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<51>
「慕う人々」
§51§「慕う人々」

 大型トラックが2台、中国大陸を北上している。
 中央政府管轄車のステッカーが貼られ、検問フリーパスの許可証を携えている。
 香港でアルミバントラックをチャーターし、空輸した荷物を積み込むのを待って、北を目指し爆走する。

 ――先にパリから香港に到着していた若林猛(コウメイ副隊長)と水瀬伸(ハッカー:ITの天才)は、香港在住の天龍No.3と接触し、事態の説明と協力を要請した。
 当初、若林の突然の話を信じていなかった天龍No.3も、景山との電話と若林の気迫によって”天龍内クーデター”(李白龍暗殺)を信じるに至った。
 そして、拉致されたジャックメンバーを救出するまでは行動を起こさず、山東省の天龍No.5にも無条件で協力するよう要請して貰えた。
 ただ、その段階になって、江蘇省の天龍No.4と福建省の天龍No.7との連絡が取れなくなっていることに気付いた天龍No.3は、No.4、No.7の安否確認と保護を若林に依頼した。
 天龍の配下の人間をヘタに動かすと、白鈴一派にもこちら側の動向をつかまれる為、秘密裏にマサト達を救出したいジャックの思惑を尊重しての依頼だった。――

 前のトラックを運転するのはコウメイ、ナビゲーターでサポートするのがハッカー。
 前のトラックのアルミバンの中は、複雑な通信システム器材とキャンプ用の道具や食料が積み込まれ、数名が仮眠出来るスペースも用意されてある。
 ハッカーは通信回線を助手席まで伸ばして、日本の景山や空路上海を目指しているキラーとの連絡に当たっている。
 後ろに続くトラックの運転手はボム(雷音轟)、隣りでナビゲーターを務めながら前のトラックとの連絡を取っているのがドルフィン(海園麗)。
 後ろのトラックのアルミバンの中では、スナイパー(矢上準)が空輸した銃器類の点検と整備に余念がない。
 キラー(景山戒)の注文で日本と韓国から空輸された物なので、不備など絶対あってはならなかった。


「コウメイ副隊長。キラー将軍からの通信です。」
 ハッカーが運転しているコウメイにマイク付きヘッドホンをかける。
「コウメイです。」
―「今どこにいる?」
 抑揚のない冷たい声が鼓膜を震わせる度に悪寒が走る。
 何度聞いても慣れない冷たい声に、コウメイは片眉を寄せて、
「只今福建省中部を北上中です。」
と答えた。
―「まだ福建省だと?遅すぎるぞ。」
「合流地点には時間通り到着させます。」
―「それは時間通りとは言わない。最低その時間までには到着しろ、という警告だと思え。少しでも早く到達する努力をしろ。ボスを長く待たせるんじゃないぞ!」
「承知しました。」
 挨拶などない用件だけの通信。
 若松はヘッドホンを頭から外し首に掛けると、
「後ろに速度を上げるから遅れないように伝えろ。」
と、ハッカーに指示した。
「了解!」
 ハッカーは自分用のマイク付きヘッドホンで、後ろのトラックのドルフィンに連絡を入れた。

 整備が行き届いてない田舎道を爆走するトラックは時たま小石に大きくバウンドする。
「ボム!何て乱暴な運転してんだ!」
 スナイパーがバンと運転席の間の小窓を開けて文句を言う。
「キラー将軍からの命令で速度上げてるんだから、しょうがねぇだろ!」
 ボムが野太い声で叫ぶ。
「うッ・・・クッソー・・・精密機器搭載してんだぜ?照準が狂ってどやされるのは俺なんだからな・・・」
 キラーの名前を聞いて顔色を変えたスナイパーは、文句の代わりにブツブツと愚痴を言い始めた。
「クスッ。まだ僕たちは恵まれてるだろ?・・キラー将軍他”殺人部隊”の面々を移送しているレーサーは生きた心地もしないと思うよ。」
 ドルフィンが地図を眺めながら、慰めるように言う。
「・・・まぁ、キラー将軍が常に背後にいたら・・・瞬きも出来ねぇくらい緊張するだろうがな・・・」
 スナイパーも納得してレーサー(飛雄勇:あらゆる乗り物の運転可能)に同情して頷いた。
「とにかく急ぐっきゃねぇぜ!ボスに何かあったら俺達は生きてけねぇ!」
 そう叫んだボムが更にアクセルを踏み込んで、前のトラックの加速に合わせた。

「それにしても、キラー将軍は一方的な方ですねぇ。」
 ハッカーが後ろの通信機を心配しながらコウメイに話し掛けた。
「そんなセリフ、他では言うなよ。」
 と、コウメイが釘を刺してから、
「まぁ、ハッカーはあまりキラー将軍に馴染みがないから、怖さをまだ知らないか。」
と、片頬で笑った。
「・・噂は聞いてますが・・・」
「噂なんてもんじゃ、本当の怖さはわからねぇぜ。単に耳からの情報と、恐怖を体感するのとじゃ、天地ほども違うもんだぜ?・・・今回はキラー将軍が指揮官だ。腹を括ってかかれよ?」
「・・はぁ・・・」
 若いハッカーは実感が湧かないという顔で頷く。
「何があっても口答えするな。命令の意味を知ろうとするな。指示されたことには絶対に従え。・・・そして、心はどっかにしまっとけ。でないと、後でのたうつ程苦しくなるぜ。」
「・・・それは・・・コウメイ副隊長も、・・ですか?」
「SSSと殺人部隊のメンバーが、同じ蛇窟島にいながら、普段ほとんど接点を持たないのは、SSSにとってもキラー将軍は顔を見るだけでも怖ぇからさ。」
「・・・いわゆる・・・死神?」
「ボスと景山参謀の命令以外、聞く耳がねぇからな。うっかり冗談でもボスに批判的な言葉が出たりしたら、その場で口を削ぎ落とされるぜ。」
「プーックククッ。・・・じゃぁ、コウメイ副隊長はめちゃめちゃヤバイっすね〜。」
 怖い物知らずの若者であるハッカーが可笑しそうに言うと、
「・・おい。余計なことを言うんじゃねぇぞ?」
と、目を眇めて念を押す。
「・・けどまぁ、キラー将軍を前にしたら何も話す気は起こらねぇだろうがな。」
「・・・そんなにスゴイ人なのかぁ。・・・あ、でも、ジャッキー補佐官は元殺人部隊のメンバーだったんですよね?」
「ああ。殺人部隊って言っても、本当の名称は『総帥親衛隊』だからな。ジャッキーみてぇな狂信的崇拝者集団ってとこか。・・・キラー将軍にしても、盲目的にボスを崇めてるってだけで、敵じゃねぇんだから・・・指示に従ってりゃいいのさ。」
「・・はぁ・・そうッスね。ご忠告、ありがとうございます。」
 ハッカーは、同じSSSでも毛色の違う若松の事情を、少しだけわかった気がした。
 そして、マサトが『総帥親衛隊』を封印して、SSS(スリーエス)を結成しなければならなかった理由も少しだけ理解出来た。
 もっとも、ハッカーが本当にキラーの怖さを知るのはこれからだった。
 コウメイの言うように、怖さは体験しないとわからないのだ。


 SSSのメンバーから同情されたレーサーは、すでに30時間飛び続けている。
 途中、給油で二度ほど地上に降りたが、トイレに行くくらいが精一杯で、操縦席に貼り付いている。
 一度、ストレスからか腸の具合が悪くてトイレに時間が掛かったら、いきなりエンジンが噴かされて慌てて飛び出したところ、待ちきれないキラーが操縦席に座って動かし始めていた。
 「軍用機くらい操縦出来る。」と言われても、いきなり加速し60°近い傾斜で飛び立たれては怖くてたまらない。
 どうにか上空で操縦を代わって貰えたが、何度も「もっと加速しろ。」と頭を小突かれ、ギリギリ限界速度で飛び続けているので、エンジンが焦げ付かないかと胃が痛くなる。
 軍用貨物機なので後ろの貨物室と仕切がなく、十数名の黒い集団が寡黙にじっとしているのも不気味だった。
 どんな状況でも冗談が飛び出すのがSSSだったが、この”殺人部隊”の面々は、口がないのかと思うほど何も話さない。
 黒い戦闘服で身を包み、キラーの指示がない限り、一点を見つめたまま動きもしないのだ。
 助手として隣りに座った男もキラーとしか会話しないので、何の役にも立たない。
 脇の通信士もまったく操縦してるレーサーを相手にしない。
 レーサーは自分が機械の一部にでもなった気分で、ひたすら操縦に専念するしかなかった。

「キラー将軍。本部参謀からです。」
 通信士が大きなヘッドホンをキラーに渡す。
 軍用貨物機内の爆音はトラックどころではなかった為、耳を全て覆う形になっている。
「兄さん?何か?」
 兄である景山と話す時には、あの誰もが悪寒を覚える冷たい声ではなく、妙に猫撫で声になる。
―「江蘇省の天龍No.4と福建省の天龍No.7が行方不明という話は聞いてるだろ?」
「ああ。コウメイが言ってたが、俺には関係ない。」
―「江蘇省の天龍No.4は白鈴派が乗り込む直前に非難して、現在某所に身を潜めている、と情報が入ったので心配ない。」
「初めから心配してないさ。」
―「だが、福建省の天龍No.7はどうやら白鈴派に拘束されてるようだ。」
「そんなことより、ボスの居場所はつかめたのか?」
―「今、情報を集めて絞り込んでいる。有力な場所が3ヶ所あって、まだはっきりしないが・・」
「早くつかめよッ、兄さんッ!・・・坊ちゃまがお労しくて息も出来ない・・・」
 キラーが苦悶に眉を寄せ、自分の胸倉をつかんで訴える。
―「わかってる。・・が、少し我慢しろ。心配してるのは戒だけじゃないんだ。」
「他の奴等なんてアテになるかッ!坊ちゃまをお守り出来るのは俺しかいない。」
―「戒。・・ボスももう大人なんだ。ボスにはボスの思惑もあって、相手方の策に乗っているようだし、動ける我々がボスの意向に添うように行動するべきだろう?」
「・・・・・だから?」
 キラーの声が冷たく変わる。

 ――戒にしてみれば、この兄こそ冷酷無比に思える。
 どんなに自分が総帥を思っても受け入れてくれることは少なく、冷静な判断で指示を繰り出す兄。
 ・・・あれほど固く、坊ちゃまの為に身を捧げよう、と誓い合ったのに・・・
 ・・・坊ちゃまではない、ボスなのだ、と兄さんは言うが・・・
 ・・・どこが違うっていうんだ?
 ・・・坊ちゃまの血と肉になれればいい・・・
 ・・・違うのか?
 ・・・・・蛇窟のボス・・・・・
 ・・・我等のボスに相応しいお方は、坊ちゃま以外には考えられないとは言え・・・
 ・・・ボスであるが故に・・・全ての責任と全ての危険と全ての罪を背負おうとされてしまう・・・
 ・・・・・お労しい・・・・・坊ちゃま・・・・・
 戒にはマサトの元に一刻も早く到達することしか、眼中になかった。――

―「ボスからの指令にも、天龍幹部の保護救済をするように、とある。」
「・・・・・で?」
―「福建省の天龍No.7は他の幹部とも一緒に拘束されている可能性が高い。」
「・・・・・それで?」
―「彼等を先に救出してくれ。」
「・・・・・チッ!」
―「その間に、こちらもボスの居場所の特定に全力をあげる。いいな、戒?これはボスの意向でもあることを忘れるなよ?」
「・・・・・了解。」
 キラーは奥歯を噛み締めて、景山からの指令を受諾すると、外したヘッドホンを通信士に投げつけた。
 腹立たしくても、昔から兄には逆らえない戒だった。

「現在地はどこだ?」
 キラーが操縦助手をしている部下に尋ねた。
「はい。只今、ここ上空を通過中です。」
 操縦助手はレーダーを見ながら詳細な地図を指し示す。
「ふむ。・・・福建省の天龍アジトは確か・・・ここだったな。」
 キラーが地図に顔を近付けて地形を読み、何事か呟きながら頷いている。
 そして、顔を上げると、
「ここなら5人で充分だ。・・・A、B、C、D、E!」
と、アルファベットで部下を呼んだ。
「「「「「イェッサー!」」」」」
 呼ばれた部下は直立して敬礼する。
「降下準備に掛かれ。福建省の天龍アジト上空で降下し、アジトの白鈴派を壊滅させろ。幹部連中は放っとけ。白鈴派がいなくなりゃ、自分達で這いずり出てくるだろう。」
「「「「「イェッサー!」」」」」
「とゆーことだ。いいな、レーサー。」
「・・ラ・・ラジャー!」
 レーサーは、事態がつかめないまま、助手に地図を示して貰いながら、コースの修正をした。
 使命されたアルファベット5名は黙々と準備する。
 降下時に装着可能な武器を身に着け、パラシュートを背負うと、
「用が済んだら、さっさと合流しろ。」
と言う、キラーの無茶苦茶な命令にも、
「「「「「イェッサー!」」」」」
とだけ答え、レーサーがアジト近くで高度を下げて合図すると、何の躊躇いもなく次々と降下していった。
 ・・・グッドラック。
 レーサーは誰も言わない言葉を胸中で呟いた。


 弟の戒との交信を終えた景山は、司令部から参謀室へ上がってきた。
 総帥であるマサトだけでなく、若林や島田など主要なメンバーも抜けてしまっている今の組織が、統制が崩れないように、海外も含めてまとめ上げなければならない。
 マサトのことが心配でないはずはなかったが、景山にも、自分が支柱となってボスを支えなければ、という強い自負がある。
 留守を預かる者として、浮き足立ち慌てふためいていても、状況は悪くなるだけなのだ。

 参謀のイスに座って眉間の下の目頭を指で押さえる景山に、
「少し仮眠されては?」
と、コーヒーを持ってきた部下が気遣うほど憔悴している。
「いや。直、上海へ向かわせた本郷から連絡が入るだろうし、他の緊急連絡にも備えておかないとな。・・・その間に、こっちの書類にも目を通して指示を出しておく必要があるし、休んではいられない。」
「ですが、この上参謀まで倒れられたら我々は・・・」
「いやいや。私は大丈夫。・・・ボスのお辛い状況を思うと、到底休む気にもならんよ。」
 景山は心配する部下を下がらせて、熱いコーヒーを啜りながら、書類を捲り始めた。

「失礼しますッ!」
 星野が大きな箱を持って参謀室に入ってくる。
「ご注文のケーキ、30個お持ちしました。」
「あぁ、ご苦労。下の司令部に差し入れしてやってくれ。あそこに詰めている者達も、ずっと休みなく働いてくれているからな。」
「はいッ。・・参謀は?」
「ん?・・そうか・・・じゃぁ、シュークリームでも貰おう。」
「はい。」
 星野は小皿にシュークリームを取り分けて参謀の机に置くと、残りを司令部へと持っていった。
 ほどなく、戻ってきた星野は、
「・・・あの・・・」
と、遠慮がちに景山に声を掛けた。
「何かな?」
 景山は机に視線を落としたまま、書類に判子を押したり、サインしたりしながら返事をした。
「あの・・・お忙しい所、申し訳ないのですが・・・」
「そう思ったら早く用件を言うことだ。」
「あ、はいッ。実は、僕も上海に行かせていただけないか、と。僕でも何かお役に立てることがあるのではないか、と思いまして・・・」
「星野にはアリス様を警護するという大事な役目があるだろう?」
「はい。・・・ですが・・・」
「それが重要な仕事には思えないのか?」
 景山が書類から顔を上げ、厳しい目で星野を見つめる。
「いえ。・・ただ・・・僕もボスのお役に・・・」
「お前がそう思うなら、警護から外そう。ただし、そんなお前に他のどんな仕事も任せられないな。」
「え・・・あ・・・」
「アリス様が恙無く過ごされるようにお守りする事の重要性を理解出来ないで、他の何が出来る?」
 星野は青ざめ、唇を噛んでうつむいた。
「ボスにとって何より気懸かりであろうはずのアリス様を、そんな気持ちで警護されてたら、どんな失態をするか知れない。まして現在、アリス様ご自身はご存知ないが、難しい立場に立たれておられる。」
「・・・え・・・?」
「嫉妬する女が刃を向ける先は何処だと思う?」
「・・・あッ?!」
「ボスが仲間を助けようと必死な時に、アリス様に何かあってみろッ。お前はその時、どんな顔向けが出来るッ!」
 淡々と話していた景山が怒りを露わにして怒鳴る。
「申し訳ありませんッ!」
 星野は床に土下座した。
「アリス様が平穏に過ごされておられるからこそ、ボスも安心して他のことに集中できるんじゃないかッ。・・・そうだろうッ?」
「はいッ!」
 星野は床に額を押しつけたまま答える。
「その仕事をつまらないとしか思えないなら、やって貰わなくて結構だッ!」
「いえッ!やらせてくださいッ!」
 景山は恐縮して体を震わせている星野を見下ろし、大きく息を吐くと声のトーンを下げた。
「・・戦場で共に戦うだけが、価値のある仕事じゃないぞ。」
「はいッ!申し訳ありませんでしたッ!」
「・・・お前なら絶対に安心だ、とボスが評価したことに不満があるのか?」
「いいえッ!光栄ですッ!」
「平和がつまらないと思うようじゃ困るぞ。」
「はいッ!」
「・・・わかればいい。職務に戻れ。」
 星野は目に滲んだ涙を袖で拭ってから、立ち上がり敬礼した。
「了解しましたッ!」
「いつも以上の警戒態勢で警護に当たってくれ。」
「心得ましたッ!」
 景山が静かに頷くので、星野は深々と頭を下げて、参謀室を退室した。
 景山は、やれやれ、と溜息を吐き、また書類に目を通し始めた。


 参謀室を後にした星野は、すぐに部下に連絡をして周辺に怪しい気配はないかを確認させた。
 自宅とミルクの通う香蘭学園と母親のケーキショップ周辺は常に警戒させている。
 三交代による24時間体制の警備が、本当に必要なのかと思うこともあったが、その重要性に改めて気付かされた。
 今回に限らず、表の企業家としてのマサトと裏の”蛇窟”総帥としてのマサト両面において、もっとも弱い部分を狙ってくる敵の存在があっても不思議ではない。
 ミルクのほんわりとした雰囲気や日溜まりのような笑顔と接していると、そうした緊張感を見失いがちだった。
 だが、そうした雰囲気があるからこそ、ミルクがマサトのオアシスになっているのだ。
 組織の皆がミルクを”アリス姫”と慕うのも、マサトのオアシスであるからこそなのだろう。
 星野は気を引き締めて、職務に戻っていった。

 いつもより早めに学園に迎えに行った星野は、周辺を警備している部下ともう一度警備体制について抜かりはないかを確認した。
 それから車に戻りミルクの下校を待つ。
 下校時間のチャイムが鳴り、しばらくするとチラホラ下校する生徒の姿が見え始めた。
 すでに三年生は卒業式まで登校しないらしい。
 ・・・そう言えば、ミツル様の受験ももうすぐだな。
 星野は一般人の生活をあまり知らなかったので、切実な受験シーズンというものがわからなかった。
 それにミツル自身がマイペースと言うか、あまり緊張もせずにいるせいか、実感がなかった。
 部下の話では、この時期は家族もピリピリと神経が張っていて、言葉遣い一つにしても気にするらしい。
 ・・・アリス様もそうなのだろうか?
 星野は薄闇が広がる中、電灯がこぼれる窓を見上げた。

 「今日は部活に寄ります。」とミルクが言っていたので、多少遅くなるのは当然と思っていた星野は、かなりの生徒が下校してもミルクの姿が見えないことに不安を感じ始めた。
 生徒だけでなく、帰宅する教師の姿もあるのに、ミルクは一向に出て来ない。
 星野は胸騒ぎを覚えて、管理室の用務職員に頼んでクラブの部室を見てきて貰った。
「チャレンジクラブですよねぇ?」
「はい。」
「うーん・・・変だなぁ・・・」
「え・・・どうかしましたか?」
「部室には鍵が掛かってましてね、もう電気も消えていて誰もいませんでしたよ?」
 星野は絶句して、サーッ、と血の気が引いた。
「探させて頂きますッ。」
 星野は許可を取る前に靴を脱いで上がり込んだ。
「あ・・あぁ、どうぞ。」
 用務職員はスリッパを勧めてくれたが、星野は駆け出していた。

 学園の見取り図は頭に入っている。
 ・・・まずは教室か?
 星野は電灯の消えた暗い階段を駆け上がる。
 教室の明かりもすでに消えている。
 ミルクの席に鞄はない。
 ・・・まさか・・・まさかッ?!
 星野は全ての教室という教室を調べ回ったが、ミルクを見つけることが出来なかった。
 汗が噴き出すが、冷たく粘り着くような汗だった。
 自分が警護の仕事より、救援に行った方がSSの経験を生かせる、と思ったことへの罰が当たったように思えてきて、自分自身への情けなさに泣きたくなる。
 目頭に熱いものを感じながら三階の廊下を走っていた時、体育館の明かりがついていることに気付いた。

 祈る思いで体育館を覗く。
 ……タン…タタン…タンタン…タタン……
「あーもぉ……ここが失敗しちゃうんだなぁ……」
 汗をかきながらステップの練習をしているミルクがそこにいた。
「・・・アリス様ぁ・・・」
 星野は顔をクシャクシャにして涙を零しながら床に跪いた。
「…ん?……あれぇ…星野さん、どぉしたのぉ?」
 ミルクはタオルで汗を拭きながら、キョトン、と首を傾げる。
「よ・・良かったッスぅ・・・あんまり遅いので・・・心配したッスぅ・・・ゥゥ・・・」
「えー……ごめんなさぁい。」
 ミルクは星野の前にしゃがみ込んで、タオルで星野の涙を拭った。
 ミルクの汗が染みたタオルは、南国の優しい風のように甘い花の香りに満ちていた。
 星野は思わずタオルをつかんで顔を埋め、号泣した。
 ・・・この方を・・・俺が守らないで・・・他に誰に任せられる!
 星野は景山の思いをその時、心から理解した。

 帰りの車の中。
「だからね、チャレンジクラブのお別れ会での出し物がタップダンスなのぉ。しかもパントマイムも入れて寸劇みたいなコントにするんですってぇ。・・ミル、ずっと昼休みしか参加してなかったからぁ、練習しないとぉって・・・」
「わかりました。・・・ただ、その様な時には、言ってください。」
 星野は取り乱して泣いてしまった自分が急に恥ずかしくなり、助手席で前を向いたまま受け答えしている。
「はーぃ。今度からそうしまぁーす。」
 何の事情も知らないミルクは、素直な明るさで返事をする。
「でも、ホント難しいんだよぉ。・・・景山さんに教えて貰うかなぁ・・・」
「あ・・いや・・・今、島田さんも留守でお忙しそうなので・・・それはちょっと無理かと・・・」
 ミルクにはマサトや仲間が拉致されていることは秘密にしていた。
「……そっかぁ……そうだよねぇ……」
 ミルクは残念そうに頷き、
「家でもお兄ちゃんがもうすぐ受験だから煩く出来ないじゃん?……だから、学校で練習するしかないんだぁ。」
と、小さく溜息を吐く。
 小さな世界の小さな悩み。
 それでも、今の星野には大切に思えた。
 景山がそうであるように・・・。
「でしたら、練習に僕もお付き合いしますよ。明日からはジャージでお迎えに上がりましょう。」
「……ほぇ?」
「学園側にも許可を頂きますので、ご心配なく。」
「…ぁ…ありがとぉ……」
 ミルクは恥ずかしそうにペコリと頭を下げる。
 星野はニッコリと笑って頷いた。
 ここに一人、また過保護な男が誕生したらしい・・・。

<52>
「月明かりの夜」
§52§「月明かりの夜」

 光が失われていく上空から、次々と黒い影が降下していった。
 地上はすでに漆黒の闇に沈んでいる。
 ・・・グッドラック。
 威圧的に冷気を放っていたキラーも、大事そうなリュックを前抱えにして飛び降りていった。
 中身はわからないが、蛇窟島からずっと大事に扱ってきたリュックだけに、何かしらの秘密兵器だろう。
 ・・・一方的で独断的で恐ろしく自己中な人だったが、何故か憎めない人だったな。
 レーサーは荷物を下ろして一つ目の役目を終えた軍用機の高度を上げながら、わずかな開放感を味わっていた。
 …コンコン……
 計器をペンの先で叩かれる。
 助手としてまだ横にいる黒尽くめのキラーの部下が、「気を抜くな。」と言いたげな冷たい目で睨んでいる。
 ・・・いいじゃねぇか!
 ・・・ちょっとくれぇ、心の手足を伸ばしたって!
 レーサーは言ってやりたい文句を胸に押し込め、次の役割を果たす為、落としていた速度を再び加速させた。
 ・・・ックショォーッ!
 ・・・この仕事が終わったら、絶対ぇー長期休暇を取って、F1レースをブッ走ってやるぜぇぇーーッ!!
 …コンコン……
 助手が目的地の方向を再び叩く。
「ラジャー!」
 レーサーはアルファベットの男に返事をすると口を引き結んだ。


 アルミバントラックが合流地点に到着した。
 キラー達の所在はすぐにわかった。
 岩陰で炎が上がっている。
 近付いて、それがキャンプ用ではなく、穴を掘った中で何かを燃やしているのだとわかる。
 ・・・パラシュートの処理か。
 ・・・いつもながら抜かりがないぜ。
 コウメイは、トラックから降りて、キラーの前に走り敬礼する。
 続いてハッカー、後続車からも、ボム、ドルフィン、スナイパーが次々と駆け寄り、キラーに敬礼した。

 キラーは自分の部下に荷物の点検を指示すると、
「ボスの監禁された場所が判明した。聞いてるか?」
と、すぐに次の計画の打ち合わせに入った。
「はい。上海から北へ100km、海沿いの製鉄工場ですね。最近になって従業員の入れ替えと工場設備の補強、新しい従業員宿舎建設など、動きが活発で怪しいとか・・」
「怪しいだけで結論を出す兄じゃない。」
「はい。」
「タブが上海のドクターと合流しただろ?・・天龍の白鈴派を捕まえて薬で吐かせたそうだ。」
「あ・・なるほど。」
 コウメイは途中の山間部で通信が途切れ、詳しく聞いてなかったことを悔いた。
 何かにつけては、弛んでいる、とキラーに叱責されるので、キラーに隙を見せたくなかった。
 だが、気持ちが急くキラーは、
「工場見取り図と各施設の見取り図を用意しろ。」
と、次の指示を出した。
「了解。」
「30分以内だぞ。」
「了・・・」
「えー・・・だって重要機密でしょう?1時間貰わないと・・・」
 コウメイが返事するのに割り込んでハッカーが抗議した。
 コウメイは慌ててハッカーの口を塞ぎ、そのまま通信機器とIT器材を積み込んであるアルミバンへと引きずっていく。
 暗闇でも冷たく光るキラーの目が、「お前は能なしか?」とハッカーを睨んでいる。
 バンに乗り込んだコウメイが、
「口答えするなと言っただろう。キラー将軍が30分と言ったら20分でしろ。」
と、ハッカーの耳元で囁く。
「けど、ワードもいないのに、パスワードを探すのだけで一苦労ッスよ?」
「わかってる。・・ちょっと待て。」
 コウメイがメモ帳を取り出し、目を細めて虚空を睨み、メモ帳にペンを走らせた。
 数パターンの数字とアルファベットが組合わさったものを書き出していく。
「公華中央商社の製鉄工場である以上、設備資料は本部のデータバンクに入ってるはずだ。幾つかのガードロックはこれで開くはずだから、後は潜入に気付かれないよう奥を探れば見つかるはずだ。」
「・・副隊長・・・」
 ハッカーが尊敬の眼差しをコウメイに向けると、
「じゃぁ、しっかりやれよ。」
と、ハッカーの頭を撫で、コウメイはキラーの元に戻っていった。

「随分甘やかしているもんだな。」
 コウメイが戻ると、キラーは疎ましげな視線を投げつけた。
「申し訳ありません。まだ実戦経験が浅いもので。・・それで、福建省の方はどうされました?」
「あそこは部下5名に任せた。」
「・・5名ですか・・・」
「白鈴派など所詮一部の造反分子に過ぎない。白鈴派の主流と別れて既存のアジトを乗っ取るとなると、幹部他組織員達を監禁し監視するぐらいが限度だろう。」
「確かに。」
「部下達は既存のアジトの見取り図は全て頭に入れてきてある。潜入してから1時間もあれば白鈴派全員処分できるはずだ。用が済めば、アジトのヘリでこっちに向かうことになっている。 幹部がいてヘリの用意してないアジトなど、あるはずがないからな。」
「なるほど。」
 コウメイは感心したように頷く。
 キラーは、喰えない奴、と舌打ちして目を眇めた。
 コウメイがハッカーの話題を逸らしたことくらい承知しているが、今は気に入らない奴でも協力してマサト達の救助に専念しなければならない。
「では、香港の天龍No.3にそう連絡しておきましょう?」
「いいだろう。」
「了解。」
 敬礼したコウメイは通信室へ向かった。

 ハッカーがハッキングで写し取った製鉄工場の工場見取り図と各施設の見取り図を見ながら、キラーとコウメイが作戦を練っている時、ドルフィンが気を利かせてコーヒーを入れて皆に配った。
 キラーはカップを顔に近付けて香りを嗅ぎ、
「いい香りだ。入れ方が上手いな。」
と、ドルフィンに言った。
「ありがとうございます。」
 ドルフィンはどんな時でも美しさを失わない優雅さで微笑む。
「うむ・・・」
 頷いたキラーはイスから立ち上がり、数歩前に歩いてから、北の暗い空に向かってカップを掲げた。
「・・・ボス。・・・今すぐにでも、ボスにこの香りをお届けしたい。」
 月明かりにキラーの横顔が青白く浮かぶ。
 眉間に苦悶のシワを刻み、唇を悲しみに震わせている。
「・・・今・・・どんな思いでおられることか・・・」
 キラーは一度カップに唇を押し当てると、もう一度掲げた状態で、中身を地面にこぼした。
 ・・・うわッ・・・勿体ないだろぉ?
 ドルフィンが心で呟く。
 それを見ていたキラーの部下達も、キラー将軍に続け、とばかりにマサトに捧げるように手を掲げ地面に流してしまった。
 ・・・お〜い〜・・・捨てるなよなぁ〜〜・・・
 ボス達へは救出した時に、また入れればいいのにさ、と思うドルフィンが微かに首を振る。
 コウメイはキラーに見えない方の片頬に苦笑を浮かべ、音をさせないように急いでコーヒーを飲み干した。
 ボムとスナイパーは背中を丸めて見てないフリをし、ハッカーはボムの大きな躰に隠れながら恐々と覗き見ていた。
「・・では、出立するぞ。」
 振り向いたキラーが号令する。
「了解。」
 コウメイ他一同、気を引き締めて敬礼した。


 製鉄工場社員宿舎別棟。
 工場エリアに近い社員宿舎から少し離れた、小高い丘に建てられた別棟は、外観からして立派な建物である。
 別棟の展望ルームとも言えるフロアからは、社員宿舎も製鉄工場も一望に見渡せ、更にその向こう側に海を見ることも出来る。

 白鈴は大きな窓に寄り掛かり、シャンパンを細長いグラスで飲みながら、闇に霞んでいく水平線を眺めていた。
 用意させた大きなテーブルには燭台の蝋燭が赤い炎を揺らめかせ、セッティングされたブランドの食器や銀食器が晩餐の時を待ってキラキラと輝いている。
 …コンコン……
『どうぞ。』
 白鈴はドアに視線を向けて答える。
『失礼します。・・お連れ致しました。』
 タキシードを着た部下がドアを開けて白鈴に深々と頭を下げる。
 その後ろから、部下とは比べ物にならない立派なタキシードを着たマサトが部屋に入ってくる。
 白鈴は満足そうに目を細めて、
『あぁ、やっぱり良くお似合いだわ。急ぎ取り寄せたから少し心配だったけど・・・サイズもピッタリのようね。』
と、鼻に掛かった甘い声で言った。
『・・・白鈴嬢。今度はどんな気紛れですか?』
 マサトは溜息まじりに尋ねる。
 ――あの暗い部屋から出され、シャワーを勧められ、この服を着るようにと、白鈴の部下が恐々と指示した。
 取り敢えず逆らう気もないので従ったが、胸元の豪華なレース使いに呆れて、鏡に映る自虐的な笑みを、櫛で髪を撫でつけながらどうにかしまい込んだ。――
『いいでしょう?・・・あなたを縛るのは縄でも監禁室でもない。人質がこちらにある限り、あなたは手も足も出ないんですもの。扱いさえ間違わなければ・・・牙を抜かれた情けない蛇よ。ホホホッ。』
 白鈴は手首を折られても尚、マサトへの執着が消えないらしい。
『せっかくですもの。楽しく晩餐にしましょう?・・フフッ。』
 白鈴はマサトに席を勧め、自分も向かい側に座った。
『・・・部下へは手を出してないだろうな?』
『もちろんだわ。・・・晩餐ほどではないけれど、丁重にお持てなしするように指示してあるのよ?』
『・・・なら、けっこう。』
 マサトは無表情のまま席に着いた。

 別棟の三階。
 ホテルのスィートルームを思わせる客室があった。
 窓は外から厚い板を打ち付けられ、電話もテレビも取り外されていたが、シャワールームとトイレも完備され、電灯もつくので、特に困ることはなかった。
 ここには、メンテとワードと島田が収容されている。
 それなりにディナーと呼べる夕食が運ばれ、テーブルに向き合って黙々と食事する。
 食事を運んだ白鈴の部下達が、立ち去る廊下で愚痴をこぼした内容を聞き、マサトが無事であることを知ってホッとしたので、ようやく出された食事に手をつける気になれた。
 監視カメラと盗聴器が取り付けられていることは、すでにメンテが見つけていたので、会話には細心の注意を払っている。
 黙々とする食事風景だったが、実際には監視カメラから手元を隠して手話で会話していた。
{「そろそろ行動を起こした方がいいのでは?」
 島田がSSSメンバーの二人に尋ねる。
{「ボスはわざと白鈴の策に嵌ってここまで来ているのですから、もう少し待った方がいいと思いますね。」
 マサトと一緒に拉致されたワードが反論する。
{「電気系統をショートさせてこの部屋を出るくらいなら簡単だが、ヘタに動くと付いて来れない奴等が危険になるからな。」
 空港で先に田代を捕まえられてしまい、手が打てなかったメンテが顔をしかめた。
 同じく福島を庇った為に右腕を負傷し、あえなく捕縛されてしまった島田も、スープをスプーンで口に運びながら小さく頷く。
 それでもかなりの抵抗をした島田は、顔が腫れ上がり、傷のある唇にスープが染みて眉を寄せた。
{「白鈴の目的はジャックとの対立ではなく、ボスへの執着ですから、すぐに危険が迫るということはないでしょう。」
{「そんなにご執心なのか?」
 メンテはどうにか使える物はないかと考えを巡らせながら、パンに囓りつく。
{「まるでそれが決まっている運命のように思い込んでいるようですよ。」
 ワードは狂宴を思い出し、溜息を吐いた。
{「やれやれ。厄介なことだ。」
{「ですが、桂という男には別の思惑があるようです。油断出来ない男です。」
 裏を探っていた島田は桂と対面していた。
{「楊という人物は実直そうでしたが、その実直さがアダになって、ボスの逆鱗に触れたようですね。」
 一時騒然となった時、廊下で誰かが例の一件のことを叫んでいた。
{「ボスを甘く見るからだ。」
 メンテはワードが手をつけないステーキを自分の皿に移した。
{「桂が首謀者なのか、・・・まだ黒幕が隠れているのか、・・・そこが問題でしょうね。」
{「・・・そうだな。」
 メンテが綺麗にステーキを平らげ、誰も声を出さない食事は静かに終了した。

 別棟、地下倉庫。
 細い天窓だけがある小さな倉庫に、若松と田代と福島が収容されている。
 電灯は玉が外されているが、月明かりが天窓からわずかに差し込んでいる。
 天窓の外に時々、靴を履いた足影が映る。
 そこが地上になっている、半地下のようだった。
「・・ぅぅぅ・・・申し訳ないッス。・・・何もかも俺のせいで。・・・俺が不甲斐ないばっかりに。」
 福島も島田同様腫れ上がった顔で、メソメソと泣いて詫び続けている。
 島田と福島を拉致した桂は、抵抗出来なくなってもまだ二人を叩きのめしていた。
 意識を失って転がされていた福島を田代と若松が介抱したのだ。
「それを言ったら俺だって・・・」
 田代もグシュグシュと涙顔で鼻を啜る。
「泣くな。・・・泣いても始まらない。」
 若松は壁や天井を隈無く調べ回っている。
 監視カメラや盗聴器の類はなく、押し込めておきたいだけらしい。
 普段、普通の倉庫として使われている場所のようで、ここにあった荷物を運び出した時に落ちたらしい金属片を、壁の隙間に差し込んだりしている若松は、今自分が取るべき行動を探っていた。
 …ドンドンッ!
 ドアを足で蹴るような音がし、
『食事を持ってきた。ドアを開けるがこっちには銃を構えた者が控えていることを忘れるな。』
と、断ってからドアの鍵を開けた。
 若松は金属片を隠して壁際に踞る。
 自分一人なら銃を構えた男が何人いようと逃げ出すことは可能だが、酷い怪我で動けない福島を担いで逃げるとなると難しい。
 それ以前にマサト自身が行動を起こしてない以上、自分が勝手な行動は取れない。
 ・・・ボスならお一人でもここにいる奴等を全滅出来る。
 ・・・第一、何らかの思惑がなければ、ここまで大人しく連行されるはずがない。
 ・・・まずはボスの指示を仰がなければ・・・。
 若松は絞め殺したくなる敵の顔を見ないように、膝を両腕で抱えてうつむいた。
『お前等にもスープとパンを喰わしてやる。』
 そう言って嘲笑をもらした男は、乱暴に料理の入ったトレーを床に置き、手早く外へと逃げてドアを閉めた。
 一応気を付けるようにと注意はされているようだ。
「・・・チクショォ・・・俺達を豚みたいに扱いやがって・・・」
 田代が悔しそうに呟き、また鼻を啜る。
 わずかな月明かりも、時々月に雲がかかると倉庫の中は暗闇に沈む。
 明かりが少し差し込んでも、足元は相当に暗い。
 若松はトレーを田代の前に持っていき、
「パンをスープに浸して福島に食べさせてやれ。少しでも体力が落ちないようにしてやった方がいい。」
と、静かな声で言う。
「・・・若松さん・・・」
「・・クゥゥ・・・済みません。・・・俺みたいな奴のことまで・・・」
「ボスの御意志だ。・・・ボスは見捨てない。ボスは諦めない。・・・だから、俺達も頑張ろう。」
「・・は・・はいッ。」
「・・・それに・・・みんなで日本に帰らないと、姫が泣かれる・・・」
「そ・・そうッスよねッ。・・・福島、生きて戻ろうな?・・頑張れよ?」
「・・・・・うッス。・・・俺達の天使に会いたいッス・・・」
 若松は闇の中で、フッ、と笑みを浮かべて頷いた。
 そして再び、何処かに隙はないかと調べ始めた。

 微かな月明かりの中、それぞれの思いを包み込み、静かに夜は更けていった。

<53>
「救出作戦」
§53§「救出作戦」

 …カリ……ゴリゴリ……ミシッ……
 地下二階にある鉄扉の牢獄。
 さっきから天井で怪しい音がしている。
 晩餐を終えて、白鈴に『ベッドで寝るか、地下の穴蔵に戻るか』と聞かれ、地下を選んだマサトは、再び真っ暗な密室に戻ってきていた。
 ベッドで寝る、ということは、白鈴を抱く、という意味であることぐらいわかってる。

 ――どこまでも権力で人が動くと勘違いしているお嬢様だ。
 そもそも闇世界で生きる者が、高価な物を身に着けたり贅沢な暮らしをするのも、地表をまっとうにお日様の光を浴びて歩けない屈辱を忘れる為なのだ。
 地表を穏やかに歩けないなら、いっそ天上の目映く煌めく世界を手に入れてやる。
 闇世界でそれなりの地位になるとそう思うのもわかる。
 マサト自身、多少その傾向はあると自覚している。
 だが、闇の苦労も知らず、天上の生活しか知らないお嬢様は、煌びやかで贅沢な暮らしだけを求めるようになるらしい。
 その生活を支える為に、どれほどの血と涙と悲鳴が踏みつけにされてきたかも知らず・・・。
 精神レベルの天上を目指す人々をマサトは否定しない。
 けれどそこにも厳しさはあるだろう。
 脱落者を切り捨て振り向きもせずに突き進む光の道があれば、混沌とした地獄から這い上がろうと足掻く魑魅魍魎が目指す闇の獣道もある。
 光の冷たさと闇の冷酷さ・・・
 どちらを選ぼうと、自分で勝ち取る努力をせずに、成功は転がり込むものじゃない。
 どちらも選ばず、人と争わず平和に生きる人々が、一番優しいのかも知れない。
 穏やかな日溜まりにこそ、魂の安らぎがある、とは思う。
 そう思っても手に入らないからこそ、戦う獣道を選んだのだ。
 長い苦難の歴史は、天龍の方が遙かに深いだろうに、長く受け継がれてきた積年の遺志を見出せない思い上がりが悲しい。――
 マサトは蝶ネクタイを外し、汚らわしい!、とばかりに、床に投げ捨てた。

 …ゴシゴシゴシ……ミシミシッ……ベキッ……
 天井板が剥がれる時、些か大きな音がしてしまう。
 廊下の電気が灯り、監視係の足音がしたので、マサトはタキシードの上着を脱いでストレッチを始めた。
 そして監視係が覗き窓から中を覗いた時、壁を蹴るように体を動かした。
『何をしているッ?』
 監視係は自分の頭で廊下からの明かりを塞いでいるので、室内が暗くて良く見えず、目を凝らして怒鳴った。
『豪華な食事をしたら、胃がもたれてね。少し消化を早めようと運動している所だが?』
 マサトは監視係にお構いなく体を動かし続けている。
 体を捻ったり、足を高く上げてジャンプしたり、足や手を壁や床にワザと音をさせるように叩き付ける。
『もう夜中だぞッ。煩くするなッ。』
『ここには昼も夜もない。時間もわからないのに、勝手なことを言うな。・・それにお前は寝ずの番だろ?眠いなら入って来るか?眠気覚ましの運動に付き合ってやるぜ?』
 監視係は、ギクッ、として押し黙った。
 相手は化け物なのだ。
 両手を後ろで縛られ目隠しされていながら、一瞬の内に三人の仲間を惨殺し、それを目撃した楊は砕けた手と一緒に心まで砕けてしまった。
『・・か・・勝手にしろッ。』
 監視係は鉄扉があるにもかかわらず、恐ろしげに後ずさりすると、そそくさと逃げ出した。
 廊下の明かりが消え、奥の方からラジオらしい音が聞こえてくる。
 マサトの立てる音が聞こえるだけで背筋が寒く感じる監視係が、ラジオのボリュームを上げたようだ。
 ・・・クククッ。好都合だぜ。
 マサトが冷たい笑みを浮かべた時、天井パネルが一枚外され、暗闇の中音もなく姿も見えない気配が忍び寄った。

「ボス。遅くなりました。」
 マサトの顔の間近で囁く声がする。
「若松か。・・どうだ、皆の様子は?」
 運動をやめたマサトも声を潜めて話す。
「はい。地下一階の物置に私と一緒にいた福島がかなり酷い怪我をしております。もう一人田代は元気です。・・三階のゲストルームにはメンテ、ワード、島田がおりますが、島田が右腕を負傷してます。三階のメンバーは監視カメラと盗聴器で身動きが取れないようです。」
「怪我人は福島と島田か・・・手当は?」
「島田は弾が貫通しており止血と消毒をされたようですが、福島は特に施されてません。肋骨と足を骨折してる他は詳しくわかりませんが、消耗が酷いようです。」
「・・・そうか。」
 マサトは怒りのこもった溜息を吐いた。
「それにしても、白鈴は人質を三ヶ所に分けると言ったが、同じ建物内とは安易だな。・・お前の所は動けるのか?」
「はい。普通の倉庫だった所なので、用がない限りドアが開けられることはありません。・・最新の地下構造だけに、換気を充分に配慮したエアーダストが各部屋に通ってますので、それを利用してここまで来ました。」
「所詮、一般の建物は要塞にはならないってことだな。」
「はい。」
「戒が、張り合いがない、と文句を言いそうだ。ククッ。」
「キラー将軍は、難攻不落な要塞ほど、燃えられますからね。」
 元部下らしく、若松は尊敬を込めて言う。
「連絡したのが昨日の昼。・・ほぼ36時間が経過しているし、明け方前には、戒の方にも動きがあるだろう。」
「おそらく。」
「こちらの状況を伝えておくか。」
「この建物にも通信室がありますが、常時数名が待機しております。」
「お前ならここを抜け出せるだろ?」
「はい。」
「深夜に一番警戒が手薄なのは工場だろう。事務所に人がいないようなら、そこの電話を使って景山に連絡すればいい。景山から戒に伝わる。」
「はい。やってみます。」
「後は元の倉庫に戻って、二人についていてやれ。」
「了解。」
 若松は再び音もなく天井の抜け穴に戻っていった。


 ・・・いい抜け穴だな・・・
 若松が立ち去ってから、マサトも豪華なレース使いのシャツを脱いで上半身裸になり、靴も脱いで裸足になると、穴に飛び付き昇ってみた。
 各階ごとに各部屋へと通じているエアーダストは、地下から屋上まで抜ける煙突状の吹き抜け穴に繋がっている。
 つかまる所はないが、両手両足をストッパーにすれば、自在に上の階へも行けるようになっている。
 マサトは蛇のように音をさせずに各部屋の様子を探った。

 始めに地下二階を監視する部屋を覗くと、あれだけボリュームを上げたラジオが流れる中、長椅子に横になっていびきをかいている監視係がいた。
 ・・・これなら少しはゆっくり観察してまわれるな。
 マサトは白鈴より気になっていた桂を調べたかったのだ。
 姑息で抜け目がない男のようだが、これだけ大それたことを計画出来るだけの覇気は感じられない。
 白鈴自体は、煽てられ持ち上げられて利用されているだけ、のようにしか見えない。
 となれば、黒幕が必ずいるはずだ。
 マサトは桂という男の部屋を探した。

 桂は自分からマサトを手招きしているかのように、ブツブツと文句を言っていた。
 声を頼りに桂の部屋に辿り着く。
『まったく、ボスはいつまで白鈴の機嫌を取れと言うんだ。』
『あらぁ・・・でも、白鈴様が次の首領様になられるんでしょう?』
 桂はメイドの一人を寝室に引き入れていた。
『フン。天龍を全て手中に収めるまでの傀儡首領だがな。』
『傀儡?・・・クスクス・・・何だかかつての皇帝みたいね。』
 メイドはあまり興味なさそうに笑う。
『そりゃそうさ。天龍は、政治家でさえ顔色を伺い、政治資金や献金目当てに頭を下げてくる、巨大龍だぜ?・・富も名誉も権力も、今や皇帝を凌ぐってものだ。』
『じゃぁ、贅沢もやりたい放題ね?』
『あぁ。いずれ俺がボスの右腕として組織を牛耳れば、何だって買ってやるぜ。』
『あはん・・・楽しみだわぁ。』
 哀れなメイド。
 そうなった時には捨てられるだろうことは想像出来ないらしい。
 これだけ権力欲の強い男が、メイドに本気で惚れたりはしないだろう。
 プライベートタイムの深夜、ベッドでメイドを抱くのに、服を脱ぎもしない男の不誠実さに気付かない。
 メイドはシンデレラを夢見て、うっとりと目を潤ませ喘ぎ声を上げる。
 と、携帯電話の呼び出し音がする。
 桂はメイドから離れ、
『黙ってろよ、いいな?』
と言って携帯を手に取った。
『はい。――あ、ボス。――いえ、別に異常はありませんが。――え?福建省の仲間と連絡が取れない?・・さぁ、心当たりはありませんが・・――ジャックが探っている?――まぁ、あちらも配下の者達だけでなく、総帥が姿を消したとなると当然かも知れませんが・・――いやぁ・・・白鈴には落とせないようです。こうなったら白鈴諸共始末しますか?――ボスが?・・どうでしょう・・話して聞く相手ではないと思いますが・・――国際フォーラムの方はよろしいのですか?――はい。わかりました。充分注意します。――はい。』
 桂は通話を切ると溜息を吐き、服を整え始めた。
 マサトはここまでだな、と急いで地下の監禁室に戻ることにした。

 ・・・国際フォーラムに出席している天龍の大物か・・・
 監禁室に戻ったマサトが鬱陶しいレースのシャツを着ていると、流れていたラジオの音が消され、代わりに、
『寝ていて仕事になるかッ!役立たずめッ!』
と、桂の怒鳴り声が聞こえた。
 廊下に明かりがつき、足音がして桂が中を覗き込んだ時、マサトは覗き窓に向かって拳を勢い良く繰り出した。
 桂は慌てて後ろに飛び退いたが、拳が覗き窓を突き抜けるはずもなく、マサトは鉄扉の寸前で止め、今度は横向きになってシャドーボクシングを続けた。
『・・・暗闇でもトレーニングですか?』
 桂は自分が不甲斐なくも一瞬恐怖を覚えたことを隠すように、苦笑いを浮かべて皮肉げに言った。
『監視係が、勝手にしろ、と言ったから、勝手にやってるまでだ。気にするな。』
『・・・いいですけどね、別に。』
『そちらも夜中まで見回り、ご苦労なことだ。』
『・・・・・白鈴様が心配されてますので、様子を伺いに来ただけです。』
『ほぅ・・・』
 マサトはシャドーボクシングをやめて桂に視線を向ける。
 睨んでいる訳ではなかったが、見られるだけで風圧を感じるほどのオーラに圧倒される。
 桂は気圧され気味の気持ちを奮い立たせ、
『このような場所にジャック総帥をお留めすることは本意ではありません。天龍はジャックとの盟約を維持していきたいと思っているのです。』
と、背筋を伸ばして言った。
『勿論、俺もそう思うが・・・』
『天龍が天龍であれば、首領が替わろうとジャックには関係ないのでは?』
『確かに。・・内政干渉はしないのが原則だろうな。』
『では、お約束頂けますか?』
『部下を殺し、拉致し、危害を加えたのはどっちだ?』
『・・・それは行き掛かり上、仕方がなかったのです。』
『都合のいい言い分だな。』
『ご理解頂けなければ・・・戦争ですね。』
『内輪もめも片付かないで戦争を起こすって?』
『ジャックも総帥や主要メンバーを失っては弱体化するでしょう?』
 マサトは腕組みをし、桂を睨み付けた。
『もう、お前と話すことはない。消えろッ!』
 マサトの怒号が地下に響く。
 桂は頬を痙攣させながら、
『そうした態度をいまに後悔させてあげますよ。』
と、無理に笑うと、足早に立ち去っていった。
 マサトは、胸糞悪いぜ、と再びシャツを脱ぎ捨てた。


 トラックで移動中のキラーの元に景山から連絡が入る。
 若松からの詳細な状況報告である。
「ヒュ〜・・・さすがジャッキー補佐官。」
 ハッカーが口笛を吹いて感心するのを、
「これくらい、私の部下なら当然だ。」
と、制したキラーは、
「あぁ・・・ボスを地下牢に幽閉するとは・・・何て不敬な奴等だ。・・・許さん。・・・許さん。・・・許さん。」
と呻くように呟き、歯軋りをした。
「怪我人がいるとなると、作戦も慎重を期しますね。」
 コウメイが気遣わしげに眉を寄せる。
「若松がついていれば問題ない。・・・だが、ボスのご心中を思うと・・・敵共を一人残らずこの手で心臓を抉り出してやりたい・・・」
「キラー将軍。白鈴は無傷で捕獲するように、というボスの命令もお忘れなく。」
 コウメイは片眉を聳やかして進言すると、そっとコメカミを指で押さえた。
 製鉄工場は間近に迫っていた。
 キラーはトラックの中で最終的作戦を立てて、皆に伝達した。

 トラックは1km手前で降り、後は慎重に製鉄工場エリアに近付いていく。
 皆、必要な装備と荷物を担ぎ、イヤホンと小型マイクをつけて、音を立てないように小走りで数班に分かれていく。
 キラー率いる数名が先頭をいき、キラー部隊を振り分けたコウメイ班、スナイパー班、ボム班が別経路で社員宿舎別棟を目指す。
 ドルフィン班は工場エリアに向かい、他にもキラー部隊の者達が要所を押さえる為に続く。
 ハッカーはドルフィン班で補助にあたる。
 本当は通信機の本体の操作をしたかったのだが、キラーの部下にその役目を取られてしまった。
 コウメイの「実践経験が少ない」という言い訳に、「なら実践を積ませてやろう」としっぺ返しをされたようだ。

 ともかく、こうして夜陰に紛れた救援部隊の潜入が始まった。


 桂が去ってからかなりの時間が経過した。
 ・・・まだ夜明け前か?
 ・・・戒はまだか?
 マサトは壁にもたれて目を閉じていた。
 と、気配を察知し、身構えて様子を伺う態勢をとった。
 …カチャリ……
 鉄扉が開かれた。
「ボス・・・お待たせしました。」
 そう言ったキラーは小さなライトで室内を照らした。
「戒。・・表から来たのか?若松が開けた抜け穴もあるのに。」
「坊ちゃまをそのような卑しい場所からお救いするなど、私には出来ません。」
 そう言ったキラーは、大事そうに背負っていたリュックを下ろし、
「ささ、そのような忌まわしい敵の服など早急に脱ぎ捨てなさいませ。こちらに坊ちゃまに相応しい服を用意して参りました。」
と、中身を取り出した。
「・・ククッ。相変わらずよく気が回るな。」
 マサトは手早くキラーの用意した黒尽くめの戦闘服を纏った。
 皆と同じ通信用のイヤホンとマイクも装着する。
「で、他の者達は救助したのか?」
「坊ちゃまの合図を皆が待っております。どうぞ、号令を。」
「そーゆーことか。・・ま、いいだろう。・・・だが、戒。」
「はい?」
「皆の前でその”坊ちゃま”はやめてくれ。」
「あ・・はい。・・・心得ているつもりですが・・・失礼致しました。」
 キラーが恭しく傅く。
 マサトはムズ痒さに眉根を掻いてから、
「では・・・始めよう。」
と言って、マイクをONにし、
「皆、よく来てくれた。労いの言葉は後にするが、今一言感謝したい。ありがとう。・・皆、命を落とすな。・・Go!!」
と、作戦開始の号令をかけた。

 ≪♪タリラァ〜〜タラリラルゥラ〜〜♪≫
 大音響で「トッカータとフーガ」のパイプオルガン曲が流れ出した。
 ・・・はぁ?
 マサトが呆れ顔でキラーに視線を向ける。
 キラーはニンマリと笑みを浮かべ、
「坊ちゃまの脱出作戦に花を添えてみました。」
と、音に掻き消されながら答えた。
 ・・・くぁ〜〜・・・これだからなぁ・・・
 マサトは今更止めようもなく、大音響の中、上の階を目指し行動を起こした。
 キラーも後に続く。
 ドルフィンの奏でる大音響は場内放送のスピーカーを通じて、工場から宿舎から別棟まで、全てに響き渡る。
 寝静まっていた深淵の闇の演奏会。
 驚き慌てふためいて飛び出してくる者達が、朝日を見ることはなかった。

 もっとも従業員達や天龍組織とは関係のない者達は、催眠ガスによって先に眠らされていたので、朝まで熟睡していた。
 そして、頭痛を覚えながら、いつもより遅く起きた彼等は、天龍の組織の人間が全て消えてしまっていることに、ほどなく気付くのである。

 赤々と燃える溶鉱炉は、いつもより不気味な色をして揺れているようだった。

<54>
「悪魔」
§54§「悪魔」

 二月下旬の寒い朝。
「行ってきます。」
と言って、玄関を出たミツルは、風に乗って舞い落ちる牡丹雪がまぶたに当たり、長い睫毛を瞬きして振り落とした。
 コートの衿を立てて歩き出そうとすると、
「お兄ちゃん、待ってよぉー。」
と、家の中からミルクの声がする。
 立ち止まって振り返った時、ミルクも玄関から出てきた。
「うー…寒ぅーぃ……」
「コートも着ないで出て来たら、風邪引くぞ。」
「お兄ちゃんこそぉ…ほらぁ、カイロ持ってよぉ。」
 ミルクが手の中で暖めていたカイロをミツルに渡す。
「・・・こーゆーのは好きじゃないのに・・・」
「だって、指がかじかむと字がしっかり書けないよぉ。ポケットに入れておいて、試験が始まるまで暖めておけばいいじゃん。」
 ミルクも睫毛に乗った雪を瞬きして落としながら、ちょっと口を尖らせた。
「・・・わかったよ。」
 ミツルは小さく微笑み、カイロをコートのポケットに入れた。
「小百合さんと麗子さんから貰ったお守りは持った?」
「あぁ。一応バッグに入れたから・・・」
「他にもいっぱい貰ったみたいだけどぉ、それも持ったぁ?」
「一応な。・・・まったく・・・荷物になって困ってるよ。」
「みんなの応援の気持ちだもん。大事にしなきゃ。」
 ・・・合格したら、さっさと護摩焚き供養して貰うさ。
 ・・・お守りの押しつけも、あまりありがたくないぜ。
「もういいから・・・家に入れよ。」
「…ぅん……お兄ちゃん、頑張ってね。」
「まぁな。あまり気負うのもかえって緊張するから、いつも通りに頑張るよ。」
「うん。……雪、積もらないといいけど……」
「牡丹雪だから、すぐ溶けるだろ。」
「道が滑りやすいから気を……ぁ……」
 ミルクは”滑る”という言葉を使ってしまったことに慌てて口を押さえた。
「そうだな。滑らないように気を付けるよ。」
 ミツルは手袋をはめた手で、ミルクの髪についた雪をそっとはらった。
「じゃぁ、行ってくるな?」
「うん。…行ってらっしゃい。」
 ミルクは両手を合わせて白い息を吹きかけるようにして言った。
 今日はミツルの大学受験の日。
 明け方から降り出した雪の影響を考慮して、早めに家を出たミツルだった。

 ミツルがミルクに背を向けて門に向かった時、
「よぅ!・・見送りに来てやったぜ。」
と、マサトが門柱の影から顔を出した。
「あ〜!…マサトぉ〜…お帰りなさぁ〜い!」
 羽が生えて飛んでいきそうな声を出したミルクが、満面の笑顔で手を振る。
 ミツルは神聖な空気を乱された気分になって、ムスッ、として視線を外し、
「それは、わざわざどうも。」
と、儀礼的に言って、マサトの脇をすり抜けた。
「生憎の天気だな。俺の車で送って行こうか?」
「けっこうです。」
 ミツルは振り向かずに答え、足早に駅へと向かった。

 代わりにミルクが玄関からの緩い坂のスロープを駆け下りてくる。
「マサトぉ〜……」
 体当たりするように胸に飛び込み、抱きついた。
「ミルク・・・」
 マサトは微動だもせずに受け止め、抱き締めた。
 そして、ミルクの髪を撫で回して頬ずりをし、唇を重ね合わせた。
「……ン……ァン……ァフッ……」
 いきなりの濃密なキスに、ミルクは腰がくだけそうになり、カクンと膝が折れてしまう。
 マサトは体が崩れそうになったミルクを抱き上げ、腕の中で更にキスを繰り返す。
 ミルクはマサトの首に腕を回し、頬や髪を指先で撫でて甘える。
「……アンン……マサトぉ……」
「ミルク・・・会いたかったぜ。」
 ようやく顔を離したマサトは、じっとミルクを見つめ、白く煙る熱い息で言った。
「…ぅん。…ミルもぉ……」
 ミルクもマサトを見つめて答えるように言うと、鼻先を擦り合わせた。
 マサトは愛おしさを込めて微笑み、
「いい子にしてたか?」
と、鼻先を擦り返し、チュッ…チュッ…と軽いキスを顔中に降らせる。
「うん。…ぁ…タップが得意になったかもぉ〜…フフッ……」
「タップ?」
「うん。卒業生を送る会でぇ、チャレンジクラブがする出し物なのぉ。」
 ミルクは丸めた手で顔を擦るマネをして見せる。
「・・・猫役?」
「…ヘ?…んっとぉ…悪魔役ぅ……」
「・・・じゃぁ、その手は何だ?」
「アハハ…猫耳つけた悪魔だってぇ〜…クスクスッ…おっかしいねぇ〜…クスクスクスッ……」
「クスッ。・・そうだな。クックックッ。」
 ミルクの笑い声がくすぐったくて、マサトはよく意味がつかめなかったが、一緒になって笑みをこぼした。
 何の役にも立たないような他愛のない話でも、ミルクにはとても重要で一生懸命なことであり真剣に取り組んでいるということが、マサトには愛おしくてたまらない。
「明後日が本番だからぁ、後二日、頑張って練習しなきゃ。」
「・・・そうかぁ・・・このまま攫って行きたかったんだがなぁ・・・」
 ミツルの受験の見送りは口実だった。
 昨夜遅く帰国したマサトは、事後処理の打ち合わせや対策に追われて、ミルクに帰国した連絡が出来なかった。
 ここ数日一睡も出来ない。
 それでもミルクの顔が見たくて、ミツルの受験日であることを思い出し、牡丹雪の中、車を飛ばして会いに来たのだ。
「…ごめんなさぃ……」
 ミルクはマサトの腕に抱きかかえられた状態で、上目遣いに長い睫毛を瞬きさせる。
 雪がまた長い睫毛に留まる。
 マサトの髪にも肩にも雪が降る。
 後数日で三月だというのに、本当に生憎の雪となった。

 ミルクが瞬きをして睫毛の雪を振り落とした時、ドキッ、としてマサトの肩越しに視線を向けた。
 ミルクの視線に、チラッ、と冷たい一瞥で返した男が、
「坊ちゃま。雪で濡れますよ。」
と、マサトの髪をハンカチで拭き始めた。
 マサトは目を眇め、
「・・・戒。・・・何でお前がここにいる?」
と、振り向かずに言った。
「坊ちゃまが悪魔に誑かされてないかと、様子を伺いに。」
「戒ッ。俺の妻を侮辱したら、お前でも許さんぞ。」
「は?・・・おや。そこにどなたかいらっしゃいましたか。存知ませず、失礼致しました。」
 戒は気にせず、マサトの肩を拭き始める。
「・・・お前の仕事はここにはない。・・・誰だ?香港に行った景山の代役を買って出たのは?」
「勿論私ですとも。・・ただ、日本は本当に久し振りですので、日本の生活の感覚が戻りません。少し周囲を観察して慣れる必要があるようです。」
 戒は、ずっと蛇窟島に押し込められていたことを、恨みがましく臭わせる。
 「重要拠点だからお前に任せる。」と言われたものの、ミルクという女が現れて以来、マサトが蛇窟島に来る機会がグンと減ったことも、面白くなかった。
「慣れたいなら他で慣れろ。」
 マサトはミルクを抱いたままグルリと振り返った。
 マサトと戒に挟まれた状態になったミルクは、恥ずかしそうに肩をすぼめ、ペコリ、と戒に頭を下げた。
 戒は、フンッ!、とそっぽを向いて、
「悪魔は、時に猫撫で声で誘惑するそうですよ。」
と、世間話風に言ってのけた。
「・・・戒・・・」
 マサトが、ギリリッ、と奥歯を噛んだ時、
「あ、そっかぁ〜!」
と、閃いたように声をあげたミルクが、うんうん、と目を輝かせて頷いた。
「だから猫耳なんだぁ。…ね、マサト?」
 薄暗い朝でも明るく煌めくミルクの目に見つめられ、マサトは戒を怒るタイミングを失ってしまう。
 それに、ミルクの無邪気な顔越しに文句を言う気も起こらない。
「・・・そうだな。」
 そう答えたマサトは、小さく苦笑をもらした。

「あらあら、皆さん・・・どうされたの?」
 ミルクが家の中に戻らないので、気になったらしい母親が玄関から顔を出す。
「あ、ママ。…マサトさんがお兄ちゃんの応援に来てくれたの。」
 ミルクはそう言って、マサトに地面に下ろしてくれるように小さく囁いた。
「あらぁ、そうでしたの?まぁまぁ、マサトさん。わざわざ済みません。」
 母親がドアの前に出てきて、丁寧に頭を下げた。
「いえ。ちょうど仕事が済んで帰国が間に合いましたので・・」
 マサトもミルクを下ろしてやると、軽く頭を下げた。
「雪も降ってますし、どうぞ中へお入りになってくださいませ。」
 母親は玄関ドアを開けて招く。
「ママぁ…ママも大事な体なんだからぁ、冷やしちゃダメだよぉ。」
 ミルクが玄関まで走っていく。
「ほら、中に入って。……マサトさんもそちらの…景山さんの代理の方も…中へどうぞぉ。」
 ミルクは、母親の背中を押して家の中に戻してから、振り返ってマサトと戒に声を掛けた。
「・・景山さんの代理の方?」
 姿が見えなくなった母親の声がする。
「うん。景山さんねぇ、お仕事で香港へ行かれたんですってぇ。」
「まぁ・・・皆さん、お忙しいのねぇ。」
「ねぇ〜…」
 ミルクは母親に返事をしてから、また振り返り、寒そうに足踏みをした。
「・・・戒。ちゃんとご挨拶くれぇしていけよ?」
 マサトがそう言って玄関に向かう。
「いえ。坊ちゃまの仰せのように、”他で慣れ”たら、”代理の仕事”に戻ります。・・失礼。」
 戒は眉を聳やかせて、微妙なイントネーションで返事をすると、マサトに頭を下げて立ち去ってしまった。
 マサトは、やれやれ、と溜息まじりに首を振り、ミルクの待っている玄関に足を進めた。


 マサトがミルクの家に向かった朝、景山は香港へ飛び立っていった。

 救出作戦を無事に終えた後、若林(コウメイ)も香港に向かった。
 ドルフィン(海園麗)、ボム(雷音轟)、スナイパー(矢上準)は、「上海で遊んでから日本へ顔を出す。」と言って消えた。
 ワード(毛利葉)は、「せっかくの機会だから中国の文献を原書で見たい。」と、博物館巡りを始めた。
 ハッカー(水瀬伸)は言葉を失うほどショックを受けてしまい、メンテ(八木守)にしがみついて離れないので、上海のタブ(磯谷融)と一緒に、エーゲ海にある組織の保養所へ連れていくことになった。
 ――タブは、薬学博士の称号とヨーロッパで活動出来るEUの医師免許を持っている他、精神科医としてドイツで開業しているので、その方面のケアは任せられた。――
 本郷は島田と福島の治療の為に日本に同行して帰国した。
 レーサー(飛雄勇)はキラー部隊を下ろした後、山東省の天龍管轄の飛行場で救援ヘリに乗り換え、救出の完了した皆を山東省まで移送し、そこで小型旅客機でマサトや本郷達帰国組を日本に送った。
 その後すぐにまた山東省に戻って他の皆を上海まで送り、それからまた初めに乗ってきた軍用貨物機に乗り換えて、キラー部隊を蛇窟島まで送り届けた。
 そして、胸中で叫んだ通り、「1ヶ月分は働いたぜ!」と休暇を取って、F1コースに戻って行った。
 ――レーサーは、緊急な任務がない時は、S商事グループで抱えているF1チームのレーサーとして活躍している。
 SSSは個性集団なので、自己管理さえ出来れば、普段は割と自由な行動が認められていた。――

 そうした訳で、残る問題は、一人生き残った白鈴と黒幕の存在であり、その対処を景山と若林に任されたのだ。


 居並ぶ高層ビル群の中でも、一際美しく人目を引くビル。
 天龍所有の複合ビルである。
 その最上階に天龍No.3の事務所と住居があった。

 景山と若林は住居の方の応接間に招かれ、
『この度は、ジャックの皆様に多大なるご迷惑をお掛けし、大変申し訳なく思っております。』
と、No.3から頭を下げられた。
『いえいえ。内部抗争というものは、どの世界にも往々にしてあることですから、仕方ありません。』
 景山は穏やかな笑みを浮かべてNo.3の頭を上げさせた。
『それよりも、私共の総帥が何より残念に思っておりますのは、敬慕してやまない李白龍殿を失ったことと、お助け出来なかったことで・・・くれぐれも心からのお悔やみを伝えてくれ、と申しておりました。』
『そう言って頂けると・・・』
 No.3は言葉を詰まらせ、目頭を押さえると、こみ上げる涙を指で拭った。
 若林がNo.3の秘書よりも素早くハンカチを差し出した。
『忝ない・・・。それにしてもジャックは総帥はじめとする組織の皆さん、義に熱く優秀であられて羨ましいですな。』
『いえ・・・荒れていた時代があって、今があるのです。むしろ天龍の皆様方の結束を見習いたいと、総帥も常々申しておりました。・・・それだけに、今回のことは残念です。』
『全く。・・・まさかご令嬢が父君を裏切られるとは・・・』
『白鈴嬢は甘言によって洗脳されてしまったのでしょう。』
 景山はここで、マサトから聞いた事情を説明した。

 No.3はみるみると青ざめていき、
『な・・何ですってッ?!・・・国際フォーラムに出向いてる者ッ??』
と叫んだ。
『お心当たりがございますか?』
『・・・申し上げないといけませんか?』
 景山は微かに眉を吊り上げ、
『こちらの調査でも判明しておりますので、結構ですが。』
と告げる。
 No.3は頭を抱え込み、
『・・・そうですか。・・・そうですね。調査されるのも、当然と言えば当然でしょう。・・・そうです。四川省のNo.6。・・・我等が首領、李白龍の義弟。白鈴様の母君の弟です。』
と呻きながら答えた。
『・・・何故こうも、我が国は血で血を洗うような抗争をするのか・・・。血族間の醜い争いは過去の歴史に封印せねばならないものを・・・。』
『貴国に限ったことではありません。・・難しい問題ですね。』
 景山は静かにそう言って、
『・・・胸中、お察し申し上げます。』
と頭を下げた。

 しばらく沈黙が続いた。
 が、ようやく毅然とした顔を上げたNo.3は、
『わかりました。No.6につきましては、我々も独自に調査した後、必ず処断致しますので、お任せください。』
と言った。
『勿論、私共は本来、天龍内への干渉はしないのが流儀と思っておりますので、ご随意に。』
『ありがとうございます。』
『ただ、・・・現在保留状態のS商事と公華中央商社の取引は早急に解決して頂きたい。』
『おお!勿論ですとも。』
『それと・・・黄長仁のことですが・・・』
『・・・あぁ・・・彼も我等同じ祖国の者として、残念で・・申し訳なく思っております。』
『はい。黄長仁は立派な中国人でした。・・・それで、と言っては何ですが・・・彼の子息の後見人として、父親のように立派な人物として遺志を継げるように、ご指導願えますでしょうか?』
『え?!・・・それでいいのですか?!』
『総帥はそう望んでおられます。』
『・・・そうですか・・・そこまで思って頂けるとは・・・』
 No.3にとって少なからず驚きだった。
 黄長仁はジャックの組織の一員であり、その後ろ盾で成功し財を成した億万長者なのだ。
 当然、黄長仁亡き後は、残された資産は組織に没収されるのだと思っていた。
 No.3は感心して頷くと、
『わかりました。ご子息が、祖国と華僑と・・そして日本との友情の架け橋になれるよう、尽力させて頂きます。』
と、胸を張って約束した。
『よろしくお願いします。』
 景山が頭を下げると、
『こちらが頭を下げるべきでしょう。』
と言ったNo.3は、
『これからも、ジャックとの盟約と友情を固くお約束致します。』
と、景山に手を差し出し、握手した。

 ――天龍No.3は、事件が起きた時、マサトが「彼だけは信頼していい。」と言うほどの人物だった。
 マサト同様・・・いや、それ以上に、李白龍への敬慕の念が強く、祖国愛にも厚い熱血漢でありながら、自己抑制の強い人物だ、とマサトは評価していた。――

『それで・・・最後になりましたが・・・白鈴嬢の様子はいかがですか?』
 景山が表情を曇らせて尋ねた。
 No.3は首を振り、
『・・・それだけのことをしたのですから・・・自業自得でしょう。』
と言ってから、
『ご案内しましょう。』
と、景山と若林を、同じ最上階にある一室へと案内した。

 白鈴は若林の顔を見るなり、
『ヒッ・・・ヒィィィーーーァァァッ!!』
と悲鳴を上げた。
『あ・・・悪魔・・・悪魔ァァーーーッ!!・・・ヤァァァーーーッ!!!』
 頭を抱えて激しく振る。
 若林は表情を変えずにしばらく眺めていたが、
『私は退席していた方が良さそうですね。失礼します。』
と言って廊下に出ていった。
『・・・私共にも精神科医はおりますが・・・逆効果のようにも思えまして、この状態でお返しするしかありませんでした。』
『どうぞ、お気になさらずに。』
 No.3は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
『どんな恐ろしい光景を目にしたかは知りませんが、・・・自分が犯した父殺しの方が、悪魔の所業でしょう。・・・ま、No.6の問題が解決しましたら、然るべき施設で治療させることにします。』
『・・・そうですか。』
 景山は目を細めて頷いた。
『きちんと自分で自分の罪を理解出来るようになるまでは・・・白昼夢の悪魔が、罪を地獄の業火で炙り続けるのでしょうね。』
 そう言って口を引き上げたNo.3は、さすがに闇組織天龍No.3としての冷酷さを醸し出していた。

<55>
「すれ違い」
§55§「すれ違い」

「もう、閉めますよー。」
 体育館を覗いた用務職員に言われて、
「はーぃ!」
と、返事をしたミルクは、
「星野さん、どうもありがとうでしたぁ。」
と、お辞儀をして、急いで体操着を着替えに更衣室に走った。

 制服に着替えたミルクが体育館から出ると、星野は外の水道で顔を洗い、絞ったタオルで首回りを拭いていた。
「いつも付き合って頂いて済みません。」
 ミルクが、更衣室の並びにある自動販売機で買ってきたスポーツドリンクを差し出すと、
「いえ。けっこういい運動になりますね。・・あ、頂きます。」
と、爽やかな笑顔で受け取った。
「星野さんのお陰で、どうにか様になってきたみたい。ウフッ。」
 ミルクは自分の分のスポーツドリンクを、プシュッ、と開けて口をつける。
 星野もタオルを首に掛けて、缶のタブを開ける。
「いよいよ明後日が本番ですね。後一日、頑張りましょう。」
「ぁ、ぅん。…でも、明日はミルだけでも大丈夫だから、このくらいの時間に迎えに来て貰えればそれで……」
「とんでもないッ。他の生徒や先生方まで帰ってしまってる時間に、お一人には出来ません。俺も車で待ってるより、体を動かせる方が楽しいですし、気を使わなくて大丈夫ですよ。」
 星野は照れ臭そうにそう言うと、スポーツドリンクを一気に飲み干した。

 迎えの車に乗り込んだミルクは、まだ飲みきらない缶を片手に持って、携帯のメールを確認した。
 何通かのメールの中に、マサトから、
―@「メールを見たら電話しろ。」
と、愛想のないメールがあった。
 ミルクは、クスッ、と笑いをこぼして、すぐに電話を入れた。
「マ・サ・ト…電話したぁ。」
―「ミルク。随分遅いじゃねぇか。こんな時間まで練習してたのか?」
「うん。そうだよぉ。はぁぁ…疲れたぁ。フフッ。」
―「そんなに頑張ることなのかぁ?」
「だってぇ…人前でするのに、一人ヘタだったら恥ずかしいじゃん。…それに、麗子さんへのお礼の気持ちも込めて、ちゃんとした演技しなきゃ、って思うしぃ……」
―「俺は見れないんだろ?」
「それは学内行事だもん。仕方ないじゃん。」
―「・・・誰かに潜入撮影させるか・・・」
「ぃゃん……だめぇ……」
 ミルクは飲みかけていたスポーツドリンクを吹き出しそうになりながら反対した。
 ……あんな過激…かも知れない衣装を見られたら……
 クラブの決定事項であり、女子は全員同じ恰好をするのだから、嫌だとは言えなかったが、普段短いスカートを履くと怒るマサトがどう思うか心配だった。
―「・・・何か見せらんねぇ訳でもあるのか?」
「そーじゃないけどぉ……学校には学校のルールがあるんだからぁ……」
―「チッ。つまんねぇ。・・ま、しょうがねぇか。・・・で、こっちへ来れるんだろ?」
「…ぇ…今日は行けないよぉ……」
―「一緒に夕飯喰おうと思って、待ってんだぜ?」
「でも……お兄ちゃんがどうだったか気になるしぃ……」
―「アイツに限って失敗なんかしねぇから放っとけ。」
「…ぅーん……そーだといいけどぉ……だけど、きっとママも心細いだろうから、やっぱり今日はこのまま家に帰るぅ……」
―「・・・・・お前なぁッ・・」
「ごめんなさいッ。…明日は早めに練習終わらせて、会いにいくから…怒らないで……」
―「もういいッ!」
 ブチッ、・・・と音はしないが、一方的に通話を切られてしまった。
 後味の悪さが残る。
 込み上げてくる悲しさに耳が熱くなる。
 目頭も熱くなって鼻がツンと痛くなる。
 ミルクは震える息で溜息を吐くと、残っていたスポーツドリンクを飲み干した。

 急に話し声が途切れたので、助手席にいた星野は、気になってそっと後ろを振り返ったが、携帯と缶を膝の上で力無く握っているミルクの頬に伝う涙に、ドキッ、として、急いで前を向いた。


「ただいまぁ。」
 と、玄関を開けたミルクを迎えたのは、家政婦の静江だった。
「お帰りなさいませ。ミルクさん。」
 ”様”は付けないで、と頼んだ呼び方に、静江も最近は慣れてきたようだ。
 マサトの部下にとっては”様”付けも一つのオプションのようなもので、ミルク自身に対してよりもミルクの置かれた立場に対しての”様”なのだと割り切っている。
 それでも、家の中で一緒に過ごす相手とは、家族のように接したかった。
「あれ?静江さん、まだ帰らなかったの?」
「はい。奥様がご気分が優れないご様子なので、ミルクさんが戻られるまでは、とお待ちしておりました。」
「えー……」
 ミルクは慌てて母親の寝室に向かう。
 …トントン…
 小さめにドアをノックして、
「ママぁ?」
と、顔を覗かせると、母親がわずかに頭を上げた。
「あぁ・・・ミルちゃん、ごめんなさいね。」
「気分が悪いって…どうしたの?…お医者様には診て貰った?」
「ううん。そんな大袈裟なことじゃないのよ。・・・ちょっとつわりがヒドイだけ。」
「…そっかぁ……」
「お食事の支度が出来ないから、静江さんにお願いしたの。」
「…ごめんね。わかってれば、もっと早く帰ったんだけど……」
「大丈夫よ。そんなに心配することじゃないのよ。フフッ。」
 母親が笑ったので、ミルクも少し安心して笑みを浮かべる。
「…吐き気がするなら、お粥作ろうか?」
「う・・ん・・・何だか、ご飯の匂いがダメみたいなの。だから、高藤さんが果物を届けてくれて、それを少し食べたから、後は横になってれば大丈夫。」
「…ぁ…そかそか。」
 ミルクは、うんうん、と頷いた。
「じゃぁ、ゆっくり休んでいてね。」
「ええ。・・・そうさせて貰うわね。」
「うん。」
 ミルクはなるべく明るく返事をして、寝室を後にした。

 キッチンに戻ると、
「それでは、私もそろそろ失礼してよろしいでしょうか?」
と、静江が申し訳なさそうに言った。
「ぁ、はい。遅くまで済みませんでした。・・・てゆーか、お兄ちゃんもまだ帰ってないのぉ?」
「ミツルさんは学校のクラブで後輩の指導してから、道場へ行かれる、と仰ってました。」
「…受験の後なのに……お兄ちゃんらしい、とゆーか……」
 ミルクはガッカリしてキッチンテーブルに座った。
 それから、ハッ、と思い出し、
「あ、ごめんなさい。それじゃ、静江さんを駅まで送ってくれるようにして貰いますね。」
と、立ち上がった。
「そんな・・・大丈夫ですよ。」
 静江は遠慮して言ったが、ミルクは、ニコッ、と笑顔を向けて、
「お世話になってるんですもの。遠慮しないでね。」
と、玄関に向かった。
 星野は外で警備状況の確認をしていたが、すぐに了承して運転手に指示してくれた。

 星野もミツルが試験前だというので、ここ数日はミツルの部屋に立ち寄るのを見合わせていたが、今日で試験も済むとあって、出来れば少し話して行こうかと思っていたらしい。
 静江の乗った車を見送ってから家に上がった星野は、ミルクの入れたホットレモンティーに恐縮しながら、
「そうですかぁ・・・ミツル様は遅いのでしょうか・・・」
と、残念そうに言った。
「…ぅ…ん…どうなんだろぉ……電話してみたけど通じないのよねぇ。まだ稽古中なのかも。」
 ミルクも溜息まじりに湯気の立つレモンティーを啜る。
 やっと帰国したマサトからの誘いを断って帰ってきたのに、何もすることがなく話し相手もなく、一人取り残された気分だった。
 マサトの海外出張は今回はそれほど長くはなかったものの、メールも電話も全然通じない状態で、地下アジトへも顔出し禁止だったので、ずっと不安だったのだ。
 今朝の熱いキスで火を灯された体が疼く。
「……ハァァ……」
 頬杖をついたミルクの小さな吐息が妙に艶めかしくて、星野はまともに視線が向けられなかった。
 泊まりの警備当番は遠慮してか、客室で控えている。
 自分がここにいるべきか、帰るべきか、星野は悩んでいた。
 母親がいるとはいっても具合が悪く寝ている状況で、ボディーガードと二人だけにしてしまっていいものか、どうか。
 ボディーガードの全責任は自分にある、と思う星野にとって、監督不十分であってはならない。
 とは言え、総帥が会えないことで怒ってるらしい中、その相手と向き合っている現状が、空恐ろしい。
 星野もそっとカップの中に溜息をこぼした。


 夜9時を回ってもミツルが帰らないので、ミルクは星野と警備当番のボディーガードと三人で食事をした。
 ミルクは時々母親の様子を覗く一方、携帯でメールしたり電話を入れたりしているようだったが、相手からの反応はなかった。
 それでも、星野達には明るく笑いかけ、高藤が山盛り買ってきた果物を切り分けて、食後のデザートに勧めたりしていた。
 星野も、寂しさを隠して笑顔でいようとしているミルクが可哀想になり、ミツルが帰るまでは留まることにした。
 母親の様子が心配なミルクが、二階へは上がらずにずっとキッチンにいるので、星野は居間の方でTVを眺めていた。
 ”ガードの者は親しくなり過ぎないように。”という訓戒を胸に刻み込んである。
 友達レベルの相手なら、楽しい話題でも探して気を紛らわせてもやれるが、相手は実質上の総帥夫人なのだ。
 それは厳然たる事実であり、戸籍などの問題は組織の者達には意味がなかった。
 いや、組織の人間のみならず、マサトの実力を恐れる人々にとってもそうだろう。
 そうした自覚がないのは、この家の人々くらいなのだ。
 居間の時計が小さなメロディーと共に夜の10時を知らせる。
 星野は眉を曇らせて時計に視線を向けた。

 その時、玄関でミツルの声がした。
 キッチンにいたミルクが小走りに玄関へ行って出迎える。
「お兄ちゃん、遅いじゃん。」
 ミルクの声が咎めるような色を帯びているのも無理なかった。
「学校を出る時、遅くなるって連絡は入れただろ?」
 ミツルにはミルクの不安だった気持ちや寂しさが理解出来ない。
「だけど、塾でもないのに、どうしてこんなに遅くなるのぉ?」
「道場の先輩に誘われたから食事を一緒にしてきたんだ。別にそれくらいいいだろ?」
「何で?…何でそれならそうと電話してくれないの?…ずっと心配してたのに……」
「心配って?」
「だって今日は受験だったじゃんッ。」
 ミルクの声のトーンが上がり、ミツルが呆れたように苦笑する。
「バカだなぁ。・・・終わってから心配したって意味ないだろうが。人事を尽くして天命を待つ、って言うだろ?終わったら後は結果を待つだけだし、それまでに出来ることをしておきたかったんだよ。卒業式も間近だしな、部活で後輩を見てやれるのもわずかだし・・・」
「だって何度も電話してたのにッ!」
「・・・何怒ってんだ?・・・電源を切ってることが多いのはいつものことじゃないか。」
 ミツルも一方的な訳のわからない感情をぶつけられて、苛立ったように答えた。
「……ぅぅ……じゃぁ…ミルが勝手に心配してたのが悪いんだ。……どうせ、バカだもん。……どうせ……ミルなんて……いたって何も出来ない役立たずで……」
「はぁ?・・・そんなこと言ってないだろ?」
「いいもんッ!……もう知らないッ!」
 涙声で叫んだミルクは、顔を伏せたまま浴室まで走って飛び込むと、ドアを、バタンッ!と閉めた。
「あッ・・・おい!まだ風呂に入ってなかったのかよ?俺だって風呂にすぐ入りたかったのに・・・ったく、心配してる暇があったら、先に風呂くらい入っておけよ!」
 ミツルがドアを叩いて言うと、
「お兄ちゃんのバカーッ!」
と、ミルクの声が聞こえ、内側からドアを蹴り返す音がした。
「・・・・・お前・・・それで女か?・・・クソッ・・・」
 舌打ちをしたミツルは、星野が居間の入り口から顔を覗かせていることに気付いて、肩を竦めた。

「・・まったく女ってのは我が侭で訳がわかんないよなぁ・・」
 ミツルが苦笑まじりに言う。
 そうでしょうか、と星野は言いたいのをグッと堪えた。
「アリス様は本当に心配されてました。・・会長のお誘いを断るほどミツル様を気にされて。」
「・・・へぇ・・・」
 ミツルはいつもと違う星野の態度に戸惑った。
「それに、母君のご気分が優れないようで、二階へも行けずに待ってらっしゃいました。」
「・・・お袋が?」
 ミツルは最近具合が悪い母親に表情を曇らせた。
「私も・・・何もして差し上げられずに、一緒に待つことしか出来ませんでしたが・・・」
「そうか。・・それは・・・お手数掛けて済みませんでした。」
「私へそう仰ってくださるなら、アリス様のご心情も少しは理解してあげてください。・・出過ぎたことを言って済みません。・・・それでは、これで失礼致します。」
「・・・あ・・・ご苦労様です。」
 ミツルは、お辞儀をして玄関に向かう星野を困惑気味に見送り、鍵を掛けると首を捻った。


 星野が地下アジトに戻って、総裁室のマサトに今日の報告をした。

 マサトはトレーニング上がりのようで、シャワーで汗を流した体にローブを羽織り、毒エキス入りワインを飲んでいるところだった。
 傍らでは戒が毒蛇を腕に巻き付けて睨めっこをしている。
 若松はマサトに付き合ってトレーニングしていたらしく、汗を流した後のスェット上下姿で缶ビールを美味そう飲んでいる。
 戒は若松にも「毒蛇のエキスを入れてやろうか?」とからかい、蛇の頭を押して毒を滴らせ、若松をたじろがせて楽しんでいる。
 マサトは「戒。いびるんじゃねぇよ。」と喉で笑う。

 ふと、蛇窟島での光景に重なり、ここが日本ではないような奇妙な錯覚に陥るほど、不思議と満たされた雰囲気があった。
 星野は言い様のない苛立ちを感じていた。
 そして、
「だから、ミツルなんて放っとけって言ったのに。」
と、マサトが突き放すように言った時、
「ボスまでその様に仰られたら、アリス様がお気の毒です。」
と、抗議してしまった。
 途端に戒の表情が変わる。
「・・・お前・・・誰に対してそんな戯れ言を言ってるんだ?」
 怒りを込めた低い声以上に、怒りで握り潰された蛇の断末魔の顔が恐ろしげだった。
 星野は全身に戦慄が走った。
 それでも、手を握り締め、体が震え出すのを堪える。
「・・アリス様はずっとお一人で心細くなさっておいででした。・・ボスにも何度かメールと電話をしてらしたようですが・・・」
 そこでマサトの表情が、ん?、と怪訝そうに翳る。
「出過ぎたことを言うもんじゃないぞッ。報告が済んだらさっさと下がればいいッ。・・ボスはずっと仕事をされてらしたのだ。ようやく区切りをつけてトレーニングで体を解された所なのに、その言い様は何だッ?!思い上がるのもいい加減にしろッ!」
 戒は泡を吹いている蛇を星野の顔に投げつけた。
 毒蛇の牙が頬を掠り、わずかな筋が出来る。
「ぅッ・・・」
 若松は血相を変えて星野の顔を両手で挟むと、頬の赤い筋を強く吸い、一度吐き出してビールで口を濯ぎ、残ったビールを星野の頬に振り掛けた。
 星野はたった今、自分に起きたことが信じられずに呆然として青ざめていた。
 マサトが目を眇め、
「戒。・・まだその癖が直らないなら、蛇窟島に帰って貰うぞ。」
と咎め、指先を手近にあったピンで指して、浮いた血を星野の頬に塗ってやった。
「驚かせて済まん。・・戒も悪気はないんだが・・・」
 ・・・悪気がなくて殺されかけたのか?
 星野は返す言葉もない。
 噂は耳にしていたが、戒の牙が自分に向けられたことがショックだった。
 自分の中の総帥への忠誠心を微塵も疑ったことはない。
 頬がジンジンジンと異様に熱い。
「・・・じ・・自分は警護の領分を越えて接することは出来ません。・・・ですから、申し上げました。・・・それが・・・不敬に当たるのでしょうか?」
 星野は溢れ出す涙を拭わずに訴えた。
 涙が頬の傷にしみる。
「フンッ。たいした根性だな。・・・生意気なSSSの素養は充分らしい。」
 戒は指についた毒蛇の毒をペロリと舐めて、片頬で皮肉げに笑った。
「戒。もう星野に手を出すんじゃねぇぞ。・・若林が気に入ってるらしいし、近い内にSSS予備軍に入れてやろうと景山とも相談していた所だ。」
 マサトは星野を睨んでいる戒に釘を刺してから、
「報告ご苦労。・・戒の言うように仕事で気付けなかったが・・電話してみよう。お前も今夜は安静にして、ゆっくり休め。」
と、星野を下がらせた。

 星野が下がってから、マサトは、
「・・・俺の携帯から、未開封のメールと着信履歴を消した奴がいるようだな?」
と、戒を睨んで言った。
「何でも今日本では、悪戯メールや悪質な電話が舞い込むそうで、用心された方がよろしいかと・・」
「おい。そんな詭弁で俺を誤魔化せると思っているのか?」
 マサトは本気で怒りを剥き出しにし、語気を荒げた。
 すると、戒は眉間にシワを寄せ、
「あぁ・・・坊ちゃまがその様に私の懸念を足蹴にされるようになられるとは・・・」
と、大袈裟に嘆く。
「・・・いや・・・だからな、戒・・・」
「坊ちゃまを誰よりも心配しているのは私と自負しておりますものを・・・咎め立てられるとは心外です。」
「そうじゃなく・・・頼むから、ミルクを認めてやってくれ、って言っているんだ。」
「まだロクに話もしたことがない得体の知れない馬の骨を、どうやって信じられると言うのです?・・・女など・・・毒蛇よりも悪質な存在でしょう。・・・御覧なさい。あの高慢な白鈴とかいう雌狐。生かしておく価値もないものを。」
「あれはジャックと天龍の盟約を壊さない為の手段だ。」
「女とは判断を狂わせ、決意を鈍らせる厄介な存在です。利用されるだけならまだしも・・・夢中になられるとは・・・情けない。」
「・・・本気で怒るぞ。」
「どうぞ、ご随意に。・・・せっかくの楽しい時間も、あの思い上がった男の余計な進言で、こんなつまらない言い争いになったじゃありませんか?これが不遜でなくて何です?・・・あぁ、嘆かわしや。」
「星野はよくやっている。」
「そうでしょうとも。・・・私、頭痛が致しますので、今夜はこれで休ませて頂きます。・・・坊ちゃまもお忙しい身でいらっしゃるのですから、時間のある時には余計なことに囚われず、充分休養されるべきです。・・・では・・・」
 戒は面白くない、といった顔でソファーから立ち上がると、恭しく頭を垂れて、
「失礼致します。」
と、挨拶して総裁室を出ていった。

 マサトは眉間を指先で押さえ、
「・・・若松。・・・戒の首に鈴をつけてくれ。」
と、本気とも愚痴とも取れる口調で言った。
 若松は、ギョッ、とした顔になり、
「・・・キラー将軍ですよ?」
と、恐ろしげに答えて首を振った。
 マサトは溜息を吐き、
「やはり景山が戻るのを待つしかないな。」
と、呟いた。