§U−7§「マロンケーキ」
区立図書館の一角にある大きなテーブルに、ズラリと若者達が陣取って座っている。
そろそろ夏休みも終わりに近付き、宿題の調べ物に利用している中高生が多く、各々が思い思いの本を開いて書き写している。
その中に肩を並べて座る御門とヒナの姿もあった。
「…ねぇ…マロぉ……」
「ん?」
「…髪の毛…伸びたねぇ……」
「・・・かもな。」
「絶対伸びたよぉ。…ほらぁ…目に入りそうじゃん。」
ヒナが御門の前髪を少しつまんで引っ張る。
「・・・ヒナ・・・そうだとしても、今は宿題を進めることに集中しろ。」
御門は、眉を顰めて睨む周囲の視線を気にして、小声でヒナに注意する。
ヒナは面白くなさそうに溜息を吐くと、シャーペンを鼻と口の間に挟み、御門に膨れてみせる。
思わず笑いそうになった御門が、眉を変な形に歪ませたので、ヒナの方が吹き出して笑い、シャーペンをテーブルに落としてしまう。
「…プーーッ…クックックッ…」
カシャンッ!
静かな空間に予想以上の音が響く。
と、本を見ていた人達から、「うるさい!」と言わんばかりの視線を投げつけられる。
「ヒナ・・・わからない所は教えるから・・・」
御門が冷や汗を掻きながら、ヒナの宿題のワークを覗き込む。
ヒナが開いているページは数学の問題が並んでいるが、基礎練習ともいうべき問題で、冒頭にはそこで使うべき公式がしっかり表記されていた。
(・・・一体・・・これのどこがわからないんだ・・・?)
あまりにも簡単すぎる問題に、御門は教える術が浮かばず、固まる。
「……やっぱ長いよぉ……ほら……」
ヒナは近付いた御門の顔をまじまじと眺め、顔に掛かっている髪を再びつまんで引っ張った。
「・・ッ・・・・・・・・・・」
御門はジロッとヒナを一瞥すると、前髪を長い指で後ろに梳き上げながら、前屈みの体を起こした。
「…ねぇ…マロぉ……」
ヒナは、どーしても御門の髪について追求したいらしい。
「前くらいに伸ばそうと思ってな。」
仕方なく手短に説明する。
「…何でぇ?」
「その方が色々と都合がいいから。」
御門は早く会話を終えようと、自分の読み掛けの本へと視線を落としながら、素っ気なく答える。
「…都合?……どんな?」
「それは・・・必要に応じて髪型を変えたり出来るだろ?」
「…どんな?」
「だから・・・スーツとかを着て大人っぽく見せたい(=はったりを利かせたい)時にはオールバックにしたり・・・洒落たレストラン(=で口説く時)とかはふんわり(=ホスト風に)ブローしたり・・・」
「ぇ゙ーーッ…高校生なのに、そんなのキモイーッ。短い方がいいじゃん。」
(・・・グァァーーン・・・・・キ・・キモイ・・・)
御門がプチショックを受けていると、周囲からワザとらしい咳払いが入る。
「とにかく・・・その話は後にして、宿題を済ませろ。」
殊更のように小声で注意し、
「ここはみんなが勉強する場所だぞ。」
と、周囲に目配せしてみせる。
ヒナは軽く肩を竦めて、やっとシャーペンを握ると、ワークの問題を解き始めた。
ようやく静けさが戻り、本のページを捲る音と紙にペンを走らせる音だけが聞こえる空間となった。
御門はすでに宿題も済ませてあり、「受験勉強も夜に家ですればいい」という考えから、塾のない日の昼間はヒナの宿題に付き合ってやっていた。
負傷した左肩は、まだ完全な回復ではなかったが、なるべく左手を使わないようにすれば、普通に生活出来る状態になっている。
ただ、離れて暮らす母親が御門の為に家政婦を寄越そうとしたので、大掛かりな部屋の改装を理由に断り、もっかホテル暮らしだった。
部屋の改装は思い付きではなく、前から一新したいと御門も考えていたことで、少し特殊な部屋である為、御門の後見人として付いている峰沢謙吾(みねざわけんご:38歳)に頼んである。
―――峰沢謙吾は、10年ほど前から御門の父親の代理人として、御門の後見人を務めるだけでなく、御門の生活全般を補助している。
父親の没後は、御門の受け継いだ財産の管理や母親の相談役も務め、新宿のクラブ『桐壺』と伊豆の料亭旅館『ミカド』のマネージメントも請け負っている。
それでも本業は、御門財閥が主体の総合商社社員ということで、御門の異母兄でグループ会長:御門龍仁(みかどりゅうじ:53歳)の”会長付き秘書”という肩書きがあるらしい。
何種類か所持している名刺の一つには確かにそう表記されているが、その仕事内容は秘書課の者も知らないという、ほぼ裏での仕事請負人という存在だった。―――
(・・・100%学生だけをしていられれば・・・)
額に落ちてくる前髪を、肩肘ついた手の指先で軽く押さえ、物思いにふける。
―――――――――
どれほど峰沢が御門のバックアップをしてくれていても、相手によっては代理人である峰沢を軽く見る場合がある。
『桐壺』も『ミカド』も名義上の所有者は御門であり、御門本人がオーナーという立場にあった。
御門自身は自分がオーナーであることを迷惑な話だと思っている。
「愛人に甘い」と評判だった父親だが、実際には頑固な合理主義者で、どれほど愛人を可愛がっても私財を注ぎ込むようなことはしなかった。
だから、片手では足らない愛人がいながらも、店を持たせて貰えたのは、彼の子供を産んだ御門の母親だけだった。
しかも、その権利は息子である御門に持たせる。
自己顕示欲が強いとも言えるが、本家の息子が一人しかいないこともあり、父親は御門を息子として大事にしていたことだけは確かだ。
相当の遺産を御門に残したのも、父親としての愛情だったのだろう。
けれど、御門は受け継いだ財産の管理も用途も母親の好きにさせ、自分自身の為に使うことはしない。
あの九十九に渡した100万円も、人より多少多目に貰っている小遣いを貯めた貯金から下ろしたお金だった。
―――――――――
(・・・なのに・・・何を勘違いしてるのか・・・)
御門は、後味の悪い記憶を頭から追い出すように首を振り、背筋を伸ばした。
ズキッ・・・
まだ、体を伸ばそうとすると傷にひびく。
嫌が応にも、傷の痛みと共に、心の痛みも蘇る。
病室で土下座して泣きながら「ごめんなさい」を繰り返していた弘美・・・実家の青森に帰ると言っていた。
(・・・弘美の為にと九十九に金を渡したのが間違いだったのか・・・)
―――――――――
人に甘えて頼る生活は、自身の努力しようとする気持ちを腐らせるようだ。
九十九は麻薬にまで手を出し、弘美からも疎んじられるようになり、その全ての責任を御門になすり付け逆恨みを抱いた。
結果、憎悪だけを募らせた九十九が御門を襲った。
(・・・ヒナが怪我しなくて良かった・・・)
それが御門にとってせめてもの救いだったが、ヒナは自分を庇ったが為に御門が怪我をしてしまったと思っている。
だが、それは結果論であって、確かに九十九が狙っていたのは御門だった。
ふらつく足元でナイフを振り回していたからヒナの方によろけたが、そもそも九十九の狙いは御門にあり、そんな自分の過去の関係の縺れでヒナが怪我をしていたら、例え全国大会で優勝出来ても苦々しいものとなっただろう。
御門一人なら避けられた、などという考えは論外だ。
闇の醜い汚泥を甘く見ていたツケだと、御門自身思っている。
オーナーとして会合などに顔を出すこともあって、闇の人脈もそれなりに持っていた為、闇でさえ救われない輩の正気を逸した破滅思考を理解してなかった、と思う。
―――――――――
(・・・もう・・・極力、裏と関わるのはやめよう・・・)
御門は、ヒナとの穏やかな日常を大事にしよう、と心に決めていた。
が、それでもオーナーとしての立場上、100%の絶縁も出来ないだろうが・・・。
フゥゥ・・・
御門が小さく息を吐いて、意識を本に戻した時、周囲からクスクスと笑いが漏れていることに気付いた。
笑っている相手は、見ないようにしながらもチラチラと視線を向けてくる。
視線の先は御門の隣りのヒナ。
(・・・何だ?)
御門がヒナの方を見ると、ワークに顔を乗せて眠り転けているヒナの姿があった。
しかも、なぜかニヘラ〜と笑みを湛え、緩んだ口元からヨダレが垂れている。
「・・ぉ・・ぉぃッ・・・」
御門がヒナの肩を揺すると、
「…マロォ……マロンケーキ…オイチィ〜……」
と、寝言を発した。
誰かがたまらず声を出して笑い出す。
笑いが笑いを誘い、笑いの渦が周囲へと広がっていった。
笑いに起こされたヒナが、ムクッと頭を上げ、キョトンと周囲を見回す。
その顔にしっかりとシャーペンの痕が付いていたものだから、一層笑いが大きくなってしまった。
この状況では「笑うな!」と言う方が無理があるだろう。
御門はヒナの腕を引き、早々に図書館を後にした。
図書館近くの喫茶店。
ヒナはチョコマロンパフェをご機嫌で食べている。
御門は苦みの利いたガテマラを選び、ブラックでゆっくり味わっている。
・・・と言うより、時々ヒナが、
「はぃ、ぁ〜ん♪」
と、御門に差し出すスプーン山盛りのアイスクリームを、
「あーーん♪」
と、食べてやる為の口直し、と言った所だろう。
チョコレートソースとマロンクリームの混ざった激甘アイスクリームに、思わず眉間にシワが寄る。
ヒナ自身、「半分も食べられない。」と御門に手伝わせているのだから、たまったものではないが、夢に見るほど食べたいのなら食べさせてやりたい恋心。
(・・・せめてケーキだったら・・・)
マロンケーキを置いてない店を恨みたくなる。
「……マロぉ?…何か機嫌悪い?」
眉を寄せる御門に、ヒナが小首を傾げて聞く。
「いや、別に・・・」
御門はコーヒーで口直しをして微笑む。
「…ふーん……ならいいけどぉ……」
「けどなぁ、ヒナ。夏休みも後わずかだぞ?宿題を提出しないと二学期の成績からマイナスされるから、ちゃんと本腰入れて頑張らないと・・・」
「プー…わかってるもん。」
「わかってたら真面目に頑張れ。いいな?」
「……ぅん……」
ヒナはちょっと唇を尖らせ、パフェのクリームを長いスプーンで、グチャグチャ、とつついて掻き回す。
マロンとチョコとアイスの三色が混ざったドロンドロンさを、正視出来ずに目を逸らす御門。
(・・・そんなに好きなら、一度パフェの中味を裸体にぶちまけてプレイしてやるぞ・・・)
と、未だにキスどまりの関係に耐える御門の妄想が広がる。
ヒナは御門の妄想など知りようもなく、スプーンに絡みつくクリームをペロペロと舐めている。
(・・・俺の刀に・・・クリーム塗したら・・・ヒナも喜んで舐めてくれるだろうか・・・?)
妄想がどんどん飛躍していき、御門の体の一部が熱く変化していく。
(ウッ・・・ヤバイ・・・)
「済みません。コーヒー、同じヤツをもう一杯・・」
苦いコーヒーを飲み干してウェイトレスを呼び、ついでのように、おしぼりで額に浮かんだ汗を拭く。
ヒナは、スプーンに絡めてクリームを舐めるのが気に入ったようで、御門を苦悶させてるとも知らずに繰り返していた。
が、その内ほとんど液状になり、食べるのを諦めると、
「…ハァァ……マロンケーキが食べたいなぁ…」
と、呟いた。
御門は二杯目の熱いコーヒーを啜りかけていたが、ケホッ、と咽せると、
「・・・そんなに喰うと、脳までマロンクリームになるぞ。」
と、顔をしかめて首を振ってみせた。
「ぁー……そーゆー顔をするんだぁ……あ〜ぁ…夢の中ぢゃ、あーんなに優しいのになぁ……」
ヒナが胡乱な目をして、しかめ顔の御門を睨み、溜息を吐く。
「夢?・・・どんな?」
(・・・ケーキを喰う以外に、ヒナの見る夢があるのか?・・・つーか、ヒナの夢の中で俺はどんな存在なんだ?)
ムクムク、と御門の興味が沸いてくる。
「…ンフッ…マロがねぇ〜…」
「うん。俺が?」
「マロンケーキをい〜っぱい作ってくれてぇ〜、…ヒナぁ〜、さぁ〜お食べ〜…って。」
(・・・言わん。・・・絶対、俺は言わないと思うぞ、ヒナ。)
「…すっごい優しい顔で言うからぁ…ヒナ……ウフフ……」
(・・・ウフフ・・・って何だぁーーッ??!)
「・・・で?」
ゴクリッ、と御門の喉が鳴る。
「え?……だって、起きちゃったじゃん。あ〜〜ん、食べ損ねちゃったぁ。…しくしく…だからぁ、悔しくて余計に食べたくなるんだもん。…しくしく…」
戯けた泣き真似をするヒナ。
御門はガックリ肩を落として、
「・・・・・何だ・・・それだけか・・・」
と、つまらなそうに言う。
すると、ヒナが、
「…マロンケーキが食べられたらぁ…お礼にキスしてあげようかと思ってたんだけどぉ…フフッ…」
と再び妖しく笑った。
「買うたるがな、なんぼでもッ!」
「…………マロ??」
「・・・コホンッ・・・いや。それじゃ、ケーキショップに行こう?」
思わず”さん○ちゃんノリ”をしてしまった御門は、水を飲み干して誤魔化し、レシートをつかんで席を立った。
「うん♪」
すっかりオオカミになった御門は素早くカードで支払を済ませ、ズボンの前の膨らみをポケットに片手を突っ込んでカモフラージュし、ヒナと手を繋いで店を出た。
赤ずきんヒナは単純にケーキが楽しみで、御門の向ける笑みに満面の笑顔を返した。
ケーキショップで迷いに迷ったヒナは、御門の、
「好きなだけ買ってやるから♪」
という言葉のままに12個のケーキを選んで、箱に詰めて貰った。
「ケーキのクリームが溶けない内に、早く帰ろぉ〜っと。」
ヒナが照り付ける真昼の太陽の陽射しを気にしながら言うと、
「ヒナの部屋、エアコンが故障してんだろ?」
と、御門が指摘する。
「ぁ……そっかぁ…」
それでクーラーの効いた図書館に宿題を抱えて行ったのだ。
ヒナのうたた寝も、熱帯夜で眠れない日が続いたせいだった。
「…でも…どうしよぉ……」
ケーキはあまり暑い中では食べたくない。
お店で1時間は冷えてるようにドライアイスを入れてくれたが、すぐにケーキを食べられる適当な場所が思い付かない。
「・・・俺の泊まってるホテルの部屋で食べたらいい。ルームサービスで好きな飲み物も頼めるしな。」
下心見え見えの誘い言葉だが、ヒナには見抜けない。
ただ、兄の雄志から、「アイツの部屋へは絶対行くなよ。」と言われている。
「…ぅーーん…どぉしよぉかなぁ……」
「迷って時間くってると、ケーキが不味くなるよ?」
「…ぅぅ……だよねぇ……」
「仮住まいで狭い部屋だけど、冷蔵庫もあるから冷やしておけるし・・・」
「えー?!じゃぁ、ゆっくり食べられるね?」
「ああ。・・・ゆーっくり・・・食べられる。」
御門は澄ました顔で品良く微笑んで見せるが、内心は(よっしゃー!)とほくそ笑んでいた。
ケーキの箱を大事そうに持ったヒナを連れて、御門が仮住まいにしているホテルに戻ってきた。
いつものようにフロントで鍵を貰い、振り返った時、
「あ、御門様。先ほどからお待ちのお客様がラウンジにおいでですが・・・」
と、フロント係が呼び止めた。
御門は、
「・・・らしいな。」
と、フロントには振り返らず、ラウンジから近付いて来る男に眉を顰めた。
「御門君。・・・随分探したよ。」
御門の数歩後ろで待っていたヒナを無視して通り過ぎた男が、苦しげな息を吐いて御門に近付いた。
「傷も完治しないままに退院して・・・どこに行ってしまったのかと、本当に心配だったんだぞ。」
「・・・若狭さん・・・」
御門の表情が曇る。
「学校は夏休み中、道場へも行ける状態じゃない、自宅マンションは改装中で留守。・・・事件だって本当は君が狙われていたそうじゃないか?」
「ちょッ・・ッと・・・若狭さん、こんな所でその話は・・・」
どうやら若狭は職務権限ギリギリな行為で、御門のことを調べ回ったらしい。
御門は若狭のしつこさに辟易としていたが、それ以上に、余計な話をヒナに聞かれたくなかった。
「若狭さん・・立ち話もなんですから、向こうで・・・」
と、ラウンジの一角に促した。
それから、訳がわからずに呆然としているヒナに駆け寄り、若狭から少し離れた席に座らせ、
「ちょっと話をする間、待っててくれ。」
と片手で拝んで頼み、ヒナの為にアイスティーを注文してやった。
そして、若狭のいる席に戻ると、声が聞こえないようにヒナに背を向けて座った。
「若狭さん。どうゆうおつもりでかは知りませんが、公には”通り魔”と発表されているはずです。・・・第一、管轄外のあなたに、事件の真相が何の意味があるんです?」
御門が普段ヒナには見せない険しい顔で若狭に言及する。
「もちろん、君をよりよく理解する為だ。」
若狭は至って真剣に答える。
御門の傷を心配してか、いつもの軽口はなく、熱い眼差しを御門に注ぐ。
「やっとマスコミも静かになったのですから、蒸し返すようなことはしないでください。」
御門は小声ながら怒気を含ませて訴える。
なるべく周囲に聞こえないようにと、御門が背を丸めて顔を近付けてくるのをいいことに、若狭も顔を近付け御門を鑑賞する。
「・・・あぁ・・・君が嫌がることはしないさ。」
顔に掛かる若狭の息が妙に熱い。
「だが・・・君と対戦出来なくなったことが、残念でたまらないよ。」
「それは・・・俺も残念ですが・・・」
(・・・貴様を思う存分、叩きのめせなくてなッ!)
御門は忌々しそうに奥歯を鳴らす。
「だろう?」
若狭はどう勘違いしたのか、御門の手を両手で包むように握った。
(・・・ゲッ・・・)
鳥肌立った御門が手を引くが、一層強く握られてしまう。
「俺も悔しくてたまらない。俺と君との神聖な勝負を、邪魔した奴に天誅を下してやりたいほどだ。」
(・・・天誅が下るのは貴様だッ!)
「だからと言って、調べ回られても困ります。」
「・・・そうだな。君が嫌ならその件に関しては手を引こう。・・・だが・・・今度のことで、君が剣道をやめてしまわないか、と不安だ。」
「心配ご無用。あなたとの決着を付けるまではやめませんから。ただし、受験が終わるまではリハビリ程度の調整しか出来ませんし、来春にどの程度まで復調出来るか・・・確約は出来ませんが・・・」
いくら若狭に腹が立っても、剣道に関しては先輩だけに、真摯な返事を返した。
「・・・秋季大会も無理なのか?」
若狭が片手を離して御門の傷のあるあたりに押し当て、そっと撫でる。
怪我の治り具合を心配してくれているのはわかるが、そうした扱い方をされるのが昔から苦手な御門は、
「帝高校の決まりで、三年は夏の大会までとなってますし・・・」
と、若狭の手首をつかんで押し返した。
「そうだったかな。・・・ハハッ。昔のことは忘れたなぁ・・・」
(・・・若ボケかよ・・・25だろ、あんた?)
早く話を終わらせたい御門は、どうにか若狭に納得して貰って、トットと帰って欲しい為、極力我慢して話をしていた。
だが、それもそろそろ限界が近付いてきていた。
「あの・・・済みませんが、彼女を待たせているので・・・」
絶対零度の冷気を込めて若狭を睨み、腰を浮かしかけた御門に、
「彼女?・・・って、あの童の端女か?」
と、懲りない冷笑を口元に浮かべた若狭が、顎で指し示す。
「なッ?!・・い・・」
「シッ!」
堪忍袋の緒が切れて、怒鳴ろうとした御門を制して、若狭がこっそり指差した。
「見てみろ。」
頭から湯気が立ちそうなほど怒り心頭していた御門だったが、若狭の笑いを噛み殺す表情が気になって、肩越しにヒナの方を振り返った。
途端・・・ギョッ!!・・・っと固まる。
ヒナは、膝にケーキの箱を置いて蓋を開け、手づかみで食べている。
両手の指と口のまわりがクリームまみれだ。
(・・・こらこらこら・・・)
何個目かは知らないが、更にケーキを取り出したヒナが、急に顔を上げて小首を傾げ、それからニッコリと笑って頷く。
(・・・何やってんだ?)
御門が首を捻ると、ヒナの前に外国の男性らしい金髪の男が、ヒナにカメラを向けている。
ヒナは指先のクリームを舐めてからVサインをしてポーズを決める。
(・・・おいッ!勝手に写真なんか、撮らせるなッ!)
しかも男のリクエストか、ケーキを頬張ろうする動作で止まってみせたりしている。
(ヒナぁぁぁーー!俺だってそんな写真持ってないぞ!!・・・くっそぉぉぉ・・・そこの外人!ケーキ食べる女が珍しいのかッ?えッ?!)
御門はソワソワと尻が落ち着かず、今にも立ち上がろうとしているが、ヒナがあまりにも無邪気な顔で応えているので、切っ掛けがつかめずにいた。
金髪の男は何枚かシャッターを切って納得したのか、ヒナに近付き英語で礼を言っている。
ヒナもカタコトの英語で答えているようだ。
それから、ヒナがジェスチャーで箱の中を指差しながら「プリーズ」と言っている。
男は大袈裟に喜んだ顔でケーキを一個つかみ出した。
(・・・ヒナぁ・・・俺が買ったんだろぉ?・・・金髪に喰わせるなよなぁ・・・)
御門は小さく溜息を吐いたが、
(・・・けど・・・そーゆー所が・・・可愛いんだよなぁ・・・)
と、柔らかな笑みを浮かべる。
「・・・日本も平和なものだな・・・」
冷めた口調の若狭が皮肉をこぼす。
警察のエリートなら、そんなこと思うはずもないことを、御門もわかっている。
「日本はともかく・・・彼女は俺の魂を安らぎの空間へと導いてくれます。」
「ほぉ?・・・あの童がねぇ・・・」
”童”と強調するあたり、ヒナを女性として捉えていないようだ。
それはある意味、蔑視しているとも言える。
「彼女の魂は、あなたより遙かに崇高だ。もしそれが見えないとしたら、あなたの心の目が腐っているのでしょう。・・・あなたは俺と勝負する価値もない。」
限度を超えた御門はソファーから立ち上がった。
「そう怒るな。単に色気がない、と言ったまで。・・・面白い子だと思ってるよ。」
若狭は御門の剣幕に焦って補足する。
が、御門は腕をつかむ若狭の手を振り払い、
「結構です。面白がられるのも迷惑ですし・・・失礼します。」
と、一礼してヒナの所へと急ぎ足に近付いた。
「ぁ、マロ…お話は終わった?」
「ああ。待たせて悪かったな。」
御門はヒナの隣りに勢いをつけて座り、斜向かいでケーキを食べている金髪の男を睨み付けながら目礼した。
男は目を丸くして体を反らせると、慌てて残っていたケーキを口に頬張り、「ソーリー」と「センキュー」を繰り返しながら、退散して行った。
(・・・チッ・・・ケーキ代にフィルムを要求してやればよかった・・・)
御門が男の去っていく後ろ姿を睨んでいると、
「ケーキ…マロも食べる?」
と、ヒナが笑顔で聞いてきた。
「・・・・・なぁ・・・部屋で食べる約束だろ?」
御門はチラリと箱の中味を調べ、すでに5個が消えている事実に、ゲンナリとした顔を作って愚痴る。
「……ホテルはホテルぢゃん……」
ヒナも後ろめたさがあるのか、小さく口をすぼめ、
「…お腹が空いちゃったし…甘い香りが誘惑してくるし…」
と、口ごもりながら言い訳をする。
はなから御門は怒るつもりはなかった。
少しだけ、オオカミの牙を折られた気分の、”お返し”だった。
「・・・けど・・・こっちの約束は守って貰うよ。」
そう優しく言った御門は、ヒナの膝の上にあるケーキの箱をテーブルに置いて、肩を抱き寄せ、
「・・・ケーキより・・・俺を甘く誘惑するものがある・・・」
と、唇を近付けながら囁いた。
ドアップに御門の顔が近付き、
「…ぇ……ナ、、、ナァニ…??」
と、ヒナも掠れ声で尋ねる。
「・・・ヒナの・・・甘い唇・・・」
「ンッ、、、、、」
ヒナが言葉を言う前に、唇を塞がれてしまう。
御門はヒナの唇をまんべんなく舐めるようにしてクリームを拭い、さらに甘い舌を求めて唇を割って侵入させる。
戸惑う舌が愛しくて、強く吸って絡めたいところだが、場所が場所だけに注意されかねない。
御門はグッと堪えてヒナを解放し、
「・・・ケーキ・・・冷蔵庫にしまわないとな?」
と、照れ臭そうに前髪を掻き上げた。
ヒナは返事をするのも恥ずかしそうにコクリと頷き、箱の蓋を閉じて再び大事そうに抱えた。
牙を折られたオオカミ御門は、自分の部屋に案内した後、ルームサービスで昼食用にサンドイッチを頼み、昼食後は夕方までヒナの宿題をみてやった。
ヒナは昼食にも、おやつのティータイムにもケーキを食べ、
「…ケプッ……もぉ…当分…ケーキいらない……」
と、音を上げた。
「そう言うなよ、ヒナ。いくらだってマロンケーキ、買ってやるぞ?・・・さぁ〜もっとお食べ〜・・・」
御門は優しい顔でクスクス笑いながら言った。
|
|