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<1> 「人形」 |
§1§「人形」 「…ハァァ…」 小さなウサギのまわりを白い刺繍糸でかがる手を止めたミルクが、指先の針をぼんやり眺めながら小さな溜息を吐いた。 「・・ミルク・・どうしたの?」 斜向かいに座って同じ作業をしている香織が声を掛けた。 ミルクは、ハッ、として、 「ぁ・・ごめん。何でもないの。」 と、口元に笑みを浮かべて答えた。 笑みを浮かべても、ミルクの目は暗い影が差しているようで元気がない。 「疲れてるなら休んでていいよ?・・後少しだし。」 「そんなんじゃないって。・・ホント・・違うことを考えてたから、気持ちがそっちに飛んでたみたい。」 ミルクはちょっと肩を竦めてみせると、また針を動かし始めた。 「・・そぉ?・・なら、いいけどぉ・・無理はしないでよ?」 「うん。」 香織はミルクが笑顔で頷くので、仕方なさそうに笑って、また作業に戻った。 「まぁ、単純作業の繰り返しだもんねぇ・・考え事しちゃう時もあるけど・・・でも、一応針を使っているんだから、ぼんやりしてると危ないよ。」 「はーぃ。」 近頃お姉さんブリが増した香織に、返事をしてから唇を尖らせたミルクは、手にしているウサギのマスコット人形に仕上げ止めを隠して糸を切った。 そして、頭の部分に綺麗な下げ紐を取り付けてから、ミルクと香織の間に置いてある箱に入れた。 箱の中にはウサギだけでなく、ヒヨコ、カメ、リス、ブタ、タヌキ等、形を作りやすい動物のマスコット人形が、すでに沢山詰まっている。 慈善団体が開催するクリスマスイベントの会場で、ミルクと香織が参加しているボランティアグループが開くバザーに提供する為、かなり前から用意していたのだ。 「よぉし。・・次はぁ・・キツネしゃんにしよぉ。」 ミルクは、テーブルの上にあるいくつかのパターンにかたどってあるフェルト生地から、キツネ用の物をつまんだ。 同じ動物ばかりを続けると飽きてしまうので、作ることも楽しめるように、一つのマスコット人形が完成した次は別の動物を選ぶようにしていた。 楽しんで作ろうね。 作業が苦痛になってはボランティアの意味がない、と、ボランティア活動に慣れている香織がいつも言っていることだった。 香織がボランティア活動に慣れているのは、中学までガールスカウトに入っていた関係で、色々経験してきたからだが、今はガールスカウトの方は脱会していた。 自分が納得出来ないと譲れない所のある香織は、どうしても気の合わない先輩と同じ班にいるのが嫌になって辞めてしまったのだ。 今、参加しているボランティアグループは、香織が美佳のことで落ち込んでいる時に、香織の高校の先輩が声を掛けて誘ってくれたグループだった。 香織は、美佳に何もしてやれなかった自分を責めていた。 だからこそ事件や自殺が信じられない・・・信じたくない、と自分を納得させられるだけの真実を求めて情報を集めていたのだ。 そして、ミツルから得た貴重な情報が、その答えを導き出してくれるのではと思った。 答えを握る”ジャクランのアザミ”。 すぐにも話を聞きたかったが、ミルクは体調が悪いようで部屋に引き篭もり、ミツルは忙しいらしく時間が作れないようだった。 それで、香織は一人で”シャクラン”=つまり”蛇窟蘭”を探し当て、そこのママのアザミに会いに行った。 アザミは快く会ってくれたが、「あんな事件になって、私も残念で堪らないのよ。・・まさか、彼がそんなヒドイ人だったなんて信じられないわ。」と言われてしまった。 アザミに会ってみたものの、結局何の答えも得られなかった。 行き詰まった香織は、同じ高校の同じクラスで家も近い自分が、あれほど仲が良かった親友の美佳を、心の何処かで見捨てていたのが悪かったのだ、と思うようになっていた。 一番認めたくなかった事実。 自分の譲れない性格が災いして、変わっていく美佳を認めてやれずに、地獄に堕ちていくのを冷たく見ていただけなのかも知れない。 何らかのサインはあったはず。 気付かないのではなく、気付きたくなかったようにさえ思えてくる。 もっといっぱい話す時間を持っていたら・・・ 美佳の言い分を我が侭だとはね除けず、よく聞いてやれてたら・・・ 違うと思ったら、とことん話し合えば良かったのではないか・・・ そうした努力を何処かで放棄している自分がいたのを、香織自身が一番承知していた。 だから、悔しくて悲しくて、自分が許せなかった。 強気な笑顔も消え、一人で暗くうつむいていることが多くなった香織を、気にしてくれた高校の先輩が呼び掛けてくれた。 二度と見ることが叶わない友の笑顔。 許せない自分。 自分を責めて暗く沈み込んでいても、誰も笑顔を見せてはくれない。 そう思った香織の脳裏に蘇る光景があった。 以前ガールスカウトのボランティア活動で出会った少女。 林に隣接した孤児院の、施設の整備と清掃をすることが、主な活動目的だった。 まだ香織自身も子供で、任される仕事は少なく、空いた時間に何気なく手近の紙で折った折り鶴。 覗き込んで見ていた幼い少女に、はい、と渡してやった。 折り鶴を掌に乗せた少女が顔を上げた時、予期せぬほど嬉しそうな笑顔に胸が締め付けられた。 喜ばせようと折ったのではなく、自分の暇潰しだったのに、少女は透明なほどに無垢な笑顔を返してくれた。 ありがとう、と言う少女に頷きながら、香織は自分の方こそありがとう、と心で感謝していた。 あの時の笑顔が浮かんできた香織は、心に光明が差すのを感じた。 友の笑顔は失ったけれど、ボランティアの活動を通して誰かの笑顔に触れられたら、暗い闇しか見えない心に暖かい光を感じることが出来る。 役に立とうという意気込みではなく、自分の出来ることで役に立てたらいいのだと思う。 そして、仲間でも知り合う人達でも誰でもいいから、笑顔を交わし合えたら、この胸の痛みも和らぐように思えた。 香織は先輩の呼び掛けに応じ、きっと同じように苦しんでいるだろうミルクを一緒に誘ったのだった。 ミルクもあれ以来、引き篭もることが多くなっていた。 婚約者のマサトは仕事が忙しいようで、ずっと姿を見ないし噂も聞かない。 送迎の車もボディーガードも姿を消した。 ミルクの母親はその変化を、婚約発表の時の騒ぎが治まったから、と説明しているらしい。 確かに婚約解消といった話は出ていない。 けれど香織は、多分ミルクも自分と同じように暗い闇に心が落ち込んで、婚約者とのデートを楽しむ気になれないのだろう、と感じていた。 守れなかった友。 守られている自分。 ミルクならそんな自分を許せないと感じてしまうだろう、ということが香織にはわかっていた。 どこかあの少女と笑顔が似ているミルク。 だから、つい何でもしてやりたくなってしまうし、守りたくなる。 けれど垣間見たミルクからは、あの透明で無垢な笑みが消えていた。 会いに家まで行っても、言葉少なく返事をするだけで、次第に話していることさえ辛そうにうつむいてしまう。 以前のように電車で通学しているので、外にいる時には精一杯胸を張り、人形のような相手に気を使わせない程度の笑みを浮かべているが、表情に生気はなかった。 香織の母も近所の人達も、ミルクが綺麗になったと言っていた。 確かに透けるような白い肌に微笑みを浮かべたミルクは、思わず息を止めて見入ってしまうほど綺麗になっていた。 綺麗だけれど、人形のミルク。 香織には、怒ったり拗ねたり、頬を膨らませて睨んだりする、生き生きとしたミルクの方が天使に見えた。 翼をもぎ取られても、痛いと叫ぶことも泣くことも出来ない人形になったミルク。 香織はミルクの笑顔も失いたくなかった。 それで、人に会うのを怖がるミルクを、多少強引にボランティアグループに連れて行った。 色々な人達との出会いを通して、ミルクも近頃は随分感情を表に出せるようになっていた。 時には楽しそうに笑うこともある。 笑顔こそが人の心を包む優しさであり、相手の笑顔にも出会えるコミニュケーションなのだと感じているようでもあった。 それなのに最近また暗い顔で考え込むことが増えてきた。 香織は、また溜息を漏らしたミルクに眉を曇らせた。 「・・ねぇ・・・ミルク・・」 「ん?」 顔を上げたミルクは自分が溜息を吐いたことに気付いてないようで、人形の笑みを香織に返した。 「あのさ・・・暗い気持ちで作ったら、この動物達だって暗い顔になるよ。バザーで買ってくれる人達にいくら作り笑顔でお礼を言ったって、暗い顔の動物を渡したら、せっかく主旨に賛同して協力してくれる人達へ失礼じゃない?」 「・・・ごめん・・・」 「だから疲れているなら無理するな、って言ってるのは、ミルクのことも心配だけど、そーゆー気持ちで作って欲しくないからなの。・・わかる?」 「・・・うん・・・」 「やるなら楽しく、自分の出来る範囲でね?」 「はーぃ・・」 ミルクはうつむいた状態で上目遣いに香織を見ると、クスッ、と生きた笑みを零し、 「最近さぁ、なーんか上杉先輩の口調に似てきたねぇ。」 と、茶目っ気たっぷりに目を細めた。 「・・関係ないよ、そんなのぉ・・」 香織は思い切り嫌そうな顔で言って、ベーッと舌を出した。 「ふふん、どーかなぁ?」 「違うったら、違うの。」 「ま、いいけどぉ・・・熱いレモンティー入れてくるね。」 「あ、うん。お願い。」 香織は取り敢えずミルクが気分を変えてくれたのにホッとして笑顔で答えた。 上杉は香織が中学時代少しだけ付き合った先輩で、今はミルクと同じ高校で同じチャレンジクラブに所属している。 香織とは高校も違ったことで、もう近付くこともない相手だと思っていた。 それがミルクと行ったボランティアグループで、バッタリ再会してしまったのだ。 しかも上杉はそのグループでみんなを取り纏める役員の一人だった。 どうしてそこにいるのか、ミルクと香織が不思議そうにしていると、上杉は苦笑して事情を説明してくれた。 上杉の家は大病院で、二人の兄は医者を目指す秀才だった。 母親は元看護士で、院長夫人に納まってからは、福祉団体や慈善事業の会合に参加するようになり、今では某慈善団体の理事になっていた。 この慈善団体には、院長の妹が理事長をしている香蘭学園も法人として加盟しているので、子供にも参加させたいと常々思っていた母親から、上杉が頼まれたのだと言う。 兄二人は頭こそ優秀だったが、自分達は人の命を助ける仕事をするのだから今更ボランティアをする気はない、という冷めた性格だった。 性格的に一番優しい三男の上杉は、兄達からも、お前がしろ、と言われ、母親や叔母からも頼りにされていることもあり、若いながらも慈善団体の役員として参加グループを指導する立場を引き受けているということだった。 チャレンジクラブが時々ボランティア活動に参加してるのも、その関係からだということをその時点でミルクは初めて知った。 何故なら上杉は自分がそうしたグループの役員であることを話すこともなく、クラブ活動を決定するのは部長の麗子だったからで、麗子から上杉に部長が替わっても特に気付くようなことは言わなかったのだ。 香織はグループに上杉がいることで少しだけ嫌そうな顔をしたが、誘ってくれた先輩や自分が誘ったミルクのこともあり、また顔を合わせることになったのを仕方がないと諦めたようだった。 もう興味はない、と言う香織だったが、グループでは上杉と話す機会が一番多いようにミルクには思えた。 チャレンジクラブで上杉がミルクだけに洩らした話の中に、香織が上杉の母親に性格が似ている、というものがあった。 だから上杉はつい香織を頼りにしてしまうらしい。 ミルクは、上杉が香織を頼りにしているだけでなく、今でも香織が好きなのだとようやく気付いた。 それで何気なく香織に上杉の気持ちを匂わせたら、香織はさも嫌そうに、あり得ないわよ、と首を振って否定した。 確かに上杉の気持ちは分かり難い。 ミルクは、麗子がミルクの兄のミツルを好きなのだと知るまで、ずっと上杉と麗子は恋人同士だと勘違いしていたのだ。 その上、上杉は冗談ぽくミルクを口説く時もあった。 指導しているグループの年上の女性にやたら親切だったりもする。 それが上杉流の励ましなのだろうが、その年上の女性はすっかり、自分に気があるのでは、と勘違いしていた。 香織にフラレてもずっと好きでいる気持ちは一途なのだが、誰にでも優しく好意的で冗談好きな性格が、誤解を招くようだった。 香織が上杉をフッたのもその辺に原因があるようだ。 上杉の人間性や優しさは充分認めながら、誰にでも優しすぎる上杉は付き合うには疲れる相手だったらしい。 それでも、いつの間にか上杉と同じように話す香織は、意外と内心では上杉が好きなのかも、とミルクは期待していた。 いつも助けられている香織に、素敵な恋をして欲しかったし、ボランティア活動を通して知った上杉の本当の顔は、充分尊敬出来る男性に思えたのだ。 香織なら上杉の恋人として誰もが認めるベストパートナーだろう。 誰も傷付けない恋は素敵だと思う。 ミルクは素直になれない二人を密かに応援していた。 ミルクがレモンティーと母親がおやつにと作っておいたクッキーを持ってきたので、香織も作業の手を休めることにした。 ミルクの家の二階にはかなり広いフロアがあるので、荷物を置くのに便利で、一緒にマスコット人形を作る時の作業場にしていた。 「頂きまぁーす。」 「ミルも頂きまぁーす。」 同時にクッキーに手を出して、一口囓った後で目を合わせ笑い出す。 お互いようやく自然に笑えるようになったことを感じて、心が温かくなるひと時だった。 と、その時香織の携帯が鳴った。 「はい、香織です。――・・あ、上杉君?」 ボランティアグループでは上杉を先輩と呼ばずに”上杉君”と呼んでいた。 それはミルクも同じで、個人的先輩後輩の関係をグループ内で出すのは、他のメンバーに失礼だからという上杉の気遣いだった。 ただ、クラブや香織の前では先輩と呼ぶのも、ミルクなりの気遣いだった。 マサトをマサトの知り合いの前では呼びつけにしなかったのも、マサトを慕う人達への気遣いだったように・・・。 「――え、これから?――はい。――ええ・・・でも、まだ残ってる分があるんだけど・・・――わかりました。聞いてみます。――ええ、それじゃ、またその時に・・――はい。」 なるべく事務的な受け答えを心掛ける香織だったが、微妙に親しさが漂う。 ミルクはレモンティーのカップを両手で包むようにして飲みながら、にまにまと笑みを浮かべて聞いていた。 「なぁに?・・ただの連絡事項ですぅ。」 「・・ふーん・・・でも、なぁーんで香織になのぉ?・・ミルは後輩なのになぁ?」 「それは・・・ミルクが忙しいだろうってことでしょ。」 「・・・それで、上杉先輩は何て?」 「あ・・今ね、バザーの品物に値札をつけているんですって。だから、良かったら来ないか、って。」 「そっか・・じゃぁ、キツネさんを急がなきゃ。」 ミルクは慌てて脇に置いておいたキツネと針を手にする。 「残ってるのは当日の朝でもいいってことだから、急がなくても大丈夫。・・値段つけ、私が聞いてたのは明日の日曜日ってことだったんだけど、明日都合が悪い人もいるんで今日の午後と明日に分けたんですって。」 「そっかぁ・・・」 「でね、ミルクが明日値段つけに参加出来ないと寂しいんじゃないかって言うの。・・私はミルクが疲れる方が心配なんだけど、どうする?」 「これくらいで疲れないよぉ。それじゃぁ、出掛ける支度しよっか?」 「こっちより、ミルクのママのお店のことを言ってるんじゃん。・・明日がオープン日じゃない。・・ずっとママが開店準備で留守が多かったから、家の用事もミルクがしていたんでしょう?・・それに、お店がオープンになればそっちの手伝いもあるだろうし、この所ミルクの元気がないのが心配なの。」 「・・・それは・・・大丈夫だから・・・」 そう言いながらも、香織が明日いよいよ開店するケーキ屋のことに触れた途端、ミルクの表情が一変した。 「・・・ミルク・・?」 ミルクが眉を寄せながら首を振る。 「本当に・・大丈夫。」 「ミルク・・・何かあった?」 「別に・・」 「何でも言ってよね?・・・もぉ・・気付かないでいるなんてヤなんだからぁ・・」 「・・・うん。・・・ごめん、香織。」 ミルクはそれ以上を聞かれたくないように人形の笑みを浮かべる。 香織としても聞くことで追い詰めたくなかった。 ミルクがマサトのことを一切口にしなくなった時から、ずっと気になってはいたのだ。 自分とは違う深い傷がミルクにはあるように思えた。 思っていても、それがミルクから天使の翼をもぎ取った理由だとするなら、聞くだけでも傷付けそうでそれ以上の心の奥には踏み込めなかった。 ミルクに無垢な天使の微笑みを取り戻したい。 けれど、それが自分では無理なことを、香織もわかっていた。 ミルクが時々空を見上げる時、いつも追う姿があることを。 本当の笑顔はその相手にしか取り戻せないのだろう。 だから、香織は自分の出来る範囲で、ミルクが暗くならないように気を付けてやるしか出来なかった。 「・・じゃぁ、出掛けよっか?」 「・・・うん。」 「・・多分、明日も手伝いに行くから、帰りにお店に寄るね。」 「あ・・ありがと。」 「上杉君も引っ張っていくから。」 「あー・・・なら、いっぱい買って貰ぉーっと。」 「そうそう。・・兄弟が多いもんねぇ。」 「うんうん。」 ミルクは青ざめた額に前髪を揺らしながら、人形の笑みで頷いた。 |
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<2> 「ケーキ屋さん」 |
§2§「ケーキ屋さん」 12月初旬、ミルクの母親のケーキショップがオープンした。 ケーキショップといっても、当初母親やミルクが考えていた物より、かなり立派な物だった。 閑静な住宅地にほど近い落ち着いた雰囲気のある駅前通り、若者よりミセスの街といった趣がある一角に、三階建ての綺麗なビルが建てられた。 元は映画館があった場所で、映画館が大きなビル内に移転してから売りに出ていた場所だった。 その為敷地も広く、三階建てでもゆとりのある広さと駐車場スペースが取られていた。 一階の半分がケーキショップと工房で、半分は軽い食事も出来る喫茶店になっている。 軽いと言っても、フランス人シェフを招いた本格的料理を売り物とするらしい。 もちろん隣りのケーキショップで好きなケーキを選んで、こちらの喫茶店で食べることが出来る。 二階はケーキショップの上が倉庫と第二工房になっていて、特注などで大量に作る時にも対応出来るようになっている。 原材料を一階に運ぶ時用のエレベーターと第二工房で作ったケーキなど下ろす時用のエレベーターも備えられているのが便利だと、母親が嬉しそうに説明していた。 そして、喫茶店の上が料理教室になっている。 ここでは琉美江のケーキ作り教室の他にも、料理の先生を迎えて色々なジャンルの料理教室を毎日開くらしい。 問題なのは三階で、下のショップ・喫茶店・教室を総合的に管理する事務所の他に、高藤の弁護士事務所が設置されていることだった。 高藤は覇羅蛇家専属の顧問弁護士だったが、今回独立を許されて個人の事務所を持つことになったのだ。 もちろん覇羅蛇家の仕事も依頼されれば引き受けるが、高藤は琉美江の会社の顧問として経理や人事なども引き受けている。 つまり、高藤の弁護士事務所、管理事務所、社長室と並んでいる三階は高藤と琉美江の為のエリアなのだ。 しかも、社長室には一応立派なデスクと応接フロアがあるが、その奥は社長、つまり琉美江のプライベートスペースで、豪華マンション並みの4LDKになっていた。 『ママのケーキ』ショップ、『ママの喫茶店』、『ママの料理教室』。 これらを運営する会社が『ママフーズ株式会社』。 琉美江一人ならこんなに大きな会社は考えもしなかっただろう。 株主には高藤も名前を連ね、言うなれば共同経営であり、運営のほとんどは高藤が取り仕切る状況だった。 琉美江はこれまで通りに美味しいケーキのことだけを考え、作り、教えていればいい。 そして側には常に愛する高藤がいて支えてくれている。 それがここまで大きな会社にした理由だった。 大きくした利点はある。 料理教室に来る人達がケーキショップや喫茶店を利用する。 ケーキを買いにきた人も喫茶店を利用したり教室に興味を持つ。 喫茶店に来た人も帰りにケーキショップに寄ったり、教室のことを知る。 相乗効果で、客層を広げることが出来るだろう。 それだけならミルクの気持ちを暗くすることもなかった。 まさか高藤の弁護士事務所を設置するなんて、つい最近まで知らなかったのだ。 しかも社長室とは名ばかりのマンションルーム。 どうやら高藤は家を出てその部屋で暮らすらしい。 さすがに母親の琉美江までが家を出ることは出来ないだろうが、新婚生活でも始めるかのように浮かれている母親の姿を見ると、心の中に黒い竜巻が渦を巻く心境だった。 母親には幸せになって欲しい。 許されない愛でも静かに育むなら、誰が非難しようと応援したいと思っていた。 けれど、これでは完全な略奪愛じゃないか。 高藤の家族にどう詫びる気なのか。 父親を奪われた悲しみは、今でもミルクの心に冷たい風となって吹き付けるのに。 母親だって夫に裏切られた苦しさを誰よりも知っているはずなのに。 それでも、幸せそうな母親の顔を見ると、何も言えなくなってしまう。 兄のミツルは完全に怒ってしまっているようだが、今は受験だけに専念して関わろうとしない。 マサトが何故こんなことを許したのか。 マサトが許さなければ、高藤は独立すら出来ないだろう。 高藤個人にこれほどのビルを建てる資金があるはずもなく、高藤を名義人にして実際はマサトが出資した株主なのは明白だった。 裏切りを何より嫌うマサトが何故ここまで認めてしまったのか。 マサトの気持ちが見えなくなりそうで、ミルクはその真意を聞いてみたくなった。 けれど、いつ再会出来るともわからない別離を決め、それぞれの道を歩き始めた時から、一度もマサトに会っていない。 電話もメールも来ることはない。 いつまでも待っている、と言ってくれたのを最後に、今、マサトがどこで何をしているのかも知らなかった。 ケーキショップオープン日だというのに、ミルクの気持ちは重く沈んでいた。 母親は開店準備で朝早く出掛けて行った。 ミルクは食事の後片付けをしてから、洗濯と掃除を済ませ、家で勉強をしている兄の為に昼食を作って家の用事を済ませると、二階の自分の部屋に行って着替えをした。 ケーキショップにも喫茶店にもミルク用の制服が用意されていたので、手伝う時はそれに着替えることになるけれど、お洒落な街なので一応意識して服を選んだ。 そして、出掛ける前に兄の部屋に寄った。 ドアをノックするとミツルがドアを開けて顔を出した。 「それじゃ、お兄ちゃん。ママの応援に行ってくるね。」 「・・・ああ。・・・気を付けてな。」 「お昼はレンジに入れておいたから、チンして食べてね?」 「・・・ん。サンキュ。」 「・・お兄ちゃん。・・・お兄ちゃんも時間が空いたら・・顔出してよ・・・」 ミツルの眉が不機嫌に寄る。 「ふしだらな奴は嫌いだ。」 「お兄ちゃんッ。・・それって誰のこと?・・まさか、ママじゃないよね?」 「どっちもどっちだろ。・・忠告したって聞きもしねぇなら、何でも勝手にやればいいさ。・・ミルクも放っとけ。」 「・・・だけど・・・高藤さんのこととママの夢だったお店は別でしょう?」 「あれが別なのか?・・看板まで恥ずかしげもなく並べて出して。しかも、その看板を見るまで、俺達はまったく知らずにいたんだぜ?・・何が場所がいいから三階を貸事務所にするだ。」 「・・・だから・・・高藤さんに貸したんでしょ・・きっと・・・」 「連呼するなッ。その名を聞くだけで吐き気がするッ。」 「・・・お兄ちゃん・・・」 「・・お前も顔出しだけしたら、サッサと帰った方がいい。・・暗くなる前に帰らないと、寒くなるぞ。」 ミツルは、ミルクの被っていた帽子を、もう少し深く被るようにしてやってから、 「暗くなったら駅まで迎えに行くから、電話しろよ?」 と、声のトーンを下げ優しく言った。 「・・ぅん。ありがと。・・・じゃぁ、行ってきます。」 「・・ああ。」 ミルクは微かに笑みを浮かべてミツルに背を向けると、溜息を吐きながら階段を下りていった。 心が悲しみに萎える。 母親思いだったミツルが、今ではほとんど母親と口をきかない。 ミルク自身、今度のことは納得出来なかったけれど、母親も思い悩んだ末の決断だったと思うと、自分まで家の中の敵になりたくなかった。 好きになってしまったら、非を認めても引けない時がある、とミルクも思うから。 マサトの裏の顔を知った上でも付き合うことを賛成してくれる人は滅多にいないだろう。 それでもミルクはマサトが好きなのだ。 母親が高藤を愛する気持ちを責めることは出来なかった。 ・・・マサト・・・会いたいよぉ・・・ ・・・会えたら言葉なんていらない・・・ ・・・ただ・・・その温かい胸に抱き締められたい・・・ ミルクは玄関先に座って、しばらくぼんやりと見えない空の方へ視線を向けていた。 それから深く深呼吸すると、スックと立ち上がり、人形のように感情のない笑みを浮かべて玄関を開け、外に踏み出した。 電車を一度乗り換えて目的の街へ着く。 駅の構内から出ると冷たい風が吹き付けてきた。 空はどんよりと雲っている。 何も暮れの忙しい時にオープンしなくても、と思ってしまうが、クリスマス前に店を宣伝したいらしかった。 オープン記念にクリスマスケーキを予約してくれたお客様には、可愛い純銀製のティースプーンがプレゼントされることになっている。 聞いたミルクさえ思わず予約したくなったが、とても採算の合わないサービスだろう、と気付いて呆れてしまった。 元々が味自慢なのだから、食べて貰えさえすれば、その評判によって客は自然と集まる。 その為の投資であり、順調な出だしが出来れば、これくらいのサービスは安いものだと、高藤が助言したそうだ。 純銀製のティースプーン・・・マサトが用意したのだろうか・・・ そんなことを思いながら角を曲がった途端、キンと耳が痛くなるような風に乗って甘い花の香りが届いた。 視線を足元から香りの方へ向ける。 と、まるでそこだけ春が訪れたかと思うほどに色鮮やかな花で埋め尽くされていた。 ミルクは目を見張り、自分が歩いているのか、春に吸い寄せられているのか、わからなくなるような状態で母親のビルの前まで辿り着いた。 ショップと喫茶店の入り口だけはどうにかスペースが空いていたが、後はビルの一階部分を覆うように花が置かれ、それでも置ききれずに通りまで並んでいる。 ミルクが唖然として入り口近くで眺め回していると、 「アリス様ッ、お久しぶりですッ。」 と、駐車場から駆けてきた男が言った。 「・・田代さん?!・・お久ぶりぃ・・・」 ミルクは状況がつかめないまま挨拶をしてから、 「・・え・・・どうして?」 と、首を傾げた。 「今日は混み合うだろうからと数名引きつれて応援に参りました。・・あ、おめでとうございます。大盛況ですよ。」 田代は駐車場の警備と案内をしているらしく、厚いジャンパーでも寒そうな真っ赤な顔をしていた。 それでも、ミルクに会えたのが嬉しそうで、開店の祝いを言って頭を下げた。 「・・・そーなんだぁ・・・」 ミルクは外まで並んでいる客に視線を向けて頷いた。 「私も買えたらと思っていたのですが、それどころではなさそうです。広告で事前に注文を頂いたお客様の分は確保されているのですが、それ以外のお客様にはお待ち頂くようで、母君・・こちらの社長も工房で奮闘されておられます。」 「えー・・・じゃぁ、急いでミルもお手伝いしなくちゃ。・・応援ありがとうございます。」 「はいッ。・・あ、いえッ・・・お会い出来て嬉しいです。」 田代は鼻を赤くしながら涙を浮かべて笑った。 「後で差し入れしますね。・・風邪を引かないようにしてください。」 ミルクも懐かしそうに微笑んで頭を下げてから、ケーキショップへと入っていった。 奥でケーキショップの制服に着替えたミルクは、先に母親がいるという工房に顔を出した。 母親は真剣な顔で指示をしてまわりながら、味や出来映えを確認しつつ、丁寧に仕上げをしている。 いつも家で穏やかに笑う母親ばかり見ていたミルクにとって、母親の仕事をする姿は新鮮な驚きだった。 そして、本当に母親はケーキ作りが好きなのだ、ということを改めて感じた。 自分の店がオープンしたら、店先で客に挨拶したいのが普通だろう。 それなのにこうして裏方に徹しながら、目をキラキラと輝かせている姿を見ると、例え何があろうとも尊敬出来る母だと思う。 どんな後ろ盾や支えがあろうと、やはり自分自身の思いが強くなければ叶わないことがある。 夢を叶え、ようやく始めたばかりの夢に責任を持って頑張る母親を、娘の自分が応援するのは当然に思えた。 ミルクは心の中で、よしッ、と気合いを入れると、真剣な母親に声は掛けずに、売り場の手伝いへと向かった。 数日前に一度、そしてオープン当日の今日、新聞の折り込みチラシを周辺地域に出していた為、ケーキショップも喫茶店も客が途切れることがなかった。 ケーキショップのショーケースのトレイはすぐに空になってしまい、工房から仕上がってくるのを待ってくれる客達は、角のコーナーに置かれた琉美江の出したお菓子作りの本を眺めたり、見たこともないほどの花の多さに感心して知らない人同士で話をしたりしていた。 「御覧になりまして?・・大手銀行からの花がズラリと並んでましたわ。」 「ええ。私の知る限りでは全ての銀行と言えるほどで、驚いてました。」 「それに大手企業も有名な名前がズラリ。」 「芸能人の名前もありましたでしょう?」 「そうそう。俳優、女優、歌手、タレント、どの名前もよく聞く方ばかり。」 「一体どんな方のお店かと思ってましたら・・ねぇ?」 と、ここで接客しているミルクの顔へ大抵視線が向けられる。 そして、チラチラとミルクを見ながら声を潜めて、 「ホント。・・あのS商事会長と婚約されたお嬢様のお母様でらしたのねぇ。」 と、囁き合うのがお定まりらしい。 ミルクが手伝い始めてから何度聞こえてきただろう。 更に、 「S商事会長と言えば、あの若さで不況の日本経済を引っ張っていると評判の原田雅人氏。」 「芸能人の出すお店はマスコミが殺到しますけど、このお店は政財界の面々が、気難しくて厳しいと噂される原田氏のご機嫌取りに殺到しそうですわね。」 と、勝手な想像を膨らませる。 本来なら美味しさで評判になって来店して欲しい。 ・・・ママのケーキは、マジでビックリするくらい美味しいんだからぁ・・・ ミルクは笑顔を絶やさないように気を付けながらも、母親に申し訳ないと思っていた。 自分とマサトの関係が母親の夢まで歪めてしまう。 もちろん来店してくれる客が定着するとしたら、それは母親の作るケーキが美味しいからであり、ご機嫌取りが日参する訳ではないはず。 けれど、それでも色眼鏡で見る人々は正当な評価をしてくれそうもない。 実際そんなご機嫌取りがケーキを買っていったら、本当に食べて貰えるのか不安になる。 それではあんなに一生懸命、手抜きしないように誠心誠意ケーキを作っている母親が可哀想になってくる。 ミルクは、店が安定し本当の客が来てくれるようになるまで、母親が夢に失望しないよう、夢を放棄してしまうことのないよう、応援しなければ、と決意していた。 そして、兄ミツルにも受験が終わったら、家族として応援して欲しいと頼もうと思った。 忙しさもピークを過ぎ、ようやく外で客が待たないでも店内に入れるようになった頃、ふとガラス窓の外に目を向けると、街の通りはすでにネオンが灯り、空は薄闇に包まれていた。 冬は夜が早い。 店に入る時、客が纏ってくる外気もぐっと冷えてきたように感じた。 それでも今日は夜八時の閉店時間まで手伝う予定でいる。 母親の都合次第では、隣りの喫茶店の閉店時間である夜11時まで、そっちを手伝って待っていてもいい。 まだ、ミルク自身が母親に”オープンおめでとう”と言ってなかった。 母親と一緒に帰り、ささやかなお祝いをし、お疲れ様も言いたかった。 ミルクは、まだまだ頑張らなきゃ、と背筋を伸ばし、帰っていく客に、 「ありがとうございました。」 と言って後ろ姿を見送った。 と、その時、入れ違いにコートを腕に掛けた紳士が店に入ってきた。 「いらっしゃいませ。」 と、他の店員が声を掛けても、ミルクは目を見開いて言葉がすぐに出て来なかった。 紳士がミルクの目の前まで来て、ようやく、 「・・景山さん・・・」 と、目を潤ませて微笑んだ。 「アリス様。・・お久しぶりでございます。・・母君のケーキ屋さんがいよいよ始まりましたね。心よりお喜び申し上げます。」 景山が丁寧に頭を下げたので、ミルクも、 「・・ありがとうございます。」 と言って、ぎこちなく頭を下げた。 顔を上げた景山は穏やかな笑みを浮かべ、 「お召しになられているのは、こちらの制服ですね?・・とてもお似合いですよ。」 と言ってから、 「・・欲を言えば・・アリス様にはもう少しフリルがあった方が、一層可愛らしくてよろしいかと・・。パリのデザイナーに作らせましょう。」 と、本気とも冗談ともわからない眼差しで言い、クスりと笑った。 「・・ぇ・・ぁ・・でも、制服ですから・・誰にでも似合って清潔感がある方がいいみたいです。」 ミルクは潤んだ目のまま苦笑した。 「あぁ・・・それもそうですね。失礼しました。」 景山は穏やかな表情を変えずに軽く頷いた。 「では・・・予約しておきましたので、それを頂くことにしましょう。」 「ぁ・・はい。少々お待ち下さいませ。」 ミルクは奥へ行って、第二工房へ予約客の景山の名を連絡した。 第二工房には大きな冷蔵庫があり、予約客のケーキはすでに注文された物が箱に入って収められている。 エレベーターですぐに一階に届き、ミルクは箱を持って表に戻った。 「お待たせ致しました。・・ぇっとぉ・・全種類1個ずつで計20個、でよろしいでしょうか?」 ミルクは箱の中を景山に見せて確認をする。 景山は箱を覗き、 「ほぉ・・これは見事ですねぇ。・・大所帯なので皆が喜びます。・・20個では足りないかな?・・まぁ、また伺えばいいことですね。これで構いません。」 と頷いて答えた。 そして、更に、 「・・この中で・・一番甘くない物はどれでしょう?」 と、目を細めて尋ねた。 ミルクが、ハッ、として景山の顔を見ると、景山は何も言わずに笑みを深めた。 「・・ぁ・・・」 ミルクは涙が込み上げてきて、説明しようとした唇が震え声がかすれてしまった。 エプロンの端をつまみ上げ口元を押さえて深呼吸し、 「・・この・・クラッシュアーモンドとナッツのシフォンでしたら・・苦みのあるキャラメル味で・・甘い物が苦手な方でも・・・」 と、どうにか説明をした。 「・・わかりました。・・そう、お伝え致しましょう。」 景山の声は労るように優しかった。 ミルクは紐をかける為に後ろの台へと箱を運び、そっと目頭をエプロンで押さえてから、紐をかけた。 明細を見ながら金額を告げ、事務的に会計をし、箱を渡す。 「ありがとうございました。」 「また伺います。・・アリス様。・・どうか、ご無理はなさらず・・ご自愛なさいませ。」 そう言った景山はコートを腕に掛けたまま店から外へと出ていった。 ミルクは何か胸に詰まるものがあり、思わず後を追って店を飛び出していった。 「・・あ・・あのッ・・・」 ミルクが声を掛けると、景山は立ち止まって振り返ったが、眉を寄せ、 「アリス様・・外は寒いですから、そのような薄着で出られてはいけません。」 と言って押し止めようとした。 ショップの制服は、作業がしやすいことと清潔を保つ為に、半袖で短めのスカートだったのだ。 「ミルは大丈夫です。・・景山さんこそ・・箱を持ってますので、コートを着てください。」 「車はすぐそこです。心配なさらず・・」 「・・あの・・・あ・・えっと・・・」 ミルクは胸に詰まった物がなかなか言葉にならず口ごもった。 握った片手を胸に押し当て、うつむいて佇むミルクに、景山は痛々しさが込み上げてきて、箱を冷たいアスファルトに置き、ミルクの肩にコートを掛けてやった。 包み込むような暖かさに励まされ、ミルクはようやく、 「ぁ・・あの・・・お元気ですか?」 とだけ小さな声で聞いた。 「はい。お元気でいらっしゃいますよ。・・どうぞ、ご心配なく。・・多少の不機嫌さや八つ当たりの言動は、アリス様が戻られるまでの辛抱と、皆よく耐えておりますので。」 景山の言い様が可笑しく、ミルクは思わず笑みを零して顔上げた。 視線が合った景山の優しい眼差しに、堪えきれなくなったミルクの頬を涙が伝う。 もっと聞きたいことがあったはず。 もっと言いたいこともあったはずなのに、頭の中から言葉が消えてしまった。 「・・・わかりました。・・ありがとうございます。・・お引き留めして済みませんでした。」 ミルクはコートを景山に返し、ペコリ、と頭を下げてから、店へと駆け戻っていった。 景山が車に乗り込むと、 「何ですぐ店に帰さないッ?風邪を引いたらどうするッ。」 と、隣りの男が苛立たしそうに文句を言った。 景山はケーキの箱を男との間に置き、 「でしたら、お姿を見せて差し上げればよろしいものを・・」 と低い声で、ボソリ、と答えた。 男は舌打ちをし、車を出すように前に指示を出し、シートに深くもたれて溜息を吐いた。 「・・まだだ。・・・今、姿を見せても逃げ出してしまう。」 発進した車が店の前を通る時、スモークガラスの内側からじっと店内のミルクを熱く見つめる男、マサト。 「・・俺が欲しい、と・・ミルクの口から叫ばせてみせる。」 マサトは呻るように呟いて奥歯をギリリと噛み締めた。 「・・・あまり追い詰めすぎませぬよう・・。透明な心は美しい反面、ガラスの脆さがあるものです。・・砕け散っては、繋ぎ合わせるのに時間が掛かるでしょう。」 景山の言葉にマサトは腕組みをして目を閉じる。 そして、 「壊しはしねぇ。・・壊させもしねぇ。・・ミルクは俺が守る。」 と、眉間に深いシワを刻んで答えた。 「・・・時期を見誤られませぬよう。・・・私にはすでに痛々しさが見ていられません。」 「・・わかっている。」 マサトは呻く息で景山の言葉を制した。 景山は黙って頭を下げ、すっかり闇に包まれた窓の外へ顔を向けた。 |
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<3> 「帰り道」 |
§3§「帰り道」 ミルクは手袋で鼻と口を押さえながら、うつむきがちに駅までの通りを駆け抜けた。 行き場のない憤りで胸が押し潰されそうだった。 悔しさに心の黒い渦が大きく勢いを増していく。 ・・・ママのバカ、ママのバカ、ママのバカッ・・・ 一緒に帰れると思っていた。 家族でささやかでもお祝いしたかった。 だからケーキショップが閉まってから、喫茶店の方を手伝って待っていたのだ。 なのに、夜の9時半を回って、高藤と喫茶店に姿を見せた琉美江は、 「あら、ミルちゃん。まだいたの?」 と言ったのだ。 「・・だって・・・ママと一緒に帰ろうと思って・・・」 「先に帰ってよかったのよ?・・ママはこれからまだ明日の準備があるし、明日も朝が早いでしょう?・・今日ほどではなくても、ある程度お客様が多いことを考えて、ケーキを多目に用意しなきゃならないし・・いつ帰れるか、わからないのよ。」 そう言う母親の顔に困った表情が過ぎった時、 「わかった。じゃぁ、もう帰るね。」 と言って、制服を着替えに奥へ行った。 着替えて店を出るミルクの目に映ったのは、高藤と談笑しながら食事をする母親の頬を上気させた顔だった。 もう、声を掛ける気もなかった。 ただ悲しくて、後ろを振り返ることもなく走り出していた。 母親には母親の人生があってもいい、とは思う。 けれど、女の顔をしている母親に無性に腹が立った。 息が弾み、白い息が顔に掛かる。 手袋で口を押さえながら切符買う。 平日がどのくらい手伝えるか予測がつかなかったので、まだ定期は買っていなかった。 階段を上る足が重い。 家の用事を済ませて急いで手伝いに来たのだ。 考えたらまだお昼も食べていない。 従業員達はミルクが来たのが昼近かったので、早めのお昼を済ませて来たと思ったのだろう。 休憩時間はあったが、その時には寒い外で頑張ってくれている田代達へ、熱い紅茶とケーキを差し入れしていた。 別に従業員達が気を使わない訳ではない。 だが、雇われたばかりの彼等にとって、社長令嬢ということになるミルクにどう対処していいか、わからなかったのだろう。 その上コミニュケーションを取れる時間の余裕もなく忙しさに追われ、皆自分の持ち分をこなすのに精一杯だったのだ。 ミルクもそんなことは構わなかった。 不平を言うようでは応援の意味がない。 疲れたからと言って文句を並べるつもりもない。 けれど、母親の言った”まだいたの?”と言う言葉と困った顔が胸に突き刺さった。 ホームで電車を待つ間も、悔しさと悲しさは治まりそうもなかった。 と、ケーキショップの紙袋を持つ数人の女性達が、ミルクに気付いて笑顔で会釈した。 ミルクは不機嫌な顔も見せられず、微笑んで会釈を返した。 何気ないふりでその場から離れたが、どこで誰に見られているか知れないと思うと、プライバシーまで覗かれかねない顔は見せられなかった。 電車は休日の夜ということもあり、それほど混み合うことはなかったが、お酒の匂いが充満する車両内にミルクは戸惑いを覚えた。 こんな遅い時間に電車に乗った記憶がない。 しかも一人っきり。 そう思ったミルクは急に怖くなってしまった。 何とかドア近くの手摺りにつかまることが出来たので、ドアに額を付けるようにして誰とも顔が合わないようにした。 混み合っていないとは言え、立っている人達もドア近くには多い。 ミルクは手摺りを持たない方の手で、目から下を手袋で覆っていた。 混んできたのか、妙に背中を押される。 しかも居場所が気に入らないのか、やたらと動くので体が触れてしまう。 ミルクはなるべくギリギリまでドアに身を寄せて立った。 だが、体が離れたと思ったのも束の間、すぐにまた体を密着され、しかもさっき以上にグイグイと体を押しつけながら動いている。 酒臭い息が顔に掛かる気がして、ミルクは目を閉じた。 と、お尻に違和感を感じる。 グイグイと押しつける部分に固い物が当たり、明らかに故意にミルクの前に腕を回して抱きかかえようとしているのだ。 そう気が付いた時、体が硬直して動けなくなった。 前に回された男の手が胸へと上がってくる。 ・・・何で? パニクッた頭では自分が置かれている状況さえ判断がつかなくなっていた。 「おっさんッ。何やってんだッ?」 ヤンキー風の口調の青年が、男の襟首をつかんで後ろに引き倒した。 「っばっくれてんじゃねぇぜッ。エロ爺ぃッ。」 青年の連れも、床に転がった男の尻を蹴り付け、唾を吐きかけた。 男はふらつきながらやっと立ち上がると、つんのめりそうになりながら隣りの車両へと逃げていった。 「よぉ。・・あんた一人かい?」 男を追い払ってくれたヤンキー青年がミルクに声を掛けてきた。 ミルクは新たな難関に口を固く結んでうつむいていた。 「こんな夜に一人でいるもんじゃねぇぜ。」 ヤンキー青年の連れもヤンキー風に言って、片頬で笑う。 ミルクはどうなってしまうのかと首を竦めていた。 けれど、彼等はそれ以上ミルクに声を掛けることはなく、そっと様子を伺ってみると、ミルクに背を向けて音楽の話に興じていた。 しかもミルクが充分安心出来るスペースを彼等との間に置いておいてくれた。 肩を並べる彼等が壁のようになって、ミルクの周囲を遮断してくれているかのようだ。 見た目よりも親切な人達なので、ミルクはホッと息を洩らした。 改札口を抜けると懐かしい匂いがする。 何が、というのではなく、冷たい風にも含む懐かしさ。 これが生まれ育った街の温かさなのだろうか。 ミルクは目に熱いものが込み上げてきて、トナカイみたいに赤くなる鼻を隠すようにつまんだ。 「ミルクッ。」 足元ばかりを見ていたミルクが顔を上げると、怒っているような、哀れんでいるようでもある表情のミツルが立っていた。 「・・お…兄ぃ…ちゃ…・・・」 ミルクは小走りに駆け寄り、そのまま胸に顔を埋めた。 「・・ったく・・バカだなぁ。・・だから早く帰って来い、って言っただろ?」 言葉は怒っていたが、声は悲しく優しかった。 「・・お兄ちゃん・・・」 ミルクは込み上げてきた涙をミツルのジャケットに擦り付ける。 ミツルはミルクをそっと包み込んで背中をさすり、 「早く家に帰ろうな?・・もうちょっと辛抱しろよ?」 と言って、ミルクの肩を抱いて歩き始めた。 ミツルにもわかっていた。 ミルクがどんなに惨めな気持ちで帰ってきたか。 ミルクの帰りがあまり遅いので母親と帰るのかとミツルも思っていた。 それでも確認の電話を母親の携帯にしたら、母親はケーキショップが予想以上に忙しくて大変なことを理由に、「今夜は帰れそうもないの。」と答えたのだ。 そして、ミルクのことを聞くと、「ミルちゃん?・・さっき帰ったわよ?・・あぁ、お兄ちゃん。駅までお迎えに行ってあげてね?」と事も無げに言う。 ミツルは「それぐらい言われなくてもわかってるッ!あんたは、労いの言葉くれぇ掛けてやったんだろなッ?」と怒鳴って電話を切った。 いくら自分が忙しくて大変だろうと、応援に来ている娘を気遣うくらいのことは親としての常識、いや、当然の親心じゃないのか、と言ってやりたかった。 こんな時間に一人で帰したことから推察すれば、答えは聞かずともわかる。 門限7時を余程のことがない限り破ったことはなく、遅くなる時は誰かが送ってきたミルクが、 たった一人で夜道を帰ってくるのだ。 ミツルは憤りで体をワナワナと震わせながら駅まで駆け付け、ミルクを待っていた。 少し歩いた先にミツルは自転車を置いておいた。 「風が冷たいけど、早く帰りたいだろ?」 ミルクはコクリと頷いて、ミツルの自転車の後ろに跨った。 ミツルの胴に腕を回し、しがみついて顔を背中に押しつける。 こんな泣き顔は誰にも見せたくない。 詮索好きな誰かに見られて、無責任な噂を流されたくない。 母親への憤りはあっても、母親を傷付けたい訳ではないのだ。 それは母親へ怒りをストレートにぶつけるミツルも同じなのだろう。 何も言わずにペダルを漕ぐ兄。 雪がチラチラと混じる北風が、兄妹の心にも吹き付けているようだった。 「どーゆうことだッ?!!」 ミルクの様子を監視させていた者からの報告が入り、マサトは激怒して吠えた。 そして、 「高藤を呼べッ!!ベッドでちちくり合っていようが、問答無用ッ!!引きずり下ろして、引っ張って来いッ!!」 ミシッ!、と机が軋む勢いで拳を叩きつけて怒鳴った。 ほどなく、青ざめた高藤が詰問室に腕をつかまれて連れて来られた。 高藤が部屋に入ると、その場に居合わせている者達の冷たい視線が向けられる。 阿修羅の形相となったマサトはもとより、景山でさえ冷たい魔を含んだ目で睨んでいる。 高藤は弁護士の仕事でも、これほど恐ろしい法廷を見たことはない。 しかも裁かれるのは自分。 裁くのは、地獄の闇の使者。 立っていることも出来ず、床にへばりついて両手を頭の上に合わせ、額を冷たい床に押しつけた。 「・・も・・申し訳あ・・ありません・・・」 体がガタガタと震えるので、歯の根が噛み合わず、呂律もよく回らない。 「謝るようなことをするな、と言ってるだろうがッ!!」 マサトの罵倒する怒声に、 「・・更に付け加えるなら、・・何でも謝れば済むと思って貰っては困るな。」 と、景山が低い声でボソリと追い打ちを掛ける。 高藤は返す言葉もなく唇を震わせている。 「貴様が付いていながら、何でミルクを一人で帰すようなマネをするんだッ?!えッ!!」 マサトは全身から怒りを滾らせている。 「おらおらおるぁぁッ!しっかりボスの顔を見てお答えしろッ!」 熊のように大柄な財前が、高藤の髪をつかんで顔を引き上げる。 「・・じ・・事情が・・つかめないまま・・・帰られてしまわれて・・・」 不自然に顔だけ反り返った高藤が苦しそうに答える。 「ア・・アリス様はなぁッ・・ご自分の休憩時間も取らずに・・俺達の為にと差し入れをして下さったんだぞッ!・・ケーキショップが閉店になっても・・母君と帰るから、と嬉しそうに言われて・・俺達を喫茶店で労って下さった。・・帰りには温かいホットサンドイッチまで持たせてくれてなぁッ!」 田代は悔しそうに泣きながら叫ぶ。 「お一人で帰られるとわかっていれば、お送りしたんだッ!・・っくしょぉぉーッ!!」 田代は自分を責めるように拳で頭を叩いた。 マサトは渋面で眉間のシワを指で押さえ、溜息を吐く。 景山も溜息を漏らすと、 「・・田代・・お前の事情はもう聞いた。・・ボスが喋れねぇから、ちっと黙ってろ。」 と、片眉をそびやかした。 「ぅ・・うっスッ・・・」 田代が後ろに下がると、景山が高藤に歩み寄り、上から冷たく見下ろした。 「高藤・・・これはボスの口からは屈辱すぎて仰れねぇだろうから代わって言うが・・・アリス様は帰りの電車で痴漢に襲われてしまわれたんだぞ。」 高藤は一瞬目を白くさせ、それから充血した目を見開いたまま呆然として言葉を失った。 「・・監視の者が機転をきかせて追い払ったが・・こりゃぁぁ、とんでも無ぇことだぞッ!」 怒りを露わにする景山の目が氷のように光った。 「・・景山・・・お前も邪魔だ。」 マサトに言われて顔をしかめた景山は、頭を下げて三歩後退した。 マサトは財前にも目線で離れるように指示する。 財前が髪の毛をつかんでいた手を離したので、高藤は前に顎から倒れ込んだ。 高藤は前にのめったまま動けずにいた。 「おい・・・」 マサトが高藤の肩を靴の踵で踏みつけた。 グゥッ、と踵に力を入れると、 「ぅッぐぁッ・・・」 と、呻いた高藤の肩がグニャリと変形し、腕の力が抜けたようにダランとする。 「ケッ!・・間接外れたぐれぇで情けねぇ声を出すんじゃねぇッ!」 若松がマサトの後ろから怒鳴りつける。 マサトは目を眇め、周りを見回した。 すでに阿修羅の形相はなく、いつもの感情が読めないマサトがそこにいた。 「・・・なぁ・・・お前等・・・マジでキレてねぇか?」 「勿論ですッ!」 即答したのは、その場にいた全員だった。 マサトは呆れ顔で溜息を吐く。 「お前等・・・そんなにミルクが好きなのか?」 「当然ですッ!」 打ち合わせしたはずもないのに、皆が同時に答える。 マサトは表情を変えないまま何度か頷いた。 頷いてから、今度は溜息混じりに首を振ると、 「・・ったく・・・お前等まで揃いも揃ってキレてたら・・俺が怒れねぇじゃねぇか・・・」 と、皆が耳を疑ってしまうほど静かな口調で言った。 マサトは舌打ちをしながら後ろに下がり、イスに座って足を組んだ。 「若松。」 マサトが指を二本立てるので、若松は直ぐさま煙草を差し出した。 火は一瞬早くライターを点火した景山が、マサトのくわえた煙草の先に灯す。 ふふん、と景山に一瞥され、若松は目を伏せライターをポケットに戻した。 マサトは煙草一本、ゆっくりと吸い終わるまで、高藤を眺めて考え込んでいた。 だが、高藤を見ていながら、マサトの目はもっと遠くへ向けられているようだった。 「なぁ、高藤・・・」 ようやくマサトが話し掛けた。 高藤は涙と誇りまみれになった顔をおずおずと上げる。 「・・好きになる、ってぇのは辛ぇよなぁ。」 「・・・ぁ・・・は・・ぃ・・・」 マサトは高藤と視線が合うと苦虫を噛み潰した顔になり、拗ねたように天井を睨んだ。 それから、視線を戻して睨み据えながら、 「・・もう、いい。」 と、低く言った。 「・・だが、お前の惚れた女には子供がいる、ってことを忘れるな。・・しかもその子供ってのは、俺がこの身に代えても守りてぇ子なんだ。・・女を守りてぇ、と思ったら、女が抱えている物全て引っくるめて守ってみせろ。」 「・・・・・ボ・・ス・・・・・」 高藤の目から新たな涙が溢れ出す。 それは恐怖や痛みの涙ではなく、もっと熱い魂の涙だった。 「本郷に診て貰え。・・それくれぇ、痕も残らねぇだろうぜ。」 そう言ったマサトは、もう話すことはない、とばかりに詰問室を立ち去った。 総裁室に戻ったマサトは、景山に、 「・・今はミルクをこれ以上泣かせたくねぇ。」 と、肩を竦めてみせた。 「はい。そう仰られると思っておりました。」 景山は静かに微笑んで、胸に手を当て恭しく頭を下げた。 |
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<4> 「想い」 |
§4§「想い」 次の週末の土曜日。 明日、日曜日がいよいよ慈善団体主催のクリスマスイベントである。 コンサートホールが大小二つある会館を借りて、小さい方で昼間、福祉事業とボランティアについてのシンポジウムが開かれ、大きい方では夜に、チャリティーコンサートが開かれる。 中央ホールには色々な展示物が張られたり並べて置かれ、来客方の意識を高めようとする努力が見える。 ミルクと香織が参加しているグループのバザーは、玄関ホールの半分ほどのスペースで開かれる予定になっている。 今日は集めたり作ったりした品物を陳列する為に、数名が代表で会館に来ていた。 代表と言っても、グループには仕事をしている人達もいるので、ほとんど学生達である。 上杉は本部との連絡や確認に奔走する一方で、衣服や家庭用品、装飾品や小物別に並べていく指示をしている。 会館の入り口前にも大がかりな飾り付けが施され、電飾なども用意されてクリスマスの雰囲気を盛り上げるらしい。 準備に追われる人々は本部や各グループだけでなく、そうした業者の人達もいた。 ガッシャァァーーンッ!! 喧噪とした会館内でも響き渡る音だった。 豪華なガラスの花瓶が見事なほどに砕け散ってしまった。 絨毯の上なら無事だったかも知れない。 だが、不運にも会館の床は固い石のタイルだった。 「何てことをするのッ?!」 グループでの活動が長い大学生が悲鳴のような声で怒鳴った。 落としてしまったのは、香織を誘ってくれた先輩だった。 業者が大きな脚立を担いで入った時、入り口近くでちょっと後ろを振り返った為に脚立が動いて先輩にぶつかりそうになったのだ。 業者は顔だけで振り向いたつもりだったらしいが、中心では小さい動きのつもりでも末端になると大きくなることぐらい知っていてもいいだろう。 けれど業者は関わりになるのを恐れて、さっさとその場を立ち去ってしまった。 残された先輩は、落とした時の手の形のまま固まってしまっていた。 「畑野さん、大丈夫ですか?」 香織が側に来て、先輩の足に破片が飛んで怪我してないか、と心配そうに見ている。 「良かったぁ。怪我はないみたいですね。・・ミルク、ほうきとバケツ借りてきて。」 「はい。・・って、バケツ?」 「ガラスの破片だからゴミ箱には捨てられないでしょ?」 「あ、そっか。わかった。」 ミルクは急いで、ほうきとチリ取りとバケツを借りてきた。 戻ると大学生と香織が口論をしている。 「畑野さんが怪我をしなかったからいいじゃないですかッ。」 「何言ってるのよッ?・・その花瓶はバザーの目玉だったのよ?一体いくらすると思ってるのッ?」 「善意の提供品には、元々の値段とかは関係ないじゃないですか。値段を付けたのも私達であり、それをその値段で買ってくださるお客様がその値を妥当かどうか判断することです。」 「冗談じゃないわ。買おうとしたら20万円するものなのよッ?だからバザーでも2万円の値を付けられたんじゃないッ。」 「頂いた時点で値はゼロになってます。それに大体の目安として値段をつけただけで、その値が絶対というものではないはずですッ。」 グループでも煩型と倦厭されている大学生に対して、香織は一歩も引いていなかった。 先輩は堪らなくなって、 「済みません。その分のお金は私が払います。」 と、泣きながら言った。 「畑野さんにその責任はないわよ。・・業者が不注意だったんだし・・」 香織が先輩の肩を抱くようにして宥める。 大学生は、 「だったら、あなたが業者に掛け合って弁償させるって言うの?」 と、香織に詰め寄り睨み付ける。 ミルクは香織のように先輩を咎める大学生に抗弁する勇気はなかったが、バザーで弁償とかは違うと思っていたので、せめてもの抗議として、 「ちょっとそこ、退いてください。」 と、大学生を香織から離れさせるように、ほうきを忙しく動かした。 ミルクが周辺を掃き終わった頃、騒ぎを聞いた上杉が本部から戻ってきた。 大学生はここぞとばかりに、先輩の失敗と香織の生意気な態度をご注進した。 香織は悔しそうに大学生を睨み返し、意義を申し立てようとしていた。 が、上杉は、 「香織君。彼女とは僕が話すから、君達はコロコロで床をなぞってくれ。コロコロ・・知ってるだろ?・・粘着紙が巻いてる奴。・・小さい子が転んだりしたら、微細な欠片でも危ないからな。・・コロコロは、本部にあるから。」 「わかりましたぁ。」 香織は多少不服そうな顔でミルクと手を繋ぎ、本部にコロコロを借りに行った。 戻った時、上杉はまだ文句を言い足りない大学生を、 「君が花瓶を預かった時の感激はわかるよ。相手への感謝もわかる。だから、申し訳ないと思っていることもね。」 と、宥めていた。 香織がムッとして眉をひそめ、ミルクに肩を聳やかしてみせた。 だが、上杉の次の言葉に、えっ、と表情が変わる。 上杉は気持ちが治まらない大学生に理解を示す一方でこう言ったのだ。 「だが、バザーの品物を誰も弁償することはないんだ。」 今度は大学生がムッ、とする。 「バザーの目的は単純にお金を集めることじゃない。・・目的があってお金を集める場合もあるだろうが、僕達の団体では違う目的に意味があると考えているんだ。」 「お金が欲しいからこんなに一生懸命やってるんじゃないですか。」 「それは違うよ。・・勿論、お金は必要だ。・・だけどさ、だったらお金持ちが寄付をすればいい、ってことになっちゃうだろ?」 「寄付も貴重です。」 「なら、お金持ちが財産全部叩いて寄付すればいいのか?・・もし、そうする人がいれば、確かにその一時は福祉資金も豊かになるだろう。・・だけどね、それじゃダメなんだよ。」 珍しく上杉が厳しい表情をしている。 「それを見てる人達はわずかなお金を寄付する意義を見失ってしまう。そうだ、お金持ちがそれほど施したいなら勝手にしてればいい、とね。何も自分達の余裕のない財布から出さなくていいじゃないか。・・みんながそう思うようになったらどうなる?」 「・・・それは・・・不道徳だと・・・」 「けど、お金があるから弁償する、とかになれば、そう言ってるようなものだろ?」 「いえ。私は責任を取るという基本的モラルを・・」 「どんな責任だ?・・どんな基本だ?・・基本は、みんなで協力して手を差し伸べ合おう、ってことじゃないのか?その気持ちが何より大事なことじゃないのか?」 「・・・はぁ・・・」 「いくらお金を集めたか、ではなく、彼女を含めたみんなで一つのことが出来、多くの人にボランティアの楽しさ、面白さ、をわかって貰えた、と喜び合えること。そして、ちょっとした気持ちでも皆が集まれば誰かを励ますことが出来る、自分達にも応援出来る、とこうしたバザーを通して意識して貰えることだろう?」 「・・・はぃ。」 「奇特なお金持ちが全財産を叩いても、いつかは底が尽きる。けれど、善意の心の輪を広げていけば、永遠に尽きることも途切れることもない助け合いの輪が出来るんだ。・・僕は・・僕達はそれが大切だと思っている。」 「・・・はい。」 「彼女はバザーを一緒に頑張ってくれる仲間だよ?・・参加してくれる気持ちに感謝こそすれ、ミスくらいでその気持ちを潰すものじゃない。」 「・・・済みませんでした。」 そこで上杉は優しい笑顔になると、 「勿論、君も大事な仲間だよ。・・仲良くやってこうぜ。な?」 「・・はいッ。」 大学生は涙を溜めた目で、高校生の上杉に深く頭を下げた。 「やだなぁ。・・そんなに畏まるなよ。・・君達に任せきりで本部行ってた僕も悪かったんだ。」 と、苦笑して髪を梳き上げた。 そして、 「・・どうやら床も安全になったみたいだね。じゃぁ、ディスプレイを頑張ろう。」 と、香織に笑いかけ、先輩の肩を優しく叩いた。 ディスプレイが綺麗に出来た後、会館の自動販売機で温かい飲み物を飲んで一休みした。 自動販売機の前のイスに並んで座るにはスペースが足りず、上杉と香織は壁を背にしゃがみ込んでいる。 そうやって香織と話す上杉はいつもの普通に優しい上杉だった。 けれど、香織がいつもより嬉しそうな、恥ずかしげな様子で上杉と会話している。 香織にとって好きになる基本は、相手が尊敬出来るかどうからしい。 頬を微かに赤らめて目を輝かせている香織は、いつもより可愛らしく見えた。 ・・・いいムードじゃん。 ミルクはなるべく視線を向けないように、香織の先輩と話をしていたが、大好きな二人がいい雰囲気になっているのを、ミルクも嬉しく感じていた。 バザーの方の用事は終わり、そこでグループとしては解散になった。 けれど、上杉が本部の手伝いが残っていたので、香織とミルクも本部を手伝うことにした。 上杉が、 「本部まで手伝わせて悪いね。・・お礼に、帰りは夕食を奢るからな。」 と、笑ってウィンクをした。 香織とミルクは手を取り合って、キャッキャ、と喜んだ。 いつもと同じ軽い調子の上杉の言動も、今の香織には輝いて見えているのかも知れない。 ミルクはなるべく二人と離れて、本部の手伝いをすることにした。 夢中で動いていると時間がわからなくなる。 まして窓のないホールなどでは意識しないと時間の感覚がなくなる。 「ご苦労様。未成年の参加者達はもう帰った方がいいよ。・・明日もあることだしね。」 と、本部の人に言われて、ミルクは初めて日が暮れたことを知った。 香織と上杉も声を掛けられたのだろうか、と周囲を見回す。 が、ホールには姿が見えないので、ミルクは会館の中を探し始めた。 「・・あの・・上杉君・・知りませんか?」 「あぁ、坊ちゃん?・・さっき外にゴミ出しに行ったけど・・」 上杉の母親が慈善団体の理事を務めているので、役員の間では”坊ちゃん”と呼ばれているらしい。 「ありがとうございました。」 ミルクは教えて貰ったお礼を言って頭を下げると、ププッ、と笑い出しそうな口元を押さえてゴミを纏めてある場所に向かった。 砕けたガラスもそこに置いてきたので、場所はわかっていた。 ・・・”坊ちゃん”・・クスッ。香織に教えたら、また笑うだろなぁ。 ミルクはクスクスと笑いを零しながら小走りに外へ出た。 すっかり夜になり、風が強くなったようだ。 コートを着ずに出てきてしまったことを後悔しながら首を竦めた時、建物が凹んでいる場所から香織の声を聞いた気がした。 非常階段が設けられている場所で、わずかな非常灯の明かりだけが暗闇をぼんやり照らしている。 その光から少し外れた先に、ミルクは香織と上杉を発見した。 けれど、立ち竦んでそこから先には足を踏み出せなかった。 香織は上杉にしっかりと抱き締められ、熱いキスを交わしていたのだ。 何も心配してヤキモキする必要はなかったのだ。 香織にその気にさせようと、上杉の気持ちを匂わせることもなかった。 ずっと香織を想っていた上杉の気持ちは、本当は香織が一番良く知っていた、ということだろう。 そして、上杉を認めた時、香織の心が開いたことを、上杉も了解したのだろう。 上杉が愛おしそうに香織の髪を撫でながら、キスを続けている。 香織もキスに応え、上杉の背中に腕を回している。 一度は別れた恋人同士の熱いキスに、ミルクはマサトを思い出して切なくなり、そっとその場を離れた。 預けておいたコートとバッグを引き替えカードと交換し、コートを着て会館を一人で帰っていく。 会館前のバスに乗り込んだ時、香織から電話が入ったので、 「ごめん。ママから応援を頼まれちゃって、すぐそっちに行かなきゃいけなかったの。――うん。だから、香織を探したけど見つからないし先に出ちゃったけど、ごめんね。」 と、言ってから、バスの中だから、と電話を断りバッグに戻した。 香織への嫉妬はない。 ただ、無性にマサトが恋しかった。 マサトの熱い抱擁、熱いキス・・・熱い繋がり。 思い出すだけで全身が鳥肌立って感じてしまう。 乳首が痛いほど固く突起している。 膣が収縮を始め、花唇がヒクヒク痙攣して止まらない。 ミルクは首筋から耳まで真っ赤になってうつむき、バスが早く駅に着くことを祈った。 そしてバスが駅に着くと、ミルクはなるべく顔を伏せてバスを下り、駅ではなくタクシー乗り場へと向かった。 もうとても人と顔を合わせられなかった。 恥ずかしさと、悲しさと、寂しさと、恋しさと・・・ あらゆる想いが噴き出してくる。 そして、体はマサトを欲しがって熱く疼いてしまうのだ。 タクシーに乗ったミルクは行き先を告げると、両手で顔を覆い、背中を丸めてしまった。 「・・どうしました?・・具合が悪いんですか?」 運転手が迷惑そうに言う。 もし具合が悪いなら下りてくれ、とでも言うつもりだろうか。 「ぃぇ・・・何でもありません。・・お願いします。」 ミルクは仕方なく顔を上げ、そう言ってから窓の外へ視線を向けた。 |
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<5> 「懐かしい場所」 |
§5§「懐かしい場所」 ミルクはタクシーから賑やかな街に降り立った。 窓の外を眺めている内に、ふと思いついて行き先を変えたのだ。 すでに街の上空は暗い闇に覆われている。 ネオンライトと渋滞する車のライトが目に痛い。 仕事帰りの人達の姿が多い時間帯。 まだ門限の7時にはなっていなかった。 けれど今から電車に乗っても間に合わないだろう。 元々自宅に帰る予定を変更したのだ。 こんなに切ない想いを抱えて、笑顔の消えた家には帰りたくなかった。 母親のケーキショップがオープンした夜、怒りが爆発しそうなミツルと惨めな寂しさに落ち込むミルクとの間に、交わす言葉はあまりなかった。 何か話せば、お互いに母親への文句や愚痴になる。 そうしたことを話したとしても、お互い何も気持ちを解決することは出来ない。 兄妹で母親の悪口を言い合っても、傷付くのは自分達だとわかっている。 言葉に出来ない思いが、一層会話を途切れさせた。 ミルクは熱めのお風呂で芯まで冷えた体を温めた。 けれど、体は温かくなっても凍えそうな心は冷たいままで、ミルクはお湯に顔をつけて溢れる涙を拭った。 次の日の夜、仕事を終えて帰った母親は済まなそうに謝った。 気負い込み過ぎて心の視野が狭くなってしまっていた、と疲れた様子で言った。 そして、「全てを一人で抱え込まずに、任せられる事は人に任せるようにして、母親であることを忘れないようにした方がいいよ、って叱られちゃったわ。」と、高藤に注意されたことを悲しそうに言ってから、肩を落として寝室へ行ってしまった。 誰が悪いのでもないのだろう。 それぞれの歯車が咬み合わなくなってしまっただけ・・・。 それからの母親は社長室に泊まることなく、疲れきった顔で家に帰るようになった。 ミツルは母親に返事もしなくなり、家にいても自室に籠もり勉強していることが多くなった。 ミルクも家の家事は受け持っていたが、あの日以来、店には手伝いに行かなくなっていた。 こうして今では、どこにも笑顔の火が灯る場所がない家になってしまっていた。 ミルクは大きく溜息を吐き、人通りの多い通りを歩き始めた。 交差する角を曲がり、シャッターの閉まった店の前に立つ。 この店の閉店は事務用品を扱っているせいか、以前から早かった。 店に用があるのではない。 シャッターの閉まったこの場所に来たかったのだ。 思い出の詰まったこの場所に。 露店を出していたマサトにハンカチを返した場所。 独りぼっちの家にいたくなくて、クッション持参で会いに来たこともある。 いるはずもない、と思いながらも、どこかで期待していたのか、冷たいコンクリートが空いているその場所を、じっと佇んで見ていた。 何もない空間にマサトの姿が浮かび上がる。 もちろん見えているのはミルクだけで、見せているのは思い出が刻まれた心なのだと、ミルクにもわかっている。 ミルクは涙が零れて止まらなくなった。 強くなりたい、と自分で決めたことだ。 なのに、今でも泣き虫のまま何も変わらない。 甘えん坊もちっとも成長しない。 ミルクは面影だけでもマサトに抱かれたくて、マサトの座っていた場所に自分を重ねるように座り込んだ。 膝を引き寄せ両腕で抱く。 マサトがあまり人と視線を合わせようとしなかったように、ミルクも膝に顔を埋め、わずかな隙間から通りを行き交う人々の足元を眺めていた。 数人が立ち止まる。 けれど靴のつま先が通りの方へ向けられている。 誰かと待ち合わせしている人達だろうか。 並んだ背中できっとミルクの姿が通りから隠れているのだろう。 時々立ち止まっていた通行人の足が、止まらずに通り過ぎるようになった。 ミルクは別に姿が隠れても構わなかった。 ただ、この場所にいたいだけなのだ。 どれほど時間が経過したのだろう。 足だけ見えてる人達はいっこうにその場所から移動しない。 こんなに整列するように並んで、動かない人達が不思議になってきた。 並んだ足が冷たい風も避けてくれるのでミルクとしては助かるけれど、この奇妙な集団に通りを行き交う人達は距離を置いて足早に通り過ぎていく。 足だけしか見えない世界でも、人の感情が見えたりするのだろうか。 ミルクがそんなことを思っていたら、並んでいた足が一斉に動き出し、遠離って行った。 待ち合わせした相手がやっと来たので、コンパにでも行くのだろうか。 そんな年齢に思える靴だった。 ・・・ちょっとだけ・・一緒にいてくれてありがとう・・・ ミルクはそんなお礼を込めて、足達を見送った。 それから視線を正面に戻して、ドキッ!、とした。 目の前に新たな靴が、ミルクの方を向いて立ち止まっている。 しかもそれは・・・マサト!! 特別変わった靴ではないのに、それが誰かわかってしまった。 足の開き加減か体重の乗せ具合なのか、ピカピカに磨いたライダーブーツのせいかはわからないけれど、間違いなくマサトだった。 ミルクは革製ズボンを履いた長い足をゆっくりと辿るように見上げていった。 革ジャンにはシルバーアクセサリーが輝き、開いた襟元から細い蛇が覗いている。 もう間違えようもなくマサトなのだ、と叫ぶ心が高まる鼓動で苦しくなる。 ドキドキドキドキ、、、 逆上せて真っ赤になる耳の鼓膜に、心拍の音が響いている。 ドキドキドキドキ、、、 ミルクは、躊躇いに首の蛇で止まった視線を、ようやくマサトの顔に向けた。 注がれている熱い眼差し。 見つめ合い、絡まり合う視線。 けれどマサトからの言葉はない。 ミルクは目も鼻も泣き腫らして真っ赤にしながら、拗ねたように唇を尖らせた。 マサトは苦しげに奥歯を噛み締め、クルッ、と背中を向けると、一歩、、二歩、、三歩、、と歩いて行ってしまう。 ・・・このまま行ってしまうの?・・・ 奈落の底に落ちそうな絶望感が背後から迫ってきて、焦ったミルクは思わず、 「、、、みゅぅ〜ん、、、」 と、消えそうに小さな声で鳴いていた。 足が止まる。 だが、背中を向けたまま振り向いてはくれない。 「、、、みゃぁぅ〜ん、、、」 ミルクはもう一度鳴いて呼び掛ける。 マサトの肩から腕がプルプルと震え、クルッ、と振り返ると、タッタッタッ、と戻ってきた。 そして長い足を折り曲げて屈み込み、 「・・何やってんだ?」 と、顔を近付ける。 ミルクは唇を尖らせたまま鼻を啜る。 「、、、拾って、、貰うの、、、」 「・・あ?・・・って、何を?・・誰にだ?」 マサトが目を眇めてミルクの目を覗き込む。 「、、、ミルを、、、マサトに、、、拾って貰うの、、、」 ミルクが消え入りそうに呟く。 その途端、マサトの目に、ジワッ、と涙が浮かぶ。 「・・バーカ。・・俺は手放しても、捨ててもいねぇぞ。」 ミルクの首の後ろに手を回し、グイッ、と引き寄せるといきなりキスをした。 歯がぶつかるほどの勢いで唇を押しつけられ、熱い舌が捻込んでくる。 ミルクは見開いた目から大粒の涙を零しながら呆気に取られて瞬きを繰り返した。 熱いキス。 懐かしいマサトの熱い唇、熱い舌、優しい感触。 ミルクの涙まで熱くなり、涙の熱さで心が溶けていく。 マサトの熱さで凍える魂も溶けていく。 「、、、マサトぉ、、、」 ミルクはグショグショの泣き顔でしゃくり上げた。 「お前は俺の物だ。・・前世から決まっている。」 横暴なセリフでも、ミルクには嬉しかった。 「、、、ぅん、、、」 ミルクはフワフワミトンの手袋で涙を拭って頷いた。 「よし、じゃぁ行くか。」 マサトはミルクに手を貸して立ち上がらせた。 それから革ジャンの胸ポケットから携帯を取り出し電話する。 ミルクはマサトの腕につかまり、怪訝に見上げる。 「よぉ、俺だ。イジけた捨て猫を拾ったぜ。―クックッ。と言ってもその猫、元々俺のもんだがな。――あぁ、そーゆーことだ。もう遅いし、俺の所に連れて帰るから、お袋さんにもそう伝えとけ。――あぁ。お前も安心して勉強を頑張るんだな。じゃぁな。」 簡単な電話だった。 が、すぐに相手がミツルだとわかった。 「、、何で?」 益々訝しがるミルクにマサトは、 「まぁ、おいおいに話してやるが・・取り敢えずはマンションに行こうぜ。」 と、ウィンクしてみせた。 そして、通りの端に止めてあるバイクまでミルクを連れて行き、 「マンションは近くだし、裏道をゆっくり抜ければ安全だろう。」 と、ミルクを後ろに乗せた。 「ただし、しっかりつかまってろよ?・・振り落とされんじゃねぇぞ?」 「、、うん。」 ミルクはマサトの体に腕を回してギュゥッとしがみついた。 マサトはゆっくりバイクを発進させ、自転車よりも遅いかと思うくらいの速度で走り出した。 ・・・しっかりつかまってろ。 ・・・二度と離すんじゃねぇ。 ・・・俺の生き方に振り落とされんじゃねぇぜ。 マサトは時々ミルクの腕をつかんで確認しながら、マンションへと向かった。 懐かしいマンションの部屋。 生活臭のない趣味の部屋。 そんな懐かしさを感じている余裕もなく、マサトの激しい熱情がミルクを覆い尽くした。 繰り返される熱いキス。 足が縺れて倒れそうになるミルクを抱き上げ、マサトはコートを剥ぎ取ったミルクを寝室へ運ぶ。 「・・バカヤロォ・・・もっと早く俺を欲しがれ。」 キスを繰り返し、服を脱がせながら、苦しげな表情のマサトが呟く。 「、、、でも、、、ミル、、、変われなぃ、、、泣き虫のまま、、、」 「変わってたまるか。・・ありのまま、そのままのミルクが好きだ、って言ってんだろ。」 「、、、ぅん、、、ぁ、、でも、、、髪は伸びたよ、、、」 ちょっとは変わったとアピールするかのように、拗ねた上目遣いを向ける。 そんな所が変わらないのに、と笑みを浮かべたマサトの目から、涙が一筋頬を伝う。 「・・あぁ・・・めちゃめちゃ綺麗だぜ・・・」 マサトは外したブラジャーを放ると、膨らみが増したミルクの胸を優しく掌で包み込み、もう言葉はいらない、とばかりに唇を重ねてキスを貪った。 掌まで熱く、凍り付いたミルクの肌を溶かしていく。 雪のように白い肌が、綻ぶ桜の花びらのように淡く色付く。 「、、、、、ぁ、、、、、ん、、、、、」 コリコリ、、と固い乳首を摘まれ、ビクンッ、と体が反応する。 やっと切ない痛みが解されていく。 「、、、ぁ、、ぁ、、、そこ、、、ずっと痛かったのぉ、、、ぁぁ、、、」 仰け反りながら、ミルクが甘い吐息で囁く。 何という妖艶な色気だろう。 ほんの三ヶ月ばかりの時間が、ミルクを妖しいほどに美しい女へと化身させていた。 いや、暦的にはたかが三ヶ月だが、魂の痛みは限界だった。 暴れ狂う寸前だった。 マサトは離れていた時間を惜しみ、愛おしくミルクを見つめた。 さなぎになって固い殻に籠もってもやがて美しい蝶になるように、ミルクの封印された想いが解き放たれた時、苦しい闇の眠りの中で発酵した魂が煌めくオーラを纏って蘇ってきた。 マサトにはそう思えて、ミルクがどんなに辛い我慢をしていたかを感じていた。 「愛してるぜ。ミルク。・・俺のミルク・・・永久(トワ)に・・・未来永劫・・・俺のものだ。」 マサトは愛しい魂の半身を愛撫する。 尖った乳首を吸い、舌先で転がしてやる。 「ぁ、、ぁぁ、、、マサトぉ、、、」 変わらないミルク・・・変わったミルク・・・ 気付かずに、髪の毛だけは、と拗ねる愛くるしいミルク・・・ マサトの蛇は、爆発寸前だ、とばかりに真っ赤になった首を振る。 マサトはミルクを慈しみつつ、嬉々として欲望に身を委ねることにした。 「、、ぁッ、、、ぃゃッ、、、」 ミルクのパンティを剥ぎ取ったマサトが、ミルクの足を開いて股間に顔を埋めようとする。 「こっちにもご対面させろ。」 「、、ぁぅぅ、、、だってぇ、、、」 ミルクは恥ずかしがって足を開こうとしない。 「もう隠すなよ。」 「、、そうじゃなくぅ、、、だってぇ、、、昨夜お風呂入ったきりだからぁ、、、」 ミルクは情けなさそうに口ごもる。 朝から忙しく活動したままの体なのが、ミルクには恥ずかしかった。 「ククッ。・・おまんこがおしっこ臭ぇって?・・別にいいじゃねぇか。俺はちっとも構わねぇぜ。」 「ぅぅぅー、、、ミルは構うもぉん、、、」 マサトは太腿の間に指を差し込み、指先で花唇に触れる。 太腿まで濡らすほどに溢れる蜜を指に絡めて、ミルクに見せる。 「こんなに蜜が溢れてるぜ。・・あぁぁ・・いい匂いだ・・・」 指の蜜を見せつけるように舐めたマサトが口の端を上げて笑う。 そして今度は足を膝に割り込んで強引に股を開かせると、指を蜜壺へと突っ込んだ。 「ぁぁッ、、、っ、、、」 ミルクは背中を反らせて眉を寄せる。 「・・ん?・・・ちょっとキツくなっちまってるか・・・」 マサトはゆっくり指を動かし、膣襞を擦って解していく。 マサトの大きさに慣らしていった膣が、離れていた期間に萎縮してしまっているようだった。 「、、ぁ、ぁ、ぁ、、、ぁぁ、、、」 体の中で動く異物。 けれど、それは恋い焦がれた愛しい存在。 マサトの指を目にするだけで疼いていた、懐かしい日々を思い出す。 「、、ぁぁぁ、、、マサトぉ、、、気持ちぃぃ、、、」 「・・全然オナニーしてなかったんだな・・・」 指を動かしてキツイ膣を慣らしながら、ミルクの顔中を愛おしそうにキスして囁く。 「、、、だって、、、許可がいるって、、、言ったじゃん、、、」 「あぁ・・・わかってる。・・・いい子だ、ミルク。」 どんなに切なくマサトが恋しい夜も、自分の体を自分で愛撫することが出来なかった。 マサトが決めたことを破ったら、もう会えなくなってしまいそうで、恋しくて疼く体を持て余しながらもじっと耐えていた。 マサトにもミルクのその気持ちがわかって、一層愛おしくて堪らなかった。 今夜はなるべく労りながら優しく抱いてやろう。 マサトはミルクが嫌がることはしないで、ゆっくりと気持ちを確認しながら、ひとつに繋がることにした。 「ぁぁッ、、、ぁぁぁぁぁぁッ、、、」 マサトがミルクの中に蛇の先端を押し込んだ。 「・・大丈夫か?」 「、、、ぅ、、ん、、、平気、、、」 痛みのせいか、目に涙を浮かばせるミルクは、仰け反りながら、マサトを求めて手を伸ばす。 「少しずつ奥に入れるからな?・・辛かったら言えよ?」 「、、ぁぃ、、、」 グゥゥッ、と体を埋めていく。 「ぁッぁぁ、、、ぁぁん、、、めちゃめちゃおっきぃぃ、、、めちゃめちゃ熱ぃぃ、、、」 ミルクは強烈なマサトの存在感に圧倒され、荒い息継ぎをしている。 「もう少し・・奥へ入れるぜ?」 「、、ぁ、、ぃ、、、」 ミルクはマサトの胸の蛇を掌でなぞり、マサトの大きさに耐える。 グググゥゥッ、と膣を強引に広げて蛇を潜らせる。 「あぁぁぁぁ、、、ハァハァ、、、ん、、んー、、、超ぉぉ固いよぉぉ、、、」 「・・ミルクが待たせるから・・蛇が首を伸ばしてデカくなっちまったみたいだぜ。・・ククッ。」 「、、、ぁぅぅ、、、そこはもぉ成長しちゃ、、ダメぇぇ、、、ミルが壊れるぅぅ、、、」 「俺に言うな。・・蛇に言え。」 「、、、ぅぅ、、、」 「ま、これからは毎日宥めてやることだな。」 マサトは楽しそうに笑うと、腰を前後にゆっくりと動かし始めた。 ズリッ、、、ズルズルッ、、、ズリッ、、、ズルズルッ、、、 「あぁぁぁ、、ん、、、あぅぅ、、、ハァハァ、、、マサトぉぉ、、、」 「・・苦しいか?」 「、、、大丈ぉ、、夫ぅ、、、ハァハァ、、、感じるぅぅぅ、、、」 「あぁ・・俺もめっちゃめちゃ感じてるぜぇ・・・」 マサトは腰の動きを早めた。 ズブッ、、グチュッ、、ズズッ、、、 「ぁぁぁん、、、ぁぁぁ、、、あん、、あん、、あぁぁん、、、」 奥に当たって下半身全体が鈍い痛みに痺れてくる。 けれど、それ以上に熱い電流が体中を駆け巡り、堪らない快感に痺れさせていく。 「ハァハァ、、、あぁぁ、、、ああん、、、感じるぅぅ、、、」 ミルクは恍惚とした表情で目を閉じて頭を反らせる。 瞼の裏で眩しい光がスパークしている。 気持ちよくて気持ちよくて快感に溺れる。 激しい息遣いで喘ぎ、よがり声をあげ続ける。 忙しく上下するマサトから汗が飛び散り、ミルクの汗と混じる。 濃厚に妖艶で甘い魅惑の香りがたちこめる。 「はぅぅ・・・俺も我慢しすぎて・・もたねぇ・・・」 「、、ぃぃよぉ、、、あぁん、、、ミルもぉ、、、いくぅぅ、、、」 マサトは腰の動きを早め、根元まで擦り付けた。 ズンズンズンズンッ、、と力強く突き上げられ、ミルクが大きく仰け反る。 「あぁぁぁぁ、、、マサトぉぉ、、、好きぃぃぃ、、、あぁぁぁぁん、、、」 「いくぜぇぇぇ・・・ぐッ・・うううああああぁぁぉぉぉッッ・・・」 ミルクが感じて絶頂の痙攣に震える。 マサトも全身から熱い汗を噴き出し、感激と興奮に震えながらミルクを抱き締めた。 繋がったまま静かな時間が流れる。 マサトの息遣いが聞こえるだけの寝室。 けれどそこには甘く切なく優しい陶酔と満たされた充実感が溢れている。 ・・・ようやく取り戻した。 マサトは改めてミルクを抱き締め頬ずりをした。 ・・・堪らなく愛しい存在。 ・・・健気で儚く悲しいほど優しい天使・・・ ・・・ずっと・・ずっと・・・遠くからしか見守れなかった俺の天使・・・ ・・・もう・・決して・・決して離すもんかッ! マサトは大きく深呼吸をして、ミルクをそっと腕枕で寝かせてやった。 |
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