§9§「運命」
帝高校、春期生徒総会。
「―ぇー・・・以上をもちまして、春期生徒総会を閉会させて頂きます。」
議長を務めた東郷がそう〆の言葉を述べた後、
「では、最後に御門生徒会長からお言葉を頂きたいと思います。」
と、壇上右脇に座っていた御門に振った。
御門は背筋を伸ばし、胸を張って中央のマイクの前に進む。
言葉を発する前に、ゆっくりと講堂内を見回し、感慨深い息を吐いた。
「今日をもって、俺の生徒会長としての責務はほぼ完了したと言える。まずは、二年間無事に役目を果たせたことの感謝を、共に歩んできた仲間と協力してくれた皆に申し上げよう。・・おそらくは我が侭であっただろう俺に、今日まで付いてきてくれて、ありがとう。」
御門がそう言って、一歩下がり頭を下げると、
「御門様ぁ〜〜!」
「キャァーーッ!素敵ぃーッ!」
と、様々な歓声と共に拍手が起こり、中には涙ぐむ生徒もいた。
―――つい今し方、必要経費の決算が認められずに部活動補助金の返還請求をされた某運動部の男子生徒達でさえ、盛大な拍手を惜しまなかった。
確かに合宿費と偽ってコンパ費用にしたのが悪いのだ、と納得していることだったし、御門が自らの勉学や部活動の練習時間を割いて生徒会活動に奉仕し、様々な改革を押し進めてくれたことに、誰もが感謝せずにはいられなかったのだ。
今後しばらくは、御門のような生徒会長は出ないだろう。
同じ時期に同じ高校で共に過ごせた実感が、御門の言葉で改めて、熱い感動として込み上げてきたのだ。―――
御門は手を軽く挙げて歓声に応え、続く言葉の為に皆を制した。
「・・俺も皆と同じく、帝高校に憧れて入学を果たした。そして、この学舎で皆と肩を並べて勉学とスポーツに励み、在校生である喜びを噛み締め感謝し、帝高校を愛してきた。もちろん、生徒会長の役目を離れても、愛する思いは変わらず、卒業しても誇りを持って愛し続けるだろう。・・・簡単なことだ。俺が特別なんじゃない。・・・いよいよ時期生徒会長及び役員を選出する選挙が始まるが、俺を目指す必要も比較することもない。ただ、愛せばいい。誠心誠意自分達の母校を愛してみろ。そうすれば、自ずと皆もついて行くだろう。・・・愛する友よ、愛する後輩達よ。これからも、俺達の愛すべき帝高校であらんことを切に希望して、最後の挨拶とする。・・・頑張ってくれたまえ。・・以上。」
そう言って御門がフッと微笑むと、一斉に拍手喝采が起きた。
先ほどとは比べようもない大歓声が講堂内に響き渡り、御門が席に戻っても10分以上収まることがなかった。
どう言おうと、多少なりの批判を纏おうと、やはり御門はカリスマ生徒会長であり、帝高校のヒーローだったのだ。
御門が”愛する”と言うたびに、女生徒達は甘い疼きを覚え、男子生徒達は熱い同胞心を掻き立てられた。
ヒナも感動していた。
御門は、何も高校を私物化して、栄華を欲しいままにしてきたのではなかったのだ。
―――○特待生制度を無くし、やる気のある者なら誰でもが、参加出来る部活動を押し進め広めたこと。
○生徒各自の意識を高め、自己責任と友愛精神をモットーに、差別意識やイジメを撤廃したこと。
○部活動の活性化を図るべく、文化祭での活動範囲を拡大し、学校予算以外の活動費を自主的に得られるようにしたこと。
○一部生徒会運営資金として提供させた供託金は、活発な広報活動や応援軍資金に生かされたが、他にも理事会を回って寄付を募り、各部の部室を増築や改装して充実させたこと。
○一部の制服廃止論を打破し、より統一性のある清潔感ある制服着用を徹底させ、男子生徒のズボンや女生徒のルーズソックスなども規制したこと。
等々、ヒナが聞いた中でもこれくらいはすぐに挙げられる。―――
おそらくはもっと多くの改革をしてきたのだろう。
だからこそ生徒達だけでなく、教師達からも認められ信頼されてきたのだ、ということが理解出来た。
帝高校に憧れて目指した思いは同じ。
そう思うと、ヒナも胸が熱くなり、目がうるうるとしてきたが、すぐ近くの女生徒が感極まったように泣き出してしまったので、素直に同調することが出来なかった。
それでも、御門を少しだけ見直すことが出来て嬉しかった。
―――尊敬し憧れる沙也香先輩が好きになった相手なのだから、その相手も納得出来る人であって欲しかった。
……もしかしたら…沙也香先輩は騙されてる?……と懸念していたが、今なら沙也香先輩が御門に惹かれた気持ちもわからなくない。
もっとも、保健室での一件は、どうしても許し難い。
とは言え、沙也香先輩にヒナから言うべきではないだろう。
沙也香先輩が知っているかどうかは、わからないし、知らなくてもそのことは御門本人から話すべきことなのだろうと思う。
当事者でない以上関わるべきではないのだが、それでも心情的に沙也香先輩を応援したいと思ってしまう。
(……ヒナなら許せないけど……)
個人的には許容し難いことでも、第三者的には非難も出来ない。
だから、ヒナは、沙也香先輩が一番幸せになれる選択をすればいい、と思うし、沙也香先輩が幸せになる為にも、御門には好きになるだけの価値ある男性でいて欲しい、と願っていた。―――
そうした思いから、ヒナは御門の凛とした生徒会長ぶりが嬉しかったのだ。
生徒総会が終わり、生徒達は解散となった。
ヒナも教室へと戻ろうと講堂から出ていく生徒達の中にいた。
「ヒナ!・・おい、ヒナ!」
雑然とする中でも良く通る御門の澄んだ声に呼び止められる。
生徒の流れに押されそうになりながら振り返ると、御門が駆け寄ってくるのが男子生徒の頭の合間に見えた。
御門が近付くと、ヒナの周囲の生徒が、サーッ、と避けて空間を開ける。
(…ちょっとぉ……何考えてるのぉ?!)
ヒナは真っ赤になって、全身から汗が噴き出した。
「…何でしょう?御門会長。」
(…こんな大勢の中で呼び止めるな、バカマロォ!)
焦りまくっている内心を隠し、仰々しく畏まった顔をする。
「あぁ。今日はもう生徒会の方の用事はないんだが、少し剣道部で練習して行きたいんだ。教室で待っててもつまらないだろうし、見学に来ないか?」
必要事項の連絡のようなものだろう。
だが、聞く人にとっては、”一緒に帰る”約束の確認を、わざわざしてるようにも見える。
(…んもぉ…今言わなくても……あッ……)
「今日は兄が迎えに来る、って言ってました。」
ヒナは、今朝の雄志からの電話を思い出し、そう告げた。
御門は眉をひそめ、
「何でだ?」
と不機嫌そうに聞く。
「部屋が決まったから、帰りに見て行こう、って。」
「・・・ほぅ・・・そうなのか・・・・・」
理由はわかっても、御門は面白くなかった。
というより、あれからその話題が出ていなかったので、引っ越しの計画自体が消滅しただろうか、と期待していた。
ヒナの送迎は楽とは言えないが、夜遊びをしなくなったこともあり、朝が早いくらい何でもなかった。
それより、ヒナと一緒にいられる時間が楽しかったのだ。
「わかった。それなら残念だけど、仕方ないな。・・じゃぁ、また明日。」
「…はぃ…」
御門は手をあげて踵を返すと、生徒会役員達が資料などの片付けをしている方へと戻って行った。
ヒナは、(…何で残念なんだろぉ…??)と、首を捻りながら講堂を後にした。
「ここが、今度からヒナが暮らす場所だよ。」
雄志が、帝高校から歩いて10分程度の場所にあるマンションの一室に、ヒナを案内して言った。
「…フーン……ここかぁ……」
まだ家具が何もない部屋は、広いのか狭いのか、感覚がわからない。
ヒナは部屋を横切ってカーテンのないガラス戸を開け、ベランダに出てみた。
「ッワァァ……風が気持ちいい〜……」
「ヒナッ。そんなに顔を出すんじゃないッ。」
手摺りから身を乗り出したヒナを、雄志が腕を回して抱き寄せる。
「……だってぇ…景色がいいからぁ……」
「12階だぞ。落ちたら・・・言葉にするのも恐ろしい・・・」
「これだけ手摺りが高ければ落ちないよぉ…もぉ…心配性だなぁ……」
ヒナは雄志の腕の温もりが嫌で、体を捻って押し退けた。
……大好きだった温もりでも、今は胸がシクシク痛くなってしまうから……
「ぁ…帝高校が見えるぅ。ほらッ…フフッ。」
「だから、そうやって手を出すな、って・・・もう中に戻ろう。風が冷たい。」
「…は〜ぃ……」
いつまでもベランダにいると、また雄志に羽交い締めにされかねないので、ヒナは仕方なく部屋に入った。
「なかなか良い部屋だろ?」
「…ぅーん……家具がないとわかんないなぁ……家より狭いしぃ……」
ヒナは、他の部屋やキッチン、浴室などを説明する兄に付いて回り、感想を言った。
(……それにお兄ちゃまのお部屋がない……)
こっちに引っ越してしまったら、もう兄は戻る場所がなくなってしまうだろう。
……それでもいいと思っているのだろうか……
ヒナは寂しさが込み上げてきて、浮かない表情になった。
「親父が、今の家は親から貰った土地だから手放さない、って言い張ってるし、取り敢えず、ヒナとお袋が生活出来るスペースがあればいいと思ってさ。」
「……ぁ……パパに連絡したんだ……」
「そりゃ、不動産の権利は親父にあるわけで、僕の勝手にも出来ないからな。」
「…ぅん。…でも、そうなるとパパは今の家に帰るんでしょう?」
「一年の三分の一も日本にいない親父が、どこに帰ろうと知るか。」
雄志は忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
―――母親の旅行好きも、父親のそうした状態が何年も続いているせいだと思う雄志には、夫婦仲の冷めきった両親のしわ寄せで、自分達が世間から孤立していたと感じていた。
特に歳の離れた妹のヒナは、物心がつく頃には今とそう変わらない状態になってしまっていた為、一層不憫に思えた。
父親は家庭を母親に任せきりにし、母親は寂しさから病んでしまった心の救いを、違う空間に求めた。
頼りになる雄志の存在が大きかったこともあり、母親ははっきり言えば子育て放棄していたのだ。
父であり母でもあらねばならなかった雄志が、人一倍の責任感で、妹を溺愛したとしても無理はなかった。
ヒナも兄がいれば、全てが満たされていたので、特になんの不満もなかった。
ヒナは充分幸せだったのだ。
ただし、兄が結婚して家を出るまでは・・・。―――
「……そんなこと言ったってぇ……」
「今の家でも、お袋が留守にすることが多いのは同じだし、ここでもヒナの一人暮らしのようなものかも知れないが・・・高校が近いだけマシだろ?」
「…ぇ…一人暮らし…?!」
ヒナが目を丸くして、息を飲む。
確かに母親が旅行で留守にしていることも多かったが、生まれ育った家と全然知らない街のマンションの部屋では、一人の寂しさが違うような気がする。
「お袋には出来る限りこっちを生活の基盤にするように言ってあるけど・・・アテにならないからなぁ・・・」
「……一人なら…こんなに広くなくていいのにぃ……」
ヒナは溜息まじりに、ガラン、とした部屋を見回した。
「僕もちょくちょく顔を出すようにするから・・・」
「結構です!」
ヒナはキッパリ言い放ち、「ベェーッ。」と舌を出した。
「僕が忙しい時は、朋子も様子を見に来ると言ってくれてるし、遠慮するな。」
(……遠慮じゃないーーーーーッ!)
「なぁ、ヒナ。兄妹なんだから、もっと甘えていいんだぞ?」
「…っもぉッ!…いつまでも子供じゃないもん!一人暮らしくらい出来ますぅー!」
ヒナは赤くした頬を思い切り脹らませた。
「クスクス・・・その顔が子供なのに・・・」
雄志はヒナが強がっていると思い、可愛さに抱き締めたくなるのをこらえ、優しい笑顔で激情を心の奥に押し込んだ。
けれど、ヒナは本当に嫌だったのだ。
―――中途半端な優しさがどれほど残酷か、雄志は気付いていない。
元々距離感のある兄妹なら、どちらかの結婚くらいで、関係のバランスが崩れたりはしないだろう。
だが、あまりにもお互いが生活の全てだった場合、誰かのものになってしまった優しさの”おこぼれ”を貰うような、中途半端さが辛い。
何をしていても、「ねぇ?」と呼び掛ければ、そこにいる兄が微笑みながら自分を見ていてくれたものが、今は呼び掛けても違う方を向いている。
何度も呼べば振り向いてくれるとしても、その度に、…もう昔とは違う…と思い知らされ、悲しい思いを抱え込まなければならないのだ。
それに、いつも自分の方を見て欲しくて、ずっと呼び掛け続けたら、今度は兄が見るべき本当の相手が辛くなるだろう。
夫婦になった以上、お互いが背を向け合うべきじゃない、と思う。
背中合わせの夫婦の悲しい姿を、自分の両親で嫌というほど見ているヒナは、兄の幸せの為にも、見つめ合い分かち合える夫婦になって欲しかった。
ただ、兄と朋子の仲良く見つめ合う姿を、笑顔で眺めるには、時間が必要だった。
頭では理解していても、心を掻き毟る寂しさが、どうしても笑顔で祝福出来ない苦しみとなっていた。
飽和状態の寂しさは、ちょっとしたことでも零れてしまう。
ギリギリ我慢しているのに、中途半端につついて欲しくなかった。―――
「築10年だが、不動産投資で持っていた部屋で誰も使用してなかったから、新築と同じだ。当時は最新技術を駆使した高級マンションだったらしいが、今は不況もあって半値の価値もなくなった。しかも抵当で差し押さえられていた物件だけに、お買い得だったんだぞ。・・フフン。」
雄志が得意げに言う。
(……借りたんじゃなく…買ったんだ……)
ヒナは一般市場に出回る前に、職業柄入手した情報で、いち早く手を付けてしまった雄志の行動力に圧倒される。
「……ぅ……それって…なんか人の不幸の上で暮らすみたいで…嫌かも……」
「脱税横領詐欺紛い商法など、散々人を泣かせてきた奴らしいから、気にするな。」
(……そんな物件…大丈夫なんだろか……)
ヒナは顔を強ばらせて、どんよりと暗い気持ちに沈んだ。
「壁紙や絨毯は女の子らしい可愛い色にしようなぁ?・・・家具もこの際、思い切りファンシーにしてみたいな。ちょうど倒産した家具屋の差し押さえた在庫処分があるから、良い物が安く買えるぞ。フフッ。」
雄志は勝手に話を進めていく。
ヒナは益々気が重くなり、(……なんか……呪われそぅ……)と、弁護士の兄を恨めしく思った。
「まぁ、そうした物はお袋に準備させるから、一週間後にはここから通学出来るようになるよ。」
主導権を発動するのはいつものことなので、ヒナも母親も、一度雄志が決めたことに抗議するのは難しかった。
(……ここで新しい高校生活が始まるのかぁ……)
雄志はヒナと部屋を出て、玄関に鍵を掛けると、
「合い鍵を作っておいたから、一つ渡しておくよ。」
と、ヒナに鍵を渡した。
ヒナは、ふと、(……ヒナの…運命の鍵って…どんなのだろ?)と思い、掌の中の鍵をギュッと握り締めた。
マンションからの帰り、兄と食事することになった。
雄志が、ヒナと二人だけで話をする時間が欲しかったこともある。
なるべくゆっくり食事出来るようにと、大きなパフェが自慢のレストランに立ち寄った。
このチェーンレストランのパフェは、絶対に食べきれないのに、ヒナの大好物なのだ。
特にふわふわの綿菓子が乗っているのが、嬉しいらしい。
グラタンもそこそこに、ヒナはパフェに挑む。
雄志は頃合いを見計らって、
「そう言えば、ヒナの送迎って、一樹君の友達の車でして貰ってるそうだな?」
と、気になっていたことを尋ねた。
「…ウン…」
綿菓子を半分ほど食べたヒナは、現れたアイスクリームと生クリームをスプーンですくいながら頷く。
「お礼もかねて、一度会ってみたいんだが・・・」
「え゙ー……いいよぉ……」
ヒナが嫌そうに返事をするので、雄志は眉を寄せて腕組みをする。
「お袋の話では感じのいい青年だそうだが・・・何で会わせたがらないんだ?」
「……ぇ……別に……」
ヒナも、考えればどうして嫌だと思ったのかわからず、細長いスプーンをくわえたまま首を傾げる。
「何か問題があるのか?」
雄志は執拗に問い質す。
「…いい人だと思うけどぉ…まだよくわかなんないじゃん。知り合ったばかりだし……」
「何でも生徒会長をしているとか、朋子が言ってたぞ。そうした評判はどうなんだ?」
「…ぁ…そうゆう評判?…かなりいいと思うよ。」
ヒナはアイスをすくって口に運んでは、断片的に答える。
雄志は、要領を得ないヒナの話し方に眠くなってしまうのを、コーヒーをおかわりして聞いている。
―――連日、深夜までの仕事がやっと区切りがついたのだ。
大口の依頼が事務所に入り、雄志のような駆け出しの弁護士も任される仕事が多くなった。
その為、ヒナのことが気になっていながらも、朋子から説明された「ヒナちゃんの送迎は弟と弟の親友で生徒会長もしてる御門君がしてくれるって。」という話を簡単に受け入れてしまった。
”背に腹は変えられない”という選択だったが、今思えば、知らない男を簡単に信用した自分の迂闊さが悔やまれた。―――
「・・・何だか歯に物が挟まったみたいな言い方だなぁ・・・」
「…ぅぅぅ…挟まってないもぉーん……」
ヒナがクリームの付いた唇を尖らせる。
脳がウニ状態の雄志は、舐めて拭ってやりたい、と思わず考えてしまってから、慌てて否定する。
(・・・違う、違う。指ならともかく、口は自分で舐められるはず・・・)
ウニの脳は、どこか思考も微妙にズレている。
けれど、さすがに弁護士だけあり、
「・・・あのな・・・例えだ、それは。ヒナのはっきりしない言い方が気になる、って言ってるんだ。一樹君が信頼している相手だというのは、朋子からも聞いている。高校での評価が高いのもわかった。剣道と弓道の全国大会で優勝するのもスゴイことだと思う。・・・だが、どうしてヒナ自身の意見がどこにもないんだ?・・・そこが不思議な点で、気になるんだよ。」
と、観察力の鋭さは鈍っていなかった。
ヒナは言葉に詰まり、かなり溶けてきたアイスクリームをスプーンでつつく。
食べることにも飽きてきてしまったらしい。
「……だって……人の彼氏って興味ないもん。…もっとハッキリ言えば、ヒナの趣味じゃないけどぉ、沙也香先輩が好きな人を悪く言いたくない、ってだけぇ。」
「・・・・・え・・・沙也香ちゃんの彼氏?」
「うん。美男美女のカップルだって、学校でも評判なの。」
「・・・へぇ・・・そうかぁ、沙也香ちゃんも彼氏が出来る年頃なんだなぁ・・・ハハハッ。」
雄志は、急に安堵感に包まれて、笑顔になった。
「そーか、そーか。沙也香ちゃんが彼女なら安心だな。」
「…………はぃ?」
「いや、ヒナに悪い虫がつくと困るなぁ、と少し心配していたんだが・・・沙也香ちゃんはしっかりしてるから、ちゃんと手綱を引いてるだろう、と・・・ね。」
そう言われると、ヒナに後ろめたさがよぎる。
あの御門という男は、”しっかり者の沙也香ちゃん”でも、制御出来ない”暴君”なのだという事実を、ヒナだけが知ってしまっているのだ。
ただ、これ以上、兄に首を突っ込んで欲しくないので、
「…そうだよね。」
と、ヒナも笑みを返した。
ようやく納得出来た雄志は、機嫌良くヒナを家まで送り届け、自分の家へと帰って行った。
ヒナは自室のベッドに横になり、(……疲れたぁ……)と目を閉じた。
……高校が見えるベランダ……
12階のベランダからの景色が浮かんできて、(……悪くないかも……)と少しだけ気に入ってる自分に気付いた。
何はともあれ、新しい街の新しい部屋で、新しい生活が始まる。
(……自分も…少し変わってみよう……)
ヒナは、もっと前向きな自分になりたい、とポケットから出した鍵を、再び掌の中に握り締めた。
帝高校は、春期総会後、生徒会役員改選の為の激しい選挙活動に突入した。
ヒナのクラスの学級委員をしている高倉操も、書記に立候補した。
元気が取り柄のような天野耕祐が、後援会代表を名乗り出て、何故かヒナも「一緒に応援しようぜ。」と誘われて、選挙活動に参加することになってしまった。
早坂翔子のクラスからは立候補者が出なかった為、「ヒナが応援してるなら、私も協力するね。」と後援会に参加し、ヒナが呆気に取られている間に、異様な盛り上がりを見せた。
その為、御門がヒナの放課後の過ごし方を心配する必要もなく、むしろ部活動を終えた御門が、ヒナ達の教室で後援会活動が終わらないヒナに、待たされるといった状況だった。
しかも、女生徒達を送る役目も負わされて、数名の女生徒をギュウギュウ詰めにして家まで送り届けるハメになった。
お陰で東郷は、朝の迎えにだけ付き合い、放課後は遅くまで後輩達の練習を見てやれるようになった。
慌ただしく数日が過ぎ、4月末日、投票が行われ、高倉操が見事当選を果たした。
ヒナ達のクラスが一番応援活動も盛り上がっていたので、当然の結果とも言えたが、遅くまで残って結果を待っていたクラスメート達は、皆歓声を上げて喜んだ。
ヒナもいつしかクラスメートに溶け込むことが出来ていて、一緒に手を取り合って飛び跳ね、笑顔を交わした。
一番の立て役者だった天野耕祐は、男女の区別無く抱きついて、肩や背中を叩き回った。
そして、ヒナにも抱きついた時、「良かったな。」と、耳元で囁き、そっとヒナの頬にキスをした。
天野はすぐに皆の方を振り返り、
「よぉーしッ!祝杯を挙げようぜーッ!」
と、用意しておいたジュースを配り始めた。
ヒナは、(……なんだったんだろ…??)と思いながらも、赤らんでくる顔を笑顔で誤魔化し、ジュース配りを手伝った。
ただ、その光景を入り口から見ていた御門は、激しい怒りを覚えていた。
結果も出たことだから、そろそろ帰るだろうと様子を見にきた所だったが、腹が立って教室の中に入っていけなかった。
今、中に入ったら、真っ直ぐに天野の所まで進み、有無を言わせず殴ってしまいそうだったからだ。
廊下の静けさを背中に背負い、入り口に佇む御門は、常に集団の中心にいた立場から外れた自分という存在を、初めて意識した。
・・・ヒナの側に行きたいのに入って行けない。
・・・臆病になった訳じゃないのに足が動かない。
・・・いつでもどんな時でも、気後れしたことなどなかった。
・・・常に揺るぎない自信を纏って突き進んできた。
・・・なのに、ヒナがこんなにも遠く感じる。
(・・・ヒナは・・・ヒナは・・・俺のものだぁぁぁーーーッ!!!)
御門は激しい嫉妬を燃え上がらせて、ヒナに恋している自分を自覚した。
生徒会役員の改選が終わると、4連休となる。
マンションにはすでに家具が揃い、可愛い壁紙と絨毯とカーテンも据えられ、いつでも越せる準備が整っていた。
ヒナは、勉強道具や洋服など身の回りの物を整理して、箱詰めしたり運んだりと、引っ越しの雑用に追われて休日を送った。
三日目に初めて新しい部屋に泊まった。
すっかり風も暖かくなり、お風呂上がりにベランダで、気持ちのいい風に濡れた髪をなびかせながら夜景を眺めていた。
あまり長く夜景に見取れていたので、クシャミをしてしまい、リビングに戻ると、
「風邪引かないでよ?・・また、ママが怒られちゃうんだから・・・」
と、疲れた顔で旅行雑誌を眺めながら、呟くように言った。
「…ゴメンナサイ……」
ヒナも小さく返事をして、すぐに自分の部屋に入った。
ヒナの部屋には出窓があり、そこからでも夜景は見えたが、ヒナは風を感じるのが好きだったのだ。
出窓に置いた小さなぬいぐるみに鼻先を押し付け、ぼんやりと滲む夜景を眺めた。
母親との会話が弾んだことはない。
……いつものこと……
瞬きもせずに開いていた目を、そっと閉じると涙がポロンと落ちた。
ヒヨコのぬいぐるみが零れた涙を吸い取ってくれる。
……兄が何年か前の誕生日に贈ってくれた、ふわふわヒヨコのぬいぐるみ……
……どれほどの涙を拭ってきてくれただろう……
ヒナはヒヨコを胸に抱いて、真新しいベッドに横になった。
連休四日目の昼間、新しい部屋への引っ越し祝いに、雄志と朋子がやって来た。
東郷と御門も招待されて訪ねて来た。
御門にはこれまでの送迎のお礼もあり、雄志は初めて会う御門に笑顔で挨拶した。
御門も、頭の中では何度も首を絞めてきた雄志に、謙虚な姿勢を見せて好意的な挨拶を返した。
リビングのテーブルに並んだ豪華な料理は、近くのレストランに届けて貰ったものだった。
「まだ、キッチン用品までは揃わなくて・・・」と母親が申し訳なさそうに言うと、東郷が「蕎麦より豪華で、いいじゃないですか。」と場を和ませるように言って笑った。
ヒナも東郷や御門がいるせいか、朋子と視線を合わせることはないものの、大人しくその場に収まっていた。
和やかに食事が進む中、
「朋子が御門君のことを誉めてばかりいるから、危うく喧嘩になりそうになったよ。」
と、雄志が冗談っぽく言った。
「そうですか?・・まぁ、俺としては親友の”綺麗なお姉さん”をかっ攫われて、当時はかなり貴方に敵意を抱きましたから、そう言って頂けると嬉しいですが・・・」
御門も軽い冗談で返したつもりだったが、雄志は眉をピクリと動かし、目を眇めた。
「あらぁ・・・家に遊びに来ても、全然そんな素振りなかったじゃない。」
朋子がフォローするように言って、クスクス笑う。
「朋子さんが気付かなかっただけですよ。俺なんて眼中になかったんでしょ?」
「んー・・・そうかも。」
朋子がチラッ、と雄志に視線を向けてから、そう答えたので、一同が笑い出した。
笑えなかったのはヒナだけで、ヒナは次第に視線を窓の外へ向けるようになっていた。
「でも、朋子さんのことは、ご主人よりよーく知ってますから・・・もし本当に喧嘩した時は、俺に泣きついてきてください。加勢します。」
「そうねぇ・・・って言うより・・・お転婆だった頃のことをバラしたら、怒るわよ?」
「・・・姉貴・・・自分でバラしてるぞ。」
「・・・・・あ・・・・・いやぁ〜ん・・・違うわよぉ〜・・・」
朋子が急に可愛ブリっ子をして見せると、
「なぁに、そんな所が可愛いと思ってるんだから、いいんだよ。」
と、笑いながら言った雄志が、朋子の髪を軽く撫でた。
そして、
「僕だって、君よりも前から沙也香ちゃんのことは知っているんだからね。君が彼女に酷いことをするようなら、訴えてやるぞ?」
と、冗談では済まない真面目な口調で言った。
御門はわずかに青ざめ、
「男女間の問題は、一方的判断で理解出来るものではないでしょう。」
と、苦笑した。
「ならば君も弁護士を雇いたまえ。」
雄志は、今度は本当に冗談だったようで、明るく笑って話を終わらせた。
(・・・慇懃無礼なクソヤロォーッ・・・)
御門は再び、雄志の取り澄ました顔を、締め上げるイメージを思い浮かべながら、儀礼的な笑みを貼り付けた。
(……つまんない……)
ヒナはもうその場にいることが耐えられなくなり、フラァ〜っとベランダに出た。
浮かんでくる涙を風で吹き飛ばしてしまおうと、手摺りから身を乗り出して顔を前に出した。
フワッと腰に腕を回され、
「・・・どうした?・・・危ないぞ。」
と、耳元で優しく囁いたのは、兄ではなく御門だった。
「あんな会話はただの戯れ言・・・傷付く価値もない・・・ん?」
「…………マロ…………」
ピッタリと重なった背中が温かかった。
腰に回された腕も、逞しく力強いのに優しかった。
うつむいたヒナから零れた涙が、御門の腕を濡らした。
御門はヒナを背中から包み込むようにそっと抱き締め、ヒナの髪に頬ずりをした。
「貴様ぁぁぁーーーッ!大事な妹に触るなぁぁぁーーーッ!!」
雄志がガラス戸の所で叫ぶ。
御門はヒナを腕の中に抱き締めたまま振り返った。
ヒナは鬼の形相で怒っている雄志を見て、目を丸くしたまま固まった。
「・・フン。女房持ちにとやかく言われたくないな。」
長身を屈めている御門は、上目遣いに雄志を睨む。
「なッ・・・君こそ、彼女がいるのに・・・ヒナに触るんじゃないッ!」
「いい機会だから、宣言しよう。・・俺はヒナと付き合う。」
「……ゲッ……」
(……何を言い出すんだぁー!バカマロォー!)
「つまり、ヒナは俺のものだ。兄貴は引っ込んでろッ!」
「君には彼女がいるだろうが!」
「ヒナに惚れちまったもんはしょうがないだろッ!」
「勝手なことを言うなぁぁぁーーーッ!!!」
雄志が全身を怒りで震わせながら叫ぶと、御門は冷笑を浮かべて腰を伸ばした。
それでもヒナの肩を依然と抱いたままでいる。
「もう一度言う。ヒナは俺のものだ。それはもう、『運命』だったとしか言い様がない。誰にも止められない。誰にも引き裂けない俺とヒナの絆だ。・・俺はヒナを愛している。」
(……勝手に運命にするなッ!)
ヒナは御門の腕を解こうと体を左右に捻る。
雄志は怒りとあまりの横暴な言い様に呆然としていたが、ヒナが嫌がっているのに気付き、
「ここで感情的になるのは危険だ。とにかく・・中で話そう。」
と、ガラス戸から一歩退いた。
空いた入り口から、心配そうな朋子の顔が見えた。
「………運命かも……」
そう呟いたヒナが、御門の腕の中で体を反転し、自ら御門の胸に顔を埋めてしがみついた。
(・・・えっ?!・・・いいのか、ヒナ?・・俺を受け入れてくれるのか?)
御門が感激してヒナをキツク抱き締める。
「・・・ヒナ?・・・何を言ってるんだ?!」
愕然とする雄志は、怒りを通り越した放心状態になってしまった。
朋子も東郷も、母親も驚いて何も言えない状態でいる。
「……お兄ちゃまは、朋子さんと仕事のことだけ考えてればいいじゃない。ヒナだって彼氏くらい出来るんだから……もう干渉しないで……」
御門の胸に埋めた顔をわずかに後ろに向けてヒナが言う。
「・・・ヒナ・・・何でだ?・・・その男には彼女がいるんだろ?」
「……本気で好きなら…誰かのものだって…奪うしかないじゃん……」
(……ねぇ?…朋子さん……)
「人の恋人に興味ない、って言ってただろう?」
「・・・・・う?」
「……そうだけど……」
(・・・えぇっ?!・・・そうなのか?!)
「・・・・・あ・・ヒナ・・・あのな・・・」
御門が動揺して、何とか言い訳を言おうと言葉を探す。
「……いいの……運命だから……」
ヒナの台詞も支離滅裂になってきていた。
……元々本気で言ってるんじゃない。
……ただ、もう雄志と朋子がいる空間に、いたくないだけなのだ。
(……今だけのお芝居……だけど…もぅ疲れた…もぅ終わらせたい……)
ヒナの目の前が、真っ暗な闇に覆われていった。
束の間の膠着状態が続いていた中、
「……ダメ……キモチ…ワルイ……」
と、誰よりも真っ青になったヒナが、喘ぎながら言った。
「・・・え・・・ヒナ?」
御門がヒナの顔を覗き込むのを突き飛ばし、
「バカッ!吐かせてやらなきゃ、喉を詰まらせるッ。」
と、雄志がヒナを抱き上げ、トイレへと急いで連れていった。
二人を追うように室内に入った御門は、トイレから聞こえてくる音と声に立ち竦む。
苦しそうなヒナの声と介助する雄志の声・・・
そこには誰も踏み込めないものがあった。
結局、ほとんど意識を失ったヒナをベッドに寝かせた雄志は、
「君を許した訳ではないが、今はもうこれ以上争いたくない。ヒナをそっと寝かせてやりたいからな。・・・帰ってくれ。」
と、東郷と一緒に御門を追い出した。
それから、
「今夜はこっちに泊まるかも知れないが・・・済まない。」
と、朋子に詫びて、帰らせた。
母親は黙々と後片付けをし、雄志はヒナの手を握って付き添っていた。
ヒナの枕元にはヒヨコのぬいぐるみがあった。
(・・・ごめんな、ヒナ。・・・お兄ちゃんがもっと気遣ってやってれば・・・)
・・・あれは、ヒナの芝居だったのだろう・・・
ヒナがどれほど寂しさに耐えていたのか、そのぬいぐるみを見た時、ようやく理解出来た兄だった。
(・・・兄妹として生まれて来なければ・・・)
そう思ってしまってから、急いでうち消そうとしながら、すでに噎び泣くのを止められなくなっていた。
そして、
(・・・これも運命か・・・)
と、思った時、御門に対して、殺意に近い憎悪が生まれた。
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