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<66>
「16歳の誕生日」
§66§「16歳の誕生日」

 ・・・トントン・・・
「ミルちゃん・・・ちょっといい?」
 ノックをして母親が顔を覗かせる。
 ミルクは朝の着替えを済ませたところで、
「なぁに?…ママ?」
と、笑顔で答えた。

 今日はミルクの誕生日。
 昼食を挟んで、お祝いの席を設けた。
 ――ミルクとミツルは春休み中だったが、世間は平日、・・・本来なら夕方から始めるのが一般的だろう。
 それでも敢えて昼間にしたのは、密かな事情があった。
 母とニューヨークにいる父との離婚が正式に成立したこともあり、ようやくミツルに全てを話す時が来ていた。
 母琉美江の妊娠、父孝司との離婚成立、高藤の離婚、琉美江と高藤の結婚前提の同居、そしてミルクの結婚。
 これだけの事実をずっと隠してきたことをミツルが知ったら、相当なショックを受けるだろう、という配慮だった。
 夜になって家を勢いで飛び出すと危険だろう、とまだ明るい昼間に全てを打ち明けることにしたのだ。
 何も誕生日にしなくても、と母親は渋っていたが、高藤とマサトもお祝いを理由に家に来れるし、皆が揃った席での報告がいいだろう、とミルクが提案した。――

「ねぇ・・・本当に大丈夫かしら?」
 不安げな母親が、ミルクのベッドに腰を下ろしながら言う。
「…だってぇ……いつかは…てゆーか、もう話さないとぉ……」
 ミルクは机の前のイスに横座りになって、背もたれに片腕を乗せて足を揺らす。
「・・・そうよねぇ・・・」
 母親は頬に手をあてて溜息を吐く。
「ママぁ……大事な体なんだからぁ、そんなに深刻に考えないの。…ね?」
「・・・ええ。」
 頬の手を膝に下ろした母親は、ミルクをじっと見つめる。
「……ん?…なぁに?」
「・・・ねぇ・・・ミルちゃんは、パパとママが離婚したこと、・・・許してくれる?」
 ミルクは、ドキッ、として、胸にキュッとした痛みが走った。
「アハッ。そんなこと……」
 言う資格がない、と言いかけてやめ、
「別れたってずっとパパはパパ、ママはママ。それでいいじゃん。」
と、明るさを装って答えた。
「…それに……ママはずっと頑張ってきたんだもん。もう一人で耐えることから、新しい家族で幸せになる方向に気持ちを変えなきゃ。…ミルもこの家を離れてもずっと応援してるし……」
「・・・ありがとぅ・・・ミルちゃん。」
 うんうん、とミルクは精一杯の気持ちを込めて微笑みながら頷いた。
「・・・でも・・・私にその資格があるかしら・・・」
 母親がまた不安そうに溜息を吐く。
 それが誰に対して言っているかは、ミルクにもわかった。

「あ…蓉子さんねぇ、近々パリへ行くことになるかも!」
 ミルクが弾んだ声で言った。
「え?・・・パリへ?」
「うんッ。…ほら、蓉子さんって元々外語大出身でしょう?フランス語だって堪能だし、絵画や芸術品に興味があってアトリエの仕事してきたそうだから。」
 そう明るく話したミルクも、母親の、
「・・・でも・・・どうしてそんなに急に?」
という質問では顔を曇らせる。
「…それはさぁ……やっぱり、お子様方にとっても、…今はまだ小さくてわからなくても…父親が別の家庭持って別の家で生活してる、っていう現実を、間近に感じるのは将来的に辛いだろう、って……」
「・・・そうよねぇ・・・」
「ん。……でもね!…海外の方がシングルマザーへのケアが整ってるし、パリにはマサトさんのご友人のフランネル夫妻がいらっしゃるでしょう?」
「え?・・・あぁ、宝石商の?」
「そうそう。フランネル夫人は覇羅蛇村出身で、とっても気さくな温かい方だから、きっと色々な面で援助してくださると思うの。マサトもよく頼んでおく、って言ってるし。」
「・・そぅなのぉ・・・」
 母親の表情に少しだけ光が差す。
「うんッ!でね、将来は独り立ちしてお店が持てるように、勉強する支援をしていく、って。」
「まぁぁ・・・!・・・やっぱりマサトさんは懐がお広いわぁ。」
「フフッ。蓉子さんもその提案をすっごく喜んでいるんだけどぉ、まだ遠慮があって躊躇ってるみたい。」
「・・・あらぁ・・・」
 母親の方がガッカリした顔をする。
「でも、蓉子さん自身の為だけでなく、お子様方の為にも、を考えるなら…そうさせて貰おうかなぁ、って!」
「えぇ、えぇ、そうですとも!」
 母親は両手を合わせて祈るように目を閉じてから、合わせた手を胸に当てて、
「・・・あぁ、本当に・・・幸せになって頂きたいわ・・・」
と、目を潤ませて言った。
「S商事のパリ支社もあるし、これまでのような…日本で暮らしながら孤立無援…ってゆー状況にはならないと思うの。それに、蓉子さんって笑うと可愛いしぃ〜…フフッ。恋する季節はこれからぁ〜かもぉ〜。」
「まぁ、ミルちゃん。そんな大人の女性をからかう言い方は止めなさい。」
「……はぃ……」
「・・・でも、そうよね?きっと夢も希望もこれからよね?・・・そうであって欲しいわ。ええ、きっとそうですとも・・・。」
 母親が涙を零して微笑む。
「うん。…そうだよ。そうだって、きっと。」
 ミルクもつられるように涙ぐむ。
「そうね。・・・あぁ、それじゃママも頑張らないと、蓉子さんに恥ずかしいわね。蓉子さんが頑張ってるのに、弱音なんて言ってたら申し訳ないもの。」
「…ママぁ……」
 ミルクは涙を拭って、うんうん、と頷いた。
 人の幸せが自分の活力になる……そんな母親をミルクは…好きだなぁ…と思う。

「じゃぁ、まずは第一関門を突破しましょう。」
 涙をエプロンで拭った母親が、ベッドから立ち上がって言った。
「そうだぁー!お兄ちゃんを打破しよぉー!」
 ミツルは道場の朝稽古に出掛けている。
「まぁまぁ・・・ミルちゃん。ミツルさんだって敵じゃないでしょう?」
「……ま…ね。……でも、きっとまた……」
 マサトと喧嘩になることは避けられないだろう。
「・・・そうねぇ。・・・でも、ミルちゃん。今日はミルちゃんのお誕生日だってこと、忘れないでね?」
「大丈夫ッ!プレゼント貰えば、嫌でも思い出すからぁ〜!」
「ま。・・・ホホホッ。・・・じゃぁ、御馳走を作りましょう。」
「ミルもぉ。」
「静江さんがいるから大丈夫よ?」
「あ〜ん。お手伝いするぅー!」
「クスッ。はいはい。それじゃ、お願いするわね。」
「はーぃ!」
 ミルクも元気にイスから立ち上がった。


 昼近く。
 ミツルが、道場で今日の分の鬱憤を吐き出して、家へと戻ってくる。
 どうせまたマサトや組織関連の連中がとぼけた顔で客になってるだろう、と思うと腹が立つ。
 けれど妹の誕生日を祝ってやらない訳にはいかない。
 というより、そうそう主導権を渡してたまるか、という思いがあった。

 が・・・家の近くまで来て、ミツルは唖然とする。
 家の前の通りには数台の車が横付けされている。
 しかも、どの車も大きな外車でピカピカに磨かれている。
 更に、十数人のスーツ姿の男達が、家の周囲を取り囲んでいる。
 通行人に車を停めている状況を詫びる者や、交通整理のように他の車の通行を指図している者、周囲に警戒の視線を走らせる者、届けられる荷物を庭に運んでチェックする者、等々。
 ――どこから情報を入手したのか、ミルクの誕生日を祝う贈り物が次々と届いていた。
 戒は急遽ガードを増やして、そうした物に危険はないかを確かめ、花束等は玄関先に飾り、品物は家の中へと運ぶように指示していた。――

 ミツルは足を止め、しばらく立ち尽くしていた。
 ・・・このまま踵を返して、友達の所へ行ってしまおうか、と一人の自分が囁く。
 ・・・いや、敵に背中を向けるのは卑怯者だ、と別の声もする。
 葛藤する心が足を止めてしまっていた。
 と、家の中から、可愛いドレスに可愛いエプロンを掛けたミルクが、大きなお盆にカップを乗せて出てきた。
 庭にいる人達に笑顔で何か声を掛け、カップを渡す。
 そして、門から通路に出ると、道路にいる人達にも声を掛ける。
 不思議と違和感がなく、和んでいる姿に、マサトの組織の人達とミルクとの確かな信頼関係を見出してしまったようで、胸の痛みと共に気分が悪くなった。
「あ!…お兄ちゃーん!お帰りぃー!」
 ミツルに気付いたミルクが、花のように無垢な笑顔で手を振る。
 ・・・ミルクは何も変わっていない。
 そう自分に言い聞かせ、ミツルはまた自宅へと近付く一歩を踏み出した。


 ミツルは玄関からすぐに二階の自室に上がり、キチッとしたスーツに着替えてから、一階のリビングフロアに顔を見せた。
「これは、これは。・・・お待ちしておりましたよ。」
 真っ先に穏やかな笑みで声を掛けたのは、”生き馬の目を抜く”景山勲だった。
「・・ったく、勿体つけやがって。我が侭な坊ちゃんだぜ。」
 皮肉げに言って、片頬で笑うマサトの横には、影のように気配を感じさせない若松。
 若松は視線を合わせると、黙ったまま会釈をして、また視線を逸らした。
 ミツルは若松の声を思い出せないほど、これだけいつもマサトの側にいる若松との接点がない。
「ミツル殿。長針が12時を越えたら、私はあなたを軽蔑する所でしたよ。以後、ご注意を。」
 戒は丁寧にお辞儀しながらも、厳しい言葉を並べる。
「これは失礼しました。以後、注意させて頂きます。」
 儀礼的挨拶ならミツルも心得ている。
 感情を込めずに言って頭を軽く下げてから、隣りにいる男に、露骨に嫌そうな視線を投げた。
「・・・やあ、ミツル君。」
 名前を呼ばれるだけでも腹が立つ高藤がそこにいた。
 高藤は幹部の面々と同席している緊張感の中で、わかりやすいミツルの反応に内心ホッとしていた。

 リビングに掛けられた時計が昼の12時を告げる。
 メロディー付き仕掛け時計で、しかも12時ということもあり、人形が飛び出してきて楽しそうに踊る。
 24時間設定で時間ごとに音楽が変わるようになっているが、真昼の12時は一番リズミカルな音楽だった。
 組織幹部と悪徳弁護士、闇の覇王マサトという、怪しい男達が顔を向き合わせている状況で、聞きたくない曲だった。
 ミツルが間が持たずに溜息を吐くと、
「あらぁ、もうお昼なのね。」
と、母親がキッチンから現れた。
「じゃぁ、皆さんお揃いのようだから、始めましょうね?」
 母親はいつも通りの優しい笑顔で言った。
「いえ。まだアリス姫が・・・」
 戒がすっかり親しくなった母親に言う。
「え?・・・あら、ホント。」
 母親は室内を見回して、確かにと頷く。
「ミルクなら外の連中と楽しそうに話し込んでたよ。」
 ミツルがそう言った途端、
「なにぃぃぃーーーッ!!」
と、マサトが叫ぶ。
「あ・・そうそう。外の皆さんにも紅茶とケーキをお出ししたから・・・」
「・・にしても遅いですね。」
 景山が気遣わしげに言って、戒に視線を投げる。
「部下達が失礼をしていないか、見て参りましょう。」
 戒が景山に応じるように答えた時、
「みんな、揃ったぁ〜?」
と、無邪気な笑顔でミルクが部屋に飛び込んできた。
「揃ってないのはお前だけだぞ。」
 ミツルが目を眇めて言うのに被って、
「ミルク!誰と話してたってッ?」
と、マサトが怒鳴った。
「やぁ〜ん…」
 ミルクが戒の後ろに回って、壁のように腕にしがみつきながら、顔を覗かせる。
「アリス姫。部下達へのお気遣いには感謝致しますが、ご自分のお立場をお忘れになってはいけませんね。」
 戒はミルクがつかまっていることは気にしてない様子だったが、しっかり注意することは忘れていない。
「まぁ・・・本当に・・まだ子供で済みません。」
 母親がミルクの代わりに謝罪の言葉を述べると、
「いえいえ。アリス様のお優しさはいつものことです。それよりも、ボスも大人げないと言うべきでしょう。」
と、景山が取りなすように言った。
 そして、戒の後ろから顔を覗かせているミルクと視線が合うと、
「「ねぇ〜♪」」
と、いつもの合い言葉を発した。
「まぁぁ・・・ホホホッ。」
 母親の鈴を転がすような笑い声に、険悪な空気が漂っていた場が和む。
 高藤は眩しそうに目を細め、そんな愛しい人を見つめていた。


「「「「「カンパーイ!」」」」」
 シャンパンで乾杯をして、ミルクの誕生日パーティーが始まる。
 リビングの大きなテーブルには丁度8人が座れる。
 料理の準備は母親もミルクも参加していたが、テーブルに運ぶのは家政婦の静江と、手伝いに来ている組織の女性が受け持った。

 ミツルの合格祝いでは立食にして広いスペースを開けたが、今回は重大発表が控えている為、ソファーもそのままの状態にされていた。
 食事がデザートに入ると、各々が持ってきていたプレゼントを渡し始めた。
「おめでとう、ミルク。可愛い俺の天使。」
 マサトは額を飾るティアラを、天使の輪のように頭に乗せてやると、ゆっくりと額にキスをした。
 更にミルクを抱き締めてキスをしようとするのを、景山に咳払いで止められ、舌打ちしながら席に戻った。
 その景山は、
「アリス様。いよいよ、16歳ですね。・・ですが、まだまだ16歳でいらっしゃる。背伸びをなさらず、どうぞゆっくりと成長なさいませ。」
と、父性に満ちた目を細め、見事な大振り袖を披露して、皆が感嘆の息をもらすのを満足そうに聞いてから渡した。
 続いて、戒が、
「アリス姫。16歳になられましたこと、心よりお喜び申し上げます。」
と、洗練された腕時計を渡し、
「今日より新しい時が刻まれます。これからの日々が一日一日満たされますよう願っております。」
と、恭しく頭を下げた。
 ここで若松がミツルに先に順番を渡そうと目線で促したが、ミツルが”お先にどうぞ。”とジェスチャーで示したので、
「では。」
と、ミツルに頭を下げてから、
「アリス様、おめでとうございます。」
と、トレーニングウェアを数着セットで渡した。
 どうも若松は肉体鍛え系グッズをプレゼントに選ぶらしい。
 ミツルは若松から贈られた腹筋鍛えの奇妙な棒を、意外と気に入って毎朝の家でのトレーニングに組み入れているので、そう気付いて思わず笑みを浮かべた。
 若松からの流れで高藤がプレゼントを渡すことになり、
「アリス様。どうぞいつまでも健やかな笑顔でおいでくださいませ。」
と、綺麗な鏡を贈った。
 ミツルの番になり、
「・・・ミルク。お前はいつまでも俺の大事な妹だ。忘れるなよ。」
と、機嫌が悪い割には真摯な態度でミルクに向かい、可愛い花のブローチを贈った。
 ミツルにしては高価な贈り物だが、どうやらバイトで得たお金を叩いたようだった。
 これには、色々な贈り物でずっと感激して興奮していたミルクも、感極まって泣き出してしまった。
「…お兄…ちゃん……」
 ミツルの凛と張った胸にミルクが顔を埋めると、ブワッ、とマサトの髪が逆立って黒いオーラを噴き上げた。
 その場にいた皆の中で、そのことに気付かないのは、母親の琉美江だけだったろう。
「ミルちゃん。皆様に良くして頂いて、本当に良かったわね。・・ママからはホンの気持ちだけだけど・・ポプリのクッション。枕元に置いておくと、リラックス出来ると思うの。」
と、手作りクッションを贈った。
 ミルクは一人一人にお礼を言っていたが、改めて心からの感謝を込めてお礼の挨拶をして、一応のパーティーは終了した。


 数名がソファーに席を移し、食後の紅茶を勧められる。
 ミツルはまだテーブルについていたが、そろそろ退席したい、と時計に目を向けた。
 と、母親に、
「ミツルさん。・・・ちょっとこちらにいらっしゃい。」
と、ソファーの方に呼ばれた。
 母親に示された場所に座ったミツルは、そこにいる顔ぶれに怪訝な顔をする。
 ミルクの隣りにマサトが並び、イスは違うが母親と高藤が並んでいる。
 そして、細長いテーブルを挟んだ目の前には、オブザーバーのように景山が座っていた。

「・・・どーゆーことだ?」
 ミツルが無愛想に言うと、
「ミツル殿。これは家族間の問題ではありますが、事を冷静に報告申し上げるには、第三者の私からの方がよろしいかと思われますので、ご了承ください。」
と、景山が穏やかさを残してはいたが、事務的に宣言した。
「・・・報告?」
 ミツルの表情が険しくなる。
 高藤と母親が並んでいる時から、嫌な予感がしていたのだ。
「はい。何点か重要なご報告があります。」
「・・・勿体付けてないで言えばいいだろ!」
 すでにミツルは喧嘩腰だった。
 景山は窘めるように首を振り、
「では申し上げますが、くれぐれも途中で席を立たれないように願います。男子たるもの、時には苦渋を飲んで耐えることも必要ですよ?」
と、念を押した。
 ムッ、として景山を睨んだミツルだったが、穏やかさの中に隠れている威圧的重圧感を察知して、
「・・・わかりました。」
と、姿勢を正した。

 どうせ、母親と高藤のことだろう、と思っていたミツルは、景山の口から淀みなく告げられていく事実に絶句して、美しい顔を蒼白にしていった。
 ミルクは途中不安になって、どうしよう、とマサトの顔を見上げたが、マサトはミルクと繋いでいる手に力を込めて、微かに笑みを浮かべてみせた。
 景山は最後にマサトとミルクの結婚式の日程を告げて、全てを話し終えた。

 かなりの沈黙が続いた。
 それでもどうにか大きく息を数回吸って吐いたミツルが、人形のように凍り付いていた顔に表情を取り戻し始めた。
 そして、見る見る怒りが充填していき、
「・・・ふざけるな・・・ふざけるな・・・・・ふざけるなーーーッ!!」
と、爆発させた。
「ミツル殿。・・・誰もふざけてなどいません。皆、母君やアリス様も含め、長い葛藤と苦悶を経て今日の結論に至ったのです。今日までミツル殿に相談出来ずに来たのも、ミツル殿の難しい時期を思えばこそ、ということをご理解ください。」
「綺麗事を抜かすな!みんなお前等が仕組んだことだろうが!」
 怒りに目を血走らせたミツルは、理性も体面も喪失していた。
 景山が、
「難しいとは存知ますが、母君のお体のことも配慮くださるよう願います。精神的なストレスが悪い影響を与えかねませんので。」
と、諭しても、
「この家に穢れた血を入れるくらいなら、どうかしてくれた方がいい!」
と、自分で言った言葉にさえ責任が負えない状態だった。
「お兄ちゃん!それってヒドイよッ!」
 たまらずにミルクが叫ぶ。
 だが、ミツルの罵詈雑言は止まらない。
「ミルク!いい加減、目を覚ませ!コイツ等がどんな奴等かは、ミルクが一番よく承知してるだろうが!」
「お兄ちゃん!やめてよッ!」
 ミルクが悲鳴のように叫ぶ。
「高藤!母君にはこれ以上無理をして頂く訳にいかない。早く寝室へお連れしろ。」
「あ・・はい!」
 マサトの言葉に、高藤は青ざめた琉美江を支えながら部屋を出ていった。

 ミツルは牙を剥いた狼のような顔つきで、母親と高藤の後ろ姿を睨んでいたが、姿が見えなくなると、
「何もかも、お前のせいだッ!」
と、今度はマサトを睨みつけた。
「善人面しやがって・・・いくら綺麗な仮面を被ろうと、お前の血は悪魔の腐臭がするぞッ!」
 ガタンッ!
 テーブルにいた戒が音を立てて立ち上がった。
「戒はそこを動くな!」
 マサトが手を翳して戒の動きを封じる。
 それから、片眉を吊り上げて腕組みをし、
「それはそうだろう。だから何だ?」
と、低く響く魔の声で答えた。
 ミツルはグッと腹を据え、負けじと睨み続ける。
「お前が何もかもを壊していく。全てを破壊し、不幸に陥れていく。」
「…違…お兄…ちゃ……やめ…て……」
 ミルクが息苦しそうに胸を押さえながら、やっとの思いで声を出す。
「景山。ミルクを頼む。」
「…ゃ……ここに……いる……」
 マサトは眉を寄せミルクを見つめたが、小さく息を吐くと、
「無理するなよ?」
と言って、ミルクの白い頬をそっと撫でた。

「ミルク!・・・どーしてわからないんだ?・・ソイツは悪魔なんだぞッ!」
 ミツルが必死の形相で訴えても、ミルクは、
「……違ぅもん……」
と、否定し、爪を噛む。
「ミツル。妹を責めるな。俺と話せ。」
 マサトが更に温度を低めた声で言う。
「・・・いいさ。お前の仮面を剥ぎ取ってやる。」
 ミツルは孤立無援の状況で、マサトと対峙する。
「仮面か?・・・本当に仮面を被っているのが俺か?」
「とぼけるなッ!」
「とぼけちゃいねぇぜッ!!」
 罵声でマサトがミツルに負けるはずがない。
「会長。周囲をお考えください。」
 景山が警告する。
「・・・ああ。わかってる。」
 マサトはトーンを下げ、
「綺麗事を並べるのはどっちだ?・・仮面を被り続けようとするのはどっちだ?・・現実をよく見てみろ。」
と、問い掛ける。
「・・・現実?・・・お前の悪事を並べるのはお前自身でしろ。」
 ミツルは蔑む視線を投げかける。
「自分の足元さえ見えない奴に何がわかる?」
 マサトの言葉に足元に視線を落としたミツルが、苛立たしげに、
「わかりたくもないね。」
と、吐き捨てるように言った。
 マサトは、
「これだから光の奴等は嫌ぇなんだ。」
と呟き、
「いいか?お前が、俺が壊したというものが、どんなだったか、よく思い出せ。」
と言う。
「一年以上家に帰らない父親は俺のせいか?・・あの当時、ミルクがどんなに辛く追い詰められていたか、お前は本当に知っているのか?母親がどれほどの絶望の中にいたか、本当にわかっているのか?」
「・・・人の家のことに口出しするな。」
「そうやってフタをしておけばいいのか?・・・高藤の家庭が一見平和そうに見えて、誰も幸せじゃなかったのも俺が悪いのか?」
「・・・フン。違うのか?」
「高藤は俺の部下だ。だが、女房や家族にまでは口出ししてないぜ。」
「だったらずっと口出ししなきゃいいだろう。」
「全ての傷を塞いで、外見だけ取り繕い、中では膿が溜まって腐っていってもいいのか?・・・それこそ仮面を被っているのはどっちだ?・・・自分自身すら騙し誤魔化し、世間的に綺麗な仮面を被って、自分自身の嘘さえ見えなくなっていく。それが光の生き方か?それでいいのか?・・・俺は少なくとも自分自身を騙したりはしないぜ。」
 ミツルは頭痛を覚えて顔を歪める。
 ガンガンガン、と激しく鳴り響く頭に目眩を覚えて目を閉じる。

「…ぁ……お兄ちゃん……お兄ぃ……」
 ミルクは、もう止めて、とばかりにマサトの袖を引っ張った。
「・・・そうだな。もう止めておこう。・・・だが、最後に一言言ってからだ。」
「…マサトぉ……」
 ミルクは啜り泣きながら、また爪を噛んだ。
 マサトは奥歯を数回噛んで、ミルクの切なげな眼差しを振り払う。
「ミツル。余計な口出しをしているのはお前の方だぜ。お前が心配しなくても、母親は可愛い子供を産んで、高藤と幸せな家庭を築く。そして、ミルクは俺が幸せにする。誰にも文句は言わせねぇぜ。」
 ミツルにはもう返す言葉が見つからない。
 ・・・どこかに矛盾がある。
 ・・・どこかに見逃してる事実があるはずだ。
 そう思っても、巧みな悪魔の論法に敵うだけの力は、まだミツルにはなかった。
「・・・もういい。」
 ミツルは力無く目を開けて言った。
「もう・・・俺はこの家とは縁を切る。この家を出て、お前等とは関わらずに生きていく。」
「……お兄ちゃん!」
「もう勝手にしろ。・・・今のミルクとはもう何も話すことはないよ。」
 ミルクは、ワッ、と顔を覆って号泣する。
「マサトさん。・・・俺はあなたを尊敬している。・・・悔しいが今でさえあなたほどの人物は他にいないと思う。」
「・・・ほぅ?」
「だが・・・尊敬しても関わり合いになるのは御免だ。・・・理由は・・・あなたが悪魔だから。」
「・・・ククッ。別に構わねぇぜ。」
「この家を出て、一人で生きていきます。」
「そうだな。それがいい。」
「・・・ミルク。・・・母さんを頼むな。」
 ミツルはそう言うと、ミルクの返事も待たずに部屋を出ていった。

「……お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
 泣きながら繰り返し呼び続けるミルクを、マサトがあやすように抱き締める。
「もう、泣くな。・・・いいじゃねぇか。全て計画通りだぜ?」
「……だってぇ……」
「啖呵切ったって、すぐには飛び出せねぇし・・・出ていくって言っても所詮は日本の中しかねぇじゃねぇか。しかも大学に通える範囲だぜ?」
「……だけど……」
「落ち着いたら、差し入れでも持って押し掛けてやりゃぁいいさ。・・今は許せねぇ気持ちが勝っちまってるが、気持ちが落ち着きゃ・・・相変わらずのシスコンだぜ。・・・なぁ?」
 マサトはミルクの髪を撫でながら、景山に顔を向けて笑って見せる。
 ずっと傍観していた景山も、
「ええ。そうでしょうね。」
と、穏やかに微笑んで頷いた。

<67>
「アパート」
§67§「アパート」

 パーティーの後、出掛けて行ったミツルが帰ってきたのは、夜遅くなってからだった。
 そしてそれから朝方まで、ミツルの部屋からガタコトと音がしていた。
 ミルクは疲れて眠ってしまっていたが、母親は心配でずっと起きていたらしい。
 朝になって母親からそのことを聞いたミルクは、
「……そっかぁ……やっぱ、家を出る準備かなぁ……」
と、さすがに寂しさを感じて呟いた。
「・・・家を・・・・・」
「…ぅん。…マサトさんが仕方ない、って言ってたし…ミルもそう思う。……男だし、もう大学生になるから、一人暮らしをするのも社会勉強になるだろ、って。」
「・・・そう。・・・・・そうねぇ・・・・・」
「お兄ちゃんねぇ、昨日、ママのことを頼む…って言ってたよ。だから、大丈夫だよ、きっと。」
「・・・ええ・・・・・」
 こんな旅立ちをして欲しくはない。
 その思いは母親にもミルクにもある。
 ――ただ、今度のことはあまりにも時間がなさ過ぎた。
 春休みには、またバイトをしたい、と思っていたミルクも、披露宴で着るウェディングドレスを採寸したり、招待客を選んだり、と忙しい準備に追われそうだった。
 母親の方も、離婚で権利を委譲されたこの家を、新しい家族の為に改装する準備を始めなければならない。
 それと、出産前後には仕事を完全に休まなければならないので、自分がいない間も店を継続していける体制を整えておく必要もあった。
 お互いにやるべき課題が山積みで、ミツルが納得出来るまで話し合っている時間もなかったのだ。――

 朝食も摂らずに出掛けていたミツルが、昼近くに剣道の先輩が運転する軽トラックで戻ってきた。
 そして、荷物を積み込むと、
「母さん・・・お世話になりました。」
と、玄関を下りた所で直立姿勢から頭を下げて言った。
 母親は何も言えず、涙を溜めた目で、もうこの家には戻らないだろう息子を、じっと見つめていた。
「……お兄ちゃん……お兄ちゃんの部屋はそのままにしておく、って言ってるんだもん…休みとかには戻ってきてよぉ。」
 ミルクは寂し過ぎて苛立つ心のままに地団駄を踏んで言う。
 ミツルは、フッ、と優しい笑みを浮かべると、
「・・・お前も出るんだろ?」
と、ミルクの頭に手を伸ばして撫でた。
「……でも……」
「・・・ん。俺の分も母さんのこと、頼むな。」
 ミツルはもう一度そう言って手を戻すと、
「じゃぁ。」
と、背中を向けて出て行った。
「・・・ミツルさん・・・ごめんなさい・・・」
 母親はその場に座り込み、噎ぶように泣き出してしまう。
「ママ……」
 ミルクは母親の体を支えて、背中を撫でていたが、門扉の閉まる音に、ビクッ、と立ち上がった。
 サンダルを履こうとしたが足がもつれて片足しか履けず、片足裸足のまま兄を追って玄関を出る。
 ミツルはもう軽トラックの助手席に乗り込んでいた。
「お兄ちゃーん!…お兄ちゃぁーーんッ!」
 バランスが取れずによろけながら走る。
 ミツルは正面を向いたまま、運転席の先輩が何か言った言葉に頷く。
 そして、静かに軽トラックが動き出す。
「お兄ちゃ…ッ……」
 敷石に躓いて転びそうになった時、門前でミツルを見送っていた戒が素早く駆け寄り、ミルクの体を支えた。
「姫。・・・シンデレラの王子は、兄君ではありませんぞ。」
 戒はそう言って、恭しくミルクを抱き上げ、家の中へと戻って行った。


 夜、地下アジトで戒の報告を受けたマサトは、
「チッ。もう部屋を見つけちまったのか。」
と、渋い表情で腕組みをしながら呟いた。
「クスッ。すぐに見つかるような部屋では、ろくな場所ではないでしょう。」
と、口調は穏やかな景山が冷めた含み笑いを洩らす。
「四畳半の1DK。築20年の古アパートです。」
 部下に探らせてあった戒が地図を示して言う。
「クックックッ。面白い。・・あの高すぎる鼻っ柱を・・・ちょっとへし折ってやるか。」
「では、私が。」
 若松が軽く頭を下げる。
「ククッ。あの手合いは直接的な攻撃は向かねぇ。触れずに・・・いたぶり・・・落とす。」
 マサトは恐ろしげな光を放つ鋭い目を細め、ほくそ笑んだ。
 ミツルが示唆したように、確かにマサトは悪魔なのかも知れない。
 そして・・・
「なるほど。」
「いいお考えですね。」
「では、早速・・・」
と、薄ら笑いを浮かべて頷き合う者達も、やはり魔族と言えるのだろう。


 悪魔の息吹のような、生暖かい夜は更けていく。
 ミツルはようやく整理のついた狭い部屋で、効率のいいバイトを増やそうか、などと思案しながら眠りについた。


 ……エーン……エーン……エーン……
 小さな女の子の泣き声がする。
 ・・・ミルク・・・・・ミルクか・・・?
 ミツルは夢の中でミルクの姿を探す。
 ……エーン……エーン……エーン……
 次第に声がはっきりして、
「ねぇー!泣かないでよー!ママだって忙しいのッ!」
と、動き回りながら困ったように叫んでいる声が聞こえる。
 ミツルは何事?!・・っと目を覚まして布団から起き上がった。
 部屋を見回すが誰もいない。
 夢かと思おうとしたが、まだ小さな子の泣き声が続いている。
 どうも隣りの部屋らしい、と気付いた時、反対側の部屋のドアが乱暴に開けられた。
 バタンッ!・・・ツカツカツカ・・・
 ミツルの部屋の前を、踵の響くサンダルの音が通り過ぎていく。
 ドンドンドンッ!
「ちょっと〜ッ!いい加減にしてよねぇ〜ッ!夜の仕事で疲れてるのに〜起こさないでよ〜ッ!」
 苛立った女性の声の方が余程喧しい。
「済みませんッ!もうすぐ保育園に行きますので・・・」
「そっちの都合なんて知らないわよッ!だいたいねぇ〜それまで子供を泣かせておく気〜?!」
「済みませんッ!すぐに出ますからッ!」
「ホントに迷惑なのよね〜ッ!子供を泣かせないでよ〜ッ!」
 サンダルの女は、
「・・・っとに、毎朝毎朝・・・」
と、ブツブツいいながら、またミツルの部屋の前を通り過ぎて行った。
 バタンッ!
 ドアが閉まり、今度はサンダルの女の部屋から、TVの音が聞こえてくる。
 どうやら、泣いてる子の声がどこかに行ってくれるまで、寝るのを諦めてTVを見ることにしたらしい。
 だが、TVの声が言葉までハッキリと聞こえる。
 余程子供の泣き声が神経に障るのか、TVの音で掻き消そうと音量を大きくしているようだ。
 子供の泣き声は止まない。
「もー・・ママだって泣きたいわよッ!ほらぁ!サッサと支度しなさいッ!」
 母親の声は更に苛立って子供を脅えさせる。
 ミツルはしばらく呆然としていた。

 合宿の時の雑魚寝は経験があるが、まったくの他人を自分の生活空間で、これほど密接して感じることがなかった。
 ミルクのガードが泊まり込むようになってからでさえ、そうした煩わしさを感じずにいた。
 そう思うと、彼等が相当に訓練された人種だったのだと、改めて感心してしまう。
 それはともかく・・・
 ミツルは昨日引っ越してきた時に留守だった両隣りの住人の様子に、この先のアパート生活が不安になっていた。
 大きく溜息を吐いたミツルは、
 ・・・あ・・・お隣が出掛ける前と寝る前に・・・挨拶をしておこう。
 と、今ある現実に意識を戻した。
 ミツルは夜になってからの挨拶はマズイだろうと考え、急いでパジャマから服に着替えた。

 ドンドン!
 立て付けが悪いのか、普通にドアを叩いたのに騒々しい音がする。
 それでもTVの大音量で聞き取れないのか、三度目にしてようやく、
「何よぉ〜!煩いわねぇ〜!」
と、煙草をくわえた20代半ばの女性が顔を出す。
 彼女はミツルを見るなり、目と口を丸くし、唇に貼り付いてどうにか落ちずに済んだ煙草を慌てて指でつまんだ。
「・・え?・・・あら、何かしら?」
 声のトーンがいきなり上がる。
「初めまして。朝に伺って申し訳ありません。昨日、隣りに引っ越してきた者です。これから出掛けるものですから、ご挨拶だけでもさせて頂こうかと・・これを・・」
 ミツルはそう言うと頭を下げて、菓子折を差し出した。
「そうなのぉ〜。あたしはル・ミ・コ。こ〜見えても〜クラブのホステスなのよぉ〜。・・ウフン。」
 羽織ったガウンが開きかけて、中のナイティーから胸が見えそうなルミコは、そんな恰好より髪のほつれを気にしている。
「ミツルといいます。今年度から大学へ通いますので、昼間は留守にしていると思いますが・・よろしくお願いします。」
「あら〜、学生さん?ウフフ。ウチの店〜学割があるから〜良かったら遊びにいらしてねぇ〜?」
「あ、いえ。まだ、未成年ですので・・・」
「え〜・・・そうなのぉ?お客さんに高校生もいたような〜・・・ん〜?」
 ルミコは不思議そうな顔で首を傾げる。
 顎や首のラインを充分に意識した、色気を強調する傾げ方だ。
 ミツルはそのわざとらしさに内心溜息を吐き、
「お休みのところを失礼しました。それでは・・」
と、もう一度頭を下げてドアを閉めようとした。
「あら〜いいじゃないのぉ〜。寄ってお茶でもどぉ〜?」
 ルミコがミツルの腕をやんわりとつかむ。
「いえ。僕の方も用があって急ぎますので、失礼します。」
 ミツルはつかまれた腕を抜きながら、廊下の手摺りまで後ずさった。
 ルミコは諦めたようで、
「そぉ〜?・・・それじゃぁ〜またねぇ〜。・・Chu!」
っと、投げキスをしてドアを閉めた。

 ミツルは手摺りから外へ傾いていた背中を戻した。
 体を戻した時、ガチッ、と手摺りが音を立て、微かに揺れたようだ。
 ・・・手摺りも立て付けが悪くなっているのか・・・
 ミツルは手摺りをつかんで揺らしてみる。
 やはりガタガタ鳴る。
 ・・・安い訳だ・・・
 一昨日大家に案内された時、もっとよくチェックすれば良かった、と安易に決めてしまったことを悔やんだ。
 生活費くらいバイトで遣り繰りしようと思っていたミツルは、安かったこの部屋が気に入って、すぐに契約してしまったのだ。
 一階は大家の老夫婦の住居で、二階が貸しアパートになっている。
 大家の話では、大学に近いから学生の申し込みが殺到する、ということだった。
 両隣は留守だったが、一番奥の部屋は確かに学生だった。
 周囲が住宅地だから環境的にも静かだと、大家は言っていたが、いくら環境が静かでも住人が喧しくては意味がないような・・・。
 ・・・老夫婦だけに耳が遠いのだろうか。

 ミツルがそんなことを考えながら二階からの家並みを眺めていると、反対隣りのドアが開いた。
 ドアが開いてもまだ姿は見えない。
「もぉ!靴ぐらい早く履きなさい!」
 苛立った母親がそう言いながら、前屈みの姿勢でドアからお尻を出す。
 どうしても小さい子を見ながらドアを出ると、お尻から見えてしまうのは仕方がない。
 ミツルは手にしたもう一つの菓子折を、グッ、と持ってお尻に近付く。
「あの・・お忙しい時に済みません。」
 ミツルが声を掛けるとお尻がビクッとして引っ込み、代わりに若い女性の顔が現れる。
 その女性もミツルの顔を見た途端、目を丸くしてしばらく見取れてしまう。
 ミツルも女性の若さに微かな驚きを感じた。
 見ようによってはルミコよりも若く見える女性で、とても子供の母親という感じがしない。
「あ・・昨日隣りに越してきた者ですが・・ご挨拶が遅れて申し訳ありません。つまらない物ですが・・」
 ミツルが菓子折を差し出した時、その先に小さな子供の顔が見えた。
 5歳くらいの女の子が、頬と鼻を赤くして、まだ涙の乾かない潤んだ目でミツルを見上げている。
「やぁ・・おはよぅ。はじめまして。よろしくね。」
 ミツルは、ふと重なる面影を思い出して、優しく微笑みかけた。
 女の子は恥ずかしがって母親のスカートに顔を埋めて隠してしまう。
「あ、ほら。ちゃんとご挨拶して。」
 母親は膝で女の子を押している。
「いえ。急だったのできっと照れてしまったのでしょう。気にしないでください。」
「もぉ・・・内気な子で・・・」
 ちょっと肩を竦めて笑う母親は、上目遣いに瞬きしてミツルをじっと見ている。
「お出掛けの所をお引き留めして済みません。・・あの・・これを・・・」
 ミツルがもう一度菓子折を差し出すと、母親はようやく気付いたように受取り、
「えぇ?いいんですか?・・ありがとうございます。」
と、嬉しそうに言う。
 ミツルはどうも調子が狂いながら、
「それじゃ、僕も出掛ける支度がありますので。」
と、頭を下げ、スカートの影から顔半分覗かせている小さな子に、
「またね。」
と、笑いかけて手を振り、自分の部屋のドアを開けた。
 と、部屋に入る時、子供より母親が手を振っているのを見てしまい、ぎこちなく笑みを浮かべて軽く会釈し、ドアを閉めた。

 ・・・何なんだ?
 ミツルは奇妙な住人に挟まれて、前途多難な一人暮らしを予感していた。
 だが、安いアパートに、事情を抱えた住人が住んでいること自体は不思議ではない。
 ミツル自身、事情を抱えているのだから。
 ・・・ま、慣れれば何とかなるだろう。
 ミツルは気持ちを入れ替え、先輩が紹介してくれた、大学に近い剣道道場へ出掛ける支度を始めた。


 まだ、マサト達の動きはない。
 これ以上の何が待ち構えているか、・・・また知らないミツルだった。

<68>
「財布の写真」
§68§「財布の写真」

 4月1日、エイプリルフール。
 ミルクは朝から、どんな嘘をつこうか、とずっと考えていた。
 相手を傷付けず、相手に「嘘でしたぁ〜!」と言った時、相手も「なぁ〜んだ!アハハッ!」と笑えるような嘘がいい。
 嘘とわかってからも蟠りが残るような嘘は言いたくない。
 毎日色々なことがありすぎて、生きるだけで精一杯の時は、嘘をつく余裕すらないのだと最近気付いたミルクは、みんながちょこっと楽しく幸せになれるような嘘はないか、と思案していた。
 思いつかないまま衣装の打ち合わせや、エステや他の買い物にと、戒のガードで引き回されて、ようやく地下アジトに戻ってきた。
 ――結婚前の準備は、一般的な花嫁よりは楽だろう。
 すでに新居は家具一切が整い、勉強に必要な物以外は買い揃える必要もない。
 しかも、ミルクが寂しがらないようにと、ミルクの部屋を今の状態でそっくり移せる部屋も用意されていて、その引っ越しも組織の人達がしてくれるらしい。
 覇羅蛇村での秘密めいた式はもちろんお任せだし、披露宴もミルクが関与するにはあまりにも規模が大きすぎた。
 ミルクはただ操り人形のように、指示される通りに手足を動かし、笑顔を向けていればいいのだと言われてしまった。
 確かに楽でいいのだが、肝心の笑顔が引きつらないように、心の準備だけはしておかなければならないだろう。――
 すっかり傷が回復した福島が入れてくれたレモンティーを飲んで、戒と一緒にホッと一息吐いた所に、マサトが若松と景山を伴って、”アリスの部屋”に現れた。

「よう。戻ったな。」
 マサトがミルクの隣りに座り、肩を抱いてコメカミにキスをする。
「ん。…なーんにもしてないのに、疲れたぁ……」
 ミルクが甘えてマサトのスーツに顔を擦り付ける。
「ククッ。中世の姫君の心境か?」
「…ミルぅ…お姫様じゃなくていい〜……」
「一時の我慢じゃねぇか。これを乗り越えたらのんびりしようぜ。・・な?」
「……ぅん……」
 ミルクはもたれていた体を起こして、またレモンティーのカップを手にする。
「でもなーんで採寸ってあんなにあちこち計るんだろぉ?…しかも、一度計ったはずなのに同じような所を計り直したりさぁ…」
 カップを口元に近付けて頬を膨らませる。
「ハハッ。それはドレスのデザインによって、必要なデータが違うからですよ。ある程度体型に変化がなければボディーそのものの模型を店に置く人達もいますが、アリス様はまだ成長期ですので、その都度計る必要がある訳です。」
 ミルクの着るドレスのデザイン全てを、自分で吟味し選んだ景山が、宥めるように説明する。
「…ぇ?……じゃぁ、着るのって一つじゃないのぉ?」
「お色直しがありますし、他に舞踏会用のも用意しませんとね。」
「…舞踏会?」
 ミルクが、聞いてないよぉ〜、と言いたそうな顔をしたので、
「ミルクもローランド伯爵を覚えてるだろ?」
と、マサトが説明を引き継ぐ。
「…ぁ…うん。」
「披露宴の後、一週間程度フランスへ行こうと思うんだ。日本にいても騒ぎが収まらねぇと学園には行けねぇだろうしな。で、そう言ったら、伯爵がお祝いの舞踏会を開きたい、と言ってくれたのさ。」
「え゛ーーッ?!」
 ミルクのいかにも嫌そうな声にマサト達が苦笑する。
「誰もイジメねぇから、心配するな。」
 そう言われても、あの独特の雰囲気だけでも息苦しく感じてしまうミルクには、また難題が積み上げられた思いだった。

「で、考えたんだが・・・予定を早めて式と入籍は春休み中にすることにしたぜ。」
 マサトはあっさりと軽い口調で言った。
「はぁ〜?」
 春休み中と言っても、後一週間しかない。
 ミルクは唖然としてマサトの顔を見ていたが、
 ……あ!
 ……エイプリルフールかぁ!
 と、思い付き、笑い出す。
「アハハハハハッ。やだなぁ〜もぉ〜…プププッ…思わず本気にしちゃったじゃーん。」
「・・・あ?・・・俺は本気だぜ?」
「ダメダメー。もぅ、わかっちゃったもぉーん。…ミルだってぇ、今日が何の日かくらい知ってるもん。」
「・・・・・何の日だ?」
 マサトが景山に視線を向ける。
 景山は、はて?、といった顔で戒に目線を移し、戒も、眉をひそめて若松を見る。
 若松は、うッ・・・、と固まり、ちょうど他の人達の紅茶を持ってきた福島に視線を向ける。
 福島は目を丸くし、ケーキを買って来ていた田代に、目を瞬かせながら救いを求める。
「・・・は?・・・あ・・・え・・・今日ですか?・・・あー!エイプリルフールッスね?」
 田代は思い出すことが出来て、ホッとした笑顔で答える。
「うんッ。そぅそぅ、そぉ〜なのぉ〜。」
 ミルクも笑顔で田代に頷いたが、ふと気が付いて、
「ぇ……って…マサト…知らなかった?」
と、首を傾げた。
 マサトはヒクヒクと頬を痙攣させ、福島が置いた紅茶のカップに手を伸ばし、音を立てて啜った。
「・・・坊ちゃま・・・」
 チチチッ、と戒が舌を鳴らして首を振る。
「・・ったく、人が真剣な話をしてる時にだなぁー・・・」
「まあまあ。・・・ハハハッ。アリス様のお陰で、私達も世間の風を感じることが出来るということですよ、ボス。」
 景山は可笑しそうに笑みをこぼす。
 笑えなくなったのは、ミルクの方で、
「…え゛ーー……じゃぁ、本気なのぉ?」
と、ミルクの抗議する視線に、その場の男達は真面目な顔で、うんうん、と頷いた。


 ……結局、嘘を言う暇がなかったぁ……
 自宅に戻る車の中で、ミルクは大きく溜息を吐いた。
 本当はそんな小さな問題ではなく、別のことで気が重くて吐いた溜息だった。
 ただ、ミルクにはもう考えようもなかった。
 ――マサトの話では、式と入籍を早めることは、母親の琉美江ももう承知しているという。
 春休み中に入籍を済ませておけば、有栖川から原田と姓を変えて授業を受けられるから、という理由だそうだ。
 学園側も修業期間中に学内が騒ぎになるより、”家庭の諸事情により”、と、始業式で説明してしまった方がいいと、了承しているらしい。
 政財界でも指折りの名門子女が通う学園だけに、”家庭の事情”は多々見られることで、学園側の理解と受け入れは寛容なものだった。――
 言われてみればそうなのだが、一日延ばしにしたい気持ちがあったミルクは、心が急展開についていけなかった。
 ……はぁぁ……原田美琉玖かぁ……
 ……ん?……覇羅蛇…美琉玖かな?
 ……てゆーかぁ……アリスじゃなくなるじゃん?
 ………………ハラ……ラダ…………
 …………ま……何でもいいけどぉ…………
 ミルクはまた大きく溜息を吐いた。

「・・・ミツル殿も式に出席して頂けるといいですね。」
 助手席の戒が、沈み込むミルクに呼び掛けるように言った。
 うつむいていたミルクは顔を上げ、戒に視線を向けた。
「ぁー……ぅん……でも、お兄ちゃん…連絡出来ないしぃ……」
「母君には、ミツル殿の借りられたアパートの住所は、お教えしてありますが?」
「え?!……そうなの?」
「はい。」
「……そーなんだぁ……」
「ただ、本人が縁を切ると仰って出られた以上、すぐに母親が訪ねていくのも嫌だろうから、と様子を見るそうですが。」
「……そっかぁ……そーだよねぇ……」
 ミルクが寂しそうに頷く。
 バックミラー越しにミルクの表情を見ていた戒が、
「・・・身の回りの物だけしか持って行かれませんでしたから・・・不自由なさっておられるでしょうねぇ。」
と、ミルクの心配を駆り立てるように言う。
「……だよねぇ……ちゃんと食べてるのかなぁ?」
「・・・どうでしょう。・・・鍋一つ持っていかれてませんし・・・」
「だよね?……っとに、お兄ちゃんって無茶なんだからぁ!」
 ミルクは段々腹が立ってきた。
 と、同時に益々心配になる。
「・・・明日にでも、様子を見に行かれますか?」
「…え……いいかなぁ?」
「アリス姫の手作り料理でも差し入れて差し上げれば、追い返すことはなさらないでしょう。」
「そっかぁ!そうだよねぇ!」
 ミルクは目を輝かせて頷いた。
「じゃぁ、スーパーでお買い物して行こうっと。…いい?」
「よろしいですよ。」
 戒はフッと笑みを浮かべて、運転手に指示を出した。


 4月1日。
 日がすっかり暮れてからミツルはアパートに戻った。
 ――まだWHNG(世界人権擁護団体)事務所でのバイトは続けている。
 大学が始まっても、週末と時間が空いた時でいいから手伝って欲しい、と言われている。
 もっと効率のいいバイトもしたい気持ちはあるが、父親が入学祝で送ってくれたお金で当面は生活出来た。
 父親からのお金には手を付けたくなかったが、手持ちのお金はミルクへのプレゼントでなくなっていたので、アパートを借りるのに仕方なく使うことにした。
 その残りが、どうにか節約すれば夏休みまでの生活費になる。
 やはり大学に入学してしばらくは、勉学に専念したい。
 学ぶ為に大学へ進んだ本分は忘れたくないし、それが将来の自分の為でもある、と思う。
 そして、夏休みには今のバイトと別のバイトで貯金を殖やし、冬休みまでの生活費に充てれば充分やっていけるだろう。
 今のバイトでなら道場にも通える。
 道場は師範代として時々後輩への指導をすることで、会費は免除して貰えることになった。
 多少クセのあるアパートの住人に我慢さえすれば、特に生活で困ることはないだろう。――
 ・・・何とかなるものさ。
 ミツルは、夕食用に温めてもらったおにぎりと肉まんの入った袋を下げて、アパートの階段を上がった。

 階段を上がって二番目の部屋がミツルの部屋だった。
「プップー……プップー……サヤちゃんは車でおでかえでチュ……」
 切れかけの薄暗い電灯の下で、隣りの女の子がしゃがみ込んで一人でお喋りしている。
「こんばんわ。」
 ミツルが声を掛けると、あどけなく首を傾げて、
「……あ!……おかちのお兄ちゃんでちょ?」
と、答えた。
「アハハ。ミツルって名前だよ。」
「…ミチュルお兄ちゃん?」
「そう。よろしくなぁ?」
 ミツルも屈み込んで女の子の頭を撫でた。
「サヤちゃんはサヤカでちゅ。」
「そっかぁ。サヤカちゃんはサヤちゃんって呼ばれてるんだね?」
「……ううん。サヤちゃんはサヤカでちゅ。」
 ミツルは女の子のこだわりが面白く、
「うんうん。わかった。サヤちゃんはサヤカって名前なんだね。」
と、優しく笑いかけた。
 女の子は嬉しそうでありつつ恥ずかしそうな顔をして笑う。
 ただ、剥き出しの膝小僧が赤くかさついていて寒そうだった。
「もうお家に入らないと寒いよ?」
 ミツルが女の子の赤いほっぺを撫でてやると、女の子は首を傾げ、
「…ママ…お買い物でちゅ。」
と答えた。
「そっか。一人でお留守番?・・・お利口さんだね。」
 ミツルは内心、・・一人で留守番させるなよ・・と思いながらも、外で母親を待っているサヤカの気持ちが健気で、一層優しく微笑んだ。
 サヤカはミツルをじっと見つめ、
「……お兄ちゃん……絵本で見たことありゅ。」
と言った。
「ん?・・・サヤちゃんは絵本が好きなんだね。本はいいよ。いっぱい読むんだよ?」
 ミツルにはサヤカの言った意味がわからなかったので、そう言って頭を撫でてやった。
「うん。……お兄ちゃん……羽はぁ?…頭の輪っかはぁ?」
 どうやらサヤカは絵本の天使と似てると言いたいらしい。
「アハハ。いや。その絵本のお兄ちゃんはお兄ちゃんじゃないんだよ。・・・それより、お留守番の御褒美に・・・これをあげるね。」
 ミツルはまだ温かい肉まんの入った小さな袋を出して、サヤカに渡した。
「…あっちゃかぁ〜い……」
 サヤカは嬉しそうに冷たいほっぺに押し当てた。
「お家に入って、手を洗って食べるんだよ?」
「うん。」
 ミツルは肉まん一つ食べるよりも温かくなった胸の温もりを抱いて、にっこり頷いて立ち上がった。
 サヤカはミツルが鍵を開けて部屋に入るまで、同じ場所で手を振っていた。


 翌朝、ミツルは流しの上の窓を少し開けて、洗面器で洗濯をしていた。
 大物はコインランドリーを利用しようと思うが、下着や靴下は手洗いで充分だろう。
 今朝は割と静かな朝だった。
 あのサヤカという名前の女の子の泣き声が聞こえないだけホッとする。
 ・・・ミルクもあの歳の頃は本当に可愛かったな・・・
 今が可愛くないとは言わないが、もう自分だけの天使ではなくなってしまった。
 いつも自分の後を必死になってついてきたミルク。
 ミツルは財布にいつも入れている写真を、引き伸ばして写真立てで飾ろう、と思い付き、自然と笑みを浮かべていた。
「……お兄ちゃん……」
 呼ばれてミツルは洗濯物から視線を窓に向けた。
 大きな目が二つ、開けておいた窓から覗いてる。
「何やってんだ?」
 隠れん坊でもしているのか、とミツルが笑う。
「…お兄ちゃんこそぉ……」
 問われてハタと気が付く。
 小さい頃を思い出していたせいで、家を出ている立場とその理由を忘れていた。
 ・・・だいたい目しか見えないのが悪い!
 ミツルは今更無視も出来ず、手に付いている泡を水で流してドアを開けてやった。
 細く開けた窓からはミルクの目と前髪しか見えなかったので、タイムスリップしていた意識のままで、声を掛けてしまったのだ。

「ちょっと洗濯の途中だから・・・その辺座っててくれ。」
 ミツルは横柄に言って洗濯を続ける。
「あれ?…手で洗ってるのぉ?」
「いいだろ、別に。」
「ふーん……けっこうマメなんだぁ。…フフフッ。」
 ミルクは部屋の中を見回していたが、四畳半の窓まで行くとギシギシさせながら開けた。
「……渋い…窓だねぇ……って、どこに干すのぉ?……何もないじゃん?」
「・・・今日必要な物は買う予定だ。」
 干す為のハンガーや吊す物が必要なことに言われて気が付く。
 ミルクは取り敢えず四畳半の畳の真ん中に座り、キッチンの方を眺めている。
「キッチン……テーブル置かないの?」
「・・・その内な。」
 ミツルはすすいだ洗濯物をキツク絞って、流しの横に置く。
「それぇ…広げておかないと臭くなるよぉ?」
 ミルクは狭い部屋を見回し、
「あ…この紐をどこかに繋げば、干せるね。」
と、荷物を縛ってきた紐を見つけて言った。
 ミルクが立ち上がって結わえてあった紐を解き、紐の片方をミツルに渡す。
 ミツルも渋々ミルクの指示で結び場所を探し、どうにか壁と壁で三角形になる位置に一時凌ぎの干場を作った。
「わーい!出来た、出来たぁ!」
 ミルクが手を叩いて喜ぶのを、
「お・・おい。そう、はしゃぐなよ。ここは壁が薄いから音が筒抜けなんだ。隣りから文句がくるぞ。」
と、声を低めて注意した。
「……そーなんだぁ……」
 ミルクも声を潜めて返事をする。
「じゃぁ、ミルが干してあげるねぇ。」
「いいって。・・・それくらい自分で出来るよ。」
「……つまんないのぉ…ミルのアイデアなのにぃ……」
 ミルクはまた畳に座り込むと、プッ、と頬を膨らませた。

 数枚の下着はすぐに干し終わる。
 ミツルは、キッチンに置いてある袋からりんごを一個取り出し、
「で?・・・何の用なんだ?・・・俺はもうじき出掛けるぞ?」
と、一口囓りながら言った。
「あーー!食べちゃダメぇー!」
と、ミルクがまた大きな声を出した。
「・・っな・・何なんだよ?」
「だってぇ……ミルぅ、せっかく早起きしてお料理してきたんだもぉーん。」
 ミルクはそう言って、大きなバッグのチャックを開けて、次々とタッパを畳の上に並べていった。
「これがぁ、ご飯でしょ…これはコロッケとぉ、一口カツとぉ、エビフライとぉ、野菜揚げでしょ…これが、肉じゃがでぇ…こっちがポテトサラダでぇ…あ、これは温野菜ぃ〜。」
 ミツルはその量の多さに呆れて眺めていたが、ミルクが得意げにニコッと笑うので、胡座をかいた膝に肘をついて頬杖をすると、大きく溜息を吐いた。
「・・・お前・・・そんなに一度に喰えないだろ?」
「え?…だって、みんな火を通した物だもん。冷蔵庫に入れておけば明日くらいまでなら大丈夫だよぉ?」
「・・・冷蔵庫・・・ねぇよ。」
 ミルクは目を瞬かせ、
「……そんなぁー……」
と、ガッカリしたように項垂れた。
 それから、ムッ、と顔を上げ、
「じゃぁ、全部食べて。」
と言って、ミツルを睨んだ。
「無茶言うなって・・・」
 ミツルが肩を竦めた時、ドンドンドン!とドアを叩く音がした。
「はい!」
 ドアに向かって返事をしたミツルは、
「見ろ。お前が騒ぐから、文句言いにきたぞ。」
と、ミルクに囁いた。
 ミルクは、目を丸くして口を手で押さえた。

「おはよ〜ございますぅ〜。」
 ミツルがドアを開けると、隣りの部屋のルミコがガウン姿で色っぽい声の挨拶をした。
 ミルクは、え?!、と背筋を伸ばし、ドアの方へ顔を向ける。
「済みません。煩かったですか?」
「あら〜いいのよ〜。彼女が来てるのぉ〜?」
「いえ。・・・妹です。・・・じゃぁ、何か?」
「ええ〜。お醤油がきれちゃってて〜貸して頂けないかしら〜?」
「あー・・・醤油ですか。・・・済みません。俺もまだそういった物は用意してなくて。」
「そ〜なのぉ〜?・・・ソースでもいいんだけど〜・・・」
「ソースも・・・あ、弁当で使わなかった小さいのなら・・・」
「ええ、それでいいわ〜。頂ける〜?」
「いいですよ。」
 ミツルがりんごの横の袋をガサゴソと探す。
 待つ間、ルミコは一歩身を乗り出してミツルの部屋の中を覗き込んだ。
 ミルクもずっと様子を伺っていたので、部屋を覗いたルミコと視線が合ってしまった。
「あら〜、可愛い妹さんね〜。」
と言った、ルミコは、ん?、と奇妙な顔つきになり、首を傾げた。
 親指の爪を噛み、今度は反対側に傾げてから、
「あッ・・・あらぁ〜〜〜!」
と、顔を真っ直ぐに起こして叫んだ。
「ねぇねぇねぇ〜!・・・妹さん?」
 ルミコは完全にドアから中へと入ってきてしまう。
「あ・・・ちょっと、それは困ります。」
 ミツルが押し止めようとしたが、ガウン姿のどこを押せばいいかと躊躇ってしまった。
 ミルクはミルクで、目が合った上に呼ばれて、
「ぁ、初めまして。兄がお世話になります。」
と言って、頭を下げた。
「ねぇ〜あなた見たことあるわぁ〜!」
 ルミコはミルクの挨拶より、ミルクの顔に興味があるようだった。
「あなた〜お名前は?・・・いいじゃないのぉ〜。これからはお隣同士なんだもの〜。ねぇ〜、あなた〜ミルクちゃんじゃない〜?」
 ・・・クッソォー・・・
 ・・・何で覚えてる奴がいるんだぁ・・・
 ミツルは額を指先で押さえ、
「済みませんが、ソース持ってご自分の部屋に戻って頂けませんか?」
と、ルミコの顔の前に小さなソースの袋を差し出した。
「……ぇっとぉ……そぉーですけどぉ…どこかでお会いしましたっけ?」
 ・・・あ、バカッ・・・
 そうミツルが思った時は手遅れだった。
「きゃぁ〜!やっぱり〜?!」
 ルミコは、立ち塞がろうとするミツルの体から、どうにか顔を出し、
「あたし〜芸能通なのよぉ〜。ウフン。」
と、ウィンクをする。
 ミルクは…そういう訳だったのかぁ…と理解し、肩をすぼめてペコリと頭を下げた。
「ああ〜いいな〜いいな〜。羨ましいわ〜。ミルクちゃんは〜サクセスストーリーの筆頭だもの〜。ホステスの間では〜憧れなのよぉ〜。」
 ミルクは返事に困ってうつむく。
「いい加減にしてください!」
 ミツルが声を荒げた時、
「失礼致します。」
と、ずっと外で待機していた戒が姿を見せた。
 そして、
「お嬢さん。借家と言えど、家宅侵入罪になりますぞ。立ち退きなさい。」
と、冷たい視線で睨み付けた。
 男でも震え上がるほどの戒の視線に、ルミコは息を飲んだまま後ずさりして、慌てて自分の部屋へと飛び込んでいった。

 ミツルがどっと疲れを感じて、肩を落として大きく息を吐くと、
「・・まだまだですねぇ、ミツル殿。」
と、チクリと嫌味を言って、戒が片頬に笑みを浮かべた。
「・・・どうせそうでしょうね。」
 ミツルは戒に背中を向けて投げ遣りに言うと、ミルクの前に来て、
「料理は食べるよ。残った分はバイトに持って行こう。」
と、項垂れているミルクの頭を撫でた。
 ミルクは泣きそうな顔を上げて、
「……ぅん……」
と、小さく返事をした。
「・・・な?・・・俺は大丈夫だから・・・もうここには来るなよ?」
 ミツルは愛しい妹の頬をそっと撫でる。
 ミルクは目に涙を溜めて弱々しく首を振る。
「…また……お料理作るもん。」
「・・・気持ちは嬉しいけどな・・・心配しなくていいから・・・」
 唇を噛んだミルクの目から、ポロン、と涙がこぼれた。
 ミツルは指を伝って掌を濡らしたミルクの涙を握り締めると、立ち上がり、
「・・・悪いが・・・もう時間がない。・・・帰ってくれ。」
と言って、背中を向けた。
 ミルクは小さく甘い吐息をもらして、
「……ごめんね。……お兄ちゃん……」
と、呟くように言って、ゆっくりと立ち上がった。

 入り口で待っていた戒が、ミルクに靴を履かせてくれた。
「…戒さん…ありがと。」
 そう言ったミルクは、振り向いてミツルの背に、
「……お兄ちゃん……また来るから……」
と、言ってみた。
 けれど、ミツルは振り向かず、返事もない。
「……またね。…お兄ちゃん。」
 ミルクはそう言い残して、ミツルの部屋を後にした。

 ミルクの涙を握り締めたミツルの手が熱く感じる。
 ミツルはミルクに自分の涙を見せたくなかったのだ。
 ・・・あの頃のままなら・・・
 そう思っても、思い出は遠い日々。
 互いに成長した今、越えてはならない一線がクッキリと敷かれていた。

財布の写真≪ミルク5歳≫   by ゆう様★

<69>
「天上の輝き」
§69§「天上の輝き」

――――――――――――――――――――
 いくら何でも残り一週間の春休みに、結婚するのは無理だろうと思っていたミルクは、御輿に乗って担がれてるような状態で進んでいく全てのことを、まるで他人事のように感心して眺めていた。

 覇羅蛇村での結婚式は、村中をあげてのお祭り騒ぎ。
 すでに花嫁になるべき儀式は、一年前婚約した時に済んでいて、村でもミルクはすでにマサトの妻として受け入れられていたし、後は伝統に則った厳かな式をすれば良かった。

 ミルクの母親の琉美江も、高藤と一緒に初めて覇羅蛇村を訪れ、
「素敵な村ねぇ。」
と感嘆をもらし、村の人達がミルクを好意的に受け入れてくれていることに感謝した。
 高藤は実家に立ち寄り、琉美江との結婚を祖母に報告した。
 高藤の両親は海外に赴任していた時、事故で他界していて、まだ幼く村で祖母と暮らしていた高藤だけが生き残ったのだった。
 それだけに高藤は、冷たい心の奥底では、常に本当の暖かさに飢えていたのかも知れない。
 琉美江は初めてそのことを知り、高藤との愛を大事に育んでいこう、と改めて誓った。

 覇羅蛇村には三泊四日の日程で滞在し、村人以外はごく身内だけが参加する式が滞りなく執り行われた。

 覇羅蛇家の婚礼衣装は代々の物で、蛇神神社に保管されているので、ミルクの準備は特になかったが、三泊した理由はその間にミルクの引っ越しを済ませてしまう為だった。
 覇羅蛇村から帰る場所はもう有栖川の自宅にはなかった。
 首都にある覇羅蛇家の本宅が、これからのミルクの暮らしていく家になるのだ。
 皆の笑顔が耐えないお祭りのようなお祝いの中でも、ミルクの表情が時々寂しげになるのはそうした理由があった。

 そして、もう一つの理由はミツルが式に参加してくれなかったこと・・・。
 マサトは、
「村内の行事は仕方がないが、披露宴には出席して貰おうな。」
と言って、新妻の肩を抱き寄せ、優しく囁いた。

 覇羅蛇村は隠れ郷。
 心を許せる仲間だけの郷。
 村としても敵意を抱く者や、村の平和を騒がせる者達を入れる訳にいかなかった。
 それ故、マスコミにも漏れないように秘密裏に全ての行事は進められ、無事終了した。
――――――――――――――――――――


 春休みが開け、入学式を無事通過したミツルは、TK大学に通うようになっていた。
 TK大学の敷地は、学部ごとの校舎の他に、大講堂や多目的ホール、各研究所や大学病院までを有する広大なものだった。
 学食も数ヶ所あり、違う学部同士でも交流出来る空間も随所にあった。

「有栖川君!ここ、ここ!」
 篠田麗子がミツルの姿を見つけて手を振る。
 ――麗子は前期の受験に失敗したが、後期で奮起し、ミツルと同じ大学の学生となっていた。
 ミツルと麗子は、時間が合えば一緒に昼食を食べることもあり、かつて中学の生徒会で活躍した名コンビが復活した感のある二人の姿は、まだ慣れずに右往左往している新入生達の中で群を抜いて輝いていた。
 特にミツルは、先輩達から注目視されるだけでなく、教授の方から自分の講義を受講しないか、と誘われるほど認められている。――

「有栖川君はもう受講する課目スケジュールは決まった?」
 ミツルが見ていたスケジュール表を覗き込んだ麗子が聞くと、
「まあ、規定課目は決まってるのと同じだしな、後は自由選択科目でいくつか迷ってるのはあるが・・」
「そっかぁ。同じ講義が受けられるといいのになぁ。」
「・・・それに何か意味があるのか?まず、自分の目的に何が必要かを考えて選べよ。」
「それは・・・そうだけどぉ・・・」
 麗子は中学時代も一度も同じクラスになれなかったので、ミツルと机を並べてみたかったのだ。
 ミツルには麗子の女心はわからない。
 だいたい、麗子だけでなく、ミツル自身の目標とするもの以外に、関心を持つことが出来ないようだった。
 ――ミツルも本当の所は、自分の生きる意義を見出したかった。
 ”守ろう”、と誓った存在を奪われ、”守りたい”、と願った存在も別の男を選んでしまった。
 自分の生まれてきた使命感を見失い、ともすれば虚無に呆然と放心しそうな時、ミツルはいつか見出す”意義”の為に、より高くより強く自分を成長させる道を選んだ。
 確固たる自分というものがない限り、”守る”などという烏滸がましいことは言えないのだと、マサトを見て思い知らされた。
 同調は出来ないが、ある意味、誰よりも尊敬する男だった。
 そして、マサトに対して全てに於いて劣る自身の情けなさを実感した今、心にあるのは自己開発であり、その為の勉学と鍛錬だった。
 ”いつかマサトと肩を並べられるだけの男になりたい!”
 その強い願いは、マサトへの敵意にもなるが、一方では目標にもなっていた。――

「あ、そう言えば・・・アリスちゃん、結婚したんですってね?フフッ。おめでとうございます。」
 そう言って頭を下げた麗子を、ミツルは驚いた顔で見つめた。
 まだ誰にも話してなかったことだ。
「・・・どうしてそれを?」
「え?・・だって、新聞に出てたわよ?」
 麗子はそう言うと、バッグの中から折り畳んだスポーツ紙を取り出した。
「私も今朝、駅でアリスちゃんの写真見てビックリしちゃって、思わず買っちゃったの。フフフッ。」
 麗子が新聞を広げると、一面に婚約した当時のマサトとミルクの写真が載せられていた。
 『16歳の幼妻!』
 大文字で書かれた言葉に、ミツルの血がカッと熱く沸騰する。
「こんな場所で出すなよッ。」
 キツイ口調で言ったミツルは、慌てて新聞を麗子のバッグに押し戻した。
「・・あ・・・ごめん・・なさい・・・」
 麗子はミツルの剣幕に声を詰まらせ、身を強ばらせた。
「・・・いや。・・・悪かった。まだ秘密にされていると思っていたから・・・」
 ミツルは額を指先で押さえ、どうにか自分の気持ちを静めようと目を閉じた。
「・・・有栖川君・・・大丈夫?」
 麗子はミツルを一度心配そうに覗き込んでから、唇を噛んで迷っていたが、躊躇いがちに言った。
「ホント、ごめんなさい。・・・どんな書かれ方をしていたって、お目出度いことだと思っちゃったの。・・・ほら。アリスちゃんの場合は急な話じゃないし、婚約はしてたし、とっても嬉しそうだったから。」
 ミツルは目を開け、顔を上げると、
「ああ。・・・そうだな。」
と答える。
 だが、その表情には沈痛な影が差していた。
「香蘭学園にはたまにいるのよ。在学中に婚姻する人も。・・・でも確かに、アリスちゃんは”結婚するのは高校を卒業してから”、って言ってたから、私もビックリしたわ。」
「・・・まあな。・・・その記事はスクープなのか?それとも原田氏が記者会見でもしたのか?」
 ミツルは麗子の話より記事の内容が気になっていた。
「スクープになるのかしら・・・。一応、原田氏側からのコメントとして、”二人揃っての記者会見は披露宴当日に行いますので”・・・とかってあったような・・・」
 麗子の言い方は曖昧さがあった。
「ちょっとその新聞、見せて貰えるか?」
「・・・え?・・・でも・・・」
「ここではマズイから、俺のアパートに寄って貰えるかな?」
「ええっ?!・・・アパートって・・・自宅通学じゃないの?」
「・・・ま・・・その辺の事情も話すから。・・・いい?」
「ええ。もちろん、いいわよ。」
 麗子は笑顔で答えた。
 もう麗子にとっての関心事は、ミルクの結婚より、ミツルの一人暮らしに向いていた。
 ずっと憧れ続け、恋い焦がれてきた女心とはそうゆうものだろう。
「じゃぁ、頼むよ。」
 そう言って歩き出したミツルに並んで歩く麗子は、赤らんだ頬に当たる春風を気持ちよく感じながら、胸をときめかせていた。


 呆れるほどのボロアパート。
 階段を上がる時、手摺りにつかまろうとした麗子は、ガタッ、と揺れて慌てて手を離した。
 離した手をそっと見ると、赤茶色の錆びが付着していて、眉をひそめてしまう。
 今にも崩れそうとは言わないし、TVなどで取り上げられる老朽アパートほどには酷くもないだろう。
 それでも、麗子の知るミツルには相応しくないように思えた。
 ――ミツルの父親は、二人が中学生当時でも、超一流企業の重役だったはずで、ミルクの話では、今は海外支社の社長をしていると聞いていた。
 先端事業の機器での特許をいくつか所有もしているらしい、と麗子の母親が羨ましそうに噂しているのを聞いたこともある。
 だからこそ若くして重役に抜擢されたエリート中のエリートなのだ。
 そうでなければ、ミルクが香蘭学園の入学審査をパス出来るはずがなかった。
 日常的には平凡を望んだ両親の方針で、公立の学校に通い、周囲と変わらない生活ぶりをしていたが、こんなアパートで暮らす理由が麗子にはわからなかった。――
 
 アパートの部屋に入って、麗子は更にショックを受けてしまった。
「まだ、座布団もなくて悪いけど、適当に座ってくれ。・・お茶だけはどうにか入れられるから・・」
 ミツルはそう言って、道場の先輩が引っ越し祝にとくれた、やかんでお湯を沸かし始めた。
「・・ぅ・・うん。構わないでいいよ。」
 麗子は動揺を覚られないように明るい声で返事をした。
 が、肩を落としてうつむいた先に古い畳が見えた。
 茶色く変色した畳は所々ささくれている。
 狭い四畳半の中央にポツンと置かれた折り畳みのテーブルは、何処で拾ってきたかと思うほど年季が入っている。
 どう見ても生活苦の暮らしぶりだ。
 麗子は下着の干してある方に背中を向け、テーブルの前に座った。
 ただ、部屋の一角にある中古の書棚には、びっしりと本が詰まっていて、収納しきれない本が書棚の脇に綺麗に積んであった。
 本の横には整理箱があり、すぐに勉強道具が取り出せるようになっているのは、さすがにミツルらしかった。

「まだ何も用意が出来てなくて・・・驚いただろ?」
 お茶を入れてきたミツルが、湯飲みを麗子の前のテーブルに置いて、苦笑しながら言った。
「・・・そうねぇ。・・・正直言って、信じられない光景って感じね。」
「当座、寝られればいいと思っているんだ。道場には風呂もシャワーもあるし、勉強は図書館を利用することも出来る。週末は国立図書館へ行ってもいいけど・・・バイトがあるからなぁ。」
 ミツルは自分用の湯飲みに注いだお茶を熱そうに啜る。
「バイトまでするの?」
 麗子は何だかミツルらしくないように思えて、咎めるように言った。
「WHNGのだよ。実践的に活用されている法律に触れることが出来るから、色々勉強になるバイトなんで、時間が許す限りは続けようと思っている。」
「あ・・・そっか。そーゆーことならわかるけどぉ・・・」
 麗子はホッと笑みを浮かべると、湯飲みを手にして、
「頂きます。」
と、熱そうに目を細めながら口に含んだ。
 けれど・・・熱湯でお茶を入れるなんて・・・と思いつつ、熱くて持っていられない湯飲みをテーブルに戻した。
「でも、どうしてこんな暮らしをしているの?」
 麗子の質問にミツルは肩を竦めて見せる。
 そして、ミツル自身も熱くなったのか、湯飲みをテーブルに置くと、
「いずれ判る事だから言うが・・・他には言わないでくれ。」
と、前置きしてから、
「お袋が再婚する予定なんだ。」
と打ち明けた。
「えっ?!・・・お母様が?!」
「ああ。だが、俺は相手が気に入らない。しかも今の家で一緒に暮らすと言う。到底同居する気になれないから、俺の方が家を出た。そうゆう訳だ。」
「・・・そーなんだぁ・・・何だか大変ねぇ。」
 麗子は部屋を見回しながら溜息を吐いた。
「俺のことはもういいだろ?それより、新聞を読ませてくれ。」
「あ・・ええ。」
 ミツルに言われて思い出した麗子は、気を取り直してバッグからスポーツ新聞を取り出した。

 一通り、マサトとミルクの結婚に関する記事を読んだミツルは、
「内容自体は、そう批判的でもないんだな。」
と、呟くように言った。
「そうね。・・・てゆーか、事実は知ったけど、それ以外に何も本人達の情報がつかめないから、周囲の感想や状況を聞くしかなかった、って感じかしら。」
 ミツルと頭が付きそうに記事を一緒に覗き込む麗子が、分析しながら言う。

 ――本宅で暮らし始めたミルクに、報道関係者が近付くことは無理だろう。
 車に乗って家を出て、学園内で車を降りるので、姿さえ撮影出来ないようだ。
 それが、この一年近く前の古い写真を使うしかなかった理由と思える。
 マサトなら経済誌や仕事での取材といった固い表情の写真もあるが、マサトだけでは面白味に欠ける。
 女性誌ならマサトだけでもいいのだろうが、スポーツ新聞などの読者は男性が多く、そうした男性の興味はもっぱらミルクに集中していた。
 実家の母親の方も、インターホンで受け答えするのは家政婦で、外出時を狙ってもガードが堅くインタビュー出来ないらしい。
 仕方なくマサトへの取材をしようとしたが、S商事と縁が深い外国に国賓として出向いてしまった。
 そこまで追い掛けても、国賓として行事に参加する姿は、スポーツ紙の記事としての価値が薄かった。
 秘書の出したコメントを載せるしかないマスコミ側の、焦れったさが伝わってくる。――

「・・・また騒ぎになるのか?・・・ったく、こんな時によく自分一人外国へ行ってられるな。」
 ミツルは苛立って舌打ちをした。
「原田氏って海外での評価の方が高いらしいから。・・・ほら、ここ。”海外での評価が高く、交友関係も広い原田氏だけに、招待客の顔ぶれが楽しみだが、警察庁は急な話に警備体制が間に合うかどうかと頭を抱えている。”って。」
「王族でも来るって?・・・勘弁してくれ。騒ぎを大きくして一番困るのは当事者と家族なんだぞ。」
「・・・そうねぇ。・・・って私に言われても困るけど。」
「アイツに言ったんだ。・・・不安がってるだろうミルクを放って、外国へ行ける奴にな。」
「・・・直接言わないと・・・きっと聞こえてないと思うけど?」
 麗子はそう言って、クスクスと笑った。
 相変わらずのシスコンぶりが、住む所は違っても変わらないミツルを見つけたようで、嬉しかったのだ。
 ミツルはムッとして、横目で麗子を睨む。
 麗子は睨まれたことより、間近で見るミツルの肌の綺麗さや、造作の完璧さに見取れて、ドキドキしてしまう。
 ・・・つくづく綺麗な男だと思う。
 ・・・自分とは違う人種にさえ見えてくる。
 ・・・中学時代、何度この顔に見取れて生徒会会議の議題を忘れてしまったことだろう。
 だが、ミツルは照れもせず新聞から顔を離し、何かを思案する表情で、ようやく冷めたお茶をゆっくりと飲み始めた。
 麗子も湯飲みを手に取り、そっと切ない吐息を湯気に紛らわせた。

 駅まで一緒に行こう、ということになり、ミツルがバイトに出掛ける支度をする間、麗子はミツルの蔵書を眺めていた。
 時々、手に取ってパラパラとページを捲る。
 と、書棚の本がガタガタと震え出す。
 少し前から、隣りの部屋の嫌なムードに気付いてはいたが、ミツルも麗子も気付かない顔で話していた。
 だが・・・
「あっ・・・あっあぁ〜ん・・・あふっ・・・あんあん・・・」
 目の前で見せつけられるかのような間近な声が、書棚の向こうからリアルに聞こえてきた。
 しかも、激しい動きを物語る振動が、本をガタガタ震わせる。
 麗子は何も言えなくなって、顔を真っ赤にした。
 ミツルも焦って、
「麗子。行くぞ。」
と、ジャケットを羽織る暇なく声を掛けた。
「あ・・うん!」
 麗子は頭から湯気が出そうな顔で、ヨロけながら立ち上がった。

 アパートからかなり離れて、麗子はやっと大きな息を吐いて、
「何あれぇー?!」
と、怒った口調で言った。
「・・・呆れるよな。・・・けど、仕方ないかぁ・・・。あのアパートは壁が薄くて音も声も筒抜けだからさ。」
「でもこんな時間からなんて、失礼じゃない!」
 まだ耳を真っ赤にしている麗子は、純粋ゆえの潔癖さで怒りを露わにしている。
「アハハ。ホステスしてるそうだから、生活時間に時差があるのは仕方ないよ。」
 ミツルは自分自身初めての遭遇に戸惑っていたが、麗子が代わりに怒ってくれたようで、気が晴れていた。
 麗子の方はミツルの言ったことに益々気が気ではなくなった。
「・・・隣りの人・・・知ってるの?」
「そりゃ、引っ越しの挨拶くらいするだろ?」
「・・・まぁ・・・それはそうだろうけど・・・」
「かえって昼間の方が助かるよ。俺はほどんど留守にしてるし、夜に・・・あれは困る。」
 ミツルは苦笑して首を振った。
「・・・もう少しちゃんとした所を探した方がいいんじゃない?生活するだけなら我慢出来ることでも、・・・勉強に集中するのは難しいと思うけど・・・。苦学して大成する、ってゆーのは聞こえはいいけど、昔の苦学って環境だけは静かだったと思うけどなぁ。」
 ヤケに麗子はムキになって力説している。
 お隣がホステスと聞いて、いつ甘い誘惑に負けないかと不安になっていたのだ。
 ミツルにその気がなくても、ミツルの”美貌の上をいく天上の輝き”に、ときめかない女性はいないと思う。
「・・・んー・・・少し落ち着いたら考えるよ。」
 ミツルも勉学に集中したい時期に、他の雑音に邪魔されたくないという考えはあった。
 だが、今のミツルは、もっと別の気懸かりで心を悩ませていた。

 ・・・あの野郎ぉ・・・
 ・・・ミルクは俺が守るとか言っておいて、一人で逃げやがってぇ・・・

 駅までの道のり、麗子とミツルはそれぞれ別の心配事で、口数少なく歩いていった。

<70>
「優しい悪魔」
§70§「優しい悪魔」

 バイト帰り、コンビニでほかほかの肉まんと店員が「新発売なんですよ!」と笑顔で薦めたカフェモカまんを買って店を出る。
 ・・・今日の夕飯はこれだな。
 ・・・けど、いつも買うのも不経済だよなぁ。
 ・・・炊飯器でも買うか。
 そんなことを考えていると、
「ミチューお兄たん!」
と、可愛い声が呼び掛けてくる。
 声の方に視線を落とすと、ほっぺを真っ赤にしたサヤカが、嬉しそうな笑顔を向けていた。
「やぁ、サヤちゃん。・・・今、帰りかい?」
 黄色いバッグを肩から斜に掛けているので、聞いてみると、
「あぃ!おかえりでちゅ!」
と、元気に答える。
 ミツルも小さい天使の無垢な笑顔に誘われて微笑むと、
「ミツルさんもお帰りですか?」
と、サヤカの隣りに立っていた若い母親が話し掛けてきた。
 若い母親はこざっぱりしたスーツにお洒落なコートを着て、手にはバッグと白い買い物袋を下げている。
 仕事を終えて、保育園にサヤカを迎えに行ってから、買い物をしてきた、といった所だろう。
「ええ、まあ・・・じゃぁ、アパートまで一緒ですね?荷物持ちましょう。」
 ミツルは気安くそう言って、彼女の買い物袋を持ってやった。
「ぁ・・ありがとうございます。」
 頬を染めた若い母親は、夜の通りでも白く輝くミツルの顔を、王子様でも見るように、うっとりと見つめながら礼を言った。

 若い母親の名前はアヤカと言うそうだ。
 引っ越しの挨拶をした時、聞きそびれていた。
「あのアパートは、元はこの子の父親が借りていた部屋だったんです。ミツルさんと同じ大学生で、私はまだ高校生でした。」
「・・・はぁ・・・」
 ミツルは、・・・別に聞いてないんだけどなぁ・・・と、戸惑いながら、片手に買い物袋を持ち、片手はサヤカと手を繋いで歩いている。
 サヤカはミツルと手を繋いでいるのが嬉しそうで、保育園で習った歌を小さく口ずさんでいる。
 母親のアヤカは妙にゆっくりと歩いている。
 もっとも、小さなサヤカの歩調に合わせて歩くと、そうなるのかも知れないが・・・。
「彼って付き合うにはとても楽しい人だったの。色々な遊び場を知っていて、色々なバイト経験もあって、知り合った時は小さなクラブでバーテンダーしながら時々ライブをしていて・・・」
「は?・・・大学生ですよね?」
 話が把握出来ずに思わず聞いてしまったミツルに、アヤカは、
「ええ・・・」
と、自嘲的な笑みを浮かべた。
「もう三回生だから、受講課目が少ない、って言い訳してたけど・・・本当はほとんど行かない状態だったみたい。バイトでかなりの収入があって遊び上手。そんな大学生をカッコイイって勘違いしてたわ。」
「・・・そうですかぁ・・・」
 何とも答えようがない。
 まして小さな子供の前で、その子の父親のことをこんな風に話していいものか、という疑問を感じていた。
「でも、私も似たようなもので、付き合って1ヶ月しない内に、ほとんど同棲状態になっていたし・・・」
 ミツルは眉をひそめた。
 同棲するのは勝手だが、それを自分に聞かせる意味がわからない。
「あの・・・」
 ミツルは、もうそうした話はやめましょう、と言おうとしたが、
「そして、この子がお腹に出来てしまったの。」
と、アヤカは自分の世界に浸るように、話を進めていってしまう。
「そうなってからが大騒動。厳格な私の父が彼や彼の親に文句を言ったら、彼の親の方は私が誘惑したから大学にも行かなくなった、って私を責め・・・揉めていがみ合い・・・両方からしつこく呼び出されるのが面倒になったのか、・・・彼が、二人で子供を育てていくから放っといてくれ、って。・・・そう言っていたのに、この子が生まれて少しして、出ていってしまいました。残された私は・・・」
「アヤカさん。」
 ミツルが立ち止まってアヤカを睨み、首を振る。
「あなたのお辛い立場はわかりますが、サヤちゃんのいる前で愚痴って欲しくないですね。小さな子でも、話の全ては理解出来なくても、何となくわかってしまうものです。」
 サヤカの歌声は途切れていた。
 うつむいている前髪が夜風に揺れて寒そうだった。
 ミツルは屈んでサヤカの顔を覗き込み、
「お歌上手だねぇ。・・でも、疲れちゃったかな?」
と、頭を撫でてやってから、
「お兄ちゃんにおんぶする?」
と、優しく言った。
 サヤカはパッと明るい笑顔になり、
「おんぶ…ちゅるぅー。」
と、ミツルに抱きついた。
 ミツルはサヤカを背負って立ち上がり、
「”銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも”・・・ご存知でしょう?山上憶良の歌です。」
と、言ってアヤカに微笑み掛けた。
 そして、月のない闇の夜空を見上げ、
「煌めく数多の星から舞い降りた天使。その掛け替えのない天使を、あなたはその手に抱くことが出来るのです。素晴らしいとは思いませんか?・・・辛いことも多々あるでしょうが、憶良は子を失った時にそう歌ったのです。この愛しい温もりをどうか大切になさってください。」
と言って、前を向いて歩き出した。
 アヤカは青ざめて聞いていたが、小さく溜息を吐くと、ミツルの後を少し遅れて歩き始めた。


 ミツル達がアパートに着く頃には、サヤカは本当に疲れていたのか、ミツルの背で眠っていた。
 階段の所で、後ろ手に持っていた買い物袋を母親のアヤカに渡し、そっと階段を上る。
 アヤカが部屋の鍵を開けて中に入り、荷物を下ろしてきてから、入り口で待っているミツルの背中のサヤカを受け取った。
「お世話様でした。」
 アヤカが小声で礼を言う。
「いえ。」
 ミツルも小声で短く返事して、ドアを閉めた。

 それから自分の部屋の鍵を開けて、中に入ろうとした時、猛ダッシュで階段を駆け上がる喧しい音がした。
 思わず立ち止まって様子を伺っていると、
「おたく、有栖川美都琉君だよね?」
と、知らない男がいきなりマイクを突き出してきた。
 パシャッ!パシャッ!パシャッ!
 返事をする間もなく、フラッシュを焚かれて写真を立て続けに撮られてしまう。
「・・・何なんですか?」
 顔をしかめて尋ねる間も、フラッシュはやまない。
「S商事グループの原田会長と結婚された、ミルクさんのお兄さんですよね?」
「・・・否定はしませんが、インタビューはお断りします。失礼します。」
 ミツルがそう言って、部屋に入りドアを閉めようとすると、
「そう言わずに感想を聞かせてくださいよ!」
と、靴を入り口にストッパーのように差し込んだ男が叫んだ。
「・・・あなたの取材態度には法に触れる行為がありますよ?何もお話することはありませんので、お帰りください。」
 ミツルが冷めた口調で言うと、
「お目出度い話じゃないですか?お祝いのメッセージくらい言ってもいいんじゃないですか?それとも言えない訳があるとか?」
と、一方的に質問を浴びせてくる。
「ここは集合住宅なんですよ?寝ている小さなお子さんもいる。そうした配慮も出来ない相手に何も話すことはありません。」
 ・・・何で見ず知らずの相手にお祝いメッセージを言う義理がある?
 ・・・名乗りもせず、マイクを突き付けて・・・強迫強要罪は適合されないのか?
 ミツルは追い返す為の法律を思い浮かべようと、男の靴を睨んだ。
 ・・・不法侵入罪・・・プライバシーの侵害・・・騒音罪・・・
 だが、どれも警察が介入しない程度の軽い不法行為。
 余程の被害を被ったと証拠を集めて訴えない限り、裁判所も不起訴にしてしまうだろう。
 『報道の自由』『知る権利』の名の元に、踏みにじられる弱い立場の人々の悔しさを、ミツルは実感した。
「ミルクさんは結婚を喜んでおられるのですか?」
「は?」
「どうして取材拒否をしていると思いますか?」
「はぁ?」
 無遠慮な質問が続くが、相手の主旨がわからず、ミツルは眉間にシワを寄せて聞き返すしか出来なかった。
「原田氏はかなり強引な人物とお聞きしますが、その辺の事情が何かあるんですかねぇ?」
「どんな事情ですか?」
 ミツルはカッとして思わず返事をしてしまった。
「本人同士の意志で決めたことです。ただ学業の途中で他生徒への影響も考えて、表立ったことは控えているだけでしょう。それでも披露宴の日には会見するって言っているんですから、それでいいんじゃないですか?」
「・・・ほう・・なるほど。」
 期待していた答えでなかったようで、相手の男が一瞬質問を忘れた顔をする。
「とにかく、あなたの取材は一方的で迷惑です。帰ってくれませんか?」
「あ・・あ、いや。あと一つ。・・どうして、その学業中に結婚をすることになったんですかね?」
「知りません。」
 ミツルは、足を挟んだ隙間から見える男の顔を、冷たく睨む。
「ミルクさんが妊娠されてるとか、噂があるんですが・・そうなんですか?」
「はぁ?・・・そんな話は聞いてないです。と言うより・・・もう答える気はありませんから、この足をどけてください。でないと警察を呼びますよ?」
 ミツルがポケットから携帯を取り出し、ナンバーを押し始めたのを見て、男は慌てて挟んでいた靴を引き抜いた。
 ミツルは空かさずドアを閉め、大きく溜息を吐いた。

 ドンドンドンッ!
「もう少し聞かせて貰えないですか?・・・お兄さんのお気持ちとか・・・もしもぉーし!」
 取材の男はまだ諦めてないようだった。
 TVカメラはないから、新聞か週刊誌の類の取材だろう。
 TVならもう少しは礼儀を弁えている。
 取材態度が表に出ることがないから、一層図に乗って強引に言いたいことを言うのだろう。
 そうわかっていても腹が立つ。
 ミツルは部屋の明かりを点ける気になれず、暗い四畳半に座り込んでいた。
 怒りをぶつけても、相手はペンという武器で倍返ししてくることは明らかだった。
 ドンドンドンッ!
「もしもぉーし!どーして答えて頂けないんですかねぇ?」
 ・・・知るかッ!!
 ミツルは胡座をかいて、冷めきった肉まんを頬張った。
 と、隣りのドアが開く。
「あらぁ〜何の騒ぎかしらぁ?」
 その声はホステスのルミコ。
 ・・・げ・・・何でこの時間にいるんだ?
 ミツルに嫌な予感が走ったが、案の定、記者の簡単な説明を聞いたルミコは、
「あぁ〜ミルクちゃん?あたし〜会ったことあるわぁ〜。」
と喋り出した。
「それはどこで?どんな感じでした?」
「ミツルさんに手料理の差し入れに来ていたのよぉ〜。ホント可愛いお嬢さんだったわよぉ〜。フフフッ。」
 ルミコは一応好意的には話してくれている。
「ミツルさんとよく似てたわぁ〜。お兄さん思いの妹さん、って感じで〜色々心配してたみたいよ〜。」
 ・・・くぅぅぅぅぅっっっっっ!
 ・・・余計なことを言うなぁぁぁぁぁ!!
 ミツルは飛び出して行って、怒鳴りたくなる気持ちを、グッと堪えていた。
 怒りにまかせて食べたカフェモカまんは、新発売の味を楽しむ余裕もなく、喉を通過していった。
「でもぉ〜やっぱり〜原田会長に大事にされてるみたいねぇ〜。何だか〜とっても怖ぁ〜いボディーガードがついていたものぉ〜。あぁ〜羨ましいわぁ〜。」
 ルミコは聞かれもしないのに、よく喋る。
「はぁ・・・そうなんですかぁ。・・で、ミルクさんは度々ここへ来てるんですかね?」
「さぁ〜どうなのかしらぁ〜。私〜ホステスしてるからぁ〜夕方は大抵いないのよ〜。今日は〜たまたまお店がお休みなんだけど〜これからデートでお出掛けなのぉ〜。あ、そうそう。名刺あげるから〜記者さんも〜お店に遊びにいらして〜。」
「・・・あ・・どうも。」
「お店でもミルクちゃんは人気あるのよぉ〜。だってぇ〜やっぱり玉の輿は羨ましいもの〜。ねぇ〜誰かいい人知らない〜?」
「さぁ・・・」
「そうよねぇ〜。そうはいないわねぇ〜。あでも〜ミツルさんもTK大生だから〜将来性はあるわよねぇ〜。ウフフフッ。」
 ・・・だから、余計なことを言うんじゃねぇーー!!
 ミツルはマサト並みに怒鳴りたい心境だった。
「ん〜もういいかしらぁ〜?約束の時間があるのぉ〜。お店に来てくれたらぁ〜もっとお話してあげるぅ〜。」
 ルミコは記者に名刺を渡すと、部屋に鍵を掛けて階段を下りていった。
 記者は、煙に巻かれたような、キツネに化かされたような、精気を抜かれたような脱力感を感じたようで、これ以上の取材は諦めて帰っていった。
 ルミコが色々話したことを脚色すれば、記事を作れると思ったようでもある。
 取材の男達の階段を下りていく足音が遠離り、やっと静かになった。

 ミツルは明かりを点けないまま畳に寝転がった。
 サヤカのことが気になって耳を澄ましてみるが、どうやら泣かずにいてくれたようだ。
 TVの音が聞こえている。
 それでも、また次の取材が来る可能性もある。
 ・・・警察にいる先輩に相談してみようか・・・
 ・・・WHNGの川端弁護士にも聞いてみよう。
 川端孝一は、ミツルがバイトしているWHNG(世界人権擁護団体)事務所の弁護士である。
 ミツルと川端弁護士の弟:祐二とは塾で知り合った友人だった。
 祐二も無事ミツルと同じTK大に合格し、同じ学部に通っている。
 ただ、バイトは「四六時中、兄貴といたくない。」と、違う弁護士事務所で始めた。
 ・・・法的措置は無理でも、対処法のアドバイスはして貰えるだろう。
 ミツルは、そのまま目を閉じて、眠りに引き込まれていった。
 家にいた頃、ミルクがそうした時に注意していたミツルだったが、慣れない一人暮らしと精神的な疲れも重なり、気力が萎えたように怠かったのだ。
 まだ4月に入ったばかりの夜は冷え込む。
 暖房のない寒々とした部屋の冷たい畳の上で、ミツルはいつしか体を丸めて静かな寝息を立てていた。


「ミツル君らしくないなぁ。」
 川端弁護士が苦笑する。
「どんなに腹が立っていても、相手の所属する会社や氏名等身分証明書の公示を求めて、どのマスメディアに載せるのか、を確認しないと対処のしようがないだろう?」
「・・・そうですね。」
 ミツルは、せっかく眠っているサヤカを起こしたくない、と思ったことで、追い返すことだけに気持ちがいってしまっていたことを反省した。
「今回は記事が載らないと何処の取材だったかもわからないし、記事が出る前の抗議が出来ないなぁ。」
「・・・はい。」
「その記事を見れば、他の所も取材に来るだろうことが予測されるし、次からは確認するようにした方がいいね。」
「はい。」
 ミツルは口を引き結んで頷いた。
「ただなぁ・・・今度のことは中傷記事とかじゃないし、お祝い事の取材は受ける側も喜んで答える場合が多いからねぇ・・・ムキになって抗議すると、痛くもない腹を探られる、ってこともあるよ?」
 川端は腕組みをし、イスを揺らしながらミツルの顔を眺める。
 ミツルは眉を曇らせ、
「・・・僕は反対していたので・・・」
と、口ごもる。
「うーん・・・こんなことは言いたくないが、何も正直に言う必要はないだろう?結婚の祝辞なんて、本音を隠して綺麗事を言うのが、世間一般の常識ってものだよ。」
「家の方にも色々事情があるので、余計な詮索はされたくないんです。」
「あぁ、それは大丈夫だろう。」
 川端が快活に笑う。
 ミツルがキョトンとしていると、
「君の所に取材が行ったのも、妹さんや御実家のガードが堅いからだろ?・・S商事グループの抱える弁護団は強力だからなぁ。しかも原田会長は仕事関連では冷徹で厳しいらしく、取引がない会社でも怖がっているらしいよ。ヘタに怒らせると潰され兼ねないってね。」
と、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「・・・とゆーと・・・?」
「つまり原田氏が許さない情報は一切表に流れることはない、ってことだから、君の実家の事情も表に出ることはないってことさ。」
 ミツルは思いきり眉をひそめた。
 その嫌悪感を露わにした姿を、川端は同情を込めた眼差しで見つめながら、
「権力に屈するマスコミが嫌かい?それとも権力を持つことへの反発かな?・・・だが、マスコミも所詮は企業。スポンサーあって成り立っているしね。・・・そうした現実を知ることも必要だよ。」
と、優しく諭すように言った。
「・・・わかりました。僕なりに考えてみます。・・・ありがとうございました。」
 ミツルは深く頭を下げて礼を言った。

 悔しくてたまらない。
 だが、それは自分自身への悔しさだった。
 マサトには守れるのだ。
 マサト自身だけでなく、ミルクも母親も・・・
 仲間も・・・大事なもの全てを・・・。
 それなのに、自分は自分自身すらガード出来ずにいる。
 その上、自分だけに被害は留まらず、周囲も巻き込んでしまう。
 ルミコのように面白がって楽しむ人もいるが、騒がしくなることを嫌う人達の方が多いだろう。
 まして小さな子は脅えてしまうかも知れない。
 ミツルは、自分の力だけではどうにも抗いようのない大きな波に揉まれて、骨を砕かれ身を切り刻まれる挫折感を味わっていた。


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 記事はスポーツ新聞の二面に掲載されていた。
 しかも、ルミコが「そっくりな顔」と言ったせいかどうか、ミツルの顔写真がそのまま出されてしまった。
 ミツルがそのことに気付いたのは、その記事の反響が大きくなってからだった。
 ミツルの惹き付けられずにはいられない美しさに、たまたま目にした女性の購読者達から問い合わせが殺到した。
 マスコミに従事する女性スタッフ達も食い付いた。
 然るべくして、女性のTVレポーターがミツルを追いかけ回す結果となった。

 当初の目的は、単に結婚に対して身内のコメントが欲しかっただけのマスコミが、ミツルを取材すればするほど、雑誌は売れ、視聴率は上がり、ファンの女性達が追い掛けるに至って、アイドル並みの扱いをするようになってしまった。
 無理もない。
 ”双子のよう”と言われていた頃でさえ、ミツルは光の兄だったのだ。
 ファンの中には、ミツルの高校時代の写真を持っていて、自慢する少女達もいた。
 彼女達の間の”イケメン高校生”をアイドルのように憧れて追い掛けるブームの中で、マスコミには登場しない”隠れアイドル”として、絶大な人気があったのだ。
 当時はミツルが高校生ということもあり、マスコミも無理には追い掛けなかった。
 だが、今回はこじつけでも理由が出来た。
 しかも大学生ならいいだろうと、勝手に判断したらしい。
 而して、使えるネタがなくなると、少年時代のことまで取材する有様となった。

 不思議なのは、それだけ騒がれながら、実家の映像や母親の妊娠している事実や離婚した事などには、一切触れられることがなかった。
 ミツルは、マスコミとはこうも簡単に操作されてしまうものなのか、と呆れるしかなかった。
 これまで信じてきた報道も、どれだけ真実を語っているか、疑いたくなるほどだ。
 実家の事情に触れずにいて貰えるのはありがたい。
 ただ、感謝する相手がマサトだということが悔しかった。
 しかも、マサトはミツルの報道にはまったく制限をしなかった。
 ミツルには、プライバシーの侵害で報道関係を訴えるだけの後ろ盾も財力もない。
 川端もそこまでは好意だけで出来ることではなかった。
 仮に、ミツルが借金をして訴訟資金を工面し、弁護士に依頼して訴えたとしても、プライバシーの侵害で得られる額は、芸能人という”顔”を売り物にしている人達より遙かに少ないだろう。
 その芸能人達でさえ、実はプライバシーの侵害で得る金額は微々たるものなのだ。
 だから、我慢するしかない、と諦めるケースが多いのだ。
 それに、川端も言うように、中傷や経歴に傷がつく、といった被害があるわけではない。
 妹ミルクの披露宴が間近に迫ってくる中で、兄の立場としてもマスコミを敵にするのはマズイと思われる。
 熱が冷めるのを待つか、披露宴が済んだら抗議するか・・・。
 今はミツルも諦めるしかない状況だった。
 だが、見えない被害がミツルを心身共に追い詰める。
 ミツルだけでなく、周囲の人達・・・特にサヤカにまで及んでいるのが可哀想で・・・申し訳なかった。

 一番タチの悪いのが、自制心の効かない追っかけの少女達。
 何処だろうと構わず無遠慮に侵入してくる。
 マスコミには丁寧に説明し、「アパート周辺には来ないで欲しい。」、と頼んだ。
 その結果、取材がある時はアパートの手前でする、と相互協定のようなものが出来た。
 だが、彼女達は平気で階段を上がり、ドアをノックしたりする。
 ミツルが空気を入れ換えようと窓を開けるだけで、甲高い歓声があがり写真を向ける。
 以前は怒ることも出来たが、今はマスコミの目があって、怒鳴って蹴散らすことが出来ない。
 ヘタにゴミも出せないし、洗濯物も干せない。
 一度コインランドリーで洗濯をする間、買い物をして戻ったら、そっくり盗まれてしまった。
 行き過ぎた行為に、いい加減腹が立つこともあったが、耐えるしかなかった。

 その一方で、ミツルは周囲から責められる立場に立たされていた。
 温厚な老夫婦の大家も、さすがに困ったらしく苦情を言ってきた。
 地域を警邏する交番のパトロールからも、ミツルが悪いかのように注意されてしまう。
 アパートのある地区委員からも、「出ていってくれ。」とはっきり言われてしまった。
 ミツルは、手足をもがれた状態で簀巻きにされ、棒で突っつかれているようなものだった。
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 精神的苦痛がミツルを苛み続けていた。
 一人暮らしの生活を軌道に乗せる、なんて出来ない。
 強い精神力と鍛えた肉体があれば、どんな苦難も乗り越えられる、と信じていたものが、音を立てて崩れていった。

 今朝の食事代わりに食べたりんごを、胃が受け付けずにトイレで吐いた。
 昨日もほとんど食欲がなく、あまり食べ物が喉を通らなかった。
 カラッポの胃なのに吐き気が治まらない。
 胃がキリキリと痛んで、体が鉛のように重い。
 トイレから這い出してきたミツルは、そのままキッチンの板の間に体を投げ出した。
 冷たい床に額を押しつける。
 体がブルブル震える。
 寒いのか、熱があるのか・・・わからない・・・
 目の前が光を失い、真っ暗な闇に閉ざされていく。

 ミツルは消えかかる意識の中、マサトに白旗を掲げ敗北宣言をした。
 ・・・あなたの力を・・・思い知らされました・・・
 ・・・今度のこと・・・あなたが仕掛けたのか・・・知らないし、どうでもいい・・・
 ・・・言うは易し、行うは難し・・・
 ・・・何も出来ない俺が・・・あなたを批判する資格はなかった・・・
 ・・・あなたの偉大さに・・・敬服します・・・
 ・・・そして今・・・俺はあなたが恐ろしい・・・
 ・・・心底・・・あなたを恐ろしいと思います・・・

「・・・マサトさん・・・ミルクを・・・頼みます・・・」
 ミツルは喘ぐ息で呻くように言って、気を失った。


 長く暗い筒状トンネルを猛スピードで突き抜ける。
 突き抜けた途端に、眩しい光に包まれた。
「・・・・・ぅ・・・ぅぅ・・・・・」
 ミツルは眩しさに顔をしかめながら目を覚ました。
「よぅ。やっと目を覚ましたか?」
 見なくても声の主はわかる。
 が、それでもミツルはどうにか目を細めて、マサトを確認した。
「お前の踏ん張りはどの程度かと思ったが・・・まぁまぁだな。クックックッ。」
「・・・まだまだ、と言っていいです・・・」
 ミツルは再び目を閉じると、自嘲的な笑みを浮かべた。
「ククッ。随分殊勝だが、喰えなくなるほど神経が細い訳じゃねぇだろ?それが一番の敗因だぞ。」
「・・・料理は・・・したことがなくて・・・」
「やる気になりゃ、何でも出来る。喰う気があれば、何でも喰える。」
「・・・そうですね。」
 ミツルは目を開けて、マサトに素直に笑い掛けて頷いた。

 目が光りに慣れてきて、自分が病院のベッドに寝かされ、点滴を受けているのがわかった。
 豪華な個室には綺麗な花が飾られている。
「胃の方はたいしたことはないそうだ。・・・栄養が足りない為の貧血だったらしいが、風邪と重なって症状が重くなったようだな。ここの医者が総出で検討して出した診断だから、間違いはないだろう。・・・ま、数日は大人しくしてることだ。」
「・・・はい。」
 ミツルが素直に答えたので、マサトはニヤリと口の端を上げ、顔を近付けた。
 ミツルの前髪を撫で上げ、ずれかけていたタオルを直してやる。
「素直な時は可愛いんだがなぁ。・・・ミルクに似てるだけに・・・一層可愛いぜ?」
 こればっかりは嬉しくないので、ムッ、としてしまう。
「クックックッ。まったく、からかい甲斐がある奴だぜ。」
 マサトは少し下がってイスに座った。

「・・で、早速だが、お前に一つの提案をしてやろう。」
 マサトはミツルから視線を窓際に置かれた花に移した。
 薔薇の花びらを一枚つまんで、薫りを嗅いでから、スーツの胸ポケットに入れた。
「・・・・・提案ですか?」
 続きを待っていたが、マサトが言い出さないので聞いてみた。
「そう。交換条件とも言うかな。」
 マサトがミツルに視線を戻し、聞くか?と言いたそうに眉を上げる。
「・・・何です?」
 敗北宣言したミツルに、マサトの提案を跳ね返す気はなかった。
 マサトは満足そうに笑い、
「お前に住む場所を提供しよう。大学に近く、駅にも近いが、環境はいい。二重ロックされる玄関ロビーで、ロビーにはガードマンが常駐していて、不審者の侵入を許さないマンションだ。」
と、言った。
「・・・はぁ・・・」
 マサトだけに、完璧を求めるだろうとは思った。
「ゴミはマンション一階に分類されて置かれていて、収集車が直接回収にくる時のみ管理人がそこを開門するから、ゴミから個人データが盗まれないようになっている。」
「・・・いいですね。」
 迂闊にゴミも出せない生活で、そのありがたさがわかる。
「お前の部屋には、すでに必要な家具家電が揃っているから、自由に使っていい。」
「・・・そうですか・・・」
 そこまでされると、ペットとして飼われるようで、少しおもしろくない。
「クックッ。そう嫌そうな顔をするな。」
「・・・いえ・・・別に・・・」
「お前の為じゃねぇよ。たまにミルクが行って、料理とかを作りてぇらしいからな。そん時にあれもねぇのこれもねぇのじゃ大変だろうが。」
 ミツルは、え?、と長い睫毛を瞬かせる。
「それがこっちの条件だ。・・・心配してる妹に、たまには世話をさせてやれ。兄妹じゃねぇか?・・・俺を嫌うのは構わねぇが、妹は責めるなよ。仲良くしてやってくれ。」
 ミツルは目を見開いた。
「じゃねぇとなぁ・・・ぐしゅぐしゅと一晩中泣かれて・・・たまったもんじゃねぇぜ。」
「・・・クスッ・・・」
 困り果てているマサトの姿が浮かんで、思わず笑ってしまった。
 もっとも、ミツルのイメージするマサトとミルクは、しっかり服を着ているが・・・。
「チッ。お前だってミルクの涙に弱ぇだろうが。」
「・・・そうですね。」
「それと後一つ。・・・披露宴に出てやってくれ。・・・マスコミには今後、お前の取材はせず、マスメディアには出さないよう警告しておくから。追っかけの連中は、警察の方で注意したり補導して貰うようにしてれば、その内騒ぎも収まるだろう。」
 ・・・それが出来るのがスゴイ・・・
 ・・・力のない一個人でそう出来ないのがこの時代なのだ・・・
 ・・・いや。
 ・・・いつの時代でもそうか・・・
 ミツルは感心して聞いていた。

「どうだ?交換条件を受け入れるか?・・・おい、ミツル!」
 マサトに名前を呼ばれて、ハッ、とした。
 少し熱でぼんやりしていたようだ。
「・・・あの・・・その前に、一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「・・・どうして・・・一人で外国へ行かれたんです?・・・そんなに妹を大事にしてくれるあなたが、何故?」
「あぁ?・・・バーカ。離れて辛ぇのは俺の方だぜ。それでもなぁ、結婚してすぐに一緒にいてみろ。好奇な目はみーんなミルクに向けられちまうだろ?・・・新婚早々海外に行かれて可哀想だ、と思われるくれぇで丁度いいんだよ。」
 ミツルはそこまで考えるマサトに唖然としていた。
「まぁ、海外での仕事もあったしな。」
「・・・そうだったんですか。・・・済みません。誤解してました。」
「お前まで騙せりゃ御の字だぜ。」
 マサトは不敵な笑みを浮かべてそう言ってから、
「それで、どうなんだ?」
と、真剣な顔になって聞く。
 マンションの部屋の提供と、マスコミと追っかけ少女達への対応。
 その交換条件が、ミルクの訪問を許可することと、披露宴に出席すること。
 ミツルは胸に手を置くと、
「お願いします。」
と、感謝を込めて答えた。


 こうして、優しい悪魔達の企みは成功したのだった。