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<21>〜<25>





<21>
「お祭りの後は…」
§21§「お祭りの後は…」

 ゆさ…ゆさ…ゆさ…
 花魁姿のミルクを肩に担ぎ上げたマサトが、大股に歩いていく。
 大股でしかも急ぎ足に進むので、マサトの肩の上の荷物となったミルクは、簀巻きになった状態でゆさゆさと揺れる。
 綿の入った厚みのある前結わえの帯が、丁度マサトの肩の部分に当たっているので、腹部を圧迫されたミルクは息苦しくてたまらない。
「…ハァハァ…ぅ…マサトぉ……」
 マサトは黙ったまま歩いていく。
 前屈みになっているミルクからは、マサトの腰から足までしか見えない。
 けれど、ガシッ、とつかまれている腕の力強さや、大股の歩き具合から、どうも怒っているように思える。
 何がいけなかったのか、わからないミルクは情けなさそうに口を尖らせ、マサトの肩で揺れているしかなかった。

 ホテルは貸し切りで、会場の裏方だけでなく、警備や打ち上げ後に参加者達が泊まる部屋の準備も、クジ運の悪い組織員や訓練生が各々の職務についていた。
 会場の裏方ならまだ手の空いた時に覗くことも出来るが、警備やルーム係は職場を離れられなかった。
 それでも時々は交替で覗きに行っていたが、だいぶ前に交替で行った人達が戻って来ない。
 職務を怠ることはなかったが、内心は悔しくてたまらない。
 正式の組織員になれば会場で一緒にお酒を飲んで騒げるのに、と彼等は”来年こそは立派な組織員になってみせる!”と決意を新たにしていた。
 と、そこへ、はんなりと煌びやかな衣装を担いだ総裁が、ムスッ、と苦虫を噛み潰した顔で大股に歩いてくるのが見えた。
 何か不手際でもあったのか?!と、緊張して敬礼する前を、風のように通り過ぎていく。
 え?・・と、総裁の背中に目を向けると、泣き出しそうな拗ね顔のアリス姫が、それでも艶やかな色香を漂わせて、ゆさゆさと揺れていた。
 自分の目を疑い、シバシバと瞬いて見つめていると、アリス姫が彼等の視線に気付き、にこっ、と笑って小さく手を振った。
 彼等もつられて思わず手を振り返し、呆然と見送った。

 ミルクを担いだマサトが、部屋へ上がるエレベーターに乗り込んだ。
 揺れが止まり、ミルクは、フゥ…フゥ…、と苦しい呼吸を整えてから、
「…ねぇ…マサトぉ……」
と、呼びかけた。
 マサトの返事はなく、ミルクは続けて話し掛ける。
「…ねぇ…戻らないと悪いよぉ……写真、撮るって言ってたもぉん……」
「・・っくッ。・・・うるせぇ!黙ってろッ!」
 マサトの怒鳴り声が狭いエレベーター内に響く。
 ミルクは、シュン、として重いカツラの頭を項垂れた。

 エレベーターが目的の階に止まり、マサトがまた大股に歩き出した。
 項垂れていたミルクの腹部が再び、グッ、と圧迫され大きく上半身が揺れた。
 コトッ…
 小さな音がして、結い上げたカツラに刺さっていた鼈甲のかんざしが、絨毯張りの床に落ちてしまった。
 あっ!…と、思ったものの、”黙っていろ”と言われたミルクは声を出せない。
 拾えるわけがないのに、拾いたい、という気持ちが、両手を床に伸ばさせて、マサトの前側の足をバタつかせる。
「・・こらッ!・・暴れるんじゃねぇ。おとなしくしてろ。」
 また叱られてしまった。
 …ふにゅ〜〜ん…と、体の力を抜いたミルクは、頬を膨らませて落ちたかんざしを見ていた。
 VIPのスィートルームへの廊下を進むマサト。
 2〜30sの衣装とカツラを合わせれば、元は軽いミルクでも男並みの重量となる。
 それでも軽々と担いで、早足に進むマサトの逞しさは、一見スリムな外見からは想像も出来ない。
 担がれているミルクの方が、衣装の重さで潰れそうだった。
 コトッ…
 また一本かんざしが落ちた。
 だが、マサトは黙ったまま大股に部屋へ向かう。
 ミルクは、プゥッ、と目を眇め、マサトの形のいいお尻を睨み付けた。

 VIPのスィートルーム前には、警備の男が立っている。
 客室フロアが手薄となる宴会中に、万一にも不審者の侵入がないように、警戒は怠ることが出来ない。
 ミルクのボディーガードを務めることもある質実剛健なその男は、マサトの予定より早い来室に一瞬戸惑ったが、肩の荷物がミルクであることに気付き、はぁ〜ん、と納得した。
「お疲れ様です。」
 男はそう言って敬礼すると、自分が預かっていた部屋のカードキーを差し込み、ドアを開けた。
「ご苦労。・・・あ、日本酒を持ってきてくれ。冷や酒でいいから、徳利に入れて2ダースぐれぇ・・お猪口も二つな。」
 マサトは男に指示してから、ミルクのカツラが入り口に当たらないように、気を付けて部屋に入りかけ、
「あぁ、それと・・鼈甲のかんざしが2本落ちてるから、酒と一緒に持ってきてくれ。」
と言った。
「は、畏まりました。」
 男はまた敬礼し、ドアを恭しく閉めた。
 …気付いてたんだぁ…
 ミルクはちょっとだけ気分を直して、笑みを浮かべた。
 気付かない、のではなく、拾う気がなかっただけなのだ、と理解したが、拾う気も起こらないほどに”怒っている”、ということでもある。
 ミルクは、マサトの怒っている原因がわかるまで、小さくなっているしかない、と浮かべた笑みを引っ込めた。

 部屋に入って、奥のゆったりとしたソファーがある前まで来ると、マサトはようやくミルクを肩から下ろした。
 腹部の圧迫による酸欠で貧血を起こしかけていたミルクは、床に足を着けたものの、ふらぁ〜…、と倒れそうになった。
 マサトが慌てて支え、着物の裾をたくし上げながら、ソファーにミルクを座らせた。
 ミルクは、前に垂れている帯の下に手を差し込んで、お腹を押さえながら息を整える。
「・・大丈夫か?」
 マサトはミルクの白い頬を心配そうに撫でると、センターテーブルの上に用意されていた、シャンパンを冷やしている氷のカケラをひとつ抓んで口に含み、口の中で噛み砕いてからミルクの口に含ませてやった。
 これだけ息苦しそうにしていると、大きな塊を飲み込んでしまう危険性があったからだ。
 口移しに小さな氷の粒が入ってくる。
 氷はすぐに溶けだし、乾いていた喉を潤してくれる。
 少しずつ口に含ませるので、マサトの熱い舌の上でも小さくなった氷はすぐに溶けてしまい、マサトはまた氷のカケラを取って口に入れ、噛み砕いてはミルクに含ませた。
 ……怒ってるのに、どうしてこんなに優しいんだろぉ……
 ミルクは、まだ拗ねている唇を小さくすぼめ、氷の粒をジャクジャクと噛んだ。

 ミルクがどうにか落ち着いた頃、ガードの男がマサトに頼まれた、徳利に入った日本酒とお猪口、それに鼈甲のかんざし二本を持ってきた。
「これでよろしいでしょうか?」
「いいぜ。ご苦労だったな。・・・後はいいから、宴会場に行って皆と合流するといい。演目は終わったが、お祭り騒ぎはこれからだろうぜ。ククッ。・・・たまには羽目を外してこい。」
 マサトはかんざしを受け取ると、そう言って男を部屋から出した。
 それから、
「せっかくの白雪太夫が、かんざしを落としてちゃ様にならねぇよなぁ?クククッ。」
と言いながら、ミルクの結い上げてあるカツラに、落ちた二本のかんざしを戻した。
 …もう、終わったのに?
 ミルクが不思議そうにしていると、
「さて・・・それじゃぁ、ゆっくりと酒でも飲むか。」
と、マサトは徳利をミルクに持たせて、自分はお猪口を指先で挟み、ミルクの前に突き出した。
 ミルクは怪訝顔で小さなお猪口にお酒を注いだ。
 クイッ!
 マサトは一気に煽り、濡れた唇に満足そうな笑みを浮かべて、
「うめぇーッ!」
と声をあげた。
 いつもの低めの声よりトーンが高い。
 ミルクは益々わけがわからず、眉を寄せて渋い顔をする。
「・・おい。・・・しかめ顔の虞美人を気取るのもいいが、ミルクはやっぱ笑顔が可愛いぜ。・・・ほらっ、笑え。」
 マサトはそう言って、またお猪口をつき出す。
 SSS達に優るとも劣らない蟒蛇だと噂されるマサトだけに、お猪口みたいに小さな器で飲まず、いっそ徳利ごとラッパ飲みすればいいのに、と思ってしまう。
 徳利を持つ腕にも着物の袖の重量がかかるし、前に脹らんで垂れている帯が手元を見え辛くしている。
 それに目の前にお猪口を出されても、着物を汚してしまうのが不安で、少しずつしか注げない。
 半端じゃない数の徳利がテーブルにズラッと並んでいるのを見ると、これを全部注ぎ終わるのはいつになるだろう、と目眩がぶり返しそうになる。
 …これって、怒らせたお仕置き?
 ミルクはマサトがまた一気にお酒を煽る姿を上目遣いに見ながら、そっと溜息を吐いた。
 すると、マサトがミルクにお猪口を持たせ、
「何をさっきから膨れっ面してんだ?・・今夜だけは許すから、お前も飲めよ。」
と、徳利を手にして、なみなみと注いだ。
 ミルクはなるべく顔を前に出し、零れた時用の用心に片手をお猪口の下に添え、お猪口に唇をつけた。
 コクリ…
 含みながら一口飲むと、さっき冷たい氷水で冷えた喉が、ジカーッ、と熱くなる。
 アルコールの類は、夏休みの旅行の時、スイスでやけ酒を飲んで以来口にしていない。
 第一、まだ高校生なのに…、と思ってしまうが、マサトが唇の片端を上げてニヤニヤと見つめているので、途中でやめるのは何だか悔しかった。
 コクリ…コクリ…
 ミルクはお猪口が空になるまで唇を付けたまま、どうにか最後の一滴まで飲み干した。
 胃までが、ジッカァーッ、と熱くなり、その熱が体全体に広がって、頬まで火照ってきた。
「おー・・・ハハハッ。なかなかいい飲みっぷりじゃねぇか。」
 マサトは目を細めて楽しそうに笑った。
 どうやら怒ってはいないようだ。
 …それなら、どうして?
 さっきの乱暴な扱いと言い様に、段々腹が立ってきた。
 ミルクは、ちょっと膨れて、マサトにお猪口を突き返しながら、横目で睨んだ。
「あ?・・・何を怒ってんだ?」
 …怒ってたのはマサトじゃない。
「さっきからずっとダンマリでぇ・・何だってんだ?」
 …黙ってろ、って言ったのは、マサトじゃない。
 重いカツラでうつむきがちになるミルクは、思いっきり頬を膨らまして口を尖らせ、お酒でボォーッと熱くなってきた目に涙を浮かべた。
「・・うっ・・・な、何だ?・・・どーしちまったってゆーんだ。言いたいことがあるなら、言えよッ。」
「…だって……マサトが黙れ、って……」
 やっと言葉を発したミルクに、マサトは、ハッ、としてから苦笑を洩らした。
「あぁ・・・クスッ。あの時はちょっと気が立っちまってたからな。」
「…ぅぅ…やっぱ、怒ってたじゃんー……」
「バーカ。お前に怒ってたんじゃねぇよ。」
 マサトは眉をひそめて、思い出したように語気を強めて言ってから、フッ、と目を細めて笑うと、
「こーんないい女を、他の連中に見せたくなかったんじゃねぇか。」
と言った。
 それから、顔を傾けてミルクの顔を覗き込むようにしながら、
「・・つくづく・・・いい女だぜ。」
と、低い声で囁き、唇を重ねた。
 チュゥゥーッ、、、と口を吸われ、ミルクは体がとろけそうになり、幾重にも布で包み込まれた体の奥が、ウズウズと疼き始めた。
 マサトは何度か舌を絡めてから顔を離し、
「こんないい女とは滅多にお目にかかれねぇもんなぁ、・・まったく”馬子にも衣装”とは良く言ったもんだぜ。」
 と、からかうように眉を吊り上げて見せた。
「、、、ぁぅーッ、、、」
 ミルクは抗議するように唇を尖らせる。
「クックックッ。・・まぁ、それもだいぶ化けの皮が剥がれてきちまって、いつもの・・俺のミルクに戻ったみてぇだな。」
 マサトは喉で笑い、ミルクにもう一つのお猪口を持たせると、自分とミルクのお猪口に酒を注ぎ、
「大人になるのを急ぐこたぁねぇさ。」
と、優しく言って、そっとお猪口とお猪口を付けて乾杯をした。
 クイッ、と煽ったマサトの喉元の蛇を眺めていたミルクは、
「、、、うんッ。」
と、笑みを浮かべ、自分もゆっくりと中身を空にした。

「マサト、、、超ぉーカッコ良かったねぇ!」
「フフン。そうか?」
「もぉぉ、、、めっちゃめちゃ痺れちゃったぁ〜!、、フフッ、、、」
 マサトにお酌をしながら、ミルクも勧められるままにお酒を飲む内、すっかり酔いが回って陽気な酔っぱらいになっていた。
 ソファーに座っているのが苦しかったので、ソファーとセンターテーブルの間にスペースを作り、そこに座り込んでいる。
 ソファーが背もたれ代わりになって、着物で重い体を支えてくれるので、ずっと楽な態勢だった。
 マサトもミルクと並んであぐらを掻き、ミルクの酌を楽しんでいる。
「でもぉ、、、アザミさんってぇ、、超ぉぉーセクシーだったよねぇ〜、、綺麗でぇ〜、、素敵ぃ〜、、、」
「まぁ、フラメンコの踊りは評価出来るな。」
「踊りなら島田さんもタップが凄かったじゃぁ〜ん。、、フフッ、、、」
「チェッ。・・あいつ、いつの間に覚えたんだか・・・。呼び戻すまで若林の下で働いていたから、悪ぃ影響受けちまってんじゃねぇか?」
 ミルクが誉めるのが気に入らなくて、ケチをつけるマサトは、総裁として君臨する男とは別人のようだ。
「ププッ。パリで会った若林さんは、あんなに面白い人だとは思わなかったぁ〜。」
「あいつは表と裏じゃ、性格変わるからな。」
「キャハハハハハッ!、、、マサトだってぇ、、変わるじゃぁーん!」
 酔っぱらいミルクも相当壊れ始めているようだ。
 んー、っとお猪口をマサトの顔の前に出し、おかわりをねだる。
「お前ぇほどじゃねぇぜ。」
 マサトは、そろそろミルクの酒量が限界と思って、注いでやるのを控えていたが、花魁姿の体を左右に揺すって、注いでくれるまでごねるので、仕方なく半分ほど注いでやる。
 ミルクは口をすぼめて、ツイ〜ッ、、と飲み干し、ニパァーッ、、、と笑って、しばし恍惚の表情をする。
「、、あふん、、、おいちぃ〜、、、」
 なんとも色っぽく首を傾げたミルクは、いきなり、
「プププーッ!、、キャハハハッ!、、プッククククゥッ!」
と、苦しそうに笑い出した。
「・・・おいおい・・・」
「だってぇぇぇーッ!、、、マサトが変わるってゆーからぁ、、ボムさんのチュチュ姿を思い出しちゃったんだもぉーん!」
「・・・忘れろ。・・・あれは悪い夢だ。」
「なんでぇ?スッゴク好感度アップだよぉ?、、可愛い〜!、、って思っちゃったもん。」
「・・・思うな。図に乗るぞ。」
 やはりミルクが男性を誉めると、それがどんな内容でも面白くないマサトだった。
「でもぉ、、、みんな楽しい、、いい人達だねぇ〜。仲間ぁ〜って感じぃ〜。」
「・・まぁな。・・・普段キツイ仕事してる分、はしゃげる時は、はしゃいでおきてぇんだろうぜ。」
「ぁ、、そっかぁ、、、」
「一年に一度のお祭り騒ぎ。・・どんなに忙しくても、これを奪う権利は俺にもねぇよ。」
 フッ、と浮かべた笑みの優しさに、ミルクは今更のように、ポォ〜ッ、と顔が赤くなる。
 言葉では文句を言っても、マサトの彼等を包み込む深い想いが伝わってくる。
「、、、やっぱ、、、ボスだなぁ、、、」
 ミルクは嬉しくてたまらない笑みを零して、妖艶に小首を傾げた。
 ・・・やっぱ、いい女だぜ。
 マサトはミルクのうっとりと尊敬を込めた眼差しを受けながら、
 ・・・押し倒してぇ・・・
 と、妄想を巡らせていた。

<22>
「あやかしの夢」
§22§「あやかしの夢」

 金糸銀糸も艶やかに、小花模様の愛らしさ。
 前結わえの華麗な帯を華奢な腕が抱え込み、白い指先で髪を押さえる。
 舞い踊る蝶々のように結い上げた、黒髪に似合う蜜色の鼈甲の櫛とかんざし、金銀珊瑚。
 緋色と紫の飾り紐が愛らしく、白き額に揺れる房。
 幼さを留めた頬を朱に染めて、長い睫毛が影を差す。
 潤んだ眼差しの奥にあるのは、汚れを知らない無垢な明るさ。
 小首を傾げるうなじの白さが、下へと続く甘い肌を思い出させて、男心を妖しく誘う。
 誘っていることなど知りようもなく、無邪気に甘えてくる愛おしさ。

 無限の闇に舞い降りた、天使の翼は薄いベールとなって悲しみの心を包み込む。
 傷付いた魂を抱え込み、光よ届け、と天に祈る。
 祈るしか出来ない小さな天使。
 握り潰すのは容易いことだ。
 けれど、それ故に愛おしい。
 闇を司りし我の元へ、躊躇うことなく舞い降りた、月光の天使。
 ヒンヤリと冷たい感触で、燃え狂う紅蓮の炎を舐めていく。
 地獄の炎で燻される魂に、甘く優しい安らぎの時を教えてくれた。

 マサトは魂の半身であるミルクを、狂おしいほどの愛しさで見つめていた。

 どんな毒も体内で中和分解してしまえるマサトは、アルコールもほとんど効かなかった。
 ただ、水よりは熱く燃える魂と相性がいい、というだけのことで、意識が朦朧となることはない。
 けれど、真っ新な岩清水のようなミルクには、魂を狂わせるほどに刺激が強いらしい。
 呂律も回らなくなり、トロンと瞼が重そうで、様子が怪しくなってきた。
 それに、煌びやかなのはいいがやたら重い衣装で、座っている体が次第に埋没していくように感じる。
「ミルク・・大丈夫か?・・・その衣装、上の方を脱いで楽にした方がいいんじゃねぇか?」
 …ふにゅ?
 あどけない顔で首を傾げてから、
「、、、ぁーぃー、、、そうちまちゅぅ、、、」
と、笑顔で答える。
 けれど、答えてから何の動きもない。
 様子を見ていると、どうやら立とうとはしているようだ。
 30s近い衣装が重しになって、酔って力が入らないミルクには立ち上がることが出来ないらしい。
 マサトは、クスッ、と口から漏れた笑いを噛み殺し、体に腕を回して抱き起こしてやった。
 その場で打掛を脱がせてやり、ずっしりと豪華な帯も解いてやった。
「、、ぁぃぁとぉぉ、、、」
 ありがとう、と言ったつもりのミルクは、フラフラァ、と歩いていく。
「おぃ・・・どうするんだ?」
「、、んー?、、、なくしちゃうからぁ、、、」
 ミルクは別のテーブルの所まで行って、かんざしを手探りで抜いて置き始めた。
 まだ思考力は多少残っているようだ。
 何度か手で撫で回して、カツラの飾りが鹿子の紐と飾り紐だけになると、今度は着物を着付けている紐を一本一本丁寧に解いては小さく纏めて、それもテーブルの上に並べていく。
 その間もフラフラと足元が危ない様子で、マサトも余程手伝おうかと思ったが、和装の女性が少しずつ着飾ったものを脱ぎ捨てていく風情を、悪くねぇな、と楽しみながら眺めていた。
 それにしても着物というのは、どこで使っているのか、紐やら何やらと小物がおおい。
 どうにか薄い半襦袢と赤い腰巻き姿になったミルクは、大きく深呼吸して両手を伸ばした。
 それから肩の凝りを解そうと首を回したのだが、カツラだけでも重かったようで、目の方を回してしまった。
 咄嗟に駆け寄ったマサトの腕の中に崩れ込む。
 崩れ込んだまま頭が起こせず、ジタバタとカツラを下にして藻掻いている。
 ひっくり返ったカメを思い出して苦笑を洩らしたマサトは、
「クックックッ。・・ったく、しょーがねぇなぁ。」
と、少し惜しい気がしたが、ミルクのカツラを抜き取ってやった。
「、、、はぅぅ、、、ぁぃぁとぉ、、、焦りまぃちゃぁ、、、」
 ミルクはホッとした笑顔で、マサトの肩にもたれて目を閉じた。
 マサトは引き込まれるように唇を重ねて、ミルクの甘い口を優しく吸った。
「、、ぁ、、、んふ、、、チュゥゥ、、、」
 しっとりと汗を吸った半襦袢がほのかな花の香りを漂わせている。
「やっぱ、あれだけの物を着込んでると、汗かくよなぁ。」
 このままでは風邪を引かせてしまう、と思ったマサトは酒宴を諦め、ミルクを抱き上げてベッドルームへと運んだ。

 腕の中に抱き包んだまま、マサトもベッドに横たわった。
 そうする間もミルクが首に吸い付いてくる。
 喉から顎までしゃぶるようにキスをする。
「ククッ。・・くすぐってぇぞ。」
「、、、マサト、、、しゅきぃ、、、」
 マサトの頬のラインをヒンヤリとした指でなぞり、自分から唇を重ねて舌を絡めてくる。
 マサトは左手をミルクの背中に回し、右手で柔らかな胸の膨らみを包んで揉む。
 指先に当たる突起をつまむと、
「、、ん、、、、、ぁん、、、」
と、敏感に反応して首をそらせて目を閉じる。
 そして、反らせた頭をマサトの首筋に擦りつけ、長い睫毛を震わせながらゆっくり目を開ける。
 あまりにも無防備なあどけない眼差し。
「、、、マシャトぉ、、、」
 甘い息で囁く声は、もの悲しいほどに切なく響く。
 こんなに間近にいるのに、寂しいと訴えかけて聞こえる。
 だから、マサトはいつも、
「愛しているぜ、ミルク。・・どうしよーもねぇほど惚れてるんだぜ。」
と、言ってやる。
 すると、光が弾けるように目を細めて嬉しそうな顔をする。
 ・・・バカ。そんな顔するんじゃねぇ。
 ・・・・・泣きたくなっちまうだろ。
 何故だかわからないが、泣きたいほど愛おしくなる。
 こんな俺に惚れちまった小さな魂を悼むのか、俺だけに救いを求めて縋り付く弱い心が痛いのか。
 暗闇に淡く輝く発光体は、儚い蛍のように揺らめいて、出会った頃のままに無心に甘えてくる。
 強く強く抱き締めて、激しい繋がりで満たしてやりたい。
 俺を信じていろ、と、俺から離れるな、と、儚い魂を掻き抱く。
「、、、あふん、、、マシャトぉぉ、、、しゅきぃぃ、、、」

 ……永久の時はない……
 と、幼い心で生きる無常を悟っているかのように、
 ……故に命あるもの愛してやまず。されど無常の流れにも、ひと時の温もりを求め、与えん……
 と、精一杯の命でしがみつく。
 ――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す――
 マサトは、頭の中で響く琵琶法師の呻り声を聞きながら、ミルクを力強く抱いた。
 赤い腰巻きの裾を割り、白い太腿を剥き出しにして、太く逞しい杭を打ち込んでやる。
 この絆を引き離せるものはいないのだ、と深く深く楔打つ。
 絶対の意志と宣う神も、無常に刻む終焉の時も、過酷に翻弄する運命も、求め合って結ばれた二人を引き離すことは出来ないのだ、と。

 神をも恐れず戦いを挑むマサトだからこそ、ミルクはその強さに惹かれたのかも知れない。
 運命に逆らえず流される生き方しか出来ずにきたから、唯一欲しいと望んだ一人の男に、全身全霊を捧げて手を伸ばす。
 背伸びして伸ばしても届かない弱々しい手を、マサトがしっかりと握り締め、抱き寄せてくれた。
 好きで好きでたまらない。
 消えてしまいそうな魂を見出し、熱く優しい夢で包んでくれた。
 暗闇に赤々と燃え上がる篝火か、怒りを噴き上げる溶岩の炎か。
 唯一の救いであり、希望であり、夢なのだ、と、命を捧げて恋慕う魂達を、導いて道なき闇夜を突き進む。
 漆黒の翼を雄々しく羽ばたたかせて、大空高く舞い上がる。
 ミルクにはその胸にしがみついていることしか出来ない。
 どうか離さないで、と祈りながら……。

「ぁ、、、ぁぁん、、、あちゅぅぅ、、、」
 ミルクはマサトの激しい突き上げに、目眩を感じながら必死でしがみついている。
 紐を解いてやった真紅の腰巻きが、ミルクの白く輝く肌を一層際立たせている。
 マサトは体を起こして足を両脇に抱え込もうとした。
「、、、ぁぅん、、、これぇ、、、やぁぁ、、、」
 ミルクが繋がったまま、足を胸に引き寄せた。
「・・どうした?」
 マサトには意味がわからない。
「、、、これ、、やぁなのぉぉ、、、」
 ミルクが足袋を履いた足をマサトの顔の前で、クイックイッ、と動かした。
 プッ。・・っと吹き出してしまったマサトが、
「わかった。今、脱がしてやるから・・」
と、ミルクの足首をつかむと、もう一方の足も顔の前に持ってきた。
「、、、こっちもぉぉ、、、」
 クイクイクイッ、と顔すれすれにつま先を動かす。
 下半身が繋がったままの状態なのが、奇妙に可笑しくなる。
「ちょっと、待ってろって。今、脱がしてやってるだろ。」
 金の留め具を外して、白い足袋のつま先を引っ張る。
 踵に引っ掛かってうまく脱がせず、少し手間取っていると、焦れたようにお尻を震わせる。
 チュプチュプッ、、チュプチュプッ、、
「、、、ぁぁぁぁぁぁぁん、、、」
「・・っ・・バカ。動くな。」
 酔ったミルクは手の付けられない淫魔と化す。
「ぁんん、、、ぁぁぁぁぁん、、、」
 キュゥキュゥキュゥ、、と繋がりを締め付けてくるので、余計に気が散ってしまう。
 だいたい人の足袋を脱がせてやったことなどないのだ。
 ようやく脱がし終えると、ミルクは両足揃えて、
「、、ぁぃぁとぉ、、、」
と、つま先の指を丸めるようにして、クイ〜ッ、と足にお辞儀させる。
「・・・・・あのな・・・・・」
 礼儀正しいと取るにはあまりにも行儀が悪い。
 それでも、こんな状況では行儀が悪いと叱るのも間が悪い。
 それに今夜は、少し驚かせたり悲しませてしまったこともあって、これ以上はキツイことを言いたくなかった。
 マサトは苦笑して、
「ククッ。・・可愛いあんよだぜ。」
と、足の指を一本ずつしゃぶってやった。

 、、ハァハァ、、、ハァァ、、、
「あぁぁぁぁ、、、もぉ、、らめれちゅぅぅぅ、、、、、あぁぁぁぁぁぁん、、、」
 何度も絶頂を繰り返し、一際甘いよがり声をあげると、ミルクはくったりと倒れ込んだ。
 マサトは、役目を終えて力尽きた蛇を抜き出し、
「・・・可ぁ愛い顔して・・・」
と、恍惚と夢を彷徨う少女の顔を眺めていた。
 、、ハァハァ、、、ハァァ、、、
 まだ息遣いが荒く、赤い口から花の香りがもれている。
 マサト自身はまだ眠くなかったが、ミルクはこのまま寝かせてやろう、と思い、向こうの部屋に残っていたお酒を持ってきた。
 眠り姫を肴に手酌で酒を飲む。
 自分が求めすぎるから、体力が追いつかないミルクは、どうしても休息の眠りに落ちてしまうのだと、わかっている。
 眠り姫も白雪姫もやたら眠っているシーンが多いのは、新婚か?
 ストーリーをあまり知らないマサトは、ミルクが見ていたアニメのビデオを、ふと思い出して一人笑いをした。
 と、眠り姫の唇が動いた。
 寝言でも言ってるのかと、顔を近付けると、
「、、、ァフッ、、、マシャト、、、ちゅきぃ、、、」
と、首に手を回してきた。
「・・あ・・・おい・・・ちょっと・・・」
 伸び上がって体重を乗せてきたミルクに、片手に徳利、片手にお猪口を持っているマサトは、あえなくベッドに押し倒された。
「、、、マシャトぉ、、、ちゅきちゅきぃぃ、、、」
 ミルクはマサトの体の上に完全に乗っかって、マサトの髪を指で掻き回しながらディープなキスを始めてしまった。
 両手に持っている物を離すことも出来ず、マサトはされるままにキスに応える。
 ミルクは口へのキスだけでは満足できなくなったのか、顎から喉、鎖骨から胸襟へと舐めるようにキスをしていく。
 マサトの厚い胸板に小さく突起した乳首に吸い付き、自分がマサトにされるのと同じ愛撫をする。
 胸で口を大きく裂けて睨んでいる蛇へも、舐め回してキスを繰り返す。
 蛇の胴体をなぞって下へ下へと体をうねらせて移動していくミルクは、白蛇に化身したようだ。
 白蛇は、マサトの股間から伸び上がる赤黒い蛇を見つけて、くわえ込む。
 ・・・共食いか?
 マサトは自分の想像を片頬で笑い、体を少し上にずらして、どうにか枕に肩を乗せた。
 白蛇が赤黒い蛇と対決姿勢をとったので、マサトはしばらく傍観することにして、お猪口に酒を注いで頭を浮かせて喉に流し込んだ。
 シュブリ、、シュブリ、、シュブリ、、
 白蛇は音をさせて赤蛇を飲み込もうとする。
 赤蛇は、そうはさせじ、とリキんで体を膨張させ強ばらせる。
 そうなると、今度は懐柔策に出て、機嫌を取るように赤蛇の顎や腹を舐め始めた。
 赤蛇の体半分から下は、袋の中で巣ごもり状態だと気付いた白蛇は、袋へも攻撃を始める。
 ・・・何がしたいんだぁ?
 赤蛇の胴をつかんで頭を睨み付け、先端を時々赤い舌で攻撃する白蛇の表情は、見つけなくてもいいのに何やら見つけ出してはじゃれる仔猫とよく似ている。
 細い蛇なら喰い千切って食べてしまう猫の方が有利と思ったのか、白蛇が白猫に変化していく。
 マサトは、クックックッ、と喉元で笑い、酒を注いだお猪口を口元へ運ぶ。
 そしてまた、まさに美酒爛漫、と徳利を傾けたが、もう中身が空になってしまった。
 取りに行くにもこの状況では無理なので諦め、徳利とお猪口をベッドのサイドテーブルに置いた。
 その間も、白猫は両手に赤蛇を挟んで、舐めたり歯を立てたりと弄びながら、どうやって息の根を止めてやろうか、と透明なガラス玉の目を光らせる。
「ぅあッ・・・こら。マジ噛みするな。血を噴くぞ。」
 思い切りくわえたと思っていたら、グッ、と力を入れて噛みついたので、マサトが焦って腰を引いた。
 チュルン、、と口から零れた赤蛇を、…何?これ?…とでも聞きたそうに、罪のない顔で首を傾げる。
 充分承知してるのに、トボケるのが上手いのも仔猫並みだろう。
「いくら俺の面の皮が厚いと言っても、そこの皮までは厚く出来ねぇんだぜ?」
「…んにゃん?」
「まぁ、お前には噛み切れねぇだろうがな。ククッ。」
 白猫はマサトをじっと見ていたが、体をユラユラと起こすと、白い腕を高く上げて伸びをし、ゆっくりと揺らしながら羽ばたくように白鳥へと、再び化身していった。
 そして、マサトという湖に舞い降り、静かに湖面へと浮かんだ。
 ようするにマサトの赤蛇の上に座り込んだのだが、想像遊びを楽しんでいるマサトは、自分が湖になった気分でミルク白鳥を受け入れた。
 赤蛇はすっぽりと捕らえられ、もう姿は見えない。
 白鳥は勝ち誇るように、うっすらと妖艶な笑みを浮かべて湖面を滑っていく。
 白い首と体をゆっくりと前後に動かし、湖面を進む。
 湖面の下では、忙しなくヒレのついた足で湖水を掻いて漕ぐように、赤蛇の体を見えない肉襞で掻いて漕ぐ。
「・・・はぁぁ・・・参った。・・降参するぜ。ミルクには敵わねぇ・・・」
 マサトは、股間から甘い快感が全身にまわり、痺れてくるに至り、白旗を振る。
「、、、ウフッ、、、ウフフッ、、、クスクスクスッ、、、」
 人の姿に戻ったミルクは、嬉しそうな笑いを零して、腰を上下にホッピングさせ始めた。
「ぁ、、ぁぁ、、、ぁぁん、、、マシャトぉぉ、、、ちゅきぃぃぃ、、、」
 しなやかな体を大きく仰け反らせたミルクは、後ろに倒れ込みそうになり、マサトが腕をつかんで支える。
「ここからは俺がリードするぜ。」
 マサトはミルクの両腕をしっかりつかんで、下から突き上げてやる。
「あ、、、ぁぁぁ、、、あぁぁぁぁぁ、、、」
 水上スキーで背中を反らせたような態勢で、声を震わせながら快感によがる。
「あ、あ、あ、ぁ、ぁ、ぁ、、、ん、ん、ん、ん、んー、、、」
 あまり長引かせても、ミルクの体が持たないだろうと、マサトは、焦らさず一気に頂点を目指すことにした。
 ズズン、、ズズン、、ズンズンズンズンッ、、、
「あ、あ、あ、、ぁぁぁぁぁ、、、ん、ん、んー、、、いくぅぅぅーーッ、、、、、」
「俺もいくぜぇぇ・・・はぅぅぅぅ・・・っくぅ・・・・・っはぁ・・・」
 ミルクと一緒にマサトもエキスを注ぎ込んだ。
 マサトの胸に抱き留められたミルクは、絶頂の痙攣の中で意識を飛ばし、今度は深い安らぎの眠りへと落ちていった。
 マサトもそのまま眠ることにして、ミルクを腕に抱き毛布でくるむと、ホッと安堵の息を吐いて目を閉じた。


 翌朝、遅めに目覚めたミルクに昨夜のことを話してやると、記憶にない、と言い張った。
 マサトは、これが証拠だ、とミルクの歯形がわずかに残っている赤蛇を見せてやった。
「…ぁぅ……ごめんなしゃい……」
 反省しきりに頭を下げるミルクに、マサトは額に優しくキスをして、
「・・けど、可愛かったぜ。・・たまには酔っぱらわせてみるのもいいかもな。」
と言って笑った後、
「ただし・・・俺と二人きりの時だけにしろよ?」
と、釘を刺した。
「…ぁーぃー……」
 ミルクは一瞬花魁の色香を浮かばせて、小さく返事をした。

 それから、支度を整えたマサトとミルクは、若松他数名とヘリコプターで覇羅蛇村へ向かった。
 マサトが明日には仕事で海外へ向かう為、時間を惜しんで間に合わない連中は置き去りにした。
 取り残されたことを知ったSSSは、再び策謀を練り始めた。
 何故か巻き込まれてしまった田代と福島は、またとんでも無いことが起きるのか?!と、すっかり酔いの醒めた顔を青ざめさせた。
 そんな二人の心配を余所に、SSS達は生き生きと目を輝かせる。
「まったく、退屈しねぇなぁ。ボスも楽しませてくれるもんだぜ。」
と、コウメイ副隊長こと、若林猛が怪しい笑みを浮かべ、
「華々しく凱旋してやるぜ。」
と、ボムこと、雷音轟が腕まくりをし、
「けど、今度は郷だから破壊は出来ないよ。」
と、ドルフィンこと、海園麗がピアニストさながらの繊細な指で赤い唇を押さえ、
「なぁーに。手段はいくらでもあるさ。」
と、スナイパーこと、矢上準がニヤリと笑った。
 何でこんな談合の場に居合わせているんだ、と自分を呪いたくなった田代は力無く項垂れ、すでに考えることを放棄した福島は遠い目をして空を見上げた。

<23>
「夢の郷」
§23§「夢の郷」

 眼下に広がる白銀の世界。
 これほど雪深い郷とは知らなかった。
 だからこそ、あれほど豊かな森や滝もあるのだと、納得する。
 ヘリコプターの窓に貼り付いて景色を眺めているミルクは、言葉もなく感激していた。

 高度を次第に下げて、村の様子が細かく見えてくると、これだけの雪が積もっているのに、道路には雪がまったくないことに気付き、不思議な気がして首を傾げた。
「いかがなさいました?」
 若松が、ノートPCで仕事をしているマサトに代わって、ミルクに声を掛けた。
「ぁ……ぁの…道路にどうして雪がないんだろう、と……」
「あぁ。・・お近くで御覧になれば、すぐにわかることですが、道路の端から常に温泉の湯が細い噴水となって出ているので、道路に降った雪はすぐに溶けて側溝に流れてしまうのです。」
「温泉で雪を溶かしてるんだぁ…?!」
 ミルクは感心して大きく頷いた。
「…でも、それじゃ、どうして…屋根や庭の雪はそうやって溶かさないの?」
「村内の交通が妨げられると、子供や年寄りには不便で、時には危険だったりするので、雪がないようにしておりますが、本来自然のままに冬を越すことが、田畑や生活する人々が長い年月で培ってきた生活を守ることになります。」
「……守るの?」
「温泉をかけている道路は舗装されてますが、それ以外の場所は土のままなので、常に湯をかけていると地盤が弱くなります。それに雪に埋もれた状態が、作物を保存したり、春を待っている種などを眠らせてくれるのです。」
「…あー…そっかぁ……」
「それから、・・御覧ください。・・この白銀の世界に村周辺だけが雪化粧を剥がすと、上空からも目立ってしまいます。・・・夏には森の色、冬には雪化粧のまま、そっと姿を目立たせずに息づいている隠れ郷なのです。」
「……そーなんだぁ……」
 ミルクはふと物悲しさを感じながら小さく頷いた。

 大きな森に隠れるように立つ覇羅蛇家のお舘。
 そこだけは地熱が高いようで、温泉は出ていなかったが、庭やヘリコプターが降り立った舘の裏に積もっている雪はなかった。
 高い木々の森が取り囲んでいるので、上空からは見えないが、この真冬だというのに様々な花まで咲いている。
 それでも風の冷たさは雪国のものなので、おそらく寒さに強い花を植えているのだろうが、舘周辺だけは桃源郷のような風情があった。


「奥方様、お帰りなさいませ。」
 玄関まで出迎えに出た人々が、マサトへの挨拶の後でミルクにそう言ってお辞儀をした。
 ……あ…そーだっけぇ。
 覇羅蛇村では、ミルクはすでにマサトの妻として受け入れられていたことを思い出し、背筋を伸ばして緊張した。
「ご無沙汰しております。皆様、お元気そうで…」
 言葉が続かない。
 畏まった言葉がすぐに頭に浮かばず、しかも話そうとすると口が縺れそうになってしまう。
 ミルクは自分の拙さが恥ずかしくて、耳を真っ赤にし、ペコリと頭を下げて誤魔化した。

 一泊だけの滞在なので、荷物はさほどなく、部屋に荷物を置くと、すぐにマサトはミルクや若松達を伴って蛇神山の神社へと登っていった。
 神社は蛇神を奉るだけでなく、郷の人々や組織員達の御霊を供養するお社でもあった。
 神官:宮司悟によって、ささやかな供養の献花が執り行われ、その後、別室でマサトが宮司と話をするのを待ってから、山を下りた。

 舘に戻ると、長老や村役達が集まっていて、昼食会のお膳立てが出来上がってしまっていた。
 滅多に村へは来ないマサトに、この時とばかりに、聞いて欲しい事やお願いしたい事など、食事のかたわら次々と相談事を持ち出す。
 組織を引退して郷に戻り村役になった人は、マサトが忙しい立場であることを承知していたが、まったく組織とは無縁に郷で生きてきた人にとっては、あくまで”覇羅蛇村のお舘様”だった。
 その為、屋根の補修が冬に間に合わなかったとか、村の歯医者は腕が悪い、などという苦情の類まで言い出す。
「わかった、対処しよう。」「その件は役場ですぐに検討させよう。」「数名若手を手伝いに来させよう。」
 マサトは即答即決で、どうにか年寄り達を納得させると、昼食会から退席した。

 マサトも堅苦しかったのか、昼食会の広間を出ると、肩の凝りを解すように動かした。
 黙々と料理を口に運ぶだけだったミルクは、料理の味もわからない程緊張していたので、あーゆー席が苦手なのが自分だけではないとわかって、クスクス、笑いを洩らした。
 同じように黙っていた若松が、
「どうして年寄りというのは強引で我が侭なんでしょうね。」
とウンザリした顔で言った。
「しょーがねぇよ。小さな隠れ郷で生まれ育って、広い世界もほとんど知らずに生きてきたんだ。聞いてやるくれぇ、しねぇとな。」
「・・ですが、本来なら村の問題は村内で解決するべきでしょうに。わざわざお忙しい会長に言わなくとも・・・」
「俺も好き勝手に忙しくしているだけだぜ。我が侭なのは俺の方かも知れねぇな。・・この郷があるからこそ、俺も自由が出来る。その村を守ってきた人達は、大事にしてやらねぇと・・・ククッ・・蛇神の祟りがあるぜぇ?」
 マサトがからかうように声を低めると、
「・・や・・やめて下さい。その手の話は・・・」
と、若松が急に嫌そうな顔で後ずさる。
「クックックッ。・・・ま、俺も若松の苦手な怪談話くれぇ、重鎮とかゆー年寄りは苦手だがな。・・・何しろ、理屈が通らねぇわ、脅しも効かねぇわ・・厄介なことは確かだぜ。」
 ……へぇぇ……
 …若松さんにも苦手なものがあるんだぁ…。
 ミルクはマサトの話より、新たに知った事実が何だか可笑しくて、またクスクスと笑った。

 まだまだ用事は終わらない。
 というより、一番大事な用が残っていた。
 マサトはたくさんの手土産を車に積むと、村の東側の少し高い斜面にある渡部の実家を訪ねた。
 渡部の家から上は針葉樹林の森になっていて、やはり真っ白な雪を被っていた。
 マサトが挨拶と一緒に手土産を渡すと、渡部の妻は、
「・・・まぁぁ・・もう充分して頂いてますのに・・・」
と、穏やかな笑顔で礼を言った。
 そこには悲しみを乗り越えた、強い母の顔があった。
「あー・・アリス様だぁー!」
 子供達が次々と顔を出し、ミルクに駆け寄って抱きついてきた。
「ま・・ま・・・いけませんよッ。」
 渡部夫人が慌てて子供達を注意する。
「構いません。子供は伸び伸びとしているのが一番です。」
 マサトがミルクの気持ちを代弁するように笑みを浮かべて言った。
 ほんの短い期間だったけれど、子供達はミルクが預かっていた時のことを思い出して慕ってきたのだ。
「ねぇねぇ、アリス様ぁ。アリス様がお話してくれた絵本があるんだよぉ。来て、来てぇ。」
 子供達はミルクを自分達の部屋に連れていきたい様子だった。
 ミルクも興味を持って、行っていいかと、マサトの顔を見る。
 マサトが頷くので、ミルクは子供達に手を引かれながら二階の子供部屋へと向かった。

 静かになった部屋で、マサトは渡部の年老いた両親に両手をついて頭を下げた。
「申し訳ありません。遺骨を間に合わせることが出来ませんでした。」
 若松も隊長補佐として、マサトの後方で同じように頭を下げている。
「息子をお預けした時より覚悟の上。どうか、もう気になさらずに、我等一族・・いや、ボスに魂を捧げる者達全ての為に、後ろを振り返らずお進みください。年老いたとはいえ、私も思いは同じです。」
 元は自分も組織員である渡部の父親が、恐縮した様子で平伏した。
「お舘様。どうぞ、お手を上げてください。」
 渡部の母親が目頭を押さえて、申し訳なさそうな顔で言う。
 と、その時、上空から微かに轟音が聞こえてきた。
 静寂の包まれた雪深い山郷には、滅多に響くことのない音だった。
 マサトと若松が同時に頭を上げ、顔を見合わせる。

 急いで外に出たマサトに、渡部の父親が双眼鏡を持ってきて差し出した。
 若松は、部下に役場と舘に連絡を取るよう指示して、マサトの側に控えた。
 冬晴れの空に数機の機影が肉眼でも確認出来る。
「村の緊急対策室は何をやっているんだッ?」
 渡部の父親が野太い声で叫んだ。
 覇羅蛇村には緊急対策室が設けられていて、不審な侵入者があると、サイレンと村内放送で警戒するように呼びかけることになっている。
 最も今の時代にいきなり空襲はないだろうが、それでも熊が郷に姿を現した時など、けっこう役に立っていた。
「・・いや。大丈夫です。・・・どうやら、渡部が手を焼いていたSSSの後輩達のようだ。」
 マサトは双眼鏡を若松に渡しながら、そう言って肩を竦めた。
 機影は機体がはっきりわかるほどに近付いてきていた。
 若松は双眼鏡を覗いたまま、
「・・アイツ等・・・何をする気だぁ?」
と、歯軋りして呻くように言った。


 数機の飛行機は村の上空まで来ると、時々低空に飛んで何やら色のついた粉を噴霧していた。
 縦横無尽に何度も低空飛行し、それぞれ違う色の粉を撒く。
 白銀の世界だった郷が、淡く虹のように七色に染まっていくではないか。
 ミルクは渡部の子供達と二階の窓から、目を丸くして外を眺めていた。
 子供達も初めは飛行機の轟音に脅えていたが、白だけの雪景色が虹色に変わっていくにつれ、キャッキャッ、と歓声を上げて喜びながら夢中で見ていた。
 外で様子を見ていたマサトや若松達は、高級なスーツに黄色やピンクの粉がかかり、眉をヒクヒクと痙攣させている。
 マサトが肩についた粉を指につけて舐めてみると、それは色の付いた粉砂糖だった。
 お祭りなどで、水ノリで絵を描いた薄いせんべいにかける、あの色付きの粉砂糖。
 真っ白な雪に覆い尽くされた郷が、今やすっかりメルヘンチックな虹の郷になっていた。

 噴霧を終えた飛行機は、用を済ませたとばかりに村の上空を去っていったが、一機だけ違う形の飛行機から、一つ一つ色の違う七つのパラシュートが、七色に脹らんで下降してきた。
 コウメイを筆頭にボム、スナイパー、ドルフィンであることは明らかだったが、田代と福島も一応受けた訓練を思い出し、必死に目的の場所へとパラシュートを誘導しているようだ。
 残るパラシュートは人ではなく、箱が取り付けられていて、ボムとスナイパーによって同じように誘導されていた。
 そして彼等は、マサトがミルクに村を見せた小高い丘に降り立ち、箱から何やら出して組み立てると、ロケットランチャーを担ぎ、上空へ向けて発射させた。

 《《  《《ドォォォーーーンッッ!!》》  》》
 <<<<<パラパラパラパラパラ>>>>>
 派手な音と共に、目映く煌めく閃光と色鮮やかな煙が空に広がる。
 窓からではよく見えないー!と、子供達にせがまれて、様子から危険でなさそうだと判断したミルクが、外に出てきた。
 《《  《《ドォォォーーーンッッ!!》》  》》
 <<<<<パラパラパラパラパラ>>>>>
 今度は違う色の煙がスパークリングする光と共に広がる。
 子供達は大喜びで飛び跳ね、空に向かって手を掲げて、歓声を上げている。
 ミルクも夢のような光景に驚きながら呆然と眺めている。
 《《  《《ドォォォーーーンッッ!!》》  》》
 <<<<<パラパラパラパラパラ>>>>>
 ロケットランチャーから七発の花火が打ち上げられて、騒ぎは終わったようだった。

 煙が空に溶け込むまで見上げていたミルクは、ホォォ〜ッ、と夢心地に息を吐いた。
 それから視線をマサトに向け、口元に浮かべた笑みが固まった。
 マサトも若松も他の人達も、ケーキにパウダーを振って仕上げた状態になっていたのだ。
「…プーーーッ!…ククク……アハハハハハッ!」
 ミルクが前屈みにお腹を押さえて笑い出したので、子供達も一緒になって笑い出した。
 渡部夫人が焦って子供達を家の中へと追い立てた。
 マサトは無表情に渡部の父親に挨拶すると、まだ笑いの収まらないミルクの手をつかんで車へと乗り込んだ。
 若松もそれに続き、車が舘に戻る為動き出すと、
「彼等を迎えに行かせますか?」
と、マサトに聞いた。
 雪深い丘から下りてくるのは、彼等でも大変だろうと思ったからだ。
「迎え?」
 マサトが片眉を吊り上げて聞き返す。
「・・ぁ・・いえ。」
 マサトの不機嫌そうな様子に、助手席から振り返っていた若松は頭を下げて前を向いた。
「・・ったく。・・・それにしても、今日の騒ぎ・・・アイツ等だけで出来る事じゃねぇな。」
 マサトが呟くように言ったので、
「あ、はい。それにつきましてですが、・・部下が役場に確認した所、屋敷の方からの連絡で、”今日、飛行機のデモンストレーションを用意したから、飛行機が数機上空を飛行しても心配しないように。”と連絡があったそうです。」
と、若松がバックミラー越しに報告した。
「屋敷の者達が勝手にそんな企画を立てるはずがねぇぜ。・・景山がバックにいるな。」
「・・クスッ。・・ですねぇ。参謀、今回は留守番させられるので、面白くなさそうでしたから。」
 え?!
 マサトの服に付いた粉砂糖を、指につけて舐めていたミルクが、指をくわえたまま口を丸く開けた。
「飛行機の手配から散布した材料の調達まで、・・あの景山じゃなきゃ、いくらSSSだって短時間にここまでのことは出来ねぇよ。」
「そうですね。武器や花火まで・・ですからね。」
 マサトの言葉に若松も同意を示した。
「……ほぇ〜……」
 景山の見えざる実力を知って、驚きながら頷いたミルクは、またマサトの服の粉砂糖を舐め始めた。
 七色に染まった雪景色の中を、車は静かに走り抜けていく。
 ミルクは、こんな夢を現実に出来る実力ならいいよなぁ、とメルヘンの世界を楽しみながら景色を眺めた。


 屋敷に戻ったマサトはそのまま風呂へと向かった。
 頭から粉砂糖をかけられたのだから、髪も顔もベトベトして気持ち悪い。
 若松達も、許可を貰って別の風呂へと向かった。
 舘には、主人専用の露天風呂の他に二つの露天風呂があり、舘に泊まる組織員達や舘で働く人達も露天風呂を楽しめるようになっていた。

 ミルクも一緒に入ることになり、マサトと手を繋いで内風呂から露天風呂へと出てきた。
 さすがに真冬の外気は冷たくて、風呂から湯気がもうもうと立ちこめていた。
 森に囲まれているせいか、風はほとんどなく、湯気が白く辺りを包んで霞がかかったようだった。
 ミルクがマサトに続いてお湯に足を浸けた時、
「ちょっと、待ってろ。」
と言ったマサトが、ミルクをその場に残して、湯船の先へと歩いていった。
 マサトの背中が次第に白くぼやけていく。
 と、その先にぼんやりと浮かぶ白い影があった。
 …え……誰かいたの?
 誰だろう、とミルクが不審に眺めていると、マサトが白い影に抱きついた。
 …ええぇぇぇーーーッ?!
 ミルクは不安とショックで、じっと立ち尽くしていた。
「お前こんな所で遊んでていいのかよ?」
 マサトの嬉しそうに弾んだ声がする。
 …一体、誰ぇーッ??
「どうせなら女房と子供も連れてくりゃいいのに。」
 …え……ってことは…男の人?
 ミルクは急に恥ずかしくなって、湯船に、チャポン、と肩まで浸かった。
 その音で気付いたのか、
「ミルク。こっちに来ていいぜ。」
と、マサトがミルクを呼んだ。
 ……男の人がいるのに?
 ミルクは怪訝に思いながら、湯船に体を沈めたまま、そろそろと近付いていった。

 近付いてわかった。
 マサトが話していた相手は、金色の光を放つ白い大蛇だったのだ。
 額に赤いダイヤ型の傷痕を持つ白い大蛇。
 蛇神山に住む、蛇神である。
 …蛇って温泉に入るのぉ?!
 ミルクは内心の動揺を隠し、気持ちよさそうに裂けた口で微笑みをたたえた蛇神に、
「お久しぶりですぅ。」
と、お辞儀した。
 蛇神は、ホッホッホッ、と笑うように長い胴体を揺らめかせた。
 間近で見ると、本当に綺麗な体をしている。
 透明感のある鱗一枚一枚がキラキラと輝いて、お湯の中でさえ金色の光を放っている。
 ミルクが見取れていると、蛇神が、ヌゥーーッ、と顔を近付けてきたので、ミルクは手を伸ばして額や首を撫でた。
「…蛇神様って冬眠しないんですかぁ?」
 ミルクが不思議に思ったことを質問すると、
「地熱が高いから冬眠しなくても平気なんだぜ。」
と、マサトが説明し、ミルクの背後に回って胸に抱き寄せた。
「それに何ヶ月も神様が寝てちゃ、その間悪霊達が騒ぎを起こしちまうだろ。」
 …だろ、と言われても、ミルクは悪霊という存在とは面識がなかったので、よくわからなかった。
 蛇神は顔を上げ、喉を反らせて笑う。
 声はないが笑っているのだとわかる。
「…そーですかぁ。…忙しくて大変ですねぇ。」
 ミルクは、何が可笑しくて笑っているのかわからなかったが、取り敢えずそう言うと、蛇神の白い腹を撫でた。
「チッ。俺だって似たようなものさ。・・ちょっと目を離すと騒ぎを起こすSSSがいて、景山までが荷担しやがる。・・・あの教官だった景山がだぜぇ?」
 マサトが愚痴をこぼすのを、蛇神がまた愉快そうに笑う。
 そして、お湯を口に含んでマサトの頭の上に伸び上がり湯をかける。
「そー言やぁ、お前も、俺や若林の巻き添え喰って、景山に説教されたことがあったっけな?」
 マサトが、被ったお湯で額に落ちた前髪を指で梳き上げて言うと、蛇神が、うんうん、と頷く。
「・・・まぁな。・・・俺が一番の悪鬼・・・悪霊かもな。クックックッ。」
 マサトは肩越しにミルクに頬ずりをして、仕方なさそうに笑った。

 蛇神はかなり気持ち良さそうになり、ユラユラと揺れていたが、タプンッ、とお湯の中に全身を浸けると、三周ほどマサトとミルクの周りを泳いだ。
 それから顔を上げた口に鱗を一枚くわえ、ミルクの前に差し出した。
「…ぇ…頂いていいの?」
 蛇神は、うんうん、と頷き、
「ありがとうございますッ。」
と、ミルクが嬉しそうに言うと、満足そうに笑って、湯船から上がり、鼻歌まじりにゆっくりと立ち去っていった。
 いや・・・声は聞こえなかったが、きっと鼻歌を歌っていたに違いない。
「…ぅわぁぁ……綺麗ぃぃ……」
 ミルクが光に翳して見ると、半透明の鱗が一層キラキラと輝き、細かい光を反射させていた。
「…不思議ぃ……白っぽいのに金色に輝いて…その中に細かい虹色の光の粒がいっぱい詰まってるの。」
 ミルクがマサトにも翳して見せると、
「あぁ。・・その鱗はお守りになるから、大事に持ってるといいぜ。」
と、耳を甘噛みしながら言った。
「、、アフン、、、う…ん、、、」
 ミルクはうっとりと目を閉じ、鱗を掌に包んで胸に押し当てた。

 魔の郷、覇羅蛇村は、摩訶不思議な夢の郷のようだった。

<24>
「郷の人々」
§24§「郷の人々」

 ほかほかのいい気分で荷物を置いてある部屋に戻ろうとした時、
「俺の部屋・・・覗いてみるか?」
と聞かれ、ミルクは目を輝かせて頷いた。
 けれどすぐに、前にどうして部屋を見せてくれないのか、と聞いたら、毒蛇がそこら中でトグロを巻いてるから、と言っていたことを思い出し、
「…蛇しゃん…いっぱい?」
と、不安そうに聞いた。
「いや。整理したよ。・・・雪が溶けたら、奥殿部分を全部改築改装しようと思ってな。俺達の新居と俺達の子供達用に新しい部屋が必要だろ?」
 ……子供達?
「本郷の所までは望まないが・・・クククッ。本郷の実家も医者してるんだが、本郷の両親と女房達とそれぞれの子供達が同居してる、賑やかな家だぜぇ?」
 ……女房達とそれぞれの子供達?!
「…本郷さん…診療室に彼女がいるんじゃ…?」
「彼女もいずれは子供が出来たら郷で暮らすようになるかもな。・・彼女で五人目の女房になるか。」
「…ご…五人?!」
「子供は今のところ15人いるぜ。」
「……いやぁ〜ん……そんなに生めない〜〜……」
……いや、そんな問題じゃなかった……
「一人では・・って言っても、そうした家族もいるらしいが、普通は無理だろうぜ。・・確か、6人、4人、3人、2人、って子供がいたような・・・。年齢も順番は関係なく、・・一番小さい子が第二夫人の子供だったな。もっとも第一夫人の子供の内、4人はそれぞれ別の女達の子供だが・・・」
 マサトが、やれやれ、と首を振る。
「……すごい大家族だねぇ……」
 前に覇羅蛇村を案内された時、小さな村にしては大きな病院があるなぁ、と思ってたのは、大家族を抱え込んでいる家だったからなのだ、と理解した。
 それにしても、妻達や子供達がどうして同居出来るのか、ミルクには不思議だった。
 ミルクは頭が混乱して、
「……どうして子供が出来るの?」
と、眉を寄せて聞いた。
「あ?・・・おい・・・」
「ぇ…ぁ…方法は知ってるけどぉ……だって……」
 ミルクが口ごもると、マサトはミルクが聞きたかったことを理解したようで、
「女房達は元々SS看護士だったりSS通信士だったりして、何処にでも同行する機会が多いから、時には必要があって呼び寄せる時もあるしな。日本にいる時は、本郷もけっこうマメに帰ってきて、女房達を満足させてやってるみたいだし、いつ会っても誰かしらデカい腹をしてるぜ。」
と、説明した。
 子供が出来てからも、恋愛関係は続いているのだと聞いて、少しだけ安心したミルクだったが、それでも、だからいい、とは言えないように思えて、表情を暗くしていた。


 話ながら長い廊下を奥まで歩いてきて、ようやくマサトの部屋に着いた。
 マサトがドアを開ける。
 一瞬、ブラックホールに通じる扉が開いたのかと思った。
 真っ暗で暗闇しかない部屋。
「あぁ・・・カーテンが閉めっぱなしだったな。たまに現像とかもここでするから、完全遮光カーテンにしてあるんだ。」
 マサトが真っ暗い部屋に入っていき、姿が消える。
 と、次の瞬間、シャァーッ!、と音がして光が飛び込んできた。
 もう夕方近く、そう明るい光ではなかったが、真っ暗闇を見ていた目には刺激が強かった。
 光に目が慣れて、入り口から部屋を見回すと、部屋全体も黒を基調…いや、ほとんど黒で纏めた部屋だった。
 20畳くらいの広いスペースで、壁にはマサト自身が撮影したと思える写真が飾られていた。
 大きなパネルに引き延ばした写真なのだが、全てモノクロで影の多い写真だった。
 天井も壁も床の絨毯も黒、ベッドや机や本棚も黒。
 丁寧なことに、本棚に並ぶ本まで黒いカバーが施されている。
 よく見ると銃器が並ぶ棚もあるし、サンドバッグもぶら下がっている。
 マサトの好きなシルバーアクセサリーも、お気に入りの物なのか綺麗に並べられてたりする。
 マンションの趣味の部屋にある物ほど細かい細工はないが、ずっしりとした重量感のあるシルバーアクセサリーだった。
 ちょっと驚いたのがいかにも年代物らしい刀剣や槍も飾られていて、使用されていた時を想像すると、ミルクには到底この部屋では眠れない気がした。
 部屋に踏み込む勇気がなくて、首だけ伸ばして覗いていたミルクに、
「そんな所にいねぇで入ってこいよ。」
と、ベッドに腰を下ろしたマサトが呼んだ。
「……ぅん……」
 ミルクはおずおずと部屋に踏み込み、マサトに並んで座った。
「ミルクと付き合う前に使っていた部屋だが、ミルク向きじゃねぇからさ、見せたくなかったんだ。」
 マサトが自嘲的に唇の端を上げるのを見て、ミルクは色を拒絶したマサトの魂の苦痛や慟哭の一部を垣間見る気がした。
「けど、今度はミルクが好きな可愛い部屋にするからな。」
 ミルクの頬を、揃えた指の背で撫でながら言うマサトは、優しい笑みに戻っていた。
 深い愛の想いに、ミルクは胸が、キュン、となり、
「うんッ。」
と、目一杯の笑顔で頷いた。

「愛してるぜ。・・・可愛い俺のミルク。」
「…ミルもぉ……」
 お互いに熱い想いに目を潤ませて見つめ合い、引力に引かれるように唇を近付けていく。
 ミルクが目を閉じかけた時、視界の隅でじっと見つめている目と視線が合った様な気がした。
 ……えッ??!
 ミルクは閉じかけた目を開いて確かめずにはいられなかった。
 …確か、そこのパネルに……
 モノクロ写真のパネルは、路地裏につぎはぎが破れた服を着て踞る少年の姿が写された物で、全体が暗い。
 暗いけれど、その写真自体には見つめる目はなかった。
 …気のせい?
 と、目を閉じかけて気が付いた。
 写真ではなく、パネルに、異様な顔がぼんやりと白っぽく浮かび上がっているのだ。
「…ヒッ……いやぁぁーーッ!」
 ミルクは目を固く瞑ってマサトにしがみついた。
「え・・・何だぁ?」
 せっかくの甘い気分に突入しようとしていたマサトは訳がわからず、
「ミルク?」
と、顔を覗き込むように問い掛けた。
「…だって…だって……あそこに顔が……」
 ミルクがパネルを指差した。
 マサトは振り向いて観察するが、特別変な所もなく、
「・・・あれは、ロシアで見かけた少年だ。・・・なんだか、自分と重なるものを感じて、ここに飾ったんだが・・・?」
と、説明する。
「…写真じゃないーッ。パネルに顔がぁ……」
 ミルクがもう一度目を開けると、顔はなく薄ぅーく蛇の姿が映っている。
 …あれ?
 蛇の木彫りの彫刻は部屋に入る時見た記憶があった。
 それもパネルの反対側の壁に。
 …後ろ?
 ミルクは恐る恐る振り返った。
 ………………ッ!!!
 振り返って固まったミルクに、マサトは、あぁ、と納得して苦笑した。
 そこには”般若の面”が掛けられていたのだ。
 ミルクは浮かび上がった顔の正体はわかっても、その不気味なほどの完璧さに、背筋が凍る魔の美を感じていた。
「心配ねぇよ。今はただの綺麗な面、ってだけだぜ。」
 ……今は?
「それは昔、幕府に仕えていた頃、覇羅蛇家の者がアイテムに使っていた”呪いの面”なんだ。」
 ……アイテムぅーー???
  ――そのアイテムは呪われている――ドロドロドロドロ――
 ”般若の面”が、ゲームの音付きで頭の中をぐるぐる回る。
 ……そんな呪いのアイテム…使うなぁーー……
「けっこう歴史が長い家柄だと、厄介な物を抱え込んだりしちまうみてぇだな。・・けど、それは蛇神が綺麗に除霊したから、今はもう大人しいもんだぜ。」
 ……おとなしい……
 …おとなしいだけ?
 一体、どんな面だったのか、その完璧な美の”般若の面”がどんな経緯でここまで辿り着いたのか。
 怒っているのに悲しげな表情が、何故か痛々しく思えてきた。
「・・・自戒の為に飾っておいたんだが・・・ま、この部屋も改築することだし、客間にでも飾るとしよう。」
 ……客間ぁーーーッ?!
「…誰もお客さん来なくなりそう。…ってゆーか…自戒って?」
「例え呪いの物でも、物自体に罪があるわけじゃない。・・ただ、魔も同じに・・必要があって魔の力を借りたとしても、のめり込んだら自分を失うし、有頂天にでもなりようものなら地獄の底の底まで引きずり込まれる、ってことさ。」
「…ふーん。……でも、魔の力って…本当にあると思う?」
「人知を越えた力。・・・見えない集団意識、見えない影の力、見えない特別な意志、・・・あるいは奇跡などという得体の知れない力。・・・そう思えば、神だってそうだよな。」
「…ぅぅぅ……よくわかんなぁーい。」
 ミルクはマサトの胸に顔を押しつけて、グリグリ、と擦り付けた。
「ククッ。わかった、わかった。・・・もう向こうの部屋に戻ろう。・・この部屋もこれが見納めだな。」
 マサトはミルクの肩を抱いて、部屋を出るように促した。
     ((ここに登場する”般若の面”は万里様のSSからお借りしました。))


 部屋に戻る途中で、全身ずぶ濡れ状態で甘い香りを漂わせているSSS一行と行き会った。
 どうやら舗装されてない雪が堆積した道無き道を歩いて来たらしい。
 七色の雪を掻き分け掻き分け、体の熱で溶けた雪と粉砂糖で、かなり悲惨な様子だった。
 靴下だけは脱いで手に持ち、風呂へ直行するように、執事に言われたのだろう。
「こんにちわぁ。お帰りなさぁーい。」
 ミルクがニコニコ笑顔で声を掛け道を譲る。
「よう。お疲れさん。」
 マサトが腕組みをして、ニヤリ、と笑う。
「・・・あのなぁ〜・・・迎えぐれぇ寄こせ。・・ったく意地の悪い奴だ。」
 若林がマサトを睨み上げる。
「フン。・・騒動ばっかり引き起こすなら、後の始末も自分でしろ。俺は知らんぞ。」
 マサトが冷たく突き放すように言う。
 一同は、ハァァッ、と溜息を吐いて、また風呂へと向かおうとした。
「でも、すっごく綺麗で素敵でしたぁ。」
 ミルクはマサトの意向には逆らわないのが基本姿勢だが、どう受け止めるかは自由だったので、心からのお礼を込めて言った。
「渡部さんのお子さん達も、すっごく喜んでましたよぉ。フフフッ。」
 フフフッ、がくすぐったいほど柔らかい。
 疲れた表情をしていた彼等の顔が明るくなる。
 田代や福島はともかく、SSSがこれくらいの雪中行脚で疲れるはずもない。
 疲れると言うより、甘過ぎる香りにゲンナリしていた、と言う方が正しいだろう。
「アリス様ぁ・・・喜んで頂けましたかぁ?」
 田代が泣きそうな声で聞く。
「もぉぉ…言葉に出来ないくらい感激しました。まるで夢世界を見るようで、淡い虹色に染まった郷を…一生忘れません。ありがとうでした。」
 ミルクが、ペコリ、とお辞儀をすると、
「・・うう・・・良かったなぁ。」
「ああ。・・・苦労の甲斐があったな。」
と、田代と福島が肩を抱き合った。
 ポタァーン、と甘いシロップ状の汗が磨き上げた床に落ちる。
「もういいから、さっさと風呂に行け。・・美里が磨いた床を汚すと、跳び蹴りが飛んでくるぞ。」
「え・・・美里が?」
 福島が、ハッ、と顔を上げる。
 ミルクの命を狙い、マサトの逆鱗に触れた美里だったが、今は蛇神神社の巫女をしていた。
 母親が舘で働いている関係から、マサト達が帰ると聞いて、掃除や宴会の手伝いに来ているらしい。
 荷物を部屋に運んでくれた美里の母親が、ミルクに涙ながらにお詫びと礼を言った時に、そう話していたのだ。
「もうすっかり元気になったって、お母様が話してくださったの。」
「・・そうですかぁ。」
 福島は少し顔を赤らめて嬉しそうに頭を下げた。
 ミルクは、ん?、と女の感が働き、
「汗を流したらぁ、顔見せてあげるとぉ…喜ぶよねぇ〜、きっとぉ。ウフフッ。」
と、また笑った。
 ますます顔を赤くする福島に、SSSは目を眇め、
「行くぞ。」
と、若林が号令を掛けて、風呂へと向かった。
 遠離った先で、
「・・イテッ・・・アゲッ・・・ウッ・・・何すんすかぁ?」
と、福島の情けない声がした。
 SSSになっても、恋人が出来そうな奴はイタブリたくなるらしい。
 ミルクが口元を押さえて笑っていると、
「・・ったく、ドイツもコイツもガキだぜ。」
と言ったマサトが、目を細めて喉で笑った。


 夜にはささやかな宴会が開かれ、美里もお酌係りを兼ねて参加した。
 ミルクの食膳には、ミルクの希望で七色の雪が盛られた器に、果物が乗っている物が出された。
 シャクシャクシャク…とほんのり甘い雪を口で溶かし、嬉しそうな顔をするミルクに、SSS+二人組は満足そうだった。
 郷の子供達も皆喜んだようで、呼ばれて参加した本郷の妻達が、その時の子供達のはしゃぎぶりを話してくれた。
 本郷も別のヘリで、夕方に来ていて同席していた。
 本郷を挟んで左右に二人ずつ妻達が並んでいる姿は、不自然なはずなのに何故か自然で和やかだった。
 ミルクはどうにも気になって、途中でトイレに立った時、廊下で会った妻の一人に、
「喧嘩とかしないんですか?」
と、聞いてみた。
「もちろん喧嘩する時もありますよ。・・・でも、それでも一緒に皆でいる時が一番楽しいんですよねぇ。」
と、答えてくれた。
「……ミルには…わからないですぅ。」
「それは、当然だと思いますよ。・・だって、私達は主人の性格を知った上で承知で好きになったんですもの。・・・奥方様は、お舘様を好きになられたのですから、全然性格も違われるでしょうし、・・わからなくてもいいんですよ。」
 そう言われても、やっぱりわからないミルクは、その夜何度もマサトに、
「ねぇ、、、その内ぃ、、、第二夫人とかぁ、、、第三夫人とかぁ、、、どこかから出て来ない?」
と、聞いて困らせ、すっかり甘いムードが困惑に染まってしまった。

 それでもどうにか、日の出前にはラブラブな甘いひと時を持つことが出来、翌朝、まだ寝惚けているミルクを朝風呂で起こし、マサトは覇羅蛇村を後にした。
 朝日に輝く虹色の雪景色を、ミルクは遠く離れても、ずっと窓に貼り付いて眺めていた。

<25>
「年末年始」
§25§「年末年始」

「いらっしゃいませぇ。」
 明るいかけ声と明るい笑顔が、照明以上に店内のムードを明るくしている。
 どんよりと曇った、昼間でも薄暗い年末の街。
 年内に用事を済ませようと奔走する人々は、コートの衿を立て肩を丸めて急ぎ足に通りを過ぎる。
 それでも高級住宅街が近くにある街だけに、ロゴ入りのカラフルな買い物袋をいくつも腕に掛けているご婦人方の姿も多い。
「ありがとぉございましたぁ。」
 客が店を出る時、店内からこぼれる明るい声に気付いた人は、無意識に眉を寄せていた顔を上げてガラス越しに店内へ目を向ける。
 そんな通り過ぎる人にでも、目が合うと笑顔で軽く頭を下げる少女に、通行人は眉尻を下げて口元に笑みが浮かぶ。
 少し前から歩いてくる婦人が、フッ、と浮かべた笑みに、渋い顔の男が怪訝そうに眉を寄せた。
 つい、婦人が見ていた方を鬱陶しげに睨んでしまう。
 御用納めも関係なく、晦日まで仕事に駆り出されて、文句も言えないサラリーマン。
 ・・・こっちは残業続きで笑う気力もないぞ。
 そんな敵意を持って向けた視線に、真っ直ぐな明るい眼差しがぶつかった。
 真っ直ぐなのに何処か夢見がちな柔らかい眼差し。
 フワッ、と微笑み、会釈する。
 男はつられて会釈しながら首をひねる。
 記憶の引き出しを急いであちこち開けてみたが、覚えがない。
 まだ若い幼さを残した顔は中学生くらいにも見えるが、高校生にしてもバイトの子なのだろう。
 年の瀬ということもあり、ふと昔読んだ童話を思い出した。
 自分を守ることに精一杯の大人達は、「マッチはいりませんかぁ。」と呼びかける少女の悲しげな声が耳に入らない。
 そんな大人にはなりたくないと思っていた頃をふと思い出してしまう。
 通り過ぎかけた足が、考える前に向きを変えて、少女のいるケーキショップに向かっていた。
「いらっしゃいませぇ。」
 ・・・あぁ、そうだ。
 この声が聞きたかったのだ、と甘く香る店内に入ってから納得する。
 ケーキを自分で買うのは何年ぶりだろう、と内心苦笑しつつ、適当に選び箱詰めして貰う。
「ありがとぉございましたぁ。」
 ・・・そうそう、この響き。
 何だか胸がくすぐったくなる優しい響き。
 店を出る時にまた、
「ありがとぉございましたぁ。お気をつけてぇ。」
と、明るい声で見送られる。
 一歩店を出れば、雪でも降りそうな重い雲が頭上にのし掛かる。
 それでも、ふっくらと脹らんだ胸は甘く暖かい。
 歩き出す足取りも軽く感じられ、小さい頃助けたくても手が届かなかった少女からマッチを買った気分になる。
 歩きながら笑いをこぼし、通り過ぎる女性に怪訝な顔をされてしまう。
 ・・・なになに、構うものか。
 ケーキの箱を持った男は『マッチ売りの少女』に「頑張れ。」と呟き、自分にも「頑張れ。」とエールを送った。


 『ママのケーキ』ショップ。
   ケーキを買いに来るお客様は様々で、クリスマスを過ぎてもそれなりに忙しい。
 従業員の半分は実家で正月を過ごす為に帰省し、喫茶店の方では大学生のバイトが補充されていたが、ケーキショップはミルクが手伝っていた。
 マサトが年明け七日前後まで海外に仕事で出掛けているので、忙しくしている方が寂しくないと思えたからだ。
 母親は毎朝8時には家を出る。
 ミルクは忙しい母親に代わって家事を済ませ、四人分のお弁当を用意してから、11時までには店に出る。
 お弁当はミツルとミルクと母親、それに高藤の分もあった。
 ミツルは自宅で勉強していることが多かったが、出掛けてもいいようにお弁当にお昼を詰めておいた。
 夜はケーキショップを閉める午後8時にミツルが迎えに来てくれるので、一緒に外で夕食を摂ってから家に帰るのが、ミルクが店を手伝う時の定番になっている。
 黒と白の色違いでお揃いのマフラーをしていても、恋人同士に間違われることがないのは、そのよく似た顔立ちのせいだろう。
 それでもお互い高校に進んでからは、キンと張った氷のような厳しさが表情を引き締めているミツルと、ホニャァ〜と甘えん坊の表情のままのミルクでは、だいぶ印象が違う。
 レストランで食事をしても、女性の視線はミツルに向けられ、男性の視線はミルクに向かう。
 もっとも、ミルクをジロジロ見る男にはミツルの鋭い眼光が射りつけ、ミツルに溜息を吐く女性は兄に尊敬の眼差しを向ける妹の存在を無視出来るという差がある。
 ミツルの秀でた額は光を放つような明るさがあり、いかにも頭脳明晰が伺われる。
 対照的に、ミルクは昼間の空に浮かぶ月のように、ぼんやりと存在するだけの人形のように見える。
 ミツルの光を纏ったオーラが強すぎて、ミルクの弱い光は霞んでしまうのだ。
 けれど、心に屈折した闇を持つ者には、ミツルの強く潔癖過ぎる眼差しは痛い。
 遠慮がちだけれど静かに包み込む月明かりは、闇に迷う心に道を照らし出してくれる。
 ただ、それに気付く人は少なく、兄の影に隠れてしまう妹として見ていた。
 故に人々は「光と影の双子」とミツルとミルクの兄妹をそう呼んだ。

 母親は夜の10時か11時頃、高藤に送られて家に帰ってくる。
 本格的に仕事をするようになり、表情が生き生きとして、元々歳より若く見えていたが最近益々若くなったようだ。
「元旦しかお休みがないから、ミルちゃんはお友達と遊んできていいわよ。」
 母親が弾んだ声で言う。
「えー・・・約束してないしなぁ。・・・香織は着物着て上杉先輩と初詣行ってから、上杉家の年賀パーティーに呼ばれてるんですってぇ。」
「そぉ・・・あ、ミルちゃんは小百合さんに誘われてたんじゃない?」
「・・・ぅ…ん・・・でも、多分行けないって言ってあるしぃ・・・」
「・・あらぁ。・・・マサトさんがお仕事だと、ミルちゃんも寂しいわねぇ。・・・家のことやお店まで手伝って貰っちゃって、ごめんなさいね。一緒に行かせてあげたかったけど・・・」
「ううん。仕事だけの時は一緒じゃない方がいいみたい。あちこち飛び回ってて大変そうだし、ミルがいれば他のことで時間や気を使わなきゃいけないから、仕事が思うように出来ないでしょう?」
「・・・そうねぇ・・・」
「ミルも今はお兄ちゃんやママに協力していたいしぃ〜。・・フフッ。だから心配しないで。」
「そう?・・・ありがとぅ、ミルちゃん。」
「うんッ。」
 大丈夫、と言うように笑顔で答え、ミルクは自分の部屋に上がった。
 部屋に入ると、溜息と共にベッドに突っ伏してしまう。
 ・・・寂しくないわけない。
 寂しさを感じる時、どっと疲れも襲ってくる。
 疲れているのによく眠れない。
 眠れない気晴らしに編んでいたマフラーは完成してしまったし、買ったビーズはみんな使いきってしまった。
 ・・・・・暇ぁ!
 ミルクは枕から顔を上げ、頬を膨らませた。
 ・・・なぁーんにもしてないと余計寂しいじゃぁーん!
 足をバタつかせ布団を、バフッバフッ、と叩いてみるが、一日立ち通しの足の怠さを再認識してしまう。
 ・・・・・やっぱ、小百合さん家のパーティーに行ってみるかなぁ。
 ミルクはお気に入りのぬいぐるみを胸に抱くと、モゾモゾと布団にもぐった。


 お正月。
 謹賀新年、元旦、初春。
 色んな呼び方があり、たった一日で暮れと新年ではガラリと趣が変わるものだ。
 誰もが笑顔でいたいと、多少のことには目を瞑って、無理矢理にでも笑みを作る。
 でも、そうした人々の半数近くは、新年目指して暮れに頑張り過ぎ、腑抜け状態で虚脱的な笑顔の人がいると思われる。
 ”一年の計は元旦にあり”、”笑う門に福来たる”。
 誰が決めた法則でもないのに、誰もがそう口にする。
 ベストを言えばそうだろうとは理解しても、そう出来ない人には見えない圧力となって心を一層押し潰す。
 だから、新年・正月は、笑顔が作れない人達が、一番孤独を感じる時らしい。
 中には年明け早々、これからの一年もまた苦しみの連続、と悲観して自殺してしまう人がけっこういるという。
 誰も彼も闇雲に、「目出度い、目出度い!」などと浮かれて騒ぐな。
 騒ぐも自由だが、騒がない自由を侵すべからず、騒げない痛みを・・・わかってくれ、と言う筋合いでもないが・・・。
 一条竜二は、「今日くらいはちゃんとしなさい。」と、母親の苛立った声に起こされ、「・・っせぇーなー・・」と返した途端、「今日くらい機嫌良くして頂戴ッ。」と、更にヒステリックに叫ばれた。
 言うだけ言った竜二の母親は、今日のパーティーの準備にと、さっさと部屋を出て行った。
 ・・・チッ。
 ・・・なーにが”今日くらい”だ。
 ・・・今日くらい母親面しよう、ってのか?
 ・・・あれが世間じゃ”良妻賢母”ってんだから、聞いて呆れるぜ。
 ・・・フン。笑えってゆーなら、無理矢理にでも笑ってやるさ。
 竜二は、友達がくれた脱法ドラッグの赤い液体を、一気に飲み干した。
 体温が上昇し、生唾が込み上げてくる。
「・・フッ・・・ヒヒヒッ・・・ヘッヘヘヘヘッ・・・アーッハハハハハハッ!」
 開いた口から垂れたヨダレを手の甲で拭いながら、それでも竜二はヘラヘラと笑っていた。


 有栖川家の元旦。
「アケオメ〜。」
 ダイニングに下りてきたミルクが軽く言うと、居間と応接間を兼ねた部屋から咳払いが聞こえた。
 母親が目で、お兄ちゃんは向こうよ、と合図する。
 あ、そっか、今日は向こう?、とミルクも身振りで聞く。
 母親が目を細めて頷く。
 普段は使わない居間のソファー並びにある重厚な広いテーブル。
 父親が知人を招待した時に使っていたが、今はただのインテリアと化していた。
 それでもお正月には気分を新たにするようにと、こっちのテーブルを使うらしい。
 が、だけでなく、料理も多いのでダイニングテーブルでは並ばないという理由もあるようだ。
 ミルクが背筋を伸ばして居間に行くと、珍しくスーツでキメた兄が威厳を持って座っている。
 ・・・ここまでしなくても・・・と思いつつ、
「お兄様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。」
と、畏まって新年の挨拶をして、頭を下げた。
 ミツルは、それでいい、と言うように大きく頷き、
「おめでとう。今年も精進を忘れず、お互いに頑張ろう。」
と言ってから、家長の務めのように、ポケットからポチ袋を出してミルクに渡した。
「ありがとうございまぁーす。」
 この時ばかりはミルクも機嫌のいい声を弾ませる。
「じゃぁ、ママを手伝ってくるねぇ〜。」
 ルッルルルッルルルル〜ン…
 ゲンキンなミルクにミツルは口元に笑みを浮かべ、TVを付けて用意が整うのを待つことにした。

 有栖川家の正月には、母親の琉美江の小さい頃もそれが定番となっていた、郷土料理が並ぶ。
 長い葉っぱで包んであるムーチーは、黒糖や紅芋・紫芋などが混ぜ込まれて、カラフルで柔らかいお餅だった。
 豚の内臓スープにはカステラ蒲鉾が浮かび、テビチ(豚足)やウミブドウやロブスターが大皿に山盛りあって、食べきれないほどだ。
 郷土料理はなかなか新鮮な食材が手に入らないこともあり、有栖川家でも滅多に食べないので、御馳走である。
「ん〜・・・美味ちぃ〜。・・・小百合さんの所にお裾分けしよっかぁ?」
 ミルクは、小百合の家のパーティーに出席することにしたことを母親に話し、そう言った。
「あら・・・勿論構わないけど・・パーティーをするなら、きっともっと御馳走が用意されてるでしょう?」
「そうだけどぉ・・・だって、珍しいじゃん。・・・行く予定してなかったから、御年賀とか用意してないしぃ、手ぶらじゃ失礼でしょ?・・・お兄ちゃんを箱詰めして行けば、小百合さんは一番喜ぶだろうけどぉ・・・」
 語尾を上げて、ニマッ、と口を引き上げるミルクを、ミツルが目を眇めて睨む。
「正月から浮かれてられるか。受験生にお屠蘇気分なんて楽しむ余裕はないぜ。」
「・・ふーん・・・そうなんだぁ。」
 その割に、道場での練習は休まないし、図書館で何冊もまとめて借りてくる本が受験とは関係ない気がする。
 一度玄関に置いてあった本をペラペラと捲ってみたら、見知らぬ文字が並んでいた。
 あれは絶対英語とは書体が違っていたと、よくわからないミルクでも思う本だった。
「なら、お店のケーキを持って行ったら?多少保存期間が長いロールケーキとフルーツケーキが冷蔵庫にあるから。」
 明日の初売りの時、サービスで一切れずつ配ろうと、昨日の内に用意した物だった。
「わぁ!いいの?」
「ええ。小百合さんには、いつも良くして頂いてるから。・・気持ちだけだけど。」
「ううん。小百合さん、ママのケーキが大好きだって言ってたもん。ありがとぉ、ママ。」
 母親が優しい笑顔で頷く。
 父親はいないが、去年よりも笑顔と笑い声が多い元日となった。


 立派な門構えから緊張の面持ちで玄関へと進む。
 小百合にはパーティーに参加することを連絡し、小百合から「早くいらしてね。」と嬉しそうな返事は貰っていた。
 玄関の呼び鈴を鳴らし、インターホン越しに名前を告げると、ほどなく小百合自身が玄関の扉を開けて迎え入れてくれた。
「お待ちしてましたわ。さぁ、どうぞ、遠慮なく上がってね。」
 と、ミルクの手を引く。
「ぁ・・コートを・・・それとこれ、気持ちだけですけどぉ・・・」
「まぁぁ〜嬉しいですわぁ〜。お母様のケーキですわね?本当に大好きですのよ。」
「良かったぁ。母がいつもありがとうございます、って言ってました。」
 ミルクはケーキの箱を渡し、コートを脱いだ。
 コートの下には、一応パーティー向きのドレスは着てきていた。
 家政婦らしい人が、ミルクのコートと一度小百合に手渡したケーキを受取り、奥へと下がっていった。
 こうしたホームパーティーに慣れてないミルクは、手持ち無沙汰になって、これからどうしようかと迷っていると、
「それで、ミツル様は・・・?」
と、小百合が小声で聞いてきた。
「ぇ・・受験勉強中なので、せっかくだけど伺えないと・・・」
「あら・・・そうですのぉ・・・そうですわよねぇ・・・」
 ミルクの答えに一瞬表情を曇らせた小百合だったが、
「さすがミツル様ですわぁ〜。後で差し入れしようかしら。・・そうだわ。ミルクさん、車でいらっしゃらなかったでしょう?お送りがてら、私も参ります。ええ、そうしましょう。」
と、目を輝かせて言うと、
「お料理を先にお重箱に詰めておくように言っておかなくては・・」
と、ミルクの手を引いて厨房の方へと向かった。
 多少強引だけれどポジティブにマイペースな、小百合のこうした性格が、ミルクは好きだったので、クスクス笑いながらついて行った。
 いきなり知らない他のお客様方に紹介されるより楽しい。
 小百合は厨房に行くと、まだ客に出す前の料理から一番良さそうな所を自分で選んでお重に取っておくように指示をしていた。
 お嬢様でも、と言うのは失礼な言い方だけれど、テキパキとしたしっかり者の姿に、ミルクは感心して眺めていた。

「じゃぁ、パーティーサロンへ参りましょう。」
 小百合は差し入れの用意が出来ると満足そうに微笑んだ。
「はぅぅ・・・ドキドキしちゃいますぅ・・・」
「あら、何で?」
「初めての方とどうお話すればいいか・・・それに皆様ご立派な方々でしょう?」
「・・さぁ・・・どうかしら。服装だけは確かに立派そうだけど・・・」
 小百合は冷めた口調で言って肩を竦めてみせる。
「と言うより、ミルクさんは私のお友達ですのよ?他の皆さんにはお渡ししませんわ。初めだけ適当にご挨拶なさったら後は無視なさいな。フフッ。」
 心強い友である。
 ミルクは少し気分が楽になって、小百合の半歩後ろに従った。
 と、途中で小百合の足が止まった。
 何もない所だったので、ミルクが問い掛けるように小百合の顔を見ると、眉を寄せて微かに頬を震わせている。
  ――廊下を曲がった先で、
 「竜二坊ちゃま。・・・どうか今日は離れの方で・・・」
  男性の使用人らしき人が、長身で銀髪の青年を押し留めようとしている。
 「ヘヘヘッ・・・何でたぁ?いいじゃねぇかよぉ?・・・ヒヒヒヒッ。」
  だらしなく緩んだ口元からヨダレが垂れている。――
 小百合がツカツカと歩み寄ると、青年の頬を強かに平手打ちした。
「竜二兄様ッ。パーティーを台無しになさらないでッ。」
「ヘッヘヘヘ・・・お袋が機嫌良くしてろ、って言ったんだぜぇ?・・こーんなに機嫌いいのになーにが悪ぃってんだぁ?ヒャッヒャッヒャッヒャッ・・・」
 呂律も目つきも怪しげな青年にミルクは息を飲んで見守っていた。
 そんな時に限って、何故か目を付けられてしまう。
 ヒュゥ〜ッ!
 ミルクに気付いた竜二が口笛を吹き、近付いてきた。
「ミルクさんッ。構わないでッ。」
 小百合が後ろから竜二の腕をつかもうとして、振り払われた勢いで壁に当たり倒れてしまう。
 ミルクは目を見張って竜二を見つめた。
 竜二が背中を丸めて屈み込むようにミルクに顔を近付け、マジマジと眺め出した。
「ヘヘッ。色が白ぇなぁ。・・んー・・何かいい香りがするぜぇ?」
 首筋に舐めるような視線を這わせ、ドレスの隙間から奥を覗き込む。
「中身を拝ませて貰いてぇもんだぜぇ。」
 と、言うが早いが、ミルクを肩に担ぎ上げ、フラつく足取りだったが意外に早く廊下を歩きだした。
「やめてッ!兄様ッ!」
 小百合が追い縋って引き留めようとするが、小さい頃から文武両道の英才教育を施された空手五段の竜二に敵うわけもなく、再び壁に激しくぶつけられ気を失ってしまう。
「お嬢様ッ!」
 男の使用人が小百合に駆け寄る間に、ミルクは竜二の離れの部屋に連れ去られてしまった。

 ベッドに投げ出され、起き上がる間もなく押さえ込まれてしまった。
 竜二は鼻がつくほど間近でミルクを眺める。
 そうする間もヘラヘラと笑う口からヨダレが垂れてくる。
 ミルクは無意識にその口元を指で拭った。
 ミルクの優しい指の感触に竜二が目を細め、
「ヘヘッ・・・ヘヘヘッ・・・俺に惚れたか?」
 と、更に顔を近付け、唇まで触れそうになる。
「・・・ごめんなさい。・・ミルにはもう心に決めた人がいるの。・・だから、どんなに素敵な人でも、他の人を友達以上には好きになれないの。」
「ヘヘヘヘッ・・・俺は素敵か?」
 自分に都合のいい言葉しか耳に入らないのだろうか。
 ミルクにも次第に普通の状態でないことがわかってきた。
 ヘラヘラと笑っているのに、怒っているようで、怒っているのに悲しげに見えてくる。
 まるで、あの怒っているのに悲しげな”般若の面”のようだ、とミルクは思った。
 どうすればいいのか、考える前に抱き締めていた。
 両腕で竜二の頭と肩を抱き包むように、ギュゥゥッ、と精一杯の力を込めて抱き締めた。
「・・・ごめんなさい。・・ミルには愛してる人がいて、何も出来ないけど・・・あなたの悲しみも痛みも、大好き。」
 竜二は、ミルクの腕に包み込まれたまま、耳を疑うように目を見開いて固まった。
 ・・・コイツ・・・何言ってるんだ?
「・・・ねぇ?・・・知ってるでしょう?・・・小百合さんも、精一杯胸を張って微笑んでらっしゃるけど、本当はスッゴク心が痛がってる人だって。・・・たった一人の妹さんだもの、まして同じ痛みなら・・わかってらっしゃるのでしょう?」
 ミルクが諭すのではなく、本当に不思議そうに聞いてくる。
「知るかッ!」
 竜二は力ずくでミルクの腕を振り解き、上体を離すと上からミルクを睨みつけた。
「・・・ミル・・・わかんない。・・・世界中で一番お兄さんを思ってる小百合さんを、どうして?」
 きっと薬で意識が暴走したりしなければ、本当は妹思いのお兄さんなのだと思うと、ミルクは薬でしか逃げ場を見つけられなかった竜二の心が痛くなった。
 涙が溢れてこぼれてくる。
 他人のミルクが抱き締めても意味がないことくらいわかっていた。
 本当に求めるものをミルクは持っていない。
「・・・ごめんなさい。・・・ミルには・・小百合さんの友達でいることしか出来ないの。」
 恐れることなく真っ直ぐに見つめる目。
 射るのではなく包むように優しい眼差し。
 竜二は理解を越えて呆然としていた。
 薬によって上がっていた体温が下がってくる。
 それでも、寒さより温もりを感じていた。

 鍵の掛かった部屋を外から開けられ、ドカドカッ、と人が雪崩れ込んで来た。
 使用人数名と小百合の父親と、どうにか立っている小百合がそこにいた。
「馬鹿者ッ!何をしているんだッ!」
 父親が唇を震わせて怒っている。
 ミルクの婚約者である原田会長の会社とは、大切な取引関係があるのだ。
 しかも、原田会長のミルクへの溺愛ぶりは有名だった。
 こんなことが知られれば、いくら大きな企業とは言えど、潰されてしまうかも知れない。
 原田会長の怒りを買って乗っ取られた大企業をいくつも知っていた。
 父親は青ざめながら保身の為に怒りをぶつける。
「誤解ですッ。」
 ミルクは力を失って呆然としている竜二の下から這い出し、ベッドから下りた。
「竜二さんは小百合さんのお兄様として、お部屋を見せてくださってたんです。ちょっと可愛い写真を見つけたので・・取り合いになって倒れてしまっただけです。」
 ミルクはそう言ってお辞儀をすると、小百合に駆け寄り、
「大丈夫?」
と、囁いて肩を抱いた。
 ミルクの言葉が真実だとは思えない父親だったが、そうしておく方が都合がいい、と考えたようで、
「・・・それでしたらいいのですが・・・」
と、大きく息を吐いた。
 そして、
「では、どうぞサロンの方へお出でください。妻も会いたがっておりますし・・・」
と、小百合とミルクを促して、竜二には一瞥もくれずに部屋を出ていった。
 一同が出ていってからも、竜二はしばらく気が抜けた状態でいたが、ゆっくり立ち上がると、
「惚れたぜぇぇぇーーーッ!!」
と、叫んだ。
 もっとも大音量でステレオを聴けるように防音設備が整った部屋でのことで、その叫びを聞く者は他にはいなかった。


 翌日、母親のケーキショップでいつものようにバイトしているミルクの前に、銀髪の竜二が現れた。
「いらっしゃいませぇ。・・あ、竜二さん。こんにちわぁ。」
 ミルクがわだかまりのない笑顔で挨拶すると、竜二は本来の涼しげな目元を綻ばせて、
「昨日のケーキ美味かったぜ。」
とクールな笑みを浮かべて言った。
 今日は変な薬は抜けているようだった。
 小百合があれだけの美人である以上、竜二が端正な顔立ちをしていないはずがなかった。
「良かったですぅ。・・急に思い立ったので、本当は今日のサービス品だったのを分けて貰っちゃったの。フフフッ。・・ご来店頂いた方には、喫茶店の方でお好きなドリンクとセットでサービスしてますので、宜しければどうぞ。」
 ミルクは嬉しそうに微笑んでサービス券を渡した。
「ふーん。・・・俺は素敵か?」
 竜二は渡されたサービス券で顔を扇ぎながら、フフン、と片頬で笑う。
「・・・ぇ・・・ぁ・・・それはもちろん、小百合さんのお兄様ですから。」
「喫茶店じゃなく、こっちで喰いてぇなぁ。」
「・・あの・・ごめんなさい。今日は初売りで混んでいるので、そうしたサービスはしていないんですぅ。」
 ミルクは困惑しながら頭を下げた。
「フフッ。お前って謝ってばっかだなぁ?」
「あ・・・ごめんなさい。・・・ぅぅ・・・」
 竜二の涼しげな目元が優しく弓形になり、
「・・・お前も・・・俺に似て・・生き方が不器用みてぇだな。」
と呟いた。
 そして、
「けど、そこが可ぁー愛いーぜ。」
と、ウィンクすると、サービス券を頭上で振りながら、店を出ていった。
 ミルクはキョトンと瞬きをしながら、竜二の背中を見送った。
 どうやら竜二は性格まで小百合と似ているらしい。
 ・・・ミル・・・何か失敗しちゃった?
 ふと、マサトが帰ってきてから怒られそうな予感に、クシュン、と肩をすぼめた。