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mikado







§10§「涙の誓い」


「……マロォ…ンフッ……」
 枕を二つ重ねて背中のクッションにし、分厚い本に読み耽っていると、ヒナが肩に凭れ掛かってくる。
 本を覗こうと首を動かすので、その度、ヒナのサラサラ髪が素肌をくすぐる。
 (・・・ちょっと意地悪してやるか・・・)
 御門はヒナにかまわず、本を読み続けページを捲っていく。
「…ァ…ァファ-…ゥ…」
 あくびをした甘い息が、股間を甘く切ない焦燥に駆り立てる。
 (・・・ハァァ・・・吐息一つも俺のものだ・・・)
 御門はヒナを手に入れた感慨に耽りながら、首を少し回してヒナの顔を覗く。
 ヒナは目を閉じて、…ムニャムニャ…と口元を動かす。
 (・・・ぉ、おいッ・・・本当に寝るなよッ・・・)
 本に隠れているものの、御門の刀はすでに毛布を高く押し上げてしまっている。
 (・・・やっと付き合えるようになったのに、まだ我慢するなんてこと、やってられるかッ!)
 ・・・パタンッ!
 御門は音を立てて本を閉じた。
 ヒクッ、と頭が動いて、ヒナが目を開け、御門を見上げる。
 鼻が付きそうなほど間近で見つめ合う。
 (・・・くぅ〜〜ッ・・・甘露飴みたいな目が可愛ぃ〜・・・)
「ヒナぁ〜・・・まだ、ネムネムは早いだろぉ?」
 御門がヒナの顎を指先ですくい、唇を近付け、そっと触れる。
 ヒナの唇はメープルシロップの甘い香り・・・
 味わうように、ハムハムハム、、、と唇を動かしていく。
 ふにふにの感触が、更に股間を熱くする。
「・・あぁ・・・ヒナ・・・刀がお前を欲しがってるぞ・・・」
「…ァン?……ヒナモ…ホチイデチュ……」
「じゃぁ・・・ニギニギしてくれるかなぁ?」
「…ァィ……チマチュ……」
 ヒナが御門にキスをされた状態で、手探りに刀を見つけだし、優しく包み込んでスリスリと撫で始める。
「あぁぁ・・・気持ちがいいよ、ヒナ・・・俺のヒナ・・・」
 御門はヒナの唇を割り、小さく尖った舌先をくすぐるようにしゃぶる。
 ヒナはうっとりと閉じた睫毛を震わせながら、手を巧みに動かしていく。
「・・・最高だ・・・ヒナ・・・」
 (・・・どこでこんなテクニックを覚えたんだ・・・?)
 御門がふと疑問を浮かべると、ヒナの姿が目の前にいながら霞んでいく。
「・・・ヒナ?」
 (・・・あぅッ・・・ヒナ・・・何も聞かない、何も問わないから・・・ここにいろッ!)

「・・ぅぅ・・・ヒナッ!」
 重い口をようやく開いて叫んだ時、目が覚めた。
 いつもの如く、ベッドの中で自分の刀を自分で握っている。
 (・・・くっそぉ〜〜ッ・・・夢くらい、たっぷり楽しませろッ!・・・ハァァ・・・っにしても、ヒナの唇は柔らかいなぁ・・・)
 御門はベッドから起き出さずに、そのまま刀を磨く。
 微かに眉を寄せ、修験者の護摩焚きで数珠を一つ一つ手繰っていくように、同じ動作を繰り返す。
 頭の中は、メープルシロップの香りと、ふにふにの唇の感触で、いっぱいになっている。  実際はまだ知らない。
 それでも、もうじき実物も手に入るだろう、と思うと、顔がにやけてくる。
 (・・・ヒナも、俺との出会いは「運命」だと言ってくれた・・・)
 腕に落ちた涙は温かかった。
 (・・・俺がいつでもヒナの涙を吸い取ってやるさ・・・あんなクソ兄貴なんて必要ないッ!)
 必死でしがみついてきた愛しさ・・・
 (・・・待ってろよ、ヒナ・・・あぁぁ・・・これを出しちまったら、迎えに行くからなぁ・・・んん・・・)
 御門は勝手な妄想を広げながら刀を先端まで妖しく光らせていく。
 片手を伸ばしてティッシュを数枚取り、刀の切っ先を包む。
「・・うぅ・・・ハァハァ・・・あぁぁ・・・ヒナぁぁ・・・可愛いぞぉぉぉーーッ・・・・・ぐぅ・・・・・」
 息を止め、熱い迸りを虚しくティッシュの中に放出した。



 学校に近いマンションでは、ヒナが青白い顔でどうにか起き出してきた所だ。
 透けるように白い肌に青白い血管が浮き上がる。
 血色がいい時なら、肌の艶が光を弾いて健康そうな顔に見えるが、弱っている時は、悲惨なほど生気がない。
 その落差がありすぎるせいで、これまではクラスメートや周囲の大人達から、扱い難い子と見られていた。
 それでも、今度のクラスは天野耕祐のサポートもあって、あまり気にせず普通に付き合って貰える。
 ヒナはやっと、帝高校に入学出来て良かった、と思うようになっていた。

「ん?・・ヒナ・・起きたのか?」
 泊まり込んでいた雄志が、リビングでモーニングコーヒーを飲みながら、TVニュースをチェックしていた。
「…ウン……おはよぉ、お兄ちゃま。」
「おはよう、ヒナ。・・・今日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「…ヤダ……もぉ、あまり休みたくないの。」
「・・・そんな具合悪そうな顔して・・・」
「…デモ……学校近いし…どうしても無理なら、すぐ帰って来れるし……」
「・・・それはそうだが・・・昨日の昼に吐いてから、何も食べられてないじゃないか・・・」
「………………ウ…ン……」
「朝食がちゃんと食べられたら、その時考えよう。いいね?」
「……は…ぃ……」
 ヒナは伏し目がちに返事をして、レストルームへと向かった。

 大きな鏡が付いている洗面台は、元気な姿を映してる分にはいいが、透ける静脈の青さまでくっきり映し出すのは嬉しくない。
 ヒナは血色が良くなるようにと、冷たい水で何度も顔を洗い、パシャパシャパシャッと、水を顔に叩き付けた。
 タオルで顔を拭いて鏡で見ると、頬も鼻の頭も額も、赤らんでテカッている。
 (……ヨシッ!)
 ヒナは仕上げにローズエキスの入ったローションで、ペチペチペチッと肌を叩いた。
 (……学校…休みたくないもん……)
 せっかく連休前に、クラスに溶け込んでみんなと心を一つに出来たのだ。
 ここで休んだら、また輪の中から外れてしまいそうで、怖かった。

 顔色は多少マシになった。
 待っていた兄とキッチンテーブルの席に着く。
 ヒナの大好きなフランスパンが食卓にあり、これなら何とか食べられる、と笑みが浮かぶ。
 けれど、モチモチッと粘りが強く、千切りたいのに手に力が入らない。
 ヒナが心の中で「ヌォォォーーーッ!!」と気合いを込め、引き千切ろうと腕を震わせると、雄志が黙ってパンを取り上げ、細かく千切って皿に乗せてくれる。
「……ありがと…」
 ヒナは一口サイズになったパンを、ちょこっとホットミルクに漬けて口に運んだ。
 雄志は目を細めて、ヒナが咀嚼する様子を眺める。
「……お兄ちゃま……」
「ん?・・なにかな、ヒナ?」
「……あんまり見てないで欲しいんだけど……」
「・・・また、そうゆう意地悪を言う・・・お兄ちゃんはヒナが心配だから・・」
「だって…ケホッ…」
 ヒナはパンが喉に引っ掛かり、慌ててホットミルクで押し流す。
「ほらなぁ?」
 雄志が席を立ってヒナの背中をさすってやる。
 ヒナは言いかけた言葉も飲み込むしかなく、食欲もなくなってしまった。


 ピンポーーン・・・
 朝からの呼び鈴に、不審顔で雄志が出ると、そこには二度と顔も見たくない御門が立っていた。
「ッ・・貴様ッ・・・何の用だ?!」
「ヒナを迎えに。」
「もう二度とヒナに近付くな、と警告したはずだぞ?・・これ以上付き纏うようなら、ストーカー行為で訴えてやるッ。」
「それは無効ですね。本人の意思が反映されてませんから。いくら俺がお兄さんにとって気に食わない相手でも、ヒナは俺を受け入れている。これは合意の行為です。」
 (・・・何て太々しい奴だッ!)
 雄志は吊り上げた眉を痙攣させて、御門を睨む。
「ヒナも迷惑がってるぞ。」
「それはあなたの思い過ごしです。」
「・・・お前・・・鈍いのか?」
「あなたこそ、独断と偏見が強すぎるな。」
 御門は一歩も引かず抗弁する。
 これまで、大抵の人間は論破してきた雄志には、御門が最悪な天敵に見えてくる。
「お前のせいでヒナは昨日からずっと体調を崩しているんだ。今日は学校は休むから、もう帰りなさい。」
 雄志は保護者としての強気な態度に出る。
 御門は、(・・・てめぇのせいだろうがッ!)と言ってやりたかったが、それよりヒナの具合の方が心配だったので、グッと堪えた。
「・・ヒナの様子は?」
「お前に話す必要はないが・・これ以上、ヒナを追い詰めて欲しくないから、一応言っておこう。・・・ヒナは・・」

「お兄ちゃまッ。…余計なことを言わないでッ。」
 制服を着たヒナが鞄を持って玄関まで来ていた。
 学校へ行く用意は起きた時にすでに済ませてあった。
 ただ、兄に「今日は休みなさい」と言われて、パジャマのままリビングでぼんやりTVを眺めていたのだが、御門の声が聞こえた時、(…やっぱり学校へ行こう…)と思い、急いで制服に着替えて来たのだ。
「・・・ヒナ・・・」
 雄志は制服を着ているヒナを、信じられない、と言いたげに眉をひそめて見ている。
「…行ってきます。」
 ヒナは兄の脇をすり抜け、靴を履くと、御門の制服の袖を引っ張ってエレベーターへと向かってしまう。
 (・・・ヒナ・・・一体、何を考えているんだ・・・?)
 取り残された雄志は、理解出来なくなっていく妹に、呆然とした寂しさを感じていた。


 制服の袖を引っ張られている御門は、ご満悦な表情でヒナの好きにさせている。
 エレベーターに乗り込んだヒナは、そこで御門の袖を離し、壁際まで下がった。
「やぁ。・・おはよう、ヒナ。」
 御門が機嫌良く、朝の挨拶をすると、ヒナがギロリと睨みあげた。
「…勘違いしないでよね。ヒナはただ学校に行きたかっただけなんだから……」
 御門は軽く肩を竦め、
「何をつれないことを・・・ん?・・・俺達は交際宣言をした仲じゃないか。」
 と、余裕の笑みを浮かべる。
「…………は?」
「俺達は”運命”の相手だろ?」
「……バッカじゃない?……信じらんない……」
 ヒナは呆れたように呟いて、そっぽを向いた。
「・・・・・え・・・・・」
「やっぱ最悪な奴ッ。…ちょっとでも信じようと思ったのが、間違いだったみたい。」
「・・・なぁ、ヒナ・・・」
「大好きな先輩の彼氏に、そんなこと言われて喜ぶ子なんている訳ないでしょッ?何、考えてるのッ?」
「・・・愛は・・勝ち取るものだろ?」
「簡単に人を裏切れるような男に、奪い取るだけの価値なんてないじゃん。」
 ヒナは眉を聳やかし、冷たく言い放つ。
 (・・・・・ガァァァーーーーーンッ・・・・・)
 御門は表情を凍り付かせたまま固まった。
「沙也香先輩が傷付くのが嫌だから、浮気心を起こしたことは黙ってるけど…今後、誰彼なくこうやって色目を使って誘惑してるようなら、…ぜぇーーんぶッ…バラしてやる。」
 「バラしてやる」と言った声が、呪いの言葉のように御門の頭に響いた。
 (・・・・・ヒ・・・ヒナぁぁぁぁぁーーー・・・・・)
 御門の妄想の中の可愛いヒナドールが崩れていく。

 エレベーターが一階に着き、扉が開く。
 ヒナは御門を無視して、さっさと玄関ロビーから通りへと飛び出していった。
 御門はしばらく足が止まっていたが、扉が閉まりかけて、ハッ、と気付き、急いで開ボタンを押してエレベーターを降りた。


 朝日が眩しく、早足でも目眩が起きそうになり、ヒナは歩みを遅くした。
「・・・ヒナッ・・・待てよ。」
 御門がすぐに追いついて、並んで歩き始める。
 振り切って駆け出したい思いはあっても、そう出来ないヒナは、膨れ顔で溜息を吐いた。
「・・・なぁ、ヒナ。・・・俺達は付き合うべきなんだ。」
「まだそんなことを……」
「今は他の女性を抜きにして話そう?いいだろ?」
「……嫌。」
 ヒナの言葉がその都度、胸に突き刺さるが、御門は諦めない。
「もし、俺に彼女がいなければ、俺を認めてくれたんだろ?」
 ピタリ、とヒナの足が止まった。
 御門もそれに合わせて、立ち止まる。
 ヒナは少しの間、御門にうつむいた頭を向けて黙っていた。
 微風がヒナのサラサラ髪を揺らし、光に透けて金色に輝いている。
 御門が、サラサラと揺れる音を聞くように見取れていると、ようやくヒナが顔を上げた。
 ヒナはあまりにも悲しげな表情で、御門を見つめた。

「…関係ないの。……御門先輩が、どれほど素晴らしい人で魅力があるかなんて、関係ない。」
 御門はヒナの言いたいことがわからず、眉を寄せる。
「…だって…お兄ちゃまだって…とっても優秀で素晴らしいって誰もが言うし、ヒナだって自慢で…今でも大好きだもん。」
「・・・まぁ・・それはそうだろう・・・」
「……ヒナね……お兄ちゃまは絶対的に自分のものだ、って思ってた……」
 御門は腕組みをして「・・うーーむぅ・・・」と呻り、顔をしかめる。
「……血の繋がりって…絶対的だと思ってたし…どんな絆より強い、って信じてた……」
 御門は腕を解き、前髪を梳き上げる。
「・・・それは時が経てば、また見方も違ってくるだろ?・・今は離れたように感じていても、お互いを認め合える関係になれば、またお互いを、掛け替えのない兄妹だと思うようになるさ。」
「……そんな理屈くらい…わかってるもん……」
「もちろん、今の現状として、実際的には独りぼっちである事実が厳然として有る訳だから、辛い、と思う気持ちを決して我が侭だとは思わないよ。・・・だから、俺がヒナの心に空いてしまった穴を埋めてやりたいんだ。」
 御門が真剣な眼差しでヒナを優しく見つめる。
 けれど、ヒナの悲しげな表情に変化はなかった。

 ヒナは両手の掌を上にして、目に見えない何かを抱えるようにして前に出す。
 降り注ぐ朝日に、掌の青白い血管が透けて見える。
 (・・・あぁ・・・何て儚げな・・・)
 御門は跪いて両手をつかみ、顔を埋めるように接吻したい衝動を、どうにか押さえた。
「……確かなものなんて…なにもない……」
 悲しく震える声でヒナが言う。
 その言葉は、御門の魂を抉る言葉だった。
 ―――なぜなら、ヒナが言った言葉は、御門自身が幼い頃から、ずっと胸に抱いてきた言葉だったからだ。
 「・・・確かなものは何もない・・・」
 ・・・だからこそ、自我を強く持って、太々しく生きてやるんだ!・・・と・・・
 掴んでは投げ、握ったものをそのまま握り潰したり、抱え上げては壁に打ち付けて、手応えを確かめる。
 現実にそうした行動を起こす訳ではないが、魂は常に手応えを求めて、狂うように彷徨っていた。
 対象は人に限ったことではない。
 剣道にしろ、弓道にしろ、学問にしても、確かな手応えを求め続けている。
 だが、暴走する御門の魂を諫める存在はなく、熱く苦しい想いに返ってくる手応えは何もなかった。
 皆、それでいい、とばかりに賞賛し、従ってしまう。
 (・・・本当にいいのか?・・・こんなものなのか?)
 成績や評価や賞状といった物が欲しい訳じゃない。
 むしろ評価されて賞賛されると、益々虚しさに心が荒れた。
 ・・・もっと強く・・・もっと熱く・・・もっと激しく・・・もっと切なく・・・もっと・・・違う何か・・・
 彷徨い求め続ける魂が、見出した存在がヒナだった。―――

「・・・そう・・・確かなものは何もない。・・・だから・・・ヒナが欲しいんだ。」
 無茶苦茶な言い分だった。
 それは御門本人も承知していた。
「…………マロ……」
 けれど、ヒナは、御門の頬を伝う涙に、痛いほど胸を締め付けられ、咎める気持ちになれなかった。
 答えるのではなく、独り言のように、
「……だって……ヒナはもぉ…大事なものを…失いたくないんだもん。……今でさえ…失った悲しみで…ヒナ…もぉ…消えそう……」
 と、呟いた。
「バカ言うなッ。俺がいるッ。俺の胸に飛び込んで来いッ。・・・しっかりと抱き締めて、今ここに生きる俺達が、確かな存在だと感じさせてやる。」
 流れる涙をかまわずに、御門は訴える。
 まだ、早い時間ではあったが、朝練に向かう生徒が車線の反対側を通り過ぎながら、怪訝に首を傾げていった。
 ヒナは苦しげに首を振り、
「……今を裏切れる人が…いつかまた裏切らない、なんて…有り得ない…信じられない。……お願い。…もぉ…ヒナに構わないで下さい。」
 と言って、頭を下げた。
 そして、御門に背中を向け、学校へと歩き出した。
 御門は立ち尽くしたまま、それ以上追い掛けることが出来なかった。



 <御門様が泣いていた!>
 そのセンセーショナルな噂は、昼休みには校内中に広まっていた。
 理由までは誰も知るはずがなく、ヒナが一緒にいたことで、<あの生意気なヒナって子が泣かせた・・>ということになってしまった。
 ヒナが<生意気>という根拠も、<御門様の車で送迎されていた>というだけの理由で、ヒナに責任はないが、嫉妬も絡んで悪意が深く潜行していった。

「沙也香さん。あの一年、生意気過ぎますよぉ。」
 自称「御門ファンクラブ」の女生徒が、沙也香に訴える。
 彼女達は、御門に憧れながらも、自分では所詮無理と諦め、才色兼備の沙也香なら納得出来る、と勝手に思っていた。
 沙也香も、御門との交際がストップしてしまった原因を(・・ヒナの所為よッ!・・)と恨んでいたので、噂を聞いて更に憎悪を加速させていた。
「・・・そぅ?・・・皆さんもそう思われて?」
 沙也香は、あくまでも他動的であることを強調しつつ、自身の不満も臭わせた。
「これはもう、公正と平等であるべき帝高校で、あるまじき思い上がりです!」
 女生徒は普段、意味もろくに考えてもいないのに、御門の受け売り言葉で理由付ける。
「・・・御門様も・・お優しいから・・・」
 沙也香は、頬に手をあて、困ったように溜息を吐いてみせる。
「御門様がお優しいのは、皆が知っていることです。でも、皆には遠慮するという慎ましさがあります。・・・なのに・・あの子は・・・」
「・・・そうねぇ・・・」
「このままでは、皆の気持ちが治まりません。御門様がお優しいあまり、何でも認めてしまうようなことがないよう、きちんと制裁するべきです。」
「クスッ。・・制裁なんて・・・」
 沙也香は苦笑して首を振り、
「・・御門様はそのような行為はお認めにならなくてよ?・・・私は何とも言えないけど・・・それでも、皆さんが我慢ならないと言うなら・・勝手におやりなさい。」
 と、告げた。
 微妙に、「勝手におやりなさい」という言葉が強調されている。
 沙也香は女生徒の返事は待たず、
「ごめんなさい。次の授業の用意があるから、失礼するわ。」
 と、その場を立ち去った。
 おそらく、「わかりました。勝手にやります。」と答えるだろう返事を聞かなければ、自分には一切関わりがないこととして通る。
 むしろ「御門様は認めない」と忠告してやったのだ。
 後は勝手にすればいい。
 女生徒に背を向けた沙也香は、冷たい笑みをもらした。


 放課後、どうにか一日の授業を問題なく受けることが出来たヒナは、
 (……あと少し……あと少し頑張れば……休める……)
 と、心はすでにベッドに倒れ込みたい気持ちでいっぱいになっていた。
 そこに、見知らぬ女生徒が近付き、
「沙也香さんが呼んでるから、ちょっと来て貰える?」
 と、笑顔で言った。
 「沙也香さん」と、”先輩”を付けずに呼ぶのは同学年生だけだろう。
 気力で一日踏ん張ったヒナには、これ以上の用事は出来ないと思えたが、敬愛する沙也香先輩のことなら、と女生徒の後に付いて行った。

 案内されたのは、体育館裏のゴミ集積所。
 色々な規制でゴミの焼却が勝手に出来なくなってから、分別ゴミを置く倉庫が設置されていた。
 誇り臭い倉庫には、女生徒が数名待っていた。
 けれど、沙也香の姿はなく、ヒナは女生徒達の表情に異様なものを感じた。
 倉庫の入り口で立ち止まっていると、ヒナを案内した女生徒が、背中を突き飛ばして強引に中へと進ませた。
 体力が限界に近いヒナは、前のめりに膝を着き、座り込んでしまった。
 女生徒達は、ヒナの周囲を取り囲み、憎悪を込めた目で見下ろしている。
 顔を上げてグルリと彼女達の顔を見回したヒナは、項垂れて溜息を吐いた。
「…どうゆうことですか?」
 小さな嫌がらせは、あの上履きの一件だけでなく、細々と続いていたので、御門と親しくしていることへの反感を買っているのだろう、とは思っていた。
 案の定、女生徒達は口々に文句を言い始めた。
「御門様がお優しいからって、思い上がるのもいい加減にしなさいッ!」
 で、始まった文句は、一方的過ぎて、数え上げるのもバカらしいような内容だった。

 耳鳴りがして、聞き取るのも困難になり、ヒナは嵐が過ぎるのを待つように、黙ってじっとしていた。
「その態度が生意気なのよッ!」
 誰かがそう叫んだ時、脇腹を強かに蹴られた。
「ウゥッ!……ゲホッ……」
 激痛が走り、ヒナは脇腹を手で押さえて、コンクリートの床に倒れ込んだ。
 頭を踏みつけられ、グリグリとコンクリートに押し付けられる。
「黙ってないで、何とか言ったらどうなのッ?」
 そう言われた時、
「……これって……沙也香先輩は…関係なかったんですね……?」
 と、ヒナが気懸かりだったことを聞いた。
「何を惚けたことを言ってるのッ?・・沙也香さんだって迷惑してるのよッ?」
「……沙也香先輩は…事情を理解して…認めてくれている、って……」
「認める訳ないでしょッ!ただ、御門様に遠慮して、愚痴も言えずに耐えてらっしゃるんじゃないのッ!」
「……そぅなんですか……?」
 ヒナには信じられなかった。
 ―――中学の頃から、あれほど親しくさせて貰い、家にも遊びに来てくれていた先輩なのだ。
 生徒会会長室での行為を見てしまってからは、あまり顔を合わせられなかったが、それでも御門の送迎は承知して貰えていると思っていた。
 御門が帰るまでの時間を会長室で待っている時でも、特に文句を言われることがなかった。―――

「アンタへの制裁は沙也香さんも承知しているわッ!」
 信じられない言葉を浴びせられると同時に、数名の女生徒から一斉に体を踏まれた。
「…グゥッ……ゲホッゲフッ……」
 ヒナは体を小さく丸めた状態で、意識が遠離っていった。
「ヤメロォーーッ!!」
 耳鳴りの遠くで、御門の叫ぶ声が聞こえた気がしたが、ヒナはもう意識を保っている気力もなかった。



 ヒナが目覚めたのは、壁も床もカーテンも白い、病院のベッドだった。
 肋骨にヒビが入っているそうだ。
 付き添っていた雄志に、そう説明された時、
「…ごめんね、お兄ちゃま……お兄ちゃまの言うように…もっとちゃんとお魚…食べれば良かった……」
 と、苦しそうな息でヒナが言った。
 雄志は、ヒナの見当違いな言い様に、顔をしかめ、
「蹴られりゃ、骨も折れて当然だろうが。」
 と押し殺すように呻いた声は、怒りに満ちていた。
「・・警察が、ヒナに暴行した奴等と、あの厚顔無恥な御門を取り調べている。ヒナにも事情を聞きたい、と言ってるが・・・」
「……警察って……」
 ヒナの青白い顔が、一層青ざめていく。
「これは明らかに傷害事件だ。・・ヒナもこの際、はっきりと言った方がいい。」
「……そんな……」
 ヒナは余力を振り絞るように首を激しく振った。
「ダメッ…お兄ちゃまッ…お願いだから…事件にしないでッ……」
「ヒナッ。・・こんな怪我までして、ヒナが犠牲になってやることはないんだぞッ。」
「…違うッ……これは…転んだんだもん……」
「転んだだけで体中に痣が出来るもんかッ。しかも転んだ地面側ではない方の痣には、明らかに暴行の証拠がある。」
 雄志は今度ばかりは法的に戦うつもりだった。

「……お兄ちゃま…ズルイ……」
「ヒナ・・・?」
「……自分に都合のいいことだけ…怒ったり…訴えたり……」
「当然だろうが?・・・世界中、どの国でも自己利益や自己防御目的に、法的に戦っているじゃないか、ん?」
「……ヒナは…自分で怒れるもん……」
「怪我してるのに何を言っている?・・足も調べたら、ナイフの傷痕があったぞ。上履きにナイフが刺さってたそうだな?・・・どーして黙ってたんだ?何で言ってくれなかった?」
 雄志はボロボロ泣きながら訴える。
「……怒ることじゃないから……」
「傷付けられたら、怒れッ。」
「……だって……ヒナがきっと…傷付けてたからだもん……だから相手が…怒ったんだよ…多分……」
「ヒナがどんな悪いことをした?ヒナにはわかっているのか?相手にそれを伝えて抗議もせずに、一方的な暴力を振るうのは、自分勝手な犯罪だぞ。そんな行為を黙って許せるものかッ。」
「……だから……ヒナも…自分で怒る……」
 ヒナは息苦しそうにやっと話している。
 雄志は論争を繰り広げている場合ではないことに気付き、
「もういい。もうやめよう。」
 と、ヒナを宥めるように、絞ったタオルで額を拭いてやった。

「…お兄ちゃまぁ…お願いぃ……」
「もう何も言うな。みんな僕に任せておけばいい。」
「……事件にしないでぇ……これは…事故だったのぉ……無理して学校に行ったからぁ…具合が悪くなっただけぇ……」
 ヒナはごねるように言い募る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「……お願いぃぃ…お兄ちゃまぁぁ……」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしてだ?」
「……………………………………………………ワカンナイ…………」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 雄志はガックリと項垂れ、濡れたタオルで顔を覆った。


 結局、ヒナのごね勝ちとなった。
 それに、警察が事情を聞いても、ヒナを襲った女生徒達は口を閉ざし、ヒナを救出した御門は「自分の責任です。」としか言わず、ヒナ本人が「事故だった」の一点張りでは、犯罪を立証しようがなかった。
 しかも、学校内の出来事であり、雄志もヒナの頼みを聞いて女生徒達を弁護してやったこともあり、警察は意外とあっさり手を引いた。

 二週間入院していたヒナは、学校の勉強が遅れることを心配したり、自分の居場所がなくなることを不安がる為、ギブスをしたまま退院することになった。

 入院中の荷物を持って、雄志が駐車場に車を取りに行った。
 ヒナは玄関口の所に並べてあるベンチの一つに座って、雄志の車が来るのを待っていた。
 と、そこに、大きな花束を抱えた人物が近付いてきた。
 花束で顔が隠れていて、すぐに誰かはわからないはずだったが、ヒナは何故か、見た瞬間から御門だとわかっていた。
 わかっているのだから、驚くこともなかったが、
「・・ヒナ・・・退院、おめでとう。」
 と、花束を差し出された時、目を丸くして驚いてしまった。
 御門の艶々の黒髪が、ツルツルとした地肌が青い丸坊主になっていたのだ。

「……プッ…プププッ……プップゥーーッ!!!」
 ヒナは呆気に取られながら、笑い出してしまった。
 あんまり可笑しくて脇腹が痛くなってくる。
 ギブスの上から脇腹を押さえて、笑い続ける。
 笑い過ぎて涙まで零れてきてしまう。
 ヒナが(…怒ってやる…)と思っていた唯一の相手が御門だった。
 なのに、その姿を見たら、怒る気持ちも飛んでしまった。

「……どーしたのぉ?」
 どうにか笑いを納めてヒナが聞くと、
「全ての彼女達と、はっきり決別した。」
 と、御門が答えた。
 途端にヒナの表情が曇る。
「ちゃんと謝罪した。・・・どう自分を誤魔化しても、これ以上付き合うのは難しい、と訳も話した。」
「……アホマロ……」
 ヒナが怒りを込めて御門を睨む。
「・・あぁ・・・自分があまりにも愚かだったと、よくわかったよ。」
「そうじゃなくッ…ッテテッ……」
「嫌いで付き合ってた訳じゃない。・・・が、支配欲と愛は違うのだと・・・いや・・・愛していなかった訳じゃないが、自分の為に愛するというのは、自己愛でしかないのだと・・・愛は相手を思う祈りに近いもので、そう願う時そこに生じる思いなのだと・・・」
「フゥ゙ーーッ!!……ゼンゼン意味…ワカンナイ……」
 ヒナが頬を膨らませる。
「つまり・・・ヒナに拒絶されようと、俺はヒナに惚れて、ヒナしか見えず、ヒナだけを必要としている・・・と、話した。」
「ゥゥゥ……バカマロォーーッ!!」
 叫んでから苦しそうに顔をしかめる。
 御門は跪き、そっと肩や背中を撫でる。

 助けを呼べば、誰かが駆け付けてくれるだろう。
 けれど、ヒナはそうしなかった。
 御門を怒りながら、怒りきれない自分の思いに戸惑っていた。
「……なんでヒナなんか……」
 ポロン…と落ちた涙が、御門から渡された花束に落ちた。
 ふわぁ〜っと甘い香りがヒナを包み込む。
「・・・愛しているんだ。」
 丸坊主頭の御門が、ヒナを覗き込むように首を傾げる。
 真剣な眼差しには、もう自分を飾ろうとする姿はなかった。
「……信じられない……」
 御門はヒナを見つめたまま、うんうんうん、と頷く。
「・・・一生をかけて・・・信じて貰うよ。」
 ヒナはポロポロと涙が溢れてきてしまう。
「……怖いの……」
 御門も涙を浮かべて、また、うんうん、と頷く。
「・・・何があろうと・・・愛し続ける。」
「……失いたくない……」
「・・・命、尽きるまで・・・我が魂を捧げる。」
「……イヤ……」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「……死んでも…側にいて……」
 涙に震える声で、ヒナが言った。
 御門は、フワッと笑みを浮かべ、
「・・・わかった。」
 と、答えて、ヒナの涙を指先で、そっと拭った。