。それは勝負に負けるのではなく、己自身に負けたことになる。だから、全身全霊で立ち向かわなければならない。”…って、お兄ちゃまもいつも言ってるもん。」
 (・・・ヒナ・・・お前・・・いい子過ぎるんだよ・・・)
 「待っていてくれな?」と言い聞かされて、いつも兄を何時間でも何日でも待っていたヒナの姿が目に浮かぶ。

 ―――御門は殻を破れないヒナが悲しかった。
 言いつけを守れる子。
 それが一番安全だとは思う。
 だが、ヒナの心を包み込みたい御門には、厚い殻の中で冷たく暗い闇に身を潜めているヒナの孤独がたまらなかった。
 兄という保護する者がいる間はそれでも良かっただろう。
 殻を作り上げた主だけを見ていれば、笑うことだって出来た。
 けれど現実は、兄妹二人だけでは生きていけないのだ。
 現実に逆らって悪魔の誘惑(=二人だけの世界で生きるという現実からの逃避)に負けたら、不幸な結果は目に見えている。
 凛とした正義感を持つ雄志は、妹という神聖な存在を冒涜しかねない己の邪な想いを、断ち切らなければならなかった。
 だから、酷とわかっていて断ち切った。
 その事が雄志自身にも深い傷となって残り、今更のように過保護ぶりを発揮してしまうが、切り離されたことさえ、いい子のヒナは、苦しみながらも素直に受け入れた。
 とは言え、ひたすらに信じ切っていた強い絆を断たれたヒナは、視界のきかない暗闇に放られたように、どう生きればいいのかさえわかってない状態なのだろう。
 これまで言い付けを守っていれば良かったのに、今は自分が歩いていく道を自分で見つけなければならない。
 ・・・@「待つのは慣れてるから大丈夫。」・・・と言うヒナが悲しかった。
 「慣れている」ことが美徳とは思わない。
 耐えることに慣れるのは、自分がカラッポになるようなものだ。
 御門はヒナに輝いて欲しかった。
 自らの翼を羽ばたいて、命の炎を燃やし、本来の美しく輝く姿で、この胸に飛び込んで来て欲しい。
 (・・・純潔な乙女の心のままに、一途に求める真実の愛・・・
  ・・・満たしてやりたい・・・俺の想いで・・・)―――

―@「兄貴は関係ない。俺はヒナに待つことを当然と思わせたくない。俺はヒナを待たせるような付き合いはしない。」
 (・・・言霊を声の響きで伝えられたら、もっと熱い想いも伝わるのに・・・)
 電話すると黙り込んでしまうことが多いヒナだけに、メールで意志を伝えるのが習慣になってしまっている。
@「だけど…実際、会えないんだから、待ってるしかないじゃん。」
―@「それでも、だ!・・・寂しい、とか、会いたい、とか言ってくればいいだろ?」
@「……そーゆー言葉って…口にすると余計辛くなるんだ、って知らないの?」
 (・・・ヒナ・・ヒナ・・ヒナ・・・だから俺がいるんだ・・・)
―@「辛さを実感するのもいいもんだぞ。」
@「……ヒナに辛くなれって?」
―@「そうじゃない!ただ、それだけ会った時が嬉しいだろ?」
 (・・・会ったらすぐにでも抱き締めてやる・・・)
@「……ふーーーん……」
 素っ気ない返事。
 御門の想いは擦り抜けてしまうのか・・・。
―@「・・・そう他人事のように言うな。・・・お前の頭の中を俺の過去の女達が過ぎったような言い方だぞ。」
@「わかる?」
―@「お前なぁ・・・」
@「言葉にするのは失礼だと思って言わなかったけど、それも口にした方が良かった?」
―@「俺が言いたいのは、そんなことじゃない。俺はヒナしか眼中にないぞ!」
@「なら、ヒナはヒナでいいじゃん。」
―@「俺はヒナにもっと俺を信じて欲しい。甘えて欲しい。そう言ってるんだ。」
@「……もぉぉぉ……わかんない。お休みなさい。」
―@「ヒナ、まだ寝るのは早いだろ?」
―@「ヒナ?・・・夕飯は済んだのか?」
―@「おい!ヒナ!」
 ヒナからはもう返信メールが送られて来ない。
 御門は大きく溜息を吐いて、携帯をベッドに放り投げた。
 お互いを思い合う気持ちがすれ違ってしまう。
 (・・・どうすればいい?)
 熱っぽく潤んだ目元を手で押さえ、ヒナへの狂おしいほどの恋しさに、体が発火しそうになっている自分に気付く。
 (・・・冷たいシャワーでも浴びてこよう・・・)
 自分が苛立てば、ヒナは怖がってしまう。
 御門は(冷静になれ!)と自分を叱咤した。



 試合がない日でも、御門は忙しい夏休みを過ごしている。
 朝早く起きてストレッチなどの自主トレをしてから、部活動での早朝練習に参加し、午前中は帝高校で毎日のように組み込まれた模擬試験を受ける。
 午後から夕方まで超進学塾での講習を受け、夕方からは道場での練習に励む。
 一般的な受験生としての夏休みにプラス、大会を勝ち進んでいる者としての使命感とも言うべき鍛錬を怠らない生活は、夜になってようやく解放される。

 道場でシャワーを浴び、汗を流した御門は、金色の龍が舞う黒地のTシャツ姿で、夜の繁華街へと向かった。
 道場から歩いてそう遠くない所に、行きつけの中華料理店があるのだ。
 夕方からしか店を開かない頑固なオヤジの店だが、味は絶品だった。
 (・・・門限を気にせずヒナを誘えればなぁ・・・)
 練習を終えれば、御門の頭の中はヒナでいっぱいになる。
 (・・・あーゆー店は、絶対あの兄貴は連れて行かないはず・・・はぁぁ・・・ヒナに食べさせてやりたいなぁ・・・)
 小さい頃から慣れた繁華街のネオンも、今の御門には、ヒナの好きなビーズを日の光に透かした景色に見えてくる。
 フッ、と無意識に微笑んだ顔が、優美な色香を漂わせた。
 すれ違う女性が連れの男の腕につかまりながらも、御門にみとれて頬を染める。
 場違いな制服姿の女子高生もさすがに数が減り、娼婦のような服で人待ち顔の少女達が携帯のカメラを御門に向ける。
 街にはもうほろ酔い気分の人々で溢れていた。

 (・・・しっかし・・・ヒナの門限は俺にとって不利とは言え、兄貴が煩く門限厳守を叫ぶのも納得出来てしまうなぁ・・・)
 御門は夜の街を彷徨う少女達の中に、ヒナの姿がないことにホッとしていた。
 (・・・俺もある意味、保守派か?・・・うぅーーむ・・・)
 愛奴への支配力を高める為に、時々無理を強いたことはあったが、それでも勝手な夜遊びは許さなかったし、なるべく相手の家庭に波風を立てないよう心掛けていた。
 (・・・服を着替えるように男を替え、ファッション感覚でセックスを楽しむ女はいらない・・・)
 そうした女性達を男達も「公衆○所」「肉○所」と蔑んで利用しているだけなのだと、御門は知っている。
 御門は男に翻弄される女達(≠ホステス)を多く見てきているだけに、心根の部分では女性の味方だった。
 愛奴達には愛を注いだはず・・・と後ろめたさを背負いながら言い訳してみる。
 その時限りの相手も・・・ベッドの中では本気で愛した・・・と、更に苦しい言い訳を心で呟く。
 御門は、相手に対して絶対的な愛を供給することで、相手の無償の愛を貪りたかったのかも知れない。
 (・・・俺も・・・未熟だったんだな・・・)
 ”愛し方も愛され方も知らない闇の森の迷い子”・・・という意味では、自分もヒナと同じなのだと改めて思う。
 強烈なオーラで激しく与え求めた御門と、強固な殻で全てを遮断してきたヒナとは、対極する形ではあったが・・・。


 行き交う人々を濁流のように眺め、考え事に意識の半分以上を奪われつつ、人混みを縫って歩く。
 (・・・俺も・・ヒナも・・・求めているものは同じなんだ・・・)
 それをヒナにもわかって欲しい・・・と、御門は夜の淀みに溜息を吐く。
 夜になっても冷めない熱気が、御門の全身を気怠く甘い疼きへと誘う。
 (・・・いっそ・・・体でわからせるか?)
 ヒナの心が見えてきそうで、すぐに鉄壁なガードで隠されてしまう。
 心を解きほぐすのに時間が掛かるなら、内側から責めて支配してしまおうか・・・と欲望が頭を擡げる。

 と、その時、フワァ〜っと焼き鳥の匂いが御門の鼻孔をくすぐった。
 飲食店街の軒先から、食欲をそそる香りが立ちこめている。
 (・・・喰いたい・・・ヒナ鳥の柔らかい肉・・・)
 御門の思考が偏った方向へと流されていく。
 (くっ・・・色即是空!空即是色!・・・空腹に惑わされるな!)
 グゥゥ〜〜〜・・・と御門のお腹が情けない音を出す。
 (・・・腹減った・・・)
 夏休みに入ってから道場での稽古が激しさを増し、直前の食事は練習中に吐いてしまう可能性がある為、避けていた。
 それで塾を終えてすぐに道場へ向かう御門は、夕食を摂れるのが夜の9時を過ぎていた。


「バンバンジー、若鶏の唐揚げ、サンゲタン・・・と焼き餃子・・・で、ラーメン。」
 中華料理店のテーブルに座った御門は、一人で注文するには多いだろう、と思えるほどの料理を注文して、目の前に置かれた水を飲み干した。
 水のおかわりをしようと店員に声を掛けようとした御門の前に、一人の男が立ち塞がった。
「旺盛な食欲だなぁ。」
 ニヤニヤと御門を見下ろしている男に、御門は思いきり嫌そうな顔をする。
「・・・何の御用ですか、若狭さん?」
 顔も見たくない相手でも、一応先輩格の若狭には敬語を使う。
 若狭は、
「御用もなにも・・・道場の前から何度も声を掛けたぞ?・・ったく、せっかく高校総体優勝へ向けてのエールを送りに来てやったのに。」
 と言うと、御門の断りもなく向かい側の席に座った。
「・・・それはどうも。」
 御門はふてくされた様子で頬杖をつき、視線を逸らす。
 逸らした視線が店員とぶつかり、御門はコップを上げておかわりを促した。
 気の利いた店員は、おかわり用の水差しとコップを持ってくると、後から座った客の若狭へも水を注いだ。
「あ、じゃぁ、俺もラーメンと餃子ね?」
 若狭はさも当然と言った様子で追加注文をしてしまう。
 御門が目を眇めて若狭を睨み、声にならない呻き声をもらして歯軋りをする。
「クスッ。今から戦意を剥き出しにするとは、君もまだまだ若いな。」
「いいえ。充分”若い”ですから。なかなかタヌキの皮は被れないですね。」
 7歳年上の若狭に嫌味っぽく”若い”を強調して言い返す。
 若狭は御門に何を言われても嬉しそうな笑みを浮かべ、
「俺も職場じゃそう言われててな。・・ふむ。今度、俺も”充分若いですから”と言ってやろう。」
 と、クスクス笑い、
「だが、タヌキオヤジ達を前に”タヌキ”とは言えないよ。」
 と、前屈みになって声を潜めるように言う。
 それから背筋を伸ばしてイスに寄り掛かると、
「君は狡猾で鋭い・・キツネ顔だな。・・ん?」
 と、斜に構えた流し目で御門を挑発する。
 これまでも何度か御門に会いに来ている若狭だったが、道場や試合会場では御門から黙殺されることが多く、思うような会話もままならなかった。
 それで、怒った御門が牙を剥いて向かって来るのが楽しい・・・といった心境らしい。
「・・・何とでもご随意に。」
 (・・・九尾の狐になれたら、貴様を祟ってやる・・・)
 御門は相手になってやる気もなく、料理を待つ間、手持ちの文庫本を読むことにした。

「剣道もさることながら、先日の弓道大会での君の美技も、実に素晴らしかったね。」
 若狭は、黙々と読書に耽る御門に、勝手に話し掛けている。
 あれこれと話し掛けては反応を観察し、狙い所を見極めようとしているようだ。
 一方、御門は『世界の偉人・面白こぼれ話』という、眺めるだけでも内容がわかる、暇潰しにはちょうどいい本をペラペラと捲っていく。
 受験には役に立たないが、この手の本は女性との寝物語にするのに向いた話題が手に入ったりする。
 ・・・まぁ、それだけではなく、知識の幅を広げる意味で雑学も役立っているだろう。
 もちろん信憑性に欠ける悪質な中傷的批判を鵜呑みには出来ない。
 事実を把握するには、多方面から多角的に真実を見極める必要がある。
 ―――彫像を描くにしても、一方向から見た絵は、嘘とまでは言わなくても真実の絵とはならない。
 見えてない部分を知ることによって、立体的視野で対象物を捉えることが出来、それがより正確な彫像を描く基盤となる。
 かのレオナルド・ダ・ビンチも、そうした追求を繰り返して、真実の絵をよりリアルに描き出し、追求した成果が数々の発見や発明に繋がったのだと思う。―――
 御門も、膨らみのある人物として歴史上の偉人達を捉えることは、直接的な役には立たなくても間接的な理解力として役立っている、と考える。
 何かを単独で記憶するには限界があるが、複合的なイメージで捉えた事象は、無意識にも記憶していることが多々あるのだ。

「剣道の技も日々磨かれてきているな、と感じるよ。」
 若狭も御門の探求を諦めない。が・・・
 ペラリッ・・・と、虚しくページを捲る音。
「あ・・それはそうと・・・近頃、君の取り巻きとは趣の違う子が、よく応援に来ているみたいだな?」
 ピクッ・・・
「応援しているのか、してないのか。淡々と見学しているようで、不意に目を丸めて感心したりして・・・クククッ・・・見てると結構面白い。」
 ・・・・・御門の眉間にシワが寄る。
 若狭がニタリと笑みを深める。
「なるほど。・・・あの子が君の弱味か・・・ん?」
 パタンッ・・・と、御門が本を閉じた。
「若狭さん。」
 顔を上げた御門が、ゾクリとするほど綺麗な顔で冷たく睨み据えた。
 若狭はからかうように戯けた顔で驚いてみせる。
 が、その実、御門のゾクゾクする美貌に魅了されていた。
 御門は一度深呼吸してから、
「あなたが剣道において、技術的な面では自分に優っていると認めています。ですが、剣道は”心・技・体”を磨く武道です。あなたが武士道に恥じない、卑怯者でないように願っています。」
 と、遠回しに牽制した。
「・・フン。何を誤解している?俺は君に惚れてる者として、君の周辺の人間関係に興味があるだけだ。勝負に勝つ為に何かしようなんて愚劣なことは考えないぞ。」
 一瞬、若狭から笑みが消え、真剣な表情になったが、
「しかし・・・卑怯論については、その内、君とじっくり語り合いたいな。君はまだ社会の厳しさを知らない。千防術策の中には”相手の裏をかく”という手段もある訳で、一概に正攻法だけが正しいとは言い切れない。・・・その辺を、教えてやりたいね。」
 と、誘うような熱い視線を送り、不敵な笑みを浮かべた。
 御門は、ヒナに余計なちょっかいを出されては困る、とばかりに、まだ疑い深そうな視線を向けていたが、
「・・・自分はあなたより、裏街道の暗闇を知ってます。ご心配なく。」
 と、素っ気なく答えた。
 御門の素性をある程度つかんでいる若狭は、話題が拙かったか、と額を指で押さえた。
 そして、顔が汗ばんでいることに気付き、おしぼりで拭うと、
「・・・どんな話でもいいさ。・・・夜毎夢に見るほど君に惚れてる男の心理も察してくれ。」
 と、本音をこぼして溜息を吐いた。
 御門は黙殺し、閉じていた本を再び開いた。

 ほどなく料理が運ばれてきたので、御門は黙々と食べることに専念した。
 決して粗暴な食べ方ではないが、見事な早さで並んだ料理を胃袋に納めていく。
「それにしても・・・すごい量だな。」
 若狭が感心しながら、御門が注文した料理に箸を伸ばした。
 すかさず御門が若狭の箸先を自分の箸で摘んで払い除けた。
「・・・なッ・・・少しくらい分けてもいいだろうが?」
 若狭が咎める視線を向け、また箸を出す。
 またもや御門が振り払う。
 ムッとした若狭がムキになって箸で料理を取ろうとするが、御門が全て振り払って妨害してしまう。
 終いには二人で箸による決闘でもしてるかのような諍いになり、
「君がそこまでケチだとは思わなかったぞ。」
「俺の料理に手を出すような奴は先輩とも思わん。」
 と、お互いが闘争心を剥き出しにして睨み合った。
「多すぎると思って、手伝ってやろうとしたんじゃないか。」
「俺が注文した料理は俺のものだ。」
 (俺の鶏肉を盗られてたまるかッ!)
 獲物を盗られまいと呻る獣のように、御門は牙を剥く。
 (・・・ヒナ((鳥))は俺のものだッ!!)
 御門の鋭く光る眼に殺意が浮かび、若狭は呆れて、
「わかった、わかった。・・・もう、いい。」
 と、勝負を放棄した。
 若狭は、(一筋縄ではいかない奴・・・)と、御門に苦い笑みで和解をうながし、
「そんなに鳥料理が好きなら、今度焼き鳥でも奢ってやろう。」
 と、自分が注文した餃子を口に放り込んだ。
「結構です。」
 即答で拒否した御門は、肩を怒らせながら料理を食べる。
 御門のヒナ鳥への拘りの理由を知らない若狭は、取り付く島もない御門の態度に、やれやれ、と深い溜息を吐いた。


 マンションに戻った御門は、受験勉強をしようと机に向かい問題集を開いたが、気分が乗らず、携帯を持ってベランダに出た。
 空にはぼやけた弓張り月。
 湿度が高いせいなのだろうが、輪郭が霞む月を見ていると、妙に物悲しくなる。
@「ヒナ。・・・起きてる?」
 もう寝てるだろう、と半分は諦めながらメールする。
―@「うん。起きてるよ。」
 意外にも返事がすぐに届いた。
@「そっか。・・・何してた?」
―@「TVの映画を観てた。30分遅れで始まったから、さっき終わったばかりで、今お部屋に戻った所だったの。」
@「映画かぁ・・・題名は?」
―@「アニメの『○○ロ』。出てくるキャラが可愛くて、だーい好き。」
@「ヒナ・・・そのビデオを持ってるって言ってなかった?」
―@「持ってるけど…だって、TVでしてたから…」
@「わざわざCMで中断されるのを観るのか?変な奴。」
―@「その一体感がいいのかも。観ている人達みんながCMの間、ワクワクして続きを待ってる、って感覚。」
@「・・・そんなものか?・・・よくわからないが・・・」
―@「だってぇ…他のチャンネルはつまらなかったし…」
@「ま、いいさ。ヒナが映画好きなら、今度新作を観に行こう。」
―@「あ〜〜〜…受験生が遊んでていいのぉ?」
@「たまには息抜きしないとな。俺だってクールダウンしたい時はあるさ。」
―@「そぉ… うん。マロの負担にならなければいいけど。」
@「じゃぁ、何か観たい映画があったら言ってくれ。なるべく都合つけて行けるように予定するから。」
―@「うん。わかった。」
 何の変哲もないメールだが、御門はヒナの嬉しそうな顔が浮かんできて、心がほんわりと温かくなる。

@「なぁ・・・ヒナの部屋から月が見えるか?」
 取り立てて急ぐ話はなかったが、御門はまだヒナとメールで繋がっていたかった。
 少しの間をおいて、
―@「見えるよ。なんだか悲しげな月… …でも、マロが弓を引いてる姿と重なる…」
 と、返事がきた。
@「あぁ・・・弓張り月っていうんだ。今夜はぼやけてるけど、冬の夜空にくっきりと光の輪郭を描くと、ギリシャ神話のアルテミスを見ているような気がしたのを・・・思い出したよ。案外、アルテミスが弓の名手という逸話も、こんな月の姿から生まれたイメージなのかもな。」
―@「そぉなんだぁ…」
@「・・・けど・・・今夜の月が、どうして悲しげに見えるのか・・・俺にも謎だな・・・」
 御門はそう打ち込んだメールを送信すると、しばらく月を眺めていた。
 ヒナは考え込んでいるのか、すぐには返事が来なかった。
 (・・・あの微妙な丸みが・・・ヒヨコにも見えちまう・・・)
 月影一つで胸が痛くなる。
 自分が惨めなほどにヒナに恋してることを思い知る。
 だから、若狭が訴える気持ちがわからなくはない。
 (・・・恋とは切なく苦しいものさ。・・・だが、同情や共感では解決しない。自分自身の心と、とことん向き合って、何かを見出すしかないだろ?)
「しっかし、いい加減諦めてくれないかなぁ・・・」
 (・・・いっそヒナへの想いを吐露して、無理なのだと納得させてやろうか?・・いや、ヒナを前面に出すのは危険だ。)
 「ヒナ・・・可愛い俺のヒナ・・・」
 余計な男を思い出してしまい、掻き消すようにヒナの名を呼ぶ。
 と、そこにメールが届いた。
―@「…泣きながら月を見るとね…いつもぼやけて見えるの。…だから、今夜はお月様が泣いてるように感じるのかも知れない…」
 ヒナなりに、ようやく見つけた答えなのだろう。
 (・・・ぅぅ・・・激可愛いぃぃぃ・・・)
 御門は思わず携帯に頬ずりをした。
@「あぁ・・・そうかも・・・」
 あまりにも無垢な心に、返す言葉に困った御門は、取り敢えず、納得した意を伝えた。

―@「…マロ?…どうかした?…練習がキツイ?無理してない?」
 ヒナは御門の様子がいつもと違うのが気になるらしい。
@「あ・・・いや。今夜は少し疲れたけど・・・これくらい何でもないさ。」
 (・・・ありがとな、ヒナ・・・)
―@「そぉ… なら、いいけど…」
@「それに・・・ヒナに元気を貰ったから、パワー全快だ。」
―@「…え?」
@「なぁ・・・TVの映画もいいが・・・一緒に月を眺めて、同じ時に同じ思いを重ねるのも、いいもんだろ?」
―@「……ウン……」
 携帯の向こうで、はにかみながらも微笑むヒナの姿が浮かぶ。
 (くぅぅ・・・ヒナ・・・愛してるぞぉぉぉ!)
 御門は小さな文字が写し出されている画面にキスをした。
 それから”愛してる”と打ち込み始めた時、ヒナの方から先にメールが届いた。
 御門は打ち込むのをやめて、メールを開く。
―@「明日、早いから… お休みなさい…」
 確かにヒナにはもうかなり遅い時間だった。
 御門も”お休み”を言うしかないと諦め、シンプルに、
@「お休み、ヒナ。いい夢を見ろ。」
 と、送信した。